クラシック音楽とは何か  岡田暁生  2018.9.14.


2018.9.14.  クラシック音楽とは何か

著者 岡田暁生(あけお) 音楽学者。京大人文科学研究所教授。文学博士。1960年京都生まれ。01年『オペラの運命』でサントリー学芸賞受賞。09年『ピアニストになりたい! 19世紀もうひとつの音楽史』で芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。09年『音楽の聴き方 聴く型と趣味を語る言葉』で吉田秀和賞受賞

発行日           2017.11.25. 初版第1刷発行
発行所           小学館

初出 小学館発行『クラシックプレミアム』誌に、連載された記事に加筆構成

はじめに
「趣味を極める」という言い方がある。「暇(と金)」があるだけではだめで、相応の「手間」、即ち探求心と根気のようなものが必須だが、音楽も一種のコレクション性を暗黙裡に求めているジャンルもあり、クラシックとジャズはその代表格
リクリエーションと趣味とは似て非なるもので、前者は労働サイクルの一部だが、クラシック音楽はもともと時間がゆったり流れている時代に作られた音楽であり、クラシック音楽の多くが時間をかけ過ぎるくらいかけて悠然と流れていくのはそのせいで、更に存分に味わうにはいろいろな知識が必要であり、聴く側が能動的になる必要がある
「敷居が高い」と感じるのはそのせいで、外から見た時のクラシック音楽のこうした死角を説明したのが本書。「要領が分かれ」ば理解も早い

²  「クラシック音楽」の黄金時代は19世紀
クラシック音楽を難しくしている理由
1.    ヨーロッパの宮廷社会にルーツを持っている点 ⇒ しきたりが多く一見では入りにくくしてある
2.    構成の複雑さ ⇒ 規模も大きくハーモニーや形式や音色が桁外れに凝っている
3.    レパートリーの問題
「クラシック音楽」とは、18世紀前半から20世紀初頭にかけてヨーロッパで作曲された、名作レパートリーをいう。特に第1次大戦以降の19世紀が黄金時代

²  音楽史の流れ――ウィーン古典派まで
「中世」や「ルネサンス」時代は、楽譜・楽器そのものやその編成が特殊で、常時、誰でも演奏するというわけにはいかないので、クラシックのレパートリーには入らない
「バロック」は、1718世紀前半の音楽で、古典からクラシックへの過渡期 ⇒ 楽器編成やジャンルという点で、定番にはなりにくい要素がまだ残っている。バッハが名手だったフーガという技法はバロック固有のもの、一方でクラシック音楽の屋台骨となるソナタ形式はまだ成立していない
楽器編成やジャンルの点でヨーロッパの音楽がほぼ今のクラシックの形になるのが「ウィーン古典派」の時代、18世紀後半から19世紀初頭で、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンが活躍し、交響曲のジャンルが確立、弦楽四重奏や独奏ソナタも本格的にスタートし、19世紀ロマン派の百花繚乱の時代となる
「コンサート」の制度も「ウィーン古典派」の時代にほぼ基礎ができた ⇒ それまでは宮廷音楽のように、音楽を享受できるのは王侯貴族に限られていた
「クラシック音楽」とは、「コンサートホールで聴く音楽」であって、その中心ソフトが交響曲

²  ロマン派は自己表現する
クラシック音楽の3つの時代 ⇒ バロック、ウィーン古典派、ロマン派
完成形は、コンサートという制度、交響曲というジャンル、楽器編成のスタンダード化
音楽の内容について言えば、最も重要な要素が「自己表現」 ⇒ ウィーン古典派時代に生まれ、ロマン派で開花。厳密にはベートーヴェン以降
「交響曲の父」ハイドンは、ロンドンに招待され作曲家がフリーでやっていけるチャンスが生まれ、ベートーヴェンが「フリーの作曲家」として完全に成功した音楽史で最初の人

²  「現代音楽」と20世紀
「現代音楽の祖」シェーンベルクの不協和音だらけの音楽が作られたのは1910年頃だが、クラシックとは言わない。一方で、そのあとに作られたラフマニノフやガーシュウィン、プロコフィエフなどがクラシックと言われる
「現代音楽」とは、それまでの音楽ジャンルに入らない、音楽の様式についての名称で、不協和音を多用し、一般聴衆をはねつけるような攻撃的な実験性を前面に押し出す前衛音楽
「現代音楽」は、ロマン派の「自己表現」の過激化であり、大衆社会への反動
資質からいって、「穏健モダニスト」的であった多くの作曲家たちは、映画音楽やアレンジの世界へ移住し、ポピュラー音楽全盛期に貢献

