〆切本2  左右社編集部  2018.8.1.


2018.8.1. 〆切本2 猿に邪魔されても〆切はやってくる
とうとう新潮社社長の私邸に監禁

編者 左右社編集部

発行日           2017.10.30. 第1刷発行(当初目標は4月下旬)
発行所           左右社

はじめに
世の中はいろいろ形を変えた〆切に溢れ、地球は彼らに侵略・征服されている
そんな〆切と堂々と戦ってきた〆切のプロたちの作品を集めたアンソロジー
本は〆切という険しい壁を乗り越えてきた奇蹟の金字塔。本書をすべての勇者に捧ぐ

I章        今に死ぬ、どうしても書けぬ ~ 頭の具合よろしからず、今度はどうしてもできませんでした
源氏鶏太『作家の生活』⇒ 小説を書けないときの辛さはその作家だけにしかわからない。作家が成長するのは、書けないで夜の道を歩きながら「一人ぼっちでこの仕事を完成しなければならない」と、襲ってくる絶望感に堪えているときだろう。こういうことがあってこそ、あとに楽々と書けるときがくる
二葉亭四迷「書簡 明治40年、福田英子宛」 ⇒ 頭の工合よろしからず。今度はどうしても出来ませんでした。誠に申兼ますが次号へ御延しを願ひます
武者小路実篤『気まぐれ日記 大正12/13年』⇒ 自分の過去の作品を読んでみて感心した。調子が高い所に行っている。今は原稿の書けない心配がじりじりと詰め寄せてきた。約束をしても無理に創作を生み出そうとするのは嫌なものだ
森鷗外『夜なかに思った事』⇒ 夜中の12時からこれを書き始めたが、この時間まで仕事を目いっぱいして頭は疲れ切っているので何を書いていいか我乍らわからない。感じたことを書けと言われるが、文部省の展覧会を見ても感じたことはあっても正直に書くことはできない。それでも思いつくままに書いていいたらようやく3時前になったので寝る
北原白秋「手紙 大正11年、鈴木三重吉宛」 ⇒ 山妻や親類の子供が病気やら、あれやこれやで、さらにこの4,5日徹夜で詩壇を書き続けたのでへとへと。今度は失礼しました、今日少し休息し、すぐに取り掛かります。仕事が済んだら、児童研究の論文の材料を探しに小淵沢へ行ってこようと思うが一緒に行きませんか
石川啄木「明治42年当用日記」 ⇒ 今日大学館へ行ったら原稿を返された、面当てに死んでやろうかと思って出たら犬が電車に轢かれて血まぶれの頭! あゝ助かった! と予は思ってイヤーな気になった。吉井が来てスバル4号ができない。病気をしたいと言っている。これはいままで予の幾度考えたことであったろう! 責任解除! 予は吉井を侮ってゐた。しかし予と吉井と幾何の差ぞ
山本有三『当分原稿御依頼謝絶』⇒ ふそんな気持で言っているのではなく、せっかく依頼されても当分は果たせそうにないので、はっきり言っておいた方が自他ともにいい。今までに頼まれた文債が溜まっているので少しでも償還しておかないといけない。天分が薄い上に、制作能力も低く、さらに先天的に胃腸が弱いと来ているので、閉口している
ドストエフスキー「手紙 1866年、旧友宛」 ⇒ 僕の沈黙の原因を全て理解いただくために一切の状況を叙述することは困難だが、1つは懲役人の様に仕事にかかっているが、債鬼たちに苦しめられている。もう1つは癲癇と痔。長編が仕上がるまではこんな生活が続くでしょう
芥川龍之介「手紙 大正10.9.8. 薄田泣菫宛」 ⇒ 原稿遅れがちにて恐縮仕る。胃腸直らず(ママ)。痔まで痛み出す。痩躯一層痩せて蟷螂の如し。出版の件社から出す由、社から出れば売れそうだが本屋より印税が安くはないか。病中原稿は出来なくてもこの位の欲心はあるものと御思ひ下さい
石川淳「坂口安吾との往復書簡 昭和29.8.30.」 ⇒ ちょっと事情があってまた軽井沢に来ている。私小説なら結構商売のたねになりそうだが、きみ宛でさへ書く気がしない。書くことはいろいろるはずなのに失語症で連載小説の筆が進まない。書くこと一般がどうもめんだうだね。かういふときには、だれのシッペタをつっつけばいいのか
山本周五郎「愛妻日記 昭和5.5.15.」 ⇒ 金がない。書けない。あすからやる。やると云ったらやる。心は落ち着いてきた。酒にも唆(そそ)られない。心は慰まない。雀児から金を借りている。早く返さねばならぬ。日曜には返せるだろう。急がずやろう
小林多喜二「中村恵宛書簡 昭和7.8.2.」 ⇒ 仕事を進めている、間に合いそう。題名は『党生活者』で、『カニ工船』など今迄の生き方とは違った冒険的試みをやってみた。8.17.急いで粗末なものにしたくはないので、とうとう勝手にのばしてもらいました。8月下旬:約束の日より遅れ申訳ありません。枚数も多くなりました。原稿料は早くお送りください
