人生と運命  ワシーリー・グロスマン  2012.5.22.

2012.5.22. 人生と運命 IIIIII

著者  ワシーリー・グロスマン 1905年ウクライナのユダヤ人家庭に生まれる。モスクワ大で化学を専攻。炭鉱で化学技師として働いたのち、小説を発表。独ソ戦は従軍記者として前線から兵士に肉薄した記事を書いて全土に名を馳せる。43年故郷で起きた独軍占領下のユダヤ人大虐殺で母を失う。44年トレブリンカ絶滅収容所を取材、ホロコーストの実態を世界で最初に報道。次第にナチとソ連の全体主義体制が本質において大差ないとの認識に達し、50年代後半から大作『人生と運命』を執筆、60年完成。「雪解け」期に刊行を目指すが、KGBの家宅捜索を受けて原稿没収。「外国でもいいから出版して欲しい」と遺言し1964年死去。80年、友人が秘匿していた原稿の写しがマイクロフィルムに収められて国外に持ち出され、スイスで出版された(仏訳83年、英約86年、ソ連国内では88)

訳者 齋藤紘一 1943年群馬県生まれ。東大理学部化学科卒。通産省入省後、課長、審議官、93年退官。ISO(国際標準化機構)日本代表委員、独立行政法人理事長等を経て、現在翻訳家。99年ロシア語通訳案内業免許

発行日           2012.1.6. 印刷       1.16. 発行
発行所           みすず書房

1
2次大戦で最大の激闘、スターリングラード攻防戦を舞台に、物理学者一家をめぐって展開する叙事詩的歴史小説。
兵士・科学者・農民・捕虜・聖職者・革命家などの架空人物、ヒトラー、スターリン、アイヒマン、独軍、赤軍の将校など実在人物が混ざり合い、一つの時代が圧倒的迫力で文学世界に再現される。
戦争・収容所・密告――スターリン体制下、恐怖が社会生活を支配するとき、人間の自由や優しさや善良さとは何なのか。権力のメカニズムとそれに抗う人間のさまざまな運命を描き、ソ連時代に「最も危険」とされた本書は、後代への命がけの伝言である。
2
ウクライナの町から狩り出され、移送列車でユダヤ人絶滅収容所に到着した人々をガス室が待っている。
生存者グループに選別され列から離れる夫に結婚指輪とパンを手渡す妻、移送列車で出会った少年の母親代わりをするうちに、生き残る可能性を捨てて少年とガス室に向かった女性外科医――。
赤軍記者として解放直後のトレブリンカ収容所を取材したグロスマンは、ナチ占領下ソヴィエトのホロコーストの実態を最も知る人間だった。
国家と民族の栄光、一方は革命、他方は第三帝国の名のもとに、スターリニズムとナチズムが鏡像関係にあることを、グロスマンは見抜いていた。イデオロギーの力が死や拷問や収容所と結びつくとき、人々はモラルを失った。ナチの絶滅収容所ガス室施設長は、私が望んだのではない、運命が手を取って導いたのだと語った。
普遍的な善の観念はイデオロギーとなって、大きな苦難をもたらす。恐怖と狂気の時代に、善意は無力だった。しかし、ささやかで個人的な、証人のいない善意は、無力だから力を持つ。それは盲目的な無言の愛であり、人間であることの意味である。
20世紀の証言が、時空を超えて届く。グロスマンの生涯をかけた哲学的思考が文学に結晶した圧巻の第2
3
194211月スターリングラードのドイツ第6軍を包囲する赤軍の大攻勢は100時間で決着。戦争の帰趨を決する戦闘が終わった。反ファシズムの希望、世界の目をくぎ付けにした都市は廃墟になった。
その瞬間からスターリンは、ユダヤ人殲滅の剣をヒトラーからもぎ取りやがて国内のユダヤ人に振り下ろす。戦後の自由な暮らしを夢見て戦った国民に、一国社会主義の独裁者はタガをはめ直した。
物理学者ヴィクトルは、核反応を数学的に説明する論文を観念論的と批判される。彼は懺悔をしなかった。失職して逮捕される不安に怯えながら、良心を守ったことで心は澄んでいた。
ところが突然、スターリンからヴィクトルに電話がかかってくる。状況は一変し、彼は称賛に包まれるが、原子爆弾開発への協力をもはや拒否できない。
困難の中で守った自由を、栄誉の後で失う人もいれば、幸せな記憶ゆえに苦難に耐える人もいる。栄光、孤独、絶望と貧窮、ラーゲリと処刑、いかなる運命が待っているにせよ、人は人間として生き、人間として死ぬ。この小説は、個人が全体主義の圧力に耐えるのがどれほど困難だったかを描いている。
奇跡のように生き延びた本が今、日本の読者を待つ


