お言葉ですが。。。。 第5巻 キライなことば勢揃い  高島俊男  2012.8.27.


お言葉ですが。。。。 第5巻 キライなことば勢揃い

著者  高島俊男

発行日           2001.2.20. 第1
発行所           文藝春秋

『週刊文春』に毎週1回、1年に50回書いて、ちょうど本1冊分。5冊目が出来たということは連載開始以来まる5年が過ぎたということ
タイトルを変更したいきさつは、

うるまの市
1.        万助橋よ永遠なれ
三鷹の玉川上水に架かる橋。旧中島飛行機の跡地の一角に都内で焼けた東京高校が移ってきて、学制改革で一高と合併して駒場に行ったが、空いた校舎が駒場寮に収容しきれない学生のための寮になった
ファクシミリの普及でびっくり ⇒ スペルは違うが日本語の発音は同じ

2.        「もらう」と「ひろう」

3.        うるまの市
急須のことを上方では「きびしょ」「きびしょう」
平安時代の人にとって「うるまの島」とは、「言葉の通じない人たちの住む島」 ⇒ 朝鮮の鬱陵(うるるん)島の古称とされていたが、後にどこを指すのかわからなくなり、琉球を指すようになった

4.        去年の一番
初対面の挨拶に「お名前は伺っていますが、先生の本は難しいので読んでいない」という。読んでもいないでどうして難しいとわかるのか不思議。「むつかしい」がお世辞になっている
講演の際、易しく話すのは禁物、専門用語や英語を使って難しく見せるのが、聴衆にありがたがられるコツ
昔日本の哲学者がドイツに行って「子供が哲学用語を喋っている」と言って仰天していたが、普通の言葉で哲学の本が書かれているだけのこと

5.        ミイラの話
戦国時代に宣教師がもたらしたポルトガル語で、「木乃伊」と書く。
「ミイラ取りがミイラになる」は、純国産の諺で起源は不明、英語では Go for wool and come home shorn(羊の毛を取りに行って坊主になって戻る) だからだいぶ違う

6.        河盛好蔵先生(1902年生まれ、白寿で逝去)
高校の新聞部にいた頃先輩に連れられて、姫路に来訪された先生のインタビューに入った話。高校生にもきちんと受け答えしてくれた大フランス文学者に畏敬の念を覚える。何を読んだらいいかと聞いたら、「近頃阿川弘之という若い作家が出てきてなかなかいい。『春の城』を出したからぜひ読んでごらん」といわれた

7.        手紙時代の終り
昔は全て情報交換を手紙でやったが、連絡メモみたいなものなのでほとんど残っていない
漱石が生涯2千通を超す手紙を書いた、と言っているが、2千通というのは漱石の全集に収められた手紙の数であって、生涯に書いた手紙のすべてだと思い込んでいるのは滑稽
ヨーロッパでは昔から書簡集の刊行が盛んで、よく保存してある
日本では、人から来た手紙を何でもかんでも保管しておく方がむしろ異常

8.        オムニバス
昭和30年代半ば、高島という人の家の2階に下宿。同じく2階に商社勤めの若夫婦がいた。主の高島は中年の夫婦で小学生の男の子がいた。ある日商社勤めの家で電気冷蔵庫を買って担ぎ込んだら、下の細君が血相変えて上がってきて、そんなものを置かれては氷が解けて下が水浸しになるから止めてくれと言ってきかない。いくら説明しても、電気で物の冷える道理がないと言って引き下がらず、結局電気屋は持ち帰る
この細君、普段は頭も眼もよく働く人だった
だいぶ経ってから、新聞を見てアッと驚いた。日中国交回復の記事で、北京を訪れて周恩来と交渉した3人、田中角栄と大平外相ともう1人、高島条約局長こそ下の主人だった ⇒ 後に駐ソ大使、最高裁判所判事、死後『文藝春秋』が20世紀が生んだ傑出した日本人の1人として取り上げている
下宿していたマッチ箱のような家を思い出すと、日本の官僚も捨てたものではないのかなあと思う

