お言葉ですが… 第1巻  高島俊男  07.01.


お言葉ですが 第11巻 []高島俊男
[朝日新聞掲載]20070107
 連載12年目の昨夏、終了した「週刊文春」の人気コラム「お言葉ですが」の最終連載分だ。今回が第11巻で、出版元が変わった。(文藝春秋 ⇒ 連合出版)
変動の激しい現代日本語の諸相にうんちくを傾けつつ、誤用を指摘。高名な作家や学者、記者らの心胆を寒からしめた。話題は文学や歴史にとどまらず、落語や野球にも及ぶ。
筆者は8歳で敗戦を迎えた、焼け跡闇市派。戦中と戦後の変転も体験を交えながら鮮やかに描き、好個の同時代史エッセーとなっている。第1巻からの通巻索引つき。

Wikipedia
高島 俊男(たかしま としお, 男性, 1937116- は、兵庫県相生市出身の中国文学者である。

[編集] 学歴

[編集] 来歴

東京大学経済学部を卒業後、銀行に五年勤めたが、大学に再びもどって中国文学の道に進む。
文革後(つまり同時代の)中国文学、唐詩、水滸伝などの研究がおおい。
親の看病が大きな原因となって岡山大学教員(助教授)を辞職。 以降は、在野の研究者であるが、19941997には愛知大学で非常勤講師として中国近現代文学を講義している。
週刊文春」の名物連載のエッセイ「お言葉ですが」で人気を博す(19955月初めから始まり、20068月で連載終了)。一方、李杜こと、李白杜甫を比較して論じた「李白と杜甫」なども著している。
1991に、古典の『水滸伝』を論じた『水滸伝と日本人 江戸から昭和まで』で第5大衆文学研究賞受賞。1995に、「本が好き、悪口言うのはもっと好き」で第11講談社エッセイ賞2001に、夏目漱石漢文で書いた旅行記「木屑録」を解読した『漱石の夏やすみ 房総紀行『木屑録』』で、第52読売文学賞随筆・紀行賞受賞。
2001の著書『漢字と日本人』は、もともとは日本語を習う外国人を対象とした本であった。それが日本人自体に受けて、日本語における漢字の大きな意味、むしろそれにより齎された大きな問題点を論じたとして話題になった。日本中国に近いからとは言え、日本人 わざわざ漢字を使用する事自体が不自然で、現に不都合が生じている、和語の成長は、漢語の輸入によって止まってしまい、いまだ日本語は未熟なのだ、と高島 は言う。この理論には反発する声も出た。しかし本書の核心は、こういった漢字批判ではなく、いかにその日本語にとりいれるには多分に不都合であるところの 漢字と日本人がつきあっていくか(つまり高島自身も、すでに日本語は漢字・漢語なしには生きられないのだ、と考えている)、というところにある。そのひと つに、すべからく漢語は漢字で書くべし、逆に和語はなるべくなら仮名で表記すべしという考えかたがある。このことに関連して、本居宣長新井白石の適度に漢語を使う「和文を基本とし」た文章を「実に明晰」であるとほめ、頼山陽漢文調の(つまり漢字しか使わない)日本語文を「文化植民地根性丸出し」とこきおろしている。
『本が好き、悪口言うのはもっと好き』(大和書房、第11回講談社エッセイ賞)

[編集] 著書

  • お言葉ですが……シリーズ 文藝春秋文春文庫
  • 漢字と日本人 文春新書
  • 李白と杜甫 評論社講談社学術文庫
  • 文学の自立を求めて 今日の中国文学を求めて 日中出版
  • メルヘン誕生 向田邦子をさがして いそっぷ社
  • 中国の大盗賊 天下を狙った男たち 講談社現代新書
  • 本が好き、悪口言うのはもっと好き 大和書房。文春文庫。
  • 寝言も本の話 大和書房。
  • 水滸伝の世界 大修館書店ちくま文庫
  • 声無き処に驚雷を聴く 「文化大革命」後の中国文学 日中出版。
  • 水滸伝と日本人 江戸から昭和まで 大修館書店。
  • 水滸伝人物事典 講談社
  • 本と中国と日本人と ちくま文庫。
  • 漱石の夏やすみ 房総紀行『木屑録』 朔北社

