陰翳礼讃  谷崎潤一郎  2012.6.29.

2012.6.29. 陰翳礼讃

著者  谷崎潤一郎 

発行日           2001.12.25. 印刷             1.10. 発行
発行所           中央公論新社(中公クラシックス) 中央公論社刊『谷崎一郎全集』第20(1982.12.)、第21(1983.1.)、第22(1983.6.)からの転載

日本経済新聞 「危機と日本人」(山折哲雄)において、日本の文化・風土論として言及
12-06『童の心で』に言及

純日本風の家屋を建てて住もうとするが、近代生活に必要な暖房や照明や衛生の設備を退けるわけにはいかない
電燈などはわれわれの眼の方が馴れっこになっているので、馴染まないことをするよりは、あの在来の乳白ガラスの浅いシェードをつけて、球をむき出しに見せて置く方が自然で、素朴な気持ちもする
扇風機は、あの音響といい形態といい、未だ日本座敷とは調和しにくい
障子1枚にしても、趣味からいえばガラスを嵌めたくないけれども、徹底的に紙ばかり使おうとすれば、採光や戸締り等の点で差支えが起こる
暖房の設計には苦心。ストーヴと名のつくもので日本座敷に調和するような形態のものは1つもない
浴室と厠も困る。浴槽や流しにタイルを張るのは経済や実用の点から万々優っているのはいうまでもないが、天井、柱、羽目板等に結構な日本材を使った場合、けばけばしいタイルとでは如何にも全体との映りが悪い。厠は、母屋から離れた薄暗い光線の中にうずくまって、ほんのり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持ちは何ともいえない。漱石先生は毎朝便通に行かれることを1つの楽しみに数えられ、それは寧ろ生理的快感であるといわれたそうだが、その快感を味わう上にも、閑寂な壁と、清楚な木目に囲まれて、眼に青空や青葉の色を見ることのできる日本の厠ほど、恰好な場所はあるまい。或る程度の薄暗さと、徹底的に清潔であることと、蚊の呻りさえ耳につくような静かさとが、必須の条件なのである。タイルを張りつめ、水洗式のタンクや便器を取り付けて、浄化装置にするのが、衛生的でもあれば、手数も省けるということになるが、その代わり「風雅」や「花鳥風月」とは全く縁が切れてしまう
東洋に西洋とは別の独自の科学文明が発達していたなら、われわれの社会の有様が今日とは違ったものになっていただろう
万年筆を日本人か支那人が考案したとしたならば、必ず穂先は毛筆にしたであろう
他人の借り物ではない、ほんとうに自分たちに都合のいい文明の利器を発見する日が来ただろう
映画を見ても、陰翳や、色調の工合が違っている。写真面だけで、何処かに国民性の差異が出ている。西洋人の方は、もともと自分たちの間で発達させた機械であるから、彼等の藝術に都合がいいように出来ているのは当たり前で、われわれは実にいろいろの損をしていると考えられる
近代医術が日本で成長したのであったら、病人を扱う設備も機械も、何とかして日本座敷に調和するよう考案されていたであろう
京都の「わらんじや」という料理屋では古風な燭台を使うのが名物。漆器が雅味のないものにされてしまうのは、採光や照明の設備がもたらした「明るさ」のせいではないか。「闇」を条件に入れなければ漆器の美しさは考えられない。漆器の肌は、幾重もの「闇」が堆積した色であり、周囲を包む暗黒の中から必然的に生まれ出たもの
陶器もいいが、漆器のような陰翳がなく、深みがないばかりか、手に触れると重く冷たく、熱を伝えることが早いので熱い物を盛るのに不便、その上カチカチと音がする
漱石先生は「草枕」の中で羊羹の色を讃美しておられたが、あの色などはやはり瞑想的
濃口の「たまり」は、陰翳に富み、闇と調和している
われわれの調理が常に陰翳を基調とし、闇というものと切っても切れない関係にあることを知る
建築にしても、日本では大きな屋根の庇の下にただよう濃い闇や薄暗い陰翳の中に家造りをする。美は常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に沿うように陰翳を利用するに至った。日本座敷の美は全く陰翳の濃淡によって生まれているので、それ以外に何もない。室内へは庭からの反射が障子を透かしてほの明るく忍び込むようにする。座敷の美の要素は、この間接の鈍い光線に他ならない。壁もわざと調子の弱い色の砂壁を塗る。掛け軸を飾り花を活けるが、それ自体が装飾の役をしているよりも、陰翳に深みを添える方が主で、床の間の壁との調和、即ち「床うつり」を第一に貴ぶ。書や絵の巧拙と同様の重要さを裱具に置くのも実にそのため
日本座敷を1つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分。如何に日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭の使い分けに巧妙であるかに感嘆する。特別なしつらえがあるのではなく、ただ清楚な木材と清楚な壁とをもって1つの凹んだ空間を仕切り、そこへ引き入れられた光線が凹みの此処彼処へ朦朧たる隈を生むようにする。空間を埋める闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらも、そこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。西洋人のいう「東洋の神秘」とは、かくの如き暗がりが持つ無気味な静かさを指すのであろう。その神秘の鍵は畢竟それは陰翳の魔法であって、もし隅々に作られた蔭を追い除けてしまったら、忽焉としてその床の間はただの空間に帰する。虚無の空間を任意に遮蔽して自(おの)ずから生じる陰翳の世界に、いかなる壁画や装飾にも優る幽玄味を持たせた
大きな建物の奥の光が届かなくなった暗がりの中にある金襖や金屏風を見ると、黄金というものがあれほど沈痛な美しさを見せるときはないと思う
美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のアヤ、明暗にあると考える
昔の玉虫色に光る青い口紅は、ほのぐらい蝋燭のはためきを想像しなければ、その魅力を解し得ない。女の紅い唇をわざわざ青黒く塗りつぶして、それに螺鈿を鏤め、豊艶な顔から一切の血の気を奪った
既に日本が西洋文化の線に沿うて歩み出した以上、老人などは置き去りにして勇往邁進するより仕方がないが、でもわれわれの皮膚の色が変わらない限り、われわれだけに課せられた損は永久に背負っていくものと覚悟しなければならぬ。尤も私がこういうことを書いた趣意は、何等かの方面、例えば文学藝術等にその損を補う道が残されていはいまいかと思うから。私は、われわれが既に失いつつある陰翳の世界を、せめて文学の領域へでも呼び返してみたい。文学という殿堂の檐(のき)を深くし、壁を暗くし、見え過ぎるものを闇に押し込め、無用の室内装飾を剥ぎ取ってみたい。それも軒並みとはいわない、一軒ぐらいそういう家があってもよかろう。まあどういう工合になるか、試しに電燈を消してみることだ

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