〆切本  左右社編集部  2018.7.31.


2018.7.31. 〆切本 拝啓 〆切に遅れそうです
どうしても書けぬ。あやまりに文芸春秋社へ行く。

編者 左右社編集部

発行日           2016.9.20. 第1刷発行       9.30. 第3刷発行
発行所           左右社

はじめに
本書は、明治から現在に至る書き手たちの〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記・対談などをよりぬき集めたしめきり症例集
〆切と上手に付き合っていくためのしめきり参考書


I章 書けぬ、どうしても書けぬ ~ 書けないときに書かすと云うことは、その執筆者を殺すことだ
田山花袋『机』⇒ 散々書けなくて周囲に当たり散らすが、ふと夜中などに興が湧いてきて、一人で起きてそして筆を執る。そのうれしさ! 筆と紙と心が一緒に動いていくばかり
夏目漱石 『文士の生活』⇒ 執筆する時間は別にきまりが無い。新聞小説は1回づつ書く。書き溜めておくとよく出来ぬ。日の当たる縁側で麦藁帽子を被って書くと、よく出来るようである
島崎藤村「パリより博文館宛の手紙」 ⇒ 『桜の実』の原稿はもう1か月待ってほしい1年遅れるが、物を書こうと思えば語学の稽古などにも身が入らず困りました
泉鏡花『作のこと』⇒ 春から夏にかけての若葉のころが一番いけない。真夏か真冬の極が書くにはいいようだ。昼より夜の方が筆が早い(ママ)、昼は時間の経過が気になる
寺田寅彦「円地与四松宛の葉書」 ⇒ 約束の原稿の期限が来たが、胃の具合が悪くて進まない。日支事件で新聞は満腹だろうから、自分の原稿は当分不要ではないかと想像する
志賀直哉「上司海雲宛葉書」 ⇒ 千客万来で忙しかったが、ようやく遊び相手がいなくなったので、制作欲を感じている
谷崎潤一郎『私の貧乏物語』 ⇒ 貧乏の原因は遅筆。体力がなく20分と根気が続かないのは若い時からの糖尿のせい。長いことかかって書いているといろいろ邪魔が入って、仕事も遊びもしんみりと身に着かないで、始終そはそはしてゐる
菊池寛『新聞小説難』⇒ 『陸の人魚』という新聞小説を書いているが、新聞小説地獄というほど一番苦しい。殊に、運びが行きつまつたりしたときの苦しみは、骨を刻むやうな苦しみである
里見弴『文藝管見』自序 ⇒ 自身作家しか能のない平作家だと思っているが、『改造』に1年間自身の文芸観を書くと約束したものの、どうにも筆が進まないままに締切を延ばしてもらったが、もうその期限も来ている
内田百閒『無恒債者無恒心』⇒ 台所からの年末の請求が望洋の歎を催さしめたため、原稿を書いて工面しようとしたが、借金を返すために借金をするのがばからしくなって借金を払わないことに決めたら重荷から解放された
吉川英治「河上英一宛の手紙」 ⇒ 小説がどうにも書けないのでお詫びする。体調もよくないし、年のせゐもあって、何やかやのウルサ事にもすぐ気負けして片づかない。あはせる顔がないが、次に会ったらお詫びする。山妻にこれをもたせた、悪しからず
獅子文六『遊べ遊べ』⇒ 売れっ子の5人の中堅作家を呼んで会合を開くというのに、誰も現れない。文士の遅刻はツユに雨がふるより定例的なものなので驚かないが、皆が皆メチャメチャ多忙。こんなに文士が多忙なのは有史以来といえるが、文士は遊びが本業だという説もあり、月に一度くらいは遊びなさい。女中さんにも定休日がある
江戸川乱歩『三つの連載長篇』⇒ 『人間椅子』が読者投票で第1席になったので、編集長の川口松太郎君が長篇連載を発注してくれたが、元々短篇作家型なので、長篇は不得手。結末も決まらないままに締切間際に第1回の原稿を送る
横光利一『書けない原稿』⇒ 頼まれた原稿は一応引き受けるが、必ず書くとは限らない。原稿は締め切りの1週間前に書きあげて仕舞っておき、空っぽの頭で1週間後に読むと漸く欠点が見えてくる。記者からどんなものでもいいと督促されても書きなぐりたくはない。書けないと来た日には、どうしても書けるものではない。いいものができればこちらから持っていく
林芙美子「日記 昭和12130日」 ⇒ 改造の原稿にかゝる。記者来訪、もう少し待っていゝといふので吻()っとして、新宿に気晴らしに出る。なんにしても戦争はヤバンだ。こつこつと仕事をしませう
幸田文『私は筆を絶つ』⇒ 父の死後約3年文章を書いてきたが、いつも締切間際のやっつけ仕事にもかかわらずほめられたりするので恥ずかしかった。このまま努力しないで生きてゆくことは幸田の家としてもない生き方。書くということはあらゆる努力を集中してやっとできる仕事であり、父が死ぬまでの間私が生き抜くためにした努力に比べれば私の文章は努力したとは言えない底のものだった。私が書くようになったのは、40何年もの間誰も認めてくれなかったから、書くようにとすすめられた時はほんとうにうれしかった
太宰治「津島美知子宛の葉書 48.5.7.」 ⇒ 仕事は快調。15日までに『人間失格』を全部書き上げる予定。帰宅は16日夕方。それから、いよいよ朝日新聞といふことになる
大岡昇平『文士の息子』⇒ 43年生まれ20歳の慶大生の豚児について書くのは容易いと思ったが親の口からいいにくいことはある。中学の頃取材に来たアナウンサーに向かって文士にはなりたくないと言い、始終うそをついて謝ってばかりいなければならないからだと答えた時には少しドキッとした。いつも電話口で平身低頭ばかりしているのを見ている
吉田健一『身辺雑記』⇒ 余り書かされてばかりいると時々、何のためにそんな目に会わなければならないのか解らなくなる。忙しい思いをして書くので気持ちまで忙しくなったのでは、使いものになるものは書けない。締切を控えての重労働である場合でも、悠久の天地と言ったものが常にそこに覗いているのであって始めて(ママ)言葉が言葉と結びつく
遠藤周作『私の小説作法』⇒ 毎日イヤイヤながら仕事をしている。そのくせ、仕事のことが重苦しく頭にひっかかってふっ切れたことがない。偶然のチャンスでイメージをつかむ、そのイメージを小説のどこに活用するか、頭の中で組み立てられてから、はじめて原稿用紙に向かう
野坂昭如『吉凶歌占い』⇒ 試験になると奇妙に病気やけがをする子供がいるが、自分でも迂闊に引き受けて締切間際になった時にわざと怪我したことがあるが、締切が1週間延びただけ。どうも締切と怪我の間に何かつながりがあるように思える
有吉佐和子『私の1週間』⇒ 日曜TV出演。月曜『紀ノ川』第4部にかかるが邪魔が入って中断。火曜《椿姫》鑑賞。水曜徹夜で『紀ノ川』を書く。木曜他の連載ものも全部締切がズレて来ている。金曜演舞場へ、締切りの督促の電話。土曜女友達2人と放談、後味爽快
井上ひさし『罐詰体質について』⇒ 「罐詰病」と書くべき、傍迷惑の度合いが著しい、一種の職業病。原因は原稿の引き受けにあり、引き受けたときに病原菌が潜伏する
潜伏期間=(原稿枚数2x締切日までの日数x作品に対する患者の意気込みx原稿料)÷(編集者の原稿取り立て術の巧拙)  病気はとにかく書かなければ治らない
浅田次郎『書斎症候群』⇒ 深部静脈血栓症。就業が7時間、趣味が5時間、計12時間は書斎にいるため、足が凝る。大方の締切を終えて勇躍お散歩に出る
高橋源一郎『作家の缶詰』⇒ 作家が缶詰になるのは、仕事をしたがらない動物だからで、そこに編集者とのすさまじい葛藤が発生する。出版社の保養所に缶詰めになって原稿を書こうとしたが、食事の時間ばかりが早く来てとうとう一行も書けなかった

