傭兵の告白  John Daniell  2012.9.15.


2012.9.15.  傭兵の告白 フランス・プロラグビーの実態
Inside French Rugby  2007

著者 John Daniell ニュージーランド生まれ。ポジションはロック(ニュージーランドでは最も憧れのポジション)91年にニュージーランドU1992年にニュージーランド・コルツに選出。92年以降、マリスト・セント・バッツなどウェリントンのクラブチームに所属。92-94年、オックスフォード大で英文学を学びつつ「ブルー」の称号を得る。96年のプロ化以降フランスに渡り、97-00年にラシン、00-03年にペルピニャン、03-06年にモンペリエに所属。現在はフリーのジャーナリストとして活躍。2010年、本書で英国スポーツブック賞受賞

訳者 冨田ひろみ 翻訳 & ライター業。埼玉大教養学部卒。
2019年ワールドカップでミノウ扱いを覆すジャパンを見たいと願うばかり

発行日           2012.7.30. 初版第1刷印刷          8.10.発行
発行所           論創社

フランス選手権トップ14
フランスの最上位14チームが競うリーグ戦。1892年発足。8月~翌6月、ホーム・アンド・アウェーでの総当たり戦が行われ、下位2チームは自動的に2部リーグ(プロD2)に降格。上位6チームによりプレーオフ・トーナメントが行われ、優勝チームにはブレンヌス盾が授与される。この6チームが翌シーズンのハイネケンカップ「欧州クラブ王者決定戦」出場権を得る

2019年ワールドカップ日本開催 ⇒ IRB(国際ラグビー評議会)のユニオン非創立メンバー国として初めて
1996年のプロ化容認により、ラグビーそのものが変わった
本書は、ニュージーランドのラグビー選手で、実力はそこそこある(フランス国内のロックのプロ80人中最高位が13)が知名度のなかった著者が、ラグビーのプロ化に伴って、母国クラブでの居場所を無くしたために欧州に渡ってフランスのチームを転々とした後、最後に所属したモンペリエでの最後の1年を描いたもの ⇒ シーズン前に大畑大介と3週間一緒にトレーニングをしていたが、大畑は外国人枠の問題で契約に至らず
ラグビーの魅力を支える2本の柱 ⇒ 包括と相互扶助
チーム内の選手の体型もスキルもバラエティに富んでいた方がいい競技 ⇒ チームの中にそれぞれに向いたポジションが必ずある
プロ化によって、所属チームを選べるようになり、そのチームのホームタウンが自分のホームになった ⇒ ジャージにかかるプライドが無くなったところから傭兵が誕生

モンペリエは、03.6.2部リーグで優勝し、1部リーグへの昇格を果たしたばかり ⇒ 当時は16チームで、降格最有力候補と言われながら03-04年は10位、04-05年は11位と健闘したが、05-06年は14チームに減少、厳しい戦いを強いられる
1チーム30名の枠、外国人枠2
2部優勝で大半が2年契約を結んでいたが、辛うじて補強の枠に入る ⇒ ロックは正選手2名、ベンチ1名の計3名の枠に対し、6名によるポジション争いが熾烈
ホームとアウェー ⇒ 地理的な意識をより一層発展させたものが、まさにもう一つのフランス語の観念である、郷土(テロワール)というもので、ある産物はそれを生み出した大地から本質を得て、その大地を取り巻く文化からその産物の特徴は生まれるという考え方
ブルゴアン(ホーム)vsアジャン ⇒ アップアンドアンダー(キックしたボールの落下地点に同時に到着すること)での激突が原因の有名な乱闘試合。両チームのキャプテンにレッドカードと2か月間出場停止、選手全員ロッカールームで10分間の謹慎、ブルゴアンはホームでの1試合を禁止 ⇒ ラグビーとは、血を見るスポーツを見苦しくない程度に変形させたもの
常に危険な要素があるだけに、恐怖心があるのは当然で、選手はこれを克服するためにしばしば怒りの感情を利用して、アドレナリンを効率よくエネルギーに変えていく
ラフプレーに対し、イエローカードシステムや、「シン・ビン」(一時的退場)の活用で、決定的な違いが現れてきたが、依然としてフォークという「目玉えぐり」のような行為は公然と行われている ⇒ レフェリーも、たった一発のパンチ如きで選手を退場させてしまうことに躊躇するものだし、とりわけそのパンチが自分の死角でなされた不正行為に対する報復だと判断されれば尚のこと。だが10分だけの退場ならレフェリーも良心の呵責を持たずに済む
ハイネケンカップの懲戒委員会では、「目玉えぐり」に2年の出場停止を課したことがあるが、フランス人の多くが、あんなどうでもいい悪事への制裁としては馬鹿げていると腹を立てた
スピアタックル ⇒ 相手を持ち上げ地面に叩きつけるように投げ落とすタックル
ハードであることとダーティであることの違いは剣ヶ峰であり、肉体をぶつけて威嚇し合うことは、有効な武器だと受け取られている
フランスのレフェリーは、イギリスや英連邦諸国のレフェリーよりも、審判する姿勢に自由放任主義の傾向が強い。厳格なガイドラインはあるが、それを守らせようとする意欲に欠けていることが多い。この姿勢は言語にも反映されて、不正行為を続ける敵に、時にお仕置きをしながら動き回る選手のことを「ル・ジュスティシエ」と呼び、「正義の味方」と称讃さえされる。ルールに左右されない見事なスポーツマン精神があるとするアングロサクソンスタイルは、ル・フェアプレイと呼ぶが、これは外来語で同義の言葉はフランス語にはない
報復行為は厳しく取り締まるべきと宣言されてから1年、乱闘行為の張本人にはイエローカードが、正義の制裁を加えたル・ジュスティシエにはレッドカードが出されることになった ⇒ 直後の試合で、味方選手が蹴りまくられているのに腹を立てた著者が、忠義にかけて平手打ちを見舞ったが、それをレフェリーが一部始終目撃。ルールの適用を覚悟したが、レフェリーは相手にイエローカードを出した後、著者に向かって、「パンチはまずい、ま、反射じゃしょうがない。だが2度目は無いぞ!

