お言葉ですが 第6巻 イチレツランパン破裂して  高島俊男  2007.11.25.


2007.11.25.  お言葉ですが 第6巻 イチレツランパン破裂して

発行日          2005.7.10. 第1
発行所          文藝春秋(文春文庫)


初出 『週刊文春』00.7.27.号~01.9.20.号         単行本 2002.6.15.第一刷

1.      昔大学怠慢教授
昔の先生のほうが、まともに授業をしなかったから、かえって学生がやっている授業はまじめに聞いていた
まじめにやったほうが失敗で、ずぼらにやったところのほうがかえって上手くいっている

2.      数学の出来ない大学生
理学部2年生のクラスで、誰一人「相加平均が相乗平均より大」であることを知らなかった

3.      野口英世
星新一の父で、大製薬会社の社長だった星一氏から、留学資金の援助を受けていたが、星氏が刑事被告人だったため、その関係は伝記では伏せられている
貧乏人といわれているが、呆れ返った浪費家で、金銭に関しては性格破綻者といっていい

4.      この魚変だ
魚は左横向き、川魚は右横向き ⇒ 「海背山腹」。カレイだけは頭が右
まな板に乗るまでは「ウオ」、まな板以後は「サカナ」と呼ぶが、東京、東北、北海道ではその区別をしていない ⇒ それ以外の地方では「サカナ釣り」ではなく「ウオ釣り」が正しい

5.      杏仁豆腐
「アンニン」か「キョウニン」か
「杏」はキョウで、アンズのこと。「仁」は種の中身。ただし、杏仁豆腐は杏仁で作った豆腐というわけではない
「アン」は唐音なので、読み方の違い、どちらも正しい

6.      踊り字の話
「々」を何と読むか ⇒ 印刷屋は「ノマ」と読んだが、同じ語を繰り返す意味で便宜的に使われているだけで、それ自体の読み方というのはない
同様の記号を総称して「踊り字」という

7.      「ナイター」誕生
和製英語
1933.7. 戸塚の早稲田大安部球場に照明設備ができ、10月に早稲田の新人と2軍がやった試合が本邦初の夜間試合
戦後は、1948.6.14.横浜公園に作られたゲーリッグ球場で行われた立大と慶大の試合が初
米国では、first-nighterは、必ず初日を見に行く人で、all nighterは終夜働く人のこと
日本で初めて「ナイター」が使われたのは、1950.6.30.号の「週刊ベースボール」
米国でも、日本からの逆輸入の形で、1962年になって使われるようになった

8.      オリンピックの思い出
「学歴」は最後に卒業した学校のこと、「学校歴」は小学校以来の具体的な経過のことで別物

9.      柿山伏
姫路市の町名。真言山伏が住んで多くの柿が植えられたことから来た地名
東京でも、昔から人が住んだところは、「谷」がつく

10.  おーい、ねえちゃん
新しい服を初めて着るのを「袖に手を通す」というが、省略して「袖を通す」がまかり通っている。不完全な物言いであることには変わりはない

11.  我が祖父
瀬戸大橋の途中、香川県に入ったところにある「塩飽(しわく)諸島」(現在は丸亀市に編入) ⇒ 江戸時代優秀な水夫を輩出。咸臨丸がアメリカに行ったときに乗り組んだ水夫50人のうち35人までが塩飽出身

12.  ゆーたやんけ
関西ことばの行き止まりが兵庫県相生赤穂で、峠を越えた岡山県はがらりと別の言葉になる

13.  駆逐水雷
東日本では「水雷艦長」、名古屋以西では「駆逐水雷」 ⇒ 国民学校の遊び
三すくみの原理は、じゃんけんも含め、日本人の発明

14.  イチレツランパン破裂して
戦前のお手玉で歌う歌の歌詞で、歌いだしがこうなっていて、その後が日露戦争の模様を歌い、11以降は数え歌で、最後は「ノーチョ」
「ランパン」は「談判」だろうが、「イチレツ」は「一列」か「一裂」か?