太宰治『義務』⇒ 今の私にとって、文章を書くのは義務を遂行するため。頼まれて偶々手が空いていて引き受けた以上やらなければならない。私は気取りの強い男だから、たかだか5,6枚の随筆の中に思うことを全部叩き込みたいと力む。まだ随筆など書ける柄ではない。無理。もうこれで5枚になった
松本清張『灰色の皴』⇒ 苦し紛れの題は、ポワロの『灰色の脳髄』のパロディ。頭脳がすぐれているかどうかは皴の多少によるそうだ。レントゲンでも透視できないのが幸い。原稿の締め切りが迫って耳から血が流れるような焦燥と苦悶に駆られ、一切を放棄して飛び出したが、ふいと着想が浮かぶ。そういうことが23度あると、着想とは雑念を捨てた真空状態の時に天啓のように湧いてくるものだという法則のようなものを得た気になった
丸山眞男『永久未完成型、いつもトルソー』⇒ 仕事がスローだし、終わりから書いたりするので新聞記者には向かない。資料が全部あるという感覚がないと書き出せない。いざ執筆すると意外に早い。客観的には遅筆。完成感がない。だから自分の論文は後で読む気がしない。永久未完成型、悪く言うとアマチュアリズム
梅棹忠夫『「放送朝日」は死んだ』⇒ 『放送朝日』休刊の知らせ、こういう仕事は動きが止まったらだめで死んだも同然。長い間応援団だっただけに残念。応援団になったのは『情報産業論』を載せたときで、遅筆に合わせて雑誌の発行を遅らせたのはいいが、大幅に遅れたため危うく第3種郵便の認可を取り消されそうになったので、91日付で8月号を出した。以後そのずれが続いている
安岡章太郎『妥協する地点』⇒ 注文があれば期日に合わせて何かを作って依頼者に渡すのがつくナリワイ。だが昔から時間の観念に乏しい。ものを書くなどというのは所詮、妥協の連続で、自分自身の理想と、どこでどう折り合いをつけるかということだけが問題。仕事にとりかからなかったのは妥協する地点をつかまえることが出来なかっただけ。こんなことを言っているあいだにも、刻々と時間は過ぎ去って行く
井上ひさし『井上ひさしの遅筆詫び状』⇒ 91.11.19.ワープロは完全に目をダメにしてしまいますね。11.20.3:00am禁欲して集中します。題名は『天皇の人間宣言』です。11.20.6:32amかみさんが産気づいて病院に連れて行きました。11.20.7:33pm男児誕生、母子ともに健全。何も煩わされずに原稿が書けます。11.21.3:14amお産騒ぎで睡眠時間がなくフラフラだがもう少し頑張ります。11.21.6:13am睡眠不足で能率が上がらない、申し訳ないが数時間仮眠をとる。何とか本日夜まで仕上げる
タモリ『ハナモゲラ語の思想』⇒ まだ原稿が到着しないので白紙のままで届ける
宮尾登美子『かんづめ』⇒ 閉じ込められれば書かざるを得ない、ということらしいが、私は、能率が上がる半面、心身共に猛烈な苦痛を伴い、耐え切れなくなってひそかに脱走することたびたび。もの書きぐらいエネルギーの費消の少ない職業はないが、実際にはこれほど執拗かつ隠微な肉体的苦痛を伴う仕事もめずらしい。緊張性の胃潰瘍と心臓神経症は作家の職業病と言われ、これを経て1人前と言われるが、私の心臓もそのはしくれ
向田邦子『有眠』⇒ もの書きには不眠症が多いというが、私の場合は、風呂に浸っていても洗濯をしても湯が水になるくらいまで眠りこけることが多い。どこでも眠れる特技がある。気負っているときほど眠る。ひとつの言葉を選べないので俳句は作れないが、もし将来何かの間違いで句作をするときの俳号はもう決めてある。「有眠」
リリー・フランキー『約束』⇒ もう何年も誰かと約束した覚えがない。締め切りに間に合わなかったのも、約束を守らなかったのではなく、「間に合わなかった」という現象で、相手を裏切ったこととはまるで異なること。現象は誰にも止められない。約束めいたものが互いの信頼を混乱させる。恋人同士でも「一生一緒にいる」というのは希望であり、しかも一時的なもの。やたらと「約束」を口に出す人ほど約束の意味を知らない
町田康『だれが理解するかあ、ボケ』⇒ 業界用語でかっこいいと思われるのは芸能業界用語で、何でも語を逆から読むというルールがある。余りいた葭過ぎると訳が分からなくなる。風俗産業の業界用語はまずいでしょ。畳業界では地味。出版業界用語も印刷の工程に関することばかりなので地味。政治業界の「御理解をいただく」は便利。増税の様に嫌なこと苦痛なことを我慢してくださいという意味で、日常生活に流用するとあらゆる局面で有利に事を運ぶことが出来る。この原稿も大幅に締切を遅れて出した。私も釣りに行ったり自宅で踊りながら屁をこいたりする自己都合がある点を編集部の人はご理解ください