解説 ⇒ 本作品成立の経緯:マリーナ・スミルノーワ女史(現代文化・文学支援センター国際協会「ライブ・クラシクス」代表)
『人生と運命』は読むのではなく、全てはこんな風ではなかったと――現在あるもののためにこれほどの犠牲は払われなかったと――遠慮がちに願いながら、それを生きてみる本である。
スターリングラードの戦いについて、その参加者が書くべきであると語っているが、グロスマンのような人生を生きた人間のみがそれを書けたのだ。
名前を後にロシア風にワシーリー・セミョーノヴィチと変えることになるが、《危険な》苗字を変えることは一度もない(グロスマンという苗字からユダヤ人と分かる)。この背景には、何よりも、血で結ばれた自らの出自との繋がりを絶ちたくない――より正確には、道徳的に不可能である――という思いがあった。
父はメンシェヴィキ(社会主義右派)の科学技術者。母はフランス語を教えていた。幼少のころ家庭が崩壊、彼は母の下に残されたが、父親とは生涯にわたって親しく連絡を取り合い、手紙のやり取りをしていた。57歳をスイスで過ごし、1914年キエフの実科学学校予科に入ったが、内戦でキエフ西方のユダヤ人居住区ベルディーチェフに避難。極貧の生活を送る。
23年モスクワ国立大学理数学部化学科に入学。その頃から政治と文学への興味を示す。
28年結婚。妻はキエフで勉学していたこともあって別居のまま。29年卒業後父と一緒にドンバス(ウクライナ東方の大炭田)に行き33年まで家族と一緒に過ごす。炭鉱の科学研究室の責任者を務めたり、スターリン医科大学の化学講座助手となって学術論文を書いたりした。娘を得たが、妻が娘を連れてキエフへと去り離婚。結核。モスクワに戻り、鉛筆製造工場の主任化学者。
1934年 「文学新聞」にデビュー作『ベルディーチェフの町で』を掲載したのが転機。この小説は、グロスマンの戦前の創作活動だけでなく戦前の彼の作家としての運命を象徴するもの ⇒ ユダヤ人町の特色を再現、多くの意味深長な細部(赤軍兵士の腕の金時計)に触れ、慧眼の読者には一定の疑念を呼び起こしかねなかったが、作品全体としては社会主義リアリズム芸術論に反してはいなかったので、驚くほどの成功を収めた ⇒ 特別の作家のみに認められる配給所への登録が約束され、ゴーリキーに自宅に招かれ原稿を校閲される駆け出し作家の1人となるとともに、その後の人生の歩みに非常に大きな影響を与えられる ⇒ ゴーリキーからは思想内容ではなく文体を批判されたが、推敲の結果裁可をもらって次々に短編集が出始める ⇒ 37年ソヴィエト作家同盟入りを認められる。
2度目の結婚相手は、当時の作家で37年に弾圧され死亡した仲間の妻だったオリガ ⇒ 弾圧の余波で逮捕されたオリガを、グロスマンが直接エジョフに手紙を書き、自らの妻だといって救い出した。
1941年 結核で従軍義務はなかったにもかかわらず、手柄をたてる覚悟から戦時中最も読まれた赤軍の週刊紙「赤い星」の従軍記者を志願、最前線に出向いて戦闘の洗礼を受ける ⇒ グロスマンのスターリングラードの従軍記事は定期的に掲載され、彼の名は軍内外で広く知れ渡る(『戦争の日々』として主要な軍事作戦に対応する連作ごとにまとめられている)。スターリンは彼を好きではなかったが、「プラウダ」への転載を命令。42年には「赤い星」に中編小説『人民は不死』を連載して大きな成功を収める。『ユダヤ人のいないウクライナ』が上司の不興を買ったが、とりあえずは個別の作品に留まり、炎のような愛国心に貫かれている彼の作品の全体としての評価は共通の大義を著わすものとして称賛された。
15年が過ぎたところで、全体主義国家が神に変わってしまい、彼はある時点でその神を信じることを止める ⇒ 開眼の原因は、①スターリンの死と個人崇拝の失墜、②母の虐殺(41.9.の死を44年冬になって初めて知る)、③反コスモポリタニズム闘争の燃え上がり(ドイツ軍占領地域におけるユダヤ人大虐殺に関する本『黒書』の編纂を仲間と共に仕上げ出版のために欧米各地に送られたが、194849年にかけてユダヤ人反ファシスト委員会の指導者は弾圧され、ソ連での出版は差し止め。さらに戦前に書いた戯曲が「ソヴィエトの人々を変節した」として有害との批判を浴び、47年以降グロスマンの作品が出版されなくなった)
それでも彼は書き続け、1949年スターリングラード戦に関する2部作の前篇とでもいうべき『正義の事業のために』の原稿を出版社に持ち込んだが、検閲の後膨大な修正があり、スターリンに直接手紙で訴えたが聞き入れられず、スターリン死後漸く出版された時は内容が全く違うものになっていた。彼はこの時すでに後篇にあたる『人生と運命』の仕事を進めており、流れに抗して生き始める。その第1作がアルメニアに関する小記事の扱いで、ヒトラーの虐殺に抗して生きようとしたアルメニア人の物語だったが、検閲官の一部削除の要求を断固として断る。
1960年『人生と運命』の原稿を「ズナーミヤ」編集部に持ち込むが、予想通り「政治的に敵意のある」ものとして出版を拒否されたのみならず密告されたため、家宅捜索を受け原稿と関連資料全てにタイプのインクリボンまでが没収された ⇒ フルシチョフに手紙で出版の自由を求めたが、パステルナークとは比較にならないほど大きな害をもたらすとして拒否される。
62年に腎臓がん、63年に肺がんとなり、64年逝去 ⇒ 3つの遺言:①棺を作家同盟に安置しない、②ユダヤ人墓地に埋葬、③『人生と運命』の出版
厄災を予感していたグロスマンは、『人生と運命』の草稿と清書原稿をそれぞれ2人の友人に託していた(2人とも自分の版が唯一のものではないことを知らなかった)
74年 1人がスイスにマイクロフィルムを持ち出して出版したが、不明箇所等の補充に腐心。ペレストロイカ初期の1988年にソ連でも出版。それを知ってさらにもう1人の持つ手書きの草稿が遺族の手からオリガの息子に渡され、出版されたテキストと草稿の綿密な照合によって第2版の完全版が89年出版となった
検閲当局が長い間心配したのは、作者がグロスマンだったからで、かつて信じていたものが信じられなくなった作者は、小説の中で幾つもの勇気ある問いを発しているが、この問いこそこの小説の影響力の源となっている
革命家の娘がどうして住民登録を拒否されるのか
飢えた農民ばかりのコルホーズは戦後廃止したらどうか
革命を成し遂げたのは我々なのに、どうして革命でできた党が我々を逮捕するのか
なぜ司令官たちは無知で経験がないのか
なぜ「すべてにスターリンの意志を」なのか、人間の意志はどうなるのか、神の意思は?
登場人物の敵の口を借りて質問をし、読者を議論へ参加するよう徴発する
出来合いの考え方に慣れ切ってしまったソヴィエトの読者のために「共に考える」状況を作ろうとする、意見を問いに置き換える