II章 敵か、味方か? 編集者 ~ 相手に惚れなかったら、はじまらない
川端康成『自著序跋』⇒ 『禽獣』は最も多くの批評を受けた作品で、私を論じる場合の1つの鍵として持ち出されるが、自分では不満。これは私の嫌悪から出発した作品。やけ気味で書きなぐった作品で、編集者の義理に追い迫られないと絶対に書けぬという悪習が身にしみてゐた。これまでの作品が出来たのは半ば以上編集者の徳から生まれたようなもの
手塚治虫『編集者残酷物語』⇒ 編集者仲間では手塚おそ虫、手塚うそ虫と言われている。作家は編集者によって瑠璃にも玉にもなるから、強い個性の衝突がなければならないが、最近は記者もサラリーマン化して個性が乏しい人材が多くなった
阿刀田高『パートナーの条件』⇒ 小説家は特殊な職業であり、編集者との関係も特別のもの。編集者にとって好ましい小説家は締切までにきちんと原稿を書いてくれることであり、小説家にとって好ましい編集者とは、編集者としての基本的な実務能力を備えていること。自分の仕事のパートナーについて、好ましい条件を考えてみてはどうか
川本三郎『編集者をめぐるいい話』⇒ 高田宏は名編集者。書くことも編集することも、相手に惚れなかったらはじまらない。原稿が書けないで苦しんでいる筆者とそれを無言で支えている編集者のいい関係があればこそで、原稿というのは、筆者と編集者の心の通い合いから生まれる共同作業。遅筆な私がやっていけるのも編集者のお陰
高田宏『喧嘩 雑誌編集者の立場』⇒ 卑屈を選ぶ編集者もいるが、そういう編集者に付き合った著者は不幸。編集者として我慢はずいぶんした。流行の画家のケースでは、我慢の限界を超えて遂に依頼を取り消したが、後にテレビでその画家の死を知った時は思わず「ザマアミロ」と口にした
村上春樹『植字工悲話』⇒ アメリカのジャーナリスト曰く、「締め切りのある人生は早く流れる」その通り。編集者泣かせの作家の3大要素は、①締め切りに遅れる、②悪筆、③生意気。僕は③以外は大丈夫。わざと締め切りに遅れる作家もいるが、締切り以前に書き上げるのはクール・オフ効果があって、書いたものを見直す時間となる。ぎりぎりに出して植字工の妻子に憎まれるような可能性だけは一応排除しておきたいと考える

