近代数寄者の茶会記 谷晃 2021.5.1.
2021.5.1. 近代数寄者の茶会記 著者 谷晃 1944 年愛知県生まれ。京大史学科卒。芸術学博士。専攻は茶の湯文化学。出版社、香雪美術館勤務などを経て、現在は野村美術館館長。本書は茶会記に基づく書物の 4 冊目 発行日 2019.3.16. 初版発行 発行所 淡交社 軽井沢図書館で見る はじめに 茶の湯の成立要件は、専用空間としての茶室、専用器物としての茶道具、そして抹茶を点てる準備から客が飲み終えてすべてを収納するまでの動作を一連のものとして繋げた点前の 3 つであり、 3 要件すべてが整ったのは 16 世紀初頭。 1533 年に初めて茶会記が伝えられて以降、現在に至るまで連綿として茶会が記録され続けてきた 存在が知られている茶会記は数万回程度 本書では、明治以降現在に至るまでに活躍した数寄者の茶会記、およそ 30 人近くを取り上げる 第1章 近代の茶会記を読む I 総論 近代数寄者と茶会記 明治維新でも庶民の生活が劇的に変化したとは考えにくいのと同様、茶の湯界の大勢としては江戸時代とさほど変わることなく受け継がれ、楽しまれていた 明治以降急速に力をつけ、豊かになった実業家や政治家たちが茶の湯への関心を向け始め、茶の湯を学ぶ傍ら、旧大名家などの入札会において、財力にものをいわせて名品・名器を手に入れていく。特に仲介する美術商が存在感を増したこと、家元の確立、家元直属の庶民茶人の存在などが近代の特徴 1895 年東京で大師会が、 1915 年には京都で光悦会が発足、そこで釜を懸けることが数寄者の条件であるかのような観を呈し、そこに参加することが一流の経済人であるかのような雰囲気が生まれた 大師会の発起人の益田孝は、仏教絵画や仏具なども茶会に展示し、江戸時代後半には大徳寺物や宗匠物など、茶の湯の世界でしか通用しないものが茶道具として幅を利かせていた状況を打破、文化的・美術的価値があれば、茶道具の概念から外れても茶会に使用できる道を開く 近代数寄者の多くは実業家で、茶道具蒐集の傍ら、美術工芸品にまで対象を広げている 明確な茶の湯論を確立した人は少なく、もっぱら「趣味至上
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