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昭和将棋史  大山康晴  2023.6.18.

  2023.6.18.  昭和将棋史   著者 大山康晴  1923 年倉敷市生まれ。 Wikipedia 参照   発行日            1988.1.20.  第 1 刷発行 発行所            岩波書店  ( 岩波新書 )   カバー裏 15 世名人大山康晴は昭和 10 年に 12 歳で木見金次郎 8 段に入門。以来 50 年余、名人をはじめとするタイトル獲得数・優勝回数は 120 を超え、現在もなお現役で活躍。本書は昭和将棋の歴史を自己の歩みとともに描いたもの。木村、升田、中原ら多くの名棋士との激闘の跡を振り返り、将棋界の将来について抱負を述べる     I.       戦前の将棋界 1      入門の頃 l   ただ強くなりたいだけ 1935 年、将棋の専門棋士 ( 当時のプロ棋士の呼び名 ) を目指して、関西将棋界の代表者木見 8 段の門下生になる。ただ「強くなりたい」だけの少年。升田幸三が兄貴分の内弟子 東西に分かれ、交流はなし l   大阪在住の棋士たち 木見一門以外には、神田辰之助 7 段一派、高島一岐代などの中立派、「王将」の坂田三吉は昔でいう「名主」的存在 l   内弟子生活 関西には新聞棋戦が少なく、地方新聞では「タバコ銭」程度の稼ぎにしかならず、主な収入は教授料。最高位は 8 段で、段位が上がるほど教授料も上がる 軍隊に入るとき 6 段だったが、それまで内弟子生活を続けていた l   ありがたい後援者 田中房太郎は木見の熱心なファン 大阪にはプロとしての棋力を計る機関がなく、内弟子同士で盤に向かうしかない 田中と木見が奔走して、大阪にも東京と同じ「奨励会」が発足。棋力の上昇と、段級位を決める機関となった l   数人だけのプロ棋士 将棋だけで生活が成り立ったのは、木見、神田、坂田らごく少数 l   希望あふれる東京棋界 東京には、関根金次郎 13 世名人を頂点として多くのプロ棋士がいて、日本将棋連盟を組織。新聞社がプロ将棋に注力、各紙が独自の将棋欄を持ち将棋界をバックアップ 「新進棋士奨励会」が新人を競わせていた 関根名人は現代棋士の生みの親   2      名人戦の開始 l   実力