お言葉ですが。。。。 第8巻-百年のことば  高島俊男  2008.5.26.


2008.5.26. お言葉ですが。。。。 第8-百年のことば

「週間文春」2002.7.2003.7.掲載分
題の「百年のことば」は、雑誌掲載時の「百年百詞」をもじったもの
1.       ピン助とキシャゴ
漱石の『吾輩は猫である』の同僚教師の名前
自分をモデルに書いた苦沙彌先生が、苛められたのがこの両名、仕返しを小説でやったもの

2.       大統領夫人の靴とわが本と
フィリピンのイメルダ夫人が失脚して外国に逃亡したあとに靴が2千足も残されていたというが、振り返ってみると自分の本のほうがよほどひどいのではないか
靴は一度は足を通しているだろうが、自分の本は一度も読んでいないものが多いし、覚えていないから同じ本を何度も買う

3.       バカが増殖しつつある?
日本人は昔から何かに付けて「バカ」という
向田邦子が、「バカ」が放送禁止用語になったら、私はテレビドラマをやめると憤慨したのは20年辺り前のこと、その頃から圧力がかかり始めていたようだ
大学生の80%は大学に来てはいけないバカども。 高校の課程を満足に履修できる人は30%、大学にいたってはせいぜい10%。無駄だと思うのは、少しでも硬い本を自ら進んで1冊も読む積りもなく大学に入学してくる人々。この人たちの大半は、自分がそれに値する能力もないのに、高校や大学や大学院に行くことを不思議と思っていない典型的なバカ。日本の大学生の大半は知への憧れも恐れも皆無で、自分が物を知らないことを恥じる気配がまるでないのみならず、エゴだけは肥大しているから、意見は一応えらそうに言う
ゆとり教育によって「バカ化」に拍車がかかり、さらにインターネットと携帯の普及に原因の一端がある
現在の「大衆社会」が、それまでのものと異なるのは、以前は「バカが大学に入っている」程度で済んでいたものが、「バカが意見を言うようになった」点である

4.       瞼の母
昭和初期の大衆作家長谷川伸は、幼いころ別れた生みの母を「瞼の母」という股旅物の芝居を書いて忍んだ結果、47年目の再会を果す
母は富裕な生糸商人と再婚し、その長男が哲学者の三谷隆正
夫の先妻との間の娘が女子学院長の三谷民子(伸の異父母姉ということになる)

5.       桜田門外雪の朝
明治天皇の崩御 ⇒ 明治45730日午前142分。42分から大正という
大正天皇の崩御 ⇒ 大正151225日午前124分。24分から昭和
昭和天皇の崩御 ⇒ 昭和6417日午前633分。その日のうちは前の年号(または元号とも)、翌日から新年号ということに改めた
年号が変わることを「改元」という ⇒ 通常「某ゝ年をもって某(新しい年号)元年とする」というように改元の詔に記載されるので、新年号宣布以前に遡って新年号が適用される ⇒ 慶應4年という年はなくなり、すべて明治元年と称すべき ⇒ 改元の日から新年号(どちらでもいい)
旧暦適用の間は、単純に西暦を併記するのはよろしくない(月日が同じとならないので不正確)

6.       ムトウハップは生きていた
六一〇(ムトウ)ハップ』という昭和の初めにあった入浴剤 ⇒ 湯に入れると白黄緑色に懸濁し温泉臭が立ち込める ⇒ 硫黄そのもの、皮膚のただれがたちどころに治る

7.       われら神州清潔の民
「健康増進法」ができて、日本国民全員に義務が課せられた ⇒ 大半の人の集まる場所を管理するものは、受動喫煙を防止するために必要な措置を講ずる義務がある
昨今の言葉狩りで、「浮浪者」を差別用語として撤回させられるというのも、日本人の「清潔趣味」とどこかで関係しているのかもしれない

8.       百年のことば
中国書に『百年百詞』というのがあった ⇒ 1900年代の毎年の流行語を列挙
1900年は「脚踏車」 ⇒ 自転車。日本はもう少し前にはやり、1897年に清国に輸出したとある
1901年「彩票」(宝くじ)1902年「文明求婚」(進歩的求婚)1903年「清官」(清廉な役人)1904年「幼稚園」(今では「幼児園」というが、当時は日本を真似ていた)1912年「理髪」(辮髪廃止)