  • 「週刊文春」連載。
  • 言葉の誤用や、奇妙な新語を俎上にあげて批判。一方で、「現代にふさはしからざる」漢語偏重も、筆者は攻撃してゐる。
  • 筆者はもともと支那文學が專門。豐富な知識に基いて、亂れた日本語を斬る。
  • 但し、週刊誌連載である事もあつて全文「常用漢字」「現代仮名遣」で書かれてゐる上、妙に碎けた文體であり、しかも高島氏が「和語は假名書きすべき」論者なので、手放しでは御薦め出來ない。

第一巻 『週刊文春』95.5.4.号~96.7.4.号 1996.10.15.第一刷
1.      ミズもしたたる美女4
2.      ごらんいただけますでしょうか
「ますです」なのでおかしい。「ごらんになれますか」で十分
「です」は、もともとあまり品のいい感じを与える言葉ではない ⇒ 「面白いでした」は誤用
円谷幸吉(40年生まれ、64年東京オリンピックのマラソンで、国立競技場に2位で戻ってきたが、ゴール直前で抜かれて3位、681月自殺)の遺書 ⇒ 「父上様、母上様、3日とろろ美味しゅうございました。干し柿、もちも美味しゅうございました。。。。。幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい。気の休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。」 ⇔ これが「美味しかったです」では興醒め、「暮らしたかったです」では舌足らずの小学生の手紙になってしまう

3.      月にやるせぬわが想い
「影を慕いて」(昭和2年古賀政男が明大在学中に作詞作曲)
「遣る瀬なき」でないとおかしい
「せつない」「はかない」「つれない」「しがない」「せんない」「はしたない」「さりげない」「素っ気ない」「だらしない」「がんぜない」「かたじけない」「みっともない」「とんでもない」は皆同じように、「ぬ」にもならなければ「ございません」にもならない
どうしても外国語に訳せない日本語 ⇒ 「人の妻」と「さだめ」

4.      新聞社のいじわるばあさん
新聞社が勝手に原稿を直したり、編集したりするのを批判
「折り目正しい」 ⇒ 「折目正しい」でないと間延びしてみっともない
「紙の折り目」であれば、まだ許せる
やたらにふりがなをつけるのも、いかにも読者を見下しているようで、好ましくない
ふりがなをふるのは、2つ以上読み方がある場合 ⇒ 「こうば」と「こうじょう」

5.      大学生らイタされる
「大学生ら致される」
従来は全て「誘拐」と言っていた
刑法は「略取又は誘拐」 ⇒ 「略取」が暴力的に連れて行くほうで、「誘拐」が騙して連れて行く
「拉致」 ⇒ 無理に連れて行くことで、軍隊で発生したのではないかと推測される
古い漢籍にも現代の漢語にもないので、ごく新しい和製漢語ではないか ⇒ 辞書に説明はあるが、用例がないのは、昔の書物で使われたことがないということ
「拉」は現代漢語(支那語)では基本的な単語の一つで「ひく、ひっぱる」と言う意味。
いずれにしても「自分のところへ引っ張ってくる」という意味なので、どこかへ連れて行くことの意味に用いるのは、少しずれている
和製漢語では、他に「大名」「奉行」「吟味」「物理」「郵便」「改札」等々

6.      フリンより間男
「倫は類なり」と昔から言うように「倫」とは種類、分類、類別、同類の意味 ⇒ 訓読みは「たぐい」「ともがら」 ⇒ 「絶倫」は「抜群」と同意で、類を絶している
「不倫」は、類別のないことから、まるでなってない、むちゃくちゃだ、の意になる ⇒ 「不倫不類」と言って、中国が「社会主義市場経済」と言うのはまさにこのこと
日本では「倫理」が「道徳」と同義に用いられ、その「倫理」に反しているというところから「不倫」の意味が来たものと思われる ⇒ せいぜいここ15年の話、日本人の造語
倫理の「理」は筋目のこと ⇒ 「理髪」
したがって「倫理」とは、人間関係において、類別があり、筋目があること、親父は親父