II章      編集者はつらいよ ~ 〆切日の書いてない原稿の催促なんか、およそナンセンスです
萩原朔太郎「江戸川乱歩宛の手紙 昭和8.5.27.」 ⇒ 『生理』個人雑誌を発刊したので寄稿をお願いする。小生近頃作品なく、表紙と内容が別々になって困っているので、折り入ってお願いする。〆切や紙数の制限なく一切自由なので散歩のつもりでお願いします(江戸川氏は一度も執筆しなかった)
「津村信夫宛手紙 昭和11.4.22.」 ⇒ 『四季』寄稿2篇送りました。落手受取り下さい。『四季』の編集は、〆切日と発行日とを正確に勘定することが肝心です。(〆切日の書いてない原稿の催促なんか、およそナンセンスです)
滝井孝作『虚子さんの文章』⇒ 改造社から虚子について書けと言われたが、元々僕はホトトギス派と反対の立場の俳人だったこともあってあまり読んでいない。虚子の油の乗った作は20年も前のものだから今日の目で再検討されて当然だが、読直して後悠くり書きたいので1か月待ってくれと言ったのに、編集者が締切を延ばさないのが悪いので、この旨お断りする
堀辰雄「神西清宛手紙 昭和4.8.15.」 ⇒ 漸く創刊号の編集を終えた。君の原稿は2号に回した。勘弁してくれ。早く小説を書いて貰いたい。〆切は来月5日だ。
「堀多恵子宛 昭和16.10.24.」 ⇒ ゆうべ一所懸命小説を考えたが駄目だ。来月匆匆東京に帰って遮二無二書くつもりだが、お前はどう思ふか? 『改造』の発行日が変わるが何日位まで待ってもらえるか聞いて知らせてほしい
吉村昭『変人』⇒ 文芸誌と大衆小説雑誌の中間に中間雑誌とでもいうべきものが創刊され、両サイドから魅力ある作品が掲載され、新人賞をとって小説家としての生活に入った私にも執筆依頼があり、老練な編集者として知られた方が打ち合わせに来たら、いきなり小説家は変人ばかりだという。変人でなければ小説など書かないともいうが、会ってみるうちに編集者こそ変人ではないかと思い始める。定年で辞めた後別な出版社の新しい雑誌に書いてくれと頼まれたので、以前私が他の中間雑誌に書かないのは節度があって見事だと褒めていたではないかと返したら、香奠として書いてくれという。それも断ったら半年後に死去。香奠をもってお参りに行ったが、私の方が正常、平凡な人間と思う
校條剛(50年生、『小説新潮』の川野の2代後の編集長、29年在職、水上勉などを担当)『野坂昭如「失踪」事件始末』⇒ 86年の『小説新潮』500号記念号の締切の段階になって、「逃亡」常習犯の野坂が失踪、すでに目次に題名を『淫行礼讃』(谷崎の『陰翳礼讃』のもじり)として印刷が始まっているので落とすわけにいかない。編集部全員が集まって探し回りようやく愛知県内のホテルにいることを突き止め個人タクシーで往復、野坂は驚いて必死に書けないので勘弁してほしいと懇願、代わりに読者への詫び状を書いてもらい、さらに原稿の写真版を見開きに前後入れてようやく代わりとした。川野黎子編集長の怒りは収まらず、ペーパーナイフをソファーに突き刺した。その傷がいまだに残っている
野坂昭如『読者へ』⇒ 処女と不能の男こそ最も淫らであると書き出したが、2枚で行き詰まり困惑の態、今回はお詫びするしかない。次なる機会に、これが性の曼陀羅図と自負できるものを書く。最後に編集部が心身不調のため校了に間に合わずとお詫びを入れた

