強制不妊  毎日新聞取材班  2019.7.27.


2019.7.27.  強制不妊 旧優生保護法を問う

著者 毎日新聞取材班 デスク栗田愼一

発行日           2019.3.15 印刷      3.30. 出版
発行所           毎日新聞出版


プロローグ―― 一刻も早く1人でも多く
取材班は1712月、宮城県の女性が不妊手術を強制したのが憲法違反として国家賠償訴訟と謝罪を求めて提訴する方針であることを特報したのを機に発足
ナチス・ドイツの断種法(元々はアメリカが手本)をモデルとする戦前の国民優生法(194048)を前身とし、「不良な子孫の出生を防止する」と謳い、障碍者たちの生殖機能を奪った「悪法」がなぜ、戦後半世紀近くも続いたのか。96年母体保護法に改定された後、どうして20年以上も被害者が放置されていたのか
反響は種々寄せられても、被害者本人や家族からの連絡は稀
17年末から優生保護法を巡る問題が報じられるようになる
厚生省の統計によると、不妊手術をしたのは「強制」「同意」を含め24,991人。18年以降裁判を起こしたのは19人のみで、裁判にまでつながるケースは極めて少ない ⇒ 被害者自身がなくなっていたり、記録がなかったり、周囲に身内の恥を表沙汰にしたくない人がいることなどが背景にある
16年の津久井やまゆり園の障碍者殺傷事件でも、被害者の遺族は匿名での発表を望み、県警が応じたのも、日本ではすべての命はその存在だけで価値があるという考え方が当たり前でなく、優生思想が根強いため
優生保護法の強制不妊手術にかかわった医師や行政職員のなかには、「現代の人権感覚」を持ち出して、当時行われた手術を問題視されることに不満を隠さない人たちが少なくない。優生保護法が社会に根付かせたともいえる「当時の人権感覚」は本当になくなったのだろうか。優生保護法下の人権侵害を報道しなかったマスコミ不信もある
高齢化した「語れない」人の多さが、優生保護法を巡る闇の深さを物語る。一刻でも早く1人でも多くの人権を回復し、当事者家族が望む救済に繋げることが急がれる

第1章        奪われた「産む権利」
46年宮城県の貧しい家に生まれ、中3で地域の民生委員から知的障碍者施設への入所を通告され、卒園後は「職親」の下で手術を強いられ、県の「診療所」に連れていかれ注射されて知らない間に施術された。何の説明も受けないまま実家に戻って数日後、両親の会話から「子供が埋めなくなる手術」だったことを知る
体調の変化に苦しみながら、結婚離婚を繰り返し、今は1人暮らしで、偽名で人権侵害を告発し続ける
男性も、再婚した父に反抗するように生活が荒れた末、市の救護院に入所させられた後、中学生で何も知らされずに強制不妊手術を施され、先輩から手術の内容を聞かされて愕然。結婚して幸せな家庭を持ったが、手術のことを打ち明けたのは妻が白血病で死ぬ直前
ハンセン病患者は、子どもを持つことが認められず、妊娠しながら中絶
優生保護法が定めた強制不妊の対象に、脳性麻痺はない。出産時の事故や誕生直後の高熱などが原因で遺伝性はないとわかっていたからで、しかも保護法でも子宮の摘出を認めていないが、医者は「子宮筋腫」という虚偽の診断名をカルテに記し手術した
60年代の北海道では、素行不良者を「精神疾患者」と見做して警察の手で精神病院へ強制収容することが認められ、当然のように断種手術の対象となった
184月強制不妊手術を巡る国賠訴訟の原告で初めて実名報道がでる
192月現在、全国で計20人が7地裁に提訴、いずれも自分で意思を示せる人ばかり、知的障碍者や精神障碍者は声さえ上げられない

第2章        消えた記録
国は強制不妊の実務を地方に委ねたが、8割の個人記録が保存(自治体により310)終了で消えていた
国は再審査制度(手術の決定通知後2週間以内に異議申し立ての再審査を申請できるとした)を盾に法律を正当化
国に再審査の記録開示を求めたところ、最初は「ない」が後に「1件だけあった」に。隠蔽の疑念は拭えない。最終的に3,596人の資料・記録が出てきたが、法施行後に手術を受けたとされる16,475人の22%に過ぎない
公文書がなければ被害事実は存在しえない
一方で、厚生省公衆衛生局精神衛生課が57年に各都道府県宛てに優生手術の実施件数の予算達成の課長通達を発出
資料から垣間見える手続きの杜撰さも問題 ⇒ 手術の審査会が持ち回りで処理されていたことや手術決定後に反発した親を侮辱したり不必要な同意書を取ろうとしたりしていた

