本が好き、悪口言うのはもっと好き  高島俊男  2012.9.12.


2012.9.12. 本が好き、悪口言うのはもっと好き

著者 高島俊男

発行日           1998.3.10. 第1            単行本 1995.2. 大和書房刊
発行所           文藝春秋(文春文庫)

I           うまいものあり、重箱のスミ
1.    あくび問答
「欠身」 ⇒ 「ケンシン」と読む。「欠伸」と同じ。意味は、上体を前傾させた挨拶
「欠」は、口をあけること、伸びをすること
欠点や補欠の「欠」は、本来「缼」で、万全なものの一部がかけること
漢語を取り入れたとき、未成熟な日本語を漢語で表記しようとしたために混乱が起きた
明治の初めに西洋語の訳語として大量の漢字語を作ったが、音に関係なく意味だけで作ったので、いよいよそれがひどくなった
日本語と漢語の大きな違いは、音韻組織が、漢語は複雑、日本語は簡単ということ ⇒ 日本語の発音には漢字の裏付けがないと意味を持たない(同音異義語が多い)が、漢語の各字は固有の意味を持った音がある ⇒ 日本語で「セイコウ」といっても、漢字で表記しない限り、意味が特定しない
文字そのものや、文字と音との繋がりを変更するのは、よほど慎重でなければならない

2.    ボウゼンたるおはなし
「呆然」は、なぜ「ボウゼン」と読むのか ⇒ 元々は間違いから来た用法
小学館の『日本国語大辞典』は、初出例・使用例を調べる辞書 ⇒ 「呆然」は語釈があるだけで使用例がない
茫然、忙然、惘然(「モウゼン」とも)は例がある
「某」(はっきりしない意)を使おうとして「呆」になった
「呆」には2つの意義があり、1つは「保」と同字で「保護する」の意、もう1つは音がタイで「バカ」の意。阿呆の「呆」は、音と義を別々にとった乱暴なことば。「痴呆」も同様

3.    FREEZE!
アメリカで日本人留学生が”FREEZE!”の警告が分からずに射殺された事件 ⇒ アメリカでの銃規制を叫ぶ日本人が滑稽
言葉の問題ではなく、成り立ちの違う社会のことが分からなかったのであって、16歳の少年にそれを理解せよというのは酷な話
文化大革命の頃、モンゴルに「下放」された若い女性がモンゴル男性の誘いに乗って彼の家に行ったところ、大歓迎された後無理やり犯されたという事件があり、中国側が騒いだことがあるが、これもモンゴルにしてみれば誘いに乗ってきたのは嫁に来たことを意味する通常の風習であってみれば、モンゴルを責めることはできない
「人の誠意はどこでも通じる」と言うが、通じないところもあって、重大な結果を招くこともあるということを骨身に沁みるのでなければ、犠牲となった若者の死が無駄になる

4.    握りまして先番
囲碁番組で、まず「囲碁ファンの皆様」と呼びかけるのが気に入らない ⇒ 「ファン」とは自分はそれではなく、それをするものではないが、それが大好き、という人間のこと。囲碁の場合は大半が碁をする人。「囲碁」とも言わない、単に「碁」
「皆様から向かいまして右が誰それ」というのもおかしい。「向かって右」で十分、どうしても丁寧に言うなら、「皆様からご覧になって右が誰それ」。「です・ます」をつけないとぞんざいだと勘違いしている
「握りまして〇〇九段が先番」も、「握って誰それの先(せん)」が決まり文句
いずれもテレビの担当者が、無理やり局語を言わせているもので、不快極まる

5.    年は二八か二九からず
出版社が、社の内規(表記通則)によって人の原稿を勝手に書きかえる失礼・不愉快
(1)  数の表記の書きかえ ⇒ 「十」を排除
(2)  漢字の書きかえ ⇒ 「意気軒昂」を「意気軒高」に
(3)  かなの書きかえ ⇒ 「うなづく」を「うなずく」に
(4)  送りがなの追加 ⇒ 「生れ」を「生まれ」に
「十」の排除は、アラビア数字による数の表記を理想とするためで、1字が必ず1桁を代表している(「十」を使うと、同じ2桁でも「二十」「三十四」と不規則)から、合理的で数を厳密に扱う場合は一番だろう。縦書きの場合も同様
「百」も「千」も不要となり、除夜の鐘は「一〇八つの鐘」となろうし、「三〇〇〇世界」出し、進め1億火の玉はどうなる
逆に十返舎一九は「ジッペンシャジュウク/ジュウキュウ」と呼ぶのか
大雑把な数を記すことが出来ない ⇒ 「十数人」も「一〇数人」では1の桁まで明白に出ていてその後へ不定詞が来るのはおかしいことになる
概数を言う時には「十」「百」「千」がいるし、隣接する2つの数を並べて概数を表すのもごく普通のことで、「二三人」が「ニサンニン」と「ニジュウサンニン」と区別がつかないのは困る
2,3人」など論外 ⇒ 読点は、フレーズの切れ目を示す記号であって、「2」でいったん切れてそれから「3人」なんて、そんな言い方がるはずがない
数を並列する言い方は他にもある ⇒ 「六三制」「二八そば」
「年は二八か二九からず」 ⇒ 九九を使った表現で、「二八」は16、「二九」は18。これを「ニジュウハチ」と読まれては堪らない
言葉は日本の文化。「一〇日」は醜い。活字メディアが独自の規範を決めるのは勝手だが…

