FBI秘録  Ronald Kessler  2012.6.10.

2012.6.10. FBI 秘録
The Secrets of the FBI  2011

著者  Ronald Kessler 1943NY市生まれ。『ワシントン・ポスト』と『WSJ』の事件記者として、ジョージ・ポーク賞の国内報道部門を始め、これまでジャーナリズム賞を17回受賞。これまでの著書でNY Times紙のベストセラー・リスト入りを果たす。現在はオンライン・ニュースサービスのニュース・マックス・ドットコムの首席ワシントン特派員。メリーランド州在住。妻パメラも元ワシントン・ポスト紙記者で、首都で繰り広げられるスパイ活動の舞台を紹介する『Undercover Washington』の著者

訳者 中村佐千江 1969年金沢市生まれ。京大教育学部卒。加古川市在住


発行日           2012.3.10. 初版第1刷発行
発行所           原書房

本書は、元ワシントン・ポストの有名記者がFBIの全面協力の下、現FBI長官を始め数百人に上る現役捜査官や元捜査官を取材し、直接情報を引き出し執筆された。初代フーヴァー長官の時代から20115月のオサマ・ビンラディン殺害までのFBIの歴史を描き出した労作。特に目を引くのは、戦術作戦部隊(TacOps)の存在や、極秘侵入捜査の具体的な手法がFBI史上初めて明らかにされた点だろう。また当代きっての重要人物や世界を驚かせた大事件の舞台裏を巡るエピソードもふんだんに盛り込まれ、興味は尽きない

TacOps ⇒ 司法公認のFBIの極秘侵入部隊。住宅やオフィス、車、大使館等に隠しマイクやビデオカメラを設置し、コンピューターや机の中を覗きまわることが職務

J・エドガー・フーヴァー ⇒ 初代長官。弱点と奇行は伝説的。自らの哲学:「局を辱めるな(=私を辱めるな)」。職場でコーヒーを飲むことや、色付きのシャツを着ることを禁止したため、職員はわざわざ喫茶店を捜しに出掛けねばならなかった
マフィアが社会のあらゆるところに浸透して、政治にも影響を及ぼすようになっていながら、フーヴァーは最大の犯罪的脅威であることを否定し続け、マフィアの構成員は単に地方のチンピラに過ぎないと主張していたが、1957年になってようやく腰を上げる ⇒ マフィアに弱みを握られていたからだという噂がある。その1つが副長官トールソンとの同性愛関係で、両者とも生涯独身を通し、食事も一緒なら休暇も同じで、72.5.高血圧性心疾患で急逝した際フーヴァーは56万ドルの財産をトールソンに遺している
フーヴァーの極秘ファイル ⇒ 特別の「公式かつ機密」ファイルを作成し、自分のオフィスに保管。特定の人に関連する情報を握った場合、本人にその旨知らせていた ⇒ FBI本部ビル新築費用の追加予算案が上院歳出委員会長の不興を買った時にも、委員長宛にファイルの存在を示唆する連絡があったという。脅迫以外の何ものでもないが、お互いそれを公にすることはなかった。
1962.8.5.マリリン・モンローが自宅で死去した直後にロス支局から、支局長が司法長官ロバート・ケネディに自分の車を貸したという情報が上がる ⇒ 別れ話をするための密会に使われたのは間違いなく、それが自殺の引き金になったかもしれないという推測は妥当なものだろう ⇒ フーヴァーがファイルの情報を脅迫に利用した証拠は数多く存在するが、たいていの場合は脅迫する必要さえなかった。その情報を掴んでいることを認識させるだけで政治家たちを大人しくさせるには十分
マフィアを追及しなかったのは、多くの議員が犯罪組織と関係を持っていたため、マフィアを追及すれば、自らの地位が危うくなる恐れがあったということ。政治汚職捜査をしようとしなかったのも同じ理由による ⇒ 世論の圧力で捜査を行わざるを得なくなるまで不可侵を貫いた
死後、48年間君臨していた間の多くの職権乱用が暴かれる ⇒ 実際には執筆しなかった著書の売上金の着服、政府の資金と資産の私的利用、自宅のメンテナンス等に政府職員を利用等々、当時は当たり前であっても現在では起訴に値する
1975/76年 チャーチ委員会 ⇒ 諜報に関する政府活動調査特別委員会で、FBICIAの職権乱用行為に関する公聴会が開かれ、非合法な盗聴や手紙の開封、情報収集のための不法侵入が指摘され、連邦議会の関心の欠如がそれらの機関の仕事の質を低下させた事実が明るみに出た ⇒ 効果的な監視機構を確立