III章    〆切タイムスリップ ~ 当時の僕の全てが、僕の書く文章の言葉だった
團伊玖磨『さようなら』⇒ 『アサヒグラフ』に36年にわたって掲載してきた随筆『パイプのけむり』が、同誌の休刊により001013日号で終わる。僕にとって原稿を書く時は至福の時、大勢の尻馬に乗らず、「自分は自分で居る、考える、生きる」を実践し、そのことを書くことを目的としていて、思索と内省の機会になった
河野多恵子『「骨の肉」の思い出』⇒ 『骨の肉』を書きあげたのは、『群像」の昭和443月号の締切りから10日後の校了の日の夜中。いろいろ重なって、どうしても書けないと云ったらもう巻頭になって目次に刷り込まれているという。最後は必死に瞬間最大速度で8時間半に23枚書き仕上げた。これが好評で、最も多く取り上げられている。占いが好きでその時どういう星だったか調べようと思ったが、星のめぐり合わせを超えたものが小説の誕生にはありそう。創作ばかりは星の支配が及ばぬ世界である感じが年毎に強くなって
五木寛之『カンヅメ稼業に悔あり』⇒ カンンヅメとは業界用語。
年取ると原稿が早くできるようになるらしいが、人間がまともになるかせっかちになるのかどちらか。石坂洋次郎は晩年とても鷹揚になった大人(たいじん)の風格というべきか。半年分の原稿を書き上げて、小出しにしていたという伝説がある。カンヅメになりながら、石坂さんのようにはいかずとも、せめて締切日ぐらいはきちんと守りたい
椎名誠『一枚の写真、妻のヒトコト――嫌になった、そのときに』⇒ 締め切りが月に20本あるので、シメと聞くと嫌だしフミキリも嫌だ。それでもこの短文の依頼を受けたのは「嫌になった、そのときに」というテーマに惹かれたからで、真面目に受けて取り上げたい。中学の頃荒れた学校に嫌気がさしたが、一枚の田舎ののんびりした赤ん坊の写真に救われ別な世界があることを知った。業界紙の編集をやっていた時、頑張って書いた本がベストセラーになって上司からいじめられたが、妻から会社を辞めて好きに書けばと言われて新しい世界に飛び出した。今は締切に追われても嫌なことはない