キライなことば勢揃い
9.        ふれあい図書館
「ヘクトパスカル」 ⇒ 「ミリバール」ではどうしていけないのか
「体調をくずす」 ⇒ 「病気になった」ことを全部風邪か腹痛並みにいうのが礼儀のよう
「慎重な意見」 ⇒ 「反対」と言わずに婉曲に言う
「ふれあい」 ⇒ 即物的な触れ合うではない言い方。複合動詞なので辞書には載っていなかったが、『広辞苑』も98年版から登場。「互いに分かり合ったような気持になる」の意で、いかにも嘘っぽい言葉

10.    キライなことば勢揃い
(1)  させていただきます ⇒ 鳩山由紀夫
(2)  じゃないですか
(3)  あげる ⇒ 言葉に対する感覚が鈍い人の用法。「やる」と「あげる」の違いは上下関係ではなく距離の違いで、身内には目上でも「(して)やる」
(4)  いやす/いやし ⇒ 「ふれあい」同様気色悪い言葉の代表
(5)  な ⇒ 「仲よくしたいと思う」を「仲よくしたいな、と思う」
(6)  を ⇒ 「発車する」を「発車をする」

11.    みんな仲よくあたたかく ⇒ 気色悪い言葉
(1)  いやし healingの訳語なのだろうが、お互いの傷を嘗め合っているような感覚
(2)  やさしさ
(3)  ふれあい
(4)  まちづくり
(5)  いのちとくらし
(6)  思い出を作る ⇒ 後になって思い出すことはいろいろあるが、最初から思い出にしようと意図的に記憶に留めるものではない
(7)  参加、交流、感動
人間と社会の関係が、ますます薄っぺらになっていくような気がして、逆に「矜持」「品格」「羞恥」といった昔から持っていた美徳も今や無きに等しい
昔は一人で凛としているのが良かったが、今は群がって「みんな仲よくあたたかく」がいい
美徳のありかが移ったのは、戦後民主主義と、もう一つには豊かさゆえだろう

12.    電話を入れる
「蹴りを入れる」 ⇒ 大正頃から出て来た表現だが、単に[蹴る]だけで十分
「電話を入れる」 ⇒ セールスマンが会社に電話するのならともかく、一般の人が言うものではない。昭和40年ごろからはやりだした
「訪(おとな)いを入れる」 ⇒ 「来意を告げる」程度の意味だが、振袖着て革靴を履いたような表現であることは間違いない
「詫びを入れる」くらいが認められる限界か
頭脳明晰記性抜群 ⇒ 「きせい」と読み、記憶力のこと

13.    「電話を入れる」ふたたび
関西方面の商社や会社等では、昭和10年前後から当たり前に使っていた表現
下品な表現であることには変わりない

14.    「実家」の移動
学生が休みに家に帰るのを「実家に帰る」と言うが、「実家」は入り婿や嫁・養子から見て生まれた家のこと ⇒ 家制度の崩壊が原因か
「汚名挽回」 ⇒ 「汚名をすすいで、失った名誉を挽回する」の省略形であり、誤用。「挽回する」という以上当然良いものに決まっている、と思っていたら「頽勢(劣勢)を挽回する」という表現があるように、マイナス状態を表す言葉が来るのが一般的で、反対は「名誉挽回」しかない
「どうぞご了承ください」 ⇒ 「どうぞ」は「勧める時の言葉」で、「頼むときの言葉」は「どうか」。「ラスト・ダンスは私に」では「どうぞ」

15.    ラーメンちょうだい
「ちょうだい」は女・子供の言葉だったが、高度成長とともに、大の男が使うようになった

16.    コクタイ談
コクタイといえば、戦前は昭和12年文部省の出した『國體の本義』にあるように、「大日本帝國は、萬世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ我が萬古不易の國體である」 ⇒ 日本独自の概念なので外国語には訳せない

「よし」「だめ」の怨念
17.    学童疎開
正式名称は、「学童集団疎開」で、戦争末期、昭和19年、20年に行われた大都市の国民学校の原則3年生から6年生を対象に、学校単位で先生に引率されて疎開したもので、同じ学童の疎開ではあっても「縁故疎開」とは区別
藤本義一 ⇒ 屈辱の想い出

18.    幼い疎開児童
19.    文学部がはやらない
文学部はふつう、哲学、歴史、語学文学の3部類(+社会学科と心理学科や地理学)に分かれている
文学とかかわりがあるのは語学文学だが、それも半分は言語学、国語学、英語学などの言語研究。あと半分の文学も日本や外国の過去の文芸を学問的に研究しているから、創作とは無縁
小説を書くことを、ちっとも[]ではないのに「文学をやる」と言うからややこしい
大学の学部は、職業人養成学部と、学問研究自体を目的とする学部に大別できる ⇒ 文学部や理学部は卒業しても職業が待っていない

