お言葉ですが。。。。 第3巻-せがれの凋落  高島俊男  2007.2.16.


2007.2.16.      お言葉ですが。。。。 第3-せがれの凋落

1.       読みやすくこそあらまほしけれ
天皇の御製は分かりやすい
昭和天皇が戦後初めて国技館へ相撲を見にいらしたときの歌
ひさしくも見ざりし相撲(すまひ)ひとびとと手をたたきつつ見るがたのしさ
機心がない。うまく作って人をアッといわせてやろうとか、感心させてやろうとかいったたくらみがない。思い邪(よこしま)無しである、育ちがいいというのはこういうことかと思う
明治帝の歌:うるはしくかきもかかずも文字はただ読みやすくこそあらまほしけれ
明治天皇日露開戦時の御製といわれる「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」は疑わしい ⇒ 明治10年の作という説の方が信憑性がある

2.       小股の切れあがった女
「すまた(裸のまた)」が変化したもの
井原西鶴から幸田露伴の「五重塔」に出てくるが、露伴の場合は若い大工のいなせな姿を描写したもの
主観的解釈に頼っていたために、「色っぽい女」に偏ってしまった

3.       命短し恋せよ乙女
「今をつかめ、楽しめ」の主題と表現 ⇒ ローマ詩人ホラティウスが起源

4.       青い顔してナンバ粉食うて
替え歌の話 ⇒ ズンドコ節の替え歌が秀逸だが、元歌は通常のと違う節
ナンバはトウモロコシ ⇒ その粉を水で練って団子にして食べた

5.       緑色の天皇
日本でラジオの民間放送が始まったのは昭和26
天長節 ⇒ 「天」は天そのもので天皇ではない、「長」はとこしなえ、永遠。
地球節 ⇒ 皇后の誕生日のこと
「天皇誕生日」が「みどりの日」とはひどい、まるで天皇の顔が緑色になったような感じがする
昭和天皇の誕生日 ⇒ 明治34429
大正天皇の誕生日 ⇒ 明治12831日 ⇒ 「天長節」は831日となるが、勅令で1031日とした(真夏や、学校が休みでは儀式が出来ないため)
明治天皇の誕生日 ⇒ 嘉永5922(1852.11.3.) ⇒ 明治5年までは922日が天長節で、翌6年から西暦を採用したので、113日に変わった
明治の「天長節」が大正以降「明治節」になり、昭和の戦後は「文化の日」となったのではなく、昭和21113日に憲法が公示されたので「文化の日」としたもの、「明治節」とは無関係ということらしい

6.       教室と寝室
修学旅行の女学生と同じ汽車に乗り合わせて、余りの煩さに一喝したら、シンとなった
それを引率の先生がいたくありがたがった話
教室をパブリックの場だという考えがない、自分の寝室と同じ感覚

7.       ジュライ、オーガストの不思議
シーザーが「ユリウス暦」を作ったとき、自分の生まれた7月を「ユリウス(Julius)」としたもの
1年は3月に始まっていて、毎月交互に31日と30日にしていったが、最後の2月は1365日の調整で29日とされた。更にその後、シーザーの息子のアウグストゥスが戦争に大勝利した記念に自分の名前を8月につけた上、シーザーと同じ31日にしたため、その調整も2月にして、28日となった
「ユリウス」と名付ける前はクインティリス(5番目の月」の意)といっていた
16世紀にローマ教皇グレゴリウス13世が、若干手直しをして、「グレゴリオ暦」とした ⇒ 400年につき3度、4で割り切れても閏年でない年を設ける
日本は、明治6年以降この「グレゴリオ暦」を採用
太陽暦というくらいなので、「月」のことは考えていなかったために、「十五夜」といっても月毎に違ってしまうので、「月」と呼ぶこと自体意味がなくなった