III章 〆切りなんかこわくない ~ 発想の最大原動力は原稿の締め切りである
山田風太郎『私の発想法』⇒ 小説のアイデアの源はいろいろあるが最大原動力は締め切りで、約束した以上は書かねばならぬ、その切迫感だけでアイデアが転がり出してくる。出てくるアイデアより、このからくりが摩訶不思議
三浦綾子『北国日記』⇒ 「私の出会った本」の最終回『聖書』の原稿を送ったが、三浦からクレームがついて書き直す。やり直すのは好きではないが、三浦は「やり直しを嫌ったら良い仕事はできない」という。口述して何とか締切に間に合わせたが、三浦にとっては口述通り原稿用紙に書かなければならない、その苦労を厭わぬ三浦に感謝する(晩年の創作は、夫・光世の口述書き取りによって支えられた)
山口瞳『なぜ?』⇒ 三島は寿司ならマグロ、洋食ならステーキと決まっていた。寿司屋が困っても無頓着。世事に疎く、世聞に気兼ねしない人だったが、仕事の約束はきちんと守る人だし、編集者にとって有り難い人で、感じのいい人だった
吉村昭『早くてすみませんが・・・・』⇒ 締切日前に書き上げて編集者に渡すのを常とした。奇癖とされるが、小学生の時からの性分なので仕方がない。締切3日前で空白だったときの恐怖が忘れられない。書き終えたものが身近にあると落ち着かないので、つい「早くてすみませんが・・・・」と書き添えて送ってしまう。編集者の味わう醍醐味を奪っている
北杜夫『〆切り』⇒ 文筆生活に入ってから17年。〆切りに追われてギリギリになったことは2回だけの優等生。文壇に出だしのころ〆切に追われて塗炭の苦しみを嘗めたことが原因。気が弱い上に最近は鬱病が加わったので、書きだめておかないと不安。この創作態度が自慢で遠藤周作さんに言ったら、だからいつまでも小作家扱いなのだとバカにされた
中島梓『「好色屋西鶴」書き始める』⇒ 締め切りを守るなんて作家の風上にもおけないという世界にあって、自分はしっかり守っている。うっかり週刊誌の連載で『西鶴』を書き始めたが、1週間は本当に早く過ぎるが、最初に2回分書いているので後は気が楽