7.      漢和辞典はヌエである
「引申義(いんしんぎ)」 ⇒ 「倫」の意義は「類」が根本で、そこから「道」と言う意義が派生してくること
人の類別、尊卑の序列を守るのが人の道というところから「倫は道なり」という訓が出てくる
だからと言って、「倫は道なり」という「引申義」は、「不倫」や「絶倫」には及ばない
なぜ「不倫」という漢語が「道ならぬ」という意義を持たないのか ⇒ 用例がないから
漢和辞典の「漢和」が英和辞典の「英和」と同じ意味なら、それは「漢語(支那語)」と日本語の辞書のはずで、漢字で書かれる日本語の辞書かといえば、日本では用いられることのない古い漢籍の語が沢山入っているという、どちらつかずの辞書
言葉には長い歴史があり奥行きがあるのに、本来の意義も、引申義も、音だけ借りたのも、無差別に並べているのが漢和辞典 ⇒ 何時の時代のどういう文献の用例かだけを見ること、用例のないのは漢語ではなく日本語
用例も一つしかないのは「弧証」といって、警戒した方がよく、複数記載されていないと万全ではない

8.      震災語の怪
「阪神高速神戸線はここで寸断されています」 ⇒ 「寸断」はバラバラになること
「運転を見合わせています」 ⇒ 「見合す」は、やってやれないことはないが、大事を取ってやめておくこと
「義援金」 ⇒ 本来は「義捐金」、「捐」は、すてる、なげうつの意、「義」も、「大義」であって「義理」ではない、明治になってから、公共という観念と共に生まれた言葉だが、戦後の漢字制限で「書きかえ」られたもの、意味がまるで違うし、「援」なら「義」は不要
「行方不明」 ⇒ どこへ行ったのか分からないことをいうのであって、家の下敷きになっていることが分かっている場合には使うべきではない

9.      はだ色は差別色?
「はだ色」をskin Colorと通訳したために混乱した日本の小学校の校長が、人種差別に繋がるとして、文具メーカーに対し、「はだいろ」の名称を変えて欲しいと怒鳴り込んだ
これを聞いてどこかの先生が、「自文化中心主義の典型例。自分達の世界を中心に物事を見て、結果的に全ての肌の色を表現しているという思い違いになる。改めていかないといけない」と言っているが、地球上どこの民族でも、自分達の世界を中心に物事を見ているものだ
人種差別は夫々の人の心の中の問題

10.  こうづけさん、お久しぶり
下野の国、上野の国 ⇒ 元は栃木・群馬両県一帯を「毛野(けの)」といったので、正式には「しもつけの」「かみつけの」であり、「毛」が除かれたのが「下野」「上野」であれば、「しもつけ」「こうづけ」であって、「こうずけ」とはならない
「毛」は、両毛線や、上毛新聞には生きている
アメリカのような科学的文化国家を作るという目標を達成してみたら、存外薄っぺらだったということが分かり、国語改革も含め、過去との決別を期した戦後の諸変革が今度は昔の人との対話を妨げる壁になってきている

11.  モロハのヤイバ
「人間至る所青山あり」(幕末「海防僧」と称せられた月性(げっしょう)の詩の一句) ⇒ どこで死んでも埋めてもらう山くらいはあるという意味で、「ニンゲンがどこで死んでも」と言う意味ではない
「人間」は、「ジンカン(漢音)」か「ニンゲン(呉音で仏教語)」どちらでもいいが、「世の中」のこと
僧月性と、西郷隆盛と相抱いて入水心中した僧月照とは、どちらも安政5年に死去。月性は42歳、月照は46歳。西郷と月照は男色関係だったと言われ、月照は死に、西郷は助かってその後維新に活躍した
男児志を立てて郷関を出づ                     男児が志を立てて郷里を出たからには
学若し成るなくんば復(また)還らず           学業成就までは決して帰らない
骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地                郷里を離れる以上は、他郷で死んで、郷里の墓地には入れないことになるかもしれない
人間至る所青山あり

12.  美智子さま雅子さま
昔の人が自分の名を自ら称する時は、主君に対して恭しくものを言う場合に限られる
名はその人自身であるから、名を呼ぶのはその人の身体に触れるのと同じことで、非常に失礼ゆえ、自分より上の者の名を呼ぶことはなく、下の者に対してのみ名を呼ぶ
兄や姉には「兄上」「姉上」があって、弟や妹にはないのは、名を呼ぶから
身体に触れるのと同じであるから、特に女の名は呼ばない、むしろ秘匿される
女の名が表に出るようになったのは、明治になって小学校ができ、実名を登録するようになってから
西洋人が、道路や船の名前にまで、国王等の名前をつけるのは、それだけ名前に対して鈍感な証拠で、余程特異