8.       院殿大居士一千万円
男の戒名の最高 ⇒ 「○○院殿(院号)XX大居士(戒名)」 ⇒ 一千万円台
女の最高 ⇒ 「○○院XX清大姉」
ゼニをかけた戒名の代表格は美空ひばり ⇒ 「慈唱院美空日和清大姉」
「院」とは、お仏堂のこと、「院殿」となると庫裏が付く
戒名 ⇒ 本来、生前に信仰に入った証としていただくもの
「居士」は、居()る士(おとこ)で、「処士(しょし)」ともいう ⇒ 「処()る女」は、お嫁に行かないで家におる女の意であり、本来は「処女」の両義は両義ではなく実質において一致していたはず

9.       墓誌銘と墓碑銘
「墓誌」は、どういう人か石に刻して棺と一緒に土中に埋めるもの。永遠に保存されるので優れた文章を競って書いたが、最後に「銘」(故人を追悼し褒め讃える比較的短い韻文)をつけたのが「墓誌銘」と呼ばれるもの、「墓誌銘」となれば立派な文学作品といえる
「墓碑」は、墓のそばに建てるもの、四角いのが「墓碑」、上の丸いのを「墓碣(けつ)」ともいう
10.    肉親再会
北朝鮮日本人妻の一時帰国で、空港に出迎えた親族と「人前も憚らず」抱き合うのは、当たり前ではない
アメリカ人ですら、必ずしも抱き合うものではない
どぎまぎし、混乱して、うれしいのやら悲しいのやらわからなくなりそれをとりつくろったりまぎらわしたりが先に立つ、というのが自然の姿ではないか
そういう感情がなくて、その何もないのがうしろめたく、人に見すかされるのがこわくて、あんな派手な挙動に出るのではないか

11.    大蔵省の消滅
行政改革でなくなった「大蔵省」と「文部省」は、律令官制の「八省」の一つ ⇒ 唐のマネ
「大蔵省」は、全国からの貢物を受け入れて保管する役所
「省」は、中央官庁だけの呼称で、本家の中国でもみな「部」に変わっている
外国の政府財政部門の長官を「大蔵大臣」と呼ぶのはおかしい、「財務長官」と呼ぶべき
「大臣」とは「天皇の大臣」であり、帝や王があっての「臣」であって、よその国のことを日本流に理解している例の一つ

12.    非難場所はどこだァ
阿川弘之の「葭の髄から」がいい ⇒ 「気骨」の代表選手
文学賞の予選を通過した作品にも誤字の多い程度の低い作品が沢山あるのに憤っている
字を知らないままで字を書ける、ということはあり得なかったが、ワープロの出現で知らない単語でもどんどん出てくるようになった弊害
まぎらわしい漢字語はなるべく使わないようにしよう
「避難場所」より「逃げ場所」のほうが、ずっと上等な日本語だ

13.    蟻の一穴「書きかえ語」
戦後の国語改革で、代用字に置き換えられてしまった言葉が多く、意味をなさない
「選考会」も本来は「銓衡会」 ⇒ 「銓」が分銅、「衡」が「度量衡」の衡で秤竿の意味であり、漢字が使えないなら「審査会」でもいいところを、読み方にこだわって間違った漢字を充てたのがあさはかなところ
「抽籤」は、籤(くじ)を抽(ひく)ことで、「くじびき」といえばいいだけのこと、「選をひく」では意味をなさない
「交叉点」も「交」がまじわる、「叉」がぶっちがいで、まさに英語のcrossにあたる ⇒ 元々日本には「四辻」という言葉もあり、「十字路」でもいい。「差」は不ぞろいなこと
耳で聞いてわかり、まぎれがなく、日本人が昔から使っていたことばが上等な言葉