²  交響曲はクラシックのメインディッシュ
交響曲のルーツは、オペラの序曲を拡張したり、長いセレナーデを圧縮したりしてできた
オペラの序曲は、開幕を知らせる開幕ベルのようなものだし、セレナーデは完全なBGMで、いずれも「ながら音楽」だったものが、聴衆が音楽に一心に耳を傾けるようになったことから、聴かせる音楽として4楽章で3040分程度の曲にまとめられた
全てのジャンルの頂点に押し上げられるのは、ハイドンの晩年の12の交響曲、モーツァルトの最後の3つの交響曲、ベートーヴェンの9つの交響曲という金字塔によって

²  交響曲は19世紀の頑張りソング?
コンサートのプログラムは、前半が序曲と協奏曲、後半が大規模な交響曲と決まっていた
コンサートの「締め」となる交響曲は、それなりにメッセージ性を持っていなければならない。その理念性ゆえに交響曲はコンサートルの王者になった
ベートーヴェンは、交響曲の構成に政治集会のような性格を与え、問いかけと否定、呼びかけ、これこそがベートーヴェンの音楽の重要な基本的性格であり、曲の最後では必ず、聴衆を熱狂の渦に巻き込み、力強く群集を激励する ⇒ 頑張りソングの典型
それだけに、後継者たちはコンプレックスに陥り、交響曲を書くというとてつもないプレッシャーに晒された
ベートーヴェンとまるで違う世界を切り拓くことが出来た唯一の交響曲が、シューベルトの第7(旧第8)《未完成》で、消えるように終わる交響曲、完成しないまま終わる交響曲で、通常とは真逆のパターンに敢えて挑戦した作曲家は多くはない ⇒ チャイコフスキーの《悲愴》マーラーの3番、9

²  交響曲にはなぜ複数の楽章があるのか?
4つの楽章がどんなふうに並べられて、どんな大きな物語を作っているか、これを考えながら聴くことこそ、交響曲の最大の楽しみ
 
²  オペラは「クラシック」じゃない?
交響曲は、主としてドイツ語圏の音楽で、イタリアやフランスなどの音楽は、遥かに娯楽音楽に近い。ワルツはその典型。元々娯楽音楽だったものがいつの間にか「クラシック」に分類される様になってしまった典型的なジャンルがイタリア・オペラ
ドイツとイタリア、交響曲とオペラ、いずれも水と油のように音楽文化が違う
したがってファンの層も異なり、オペラに行く聴衆は、交響曲の観衆よりミーハー

²  サロンの物憂いプレイボーイたちの音楽
19世紀版ムード・ミュージックともいうべきジャンルがサロン音楽で、その代表はショパンとリスト
ピアノ・ソロとかヴァイオリンやフルートとピアノのデュオ辺りが主
ピアノ/ヴァイオリン・ソナタ vs サロン音楽があって、ベートーヴェンに代表されるようなピアノ・ソナタは交響曲のミニチュアであり、それに対してサロン音楽は、短いし形式も単純
サロン音楽が栄えたのはフランスで、起源は革命以前の宮廷社会の風習

²  家庭音楽とドイツ教養市民
ドイツ音楽をめぐる19世紀ヨーロッパのナショナリズム的な文化対立がクラシック音楽の2極化として発展
ドイツにおけるイージーリスニング的音楽の展開が「家庭音楽」と呼ばれるジャンル
シューベルトの《即興曲》や《楽興の時》といったピアノ小品、《軍隊行進曲》のような連弾がその代表
サロン音楽との決定的違いは、ショパンやリストが持つ華麗と色気、洒脱が、シューベルトには全くない
弦楽四重奏も家庭音楽の一種 ⇒ 仲間が集まって演奏を楽しむという純粋な遊戯と同時に精神を高めてくれる比類のない時間でもあり、たとえ娯楽であってもそこに精神性を求める、これがドイツ語圏の音楽文化の大きな特徴

²  オペラとオペレッタは違う?
オペラが極めつけの豪奢を誇るのに対し、オペレッタは大衆のための娯楽で全く違うジャンル
オペラは、多くが歴史劇や神話を題材にして、文学的な格調高さを維持しようとするのに対し、オペレッタはドタバタ喜劇。個々の歌唱と歌唱の間が、オペラはレチタティーヴォ(朗読調の歌唱)で重々しく歌われるのに対し、オペレッタでは台詞によってスピーディに運ばれ、芝居の要素が強い
ヨーロッパでは、ミュージカルはオペレッタ劇場で行われるのが常
オペラ劇場は宮殿のすぐ近くの、街のシンボルのような場所に鎮座し、その街の最高級ホテルが建っている
オペレッタを支えていたのは、東欧で発展したユダヤの大衆音楽クレズマー系の楽師たちで、20世紀になるとナチスの迫害を恐れてアメリカに移住、ブロードウェイやハリウッドに行ってミュージカルや映画音楽へと進出
最も成功した1人は、《風と共に去りぬ》のテーマ音楽で知られるマックス・スタイナーで、ウィーン出身のユダヤ人。ウィーン芸能界を仕切る一族の出身で、リヒャルト・シュトラウスが名付け親、ブラームスにピアノを学び、マーラーにもアドバイスを受け、僅か15歳でオペレッタ作曲家として名を挙げたが、1914年にアメリカに移住、ワーナー・ブラザーズの専属作曲家となる