15.  はかってくれた背のたけ
表記と発音は違う ⇒ 「セイノタケ」と表記するが、読むときは「セエノタケ」が正解
関西では、一音の名詞はたいがいみなのびる ⇒ 「めえがいたい(目が痛い)

16.  平手造酒の墓
天保水滸伝に出てくる剣客、大利根川原の決闘で死んだ。銚子の近くに墓がある

17.  木くずと木屑
漱石の紀行文「木屑(ぼくせつ)録」(8990年に書いた漢文紀行)
竹頭(ちくとう)木屑(ぼくせつ)」 ⇒ 東晋の名将陶侃(とうがん)の故事による成語で、おがくずのこと、無用のものだが、とっておけば役に立つことがあるかも知れぬ、の意。

18.  白髪三千丈
漢詩を作る際の基本的規則があって、それに基づけは「白髪」の次にくる言葉は「三千」しかなく、その次も「丈」となる

19.  船坂山や杉坂と
備前池田藩の庶民学校が閑谷(しずたに)学校、江戸時代初めに建てられた講堂は国宝
太平記の児島高徳が迷った船坂峠や杉坂のすぐ近く

20.  桜の幹の十字の詩
1332年隠岐に流された後醍醐天皇を奪い返そうと船坂峠に天皇一行を追った児島高徳が、天皇のご在所の桜の幹に「天莫空勾践 時非無范蠡(天勾践を空しうすること莫れ、時に范蠡の無きにしも非ず)」と刻み、天皇を励ましたとの故事
天皇が見ず知らずの武士の言葉に勇気づけられるはずはないし、歴史的に検証しても実在の人物ではない

21.  女はあおむけ男はうつぶせ?
検死人の手引書を読んで面白かった ⇒ 女の溺死体は仰向けに浮き、男はうつ伏せとあるが、真偽のほどは?

22.  勉強べやの名前
勉強部屋に名前を付ける ⇒ 「室号」とか「室名」といい、しばしば自称の代わりや、他の人からの呼び名にもなる
佐藤一斎     愛日楼    11日を惜しんで勉強する意
曲亭馬琴     著作堂    その名のとおり
森鷗外        観潮楼    団子坂上の2階書斎から品川の海が見えた
                千朶山房(せんださんぼう)         駒込千駄木に居た時
夏目漱石     漱石山房  早稲田南町の自宅
芥川龍之介   澄江堂(ちょうこうどう)           澄江に惚れたのかとからかわれた
永井荷風     断腸亭/偏奇館    「館」は西洋風
高島俊男     (ルヰ:病弱の意)鶴山房

23.  「全集」は全集か
国語辞典も昭和30年ごろまでは、「全集」とはすべての作品を集めたもの、としていた
著者自身が全集に入れる作品を選んでいるとあって呆れた

24.  お送りいただきますよう
雪印の中毒事件以来、消費者に食品の返送を依頼する文言が新聞に載る
「いただく」はこちらの行為で、それに「お願い」がつくはずがない
「いただく」の表現の氾濫は、テレビでの乱用が原因

25.  奇怪な朝日文字
拡張新字体の中で、朝日新聞が作った字を特に「朝日文字」というらしい
当用漢字の新字体では、條件、北條を、全て条件、北条とした
一方、固有名詞に限っては、篠原等を、当用漢字に載っていない表外字として認めた
朝日では、「篠」は竹冠に「條」だから、「条」に竹冠を付けた字をこしらえた
「籠」を「篭」としたり、「鷗」を「鴎」に直したが、他方、「國」が「国」になったからといって「或」が「玉」に代わらない(「迷惑」)し、「賣」を「売」にしたからといって「賣買」を「売冗」としたり、「買い物」を「冗い物」とはしない ⇒ 当用漢字自体が無原則にもかかわらず、「省略の原則」と受け取って、同じ部分を含む他の文字に適用しようというのだから、乱暴極まるもの
00年に国語審議会が表外の1022字について、印刷字体を示したのは、政府の建前からいえば使われていないはずの字を認めたことになるとともに、漢字制限政策の破綻を事実上認めたことに他ならない