2001年 選手の移籍マーケットに登場したエージェントがユニオンを形成 ⇒ 各クラブはライセンスを持ったエージェントしか使えないことになり、選手も複数のエージェントを持つことが禁じられた。元々は選手の側に立ってクラブと契約交渉をするためにできた制度だが、実際には、選手のためよりも、クラブのために動いているのが実態
薬物チェックではないが、年3回健康チェックのため、選手全員から血液を採取 ⇒ ステロイドを使うラグビー関係者は皆無だと思う人がいたら、それはお目出度すぎる
ほとんどのニュージーランド人にとって、国として絶対に負けられない試合があるとすれば、それは対イングランド戦。ニュージーランドが1人前の国家になったのは、悲惨にも1916年のガリポリ上陸作戦中にダーダネルス海峡の血に染まった丘の上に立った時から ⇒ 当時のニュージーランドの人口は約百万、ガリポリ作戦ではトルコの海岸線に8450人が上陸、そのうち2721人が戦死、4752人が負傷、第1次世界大戦中のニュージーランドの死傷者は58千人。その犠牲の上に、大英帝国の植民地ではな句、英国と同様かそれ以上に勇気や資源や天性の根性に満ちた国であり、そして世界の舞台に立てるだけの大きさを持った国だということを世界に示した
国家としてのアイデンティティの種は、それより10年前に蒔かれていた ⇒ 1905年ニュージーランドのラグビーの代表チームがグレート・ブリテンを訪問、35試合やって唯一ウェールズに負けたが、彼等は銀色のシダの葉の絵柄がある黒色のジャージを着ていたので、オールブラックスと呼ばれたが、本当のところは新聞が選手のことを描写しようとして、凶暴性と優雅さを併せ持っていたところと、フォワード人がバックス並のスキルと俊足の持ち主であることを表現しようとして、見出しに「全員がバックスだ!」と書いたつもりが、誰かがこっそりl(エル)の文字を滑り込ませた、という逸話に基づいている
ワールドカップでの優勝は87年大会の1度だけ(オーストラリアは2)だが、世界でラグビーをやるどの国との対戦も勝ち越しているという記録を持つ ⇒ 南アのスプリングボクスだけが互角に近い(勝率55)