²  バッハはお好き?
そもそも音楽とは、まったく対照的な、2つの矛盾した顔を持つ芸術 ⇒ 一方で人の情念や本能に激しく訴えかける神秘的な魔術であり、他方では数学に似た、抽象的な秩序であり、構造であり、最も科学的な芸術
バッハの中には、数学的な音楽観が色濃く残っている。特にフーガの類は、音で組み立てられた一つの「小宇宙」であり、「世界」の構造の鳴り響くミニチュア
音楽の起源は、ほぼ例外なく宗教儀式であり、音楽で人間の感情を表現するのは冒涜であり、バッハにとっても音楽を書くということは神に仕える行為
プロテスタントというのは一種の原理宗教であり、その由来からしてかつては極めて戦闘的な宗教であったという事実を忘れてはならない。そんなプロテスタントの音楽の神官がバッハだと言える ⇒ 《マタイ受難曲》は感情を爆発させたような一種異様な音楽
カトリック圏では、復活祭の前40日間はオペラ上演が禁止される代わりにオラトリオをやる習慣がある。オラトリオとは宗教的な主題による、舞台のないオペラと考えればいいが、そのプロテスタント・ドイツ版が受難曲で、キリスト受難の物語を舞台のない音楽劇として描く

²  対位法の難しさ
バッハの音楽の大きな特徴は禁欲性
バッハが得意とした対位法という作曲技法が、彼の音楽を難解にしている ⇒ フーガはその中でももっとも高度な技術がないと書けないタイプの楽曲
反対語が「和声的音楽」で、メロディーがあってそれをハーモニーが伴奏する音楽
対位法的音楽とは、複数のラインが束ねられてできた音楽で、複数のラインはどれも同じメロディーを奏でるが、少しづつずれて入って来る。輪唱のようなものでカノンと呼ばれる。その際等間隔で同じ旋律がズレて入ってきて重なり合っても、絶対に不協和音が生じてはならない

²  バロック音楽の楽しみ方
バロックで知名度があるのは、バッハ、ヘンデル、ヴィヴァルディだが、似たり寄ったりの曲が多く、曲の区別がつきにくい
宮廷のBGMで、各種催し物が音楽で彩られていた
ピリオド楽器による演奏が最近盛んになってきた ⇒ 作曲された時代の楽器で演奏
フルートは木管楽器だったし、管楽器でも弁の数がずっと少なかったし、弦楽器もヴィブラートをほとんどかけずに演奏
「バロック」とは美術用語で、「歪んだ真珠」の意、ちょっと崩れて、華麗とグロテスクと誇張が同居した、妖しい魅惑、それが原義

²  モーツァルトの凄さとさりげなさ
恐らくモーツァルトは、クラシックでいま最も売れる/話題になる作曲家の1人。それも純音楽的な話題を越えて、胎教に良いとか、モーツァルトを聴かせながら熟成させた日本酒だとか、音楽以外の次元にまで及んでいるが、これほど理解が難しい作曲家がなぜこれほどまでに売れるのかわからない。モーツァルトの難しさはバッハのとも性格が違う。確かにモーツァルトの音楽はとても人懐っこく、いつも比類なく優美だが、その背後にはときに恐ろしく意地悪く、絶望的で、或いはシニカルな、一筋縄ではいかない仕掛けが隠されている。悲しくなるような陽気さ、ほとんど神々しく見える軽薄さ、それらの交錯が作り出す繊細なグラデーションと気分の推移の目まぐるしさ。モーツァルトの音楽はそんなに単純なものではないのだ

²  モーツァルトとベートーヴェンの違いについて
感性や世界観といった点で、モーツァルトとベートーヴェンは水と油のように対照的
その背景には時代の大転換が引き起こした、どうにも埋めがたい深い溝がある ⇒ フランス革命の存在が大きく、近代クラシックの歴史の理解にとって、結構重要な要素
革命後のベートーヴェンの音楽とは、近代市民のための「頑張りソング」で、市民を励まし、輝かしいクライマックスを目指して突き進む。圧倒的パワーと輝かしさは、本当に天下無双で、後の19世紀ロマン派の作曲家たちを呪縛し続けた
対するモーツァルトは、ほどなく滅びる運命にあった貴族社会の爛熟の果ての音楽であり、彼の曲のフィナーレは限りなく美しいが、どこかはかない