13.  日本語に二人称なし
日本語には、知らない人や年上の人を呼ぶ二人称はない、目下に対するものばかり
「貴様」も相手をののしる言葉

14.  馬から落ちて落馬して
「所在が確認されていない行方不明者」 ⇒ 所在が確認された行方不明者というのはない
「勝因につながった」 ⇒ 「勝因」は直接要因、「勝ちに繋がる」は間接的要因
「過半数をこえる」 ⇒ 「半数をこえる」か「過半数あった」のどちらか
「数百人をこえる」 ⇒ 同上
「既婚夫人で主人もいた」 ⇒ 「夫人」は夫のいる女のこと、三重の重複
「いわゆる世に言うボーア戦争で。。。」 ⇒ 長嶋ばり

15.  重いコンダラ-「巨人の星」から
歌の文句の取り違え
「浦島太郎」の4番「帰って見れば怖い蟹」 ⇒ 「こは如何に」
「埴生の宿」の「玉のよそひ、裏山路」 ⇒ 「羨むまい」

16.  お米、おけら、おもちゃ
過度に丁寧なのは滑稽だが、せめて「米」には「お」をつけて欲しい ⇒ 大量のモノとして扱う場合は別だが、我々の手に触れ口に入るところまで来たものは「お米」であって欲しい
「お」が付かないと意味をなさない言葉も沢山ある ⇒ 「おかず」「おなか」「おなら」「おやつ」「おでん」「おせち」「おこげ」「おたふく」等々、「女房ことば」という

17.  どちらがエライ、「君」と「さん」
「さん」は敬意を含む呼び方に対し、「君」は多少相手を見下げた呼び方というのが今の感覚
戦前から、文士と役者と相撲取りと野球選手は、名前を呼び捨てにしても失礼ではない
土井たか子さんが衆議院議長になって、議員を呼ぶのを「君」から「さん」に変えた ⇒ 明治23年帝国議会が開設されて、議員間では「君」付けで呼ぶことになったときには、最高の敬称であったに違いない

18.  トンちゃんも歩けば
村山首相の「戦後50年談話」に、〈「杖()るは信に如()くは莫()し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉とする〉と言っている
「記念すべき時」とは、めでたい日の意味で用いるのが普通
「杖るは信に如くは莫し」とは、『春秋左氏(さし)伝』(通称「左伝」が出典
「申します」というほど有名な言葉ではないし、あまり重みのある言葉でもない(紀元前6世紀、鄭という弱い国が2つの強国に挟まれてどちらに付いたらいいのかというときの話で、どっちかを主と決めてそのほうに操を立て通す、ということ)

19.  名前の逆転
姓名を逆転して呼ぶのは日本人のみ、明治の初めに自ら西洋人を真似してやりだしたこと

20.  立ち上げる
「地震放送を立ち上げた」「製造ラインを立ち上げた」 ⇒ 「始める」とか「動かす」の意味だろうが、自動詞と他動詞の組合せでおかしい

21.  天声人語のネーミング的研究
Vox Populi, Vox Dei(人々の声は神の声というラテン語の諺)の訳といわれているが、そうではなく、朝日新聞社しによれば、誕生お当時の主筆であった西村天因が「天の声あり人をして語らしむ」という中国古典に基づくとあったが、見たこともなければ、天に声があるという発想自体中国にはないので怪しい

22.  雨のいろいろ
時雨 ⇒ 特に初冬の頃にサァーッとくる雨
氷雨 ⇒ 夏の季語、雹(ひょう)と同じ意味で、積乱雲によるもの、霰(あられ)は冬
五月雨 ⇒ 梅雨時の雨。旧暦なので時期がずれる。「皐月晴れ」も梅雨の晴れ間のことで「五月」ではない

23.  ひとり曠野に去った人-眉をあげて曠野に去った人
「悔やむ」「悔いる」 ⇒ 出来たはずのことをしなかったのを後悔すること、相手に世話になる気もなければ「悔やむ」ことはない

24.  遺書と遺言
「のこす文書」が「遺書」で、「のこす言葉」が「遺言」だが、実際はのこす文書を「遺言」という
「遺言」は法律用語、文書であっても「遺書」とは言わず、「遺言」という

25.  相撲ことばは日本語の花
「大銀杏」「化粧回し」「明荷」甚句」「四股を踏む」「仕切る」「ぶちかます」「相四つ」「いなす」「掬い投げ」「肩すかし」等々皆いい ⇒ 昔からある言葉だからである