26.  表外字の字体
表外字を認めて正字としても、当用漢字との統一がとれるわけではないので、かえって混乱を助長する
(「桧」は廃止)、藪(「薮」は廃止)、籠(「篭」は廃止)
澤、釋、驛は、当用漢字では旁を「尺」としているが、銅鐸や演繹までには及ぼさない
「甫」を旁にする漢字は多いが、当用漢字の中だけでも、捕、補、舗などそのまま「甫」を残す漢字と、敷、博、薄等「甫」の下を閉じた別の形にしてしまい、同族であることを類推しにくい
轉、傳を転、伝にしながら、團は団にした上に、共通の專は専にするというチグハグ

27.  手書き字と印刷字
印刷標準字体 ⇒ 「鴎」か「鷗」かという話は印刷だけの話、書く時は全く別の話
原稿を書く場合は、印刷屋が勝手に字を充てるので、きっちり書いておく必要があるだけのことで、所詮両者は性質が異なる
昔の人は、文字の一部に代用品を使った ⇒ 「區」「氣」の代わりに「区」「気」と書くようなものだし、「佛」「廣」に「ム」を使って簡略化したのは、簡略化しても読み間違いはなかったし印刷するにしても他に字がなかったので心配いらなかったが、当用漢字字体はこの代用品マークを大幅に印刷字に取り入れたために、お互いの字の関係が分からなくなった
印刷字を手書き字にあわせることを極端にやったのが、中国の簡体字
画数が少ないほど易しくて分かり易いという考え方は誤り

28.  李陵搏戦
「搏」は、「甫」を含む字の仲間で、いずれも「広がり」や「密着接近」の意味を持つ
「搏兵戦」という言葉はなく、「搏戦」か「白兵戦」(『お言葉ですが』5巻所収)の誤り
戦前の作家の原稿を見て、当用漢字の字体を書いていると言った人がいるが、まったく的外れの指摘であり、原稿というものは、書いた通りの字を作れということではなく、あくまでそれに該当する正字を充てろと指図する設計図なのである

29.  「xx一揆」
新聞禁止用語の怪 ⇒ 「百姓」が使えないとして「xx」と書いて、断り書きを入れている
読んでいて、真面目に歴史や社会を語るものに、「禁止用語」などはないはず

30.  「あがり」と「くずれ」
(特攻)くずれ」 ⇒ 以前は立派な経歴だったが、今は堕落してどうしようもない者の意、とあるが、「医者くずれ」とはあまり言わない。元々の身分に対して世人の評価がそう高くない場合で、堕落した後も、以前の好ましくない態度や雰囲気を残しているニュアンス
(芸者)あがり」 ⇒ 元々の身分はそう高くはないが、今はずっと高い身分にある場合で、成り上がりとは違う。また別に、中途でこの道に入ったので根っからのたたき上げと違って板についていないという意味もあり、その場合身分の上下という感じはない(先生上がりだから商売がうまくない)

31.  「べきどめ」再説
「休みを取るべきと思いたち」「するべきと唱え」 ⇒ 助動詞の連体形を持ち出すまでもなく感覚的におかしい表現のはずだが、既にそういう感覚が失われた
戦後の文語脈表現の禁止により公用文では、連体形の「べき」はいいが、連用形の「べく」と、終止形の「べし」の使用が禁止されたため、新聞もそれに従った
文を連体形で止めるのは好ましくないという点からは、「すべき。」との表現は不可
「べし」が使えないからといって「べきだ」に直しては、意味も違ってきてしまう
「名を明かすべし」は、同義を問うている
「名を明かすべきだ」は、性急にその行為を要求する口吻