²  「後期ベートーヴェン」というスフィンクス
同じベートーヴェンでも、晩年になると作風は相当変化 ⇒ 後期ベートーヴェン
中期の代表作は、交響曲3番、5番、ピアノ協奏曲5番など
作風が後期に転じ始めるのは181415年辺りで、ピアノ・ソナタ27番、28番、チェロ・ソナタ4番、5番が目印
革命やナポレオンに熱狂した人々にとって、国王支配への揺り戻しとなったウィーン会議は大きな幻滅であり、中期作品が社会ないし歴史と一体になっている熱気が刻まれていたとすると、後期は社会からの疎外の孤独を反映していると言える
中期作品のキーワードが「盛り上がりと統合」とすると、後期のそれは「断片」であり、安易な右肩上がりの熱狂カタルシスを厳しく拒んでいる
晩年の弦楽四重奏曲や大傑作の誉れ高い《ディアベッリ変奏曲》が代表作とされる
神や王といった扇の要がなくなってしまった世界を、どうやって再び統合するのか、ベートーヴェンが音楽を通して取り組んだのはこういう問題であり、人間によって人間のたゆまぬ努力によって、苦悩を通して最後には輝く1つになる世界の夢

²  シューベルトと病み衰える快楽
シューベルトのイメージは、彼の生きた時代の気分と密接に関わっている。ウィーン会議の時代の人。会議後の時代は、ドイツ語圏では「ビーダーマイヤー時代」と呼ばれ、もともと華美な装飾を排除した、ほのぼのと家庭的で簡素なこの時代の家具の様式を指すもので、ウィーン会議以後の181020年代以後にかけての時代を指す言葉であり、「可愛くてほのぼのとした」シューベルトのイメージは、まさにビーダーマイヤー時代そのもの
ただ、同時に恐ろしくデモーニッシュで、極めて近代的なところがあったことを忘れてはならない。《死と乙女》での骸骨とうら若き少女、これこそシューベルトの音楽を理解するキーワード。安息としての死とか、かぐわしい花の香りの背後に死臭を嗅ぎ取るような感覚はシューベルト独特のもの ⇒ 《未完成》の第2楽章、2つのピアノ三重奏曲やピアノ・ソナタ変ロ長調など晩年の作品にはとりわけ顕著
最後の交響曲となった《第8(9)ザ・グレイト》の終楽章の盛り上がりはあるが、明らかに病的で、熱病にうなされた幻覚の中での高揚といえばいいが、麻薬でもやっているような躁状態
水銀中毒で亡くなったとも言われ、水銀とは梅毒の薬であり、尋常ならざる熱狂がそのためかとも思われる。生涯独身で特定の恋人もいなかったシューベルトは、永遠の放浪者であり、このよるべなき浮遊の感覚こそ、シューベルトをして極めて現代的にしている要素

²  うんざりするほど長い音楽について
クラシックに馴染みのない人にとっての難関の一つが曲の長さ
20世紀の初めくらいまでは、クラシックのシーズンは11月から4月までの冬の間で、長い夜の娯楽として、長いものが好まれた
音の物語を作ろうとした。もともとBG Mだったものが、恭しく崇めるように聴かれることを暗黙裡に求める音楽に変質
イタリアでは交響曲がないが、オペラでも他の国に比べて短い
フランス音楽も総じて長くない
スラヴ系や北欧系が標準的
うんざりするほど長いのがゲルマン系の音楽 ⇒ オペラではワーグナー、交響曲ではマーラーやブルックナー

²  宗教音楽について
神に奉納する宗教音楽の対極は世俗音楽で、人間が楽しむ音楽
交響曲で合唱を使うというアイディアは、ベートーヴェンの時代は前代未聞
合唱は、そもそも宗教音楽にルーツを持っていて、以前はオペラですらそんなに頻繁には用いられず、教会で信者たちが声を合わせて歌う習慣が起源

²  ワケのワカラナイ音楽について
クラシック音楽は、ヨーロッパが世界を支配していた時代の音楽
1600年前後に始まったとされるバロック時代は、大航海時代から絶対王政の始まりに重なり、ウィーン古典派の時代は産業革命やフランス革命の18世紀後半とかぶる。政治革命によって自立した市民たちが、工業力の発展とともに資本を貯蓄し、やがて帝国主義の時代となるが、これがロマン派音楽の19世紀で、アメリカの世紀である20世紀の始まりと共にクラシック音楽の主要レパートリーは終焉
ドビュッシーやラヴェルなどの印象派やマーラー、リヒャルト・シュトラウスらの後期ロマン派と呼ばれるエポックは、「クラシック音楽の世界制覇の時代」の最後の輝きで、ベル・エポック時代といわれる第1次大戦直前の時代の音楽
その後は大雑把に言って、クラシックはモダニズムないしは前衛に変容、その旗手とされるのがシェーンベルクやストラヴィンスキー。前者はハーモニーの、後者はリズムの領域で革命を企てた ⇒ 1913年の《春の祭典》のパリ初演は、喧嘩沙汰になるような前代未聞のスキャンダルとなったが、その偉業はもはや誰一人疑う者はいないが、シェーンベルクの作品は今日殆ど演奏されないのは、リズムの変化にはついて行けるが不協和音は受け入れられなかったということ

