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「差別はいけない」とみんないうけれど。  綿野恵太  2020.2.24.

2020.2.24.   「差別はいけない」とみんないうけれど。 著者 綿野恵太  1988 年大阪府生まれ。元出版社勤務。詩と批評『子午線』同人。論考に『谷川雁の原子力』 ( 『現代詩手帖』 2014 年 8-10 月 ) 、『原子力の神―吉本隆明の宮沢賢治』 ( 『メタポゾン』 11) など 発行日              2019.7.17.  初版第 1 刷 発行所              平凡社 まえがき みんなが差別を批判できる時代――アイデンティティからシティズンシップへ 本書の立場:「差別はいけない」というのが大前提だが、「差別はいけない」ということに反発・反感を覚える人も一定数存在。本書はそのような反発・反感にはそれなりの当然の理由があると考える。その反発を手掛かりに、差別が生じる政治的・経済的・社会的な背景に迫っていきたい。タイトルの「・・・・けれど」にはそんな意味が込められている 「ポリティカル・コレクトネス」が本書のキーワード ポリティカル・コレクトネスに反発した人々が、トランプの勝利を後押ししたと言われるが、ポリティカル・コレクトネスとは、「みんなが「差別してはいけない」と考え、あらゆる差別を批判する状況」のこと ハリウッドの大物プロデューサーのワインスタインの性暴力・セクハラに対する告発から始まった #MeToo 運動や、ヘイトスピーチ問題がネットで炎上するのは日常茶飯事 みんなが差別を批判できる「ポリティカル・コレクトネス」の時代が到来している 本書は、みんなが批判できる時代を基本的には望ましいとしながらも、一方でいくつかの問題点があるとみる ⇒ 題名「・・・・けれど」に込められたもう 1 つの意味 みんなが差別を批判できるようになったのは、つい最近のこと ⇒ 「差別はいけない」という考えが広く世間に浸透したからではなく、差別を批判する言説に大きな転換があったため。その転換とは「アイデンティティ」から「シティズンシップ」へとまとめられる 当事者にしか被差別の痛みは理解できないというのが「アイデンティティ」で、痛みを理解できずに差別を批判はできないとする 一方で、ここ数年の炎上騒動では、本当に差別を理解していないかと省みることなく差別者を批判しているのは、差別