6.    まつくろけの猫が二疋
「専家」 ⇒ 学者、それも文化系に限られる。中国語の「専家」は「専門家」に近い
「すべからく」を「すべて、全部、みんな」の意味に使い始めたのは、新左翼と全共闘運動家で、アジ演説や檄文が犯人
今回のタイトルは萩原朔太郎の詩から

7.    わが私淑の師
「私淑」とは、師と仰ぐ人はこちらの存在を知らないというのが基本条件で、さらに空間を隔てている場合(師が遠隔地にいる)と時間を隔てている場合(過去の人)とがある。元々は、孟子が孔子に私淑したと言ったところからきている
当代一流の国文学者が、直接教えを受けた人を「私淑の門人」といっているので、いずれ「流れに掉さす」「気のおけない人」「可愛い子には旅をさせよ」と同様、意味用法の百八十度転換が起こっているかもしれない

8.    「コウハイ」と「ハタイロ」
「降灰」は「コウカイ」で、「灰燼に帰した」と同様
漢字には、それぞれ支那語の音がある一方、それぞれの意味がある。どこでそれぞれに日本語(やまとことば、和語)をあてたのが訓
「灰」の部首は「雁垂れ(雁はガンダレではなく隹()とその他が組み合わさったもの)」ではなく、「又(手の意)」が変形した「ナ」に「火」が付いたもので、火を手で揉み消す様を絵にしたもの
戦後、当用漢字新字体を作った時にある書家に一任したが、変人で勝手に形を変えた ⇒ 「海」(母だった)、「鯟」(鰊だった)の類で、「灰」もその被害の1
「旗色鮮明」 ⇒ 「旗色(勝敗の形勢)がいい/悪い」と「旗幟(立場のこと)鮮明」がごっちゃになったもの。「幟」の読み方が分からず「職」と同じと誤って読んだもので、部分を見て全体を誤り読むのを、「田舎読み」「百姓読み」「田吾作読み」と言った
バカにしているうちに公認されてしまったものもある ⇒ 「消耗(ショウコウ)」、「洗滌(センデキ)(元は「水をかけること」から、「浄」の字が充てられ意味まで違ってきた)
「旗色鮮明」も、「キショクセンメイ」の読みが公認され、更に漢字が取り代えられた例か

9.    国語辞典は何のためにあるか
91.11.広辞苑第四版が出たとき、劇作家の別役実が『広辞苑を読む』を書き、言葉は日々死滅していく故、削除語の量を誇って辞書を年々スマートにするほうが今日の文化全体の傾向から考えて好ましいと主張、それを小田島雄志が新聞の批評欄で、「目だけでなく脳味噌についていたウロコまで落としてくれる」とほめあげていた
今日使われている言葉は誰でも知っている、死滅した言葉こそ辞書を引いて調べるのではないか。文化も薄皮のような「現在」と部厚い「過去」に支えられている。現在の素性を知らねばならないし、素性を知るには過去に聞かねばならない。過去を復活させるのとは全然別のこと
現在刻々生まれる言葉を収録説明する点では新語辞典に及ばない。国語辞典は、過去と対話するための辞書。日々死滅する言葉を削除してはならない。辞書が削除したら何処へ聞きに行けばいいのか