20.    どこで切れるの「文学部」
「文学・部」か「文・学部」か ⇒ 「文学部」という語が出来たのは明治10年、東京開成学校と東京医学校とを合併して「東京大学」を作り、従来の開成学校を「法学部」「理学部」「文学部」、医学校を「医学部」としたときで、この時は官庁のセクションと同様「文学」の「部」
合併しても事実上は別の学校で、法学部等は神田の一ツ橋に、医学部は本郷にあり、一ツ橋は英語、本郷はドイツ語を使用。一ツ橋の学校をまとめて「三学部」と言ったところから、「学部」という日本独特の用語が出来たようだ
明治10年の文学部の中身は哲学と政治理財(後に経済)、毎年10人くらいで、殆どは政治
他に和漢文学科というのがあったが、東京大学は西洋人が西洋の学問を英語で教える学校だったので、シンボル的に置かれたに過ぎず、専任教員もいなかった
「文学」の起源 ⇒ 論語で孔門の十哲を「徳行」「言語(弁舌)」「政事」「文学(学問)」の4グループに分け、「文学は子游と子夏」と言っているところからきているが、日本でも明治になって用いたのは学問芸術の総称としてだった
明治19年 帝国大学設立、東京大学廃止 ⇒ 「○学部」と言う名称は無くなり分科大学になった。「文学部」は「文科大学」となり、「国語学国文学」「英語学英文学」等の講座が出来た。「英語学」は「英語についての学」であるから、「英文学」は「国の芸についての学」のはずなのに、このころから単に英国の文芸のことを「英文学」と言ったり文芸のことを「文学」というようになった

21.    何代目?
英語でこの表現はない ⇒ 日本でも天皇や首相が何代目など関心がないのでは?
齋藤秀三郎という英語の大家が、”how manieth”という言葉を発明した
What number is president Clinton? ⇒ Who cares?/Worst!

22.    日本人の英語信仰
日本人の英語能力が一番高かったのは明治の10年代 ⇒ 学問も技術も法律もすべて西洋に学ばなければならず、教える側も英語しかできなかった ⇒ 日本の知識人の中でもきちんとした日本語の文章が書けずに困ったという話もある ⇒ 植民地的風景
明治30年ごろから、日本人の英語学習に大きな変化 ⇒ それまでは学問や商業をやるために英語を学んだが、英語自体が目的となった ⇒ 実際の目的がないのだから、一種の信仰で、英語が神格化された ⇒ 日本語なんかとは格が違って高級な言語と思い、英語の勉強は学問だと思っているし、「語学」なる言葉まで出て来た

23.    「よし」「だめ」の怨念
ストライクやボールを言い換えさせられたのは、職業野球のみ
戦時中も英語教育は、冷遇されていたのは事実だが、禁止まではされていなかった ⇒ 冷遇の主張として持ち出される話となった
当時の野球の華は六大学と甲子園で、ストライクもボールもそのまま使用
職業野球の地位は低く、川上でも「数年やったら国に帰って正業に就く」と言っていた

24.    「よし」「だめ」誕生秘話
軍の物資統制で、職業野球には用具の材料をくれなかった ⇒ 外来の言葉を使っているのが理由だとわかり、別な規則を作って、軍が見ているときだけ言い換えしていた ⇒ 審判員の号令は、ストライクを「1本、2本」、ボールを「1ッ、2ッ」で、ヒットなら「ヨシ」ファウルなら「ダメ」、ランナーがセーフなら「ヨシ」、アウトなら「ダメ」が正確

何処のさとのならひぞや
25.    何処のさとのならひぞや
正しい読み方は1通りではない ⇒ 「何処の」も「どこ」でも「いずこ」でも構わないのに、文部省はどちらかに決めつけようとする
目で活字を追い、頭で理解するので、読み方は二の次
どう読んでもよい言葉の代表格は「日本」 ⇒ 昭和9年に文部省が「ニッポンに一定する」と決め、戦後の憲法制定の際国会で読み方を聞かれた金森徳次郎国務大臣が「この緊急の際にさような不急の問題を論じているゆとりはない」と答弁して大いに揉めた後、佐藤栄作首相の時閣議で「ニッポンとする」と決めた