9.       ワンワンキャンキャン
雑誌に載せる新聞批評に、犬の鳴き声に腹を立てて無言電話をかけ続けたり嫌がらせをした男が逮捕・送検されたという記事について、迷惑したほうが逮捕されるとは世の中アベコベだと文句をつけたら、原稿が没になったという話
新聞社というのは、自紙の記事を自紙上で外部の者に批判されることには、極度に敏感なところがある

10.    愁ひつゝ丘にのぼれば花いばら
蕪村の句。
動詞の連用形(あとに「ます」がつく形)がそのまま名詞となる便利な機能 ⇒ 「読み」「続き」
日本語に漢字を当てたために語の素性がわからなくなる ⇒ 「散る」と「塵」
順番の「次」も、「着物に継をあてる」の「継」も、「家の後嗣(あとつぎ)」の「嗣」も、みな動詞の「つぐ」の連用形だから1つの言葉
日本語の動詞の活用別使用割合は、終止形で用いられるのが1割、連用形が6割を占める
「・・・・を憂て」も本来は「憂える」で、「憂いる」という言い方はない ⇒ 「憂い」という名詞(それ自体も間違いから出来たもの)からの連想ではないかと思われるが、名詞が動詞の連用形になることはない
表題の蕪村の句も、正しくは「愁へつゝ」。「憂」も「愁」も同じこと

11.    アリャーターンシタア
音ではなくことばを聞け ⇒ ことばは音だが、実際に耳にするのはのびたりちぢんだりするので、音だけ正確に聞きとっても何のことかわからない場合が多い

12.    大学の略称むかしと今
ラジオ ⇒ 戦争中は英語が禁止されていたが、「ラジオ」はずっとそのまま
ラジオでは略語・略称を用いない ⇒ 「空母」ではなく「航空母艦」、「京大」ではなく「京都帝国大学」
「京大」のことを昔の東京人は「ケーダイ」と言った(京阪神) ⇒ 漢音が「けい」、呉音が「きやう」(キョー)
戦前の大学の略称は、漢字で書いたものを(オン)で言った ⇒ 早大、名大
戦後は訓で略すようになった ⇒ いば大(茨城大学)、とり大(鳥取大学)
これは、戦後の国語改革で漢字の数が制限され、さらに音訓が厳しく制限されたため、字は知っていても(オン)は知らない ⇒ 鹿児島大学を「ろく」、熊本大学も「ゆう」とは読めない
あらゆる略称の中でもっとも聞き苦しいのは「お茶大」
高等師範があったのは東京と広島のみ

13.    きら星のような御経歴
「きら星」という星はない ⇒ 「綺羅、星のごとし」の誤り。「綺」も「羅」も上等の絹織物
「綺羅を飾る」とも言う ⇒ 華美な衣服、または、それを着た上流階級の人(普通は女)
「綺羅」と「星」が結びついたのは日本でのこと ⇒ 最古は謡曲「鉢木」(16世紀半ばの作)

14.    女碁打ちと探偵作家
明治から昭和にかけての女碁打ち喜多(きた)文子(ふみこ)は、謡曲5流派の1つの家元の奥さんだった
その伝記を書いたのが親しい間柄だった探偵作家の夢野久作(喜多流謡曲の教授)

15.    「おはようございます」と「こんにちは」
芸能人がいつ会っても「おはようございます」というのは、躾の厳しい業界ゆえに、挨拶のことばで丁寧な「ございます」を付けられるのは「おはよう」しかなかったから?

16.    正露丸式
「正露丸」も元は「征露丸」で、「露」西亜を「征」服するから意味をなすので、「正露丸」では何の意味もない ⇒ 「代用漢字」(同じ音の漢字を充てる)
「代用漢字」は国語表記の不良債権 ⇒ 新聞・マスコミで特有の表内字(「常用漢字表」に入っている字)による書き換えをやめようとするもの
1956年文部省の「同音漢字による書きかえ」という文書が契機で341語が並ぶ ⇒ 「交叉⇒交差」、「頽廃⇒退廃」
1969年に新聞用語懇談会が独自の代用漢字数百語を追加 ⇒ 「貫禄⇒貫録」、「風光明媚⇒風光明美」、「敬虔⇒敬謙」、「飄然⇒漂然」、「掩護⇒援護」(「掩」は「おおう」で、「援」は「ひく」)
代用漢字は国語辞書にも載っているというが、新聞にそう書いてあるから載っているだけのこと
「白堊紀⇒白亜紀」(150千万年前) ⇒ 「白堊」とは「白い土」のことで、「白亜」は無意味