14.    人は神代の昔から
聖書も含め、西洋文学には下(しも)の記述が欠落している

15.    何という字?
明治時代の紀行文の引用 ⇒ 「此地(このち)には最()と古き時代より温泉宿ありて」とあるのを、出版社の「校閲さん」が「最も」に直された
人の文章に手を入れるときには、もっと慎重、謙虚であってもらいたい、特に古い文章や故人の文章には極力手をつけないでもらいたい
読み方がわからないと国語辞典も引けない ⇒ 「南都雄二」は、ミヤコ蝶々が漫才の台本を読むたびに、「これ、何という字?」と聞いたので、もともとはトンボという名だったのが変わったもの
読みが分かれば意味も分かる場合が多い

16.    本に小虫をはわせる
杉森久英(971月没)は、平明な、達意の文章を書き、読ませる腕前にかけては当代随一
(やいば)向かってくる」、「(めかけ)宅を構える」、「袴の(また)立ち(たち)(ももだち)を高く取り」、「気色(きしょく)ばむ」など、わざわざ間違ったルビをふって混乱させている
著者に聞かないとわからないという場合もある
「衰微の(きわ)に達した」 ⇒ 「きょくに達した」というのが慣用句で、「きわ」というのはないが「きわみ」はあり得る
そもそも、著者が必要と認めたところは、生前の本についているので、それ以上手を入れる必要はない
また、不必要にかながふられるのも、読者を小ばかにしているようだ
ふりがなも文章のうちなので、ふりがなが数多くつくことによって、見た目の端正さが失われるということを知ってほしい

17.    カギのない蔵
漢字にこだわる ⇒ 「蔵」は「藏」でないと、肝心の鍵がなければただの物置小屋だ
「藏」の左側は、長い木の台の象形だが、デザインがそう見させるのか
「藝」「晝」「盡()」「證」「龍」等の正字を使う
「假」にこだわる ⇒ 「反」を音符とする字はみなハン(ヘン)で、「叚」を音符とする字はみなカであって、別のグループにも拘らず、「仮」という字と混同してしまった
「欠」も同様 ⇒ 「欠」はケン、「缼」は決、訣等と同じグループ
「缶」はフ ⇒ カンは「罐」

18.    グッド・バイ
「自死」といって「自殺」といわない ⇒ 新しい言葉(明治からある)だが、死者に対するいたわり、気づかいが感じられて、気持ちのよい言葉と思うが、含蓄がなく殺風景である。「自殺」でも、あからさまでどぎつい感じがする、何かいい言葉はないか
「ボケ」より「恍惚の人」と言うと、ふくらみがあり味がある

19.    臥薪嘗胆
「史記」に出てくるのは「嘗胆」のみ
「臥薪」は、もともと「身の危ういのも知らぬノーテンキ」ということ、薪を重ねた上に寝ていて下から火をつけらたらたちまち丸焼きになる、それも知らずに寝ている愚か者ということ
1000年も後、宋代になって両方の言葉が一体となって使われたが、今の中国にはもうない
日本では、日清戦争後の3国干渉で、すっかり有名になった

20.    日本の辞書は甘い
臥薪嘗胆について、中国の辞書では、出所不明としているが、日本の辞書では、間違った引用をそのまま確認という手間もとることなく記載している

21.    文化輸入国の悲哀
「臥薪嘗胆」の話の出所は「十八史略」だが、それ自体、十八種の史書のあらましであって、内容・性格は子供向けの教科書というところで、書いた人の名前も残っていない
「十八史略」が初心者用のものだということは江戸時代には分かっていたが、明治以後漢文教科書に多く採用されると、左伝や史記のようなスーパー古典籍との区別がつかなくなった
西洋の学問にしても、子供向けの教科書をありがたがって学んだようだ
外国文化を崇拝することのみを知る文化輸入国の国民は哀れなもの ⇒ 漢文にしても英語にしても、盲目的に取り入れてしまった
「史記」にしても「十八史略」にしても、内容の真偽を問われたら、「史記」の先秦部分は人々が昔から語り伝えてきたお話を記録したものなので、ほとんどは嘘だろうが、だからと言って、「十八史略」の作り話と一緒にしていいということにはならない ⇒ 日本の辞書がやっていることはミソもクソもごっちゃにしていること