²  名演とは何か
演奏家の多さにも戸惑うことが多い
19世紀までは、誰が演奏するかにはあまり興味がなかった ⇒ オペラ公演のポスターに指揮者の名前がない
次々と新作が発表され、人々の興味はもっぱら「誰が何を作るか」に掛かっていた
20世紀に入ると、レパートリーが固定し始め、古典芸能化してくると、定期的に同じ作品が頻繁に上演されるようになり、必然的に演奏者にスポットが当たるようになる
同時に演奏家が演奏に特化するようになる ⇒ 演奏とは生活の糧を稼ぐための行為に過ぎずなかったものが、演奏しかしない大演奏家が増えてきた。先鞭はトスカニーニ
「名演」とは、クラシックファンなら大概知っている、定番名曲において、「あの曲といえば大体こういうイメージ」が共有されていて、それを図星で射当てるような演奏のこと
フルトヴェングラーのベートーヴェン、クライバーのヨハン・シュトラウスII世、バーンスタインのマーラー、ホロヴィッツのショパン
ディズニーの音楽アニメ《ファンタジア》の演奏を担当したことでも知られたストコフスキーは、オーケストラの魔術師といわれ、自在にサウンドを操ったが、彼のは「名演」というより「怪演」
名演に必要なのは、ある種の好き勝手さ、我の強さ、自分のやっていることに対する狂信的な確信といった、自己中心的なところが不可欠
ホロヴィッツにしても、生前は「歪曲と誇張の巨匠」とまでジャーナリズムに批判されたが、低音を楽譜より1オクターヴ下げて弾いて地鳴りがするような轟の効果を狙ったり、協奏曲の終わりでわざと加速してオーケストラより1小節近く早くゴールに飛び込むことで聴衆の喝采を得たりするといったあざとい裏技を再三のようにやっていた。ラフマニノフの2番を得意とし、自分流にカットしたりアレンジを加えたりして弾いたが、親交のあったラフマニノフの前でも演奏し、「アレンジした方がいい」とまで言わせたという

²  演奏のよしあしはどうすればわかる?
基準はない
一期一会の出会いの奇跡こそ、音楽体験の至上の喜び

²  アンチ・エイジング時代の演奏家たち
フルトヴェングラー、トスカニーニ、カラヤンといったカリスマ巨匠はもう出ない
ニューエイジ世代が本格的に出てきたのは1970年前後から ⇒ マゼール(19302014)、アバド(19332014)、メータ(1936)、小澤(1935)
上の世代にはなかったスポーティーさを売り物に出てきたのは示唆的、音楽的にも上の世代にはない清潔さと機能性を特徴とした、きびきびしていて贅肉がなく、低カロリーで爽やか、アンチ・エイジング世代と呼ぶ
カルロス・クライバー(1930)はこの世代の天才カリスマ指揮者だったが、60歳くらいからまるで隠遁者のように姿を消した。若々しくダイナミズムの塊のような魅力を保ち続けるのが難しくなったからではないか
アンチ・エイジング世代で最も美しい姿を示し得たのがアバドで、90年にカラヤンの後継者としてベルリン・フィルの芸術監督になり、02年に健康を理由に辞任、生前に自ら退いたのは彼が最初。退任後は、自身が組織した若手中心のオケ(マーラー室内管弦楽団、モーツァルト管弦楽団など)や夏のルツェルン音楽祭の時だけアバドの音楽に共感するヨーロッパ各地のオケ団員が集まって組織されるルツェルン祝祭管弦楽団などと好んで共演
アバドは、自分の好きな音楽を皆で一緒に探求する無心な喜びに、至上の価値を置いていた、極めて高い次元におけるクラブ活動的な楽しさがあった
バレンボイム(1942)だけは、例外的に皇帝的なイメージを強く押し出す
ヒールが絶滅しかけると、人々は逆にそれへのノスタルジーに駆られ、現在人気を博しているのがティーレマン(1959)で、フルトヴェングラーのカリスマ巨匠の重量スタイルを再現しようとして、ドイツ音楽界の最大の寵児となっている

²  古楽演奏とは何か
クラシックを演奏する楽器が今の形に整えられたのは19世紀後半のこと
作曲時のデータを調べ、当時の響きを復元しようとするのが古楽演奏
単なるキュレーター的保存を遥かに逸脱し、独特のラディカルさがある
典型はアーノンクール
2018年ショパン・コンクールがピリオド楽器の部を設け、3位までをポーランド人が占める中、日本人が2位に食い込んでいた