17.    稲垣先生の合併字のあつかい
「余」(われ)ではなく「餘」(あまり、そのほか)、「芸」(香りの良い草のこと、発音はウン)ではなく「藝」(わざ、発音はゲイ)、「弁」ではなく「辨」か「辯」、「予」ではなく「豫」、「台」ではなく「臺」 ⇒ すべて戦後略字で、2つ以上の字をあわせて1つにしたもの
一方の意味がほとんど使われなくなったので、他の字に吸収させるのはまだ許せるが、過去に出た文献についても、機械的に戦後略字に書き改めるのは許せない

18.    文徴明(明代の書画家)か文征明か ⇒ 17.の続き
日本人が、先人ののこした文化遺産を尊重し、正しく受け継いでいくかどうかの問題
かつての日本人がのこしたものすべてを価値なきものとみなして、白紙状態から未来に向って新しい文化をつくっていこうとした時期に、政府主導で無謀な施策が行われた
中国でも、共産党が同じ様に「簡体字」(簡化字とも)を作ったが、古典までも書き改めるという愚は犯さなかった
戦前の作品を戦後かなづかいにすべて改めておいて、「多少のふりがなを加えた」といって出版するのは人を欺くようなペテン(講談社文芸文庫への批判)

19.    あとみよそわか
日本で生まれ育って31歳で母国に戻った中国人による2つの母国の生活体験を書いた本に、〈「葉隠」に見られるように、自殺は武士道である〉とあるが、
「葉隠」:武士道といふは、死ぬ事と見付けたり。22つの場にて、早く死ぬかたに片付くばかりなり。別に仔細なし。胸すわって進むなり(右すべきか左すべきか、いずれかを選ばなければならない場合は、あれこれ考慮することなく、どちらが早く死ぬことになりそうかをのみ考えてそちらを選べということで、そのほうが決然として潔いという意味で、いつでも死ぬほうへかたづく心構えができていれば、生涯大過なく勤めを果たしおおせるだろうという教え)
「あとみよそわか」(幸田文に同名の作あり)は、立つ時はあとを見よという呪文だが、「葉隠」にも出ている

20.    劉宗周(明が滅んだ次の年、絶食で死んだ大学者)の絶食 19.の続き
中国の「自殺」は、恨みは決して忘れてはいけないが、自殺もいけないことになっている、とあるのみ ⇒ 文章になっていないし、自殺をいいことだという国はない
自殺で多いのは自縊(じい)(首吊り)、一番難しいのは絶食で苦しい

21.    天下分け目のホウチン合戦
8世紀初めの「和同開珎」の読み方は、「カイホウ」より「カイチン」が優勢だが、当時の発音はわからない
「珎」は、「寶」でもあり「珍」の異字体でもあって、どちらも「貴重なもの」の意

22.    証拠インメツ
「隠滅」の「隠」は「かくす」で「滅」は「ほろぼす」と、別種の行為を1つのことばにしているのはおかしい ⇒ 本来は「湮滅」で、この世からなくしてしまうこと
「いん」という字音語が意味を持たず、文字を充てて初めて意味が発生するので、音が同じだからといって別な字を充てたのでは意味が変わるのは当然 ⇒ 「要因」を、同じ「いん」だからといって「要員」にしたのでは意味が変わってしまう
1954年の国語審議会の決定を元に、国会が決定して内閣法制局が通知した「法令用語改善の実施要領」の中に62語を列挙して、日常語に改めることとなった中の1つが「湮滅」

23.    中山道笠取峠
中山道は国道142号、下諏訪から和田峠を越えた次が笠取峠

24.    本島の大火
本島(ほんじま)(岡山と香川の間にある塩飽諸島の1)

25.    僭称―パクリ地名
「市町村名変遷辞典」の戦後の地名政策への批判 ⇒ 戦後の合併による新市町村名をつける際、地名として意義をなさない願望的名称や抽象名の氾濫は目を覆う当用漢字の「まえがき」には「固有名詞については別に考える」とあるにもかかわらず、国語審議会固有名詞部会が無定見に市町村名に当用漢字を使うよう要請したのが原因。平成の大合併でも同じことを繰り返している ⇒ 「僭称」(その名に値しないものがその名を名乗ること)の発生
部分でしかないところが全体を名乗る ⇒ 一部の町村が合併して「備前市」と名乗る