32.  天が落ちて来やしないか
「来や」は「こ」か「き」か ⇒ まだ落ちて来ないということから考えると未然の語幹標準形は「こ」となるが、連用形の「き」と見るのが正解
「くる」という言葉は、「くる」「こない」「きた」と頭から変化するので、地方によって違いが大きい ⇒ 京都では「きいへん」、大阪では「けえへん」、神戸より西では「こおへん」と言い、東京でも隅田川から東は「こない」を「きない」と言う人が多い
江戸言葉で「逢やあしなかったか」は、「逢いはしなかったか」が崩れたもので、「あい」は連用形である ⇒ 表題の表示もこれと同じ

33.  赤鷲の謎
《加藤隼戦闘隊》の歌詞に「胸に描きし赤鷲の」とあるのに対し、「荒鷲」ではとの指摘があるが、「描く」の後は「赤鷲」でいい
歌詞への疑問として、隊の名称「加藤」や、隊のシンボルとして尾翼に描かれた「矢印」が出てこないと思っていたら、元々中隊歌としてあったもの
加藤隼戦闘部隊の実際の記録を見ても、隊員の胸に「赤鷲」のマークは見当たらない

34.  「赤鷲」判明
「赤鷲」は、戦闘機の「胸」、操縦席の下にあった
「隼」という名の戦闘機は168月にできたものだが、元々戦闘機の通称として使われている
口伝えで広まった歌なので、歌詞は人によってさまざま

35.  ヨクにかがやく
今のカラオケで「翼にかがやく」の処にわざわざ「つばさ」とルビがふってあったが「よく」が正しい ⇒ 「よく」は、飛行機のはねそのもの

36.  ロード・オブ・ブレナム
加藤中佐はベンガル湾上に英軍爆撃機Blenheimを追って被弾、戦死 ⇒ 名前の由来はチャーチルの聖地・居城であり、「ブレナム」と発音
チャーチルの先祖が、1704年スペイン継承戦争でドナウ河畔のブレンハイムでフランス軍に大勝利したのを記念して建てたのがブレナム宮

37.  ブレナム後話
チャーチルの祖父は、Duke of Marlborough (貴族の最高位、Marlboroughは地名)で、その地位はチャーチルの父の長兄が継いでいるので、チャーチルは貴族ではない
Lordは、英国のBaron(最下位の貴族、一代限りが多い)の姓につける尊称。外国のBaronは「バロンだれそれ」と呼ぶ
チャーチルは貴族になることを拒否(貴族は下院議員になれない)Knightの地位に留まる。Knightは、Sirの後に姓名または名をつけて呼ばれる(姓だけのことはない)

38.  植うる剣
《荒城の月》の2番にある「植うる剣」とは、どのような情景を歌ったものか
「植う」はワ行の動詞、植ゑず、植ゑたり…と活用するので、「植うる」で間違いないが、情景については諸説あり
「荒城」のモデルは、土井晩翠が詩を構想したとされる仙台青葉城、会津若松鶴ヶ城、当時、リンゴ狩りに訪れた際に立ち寄った岩手県二戸市九戸城址、そして瀧廉太郎が曲を構想したとされる大分県竹田市岡城址、同じく富山県富山市富山城西側にそれぞれ歌碑が設置されている

39.  「植うる剣」再論
上杉謙信が能登七尾城を攻めたときに詠んだ七絶『九月十三夜』の前聯「霜滿軍營秋氣淸、數行過雁月三更」からとったもの
戦国時代に城攻めの合戦の際に、誰もが承認するような、「植うる剣」と言い得る習俗ないし状況は無かった。無いからいろんな人が想像して好きなことを言っている