²  オーケストラになぜ指揮者がいるのか
オーケストラと指揮者は敵対関係にあるのが常
「拍子を勘定するため」 ⇒ 多勢の演奏家のテンポ感の差異を監督する
「サイン出し」 ⇒ オーケストラのプレーヤーが何より恐れるのは自分だけが恥をかくこと(「落ちる:いまどこにいるのかわからなくなる」)ことなので、出番を合図してくれる指揮者を尊敬。ブーレーズは、3拍子と5拍子を同時に振ることが出来たという
「こいつは何か持っていると思わせること」 ⇒ プレーヤーにそう思わせたら、立っているだけでいい
「何か言いたいことを持っている」 ⇒ 「この曲をこうやりたい」というコンセプトと情熱
オーケストラ・プレーヤーは、自分のパートで精一杯となって、作品の全体像を知らないケースが多い
指揮者の重要な資質の1つはタイミングの勘と同時に、独裁者的な恐怖感を相手に与えること

²  オペラの客いろいろ
客の反応が断然面白いのはコンサートではなくオペラであり、ドイツやフランスではなくイタリアで、サッカー・ファンに近い
本場ヨーロッパのクラシックの客層は大きく2通りに分けられる ⇒ アルプスの北(独仏) vs ()と、コンサート vs オペラ
コンサートとオペラの客層が異なるのは歴史的ルーツの違いからくる ⇒ オペラが生まれたは1600年前後で、絶対王政の下王侯貴族のための豪華なショーとして登場、庶民におすそ分けする機能もあったので庶民のファンも来たが、一方のコンサートという演奏形式は18世紀末のフランス革命の頃、社会の主導権を握った市民階級が作ったものなので、本質的に真面目な「芸術鑑賞」の場になる

²  音楽と旅
音楽を生業とする人々が古来、ロマのように旅の楽師として表象されてきた
日常への定住を拒む力――これこそ古来音楽が私たちに与える希望の力の源泉
居ながらにしていては絶対に聴くことのできない音楽には、独特の魔力が輝いている

²  ヨーロッパ音楽都市案内――ナポリ
ヨーロッパの音楽都市の最右翼はナポリ
ローマの休日はそんなにオペラの歴史があるわけではないし、歴史的にオペラ誕生の街とされるフィレンツェも音楽活動が盛んなわけではなく、どちらかというと建築都市、ミラノも本格的にオペラ史に登場してくるのは19世紀のヴェルディの時代になってから
オペラが生まれ育った街といえばナポリとヴェネツィア
ナポリのオペラ生活の中心はサン・カルロ歌劇場
日中のギラギラした日照りと喧騒、観光客を委縮させずにはおかない猥雑な活力、それが夕方には嘘のように静まりけだるい風が海から吹いてくる、そんなコントラストを見事に描いた作品がストラヴィンスキーの《プルチネッラ》で、第1次大戦中、ピカソ、コクトー、ディアギレフ、ニジンスキーという超豪華メンバーでナポリ観光をしたストラヴィンスキーは、下町の芝居小屋で観たドタバタ喜劇に深い感銘を受け、ピカソの舞台美術によるバレエとしてこの曲を作る

²  ヨーロッパ音楽都市案内――ヴェネツィア
オペラ都市といわず、ヨーロッパで最も偉大な音楽都市
国王がいない共和国だったので、早くから数多くの公開オペラ劇場が開設されていた
ありとあらゆる音楽ジャンルが栄えた街
サン・マルコ寺院は、右手と左手に2台のオルガン/合唱隊の席が設けられ、壮大なステレオ効果を生むようになっている。初期バロックの稀代の宗教音楽の傑作モンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》はこの教会のために書かれた作品
ロッシーニも《タンクレーディ》の大ヒットで地位を確立した街
墓専用の島サン・ミケーレ島には、多くの有名人が眠る
「耳の街」「気配の街」 ⇒ 霧がよく出て冬には雨も多い、高い建物に挟まれた狭い路地が入り組み目が利かないので必然的に耳が敏感になる
ヴェネツィアゆかりの音楽の共通分母は、腐敗と死の闇という通奏低音の上に奏でられる官能のメロディーで、ナポリにおける生の爆発の真逆
中心はフェニーチェ劇場。1792年設立。何度も火災に見舞われ、04年に再建・再開
音楽都市としての精髄を最も正確に射当てた作品は、オッフェンバックの《ホフマンの舟歌》であり、《ホフマン物語》こそこの都市に佇む錯覚を起こさせる