26.    消えたジッパン
「本日」や「祭日」の「ジツ」は漢音、漢音こそ「正字」だから、「ジッポン」があってもおかしくない
「ニチ」は呉音 ⇒ 南方(長江下流域)の音が朝鮮経由で入ってきたもので、「対馬音(つしまおん)」とも言い、やわらかくて耳に快いところから、漢音が入ってきても残った
漢音は、北方系で、響きが強くてゴツゴツしている
「男子」と「長男」、「境内」と「内地」、「突如」と「如来」、「人物」と「人相」 ⇒ d(j)音とn音の対応で、江戸時代初めの日葡辞書には「ジッポン」「ニフォン」「ニッポン」の3通りあり
かつて日本のことを「日東(じつとう)」と言ったが(芭蕉に句がある)、いつの間にか「にっとう」となり、紅茶にその名が残る
太陽が沈む「日没」は、漢音の「じつぼつ」と呉音の「にちもつ」があったが合併して「にちぼつ」になったように、上に「日(じつ)」のつく語はほとんどなくなった ⇒ 日記、日参等

27.    玄米四合
井上ひさしが、学校で暗唱させられた「雨ニモマケズ…」に「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ」とあるのを、「四合」ではなく「二合三勺」と教わったが、配給の分量と辻褄を合わせていたのだろう(笑い)と書いていたが、配給の分量なら、戦時中は「二合三勺」、207月からは「二合一勺」のはず、ところが戦前戦中の国民学校の教科書に現代詩人の作が出て来ることはない
昭和224月の新制中学の教科書に初めて載っていて「玄米三合」に直したうえに、全てひらがなにして仮名使いを変え、当用漢字を使用、句読点まで付ける ⇒ 井上ひさしが読んだのはこれ。「三合」のみならず、宮澤賢治には作品と内容によってひらがなとカタカナの書き分けがあり、「決シテ瞋(いか)ラズ」も仏典に見える「瞋恚(しんい)」でなければならないと思って使った字でありそれを「けっして怒らず、」では作者の意図は台無しだし、そもそも人の作を用いる際のあるべき態度は、私意を加えることなく極力原文の姿をとどめること
産経が、当時の文部省の教科書編纂の総責任者だった石森某の遺族や同僚の話として、経緯を紹介しているなかで、進駐軍から実情に合わないとクレームが付いたとか、読んだ国民から不満が出るのを心配したと言っているが、まだ占領中だった翌年には「四合」に戻していたり、当時子供の教科書を覗く親など滅多にいなかったことを考えるとマユツバものであり、戦後民主主義の風潮に乗った軽薄な愚挙であることに違いはない
カタカナの原文に戻したのは昭和31年、ただし新カナ
「玄米四合」の読みは「シゴー」。禄高も「四百五十石」は「シヒャク」。四十七士、四十九日、四百余州すべて「シ」

28.    交戦已に四歳
終戦の玉音放送:「米英支蘇四國ニ對シ通告」「交戦已に四歳を閲(けみ)シ」 ⇒ いずれも「シ」
高橋義孝(ドイツ文学者、横綱審議会):ホテルの従業員が「朝三度部屋に入ってきた、厳密にいえば四たびだったが‥…」 ⇒ 「三度」に合わせれば「四度」のはずだが、「よんど」と読まれるのを恐れてわざわざ平仮名にした。したがって「三度」も「みたび」と読んで欲しいことが分かるが、漢字で書いてあるのでどちらでもいいとの趣旨だろう
和語に字音の数量詞が付くから聞き苦しい
日本語の数詞には、和語の「ひ、ふ、み、よ、い、む…」と、漢語系(字音)の「イチ、ニ、サン…」があり、下が和語なら「ひとたび、ふたたび…」と和語に、下が字音なら「イチド、ニド…」と字音になるのが原則
近代になってから生じた言葉や言い方には、初めから原則に合わないものが多い ⇒ 小学四年生、午後四時、四車線のように、近代初期からある語は「よ」、昭和期以後の語は「よん」が多い傾向がある。弦楽四重奏や四半世紀は例外
年齢に「歳」をつけるのはごく新しいこと、もともとは数だけを言った
昔の新聞・雑誌は総ルビでも、数詞にはふっていない ⇒ 多様で難しいからで、それだけに昔特定の数詞をどう読んでいたかを検証するのは困難
「四人」は「ヨッタリ」 ⇒ 漱石の『行人』では、何度もルビを振っている。「二人」は「ふたり」が当たり前なのでルビはなしだが、「三人」にもルビがないのは「みたり」でも一般的になって来ていた「さんにん」でもいいからということだろう

