投稿

2017の投稿を表示しています

闘う文豪とナチス・ドイツ  池内紀  2017.12.27.

イメージ
2017.12.27.  闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記 著者 池内紀  1940 年姫路市生まれ。ドイツ文学者。エッセイスト 発行日            2017.8.25.  発行       発行所            中央公論新社 ( 中公新書 ) 大作『ブッデンブローク家の人々』で若くして名声を獲得し、 54 歳でノーベル文学賞を受賞したドイツ人作家トーマス・マン。だが、ファシズム台頭で運命は暗転する。体制に批判的なマンをナチスは国外追放に。以降、アメリカを主な拠点に、講演やラジオ放送を通じてヒトラー打倒を訴え続け、その亡命生活は 20 年近くに及んだ。激動の時代を、マンはどう見つめ、記録したか。残された浩瀚 ( こうかん ) な日記から浮かび上がる闘いの軌跡    はじめに 日記の始まりは 1933.3.15.  「 ( 前夜 ) 、意外なほどぐっすり眠れた」で書き出す ヒトラーが政権に就いた直後であり、ミュンヘン大学で講演し、ヒトラーによるリヒャルト・ヴァーグナー偶像化を痛烈に批判した翌日、オランダへの短期講演旅行に出たとこを狙って、ナチ党幹部がマンの帰国差し止めを通告、突然身一つで国外に放り出された 1 か月以上のホテル生活が続いたところで日記が始まる とりわけマンを悩ませ、苦しめていたのがミュンヘンに残してきた古い日記で、妻でさえ中身を知らない私的な記録。その後何とか取り戻し、 12 年後に自身の手で焼却された 1933.3.15. に始まる新しい日記は、古い日記をめぐる一件の上に成立したことは確かで、より強く意識して書かれたはず ⇒  2 度にわたり封印。最初は 51 年までの日記で、本人によれば文学的価値皆無で、死後 20 年は開封を禁じている。死後の公刊をはっきり意識しての処置。 2 度目は 55 年のマンの死後娘によって追加部分も含め 75 年以降開封として封印 解禁の時が来て封が切られ、 77 年『トーマス・マン全集』の出版社によって第 1 巻刊行、その 8 年後に最初の日本語訳が出る。日本語版全 10 巻の完成は 39 年後で総頁数 1 万超 I Ø   クヌート・ハムスンの場合 ノルウェーの作家ハムスンは 1920 年ノーベル賞授