26.  女がしきいをまたげば
明治の女学校の名簿の名前 ⇒ 女子高等師範は皆ひらがな2文字、成女学校はその下に「子」が付き、女学館では漢字で統一されている
皆単なる音であって、文字をどう書くかは考慮外(ないし自由)だったため
女が学問の場や士官の場に出るはずもなかった時代は、名は必要でなく、長女、次女等の「称」があれば十分だった
生まれたときから今の名前があるというのは、明治以後の日本人の習慣に過ぎない

27.  「しな」学入門
「キサダ」と「キテイ」 ⇒ 「規定」と「規程」の峻別のための役所用語
「障害者」 ⇒ 本来は「障碍者」、差し障り・さまたげのある人のこと
繰り返し型で区別する例 ⇒ 「エコウギョウ」と「カネコウギョウ」
訓読み型で区別する例 ⇒ 「イチリツ」と「ワタクシリツ」
英語に応援を求める型 ⇒ 「イマジネーションのソウゾウリョク」と「クリエーション」
「化学(バケガク)」と「科学」 ⇒ 「シナ学」と読んではどうか
日本語の「しな」 ⇒ 「階段(の一段一段)」「階段状の地形・等級・区分」のこと
長野県は、階段状地形が多いところから「しなの(科野)」というので、「しな」の付く地名が多い
物理学、天文学というように分野別に区分してやるのを「科学」という

28.  年寄名は歌ことば
相撲言葉の中でも、年寄名(としよりな)は美しい日本語の総結集 ⇒ 尾車、陣幕、片男波、時津風、押尾川、三保ヶ関、佐渡ヶ嶽、伊勢ヶ浜
「蒙御免」 ⇒ 幕府の興行許可を受けたという意味で、番付中央に大書している
今の四股名は趣に乏しい

29.  ウメボシの天神さま
関西と関東の表現の違い ⇒ 「なおす(直す)」「こうた(買った)
漢語(支那語)でも同じ現象があり、「同音回避」と呼んで、弱い方が回避する
明治以後の日本語では、同音で衝突しても回避が起こらなくなった ⇒ 文字が言葉の実体であって、音は影に過ぎないと看做すようになったためというが、必ずしも統一はされていない
「さね」とは、ものの核心、精髄のことで、字は「実」「真」「核」を当てるからといって、「ウメボシの核(さね)を天神様と呼ぶのは、菅原道真にかけている」のではない

30.  人間の問題
「人間」の「間」は、「世間」の「間」と同じで、「場所」の意味で、人の住んでいる所が「人間

31.  ら抜きトカトカ
「歩」は余計な点をつけ、「突」や「涙」からは点を取ってしまった
「歳」も、本来は「歩」を含んだ文字

32.  人生七十古来稀なり ⇒ 数の数え方
和語系統 ⇒ ひとつ、ふたつ
漢語系統 ⇒ イチ、ニ、サン
一部混乱 ⇒ 二(ふた)、四(よん)、七(なな)、十(とお)
どちらでもいい場合と、必ず決まった呼び方の場合がある ⇒ 「七五三」「七転び八起き」
「七(ひち)」「布団をひく」「ひゃっくり」というのは、関西人の発音癖
古希は、杜甫の「曲江」と題する詩の一句の訓読なので、「シチジュウ」でなければならない
「四百(しひゃく)余州」であり「七生(しちしょう)報国」、「男女七(しち)歳にして。。。」「七百石」「七面鳥」「七福神」「竹林七賢」「四十七士」「娘十七八」「七味唐辛子」「七七四十九」

33.  人心と民心、どうちがう?
「人心一新」 ⇒ 元々「人心」とは一人一人の人の心で、多くの人の意向は「民心」だったものが、いつの間にか混同された

34.  みずほの国の元号考
「平成」は、1979年に陽明学者故安岡正篤(まさひろ)氏が考案したもの、1983年には死去しており、死んだ人の案は縁起が悪いので採用しない方針だったが、未練があったので、別の人に考案を委嘱、「正化」「修文」と共に候補とした
「慶應」を決めたときに「平成」が候補に挙がっている

35.  龍竜合戦
「龍」が正字(旧字)で、「竜」が略字(新字) ⇒ 1946年の「当用漢字」1850字には入っていないが、1951年の「人名用漢字別表」で92字追加された中に「龍」がある
1981年「当用漢字」にかわる「常用漢字」の制定と同時に、戸籍法の施行規則として「人名用漢字許容字体表」ができ、「当分の間用いることができる字体」として「龍()(左が許容字体、カッコ内が普通字体)がある ⇒ 人名用と称しながら、「盗」「卑」「臓」等があるのも不思議