26.    関西はどこまでや
関西と近畿はどちらが広い? 人によって印象が大分違う
京阪神地方(東京の「関東」に対すつ言葉)
京都・大阪を中心とする西日本の総称。特に近畿地方

27.    土佐日記なはのとまり
高知県の奈半利(なはり)(室戸岬に行く途中)に「土佐日記那波泊」の石碑がある
「なは」は「かくれる」の意で、外海から河口にちょっと入った風波を避けるところの意。各地にある

28.    森の都江戸
江戸には、大名屋敷に附随する庭園だけでも千を数え、そのうち後楽園、六義園クラスが300あったという

29.    尻のつむじ・・・・・?
「魯魚の誤り」「章草の誤り」「焉馬の誤り」 ⇒ 似た字を間違えること
姑のつむじは尻になって知れ ⇒ 「尻」が「尼」の間違いで、髪をおろして初めてつむじが曲がっているので意地が悪かったのだということが納得できたという意味
最近では同音の間違い(変換ミス) ⇒ 「ある(実存する)言葉」になるので傑作

30.    川上さんの引退の弁
「強い体に生んでくれた両親に感謝しています」 ⇒ 自負、謙遜、信念がこめられている
両親の恩が一番という信念と同時に、生まれながらにして素質があったという野球選手観
現代日本の教育の崩壊を招いた5つの固定観念 ⇒ これを捨てることと、義務教育を4年にする
     みんな潜在的には平等な能力を持っている
     勉強は苦痛だが我慢して勉強すればそのうち役に立つ
     正しい教育方法を実施すれば生徒の能力が伸び、個性が開発される
     学校教育は長期であるほど有益である
     学校に通学し卒業すれば能力や教育が身についている
人はもって生まれたものが一人一人みな違う、という川上さんの信念とも相異
根本の問題は民主主義、単に西洋人の真似をしているだけ ⇒ 西洋人の場合は軍隊からきているが、これは単純なことを仕込むときに有効であって、せいぜい10歳までのこと

31.    名監督たち
昭和30年代の半ばまでは、男としてなりたいもののbest 3は聯合艦隊司令長官、オーケストラの指揮者、プロ野球の監督
プロ野球の監督には、家柄も金も学歴も関係ない。正真正銘の力量あるのみ、だから大臣よりも尊敬された
昭和11年生まれ(同年次)に名監督が多い ⇒ 上田、森(西武)、古葉、村山
1年上が、仰木、野村、杉浦、長嶋
子供の頃にちゃんと勉強させられたかどうかは、あまり関係ない

32.    六甲おろしに颯爽と
球団創立と同じ昭和11年の作。作詞佐藤惣之助、作曲古関裕而
佐藤惣之助はもともとは詩人、昭和6年ごろから歌謡曲を始め、「赤城の子守唄」「人生劇場」「湖畔の宿」等の名作
「颯爽」ということばが「溌溂」と同様流行った ⇒ 元々は杜甫が作った
双声(そうせい)」 ⇒ ものごとの様子や動きを言うことばで頭の子音(声母(せいぼ)」という)が同じ語 ⇒ 颯爽のほかにも忸怩、怜悧、恍惚、躊躇等
(じょう)(いん)」 ⇒ 字音の後半(韻母(いんぼ)」という)が揃った語 ⇒ 溌溂の他にも、爛漫、混沌、氾濫、拙劣、訣別等

33.    帝国ホテルの一夜
帝国ホテルで開かれた依田名人の就位式に招かれた時の話
碁の3大タイトルは、棋聖(読売)、名人(朝日)、本因坊(毎日) ← 賞金額の順

34.    六目勝ってもまだ負けだ
コミ碁 ⇒ ハンディつきの勝負。黒番が絶対有利なので、1939年の本因坊戦から公式戦でも始まる ⇒ 五目半が約50年続いたが、まだ黒の勝率が51.855%というので、最近六目半になった
「残業手当コミで」という「こみ」で、自動詞(電車が「混む」などの「こむ」)の連用形の名詞化
碁の家元 ⇒ 本因坊、安井、井上、林 ⇒ 幕府から扶持をもらって藝を磨いた