ヴァーシティ・マッチThe Varsity Match ⇒ オックスフォードとケンブリッジの試合で、ラグビーの聖地「トゥイッケナム」で行われる何よりフェアプレーに則った試合
イングランドのパブリックスクールや大学で洗練されていった様々な形態のフットボールから、1863年にアソシエーション・フットボール(サッカーのこと)と袂を分かち、1871年ラグビー・フットボール・ユニオンが設立、その翌年フランスに渡って初めてのクラブがブリトン人によって設立される。初めてフランス人によって設立されたクラブ同士が1892年のフランス選手権で決勝対決、その時のレフェリーがピエール・ド・クーベルタンで、クーベルタンの保護下にあったからこそ1900年パリ・オリンピックではラグビーが行われたものの、1924年米仏の決勝戦での乱闘がオリンピック精神では斟酌し難いものと見做されオリンピック種目から外された
プロスポーツというのは、ある意味で矛盾語法 ⇒ スポーツの根本精神は同じ土俵で戦うことにあるが、プロでは金の力が相当程度物を言う。フランスのリーグでは、各クラブの年間予算規模が510百万ユーロで、選手の年俸総額が55%を超えてはいけないことになっている(正規の報酬とは別枠で肖像権という副収入が認められているので事実上年俸は青天井)
一選手がプロとして活動する間に所属チームを4つや5つかえるのは珍しくないが、その価値の中核をなす自己犠牲や連帯責任、チームスピリットといったものが放棄されるわけではなく、それを保つのは自尊心――自らの行動とその手法に誇りを持つことで、鏡に映る己の姿を見つめることのほうが、チームカラーに誇りを持つこと以上に大きな指針となっている
プロ化に伴って利害関係が強まるにつれ、試合が終わっても選手が緊張から解き放たれることはかつてほどには楽に出来なくなって、対戦相手と友好関係を結ぶということがなかなか難しくなっている ⇒ 経済的な問題もあって、対戦相手よりスポンサーを優先せざるを得ない
著者の選手生活中でも、試合がかなり変貌したのを痛感 ⇒ 94年に始めた頃は、ラインアウトでのリフティングは禁止、トライに5点の価値が付くようになってほんの数年しかたっていなかったし、フランカーはサイドからスクラムを崩してもよかった
ラグビーよ、多国籍企業にならないでくれ、人情味を無くさないでくれ、と願う
チャーチルは、「私たちは他から得たもので生活をし、他に与えることで人生をつくる」といったが、ラグビー選手は、アマでもプロでも傭兵でも、少なくとも得たものと同じだけのものを、きっと人々に与えてくれるはずだ


日本語版エピローグ
2011年のモンペリエは、元フランス代表チームのキャプテンが監督となりトップ14の上位に食い込むまでに変貌、キャプテンはフランス代表のレギュラー。トップ14の顔触れにも変化があり、世界中から優秀選手を引きこんだ結果(トップ14の選手の50%近くが海外からの移籍組)、優勝争いのできそうなチームが10に増えた
トップ・クラブの平均予算も5年前に比べて倍増、選手の報酬も倍増、フランスで鍛えられた選手が、ワールドカップで母国の代表チームを引っ張るケースも多くみられるようになっている