29.    虫めづる姫君
「日出づる国」 ⇒ 動詞「いづ」はダ行活用なので、「いず」はありえない
現代仮名使い(内閣告示)でも、「口語体のものに適用する」としており、文語体を現代仮名使いに転換することまでは考えていない
口語は概して締りがない表現が多いので、文語まで転換すると意味が違ってくる ⇒ 「大いなる西部」であるべきで「大きな西部」では意味が違う
新カナに変換しようとする暴挙の元凶は、昭和30年代初めの岩波書店 ⇒ 用語を現代語にして新カナで表記するならまだしも、表現を文語のままで新カナはない

30.    まだまだあった「まぜこぜ語」
日本語の2本柱 ⇒ 和語(本来の日本語)と、字音語(漢語及び和製漢語)
両者くっついたのが音訓まぜこぜ語 ⇒ 場所、石段
外来語も含めると組合せは6種類
(1)  +漢 ⇒ 音訓まぜこぜ語
(2)  +和 ⇒ 音訓まぜこぜ語
(3)  +外 ⇒ 輪ゴム、窓ガラス
(4)  +外 ⇒ 食パン、重大ニュース
(5)  +和 ⇒ パン粉、じゃがいも、ピンボケ
(6)  +漢 ⇒ マッチ棒、テレビ局等最も多い
(7)  その他 ⇒ お嬢さま(和漢和)、二の舞(漢和和)、地元紙(漢和漢)

31.    「使う方」ではわからない
字音語は漢字で書くのが原則だが、どちらの読みか紛らわしい場合は仮名で書けば混乱は防げる
仮名が多過ぎると単語の区切りが分かりにくく読みにくい ⇒ カタカナの活用で回避
和語は平仮名でいいが、これも限度があり、全てかなでは読みにくい

32.    ごらん、かんたん、だいじょうぶ
字音語でも完全に口語化してしまい、耳で聞いて誰にでもわかる言葉は仮名で書いても差し支えない ⇒ あいさつ、つごう(「都」は「みな、ぜんぶ」の意で、「都合」は「ぜんぶあわせて」)、ふしぎ、かんたん
かなで書いてもいいのはせいぜい百語、字音語全体からすれば数百分の一で、漢字は必要

「白」はぬきみかcold
33.    符号は意味をハッキリと
書き物に勝手に符号を使っては混乱する ⇒ 使う場合は最初に定義や目的等明記すべき
東大史料編纂所の黒田教授が出鱈目に使っているのを批判したところ、本人から書き手の品性が問われるような脅しの手紙が来た

34.    ピンからキリまで
賭博では、「正月」を「ピン」、「一二月」を「桐」(花の咲くのは6月で、なぜ12月か意味不明)
ポルトガル語では、ピンが「一」、キリは「クルス(十字架)」で、一から十の意
ピンは「一」、キリは諸説
どちらが上か ⇒ 「最初から最後まで」の意であれば、どちらが上でも下でもない

35.    白兵戦はお家芸?
日露戦争以降、日本は昔から白兵戦に強いとの定説が出来上がった
もともと強いのはヨーロッパの軍隊で、日本は遠戦志向

36.    「白」はぬきみかcold
「白兵戦」の語源? ⇒ 「白兵」とは「抜身の刀、剣、槍などの総称。白刃」
Cold Steelの訳 ⇒ 対語が fire arms (火器)

37.    「白兵」その後
フランス語からきている
ただし、「白兵戦」としたのは日本人

38.    丁のいろいろ
成年に達した男を「丁(てい)」と言う。元々「がっちりした」という意味。何歳かは時代によって異なる ⇒ 日本では「壮丁」と言い、明治時代は徴兵検査のことを「壮丁検査」
後になって、種々の専門職(比較的下層の)に従事する者を丁と呼ぶようになる ⇒ 馬丁、駅丁 ⇒ 「庖丁」は、庖(料理場)の「丁さん」で、人の名前
「一丁目」「()一丁」「(豆腐)一丁」「落丁・乱丁」と言うのは、一番簡単だから使っているだけで、「丁」の語に意味はない
賭博や囲碁(「丁先」)で偶数を「丁」というのも、簡単な字を充てただけ