自らの小説の出発点として、規模の大きさと過酷さで第2次世界大戦中の先立つあらゆる戦闘を凌駕する1942年後半のスターリングラード戦を選ぶが、ソヴィエトの人間の英雄譚や手柄話ではなく「かき消された」声なき声に耳を傾ける。そこに大波に翻弄された個々の人間の運命があり、彼等の手で歴史が作られている
作家にとって告白の書でも、懺悔の書でもあり、多くの自伝的要素が率直に書かれているし、主人公たちの多くには原型となった人たちがいる
主人公が、ゴーリキーを殺害したとされる医師たちの犯罪を糾弾する手紙に署名するエピソードは、彼自身が「プラウダ」から、「殺人者の医師たち」を罪に問うスターリン宛の手紙に署名を求められた際、自らの民族の都合の悪い代表者たちの犠牲によって不幸な民族を救うことができると考えて署名に応じたものの、罪の意識にさいなまれ、小説の中で人間の服従心の原因について探求する ⇒ 全体主義国家の力であり、それは物理学と同様の合理主義に基づいている
運命は自覚的な人間の選択であり、人生と運命は互いに逆らいあいながら存在。生とは個々の人間の自由のことであり、運命を人間の自由と一致させることは人知の及ばないこと
無実のユダヤ人医師を糾弾する手紙に署名したグロスマンは、ゲットーで死んだ母親に対する罪悪感を特に鋭く感じる ⇒ 母のことは片時も心の中から離れず、母の怖ろしい運命――それは非人間的な時代の人間の運命、宿命なのだ、と言っている