フランス・トップ14
Ø  モンペリエ ⇒ 人口20万。地中海側
Ø  プリーヴ ⇒ 人口5千だが、1912年発足の名門チームの試合はいつも15千席のスタジアムが満員。97年ハイネケンカップ優勝、翌年も決勝進出
Ø  ナルボンヌ ⇒ 人口5万の地中海沿岸の町。古くから交通の要所で、起源前118年ローマ帝国初の植民地。1907年発足の名門ラシンは、過去2度フランス・チャンピオン
Ø  トゥーロン ⇒ 人口16万。過去3回ブレンヌス盾獲得。フランス地中海艦隊の本部。人気歌手フェリックス・マイヨールがクラブに競技場を寄贈、その名が冠されている
Ø  ペルピニャン ⇒ 地中海側のピレネー山脈をはさんだスペインとの国境付近の町。人口10万。1659年のピレネー条約によってフランスに割譲されるまではカタロニアの一部で、今でも人口の1/4はカタロニア語を話すし、カタロニア人としてのアイデンティティが残っている。ブレンヌス盾を3度獲得しているが、最後は半世紀以上前。著者が移籍した00-01年がカタロニアのラグビー・ルネサンス元年とされ、降格間違いなしとの予想を裏切ってハイネケンカップの準決勝まで進出、惜敗
Ø  アジャン ⇒ 南西部にある人口3万人の町。プルーン生産の中心地。1908年からラグビーが行われており、ブレンヌス盾も8回。02年には決勝の延長戦でピアリッツに惜敗。トップ3に次ぐ強豪だが、この直後にハイネケンカップの下部大会に当たるウェールズのチームに大敗したことに強烈なショックを受けたハイネケンカップのオフィシャルによって、翌年のハイネケンカップへの出場停止を食らった(史上唯一のこと)
Ø  バイヨンヌ ⇒ ピアリッツのすぐ北の町。ラ・スールという12世紀に始まるラグビーやフットボールの原型となった伝統的スポーツ発祥の地。アヴィロン・バイヨネ
Ø  ピアリッツ ⇒ 大西洋岸のバスク地方のフランス側にある人口3万の小さな町。9世紀にバイキングが定住、町の名前もそれに由来。IT関連の巨大企業のスポンサーシップにより近年急速にチーム強化が図られた。現在ビッグ3の一角、05年のフランス・チャンピオン。
Ø  カストル  南西部の町。ミディ=ピレネー地域圏タルヌ県に位置する都市。社会主義の政治家、ジャン・ジョレスの出身地として知られている。また、フランシスコ・デ・ゴヤの美術館がある。1906年発足のチームはピエール・ファーブルという自身の名を冠した大手製薬会社がスポンサー
Ø  クレルモン=フェラン  ホームはフランス中央部リヨンの西クレール・モンフェラン市。1911ミシュラン関係者が中心になって設立大畑大介がかつて所属
Ø  パリ  北部唯一のチームがスタッド・フランセ。1995年パリにある二つのスポーツ総合クラブ、スタッド・フランセ(Stade Français)とCASGClub athlétique des sports généraux)が併合されて、現在のクラブが結成される。前者は1883年にカルチエ・ラタンの学生たちによってスタジアム競技の総合スポーツクラブとして創設された(スタジアムを意味する「スタッド」の名前を冠しているのはその名残である)。 1882年に創設されたフランス選手権において、1883年から1927年までの間、一部リーグで8回の優勝、7回の準優勝という輝かしい成績をおさめる。1947年に初めて二部に降格し、以後徐々に弱体化し、1990年代初めまで二部、三部リーグで低迷する。合併するもう一方のクラブ、CASG1903年に設立。フランスの大手銀行、ソシエテ・ジェネラルのスポーツチームが発展したもの。1992年にラジオ局、NRJの創始者の一人であるマックス・ガッジーニがスタッド・フランセを買い取る。さらに1995年、スタッド・ジャンブーワンを所有するCASGを買い取り、両チームを合併する。ベルナール・ラポルトを監督に迎え、三部リーグで優勝して二部へ昇格。さらに翌年には二部リーグ1位となり、一部リーグに返り咲く。一部リーグ初年度の1998年、ペルピニャンと決勝を戦い、優勝を飾る。マックス・ガッジーニの優れた経営戦略のもと、試合前後のコンサートや打ち上げ花火などの演出、ンゾーらを起用した洒落たユニフォームの導入などにより、個人主義的で飽きやすいといわれるパリのスポーツファンを引き付けることに成功した。中でも選手のヌード・カレンダーはクラブショップのみならず全国のスーパーマーケットにも並べられるほどの盛況ぶりである。その一方で、クラブの伝統を無視したエンブレム変更、常にゲイ・カルチャーを彷彿させるマーケティングには、批判の声も多い
Ø  ポー  フランス南西部、ピレネー山脈の渓流ポー川沿いに位置、人口は約78千人。チーム名はセクション・バロワズ
Ø  トゥールーズ  南西部。フランス選手権優勝を史上最多19回、ハイネケンカップ優勝を史上最多4回誇る強豪であり、トゥールーズはフランスを代表するラグビーの町として知られている。首都パリのクラブであるスタッド・フランセ・パリとのナショナルダービーはラグビーのみならずフランススポーツ界全体でもっとも観客を集める一戦となっている。
Ø  ブルゴアン=ジャリュー  リヨンの東郊外


傭兵の告白 ジョン・ダニエル著  助っ人選手が見た仏ラグビー 
[日本経済新聞夕刊2012年8月22日付
フォームの終わり
(論創社・2200円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(論創社・2200円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 フランスのラグビーの内幕を外国人選手の視点で描く。そこまでなら珍しくないが、このニュージーランドからの「傭兵(ようへい)」は、オックスフォード大学で英文学を修めたジャーナリストだった。
 1996年、ラグビー界がプロ化された。母国で競技生活にも仕事にも足踏みをしていた著者は好機到来とフランスへ渡り、晴れたり曇ったりの9シーズンを過ごす。
 南フランスを中心とする楕円球への情熱は郷土愛が支える。「教会の鐘楼のために戦う」のだ。身長2メートルのフォワードはその渦中に飛び込んで、試合中の暴力への不思議なまでの寛容、個人の気まぐれへの鷹揚(おうよう)さ、予測不能のプレーぶりなどを洞察する。もちろん考えているばかりではない。その目はしばしばフランスのラグビーの悪しき名物「目つぶし」の餌食となる。まさに身を削って報酬を得る兵士なのだ。
 異文化の明敏な分析と生々しい体験のユーモラスな描写。プロとしての覚悟とアマ時代の純粋性への目配り。泥だらけの太い指につつかれてもその複眼は閉じない。
 海外クラブに招かれる一流選手がライターでもあった。プロ創成期の生んだ貴重な書だ。冨田ひろみ訳。
★★★★
(スポーツライター 藤島大)