IV章 〆切の効能・効果 ~ 〈終わりが〉間近に迫っているという危機感が勇気ある飛躍を促す
外山滋比古『のばせばのびる、か』⇒ 仕事は気迫だ。京の昼寝というように、都会の奴はのんびり遊んでいるように見えて、実際はせっせと努力して実績を上げる。試験に落ちるのも、試験の影に怯えているし、仕事にしてもやる前からひるんでいては始まらない。誰しも抱く仕事への抵抗をどうして取り除くかで人生が変わる。仕事にかかるのは気迫だが、仕事をし終えるには諦めが必要、色気は捨てる。仕事は延ばせば延ばすほどやりにくくなる。いくらでも延びるが、それでは死という締切りまでに出来上がる原稿はほとんどなくなってしまう
樋口収『勉強意図と締め切りまでの時間的距離感が勉強時間の予測に及ぼす影響』⇒ 私たちは過去の経験を活かさないまま思い描く将来は、しばしば楽観的。その一因は人の情報処理のあり方(解釈レベル)にある。人は思った通りに行動できると考えやすい。意図やモチベーションなどの漠然とした抽象的な情報を過大評価しやすい

V章 人生とは、〆切である ~ 不自由な方が自由になれるのである
小川洋子『イーヨーのつぼの中』⇒ 日々秩序正しく印刷物たちが世に送り出されているのを見ると、最初に白紙を出して秩序を破る自分の姿を妄想する。そんな時慰めてくれるのが『クマのプーさん』に出てくる年老いたロバのイーヨーで、威勢よく励まされるより、一緒に底の底まで沈んでくれるイーヨーの方が必要。イーヨーの誕生日にコブタが張り切ってプレゼントしようとした風船が割れてしまうが、イーヨーはプーさんからプレゼントされたつぼに割れた風船を大事にしまうd
米原万里『自由という名の不自由』⇒ 自由に書けと言われると一番困る。色々制約のある方が仕事が捗る。ダンスでも不自由な思いをして型を身につける過程で、より自由の利く範囲がいつの間にか拡大している。自由のはずが、結局区別のつかない服を着て、同じ言葉遣いで、同じ番組を見て似たようなものを食べている若者たちを見ていると、特に「不自由な方が自由になれる」と思う
轡田隆史『大長編にも、数行の詩にも共通する文章の原則』⇒ 文章の重要な要素の1つは「長さ」と「締め切り」で、一定の時間内に、一定の長さの文章を書く。8年間朝日夕刊のコラム『素粒子』」を担当し、342文字で1つの事柄を論じる
谷川俊太郎『締め切りまで』⇒ フェルメールは詩で、レンブラントは散文。散文では時間が流れるが、詩では時の流れを感じさせない。時間を止めることができたらこの世のものは全てそのままで限りなく美しいということが分かるはずで、フェルメールは何年も時間をかけて時を止まらせている
星新一『作家の日常』⇒ 作家なんてかっこいい日常を過ごしてはいない。目が覚めるということは締め切りが1日だけ近づいたことを意味するのでやれやれだ。『朝起きてからの一連の行動がすべて就眠儀式』というアイディアで短編を書こうと思いながらものにならないでいるのは、自分の日常がそのたぐいだからだ。私の作風は、日常性と離れたところに特徴がある
黒岩重吾『明日があるのは若者だけだ』⇒ 俺の年では「明日があるさ」と呑気に生きているわけにもいかない、常に身辺をきれいにしとるね。先延ばしして80年の人生を終わったら、そら、単なるアホでしかないで
池波正太郎『時間について』⇒ これまで1度だけ〆切ギリギリになったことがあり、その時の苦しさを思うと、もう二度と〆切には追われたくない。亡師・長谷川伸が旅行中に連載3回分を書き、これで挿画家に迷惑をかけないで済むと言ったことが忘れられない。60過ぎて楽しみが2つ、1つは画を描くこと、もう一つは生活と仕事の段取りを工夫すること。段取りと時間の工夫をして自分の勘の働きを更によくしたい。まだまだ未熟
山本夏彦『世は〆切』⇒ 『世は〆切』は自作『世はいかさま』のパロディだが、毎月毎週〆切が追いかけてきて、とうとう240回と100回の連載を終えた。常に発見が無ければ書いてはならぬと戒めている。世は〆切というのは何も原稿のことばかりではない。浮世のことすべてそうだというつもりで紙幅が尽きた。賢明な読者は察してくれたと思う
柴田錬三郎『作者おことわり』⇒ 20余年の作家生活で、壁にぶつかって何のイマジネーションも湧いてこなかったことは無数にあった。今は本当に何も湧かない、それでも原稿を取りに来るので、仕方なく無責任に書きまくった。編集者が、中身も見ずに印刷所に駆け込むのを知っているから。こんなことは20年に1度の非常手段なのでお許しいただきたい




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