ソヴィエト時代の散文としては意外なことに、聖書のモチーフが顔を出す ⇒ 神と悪魔が対峙、人間が神の地位を占めたのでソヴィエト国家には神がいなくなったしまった
登場人物が神に似せて作られていると同時に、戦争での人の死は、殉教者の死や他人への贖罪に似ている

シャーポシニコフ一家 ⇒ 主人公一家の運命
ドイツの捕虜収容所 ⇒ ナチによって作られた犯罪人(古参ボリシェヴィキやロシア軍人、ドイツ人亡命者)を収容
スターリングラードの第62軍のソ連将校
主人公の同僚の学者たち ⇒ 主人公が原子核分裂に関する新発見の論文を発表するが、ユダヤ人なるがゆえにスターリン賞の候補から外され、助手のユダヤ人も解雇されるなどの嫌がらせを受け、研究所を辞職
学者はカテゴリーに従って配給を受ける ⇒ 最も偉大(故人のみ)、偉大(故人のみ)、著名、非凡、実力者、知名度大、注目株、経験豊富、高い技能資格保持、最長老の順で、卵の数から異なる
ノヴィコフの戦車軍団
ソ連空軍戦闘機部隊
ソヴィエトのラーゲリ
ユダヤ人移送列車
6号棟第1号フラットの兵士(スターリングラード) ⇒ ドイツ軍により爆破

232
反ユダヤ主義は様々な形で表れる(現れる) ⇒ 思想的、内面的、潜在的、歴史的、日常生活的、生理学的、個人的、社会的、国家的、形態は様々。それ自体は目的ではなくいつも手段に過ぎず、常に出口のない矛盾を測る尺度であり、個々の人間や社会制度や国家体制が持つ欠陥を映す鏡。ユダヤ人の何を非難しているのかを聞けば、その人自身がどのような点で責められるべきかを言うことができる。自らの不幸と苦悩の原因を究明する力のない国民大衆の意識の低さの表れ(現れ)。社会の底辺にくすぶる宗教的偏見の尺度でもある、少数民族が受ける一連の迫害の中の特別な現象であり、この現象が特別であるのはユダヤ人が歴史的に独自の特別な運命を辿ったから
少数民族としてのユダヤ人の特徴:
   ユダヤ民族の歴史は政治と宗教に関する世界的な多くの問題と絡み合うとともに、結び付いてきたこと
   少数民族でありながら地球の両半球のまれに見る広い範囲に広がっていること
   社会的・地理的な周辺に投げ出されることなく、イデオロギー及び生産の諸力が発展する主な流れに沿った方向で自己の真価を発揮しようと志向すること
20世紀には、死を運命づけられた、物理的に時代遅れで失敗続きの諸国家の民族主義的な古い体制が、アウシュヴィッツやトレブリンカに火をつけた。その炎は、ファシズムの短い勝利を照らしただけでなく、ファシズムや全体主義の敗北が必至であると世界に予言。全世界のどの歴史上の時代も、反動的で失敗続きの諸国家の政府も、うまくいかない人生を何とかしようとしている個人も、避けがたい運命が目前に迫った時には反ユダヤ主義に走るのである