ラグビーのポジション:
フォワードとバックスに分かれており、それぞれ次の様に呼ばれる。フォワードの8人は、スクラムを構成する。なお、各ポジションの呼び方は国によって異なることがある。
§  フォワード (FW)
§  (最前列)3 - フッカー (HO)(2) と、左右のプロップ (PR)(1, 3)
§  (第二列)2 - 左右のロック (LO)(4, 5) 海外ではセカンドロー(SR)と呼ばれる
§  (第三列)3 - ナンバー・エイト (NO8)(8) と、左右のフランカー (FL)(6, 7)
§  バックス (BK)
§  ハーフバック (HB) 2 - スクラムハーフ (SH)(9) スタンドオフ (SO)(10)ハーフ団とも呼ばれる。
§  スリークォーター・バック (TB) 4 - 左右それぞれのウィングスリークォーターバック (WTB)(11, 14) とセンタースリークォーターバック (CTB)(12, 13)
§  フルバック (FB)(15) 1
近年、世界各国での競技人口が増えるとともに、競争も激化し、戦術が多様化するにおいて、それぞれのポジションの役割も多様化してきている。トップレベルにおいては、各ポジションにおいて、より多くの役割をこなすことが要求され、高校・大学レベルにもそれは波及し始めている。

フォワード FW [編集]

フォワードとは、1番から8番までの8人の選手のこと。またフォワードは、試合中にスクラムを組むメンバーでもある。
スクラムを組む際の位置取りで、フロントロー、セカンドロー、バックローに大きく分けられる。そして与えられた役割に従って、さらに細かくプロップ(2人)、フッカー(1人)、ロック(2人)、フランカー(2人)、ナンバー81人)というポジションに分けられる。
試合ではボールを獲得することが一番の役割で、敵チームと激しくボールを奪い合うために、相手選手に競り負けたり当たり負けしたりしない、身長や体重など体格的に優れ、屈強な肉体の、パワーのある選手がこのポジションを占めている。
しかし、最近では選手がオールラウンダー化する世界的流れの中で、バックスのように走力も求められるようになっている。

フロントロー [編集]

1,3 プロップPR
スクラムの際にフッカーと共に最前列の3名(フロントロー)を構成し、相手のフロントローと頭を交互に組み合わせて相手チームを直接押す役割を持つ。モールの際には体ごと相手を押し込み、相手陣を崩す役目を持ち、スピードを犠牲にしてもパワーがあることが要求されるポジションである。スクラムの職人。フィールドでボールに触ることはほとんどないが、ボールハンドリング能力や突破力が高ければ高いほど、勝敗に影響するポジションであり、ボールを持って突破を試みるプロップも珍しくない。
左側のプロップをルースヘッドプロップ、右側のプロップをタイトヘッドプロップという。
2 フッカーHO
スクラムの際のフロントローの中央に位置し、プロップ (PR) と共に相手と組み合って直接相手を押し込む役割を果たす。また、スクラムハーフ (SH) が投入したボールを足で引っかけて (hook) 自陣後方に送り込む役割も果たす。この役割がフッカーの名称の由来にもなっている。スクラムの要。
また、ラインアウトの際にはボールを投入する役割となることが多い。これは、フッカーがフォワード陣の中でも比較的体格のやや小さい選手が務めることが多い(体格のやや小さい選手が中央に来ることで両側からの押す力が中央に集まりやすくなり、スクラム全体が安定すると共に相手を押し込みやすくなり、フッキングもしやすくなるためとされている)ことから、ボールを受けるが競り合いに負けないようにするためだと言われている。また、フッカーは第二のナンバーエイトと呼ばれるほど重要なポジションであり、アタック・ディフェンスともに強い選手がこのポジションに就く。
PRHO3名をフロントローと呼称するのはポジションを8分割したときに、最前列(フロント)に位置するため(1/8

セカンドロー [編集]