36.  老婆ダメなら老女もダメ
「おばあちゃん」「お父さん」とか、見も知らない人に呼びかけられるのは嫌なもの
新聞・テレビに「男性」「女性」が反乱するのも、必要以上に性別を明示しようとして聞き苦しい ⇒ 「上からものが落ちてきて、道を歩いていた男性に当たった」「不審物を女性清掃員が見つけ」等、性別はニュースとは関係ないはず

37.  点鬼簿
「直木賞作家の誰それが」 ⇒ 著名人に対して特定の受賞を肩書きのようにつけるのは非礼であり、井伏鱒二には「直木賞作家」とは言わない

38.  もんじゅマンジュ
「満洲」 ⇒ 「文殊」と同じく、「曼珠(マンジュ:曼珠沙華)」という仏様の名の漢字表記で、元は民族名、その後満洲族の住む土地のことを西洋人が名付けた、日本では江戸末期まであの地域を「韃靼」といった
「満州」と書くのは間違い、なぜそうなったのかは以下の理由が考えられる
(1)        戦後略字を制定した際、「濱」⇒「浜」、「廣」⇒「広」と同様、「洲」⇒「州」との思い込み ⇒ 「洲本」「八重洲」等はちゃんと残っているところから見ても「州」と「洲」は別の字
(2)        「満洲」を徐州、杭州などと同系列の地名と思い込み
(3)        「洲」は常用漢字にも当用漢字にもないが、固有名詞は適用外 ⇒ 「潟」もない

39.  見れます出れます食べれます
「ら抜き」には違和感 ⇒ 「食べれる」は最も強い
言葉の変化・発生・消滅には、偶発的なものと趨勢的なものがある ⇒ 「オタク」は偶発的だが、「ら抜き」は趨勢的なもので、時と共に広がり、違和感が薄れ、定着する
だからといって、迎合することはない、偶発的か趨勢的かはその時では分からないので、はっきり嫌だと言うべき
国語学者に是非を聞いても意味がない
国語審議会が答申しているが、お上が差し出がましくいうのもおかしい

40.  ふりがな御無用
新聞社がやたらとフリガナをつけるのは考え物
「叱言(しつげん)」 ⇒ 文脈から「こごと」と分かるし、「しつげん」とは読めない
「田舎生活に倦()いていた」 ⇒ 「あいて」であって、「倦()む」と混同している
「和七」が「戸棚」に、「大一」が「山芋」 ⇒ 「大和(やまと)」「七夕」「一口(いも〈あ〉らい)」等の混同 ⇒ 昔の新聞社は、初めからフリガナのついた活字を用意していたので、活字を取り違えると、こういう混同が起こる

41.  昔観兵、今演習
「観兵」 ⇒ 「観」には、自分が「見る」の意味と、相手に「見せる」の意味とがあり、この場合は「見せる」ほうで、訓読では「兵を観(しめ)す」と読む。「兵」は武力
軍が国境すれすれの所まで押しかけていって、相手を脅かすのが「観兵」であり、あくまで仮想敵に対する示威行動のこと、「演習」などという生ぬるいものではない
日本で言う「観兵式」は、「兵を観()る」と読み違えた

42.  台湾いじめ
台湾の記事が出ているのに、国の名前が出てこない ⇒ 国の名前は「中華民国」
台湾「総統」は、大統領のこと、国の元首であれば、その選挙の記事に国の名前が出てこないのはおかしいし、「国民党の李登輝総統」というのも「党首」くらいにしか思っていない
中華民国とは、タテマエ上は中国全土のこと、にも拘らず台湾の人だけが参加する選挙
「北朝鮮」にしても、必ず「朝鮮民主主義人民共和国」と付記するが、昔の「西ドイツ」というたびに「ドイツ連邦共和国」と付け加えたりはしなかった
「外交部」のことも、中華人民共和国のほうは「外務省」と訳し、中華民国のほうは「外交部(外務省に相当)」とするのも、わざわざ中国に気を遣って区別している一例
通貨の単位も、どちらも「元」でありながら、台湾のほうは「台湾ドル」と区別している
日本という国は、所詮仲のいい国はできない、だから将来にわたって孤独であることを覚悟してしっかりせねばならぬと思うが、若し台湾がこの先中国と手を切って独立したら、あるいはたった一つ、日本は本当に仲のよい国を持てるかもしれない