39.    内心ジクジ
「怜悧」「恍惚」「彷彿」「躊躇」「憔悴」 ⇒ すべて音が意味を表す、主として語頭の音が意味を表す擬態語
語頭の子音が同じで、「双声(そうせい)の語」と言い、漢字を充てているだけの感覚的なことば。ズキズキ、ハラハラ、ドキドキ等と同じ

人生テレコテレコ
40.    カンコツダッタイ
換骨脱胎(奪胎ではない) ⇒ 古人の詩文の発想や形式などを踏襲しながら、独自の作品を作り上げること、焼き直し、
日本の辞書はどれをとっても同じ間違いを犯しているが、それは広辞苑を真似ているだけだから

41.    書きたまったのだあれ?
「のたまった」「のたまわった」 ⇒ いずれも文語をかなにする際の誤り
古語の「のたまふ」は敬語だが、現代口語文では揶揄的ないし嘲笑的に用いられる
「のたまふ」 ⇒ 「のたまうた」 ⇒ 「のたもうた」
基本形を「のたまう」にしたのは、現代仮名使いの不備 ⇒ 表記を発音に近づけるとすれば「のたもう」しかない

42.    誤訳自殺事件
訳者が言葉を知らないことからくる「単純誤訳」 ⇒ 明治30年代、a lion at bay を「湾頭に吼えるライオン」と訳し、bayに「窮地」の意があることを指摘され、正しくは「追い詰められたライオン」だったことが分かり自殺した ⇒ 精神異常があったので、死因は不明
「複雑誤訳」の例 ⇒ 中国の中南海に立つ衛兵が道行く人々を narrow their eyes で見ている、という文章を「目を細めて」と訳したが、「目を細める」は上機嫌の意で相応しい翻訳とは思えないが、山本周五郎の小説には「するどい目を細めて睨んだ」とある

43.    つなぐ、つなげる
「明日につなげた」「明石大橋が本州と淡路島をつなげた」 ⇒ 可能動詞の領域を犯す表現
東京地方の方言?

44.    人生テレコテレコ
「数奇」 ⇒ 「数」は「宿命」、「奇」はチグハグのことで、「奇抜」の「奇」とは音も違う別の言葉、従って、「数奇」とは珍しい運命ではなくついてない人生のこと

45.    なぜカズオなの?
名前の時だけ「和夫」の「和」を「かず」と読んだり、「朝」を「とも」と読んだりするのはなぜ?

46.    結構ずくめ金ずくめ
「身がすくむ」は「動けなくなる」の意、その他動詞が「すくめる」、その連用形が「すくめ」で、その上に他の語が付くと「…ずくめ」になる ⇒ 動きが取れないのだから、甚だ不如意な状態だが、「色ずくめ」や「金ずくめ」とプラス価値にも用いられるようになった

47.    今昔ホームレス
京都精華大の田中貴子助教授(中世文学専攻)のエッセイに、『今昔物語』を引いて、ホームレスに手籠めにされそうになった若い女が幼いわが子を見殺しにしてまで操を守ったという話を紹介していたが、原文の「乞匈(こつがい)は「こじき」「ものもらい」の意だが、『今昔物語』当時はならず者や無頼漢の類も含めての総称で、ホームレスとはまるで違う
「こじき」では「差別用語」だからぐらいの思い付きだろうが、平安時代の話に最新カタカナ語を持ち込むトンチンカンもさることながら、ホームレスを乞食と同一視するのは失礼だし、ならず者の類と分かってホームレスと言ったのならもっと失礼
大阪府の太田房江知事が、「浮浪者の方」を「ホームレスの方」と釈明してみたり、鳩山由紀夫が「させていただきます」の頻発に顰蹙を買って「少年で罪を犯された方」と言ったりしているのも同罪
魯迅に出てくる「一代不如一代」を思い出す ⇒ 一代ごとに悪くなる、代々落ちるの意

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