II        新聞醜悪録
10. 新聞醜悪録
新聞、特にスポーツ面の言葉の乱れがひどい
Ø  「ゲキを飛ばす」 ⇒ 遠くにいる味方(味方になってくれる可能性のある勢力)に呼応をよびかける書信を発することで、目の前の選手に言うのなら「活を入れる」程度で、「激励」のゲキと混同しているのでは
Ø  「子息」 ⇒ 息子のことで、両性をいうのであれば「子女」、「子」は男の子
「子息」は他人の倅(なので、「御子息」と言う方が多い)、「息子」は自分の子供。親しい場合やぞんざいに言う場合は他人の子供も「息子」と言うこともある
倅や愚息に対応する女の子の呼称はない
Ø  「指摘」 ⇒ 概ねマイナス価値を持ったものを指す場合に用い、それ以外は「指し示す」であって、単に「言う」「述べる」を強調する用法はない
Ø  「分析する」 ⇒ 一体になっているものをバラバラにしてその成分や組織や働きの仕組みを明らかにすることで、対象は異なるが「解剖」や「分解」と動作・目的は同じ。さらに社会的事象にまで用いられるが、単なる予測的なことを言っても「分析した」と使うのはどういう発想によるものか
Ø  「巻き込まれる」 ⇒ 事件等が突如勃発し、本来それに無関係なものがまきぞえを食うことで、子供が誘拐されたのを「事件に巻き込まれる」とは言わない
Ø  「と見る」 ⇒ 「推測する」の意、可能性が強い場合に用いられるので、重傷を負っていながら「傷害事件と見て捜査を開始」とは言わない
Ø  「大見え」 ⇒ 見出しだけでも「大見得」と書いてもらわないと、びっくりする
Ø  「なんのこれきし!」 ⇒ 「これしき」のこと、記憶違いや思い込み
Ø  「隠さない」 ⇒ 社会的、倫理的に隠すのが常識であることについて敢えて露出した時に言うことであって、それ以外、「困惑を隠さない」は「困惑している」で十分
「隠せない」 ⇒ 「本人は隠そうとするが」の前提が必要、隠す意図がなければ使えない。両者とも、記者が無意味につけているだけのことが多い
Ø  「疑心暗鬼」 ⇒ 事実も根拠もないのに恐れること。現実の被害発生の恐れが迫っているときには使わない
Ø  「望まれる」 ⇒ 「細心の配慮が望まれる」 曖昧でいやな言い方。注文はつけるが、つけた責任はとらないというつもりか
全てに共通するのは不潔感

11. いやじゃありませんかまぜ書きは
「まぜ書き」 ⇒ 漢字で書ける熟語を漢字と仮名を混ぜて書くことで、訓で読む語や音訓の取り合せた語(「肩こり」)は対象外。当用漢字の制定が原因で、昔はなかった現象
当用漢字 ⇒ 官庁と教育関係では強制力を持ち、新聞が積極的かつ全面的に受け入れて対処したのが、「まぜ書」と「同音異字への書きかえ」(「交叉点」が「交差点」に、「高嶺の花」が「高根の花」に)
Ø  国民の用いる文字の範囲を制限しようという思想そのものが誤り
Ø  文字の制限=言葉の制限 と考え、平和国家で必要のない語や、もっとやさしい言葉で表すことのできる語を廃止 ⇒ 駐「屯」地、要「塞」、強「姦」、殺「戮」等。やさしい言葉については、当用漢字を遵守しようとするのであれば、その考え方ごとトータルに受け入れなければならないのに、規制だけ受け入れて、漢字は使えないからかなで書こうというのは間違い
Ø  言葉の実態は人が口で発し耳で聞く音であり、文字表記はその影である。和語はまさしくそうであって、「やま」「たかい」はその音がその語の実体だが、漢字の音による言葉(字音語)は、音そのものは意味を持たず漢字を充てて初めて意味を持つ。それは外来語だから。字音語が日本語語彙の約半分を占め、文字によりかからなければ一人立ちできないのが日本語の宿命的欠陥 ⇒ あまりにも早く外来語と外来字が入ってきてしまったから
意味を持たなくなった表記だけを残すのは無意味

12. 母なる語の子守歌
「母国語」の無神経・ナンセンス ⇒ 現在世界には3000と言われる違った言語が生きて使われており、人々の心がつながっているのは、「国家の言葉」ではなく”mother tongue”
「国の言葉」がとりもなおさずその国に住んでいる人々の母なる言葉と思い込んで疑わず、「母国語」などという語を躊躇いもなく見出しに掲げて憚らない神経こそ唾棄すべき
単に「母語」でなければならない

13. 天 夫子を以て木鐸と為す
中国の戦争体験者にインタビューした結果を編集した連載され、それに不快感を示した投書が載った ⇒ 「朝日新聞はどこまでわが民族に「負の遺産」を植え付けたら気がすむのか、自虐趣味の歴史掘り返しはもういい加減にしてもらいたい」との趣旨
その投書への反論が何通か掲載された ⇒ 記事に対する不快感を示す投書を載せるのは、「本紙は公平寛容」との姿勢をアピールするためで、意識的に過激なものを採りあげるが事実や論拠を述べたところは投稿規定によって勝手に捻じり曲げる一方、その投書への反論を多数載せることで自らの立場の強化を図るのが目的。新聞に良いように利用されるだけ
中国関連の報道には胡散臭いものが多い ⇒ 相手の仕組まれた情報公開を、何の疑いもなくそのまま載せている。重慶の五四路は193953日と4日の大空襲を記念して命名された(191954日に始まった「五四運動」を記念した命名)とか、1939年に広西壮族自治区に逃げた(自治区が出来たのは1949年以降のこと)とか、些かでも中国近代史の知識があればウソと分かるのに、言われたままを記事にしている
「木鐸」は、木の舌を持つ鈴。ひいて世の教導者の意に用いる。新聞のことを「社会の木鐸」という