22.    エンドレステープを憎む
公共の場でやたらと不要な放送が多い
エスカレーターの注意、ホームでの注意、夕方の帰宅の呼びかけ、工事中の注意

23.    三都気質論
高田早苗(「早稲田三尊」の1人で総長、政治経済学者、幕末生まれの生粋の江戸っ子)の言
東京人 ⇒ 「立憲国民としては、すなわち憲政治下の市民としては、頗る頭脳がなさ過ぎる。金には淡白、「五月の鯉の吹流し」で威勢はいいが中身はカラッポ、近代社会には向かない
大阪人 ⇒ 個人主義だか利己主義だかが根底となって、自己の利益を完うするためには、市政そのものが改良されなければならんという考えを持つようになった。欧州の歴史を見ても、私利の拡張が公利の追求となり,やがて立憲とか自由とかが生み出されてくるのだから、大阪人は近代市民社会にふさわしい資質がある
広瀬旭荘(19世紀江戸末期、九州日田の文人)による三都気質比較
京ノ人ハ(さい)(何事にも細かくシブチン、稼いで儲けるより出費を切り詰めて貯めるタイプ)ナリ。大坂ノ人ハ(たん)(よくばり)ナリ。江戸ノ人ハ(くわ)(「誇」と同義で見栄っ張り)ナリ。京ノ人ハ(きょう)()(気位が高く、ツンとすましている)、大坂ノ人ハ殺気(さつき)多ク(殺伐で、潤いがない)、江戸ノ人ハ客気(かくき)多シ(単純で血の気が多い、無鉄砲、向こう見ず)

24.    「鶴翼山」は鶴の翼の山?
近江八幡の八幡山(はちまんやま)の別名が鶴翼山(かくよくざん)なのだが、さる京大教授が地理や地形から日本史の真相に迫ろうとして、琵琶湖の対岸から見たところ、周囲の山と合わせて鶴の翼に当たるとしたところから鶴翼山の名が出たとの珍説を唱えた ⇒ 物事を考える際、まず事実の観察から出発するのが本筋だが、学者はえてして書物や文字の知識から出発する世間の人が学者を迂愚だというのはその故である

25.    『アーロン収容所』
会田雄次(979月没)の著作、自伝・戦記で、1962年に「中公新書」が発足した時、第一弾一挙5冊の内の1冊 ⇒ 当初の中公新書は大物路線で、名の売れた学界の老大家の作が多かったにも拘らず、まだ京大人文科学研究所でルネサンス史を専攻する助教授だった会田氏の著作が選ばれ、図抜けて面白かったので、いっぺんに有名になった
多様な側面、複雑な性格を持った戦争を、一国の首脳たる総理大臣が「侵略戦争」の四字で括ってしまって不思議と思わぬ世の中と嘆いているが、この本を読むと、いかに複雑な側面を持っているかの一端が読み取れる

26.    赤い腰巻
本の帯の言葉に惑わされた話。たまたま騙された帯が真っ赤だったので、赤い腰巻が男を翻弄することにかけたもの

27.    「位相」ってなんだろね
「次元」と同じ感覚で使われている
読者に対する「コケおどし効果」 ⇒ 学者が「俺も学者だもんね」といい気分になりたいときに用いる程度の言葉

28.    五十をすぎたおばあさん
森鴎外が、明治24年ごろに見かけた尼さんのことを、後に小説に書いたとき、「50を越した比丘尼を見て、もし媼(おうな)をも美人と称することができるなら、と言っている
「坊つちやん」にも、「奥から50位な年寄が、とか、御婆さんに」という表現が出てくる
明治期の平均寿命(新生児の平均余命)は、20年代までは20歳代を低迷、30年代になってやっと30歳代を越え、40歳を確実に越えたのは大正に入ってから
今のモノサシで昔の人をはかって憤慨したりしても滑稽なだけ