1972年 ウォーターゲート事件 ⇒ 犯人と共犯者7人に加え、最終的に40人の政府職員が共謀や司法妨害、偽証の罪で起訴され、司法長官のミッチェル、ホワイトハウス法律顧問ディーン、同首席補佐官ハルデマン、同内政担当補佐官アーリックマンが含まれ、ニクソン自身も不起訴共謀者に指名され大統領職を追われた。FBI長官代行グレイも事情聴取報告書を不正に外部に渡したことが判明し辞職 ⇒ ワシントン・ポストがニクソン側近による政治的諜報活動の隠蔽工作と組織的選挙活動を暴いたお蔭でFBIの捜査は抑圧を免れたが、FBIの当事者たちはワシントン・ポストがFBIのリークによって事件を解決に導いたと一般に考えられることを苦々しく思っている

ニクソン共和党政権の野党だった民主党本部があるウォーターゲート・ビルワシントンD.C.)に、不審者が盗聴器を仕掛けようと侵入したことから始まった。当初ニクソン大統領とホワイトハウスのスタッフは「侵入事件と政権とは無関係」との立場をとったが、ワシントン・ポストなどの取材から次第に政権による野党盗聴への関与と司法妨害が明らかになり、世論の反発によってアメリカ史上初めて現役大統領が任期中に辞任に追い込まれる事態となった。

1973年 2代目長官にケリー就任 → フーヴァーが検挙の量を重視したことの反省から、質を重視し、公務員の汚職事件の追及を奨励、女性や少数民族の雇用推進に着手、積極的に近代化に取り組む
その1つが犯罪プロファイリング手法の導入 ⇒ 70年代初めから取り入れられた捜査手法
犯罪現場と犯人との相関関係、犯罪の性質や特徴から、行動科学的に分析し、犯人の特徴を推論する ⇒ 殺人やレイプの捜査に有効

19783代目長官にウェブスター就任 ⇒ 元連邦判事で連邦検事。スパイと戦う洗練された技術の開発を開始
捜査の焦点を反戦運動家や元共産主義者から、敵国スパイと彼等に協力するアメリカ人内通者へと移す ⇒ 対敵諜報活動プログラムとして二重スパイを活用してKGB職員を追放に追い込む。長期潜入捜査や囮捜査を承認
「モグラ」 ⇒ 敵国の情報部に勤務しつつ、自国の情報部に継続的に機密情報を提供する捜査官/スパイの俗称

奥様は共同長官
1987年 レーガンはウェブスターをCIA長官に選んだ時、その後任の4代目FBI長官にサンアントニオ連邦地裁の首席判事セッションズを選んだ ⇒ 職務上の特権を愛し、演説好きで部下の顰蹙を買ったが、それ以上に捜査の詳細には関心を示さず、人事、技術、システム等にばかり関心を示す。そのうえ、長官夫人は宣誓式の進行手順に始まってあらゆる長官の職務に関与しようとしたばかりか、次官クラス以上の職員だけに認められる特別入館証に加え、長官オフィス出入りのための暗証番号までも手に入れた
セッションズの職権乱用が目に余るようになって、92年に著者もそのあらましをFBI職務責任局に申立て、司法省の調査の対象は秘書にまで広がり、93.7.辞任を拒んだため、クリントン大統領によって解任された ⇒ FBI長官が解任されたのは彼が最初
後任の5代目長官のルイス・フリーは、連邦判事にして元連邦検事だが、キャリアのスタートはFBI捜査官 ⇒ FBIの現場からは歓迎されたが、法の執行にテクノロジーが不可欠になったことを理解しておらず、テクノロジーを軽蔑しコンピューターに触ったこともなかった
元々捜査官たちは本部の管理者側を敵視する傾向があり、ケリーもその1人だったことから、管理者側を軽蔑視し、次々と現場に追いやったために、本部指導層に専門家が不在となり、数々の決定ミスを犯すようになり、自己崩壊の危機に直面
ケリーのFBIに対する貢献を1つ挙げるとすれば、FBIの海外支局を倍増させ、海外にその存在を知らしめたこと ⇒ 長官在任中に20から44カ所に増やし、現在は75カ所

FBIの獅子身中の虫ロバート・ハンセンの逮捕
86年以降FBIはアメリカのインテリジェンス・コミュニティに潜むモグラの存在を暴く努力を続けてきた ⇒ アメリカのスパイが次々にKGBに捕えられて処刑されていくため、CIAFBIは内部通報者の存在を疑い、94年にCIA幹部1人を逮捕したが、まだ情報漏洩は止まず、関連情報から特定のCIA職員に目星を付けたものの、最終的にはFBI捜査官のハンセンだったことが判明。2000年に分かった時にはすでに膨大な量の機密情報と、囮のための7百万ドルもの金が相手側に渡された後だった
ハンセンは79年からソ連の軍参謀本部情報総局(GRU)のスパイとして活動を始め、61年からFBIの二重スパイだったGRUの将軍を密告。85年からはKGBにも情報提供を始める ⇒ ワシントンのソ連大使館の地下にアメリカが秘密のトンネルを掘っていたこともソ連に知らせる
防諜捜査官全員に対するポリグラフ検査の標準的実施を進言したにもかかわらず拒否したのはFBI長官のフリーであり、21年にもわたってFBIを欺き続けたハンセン事件もまた、フリーに責任を問うことのできる大失敗の1つ ⇒ ハンセンは保釈なしの終身刑
当時のFBIでは、国家への反逆だのスパイ行為だのはCIAのインテリ連中のすることで、実直なFBI捜査官がそんなことをするはずがないと考えられていたばかりか、内部セキュリティを担当する部署さえ存在しなかった