III      書評十番勝負
14. 健全とは、こういうものである ⇒ 養老孟司著『カミとヒトの解剖学』
脳専門の解剖学者の、幅広いテーマを扱った書
脳、死体、大霊界、宗教と科学、時間と空間… いずれも深遠な問題ばかりを採りあげながら、面白く読ませるのは、著者の文章の力 ⇒ 北斗七星のように、点だけ示して線を分からせる。考えの健全さにも感心、ウサンクサイ所、アヤシイ所がない

15. かかりつけの書評家を持つ幸せ ⇒ 著者不明『狐の書評』
新聞の書評は、良書案内。ただし、批評家を選ぶこと。よい文章の書き手かどうか、その文章があなたの感性に合うかどうか、が選択のポイント

16. 豊饒でやたらおもしろい漫画である ⇒ みなもと太郎『風雲児たち 120巻』
漫画江戸時代史。月刊誌に連載が始まった頃のタイトルは『幕末チャンバラ伝』と頭についていたが、プロローグで関ヶ原を採りあげた後、脱線続きのまま、天保の6年間で終わったまま
よく調べてあり、文章がうまく、セリフが洗練され、何より与えられた時代を元気に、真剣に、精一杯生きた日本人たちの素晴らしい讃歌になっていることこそ、この作品の最大の身上

17. 大衆に敗れたエリートのほろにがい笑い ⇒ 奥本大三郎『虫のゐどころ』
著者は仏語・仏文学の先生で、昆虫の先生でもある。ファーブル『昆虫記』の翻訳は有名
「きれいな水と静けさと上品な言葉使い」に無上の価値をおく都会のエリートが、世を席巻したばかりか20世紀末葉にはついに恐竜のごとく大学にまで乱入してきたいわゆる漱石が「車夫馬丁」と呼んだ「鈍感な人たち」に負けて追われていく様を、ほろ苦く笑って眺めている話

18. 「イコノロジー」を素人にもわかりやすく解説 ⇒ 若桑みどり『絵画を読む』
1枚の絵を成立させている諸々の因子、つまり歴史的・社会的・文化的因子を総合的に再構成し、その作品の持つ本質的は意味を探索する研究をイコノロジー(図像解釈学)という
なにごとも先達はあらまほしきもの、ほとほと感心

19. 楽しい楽しい言葉のセンサク ⇒ 久保忠夫『35の言葉に関する7つの章』
「涙の谷」とは、「現世、苦の世界」のことだが、このように近代日本の文学作品、特に詩の中で頻繁に用いられながら、国語辞典には載っていない語について、縦横無尽に例を引きながら論じた本
「屋上屋」は間違いで「屋下屋」でないと「無用のつけたし」の意にはならない ⇒ 漱石でも間違っている

20. 動物行動学の危険性 ⇒ 長谷川真理子『オスとメス=性の不思議』
そもそも性は、繁殖のためではなく、ウィルスに対抗するために、遺伝物質を混ぜ合わせて親と少し違う子を作るのが目的だった
様々な動物の珍しく不思議な性行為を観察、自分の遺伝子を持った子を残そうとする「戦略」を描写するが、動物行動学の成果を直ちに人間に適用することの非を決然として説いている点に敬意を表する

21. 二種類の外国人 ⇒ 高橋秀美『TOKYO外国人裁判』
先進国から来た外国人と後進国から来た外国人で扱いが明らかに違う ⇒ 特に、犯罪や裁判での対応は不公平

22. 善良でのんびりした時代の旅行記 ⇒ 石川英輔『泉光院江戸旅日記』
江戸時代の山伏で住職、武家だった人の旅日記 ⇒ 1812年に西国、坂東、秩父計100か所を巡る旅を通じて、全国平和で安全、人々は善良でのんびりしているということを語りたかったのだろう

23. これこそ目利きというものだ ⇒ 向井敏『表現とは何か』
「何を」書いてあるかより、「いかに」書いてあるかが重要 ⇒ 絵画でも彫刻でも音楽でも、芸術とは元来そういうものであるに相違ない