4,5 ロックLO
FWのポジションでスクラムの際に2列目の左右に位置する。ラインアウトの際にボールを空中で奪い合う役割があることからチームで最も背の高い選手がなる傾向がある。空中の仕事人。モールの際にはプロップと共に体ごと相手を押し崩す。
強くて頼りになる男の象徴という理由から、「ラグビー王国ニュージーランドでは、少年はロックを目指す」と言われる。 大きな体を生かした突進で、防御にダメージを与える。 プレーは荒々しいが寡黙な選手が多い。運動量を増す現代のラグビーではPRHOLOのタイトファイブの運動量が勝負の鍵とまで言われる。
このポジションをセカンドロー呼称するのはポジションを8分割したときに、2列目に位置するため(2/8

バックロー [編集]

6,7 フランカーFL
FWのポジションでスクラムの際に3列目の左右に位置する。スクラムやモールやラックに参加して体で相手陣を押し崩す役回り。ボールを保持して密集地のサイドを突破する役目も担う。主に守備を担当するFW陣において、攻守に活躍するだけの高い身体能力、運動量が求められる。タックルマンとしてディフェンスの仕事は大きく勇気が求められる。相手SOのパントキックをチャージダウンする役目も、主にフランカーが担う。また、接点におけるルーズボールへの働きかけ(セービング、ジャッカル、スイープ)も重要な役割で、ロックが空中戦のスペシャリストだとすれば、フランカーは地上戦のスペシャリストだと言える。スクラムにおいては主に6番がブラインドサイド、7番がオープンサイドに就くという形と単に6番が左、7番が右という形も見られる。オープンサイドフランカーは豊富な運動量とアタッキング力、ブラインドサイドフランカーはフィジカルとディフェンス力が求められる。
8 ナンバー8(ナンバーエイト)「NO8」 
フランカーとともにスクラム時の三列目を組む。FWのリーダー
スクラムに最後に参加し、体ごと相手FW陣を押し崩す役回り。フランカー同様、かき出されたボールを持って、密集地のサイドを力づくで突破もしくはモールの起点となることも求められる。
FLNo83名をサードローと呼称するのはポジションを8分割したときに、3列目に位置するため(3/8

スクラム [編集]

直接、相手フォワードと組み合う最前線のフロントローはプロップ2人とそれを間でつなぐフッカー1人の計3人から、2列目のセカンドローはその3人をすぐ後ろでサポートするロック2人、そして元々3列目のフランカー2人がそれぞれ2列目のロックの外側のほぼ真横に上がり、ナンバー・エイト1人が最後方に位置するようになっている(3-4-1システム)。詳細は、スクラム (ラグビー)を参照されたい。

バックス BK [編集]

バックスとは、フォワード以外のスクラムハーフ(1人)、スタンドオフ(1人)、センタースリークォーターバック(2人)、ウイングスリークォーターバック(2人)、フルバック(1人)の7人のプレーヤーの総称で、9番から15番までの選手のこと。 その中でも9番と10番の選手をハーフバックスもしくはハーフバック団と呼び、11番から14番までの選手はスリークォーターバックス(日本語に訳すと「4分の3のバックス」という意味)、そして15番はフルバックと言う。 また、スタンドオフとセンターをフロントスリー、ウイングとフルバックをバックスリーと呼ぶこともある。
バックスは、フォワードが獲得したボールを前に進め、最終的に得点につなげるのが役割。体格的にはフォワードに劣るが、足が速く、パスやキックなどのテクニックに優れた選手が多い。守備ではタックルで相手の攻撃を防ぐ。

ハーフバックス [編集]

