落語のこと少し  矢野誠一  2010.2.5.


2010.2.5. 落語のこと少し
 
著者 矢野誠一 1935年東京生まれ。演劇・演藝評論家、エッセイスト。日本文藝家協会会員。歌舞伎学会会員。菊田一夫演劇賞および読売演劇大賞選考委員
 
発行日            2009.12.10. 第1刷発行
発行所            岩波書店
 
古今亭志ん生や八代目桂文樂の落語を聴いて、おのが青春を燃焼させ、この人たちから人生を教わってきたーーーー著者にとって、「落語は青春の藝」。昭和の落語黄金時代への想いは深く、名人上手を見つめる目は優しさにみちています。
本書には、今までに雑誌、新聞に掲載された、落語をめぐるエッセイを選び抜き収録。多彩な切り口の落語論、小さん代々・志ん生親子など名人の想い出、知られざる芸人の逸話に加え、三越落語会プログラムの連載も収めました。
どの一編も、洒脱で温かな味わいが魅力。落語エッセイ集の真打登場です!
 
落語は、同じ舞台芸術である芝居から、これまで多くのことを学んできた。作品・演出・興行のシステムにとどまらず、評論のようないわばその外郭にあるものにまで及んでいる。
落語評論が面白い読み物足り得ない理由としては、一部の愛好家だけを対象にしている書き手の姿勢が問題。これは一方で、落語評論の多くが、これも一部の演劇評論なかんずく歌舞伎のそれの模倣、あるいは亜流であることを持ってよしとしてきたことでもある。
歌舞伎には、いみじくも「家の芸」といった言葉があるように、一家一族を主体とした世襲的な芸の伝承方法がとられている。これはこの国最古の演劇たる能楽によってもいるのだが、一家一族による伝承過程には、どうしても他人にはうかがい知ることのできない、秘伝めいたものが付きまとうのを避けるわけにはいかない。600年近い昔に書かれた芸術論『風姿花伝』が、その末尾を「秘伝々々」と結んでいる姿勢から、日本の芸の多くは逃れることができなかった。
歌舞伎とはまったく違った立場から出発し成立したはずの話芸である落語が、歌舞伎から多くを学び、作品面での交流を持つようになったのは、江戸末期から明治にかけてのことだろう。本来家元制度とも世襲とも無縁で、むしろそうした制約からはきわめて自由に羽ばたいているはずの落語が、評論、批評活動といった、この世界にあっては外郭に位置する部分にまで、歌舞伎の影響をかなり色濃く受けてきた事実が興味深い。
夏目漱石をして、滅多に出ない天才と言わしめたのが三代目柳家小さんだったが、晩年はアルツハイマーに襲われてなお、高座に上がった姿は、支離滅裂な高座を繰り返すばかりで、昔を知る人にとっては痛々しいものがあったようだ。その小さんの功績のひとつに、上方落語の東京移植がある。言葉のみならず、演出方法にも大きな違いがあり、東京人には上方落語は理解不能だったはずだが、上方落語そのものが内包している、泥臭いまでの饒舌さを、江戸前の洗練された純東京風にアレンジして見せた小さんの天才振りには驚く。
戦後のというより、昭和の落語が最高に輝きを見せていた1956年に「東横落語会」が発足。年齢順に、古今亭志ん生(66)、八代目桂文楽、三遊亭圓生、三代目桂三木助(54)、そして五代目柳家小さん(41)5人に出演者を限定。
1996年五代目柳家小さんが軽い脳梗塞を患ってからも高座を続けたが、演じようという姿勢が消え、ただ老醜をさらすばかりだったが、無心に自分だけの世界を逍遙する姿に本当の芸に遊ぶ境地が実感された。
古今亭(美濃部家)の遺伝子  志ん生の長男が金原亭馬生、次男が志ん朝の3人が、20世紀後半の東京落語を象徴。歌舞伎や能、狂言と違って、家の芸とは無縁の、むしろ同家系の演者の存在が例外ですらある落語というきわめてパーソナルな芸にあっては、家族同居のもたらす効用などはいかほどのものでもないかもしれないが、この3人の場合を見ると、血のつながりを無視することはできない。
同じ話芸でも、語り物である浄瑠璃とは違って、定本がなく、演者の自由な語り口に託されているという、落語固有の特質を最大限に発揮した点で、古今亭志ん生は精巧無比の一語に尽きる八代目桂文楽を大きく凌いだ。精巧無比な芸に殉じた桂文楽は、『大仏餅』の神谷幸右衛門という名が出てこなかったことが、文字通り落語家としての死命を制してしまったが、古今亭志ん生にとっては日常茶飯事であったばかりか、時にはそれを卓抜なるギャグに転じ、独自の魅力にまでして見せた。
馬生の落語は、父親とは正反対で、たとえどんなに面白くても、芸に嘘があってはならないとするのが、馬生落語の基本姿勢なので、父とは真っ向から対立。私生活での父親の奔放さを批判するだけでなく、父親の芸にまで向けられたところに、馬生の不幸を見ないわけに行かない。
志ん朝は、何をどうしゃべっても落語にしおおせて見せる魔力を会得していた。明快でスピーディーな語り口は、現代人の生活感性にマッチするもので、江戸の世界を難なく現代の高座に具現して見せ、語りにおける様式性を確立したといえる。63年という一期はあまりにも短すぎる。
東京の落語界の代表的な家系といえば、美濃部家のほかには、小林家と海老名家。
小林家は、五代目柳家小さんの長男(柳家小さん)、孫(柳家花録)
海老名家は、七代目正蔵、初代林家三平(長男)、九代目正蔵()、林家三平()
「リズム落語」と称した初代林家三平は、即物的な笑いがあるだけで、落語というより漫談、優れた古典落語に見るような人間に対する深い洞察も描写もなく、ただナンセンスに徹したギャグの連続だったが、三平にしかない独自の世界を確立させ、人を笑わせ続けるという1点で評価するなら、まさに不世出の落語家だったといっていい。(1980.9.)
 
三越落語会 ⇒ 1953年より、これまで450回開催。寄席に、多才な落語家をまかないきれるスケールがなかったため、勢い高座時間の短縮化を招き、細切れ落語が氾濫。それを救ったのが「ホール落語」で、三越はその先鞭
 
江戸の時刻と『時そば』 ⇒ 江戸時代の不定時法で七ツの次は明け六ツ(夜明け)で、それと暮六ツ(日没)を昼夜の境として、それぞれを六等分する数え方。明け六ツの次が五ツ、四ツと続いて、正午が九ツ。以下八ツ、七ツで暮六ツとなる。その次がまた五ツ、四ツときて、その一刻後の子の刻、現在の午前零時で九ツに戻る。もともと一ツ、二ツ、三ツはない。「いま何刻だい」とやる計算法は、江戸時代の不定時法下でなければ成立しない。一文ごまかした男の食べた時刻が九ツで、真似をし損ねた男の時刻がそれより一刻早い四ツというのは、はやる心のうちを示して見事なる設定だ。
 
2010.1.24. 日経 書評
落語の評論は面白いものが少ない。そんな書き出しで始まる評論・エッセー集が面白
くないはずがない。雑誌や新聞に寄せた短文の集成ながら、透徹した芸へのまなざし
が確かだ。酒の相手をよくつとめた金原亭馬生から、父の古今亭志ん生への屈折した
思いをじかに聞く。そこから異なる芸風にいたる落語家の軌跡を語る呼吸は、永井荷
風を愛し、斜めにものを見て真理に達する著者ならではだ。文献的な研究も読ませ
る。

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