35
42.11.スターリングラードでの反転が始まる直前、コミサールとしてスターリングラードに派遣されていたクルイモフまでが、元の仲間の密告によって逮捕
コミサール:ロシアおよびソ連邦で,特定部門における全権を帯びた委員をいう。ロシアでは,1917年の二月革命後,臨時政府帝政時代県知事に代わる地方行政官として県コミッサールを,郡には郡コミッサールを任命した。また軍隊にもコミッサールが派遣され,十月革命の過程では多くの機関や企業の長らも一時期さまざまなコミッサールを名のった。一例として、人民委員narodnyi komissar(191746)とは十月革命後組織されたソビエト政府内の各政策担当部門(人民委員部とよばれ,現在の省にあたる)の長のこと。

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チャーチルとルーズベルトの信頼は完全なものではなかったとスターリンは理解していた。彼等は喜んで彼と協議したが、彼と意見を交換する前に彼等の間で話をつけてしまっていたことがスターリンを苛立たせた。彼等は知っていた――戦争は起き、過ぎ去っていくが、政治は留まる。彼等は、スターリンの論理、知識、思考の明晰さには感嘆したが、それでも彼の中にヨーロッパの指導者ではなくアジアの君主を見ていた。それがスターリンの神経を逆なでした。スターリンは戦争開始直後から不定愁訴を感じていた。元帥たちが彼の前で身を固く指摘を付けの姿勢を取る時にも、ボリショイ劇上で数千の人々が立ち上がって彼を歓迎するときにも、周囲にいる連中は1941年夏の自分のうろたえ振り(国防委員会で緊張のあまり声が詰まって何回か無意味な指示を出してしらけさせただけでなく、彼の興奮ぶりが放送で伝えられてしまった)を思い出して、陰に隠れて笑っている、彼にはいつもそう思えていた
スターリンは、ソヴィエト軍によって解放されたユダヤ人の上に、ヒトラーの手からもぎり取った殲滅の剣を、スターリングラード国民勝利の10周年記念日に振りかざすことになる ⇒ 1953.1.政府要人の毒殺や外国のスパイであるという主な容疑で医師たちが逮捕されたが、その多くがユダヤ人。政府は国内の反ユダヤ感情を煽り、医師たちを公開処刑する計画だったが、ユダヤ人大衆に怒りが及ぶのを回避するため僻地への集団疎開を嘆願する手紙が作られ、作家や軍人、芸術家など著名ユダヤ人が署名を求められた。スターリンの死で捜査が打ち切られ医師たちは釈放されたが、この事件に先立って多くの著名なユダヤ人が逮捕、処刑された

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ドイツ軍がスターリングラードで被った包囲は、戦争の進行における転換点を画した ⇒ 包囲されることによって兵站が絶たれることが近代戦の命運を分け、スターリングラードでの勝利が大戦の帰趨を決定づけた。しかし、勝利した国民と勝利した国家の間の声なき闘いは続き、この闘いには人間の運命、人間の自由がかかっていた