9 スクラムハーフSH
名前の由来は、「スクラム(に加わる)」ハーフというところから。スクラムやモール、ラックに参加はしないが、そばにいて、かき出されたボールを持ってバックス陣にパスをすることを主とする役回りである。スタンドオフと同様に攻撃の起点となることから、フランスのラグビー哲学ではスクラムハーフが司令塔であるとされている。
地面にあるボールを拾うことと一連の動作でパスする(ダイビングパス等)という動作が特に多く、体が小さい選手が務めることが多い。密集地からの最初のパスを出すので、敏捷さと高度なパススキル、瞬間的な判断力、常に密集地に素早く駆けつけることが出来る持久力、体が小さいことを武器として大男たちの密集地のサイドを突破できるような俊敏性とステップワーク技術が要求される。
守備の際は相手スクラムハーフをマークし、密集地からパスが出たことを味方に伝えたり、相手FW陣のスクラムサイドの突破を防ぐことが要求される。体躯の大小にかかわりなく9人目のFWとして大男の突破を防がなくてはならないことから、強靭なメンタリティとフィジカルが求められる。
スクラムハーフという呼称はポジションを8分割したときに、4/8列目=1/2(ハーフ)に由来する。
10 スタンドオフSO」(フライハーフ「FH」)
語源は、「スクラムから離れた(=スタンドオフ)ハーフ」というところから。イギリスではその後、このポジションのことを「フライハーフ」 (flyhalf) と呼ぶようになったので、日本やアメリカなどで使われる「スタンドオフ」という言葉は、今ではあまり使われない。国際的にもフライハーフと呼ばれることが多い。これ以外にも、国によっては「ファースト・ファイブエイス」 (first five-eighth) 、「ファースト・ファイブ」 (first five) 、「アウトサイド・ハーフ」 (outside half) などという呼び方がある。
スクラムやモール、ラックなどの密集からボールが出てきたときに最初にボールを受け取る役回りであり、受け取る瞬間はノーマークであるため、パス、パント、突破と様々なプレーを選択でき、そのプレーが攻撃の基点になることから、一般的に、司令塔と言われているポジションである。ボールハンドリング、パススキル、キック、ステップワークなど多種多様かつ正確巧緻な技術、瞬時の状況判断力、試合の流れを読む冷静さ、長い距離を走るスピードよりも短い距離でトップスピードに到達する俊敏性が求められる。
スクラムやモールには参加せず、守備時においては、相手のスタンドオフをマークし、プレッシャーをかけることで相手のミスの誘発やプレーを遅らせる役目を担う。
SOはポジションを8分割したときに、5/8列目に来る。別名でファイブエイス (five-eighth) と呼ばれるのはこの為。ファーストが付くのは12番の選手をセカンドファイブエイスと呼ぶことがある為。

スリークォーターバック [編集]

11,14 ウイング・スリークォーターバックWTB
攻撃の際はラインの最も大外にてパスを貰い、ライン際を駆け抜けトライを取りに行くことこそがこのポジションの役割で、チーム随一の快速と共に、巧みなステップ、相手を抜き去る相手裏へのキックの技術も要求される。トライゲッターとしてラガーマンの華でもある。守りにおいてはFBと共にバックスリーとして相手のキック処理に関わる事が多く、敵陣を稼ぐためのロングキックも求められる。
12,13 センター・スリークォーターバックCTB
12番をインサイドCTB13番をアウトサイドCTBと呼ぶこともある。切込隊長。SOの外に位置し、SOからWTBへパスを回す中継役としてのパススキルは勿論、自ら相手に突破を仕掛ける際のスピードに加えて当り強さも求められる。ディフェンス時にはSOの外を突いてくる敵に対する強いタックルも求められる。自身のそばでモールやラックが発生すれば、それに参加することもよく見られる光景である。したがって、近年、フォワードに負けない体格の選手が増えている。一般的にインサイドセンターはパススキルが求められ、アウトサイドセンターにはランニングスピードが求められる。
11番から14番までをスリークォーター・バックス (TB) と呼ぶのは、ポジションを8分割したときに6/83/4(スリークォーター)になる為(かつては7列目にSE(セブンエイス)というポジションが存在した)。

フルバック [編集]

15 フルバックFB
最後尾に位置し、バックスを統率するバックス最後の要のポジション。身体能力の高い者が務めることが多く、役割は多岐に渡る。バックス陣が攻撃を担当するラグビーにおいて、フルバックは攻撃よりはむしろ守備の担当として攻撃時でも最後尾で味方の選手に指示を出しつつ自陣のゾーンをカバーする。相手バックス陣に負けないスピードと相手FW陣に負けない当りの強さを求められる。また、最後の切り札としてオフェンスに参加することもある。特にキックの能力が不可欠である。
15番をフルバックと呼称するのは、ポジションを8分割したときに8/81(フル full)になる事が由来。


ハイネケンカップ
欧州のクラブおよび地域代表チームによる、欧州クラブ王者決定戦。ラグビー版チャンピオンズリーグともいわれ、1995年に始まった。毎年10月から5月末にかけて行われる。参加できるのは24チームであるが、22枠は各国ごとに割り当てられており(イングランド:6、フランス:6、アイルランド:3、ウエールズ:3、スコットランド:2、イタリア:2)、基本的に各国主要リーグの上位チームが出場権を得る。残り2枠は前年度の成績をもとに決定。まず6組に分かれてホーム&アウェー方式でリーグ戦を戦い、各組1位の6チームと2位グループの成績上位2チームが決勝トーナメントに進む。オランダのビール会社であるハイネケンが冠スポンサー。