²  ヨーロッパ音楽都市案内――ウィーンのただならぬ場所
ウィーンが音楽都市として始まるのは18世紀後半から
生粋のウィーン生まれは、シューベルトとヨハン・シュトラウスII世くらい
シェ-ンベルク、ベルク、ウェーベルンも著名だが、超保守的なこの街はひどく冷淡
聖シュテファン大聖堂の前のケルントナー通りを北へ運河の方に進むと、運河近くのホーアー・マルクトという昔ユダヤ人街に行き着く ⇒ 古代ローマ人が建設したウィンドボナというのがウィーンの起源だが、駐留ローマ軍の兵舎があったのがこの地区であり、映画《第三の男》の舞台
ウィーンの本当の凄みは、華麗と闇がコインの裏表のように同居しているところにある
国立歌劇場が表なら、ホーアー・マルクトが裏 ⇒ 華麗なる亡霊都市

²  ヨーロッパ音楽都市案内――ザクセンの音楽
独墺とも、美術ではイタリアに、文学ではフランスに、演劇ではシェークスピアに当たる存在を持たなかったが故に、近代国家形成において文化アイデンティティを確立するに際し、劣等感が拠り所を音楽に見出した
ドイツの音楽とウィーンの音楽は相当に違う ⇒ バッハはウィーンと無関係だし、逆にシューベルトはドイツには関係ない
ドイツは厳めしく重厚で、ウィーンは人懐っこく色っぽい
ドイツでもバイエルンはイタリアの影響が強く、バロック文化の伝統、とりわけカトリックの牙城という点で文化的にはオーストリアに近い
ドイツの東北ザクセン州は、生粋のドイツ人作曲家を生む ⇒ バッハ、ヘンデル、ウェーバー、ワーグナーがいて、メンデルスゾーンやシューマンはザクセン州ライプツィヒを活動の中心とした
ここの特徴は、どっしりした低音の上に築かれる重厚な響き、そして対位法に象徴される厳格な書法で、しっかり地元のオーケストラに引き継がれ、シュターツカペレやゲヴァントハウス、ベルリン・フィルなどはその代表で、ウィーン・フィルが蠱惑的なヴァイオリンの甘い節回しを売り物の一つにしてきたのと対照的
ヴァイオリンよりもコントラバスが音楽をリードすることによって、あの地鳴りがするような響きが生まれるのに対し、南ドイツではコンマスがリードする旋律主導の音楽

²  ヨーロッパ音楽都市案内――バイエルンの音楽
地元音楽家たちのプレゼンスが強烈という点で特異 ⇒ バイエルン放送交響楽団とミュンヘン・フィルと超一流のオーケストラが2つもある
ミュンヘンが生んだ最大の作曲家がリヒャルト・シュトラウス

²  ヨーロッパ音楽都市案内――19世紀の首都パリ

音楽マーケット都市 ⇒ パリにリクルートされることこそが最高の名誉、最高の報酬を意味していた。グルック、ショパン、リスト、ロッシーニとベッリーニ、19世紀最大の人気作曲家といって過言ではないマイアベーアとオペレッタ作曲家のオッフェンバックはプロイセン出身のユダヤ人であり、ストラヴィンスキーはロシア人

²  故郷の歌
セミ、クラシックのジャンル(ヨハン・シュトラウスのワルツは好例)、イタリア民謡、ウィーン小唄(民謡) ⇒ 大半は作曲者・作詞者が判明している
世紀転換期のヨーロッパで大量生産された故郷の歌は、現在のポピュラー音楽の遠い祖先

²  クラシック音楽の現代性を考えてみる
21世紀に入って、ヨーロッパ・クラシックは単なる博物館の展示品を超えた、どういうアクチュアリティーを持ちうるのか ⇒ ブランド品としてのそれ
現代におけるクラシックCDの売り上げは全体の2%、ニューヨークで定期的にコンサートを楽しむ人はわずか2万人
聴衆の誕生が、フランス革命とほぼ軌を一にしているのは偶然ではない ⇒ 身分階級にとらわれず、音楽への愛の絆で結ばれた聴衆の誕生こそ革命的なものだった

²  私見――音楽史で最も偉大な作曲家
突出して格違いの存在は、バッハとモーツァルト、ベートーヴェン
バッハは、音楽という建物の作り方の百科全書 ⇒ 法則性や客観性の点で科学と近く、人間世界を超越している音楽
モーツァルトは、偉大とは真逆な方向の表現を目指し、そういう偉大ならざる領域においてこそ音楽史に比類ない美を達成した点に、その偉大性がある ⇒ オペラは喜劇しかない、言ってみればお笑い芸人にも拘らず、美しい音楽を書いていたという逆説にこそモーツァルトの偉大さがある。人間が人間である限り不滅の音楽
ベートーヴェンの音楽は、きわめて道徳的で、近代社会が抱く「偉大な人格形成」のイメージの中核を音楽で体現して見せた、近代市民社会の勝利の歌