35.    ははァの三年忌
碁の対戦のときに言う「呟き言葉」 ⇒ 無意識に出る出来合いの合いの手
「ははぁ」に対して、「ははぁの三年忌」
「そうか」と呟くと、「草加越ヶ谷千住の先」
「いよいよ来たか」とくれば「来たか長さん待ってたホイ」

36.    活字と整版
言葉は知っていても、それが指すものは案外知らない場合も多い ⇒ 「活字」もその1
「活字」とは、字を1つだけ彫ったハンコみたいなもの
昔の本は紙の片面だけ字を印刷して、それを2つ折にしたものを重ねてとじる ⇒ その一枚を「1(よう)」という
1葉に使う活字を集めて、1葉文の大きさの箱に原稿通り順に並べて、がたがた動かないようにしっかり固めてから、活字の面に墨を塗って紙を押し付ければ、最初の1葉ができる ⇒ 活字本
1葉全体を1枚の板に丸ごと彫る方式 ⇒ 整版本:1葉全体の文を薄い紙に書き(版下(はんした))、それを裏返して板(版木(はんぎ))に貼り、字を残してそれ以外の部分を彫り取る(版木を彫る専門家が「彫師(ほりし))
商売としては、後になってもすぐに刷れる整版のほうが向いていた
「整」は丸ごとの意。「版」と「板」は同じ
朝鮮は銅活字で、日本も輸入して学ぼうとしたが、木工技術に切り替えた
整版印刷に用いる板を「版」というところから、本を出すことを「出版」という
板に字を彫ることを「刊」もしくは「刻」という

37.    覆刻はかぶせぼり
活字本の刊本とは ⇒ 古い活字本のとじをはずして、11枚裏返しにして版木に貼り付け、その通りに彫ると、元の活字本そっくりの刊本ができる ⇒ 「覆刻」という
「覆」は「かぶせる」 ⇒ 「覆刻」は「かぶせぼり」とも言う
原本のままなので価値がある ⇒ 「かぶせぼり」はもうないが、覆刻という言葉はある
現代かなづかいに改めたり、句読点をふったりしたものは、覆刻とは言わない

38.    ムマヤシテチウ???
英語や数学の教科書、流行歌の楽譜は、早くから左書き、本自体も左開き
昭和176月の国語審議会の答申 ⇒ 横書きは左からに統一(実際には反対論が多く、実施には至らなかったが、新聞で大きく報道されたため、決まったように受け止めた人が多かった)
戦時中に国語改革論が華やかだったのは、南方占領地に日本語を広めて、ゆくゆくはアジア全体の共通語にしようという陸軍と、従来からの文部省や国語審議会の国語簡易化の思惑とが一致したから
苟も1国の国語の書き方についてかくも無軌道の国がどこにあるか ⇒ 恐るべき文化混乱
「幼稚園を卒業」 ⇒ 正しくは「卒園」だが、「幼稚園」が先に来ると「卒園」はおかしい
「小学校に入学」はまだいいが、「大学に入学」「講談社に入社」は、文法的には正しいが、あきらかな重複であり、妥当な表現ではない

39.    からたちの花が咲いたよ
「唱歌」 ⇒ 文部省制定の「尋常小学唱歌」
「童謡」 ⇒ 大正中期から昭和初期にかけて、北原白秋らが文部省唱歌を批判して作成し、運動によって普及させた子供の歌
唱歌
童謡
文部省制定(選定)
民間の詩人・音楽家の作
個別の作者なし(戦後調査して判明したものもある)
個別の作者がはっきりしている
歌詞はおおむね文語(低学年には口語もある)
歌詞は口語
子供を教育する手段
子供を讃美した藝術
「兎追ひし」、「霞ふかし」、「しのばるる」
歌詞の取り違えの笑い話を聞くのは文語ゆえで、頭のいい子ほどわからない部分がひどく気になったもの
両者を混同している話が多い ⇒ 「天声人語」ですら、日本童謡の会が「故郷」を童謡としている事すら気がつかずに紹介していたのには呆れた。童謡の会もいい加減な団体