IV       「支那」はわるいことばだろうか
ある中国文学研究者の著『郁達夫(いくたつふ:中華民国の作家)』の中に、「当時日本に留学した中国の青年は《支那人》と蔑まれた」 ⇒ 蔑称に使った人もいたし、国語辞典の中にも「卑語」の範疇に入れ「蔑称的な呼称」と書いているものさえあるが、事実とは異なる
今「中国人」と呼んでいる人たちを「支那人」と呼んだので、価値判断は含まれていないし、それよりほかに呼びようがなかった ⇒ 一般の人も学者も著述家も皆、文章に書いた
「支那」という言葉は、1500年以上も前のインドで、現在の中国の辺りを「シナスタン」(「スタン」は土地、地域の意)あるいは「シナ」と呼んでいたのが起源。その元にあるのは中国最初の統一帝国の「秦」に由来
元々中国には、自らの民族・土地・国を全体として、時代を通して呼ぶ語がない ⇒ 必要がなかった
自らを中央の高みにおいて「中国=わが国」と称してもよかった ⇒ 周囲は野蛮人のみ。東夷、西戎(せいじゅう:)、南蛮(動物全般をさす)、北狄(ほくてき:)と呼んだ
インドから宗教文化を移入する際、インドでいう「シナ」に該当する言葉が中国になかったため、音を充てて「支那」という言葉が出来て、自らを呼ぶ語として使用
日本に入ってきたのは平安時代だが、使われるようになったのは19世紀に入って洋学が盛んになった時
1930年 中華民国政府が日本政府に対し、「中華民国」という国号を称することを求め、「支那」を使用した公式文書の受け取りを拒否 ⇒ 日本国内で、侮蔑を込めて「支那」ということが多かったことに反発したもので、日本政府もそれに沿って閣議決定したが、国内においては依然「支那」を使ったのは、その後の「支那事変」の命名によっても明らか
戦後、改めて中華民国政府から申し入れがあり、外務省も歴史的・地理的・学術的叙述を除き「支那」を使用しないよう通達を発出
津田左右吉博士のみは、政府の対応を批判 ⇒ 「固有名詞のかながき」を主張、「中国」は江戸時代に一部卑屈な儒者が用いた呼称であり、政府の対応は節操がない
中国人は、一部知識人を除き「支那」なる言葉を知らない ⇒ イギリス人も、日本がそう呼んでいることを知らないし、中国の辞書にも載っているが、「我が国に対する蔑称である」などの記述はない
戦前の日本では、日本人が支那のことを「中国」と称するのは卑屈だというのが大方の感覚だった ⇒ 外国人が日本の歴史を書いても『皇国の歴史』とは言わないのと同様なので、「中国という語にChina以外の何のニュアンスも感じない」という中国研究者がいたら、よほど鈍感。つまり、「中国」というのは。自尊称でもあり、自卑他尊称でもある
ある女性ライターの著に、「解放後の中国では男女平等が実現し、女性が結婚しても姓を変えないことになっている」とあるが、きっと誰かに「中国では女性が結婚しても姓が変わらない」と教えられて書いたのだろうが、支那では数千年も前から女が家を出るとその父性を以て称せられるのが習慣で、男女平等とは無関係だし、この時の「中国」はChinaのことなのに、中華人民共和国のことだと思い込んでしまったのであろう
狂瀾を既倒にかえす(反す/廻らす)ことはできないので、「支那」に戻せと言っているのではないが、民族的・文化的なことを表現する場合は「支那」が便利 ⇒ 「中国思想」というと、チベットの仏教思想まで含むことになる。強権的に「支那」の使用を禁止するのは困る
悪いのは戦前の少なからぬ日本人の「心持」ないし態度であって、それを言葉の問題にすり替えているのがいけない
更に、英米の悪口を言っても蔑視だとか差別とは言わないのに、対中国となると金切声をあげて言い募る人がいるのはなぜか ⇒ 自らの中国に対する優越意識の現れではないか

V         ネアカ李白とネクラ杜甫――高校生諸君に
中国文学史上の双璧
李白44歳、杜甫33歳の時、両者旅の途上で会い、意気投合して1年半ほど行動を共にした
杜甫は、13代前に優れた政治家・軍人を祖先に持つ名門の出だが、父は地方役人で貧しく杜甫も浪人の身、李白は素性が知れず、皇室と同じ名前を付けて地位の高い人や金のありそうな人をたかって歩いていた
両者の最も対照的なところは、本領とする詩の分野と性格にある ⇒ 李白は古詩と七絶に長じ、杜甫は律詩・排律に秀でる。逆に李白の律詩は凡庸、杜甫の絶句が見るに足りない。2人の得意の範囲を合わせるとちょうど中国の詩の全分野をカバーする

VI       なごやかなる修羅場
「歌仙」は、俳諧の主要な一形式。2人以上の者が一座し、まず1(通常は客人)が五七五の一句(「発句」:明治以降の「俳句」はこの発句を独立させたもの)を作る。次の人(通常は亭主)が七七をつける(「脇」)。次々に五七五(「第三」)と七七をつけ、36句で完結
一座に加わるものを連衆(レンジュ/レンジュウ)と言い、一座を取り捌く指導者を宗匠と言い、記録する紙を「懐紙」と呼ぶ
芭蕉一門の作品集のうち、主要な7種を集めたのが『俳諧七部集』 ⇒ 『冬の日』『春の日』『曠野(あらの)』『ひさご』『猿美濃』『炭俵』『続猿蓑』
一座を形成する人の関係次第では、和気藹々と見えながら、陰ではお互いに自らの知識を鼻にかけ、馬鹿に仕合、けな仕合等陰険な争いが激しく行われる
和漢の著名な文学作品や故事を裏に蔵して作った句を「俤(おもかげ)」の句というが、一座の人々がその作品や故事を知っていることを当然の前提とし、決して「この句は何々を俤にした」などと説明しない
全国には相当数の愛好家がいて、実際に歌仙が行われているようだが、内容的には新聞ダネや芸能ゴシップの類が多く、11句の基本が出来ていないのが多いのは残念