IV章     助けておくれよ、家族 ~ 「つまり妻と作家とは両立するか」「しない」
川端康成「川端秀子宛書簡 昭和9.6.12.」 ⇒ なぜ報告の手紙をよこさんのだ。投げやりな、きちんと片づけない、ずるずる延ばしの性質が、とても助からん気をさせるのだ。腹が立って今日も怒鳴りに帰らうかと思ったくらゐだ。いい加減にしろ、ものごとをさっさと片づける習慣をつけろ、少しは考がへてみろ
バルザック「異国の女への手紙 1833.12.8.」 ⇒ 1行も書けない。私達をへだてている150仏里を越えて、激しい思いで涙と魂の放射をお送りしております。本の出版が遅れ、ありえないほどの困窮に陥っているが、木曜には馬車でそちらに伺います。2人の間の約束は、2人のお互いの命と同じように神聖で侵すべからざるものなのです
横溝正史『一杯亭綺言』⇒ 胸に痼疾があるので、上肢に強い圧力を加えるとすぐ痰に血が混じる。家内が口癖の様に「無理をしないで」というが、今日はこの原稿の締切が10日以上も延びているので無理してでも書かざるを得ない。一昨年の古希を機に仕事場を「十風庵」から「一杯亭」と改名、一つしかない肺をいつくしむ意味
三浦しをん『骨折り損のくたびれもうけ』⇒ 目前に控えた締め切りに向け必死にキーボードを打ちまくっているところに、大音響がして母が倒れて腕を骨折、立ち上がれず貧血まで起こしたので救急車を呼び、応援まで来て7人がかりで担架で運び出し、病院に行ったら歩けた。でも入院して翌日は手術となり戻って徹夜で原稿を書き、翌日からは下僕のように母に仕える毎日

V章       〆切幻覚作用 ~ 締切というのは全く日本の化け物の1つである
木下杢太郎『研究室裏の空想』⇒ 原稿を引き受けるのは借金したのと同じようなものだ。書く気を起こすために本を読んだら面白くて、自分の空想の内容など面白くもなんともなくなって書くのをやめる。徐々に学術的な空想に入って、生物学がこれからだんだんと面白くなるだろうというところでおしまい。初めの表題は内容にそぐわなくなったが、別のを考えるのが面倒くさいので我慢していただこう。今後は原稿を頼まないでください
冲方丁(うぶかたとう)『作家の時間割』⇒ 執筆に専念できるのは「宇宙飛行士型」人あるときで、昼夜の区別はない。執筆時間を決めるのはシーン次第、簡単なら何時間でも続ける。創作のアイディアは7,8本並行して進む作品ごとに大学ノートに書きつける。震災の影響で、仕事道具一式を持ち出して、違う環境を渡り歩いて書くことが多い