40.  むめの大罪
新井白石の自伝『折焚く柴の記』に、1711年六代将軍の侍講だった時のこと、夫を実の父と兄に殺された妻が、人倫に関わる重大問題として将軍の判断を仰ぐべく幕議に付された ⇒ 支那の典籍に基づき、夫は代えることが出来るが、父は唯一の存在なので、夫殺しの父の罪を明かした妻に対して極刑を持って臨むべしとした上申に対し、将軍から見解を求められた白石が、親友の室鳩巣とも相談して、「父は子の天。夫は妻の天。女が絶対に服従しなければならぬ対象は常に1つであり、結婚した女にとってそれは夫しかない」「代えることが出来るというのであれば、主君と父の場合はどうなるのか」
女は、父と兄の菩提を弔うという条件で助命、鎌倉の松ヶ丘東慶寺(いわゆる「駆込寺」)に女の記録があったが、関東大震災で焼失

41.  ぼろぼろ
徒然草に登場する「ぼろぼろ」はアウトサイダー(無頼漢)の意
仇を探してやってきた人の前で自ら名乗り出て殺される潔さに、兼好が感銘を受けた

42.  任俠ものがたり
2字の漢語の構造
同じ品詞の語が並んだもの=並列構造 ⇒ 似た意味の語が重なったもの(幸福、邪悪)と、一対の語を並べたもの(男女、天地)がある
上の語が下の語を修飾・限定するもの=修飾構造 ⇒ 白馬、美女
上が動詞で下が目的語(賓語)=動賓構造 ⇒ 用心、入学
任俠はどれに属するのか ⇒ 古くは並列構造だが、その後動賓構造に変化したようだ

43.  不戦と恒久平和を誓った
海軍記念日に行われた指宿航空隊慰霊祭の新聞記事の表現に不快感
「いつ」が書いてない ⇒ 527日を言いたくないのだろう
主催者が慰霊祭と言っているのに、追悼式に変えている
戦友のことを、旧海軍出身者としているのも嫌な言いよう
何より不快なのは、「不戦と恒久平和を誓った」で、参列者の祈りとは違う軽薄な言葉 ⇒ 人類が地球上にいる限り戦いはなくならない、「誓い」とはその人の意志の力で達成可能な範囲のこと
平和ボケの新聞記者には呆れるばかり
戦いと生存とは不可分であり、戦うことを忘れた種族は滅ぶ。いざとなれば武器を取って立ち上がれる人々が生き残る、それがれ歴史の示すところ

44.  ケッタクソの問題
01.8.15. 小泉総理は靖国参拝に当たって、対中国を意識して、「国を思って戦争に行かざるを得なかった人への敬意を込め、総理として参拝する」としたが、あまりにも迎合的
靖国問題は今や、「何処までよその国に膝を屈しなくてはならぬのか」という、日本人のケッタクソ(ディグニティ)の問題
戦後教育の影響が政界トップにまで浸透し、彼等はいつでも「近隣諸国」の側に立つ可能性があるということがハッキリした

45.  正しい歴史認識
靖国問題で、「堪忍袋にも限界」とあったが、よく読むと中国の「堪忍袋」だったのには驚いた ⇒ 中国が何を我慢したというのか
「正しい歴史認識」というのもよくわからない ⇒ 中国や韓国が言い立てている表現をそのまま載せる新聞も新聞だ。日本にも戦前は存在した

46.  鳶魚の『夜明け前』批判
三田村鳶魚(えんぎょ)が、大正から昭和初期の代表的な時代小説をこきおろしている
『夜明け前』はばかばかしい小説 ⇒ 江戸時代末期の木曾山中の人々の言うこと考えることが、まるっきり現代人。言葉も観念も近代のものにすり替えられている
藤村の歴史認識を罵倒 ⇒ 「和宮が将軍の御台所に選ばれて」は「お願いした」のであり、そもそも「和宮」と呼び捨てはけしからん、「どんな美しい方だらう」などというやんごとなき人の容姿容貌を云々することも畏れ多い、「行列を迎える」というのも怪しからん言葉で「拝観に出る」ということだろう
「歴史認識」とは、現在のイデオロギーで過去を裁断し統御しようという考え方
鳶魚の批判(昭和113)もあって、後の改版ではかなり表現が変えられている





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