VII     湖辺漫筆
24. 知らず何れの処かこれ他郷
25. よい子はあいさつ忘れない
転居通知の「遊びに来て」は儀礼だとすると、本当に来てほしい時はどう書けばいいのか
「うらやましい」という表現も、若干の優越感が含まれる ⇒ 中国でも同じことがあって、高級官僚が地方に赴任して地元の寺を訪れた際に、俗務を離れて仏道に入りたいというようなことを詩にするケースがよく見られ、それを読んだ日本の若い研究者が、「(誰それ)の仏教志向について」というような題の論文を書き、その中で「若い頃から仏教に心を寄せ、出家遁世の志を抱いていたことが分かる。その後もいく度となく赴任地の寺を訪ねて同様の詩を作っている」などと決めつけているが、もっと広く遍く本を読まないといけないと感じた

26. 巨人の星を倒すまで
プロ野球解説者の言葉使いに辟易させられ、その解説者が現役に復帰したときには快哉を叫ぶ ⇒ 長嶋がその典型、ましてや巨人の監督になれば最下位もあり得る
「巨人軍は永久に(永遠にではない)不滅です」

27. 税務署よいとこ一度はおいで
「印税」を、税務署から税金をもらえるものと思っていた人がいる

28. かすみのころもすそはぬれけり
昔の特殊なことは分かりやすく、ありふれたことが分かりにくい ⇒ 記録が少ない
庶民が平生どんなパンツをはいていた
トイレのこともよくわからない
京都錦小路は、元々人々が好んでその用に供する道で「糞の小路」と呼んでいたのを、天皇が聞き苦しいとして「錦の小路」に改めさせたという話がある

29. つかまったのが何より証拠
改札口の窓を壊して鉄道公安官につかまって絞られた話 ⇒ すべて自分がやったような調書を取られて、自ら罪を認めないと解放されない

30. おれはひとりの修羅なのだ


VIII  回や其の楽(たのしみ)を改めず
国宝級の3人 ⇒ 幸田露伴、三宅雪嶺、狩野
狩野吉の一代記
表題は、顔回が貧乏暮らしを気にせず、むしろそれを楽しんでいるのを孔子が褒めた言葉
著者が、自らの生活・生き方の理想を狩野吉に見たということか

駄文縁起――ぜったい長すぎるあとがき
本書はこれまで書き溜めたものの中から、編集者が選び出してくれたもの

文庫版のためのあとがき
本のタイトルをどうするか悩んでいた時、ふと口を突いて出た言葉を編集者が面白がってつけた ⇒ 直後に阪神大震災発生、続いてサリン事件と世の中騒然としていた中での発行となったが、幸いにも買ってくださる方があって、講談社エッセイ賞までいただいた



