恋愛及び色情  谷崎潤一郎  2012.6.30.

2012.6.30. 恋愛及び色情

著者  谷崎潤一郎 

発行日           2001.12.25. 印刷             1.10. 発行
発行所           中央公論新社(中公クラシックス) 中央公論社刊『谷崎一郎全集』第20(1982.12.)、第21(1983.1.)、第22(1983.6.)からの転載


西洋では「恋愛のない文学」や「小説」がよほど不思議に思われているのは事実で、政治小説や社会小説、探偵小説などもあったが、それは多く純文学の範囲を脱した「功利的」なもの、もしくは「低級」なものとされていた
日本の茶道では、昔から「恋」を主題にした軸物は禁止。恋愛を卑しめる気風は日本ばかりでなく、東洋においては珍しいことではない。恋愛を扱った作品がわれわれの文学史において丁重な扱いを受けるようになったのは、西洋風の物の見方が始まってから以後のこと
浮世絵が西洋人によって発見され、世界に紹介されたのも、西洋人にとって分かりやすかったからに他ならない
平安朝の文学に見える男女関係は、女性崇拝の精神で、女を自分以上に仰ぎ見てその前に跪く心
徳川期の恋愛物は、所詮町人の文学であって、「調子が低い」
西洋文学のわれわれに及ぼした影響で最も大きいものの1つは、実に「恋愛の解放」――もっと突っ込んでいえば「性欲の解放」にあった
紅葉における女性の見方と漱石のそれとでは著しい差があるが、それは個人の相違ではなく、時勢の相違
恋愛を露骨に現わすことを卑しみ、かつその上にも色欲に淡白な民族であるから、われわれの国の歴史を読んでいても蔭に働いた女性の消息というものが一向明らかに記してない
「女」と「夜」は今も昔も附き物。現代の夜が太陽光線以上の眩惑と光彩とをもって女の裸体を隈なく照らし出すのに反して、古の夜は神秘な暗黒の帳をもって、垂れ込めている女の姿をなおその上にも包んだのであった

日本語に色気という言葉がある。西洋語に訳しようがない。
昔はよく、家庭に舅や姑がいてくれた方が、かえって嫁に色気が出るといって、それを喜ぶ夫があった。嫁が親たちに遠慮しつつ、陰で夫にすがりつき、愛撫を求めようとする――つつましやかな態度のうちに何となくそれが窺われるーーその様子に、多くの男はいいしれぬ魅惑を感じた。放縦で露骨なのよりも、内部に抑えつけられた愛情が、包もうとしても包み切れないで、ときどき無意識に、言葉使いやしぐさの端に現れるのが、一層男の心を惹いた。色気というのはけだしそういう愛情のニュアンスである。その表現が、ほのかな、弱々しいニュアンス以上に出て、積極的になればなるほど「色気がない」とされた。生まれつき備わっている人とそうでない人がいるが、たといそれが乏しい人でも、心の奥にある愛情――あるいは欲情――を、出来るだけ包み隠して、一層奥の方へ押し込んでしまおうとする時に、却ってその心持が一種の風情を帯びて現れる。女子を儒教的に、武士道的に教育すること、――すなわち女大学流の貞奴を作るということは、半面において、最も色気のある婦人を作ることだったのである

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