40.    赤い靴はいてた女の子
唱歌は子供に日本の言葉を教え、また日本の自然美や人倫を教えるもの
子供は、人になる途中段階の未熟なものであるに過ぎない、という見かたに立っている
これに対し、子供を。大人に対して独立した、そのままで価値を持つ存在として考えたのが「子供の発見」であり、それを対象とした特別な文学がなければならないとなって明治半ばには児童文学が生まれ、大正になって生まれた童謡も、児童文学の1分野
代表的な作詞家は北原白秋、野口雨情、西條八十、曲は山田耕筰、中山晋平、本居長世
大人が、子供こそ一番美しい、と思って作る、もう子供には戻れない、そこで童謡を作って子供の世界を美しくせつなく描き出すのが童謡 ⇒ 登場する子供は、必ずしも幸福に輝いているわけではなく、影を帯びているほうが多い

41.    妖しい若武者
講談社の「少年倶樂部」の挿絵、口絵、附録絵等に、奇妙にセクシーなのが多い
「日本少年」に比べて売れ行きがよくなかった

42.    少年の理想主義
大正以後の少年雑誌は、教育者の目にも、教養ある父母の目にも、極めて俗悪と見えるものであったが、子供達には人気があった
子供達をロマンチックな心情のまま、いきなり「国家」へ引っ張り出す役割を果たし、それが時代の空気に合致していたゆえに少年達に迎えられ、また世に迎えられた。しかしまたそれはそれで、随分危ういことでもあったのだった

43.    同期の桜
「南国土佐を後にして」は、元々軍歌
「同期の桜」も、元歌は西條八十の「二輪の櫻-戦友の唄」 ⇒ 「君と僕とは二輪の桜」で始まる ⇒ 兵学校生徒が歌詞の一部を変えて歌ったもの
同時に西條八十作で、「二輪の櫻」少女版もある(赤十字篤志看護婦で大陸に行く2人の少女が主題)

44.    嗚呼玉杯に花うけて
一高 明治353月第12回記念祭の東寮寮歌。作詞矢野勘治、作曲楠正一
歌詞の前3行は「栄華の巷」にかかる長い修飾語
本郷の高台にあった一高の5つの寮のうち最も古い東と西寮は3階建て、根津に向って東側の斜面に高く聳えて見えた
根津には遊郭(明治21年には洲崎に移転)があり、「栄華の巷」とは根津遊郭のこと

45.    「玉杯」補遺
46.    春のうららの隅田川
歌の場合には、語中語尾のガギグゲゴは、鼻濁音で歌ったほうがきれいに聞こえる ⇒ 語頭や数字の五、外来語は濁音。固い強い言葉も濁音(銃後や進撃等)

47.    左のポッケにゃチュウインガム
鼻濁音の中心は東京で、東京方言を母語とする人は「美しい」と評価する
際立ってガ行音がきれいなのが幼き美空ひばり ⇒ すべての音がせつないほどきれい

48.    「あなた」と「わたし」
日本の昔の歌には一人称や二人称は出てこなかったが、最近の歌には特定の個人を歌っているものがあって奇異に感じる ⇒ 普遍を歌うものから個別を歌うものへと移りつつあるということか
「父よあなたは強かった」(昭和13) ⇒佐々木信綱に言わせると、「日本語ではない」
日本語には(親に対する)二人称はない ⇒ 二人称なしでも不自由なく会話できる
「あなた」は、見下した感じがするし、実際に人から面と向かっていわれた場合、多くの人が決して快くは感じない言葉なのだ
呼称というのは、社会一般の感覚なり習慣なりに従うほかないし、また従うべきであるし、ほとんどの人は天然自然に従っているように思う

49.    キューキュータルブーブー
明治のことの唱歌にあった言葉だが、いまだに何のことだかわからないと中川一政画伯が言っている ⇒ 「(きう)(きう)たる武夫(ぶふ)(詩経にある言葉で、「勇猛な戦士」の意)
全国地名保存連盟 ⇒ 東京の地名は昭和30年代から40年代にかけて壊滅的な打撃を蒙ったが、新宿区の東半分のみが被害を免れた ⇒ 守ったのが当時在住の6人の赳赳武夫(武婦も)
赳赳武夫は諏訪中学(現清陵高校)校歌にも使われ、諏訪神社の祭神(建御名方)を指すといわれる ⇒ 校歌は明治36年に作られ、日本一長い校歌として知られる

50.    黄なる帽子は師団兵
赳赳武夫の出てくる唱歌が判明したが、その中に出てくる言葉がまた難解 ⇒ 近衛兵の軍帽の鉢巻部分が赤、師団・鎮台兵は黄色



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