狩野 亨吉(こうきち;1865917慶応元年7281942昭和17年)1222)は、日本の教育者。大正から昭和にかけての市井の高士、陋巷の碩学
第一高等学校の校長、京都帝国大学文科大学初代学長を勤める。また、江戸時代の特異な思想家安藤昌益の発見、竹内文書の批判、春画の蒐集でも知られる。
略歴・人物 [編集]
小学校入学迄 [編集]
§  1865(慶応元年) 久保田藩(大館支藩)(現秋田県大館市)の藩士で代々学者の狩野家に生まれた。父、狩野良知。
§  1868(明治元年) 戊辰戦争の秋田戦争で、父狩野良知が勤める大館城は落城。狩野亨吉は姉に背負われて命からがら津軽藩に避難する。
§  1874(明治7年) 父が上京(内務省へ)
§  1876(明治9年) 母と共に上京。番町小学校入学
学歴 [編集]
§  1878(明治11年) 同小学校卒業、東京府第一中学(現在の都立日比谷高校、明治15年第1回卒業生)変則科(すべて英語の授業)に入学。のち、教育令改正のため、第一中学から新制 大学予備門(のちの一高)に繰上げ入学。
§  1884(明治17年) 大学予備門卒業、東京大学(後の帝国大学東京帝国大学)理学部入学
§  1888(明治21年) 帝国大学理科大学数学科を卒業
§  1889(明治22年) 帝国大学文科大学哲学科2年へ編入
§  1891(明治24年) 同哲学科卒業。在学中、英文科在学中の夏目漱石と親しくなる。同大学院入学。
§  1892(明治25年) 同大学院修了
§  1907(明治40年) 文学博士(帝国大学教授任期1年を満たしたため)
職歴 [編集]
§  1892(明治25年) 金沢第四高等中学校教授
§  1894(明治27年) 同退職
§  1896(明治29年) 漱石の招きで熊本第五高等学校に赴任。
§  1898(明治31年) 同校退職、第一高等学校赴任、同校校長(34歳の若さ)任期は1906(明治39年)迄。後任の校長(1906(明治39年)-1913(大正2年))は、新渡戸稲造
§  1906(明治39年) 京都帝国大学文科大学初代学長(現在の文学部長に相当)。
§  1907(明治40年) 同大学辞職、退官。(学歴のない内藤、幸田を教授にする先述の人事などでの文部省との軋轢や健康の悪化などから神経衰弱を理由)東京に戻る。
人物 [編集]
東京府第一中学同級に親友の澤柳政太郎松崎蔵之助岡田良平上田萬年幸田露伴尾崎紅葉がいた。2年下に夏目金之助
夏目漱石が英国留学後、一高講師になったのは狩野の推薦による。また、理科から文科哲学へと若かりし日の狩野と類似の軌跡を辿った田邊元なども教え子。名校長の誉れが高く、一高の校風はこの時期に確立したといわれている。内藤虎次郎(湖南)幸田茂行(露伴)ら正規の学歴がない(帝国大学の卒業生ではなかった)民間学者を京大に招き、波紋を呼んだ。英文科に夏目金之助(漱石)を招くことも強く望んでいたが、漱石は拒絶し朝日新聞社に入社した。ただ、その後も交友関係は続き、漱石の葬儀にあたり友人代表として弔辞を読んでいる。
京都帝国大学退官以後、学校関係の定職にはつかなかった。大正12年(1923東京市小石川区大塚坂下町の長屋に「書画鑑定並びに著述業」の看板を掲げ、書画や刀剣の鑑定などで生計を立てた。浮世絵春画の蒐集家としても有名で、改造社社長の山本実彦からは「春画蒐集にかけては日本一」と折り紙をつけられた。また、浮世絵研究家の金子孚水は「浮世絵の秘画の収集は世界最大のもの」と評している。自ら絵筆を執って描いたあぶな絵も数百枚に及ぶ。これらの自筆の絵に合わせる形で、ノート30冊のポルノ小説を遺したことも知られている。
狩野の学識を惜しむ沢柳政太郎(京大総長に転出)から後任の東北帝国大学総長に推されたこともあるが拒絶。山縣有朋浜尾新(前年まで東京帝大の総長)の意向で、皇太子裕仁親王(のちの昭和天皇)の教育掛に推されたこともあるが、「自分は危険思想の持ち主である」として拒否した(安藤昌益の思想に共鳴しており、将来の共産主義実現を予測、そのため内心では天皇制に反対していたらしい)。
一高在任中の明治32年(1899)江戸時代の思想家安藤昌益の著書『自然真営道』を見出し、昭和3年(1928)『岩波講座 世界思潮』第三冊誌上に「安藤昌益」を発表し紹介。また、天津教古文書のいわゆる竹内文書について文献批判を行い、昭和11年(19366月、岩波書店『思想』誌上で「天津教古文書の批判」を発表し偽書であることを証明した。なお、昭和17年(1942)天津教の裁判に検察の証人として言語学者橋本進吉とともに出廷している。
明治45年(1912)から大正2年(1913)にかけて、約4万冊の貴重な蔵書をたった3万円で東北帝国大学に売却。この蔵書は、同大学図書館に狩野文庫として所蔵されている(東北大の独自の蔵書が14千冊だった)。東北大は狩野に分割で支払い、狩野はそれでまた本を買い、東北大に寄贈、それが累計で10万冊に上った。また、東京大学駒場図書館にも、狩野文庫として亨吉の日記・来翰が所蔵されている[2]
生涯独身で、童貞だったとする説もある。退官後発表したのは僅かに3篇。生前には一冊の著書も刊行しなかった。多磨霊園に葬られている。