43.  「づ」を守る会
「かわづ()掛け」 ⇒ 河津三郎という相撲取りが使った技という説と、カエルが飛び跳ねた時のような足の形になるので蛙掛けとの別説もあるン度絵、どちらを取るかによって送り仮名が異なる
「二百円づつ」 ⇒ 一つ、二つの「つ」が重なった語
東京の下町言葉では、つい30年前まで、「一人づつ」を「一人(しとり)っつ」と詰まっていっていた
一般には「つ」のつく言葉の上に他の語が重なると「づ」になる ⇒ 「金槌」「馬面」「杵柄」
戦後かなづかいで最も納得できない点の多いのが「ず」と「づ」 ⇒ 「うなづく」の「うな」は「うなじ」「うなだれる」で使うように、頭部のことで、頭部をキツツキのように前につくから「うなづく」となる、「うな」を「すく」では何のことか分からない
「額づく」「つまづく」「腕づく」「力づく」「黒尽くめ」等も、戦後のかなづかいでは全て「ず」
「つ」の上に別の語が乗って濁ったのはすべて「ず」かと思うとそうでもない ⇒ 「かたづく」「もとづく」「ちかづく」は「づ」であり、無原則

44.  「べし」はどこへ行った
「やめるべき」 ⇒ 「べき」で終わる文章は、本来疑問や反語のはず
「げに一刻も千金の、ながめを何にたとふべき」(「花」の歌詞)が正しい使い方
「やめるべし」というか、「やめるべきだ」「べきである」とすべし
「失跡」を「しっそう」と読むアナウサー ⇒ 「失踪」と混同。「踪」が使えなくなったために「失跡」という擬造熟語を捻り出した、「汚職」もその類
「世論(調査)」は「ヨロン」とは読めない、「世界」を「ヨカイ」とは言えないのと同じで、「ヨロン」は「輿論」であって、「輿」は「衆」と同義で「おおぜいの人」のこと

45.  一年三〇〇六一〇五日?
数字表記を、漢数字の原則から洋数字に変える ⇒ 『数』はアラビア数字で書き、
『語』は漢字で書く、「十」「百」「千」を使わないが「万」は例外だし、固有名詞も変えない
不定数(本来具体的な数が入るはずのところ、それが不定なので「数」「何」で代替している表現)には「十」「百」を使用 ⇒ 「数百人」
「五十メートル走」と「100点満点」の違い、「4人組の1人」と「もう一人」の違いは微妙
「十」「百」「千」は、数値と同時に、「位」をも表しているので、全て漢字に置き換えることは出来ない ⇒ 「三百六十五日」は「三一〇〇六一〇五日」とは出来ない

46.  禿頭よい分別をさすり出し(江戸川柳)
「老」は尊敬・敬愛すべき人につける言葉

47.  「忍」の一字
「忍」 ⇒ 「ひどいことを平気でする」という意味、「残忍」

48.  あの(、、)戦争の名前
「アジア太平洋戦争」 ⇒ 日本政府は「大東亜戦争」と呼び、戦後は「太平洋戦争」とも呼ばれたと、勝手に呼び名を変えている
太平洋戦争というのも、英語のPacific Warの訳と思っている人もいるが、認知された呼び名ではない。アメリカでは、戦場を太平洋と大西洋にわける意識が薄く、必要あれば、「第2次世界大戦-太平洋戦場」(WWⅡ-Pacific theatre)と使うのが通例

49.  ジッカイとジュッカイ
「十戒」「二十本」「三十分」 ⇒ 「ジッ」が正解で、「ジュッ」は東京訛り
東京訛りは、「新宿(シンジク)」「手術(シジツ)」ともいう
「十」も、下に何も付かないときや詰まらないときは「ジュー」になり、詰まる時は「ジッ」になるので、「ジュッ」という音はない ⇒ 「二十」「十人」「二十両」「十本」「二十冊」
立教大学を「リュッキョウダイガク」とは言わないでしょう

50.  「橋本龍太郎氏」はおかしいよ
「橋本氏」はいいが、「橋本龍太郎氏」はおかしい
三好達治の発言 ⇒ 「岸田國士氏」というのは、正しくは「岸田氏國士君」とでも言わなければ通用しかねる間に合わせの誤用で、氏の字を簡単に敬称として万能の如く心得ているのはそそっかしくてみっともない







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