29.    一割現象
人間集団では、必ず僅かの(1割と分かりやすく言う)はみ出し者が出るが、それがむしろ集団の正常さの担保になっている
教育課程審議会が発表した「21世紀の教育の基準案」によれば、教育内容を3割ほど減らすことによって、落ちこぼれをなくそうとしている ⇒ あらゆる集団は必然的に落伍者を析出するし、学年が上がれば習うことの程度が高くなるので、差が出てくるというのが自然だが、これを全員が分かるまで教えるというのだ
昔の寺子屋では、一人として他の子と同じことをやっている者はなかった。同時に入った子でもそれぞれの好みや上達が違うから、別なことをやっている。先生は順々に見て回って指導する。これなら落ちこぼれはあり得ない。
本当に落ちこぼれをなくしようと思ったら、集団をやめるしかない。

30.    開きなおりとクソまじめ
「開きなおる」とは、破れかぶれの態度をとる意味のはずだが、「気分一新」程度の意味で使われている
「開く」は、正面切った姿勢をとること
「なおる」は、「居なおる」「立ちなおる」と同じで、姿勢を変えること
突然あらたまった姿勢になるのが本来の「開きなおる」であって、相手や周りの者はびっくりし、座がシラケることが多い
「クソまじめ」という用法も、「福翁自伝」の中に、「開き直って番をしている」とあった

31.    「ゲキトバ」新設
「檄を飛ばす」とは、遠くにいる味方(あるいは味方になる可能性のある勢力)に呼応を呼びかける書信を発すること
叱責、説教等と混同されている

32.    千円からおあずかりします
「あずかる」とは、「いずれは返す」ということ
(お名まえ)よろしいですか」も誤用されている例が多い

33.    何もありませんけど・・・・
お笑い「日本人の英語」というと、東大総長の濱尾新(あらた)の英語
Please eat next room, there is nothing.
日本人が何かにつけ、無意識の内にも、自分が相手に対してしていることの意味を極力軽くしようとするのは、相手にとって「恩(借り)」になることを避けようとしているもの
ただし、外国人には必ずしも通用しないので、注意が必要

34.    せがれの凋落
「むすこ」は客観的呼称だが、「せがれ」は、自分ないし自分の子を低く言う謙辞。
「せがれ」は「やせがれ」の略とも言う ⇒ 戦国のころ、「憔悴(やせがれ)」の「や」が落ちたもの
「せがれ」の漢字は「悴」(やつれはてた)であって、「倅」ではないが、もともと純然たる日本語なので、漢字で書く必要はない

35.    細君かならずしも細身にあらず
「細君」は2000年も前からある言葉だが、今の中国では使われていない
日本で用いられるようになったのは明治の後半以降であろう ⇒ 「妻」とは違うニュアンス、「夫人」に近いか
人の呼称はしばしば当人(新井夫人)ではなく、その関係者(新井将敬代議士:自殺を伝えるニュースで、アナウサーが夫人のことを「妻(つま)」と言っていた)に対する語り手の評価を表す

36.    「食う」の悲運
「食うや食わず」と表現するところ、「言葉は悪いが」と断っていた人がいた
「食わずぎらい」も、「食べずぎらい」に
「同じ釜の飯を食った」も「食べた」に
「食う」が悪い言葉か ⇒ 「食いしん坊」「食い倒れ」「色気より食い気」「食い物の恨み」「蓼喰ふ蟲」(谷崎)「道草を食う」「蚊に食われる」等々
いつの時代でも、ことばの変化を主導するのは女、女の言葉が変われば、やがて世の中全体の言葉が変わる ⇒ 子供は母親の言葉を聞いて育つから Mother tongueといわれる所以