317
ヒトラーは耐え難いほど苛立っていたーースターリンが彼に敬意の念を起こさせたことはなかった。スターリンのなすことすべてが、まだ戦争になる前から、彼には馬鹿げた、粗暴なものに思えた。あの男の狡猾さ、あの男の背信行為は、百姓らしい単純で見え透いたものだった。スターリンの国家は馬鹿げていた。チャーチルは新生ドイツの悲劇的な役割をいつか理解することになるだろう――新生ドイツは、スターリンのアジア的なボリシェヴィズムから、ヨーロッパを身を挺して守ったのだと

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11月のスターリングラードの反攻が実って、432月ドイツ軍が降伏
反ファシズム戦争の首都は廃墟と化したが、10年後には膨大な囚人が大きなダムを作り上げ、世界最大級の水力発電所である国営水力発電所を建設

訳者あとがき
底本は2007年の版
この作品の大きな特徴の1つは、政治家、軍人など多くの実在の人物が実名で登場し、政治的・軍事的な意思決定や出来事の進行という歴史的事実を踏まえながら話が展開されていること。従軍記者ならではの経験から再現。さらに自らもユダヤ人であることによってグロスマンが人一倍強く味わうことになったユダヤ人の置かれた立場やその苦難が小説の登場人物の苦悩という形で描かれており、その強い衝撃力がそのまま作品の力ともなっている
ドイツのナチズムとソヴィエトのスターリン主義は同じ全体主義のカテゴリーに括られるという結論に辿りつき、その上で、人間の自由への希求が変わらぬままであることが国家の独裁に対する人間の永久的な勝利を約束すると言い切る、これこそがグロスマンが読者に伝えたい最大のメッセージ
原子爆弾を巡る動きが背景にあるが、主人公のヴィクトルはレフ・ランダウ(1962年ノーベル賞)の姿が投影されている。38年にスターリンやファシズムに反対のビラをまいて投獄されたが1年後に釈放されたものの原爆への協力を余儀なくされ、その功績でスターリン賞受賞。主人公も、一旦は西洋崇拝や観念論的として懺悔を迫られながら、スターリンに認められて復権。一方で、ゴーリキーを殺害したとしてユダヤ人医師が処分された際、欧米のメディアがこぞって批判したことへの抗議の手紙への署名を強要され、本人が自白したのであれば仕方ないとして署名に同意するという裏切りを冒す
表題の言語は、英語のlife同様様々な日本語が当てはまる。本書では『人生』と訳したが、「生きるということ」とか「生きているということ」という訳が一番近いかもしれない。本文中にも繰り返し現れ、それぞれの場面での適切な日本語訳を考えるのに少なからず悩まされたが、この言葉の意味するものこそが著者の書きたいことの中心なのである
文章も長く、そのままでは日本語に翻訳しにくい所が多く、語りが微妙に変化、繋がりもはっきりさせるのが難しい

前篇ともいうべき『正義の事業のために』概略
本書に匹敵する長編、同じく3部構成
第1部     1942.4.29. ムッソリーニがヒトラーとの会見のためにザルツブルク駅に到着する場面から、スターリングラードに戦火が迫るところまで
第2部     1942.8.から822日のスターリングラード空襲まで
第3部     42.8.25.からクルイモフが第62軍に講和をするためにヴォルガ川を渡る9月末頃まで
l  アレクサンドラは、革命以前から女子大の自然科学部を卒業、有名な橋梁技術者だった夫の死後は細菌学研究所の化学者。13女の母
l  長女リュドミーラは学生結婚するが、小市民的な家庭生活をしようとして社会主義者の夫から離婚され、大学からも追放されるが、その時一緒に追放されたヴィクトルと結婚。長男を戦争で失い、同僚の妻に思いを寄せたヴィクトルとの間も不穏に。ヴィクトルは有名な物理学者の下で最年少の科学アカデミー準会員となるも、観念論的との批判を受けて逮捕を覚悟するが、スターリンからの電話で一転して脚光を浴びる
l  次女マルーシャは大学を2つ卒業、市ソヴィエト国民教育部の上席監督官、スターリングラード地区国営発電所の主任技師、のち所長のスピリドーノフと結婚、スターリングラードの初の空襲で死亡。娘ヴェーラは、働いていた病院に担ぎ込まれた飛行士と結婚、スターリングラードの空襲下で出産 ⇒ スピドリーノフは、反攻の前日娘と孫の安否を気遣って発電所を放棄したため、ドイツ軍撤退後地方へ飛ばされる
l  3女ジェーニャは、モスクワ大学4年の時コミンテルン職員のクルイモフと結婚、長続きせず離婚、戦車軍団の指揮官ノヴィコフと再婚するが、クルイモフ逮捕後は、ノヴィコフを裏切り、妻と偽って面会に行く
l  長男ドミートリ―は、16歳から参戦するが、37年の粛清の際に連座で逮捕、処刑?