ハイネケンカップHeineken Cup)は、欧州ラグビーのクラブおよび地域代表チームによる欧州ナンバー1クラブを決める欧州クラブ王者決定戦。シックス・ネイションズに参加しているイングランドフランススコットランドウェールズアイルランドイタリアの各地域のチームが参加する。サッカーUEFAチャンピオンズリーグに相当する大会である。2003-04シーズンからハイネケンが冠スポンサーになっている。

大会の流れ [編集]

24チームが出場する。20011-12シーズンの国別参加チーム数は、イングランドが7チーム、フランスが6チーム、アイルランドが4チーム、ウェールズが3チーム、イタリアとスコットランドがそれぞれ2チームだった。
大会はまず6組に分かれ、ホーム・アンド・アウェー方式でのリーグ戦を行い、各組1位が自動的に準々決勝進出。2位のうち最も成績がよい2チームが準々決勝進出となる。準々決勝以降は一発勝負のノックアウト方式で行う。

歴代決勝戦結果 [編集]

シーズン
優勝
スコア
準優勝
会場
観衆
1995/96
21-18
カーディフRFC
ウェールズの旗 ウェールズ)
21,800
1996/97
CAブリーブ
フランスの旗 フランス)
28-9
レスター・タイガース
イングランドの旗 イングランド)
41,664
1997/98
バース・ラグビー
イングランドの旗 イングランド)
19-18
CAブリーブ
フランスの旗 フランス)
36,500
1998/99
アルスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド[1]
21-6
USコロミエ
フランスの旗 フランス)
49,000
1999/00
ノーザンプトン・セインツ
イングランドの旗 イングランド)
9-8
マンスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド)
68,441
2000/01
レスター・タイガース
イングランドの旗 イングランド)
34-30
44,000
2001/02
レスター・タイガース
イングランドの旗 イングランド)
15-9
マンスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド)
74,000
2002/03
22-17
USAペルピニャン
フランスの旗 フランス)
28,600
2003/04
ロンドン・ワスプス
イングランドの旗 イングランド)
27-20
73,057
2004/05
18-12
51,326
2005/06
マンスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド)
23-19
74,534
2006/07
ロンドン・ワスプス
イングランドの旗 イングランド)
25-9
レスター・タイガース
イングランドの旗 イングランド)
81,076
2007/08
マンスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド)
16-13
74,500
2008/09
レンスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド)
19-16
レスター・タイガース
イングランドの旗 イングランド)
66,523
2009/10
21-19
78,962
2010/11
レンスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド)
33-22
ノーザンプトン・セインツ
イングランドの旗 イングランド)
72,456
2011/12
レンスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド)
42-14
アルスター・ラグビー
アイルランドの旗 アイルランド)
81,774


ラグビーワールドカップ 大会ルール (予選リーグ)
大会は、大きく予選リーグと決勝トーナメントの2部に分かれている。
予選リーグではAからDまでの4つのプールに5チームずつが分かれ、総当りのリーグ戦を行う。順位はボーナスポイントシステムで競われ、勝敗の他にトライ数や得点差によってもポイントが得られる。
上位2チームが決勝トーナメントへ進出。
上位3チームには次回ワールドカップへの優先出場権が与えられる。

ボーナスポイントシステム
各試合での勝敗に応じて、それぞれ次のようにポイントが与えられる。
勝利: 4ポイント
引分: 2ポイント
敗戦: 0ポイント
これに加えて、以下の条件を満たすとボーナスポイント(BP)が与えられる。
4トライ以上 (勝敗無関係): 1ポイント
7点差以内の敗戦: 1ポイント
つまり、1試合で得られる最も大きなポイントは「4トライ以上あげての勝利」で5ポイントとなる。4トライ以上は、いくつ積み重ねてもボーナスポイントにはならない。
逆に敗戦時であっても、4トライ以上で7点差以内に迫れば、2ポイントを得られる。
例えば最終戦で1(A)2(B)の直接対決。ポイント差が「5」であった場合にBが順位で上回るには、次の条件を満たさなければならない。(同点の場合は直接対決の結果が決め手になるため、BAとの差5ポイントを埋めれば逆転できる)
勝利
4トライ以上奪う
4トライ以上獲られない
8点差以上の点差をつける
これはワールドカップに限らず、国際ラグビーのほとんどのリーグ戦で用いられている一般的なルールである。
なお、なんらかの処罰により大会から失格したり、RWCコミッショナーの裁定無しに試合を拒否や放棄した場合、全てのポイントは没収される。更にその大会の全試合に遡り、対戦相手には勝利に該当する4ポイントが与えられる。仮に以前の試合で5ポイントを得ていたとしても、それは4ポイントとなる。


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