投稿

9月, 2014の投稿を表示しています

東京自叙伝  奥泉光  2014.9.14.

イメージ
2014.9.14.  東京自叙伝 著者 奥泉光  1956 年山形県生まれ。 ICU 教養学部人文学科卒。同大学院博士前期課程修了。 86 年すばる文学賞の最終候補作『地の鳥天の魚群』を『すばる』に発表しデビュー。主な著作に『葦と百合』、『ノヴァーリスの引用』 ( 第 15 回野間文芸新人賞 ) 、『石の来歴』 ( 表題作で第 110 回芥川龍之介賞 ) 、『神器――軍艦「橿原」殺人事件』 ( 第 62 回野間文芸賞 ) 発行日            2014.5.10.  第 1 刷発行 発行所            集英社 初出 『すばる』 2012.11. ~ 2013.11. 第1章         柿崎幸緒 1840 年生まれ。青山の大火で焼け出され、身寄りを亡くして近くの寺の檀家に引き取られる。養家は御家人で御徒 ( かち ) 組だが、副業で金貸しをしている 安政の大地震で、富士の噴火を思い出す 元服するが、吝嗇の養父がなかなか家督を譲らないため、悪仲間を唆して強盗に入らせたところ、留守のはずの養父がいたために強盗に殺されてしまい、養家を継ぐことに 江戸城攻撃の際、官軍に寝返り、新政府では官吏となるが、 90 年に第 1 回衆院選に立候補して落選、新潟に講演に行った先で焼死 第2章         榊春彦 柿崎から離れた私は、猫になる 榊は、新潟の生まれ。東京に行きたい一心で陸軍幼年学校に入り、予科士官学校、士官候補生、士官学校本科を経て陸士を 6,7 番の恩賜の銀時計で卒業、歩兵連隊の見習士官から、陸大に進み、 3,4 番で恩賜の軍刀をもらう。桜会に与するが、その後英国留学。満洲に出征してノモンハンの敗戦の責任をとって戸山学校に転出したが、大東亜戦争開戦で参謀本部作戦課へ。新京で終戦を迎えシベリア抑留の後、 52 年帰還 第3章         曽根大吾 東京の空襲の頃、曽根大吾に乗り移る 滝野川生まれ、府立六中を放校になって不良学生の巣窟だった城南商業へ 城南の同輩とともに、愚連隊を経て暴力団を組織し、勢力を伸ばす シベリア帰りの榊が、軍の隠匿財宝を抑えていると知って、横取りを企む 第4章         友成光宏 曽根大吾と一緒に子供のころ神

ピアノの巨匠たちとともに  Franz Mohr  2014.9.11.

2014.9.11.  ピアノの巨匠たちとともに あるピアノ調律師の回想 My Life with the Great Pianists               1992 著者  Franz Mohr with Edith Schaeffer( 構成 )  略歴については後記 Wikipedia 参照 訳者 中村菊子  1954 年慶大経卒。 63 年ジュリアード音楽院ディプロマ課程修了、 65 年同修士課程修了。州立フロリダ・アトランティック大学教授、全米音楽指導者協会ボードウィン・コンクール、ニューヨーク州委員長、ニューヨーク州ライ市のジャパン・インスティチュート、ディレクター歴任。現在、ピアノ指導者育成のために幅広く活躍中 発行日            1994.10.10.  第 1 刷発行               94.11.20.  第 2 刷発行 発行所            音楽之友社 『 14-08  絶対音感神話』で言及 第1部         ピアニストたち 第1章         ホロヴィッツ ホロヴィッツは、何にでも癇癪を起し、誰もそれを止められない 53 ~ 65 年の間、コンサート・ステージから遠ざかったあとの復活コンサートでは、チケットが売り出される 2 日前から行列ができた。それを見たホロヴィッツは数台のワゴン車を 57 丁目沿いに繰り出して、人々にタダでコーヒーとドーナツを手配 続くシカゴでのコンサートでは、ホロヴィッツ夫人のワンダがチケットを 2 枚手に入れ、一緒に客席で聴こうと誘われて応じたが、コンサートを楽屋以外で聴いたのはこの時が最初で最後 ⇒ 最初のハイドンを弾いて楽屋に戻ったホロヴィッツが出てこない。しばらくすると係員が著者を探しにきた。楽屋ではホロヴィッツが怒り狂っていて、椅子が 1/6 インチ高かったのでたくさん音を外したという。仕方なく著者が 1/4 インチ椅子を下げてコンサートは再開された。それ以降著者はホロヴィッツのコンサートで客席に座ったことがない 演奏中に弦が切れたことが 2 回ある ⇒  1 度は曲の途中で切れ、大きなピストルを撃ったような音がするのですぐわかるが、切れた弦が他の弦を邪魔するために弾き続けられず、その弦だけを取