1
流れに掉さす
誤った理解:物事の流れに逆らうこと・大勢に反発すること。
誤った使い方:あなたの発言は流れに掉さすので良くない。
正しい意味:ある傾向に乗って,その事柄の勢いを増すような行為をすること。
正しい使い方:あなたの流れに掉さす発言で会議が早く終わった。
2
気が置けない
誤った理解:相手に対して気を使うこと。
誤った使い方:あの人は気が置けないのであまり付き合いたくない。
正しい意味:相手に対して気配りや遠慮をしなくてよいこと。
正しい使い方:気が置けない相手といるときは楽しい。
3
役不足
誤った理解:本人の役目に対して力量が軽すぎること。
誤った使い方:自分には役不足ですが、頑張ります。
正しい意味:本人の力量に対して役目が軽すぎること。
正しい使い方:君には役不足だが、頑張ってもらいたい。
4
閑話休題
誤った理解:本題から離れた話をすること。
誤った使い方:会議中に閑話休題だがそろそろ休憩にしよう。
正しい意味:横道にそれた話を本筋に戻す,という意味の語。
正しい使い方:そろそろ閑話休題にして会議を進めよう。
5
確信犯
誤った理解:悪いことであると分かっていながらなされる行為。
誤った使い方:あいつの遅刻は確信犯だよ。
正しい意味:信念に基づいて正しいと信じてなされる行為。
正しい使い方:みんなの前で不正を正す発言をするのは確信犯だ。
6
耳障り
誤った理解:聞いていて心地よいこと。
誤った使い方:疲れているときは耳障りの良い曲を聴きたい。
正しい意味:聞いていて気にさわること。
正しい使い方:騒がしい音は耳障りだ。
7
奇特
誤った理解:他と違って珍しいこと。
誤った使い方:変わった事ばかりして奇特な人だ。
正しい意味:他と違って優れて感心なこと。
正しい使い方:人が嫌がることを引き受けるとは奇特な人だ。
8
情けは人のためならず
誤った理解:情けをかけることはその人のためにならない。
誤った使い方:あまり同情するのは情けは人のためならずだよ。
正しい意味:情けをかけておけば、巡り巡って自分によい報いがある。
正しい使い方:情けは人のためならずだから相談に乗ってあげなさい。
9
一姫二太郎
誤った理解:一人の娘と二人の息子がいること。
誤った使い方:少子化の時代に一姫二太郎で3人の子供なんてうらやましい。
正しい意味:子供の順序が最初の子が女の子、次の子が男の子であること。
正しい使い方:一姫二太郎だと子育てが楽だ。
10
さわり
誤った理解:曲や物語の一部分。
誤った使い方:さわりだけと言われたのでイントロから一小節だけ歌った。
正しい意味:曲や物語の中心となる部分、聞かせどころ。
正しい使い方:さわりだけと言われたのでさびの部分を歌った。
11
著作権違反
一見、何が間違いなのか判らない人もいるのではないですか?
著作権は著作権法によって権利として守られているものですから「著作権侵害」であり「著作権法違反」なのです。
12
風の噂
これも間違った使い方をされている言葉です。
正しくは「風の便り」で「便り」という言葉に「噂」という意味があります。
13
汚名挽回
これも時々聞くことがある言葉ですが、正しくは「汚名返上」であり「名誉挽回」なのです。
冷静に考えてみれば判るのですが不名誉な評判を受けたことを元に戻すことですから「汚名返上」です。
汚名挽回と言うと汚名を取り戻すことという意味になってしまい、不名誉な評判を自ら取り込もうとすることと思われます。
名誉挽回であれば名誉を取り戻すことなので、その必要があれば名誉挽回に努力しましょう。
14
的を得る
的確に要点をとらえることをを表す言葉で元々弓道から出た言葉と言われているので正しくは「的を射る」なのです。
会社などでも「彼の発言は的を得ている」などと普通に使われている場合が多いようですが間違った日本語といえるでしょう。
15
みぞれまじりの雨
そもそも「みぞれ」が雪と雨が混ざった状態を言いますから「みぞれまじりの雨」という言い方は「頭が頭痛」とか「白い白馬」と言っているのと同じになってしまいます。
16
とんでもございませんはとんでもない
元々「とんでもない」で一つの言葉なので、どうしても丁寧に言いたいのであれば「とんでもないことでございます」と言うのが正しい言い方です。
「とんでもない」とは全く思いがけないとか常識では考えられないことを表す言葉で、それが転じて相手の言うことを強く否定する言葉として使われるようになったのです。
17
偽善者ぶる
偽善者=本心からではない、うわべだけの善行をする人のこと。
○○
ぶる=○○に似た振る舞いをすること。
この二つをつなげた偽善者ぶるという言い方をすると、元々あまり好ましくない偽善者の真似をするということになってしまいます。
18
五月晴れは6月、小春日和は秋
旧暦の5月頃は今で言えば梅雨時の頃なので、梅雨の合間の晴れた日を「五月晴れ」と言います。
同様に「小春日和」は晩秋から初冬の頃に春先のような暖かな日を表すこと。
間違ってもゴールデンウィーク頃の良い天気の日を「五月晴れ」とか「小春日和」などと言わないようにしましょうね!
19
11日は元旦ではない
元旦とは元日の朝を意味する言葉で、11日を正しく表現するのは元日となります。
年賀状に「元旦」と書くのは元日の朝に届くことを想定して書くのですが、明らかに「元旦」に届かないことが判っているのに「元旦」と書いて年賀状を送るのは間違いと言えます。
20
ご持参下さいって誰に言う言葉?
「持参する」という言葉は「持って参上する」という意味の謙譲語です。
したがって相手に対して「ご持参下さい」というのは間違いで「持参下さい」となります。

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