人生と運命(1~3) []ワシーリー・グロスマン
[評者]小野正嗣(作家・明治学院大学専任講師)  [掲載]朝日新聞20120520   [ジャンル]歴史 文芸 

戦争に揺れる人々、背後に広がる闇
  まず喝采したい。20世紀文学という巨大な山脈の最高峰の一つがついに翻訳されたのだから!
 これは、第2次世界大戦の趨勢を決したスターリングラードの攻防を背景に、独ソ戦によって運命を翻弄される人々の愛、希望、苦悩、絶望を、その生と死を、精緻にかつ力強く描いた壮大な小説である。実在した人物を含め膨大な数の人物たちが登場するが、彼女ら・彼らの生きる個々の逸話はそれだけで独立した長篇小説となりそうなほど波乱に富んでいる。物語を読むことの醍醐味がここにはある。読者は、シャーポシニコフ一家の長女リュドミーラが負傷した息子を探しに行った先で出会う悲劇に息をのみ、次女マルーシャの娘で、スターリングラードの飛び交う砲弾の下で大きなおなかを抱えて恋人の迎えを待つヴェーラの幸福を願い、三女ジェーニャと、ドイツ軍を包囲すべく戦車軍団を率いて進軍するノヴィコフ大佐との恋の行方から目を離せない。
 だが物語の快楽に酔いつつも、不意に目が冴えてしまうとしたら、それはこの小説の背後に広がる奥深い〈闇〉、すなわち全体主義の恐怖のせいだろう。本書には独ソ両陣営が生み出した「収容所」が登場する。リュドミーラの最初の夫が送られたシベリアの収容所と、ナチスのユダヤ人絶滅収容所である。作中でナチス親衛隊少佐が指摘するように、ナチズムとスターリニズムは互いの鏡像なのだ。二つの体制がともに個人から自由を奪い、〈人間〉を根底から否定するものだという、ナチズムに勝利したソ連当局にとって不都合な〈真実〉を明らかにしていたために、『人生と運命』は出版を許されず、国外で刊行されるまで20年もの忘却を強いられる。
 スターリングラード攻防戦のさなか、戦争を経験していないトルストイが『戦争と平和』という傑作を書いたことに驚く将軍が出てくるが、逆に『人生と運命』には、作者グロスマンの生きたすべてが注ぎ込まれている。現ウクライナにユダヤ人として生まれたグロスマンは、従軍記者としてスターリングラードを経験し、西進する赤軍に随行してベルリンに入城する。ユダヤ人絶滅収容所について世界で最初の報道を行ったのも彼である。本書の主人公のユダヤ系核物理学者ヴィクトルの母は、グロスマンの母と同様に、ウクライナに侵攻したドイツ軍によるユダヤ人虐殺で命を落としている。
 だがこの小説が描くのは〈ユダヤ民族〉の悲劇や〈ロシア人〉の悲劇だけではない。「アベル。86日」という広島の原爆の犠牲者への共感に満ちた短篇も書いているグロスマンの念頭からつねに離れなかったのは、苦しむ〈すべての人間〉の人生と運命なのである。
    
 齋藤紘一訳、みすず書房・1巻4515円、23巻各4725円/Василий Гроссман 190564。本書の原稿は旧ソ連国家保安委員会に没収され、著者の死から16年後にスイスで出版された。



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