2001.9. ブッシュ大統領によってFBI6代目長官にミューラーIIIが選任 ⇒ プリンストン大卒、海兵隊員としてベトナム戦に従軍し負傷・除隊、検察官から司法省犯罪課担当の司法長官補、サンフランシスコ連邦検事、ブッシュ政権で司法副長官代行
新しいテクノロジーの導入に積極的で、メイン・フレームのシステムが不完全にもかかわらず、デル・コンピューターを何千台も発注
就任翌週9.11勃発 ⇒ 司法長官がFBIの監視下にある可能性のあるテロ容疑者リストを要求したが、そのようなリストはFBIには存在しないという答えが返ってきた
特に9.11以降は、犯罪捜査と諜報事件捜査を峻別する司法省の方針を覆すとともに、FBIの究極の使命を、犯人逮捕から犯罪予防・テロ防止重視に切り替え
法執行機関と諜報機関は別物だとして、イギリスのMI5を模した新たな対テロ機関設立の動きが広がったが、かえって協力や情報の共有を阻害する新たな障壁を作り出すことになる ⇒ MI5は、容疑者逮捕の必要が出ると警察機関を説得しなければならないだけでなく、情報を引き出したり情報提供者を募ったりする際に、起訴という脅かしが使えない。テロリストは活動資金を違法行為に頼っている場合が多いことを考えると、捜査当局は法執行機関であることが必要条件とならざるを得ない
FBIの長所は、捜査対象が刑事法の違反のみに絞られているため、捜査官が市民の自由を侵すことができない点にある ⇒ 活動の倫理的な指針として確立

ポンジー詐欺 ⇒ 次々に新しい投資家から資金を集め、古い投資家の配当や解約金の支払いに資金を回す連鎖的な出資金詐欺のこと

2008年 司法省の新たなガイドライン ⇒ テロ攻撃発生以前に潜在的テロリストを探すために必要とされる自由をFBIに認める。捜査目的を示す必要はあるが、事実上発生していない事件についても捜査が出来る

フーヴァーの職権乱用のために、連邦議会は1968年、FBI長官に就任する人物に対し、大統領による任命と上院での承認を求める法律を制定するとともに、任期を10年に制限
ミューラーIII世は、10年の任期を全うした最初の長官 ⇒ 11.9.大統領の要請により、任期の2年延長に本人も上院も同意



FBI秘録 ロナルド・ケスラー著 変貌する組織を歴史的に俯瞰 日本経済新聞書評 2012/4/22 フォームの始まり
フォームの終わり
本書はワシントン・ポストの調査報道記者などを歴任したベテランのジャーナリストによる、米連邦捜査局(FBI)の実態報告である。FBIについての書物は少なくないが、本書は綿密な取材に基づく一次情報の迫力で他を圧倒している。
 著者は、米政府組織内に持つ独自の情報源を武器に、鍵となる取材対象を実名で引用する手法で知られる。これまでも米中央情報局(CIA)、連邦議会、ホワイトハウスなどを題材に、米国の権力機構の驚きの内幕を当事者に語らせてきた。
 FBIを素材にした本書においても、数百人もの当局関係者へのインタビューをもとに、民家に忍び込んで盗聴器を設置するような、文字通りスパイ映画顔負けの捜査が赤裸々に明かされる。そうした任務を担う戦術作戦部隊(TacOps)の極秘侵入は、年間400回に及ぶという。
 また、初代フーヴァー長官時代から現在のFBIまでを歴史的に俯瞰(ふかん)し、9・11テロを起点に、テロ対策の担い手として変貌しつつあるFBI内部の試行錯誤が描かれているのも興味深い。FBIがテロ対策に積極的に関与する過程で、政府の他機関との縄張り争いや連携の困難さも不可避となっている。著者は、オサマ・ビンラディンに繋がる有益な情報が水責めの尋問で得られたとしながらも、テロリストの動機や心の奥に触れる取り調べが、より効果的である現実も、現役捜査官の意見として紹介している。
 著者は明示的には述べていないが、本書が浮き彫りにする問題に、「自由」はどこまで制限されるかをめぐる議論がある。テロを防がなければ、平和や「自由」は手に入らない。他方で、そのためにはある程度、市民生活の自由が制限されることもある。2012年米大統領選挙の共和党予備選では、候補者の一人でリバタリアン(絶対自由主義者)のロン・ポール下院議員が、空港での身体検査やメール傍受など個人の「自由」侵害に反対する論陣を張り、党内で一定の支持を得た。
 テロを未然に防ぐための捜査が、どこまで容認されるべきか。この問いに答えるには、捜査実態の今を知ることが不可欠だろう。
(北海道大学准教授 渡辺将人)


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