37.    ぶしょうひげ
「ぶしょう」 ⇒ 戦前の辞書は「不精」。戦後「無精」。当用漢字(昭和21年制定)のせい
文字を制限しただけでなく、読みの範囲も決めた
「無」は「ブ」と読んでもいい ⇒ 無事、無礼、無難
「不」は「フ」のみを認め、それ以外は駄目と決めた
不気味⇒無気味、不器用⇒無器用、不様⇒無様、不粋⇒無粋
例外は、不祝儀、不細工、不器量
昭和48年当用漢字改定音訓表で、「不」を「ブ」と読めるようになる

38.    ゴのおはなし
「棋」と「碁」は同じこと。一つの字の別体。
「椀」と「碗」も同様

39.    テレビの「用心棒」
「きちがい」という言葉が、その意味も文脈も顧慮することなく、いっさい放逐されたが、これは戦前の検閲と同じ

40.    ホコトン博士の国会演説
ホコトンという言葉は明治後半から大正期にかけて流行ったらしい ⇒ 「矛盾」のこと
長岡出身の医学界の大立者長谷川泰(野口英世も学んだ私立医学校「済生学舎」を起こす)の議会演説で多用された
長谷川の暴言:売淫がなぜ悪い。売淫も結婚もやることは同じじゃないか。もらす場所と目的がちがうだけだ

41.    国民学校一年生
昭和164月から同223月までの間、小学校を「国民学校」といった
入学から卒業まで国民学校だった学年は1年だけ
国民学校の設置が決まったのは昭和13年 ⇒ 戦争のために作ったのではない
戦後の教育も、制度・理念とも国民学校を引き継いだもの ⇒ 国民学校令により義務教育が8年に延長された

42.    明治タレント教授
明治から大正にかけてタレント教授の第一号といわれたのが和田垣謙三(東京帝大教授、経済学) ⇒ 漫談ばかりの授業だった
かたや、昭和29年に佐藤弘人「はだか随筆」。一橋の経済地理の学者が書いたスケベな本ということで爆発的に売れたが、授業は専門の話ばかりで人気がなかった
明治と昭和戦後の学生のレベルの違いも分かる

43.    二つの「イズム」
「主義」は「イズム」の訳語だが、「イズム」が全て「主義」ではない
メカニズム(機械装置とか仕組みのこと)、カニバリズム(人食いの習俗のこと)、ナルシズム(自己陶酔)、エロティシズム(性愛、好色) ⇒ 性格、傾向、やり方等を意味する
キャピタリズムを「資本主義」と訳したのは間違い ⇒ キャピタリズムは資本を基軸とする経済の仕組みのこと

44.    「美しい国」と「腹のへった国」
米国 ⇒ 米利堅(メリケン)の最初の字をとってつけた。中国では「美国」(美利堅から)
ロシアを俄羅斯というのは、「オロシャ」といったから
ロシア人は支那人のことをキタイ(契丹)と呼んだが、キタイのほうではロシアを俄羅斯とよび、「俄国」と書いたが、「餓国」と書いた書物があったが、これでは「腹のへった国」
「俄国」はあがる音、「餓国」はさがる音。日本語の「酒」と「鮭」のようなもの

45.    なぜヨウダイなの?
隋の煬帝の話
「帝」にはテイ(漢音)とタイ(呉音)2つ音読みがある
漢音 ⇒ なら平安のころに留学生が唐の長安で習ってきた音(西北音)
呉音 ⇒ それ以前に入っていた、主として南方の音
平安時代に漢音が強制されたが、慣用句は呉音として残った。その例が仏教語 ⇒ 帝釈天
「読みくせ」の一つ ⇒ 理屈から言えばおかしいが、昔からの習慣でそう言っている
呉音のまま残ったのが孔子 ⇒ 本来はクジ(江戸時代まではそう言った)