VI章     それでも〆切はやってくる ~ 今度こそ立ち向かって行く決断がついた
井上靖『締切り』⇒ 小説を書き始めのころは締切りという言葉が、実に嫌に耳に響いたが、考えてみると締切りが無かったら、私のような怠惰な人間は、一作生むのも容易なことではない。締切日を目指して書きギリギリまで離れない。最初の10年間は締切が無かったので、最初の部分だけ書いては書き直し、そのうち嫌になって筆を擲ってしまい、何も書けず空白で過ごした。作品は最後の1枚を書き上げた時、初めて作品としての生命を持って来る。多少不細工でも生みかけたら生んでしまうのがモットー、そのうえで何回も推敲するのが理想的だが、その余裕がないのが実情。締切りがないと文学作品は完成しない
室生朝子『晩年の犀星』⇒ 虎の門病院に入院中の父を堀口氏(大学?)が見舞いに来られ、別れ際に父にしては珍しく長い子と握手していた。そのあと医師の許可を得て毎日2時間『私の履歴書』の執筆にかかり、退院日までに書き上げた。私は次の方と順番を代わってもらったらと言ったら叱られたが、その間もコバルトによって抑えられていた憎むべき塊は生き続け、もし順番を代えていたら父の『履歴書』は書き上がらなかったかもしれない
室生犀星『私の履歴書』⇒ 昭和30年から36年初頭にかけて物の怪に憑かれた様に毎日たくさんの活字を吐き尽した。ほとんど文学生涯のしめくくりをしたやうなもの。書くという気になった時の私にはふだんの健康が戻って来てゐることに気づく。病気といふものは手剛い、人間はこれと闘ってゐる間にどういう疲弊にもまして奪はれるものを奪はれる
大庭みな子『まぼろしの七里湖』⇒ 朝倒れて意識を取り戻して『七里湖』の原稿を渡したり仕事をしたりしながらも混濁のうちに時が流れる。クマに襲われて死んだ写真家星野氏のことがアラスカの海と重なる。海草の原は積み重ねられたおのれの罪業のあかしのようでもだった
伊集院静『締切りがまた来る それが人生』⇒ ロスにいて数時間で帰国の途に着くが、この原稿を入れておかないといけない。締切りのない奴を見るとつい羨ましくなる。書くことが思い浮かばなくなったらさっさと退める。出版社にとっては替えはいくらでもいる。下の娘が小説を書き出したが、書く前だったらつまらんことをするなと言えた
ハルノ宵子(ばななの姉)『物書き根性』⇒ 父の晩年、インシュリンを打つタイミングが難しかった。深夜に寝ている父の血糖値を計ったら低過ぎて計器が反応しない。慌てて救急車を呼び事なきを得たが、深夜家に戻ってきたら当日が〆切なので原稿を書くといって書き上げた。父が亡くなって深夜に戻ってきたが、私は〆切を抱えていたので、遺体を置いたまま朝までかかってイラストのラフを書き上げ、父に見せて2人で写真を撮った
田辺聖子『残花亭日歴 平成13年』⇒ 8.22.パパ(カモカのおっちゃん)が病院で上顎下顎とも腫瘍あり、手術できないので放射線でと宣告される。臨機応変の対応を迫られるが、40代の半ばからいつも臨戦態勢だった。物凄い執筆量で、締切は常に遅れ、どの位出版社や新聞社に迷惑をかけたかわからない。14.1.7.パパが今月中と言われる。1.10.弔辞を古い馴染みの藤本義一に頼む。1.15.前夜死去、遺体は自宅に戻る。1.20.16日に葬式。藤本の弔辞で初めてパパが物書きが辛いことだと思っていてくれたことを知る
山崎豊子『最後の決断』(119) ⇒ 2年半前『運命の人』を上梓した時、これが最後の作品だと覚悟した。原因不明の疼痛で体は書けないと訴えていたが、連載の休止は出来ずに全うし、これで締め切りを気にせずに治療に専念できると淡い期待を持ったが、新潮社から次は当社でと声がかかり、新しいテーマが浮かび筆を擱く一大決心は覆る。書かねばならないのだと宿命のようなものを感じ、立ち向かって行く決断がついた

X章   〆切の刑
タモリ『ハナモゲラ語の思想』⇒ 白紙のまま「印刷ミスではありません」と表記して刊行
野坂昭如『読者へ』⇒ 原稿用紙に書きなぐったままを掲載
奥付 ⇒ 刊行遅延につき、自戒の意を込めて〆切の刑に処されます。 ⇒ 編者と発行者の名前を上下逆転させて書く









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