²  197090年――クラシック演奏の転換点?
クラシック音楽の演奏のありように大きな変化が生じた時代 ⇒ 19世紀的なものが完全に終息した時代であり、クラシック音楽を肌で知る人がほぼいなくなった時代
1970年前後というのは、生活文化にパラダイム・チェンジが生じた時代であり、7090年は録音再生メディアの刷新が行われた時代
新時代の到来を告げるクラシックの演奏の録音を挙げるとすれば、ポリーニのショパン《エチュード集》(1972年録音) ⇒ 今日なお、ピアノ・サウンドの1つの決定的な規範であり続けている。原子力で動くサイボーグが弾いているような凄まじいトルクと驚異的な滑らかさの両立は、あたかも電気合成したような未来的なショパンを生身で弾いた
1970年代における前衛音楽の変貌にも注目 ⇒ 革命的であることをやめ、癒し的な音楽へと方向転換し始める。71年のブーレーズの指揮者への転向は象徴的

²  即興演奏再考
即興演奏は、18世紀までしかるべき音楽家が絶対に身につけていなければならない素養
クラシックの世界において、公開の場から即興演奏が姿を消し始めるのは、19世紀の後半辺りからで、コンサートのプログラムが固定してからのこと
即興が廃れた最大の原因は、近代の大作曲家たちによる演奏家への過剰干渉 ⇒ 楽譜が緻密になって、誤解の余地が生じないよう細かいニュアンスまでも書き込むようになった
演奏家嫌いで有名なのはストラヴィンスキーで、「通訳はいつも裏切り者」(翻訳に誤訳はつきもの)と言い、「自分にとって理想の演奏家は、オルゴールの蓋を開ける人」と主張し、一時期自分の全ての作品をピアノ編曲し、自動ピアノに録音することを考えた
伝統的な作品で、「好きなようにしてよい」箇所には、”ad libitum”という指示が記される ⇒ アドリブの語源
協奏曲のカデンツァは、演奏家にとって最大の即興の腕の見せ所 ⇒ カデンツァとは、第1楽章と第3楽章の終わりの方に置かれる大規模なソロの部分
作曲家の管理がカデンツァにまで及び始めるのは、ベートーヴェン以後のこと ⇒ 《皇帝》の第1楽章のカデンツァを思い切り短くして自身で書き、代用を許さなかった
特に、ワーグナーやマーラー、ラヴェルの楽譜には、偏執的なまでの細かさ、テンポの細かい伸び縮み、強弱の微妙なニュアンス、音色変化などすべて細部に至るまで指示している。それほど自分の作品の不滅性に対する執着は凄まじいものだったのだろう

²  音楽の終わり方
音楽とは「時間芸術」 ⇒ 終わり方の点で、極めて特異な芸術ジャンル
文学や絵画は、作者が「これにて完成」と認定した時点で、新しい作品が生まれるが、音楽は最後の和音に辿り着いて完成した瞬間、跡形もなく消える ⇒ 音楽の完成とはある意味音楽の死である
本当に難しいのは終わり方で、大概はタイミングが遅すぎ
クラシックで「感動の終わり」が一般化するのは19世紀になってから。ベートーヴェン以後の近代に特有の現象



クラシック音楽とは何か岡田暁生著
あいまいな世界 すっきりと
日本経済新聞 朝刊 2018113 2:30 [有料会員限定]
クラシック音楽の初心者からかなりの通まで、幅広い層に刺激を与えられる本だ。何となく高尚なイメージで語られながら、実はあいまいなこの古典音楽の世界を、国際政治などと絡めてすっきりと整理していく。
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まず「クラシック音楽」という言葉。随分昔の音楽のように感じられるが、今も繰り返し演奏される名曲のほとんどは、19世紀を中心に200年ほどの間に作られている。その中心が交響曲で、市民社会の発展により生まれた「コンサート」のメインのソフトだった。なぜ1曲が3040分もあるかといえば「客の注意力をもたせるために程よい長さだったから」だという。
ベートーヴェンの音楽は、市民に未来の夢を語る「頑張りソング」で、軽やかに響くモーツァルトの作品には一筋縄でいかぬ仕掛けがある……。数ページずつのエッセー風の文章は明快かつ痛快だ。欧州の音楽都市の最右翼はナポリだ、など時折差し挟まれる著者の私見にも、クスリと笑いながら考えさせられる。
帝国主義の時代に全盛を誇ったクラシック音楽は、第1次大戦後に国際政治のヘゲモニーが米国に移るとともに衰える。197090年にはカリスマ"の指揮者や演奏家も世を去った。この時代を世界的な文化史的転換期として分析するくだりは、中でも読みごたえがある。(小学館・1200円)


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