46.    独孤将軍孤軍奮闘
煬帝が暗殺されたときにただ一人抵抗したのが独孤盛(どくこせい)将軍

47.    みどりみなぎる海原に
「船出」を「フナデ」と読む ⇒ 下に何か付いたら「フネ」が「フナ」に変わる。一種の活用
「雨」「酒」「海」「水」「手」「風」(風声のように、必ずしも一定していない)も同じ
日本語に漢字をあてると、ある程度はやむをえないが、本来の姿を見失わせがちになるのも確か
「みなと」は「水のと」だが「港」と書くと、水の出入りするところという日本語の意味は見えにくくなる
「さかな」も酒のな(おかず)だが、「肴」はまだしも「魚」では、語の意味まで変わってしまう
「さかづき」は酒を入れるつき(容器)。足のついたつきを「たかつき」といい、容器に一杯を「つき」と言うが、「盃」では元の姿が分かりにくくなるし、ついには戦後のかなづかいで「さかずき」が正しい表記をなってしまった。まるで「酒好き」だ
漢字は強い薬みたいなもので、役にも立つが副作用もきつい。日本語に害をなすことも、また少なくない

48.    KWANSAI健闘
連声(れんじょう) ⇒ カンオンのオンがノンになるように、ンが下のオにかぶさってノになる現象。観音寺を江戸ではカンノンジと発音した
戦後の新かなづかいでクヮ、グヮが征伐された ⇒ もともとは千数百年の昔、漢字と共に漢語の音が入ってきたもの ⇒ 同じ様にクヰ、グヰ、クェ、グェというのもあったが、鎌倉時代頃までには滅んだ

49.    すむと満ちるで大ちがい
東京に橋(はし)はいくつある ⇒ 千住大橋が正解。後は大抵「ばし」
日本語には、上に何か付くと濁れる所は大概濁るが、その代わり頭から濁る言葉は、もともとは一つもなかった
学校、文化、道徳等は漢字音語で、外来語といえる ⇒ 意味は強いが、品がよくない
「した」と「べろ」、「みぞ」と「どぶ」、「へど」と「ゲロ」、「バカ」「ドジ」と「アホ」、「おたふく」と「ブス」、「ドラ猫」と「のら猫」
「サマ」と「ザマ」では、価値が180度逆転する
「死にざま」に合わせていつのころからか「生きざま」と言うが、いい意味にはならない感じがする
「サマ」がつくのは目に見える様子であって、当然時間も短いし事態も単純なので、生きているように時間も長く事態も複雑な言葉に「サマ」がつくのは不自然

50.    赤穂にうつりました
「赤穂」を「あこう」と読むのはおかしい ⇒ 「あかほ」が正しいが、現代かなづかいの矛盾、いかがわしさが表れている
「ほのほ」を「炎」「焔」を書くのは、ことばの成り立ちとは関係ない ⇒ 上の「ほ」は火で、下に他の語が付くと「火影」「火郡(ほむら)」のように「ほ」となる。下の「ほ」は、上方に向けてスッと立った姿を言う語。「いなほ」「ほたか」の「ほ」で漢字をあてると「秀」か「穂」となる
現代かなづかいの原則の一つ ⇒ ワ、イ、ウ、エ、オに発音される旧かなづかいの、は、ひ、ふ、へ、ほ、は、今後わ、い、う、え、お と書く
「ほのほ」の言い方も書き方も間違いとしただけでなく、語意識もなくした上、「稲穂」は「いなほ」、「火の穂」は「ほのお」、「赤穂」は「あこう」とバラバラ
明治の日本人は、西洋の言語は優れており、日本語は劣った言語、西洋の文字は音標文字であり、音標文字を持つ言語が優れている、だから漢字をやめてかなづかいを表音方式にすれば日本も文明国の仲間入りができると考え、音標文字化を国家の方針とした
どんな言語であれ文字は表語の体系であって、だからこそ用をなすにもかかわらず、戦後のどさくさにまぎれて、音標化方針を強行した




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