第3章        加害者は誰か
強制不妊が正当化された根拠は障碍の遺伝。根拠を疑う声を無視して国会が法制定、人権侵害を疑う声が上がっても続行。施行後10年で手術件数は下降に転じたが、それでも国は推進。優生保護法を疑わない社会が出来上がっていた
4712月の国会で、社会党の加藤シズエヱが、当時は稀だった議員立法であることを誇る ⇒ 引き揚げによる人口過剰に直面、戦争で「健全な青年」が減ったため、「人口の質が劣化する逆淘汰を防ぐ」という考えが正当化され、国の方針を忖度する形で議員が動いた
戦前の国民優生法は同意手術に力点が置かれ、強制手術は1件も確認されていない
スウェーデンの強制断種の法律を参考に、優生保護法の導入による「文化国家建設」を謳った社会党案は審議未了となったが、再提案を主導したのが後に発足する自民党に合流した保守系の参院議員谷口弥三郎。不服審査を保障することで人権侵害との批判をかわし、超党派で可決。異論や反論が出された形跡はない
地方からの人権侵害による憲法違反との声も、国の通知によって「解消」され、国家予算に裏付けされた強制手術は右肩上がりに増加。さらに予算不足が指摘され加速
減少傾向の歯止めとして、予算増加と対象の拡大
GHQも、ナチス断種法より危険と指摘しながらも、議員立法という当時の日本では希有な「民主的手続き」で多くの障碍者の排除を狙った日本側の自主性を尊重して黙認
民政局のユダヤ系亡命ドイツ人法律家は、三審制や刑事訴訟法など戦後日本の司法制度改革を主導した人物で、悪質な内容と危険視、同時に濫用の懸念を見抜いていた
かつて優生学は世界的にも「最新の科学」とされ、優生政策は科学の権威を纏って官学一体で推進 ⇒ 非科学性指摘後も、科学者や医療者は生殖能力を封じるという究極の人権侵害に関与し続け、優生保護法を放置
日本精神神経学会の幹部は、精神障碍者の処遇改善に取り組んできたつもりだったが、本当の姿が見えていなかったと最近になって後悔を口にする
精神障碍者団体の要望を受けて、学会が国に優生保護法改正を求める意見書提出したのは91年で、厚生省研究班が88年に強制手術について否定的な見解を示したあとのこと
欧米諸国では20年も前から優生学に対する疑念から政策の見直しが相次いでいた
国民優生法時代は、「疾患の遺伝」を理由にした強制手術に疑問を投げかける精神科医が少なくなかったが、戦前の知見では明確に否定することは困難
優生保護法の時は、同じ精神科医が不妊手術促進の財政措置を求める陳情書を提出
60年代になると、向精神薬の服用で精神障害が制御できるとの認識が広まり、70年代には人権意識の高まりの反映と共に国内外で遺伝性の根拠に疑問を持ち、強制手術廃止の動きが加速したが、日本の学会は動じなかった
産婦人科医も優生保護法成立を後押し ⇒ 刑法の堕胎罪回避のためのヤミ中絶から母体を守ることが目的。人工妊娠中絶が毎年100万件を超え、開業医の収入源(優生利権)
手術は科学者の研究のためにも利用 ⇒ 保護法に基づく中絶の胎児を解剖し脳の検査をしたことが告発され、人体実験と非難
日本精神神経学会は、今年優生保護法下で国の優生政策に関与した歴史の検証を始める予定。医師や施設関係者でつくる日本精神衛生会も同様の委員会を発足済み
ドイツの精神医学精神療法神経学会は、2010年ナチス政権下での不妊手術や障碍者ら少なくとも20万人以上の安楽死への精神医学者の関与を検証し謝罪
当時、強制不妊手術の必要性を誰が申請し、判断していたのか ⇒ 日常業務として決裁印を押していた役人にとって人権侵害に関わったという感覚は薄い
北海道で審査会の委員をしていた元家裁判事補は、誰も疑問に思わず、一生懸命やっていたので、実名報道されても悪いことをしているわけではないと証言
手術は法律に基づく「日常業務」で、国家が優生思想に法律というお墨付きを与えた時、あってはならない人権侵害が「正義」とされ、正当化された ⇒ ハンナ・アーレントの「悪の凡庸」と同じであり、行為に関わった人に実感を持てなくさせたことこそが「国家の罪」
官僚の不作為 ⇒ 過去の論文中に、73年当時、医師資格を持つ厚生省衛生局長が、優生保護法の根拠となる「精神疾患の遺伝性」について、事実上否定していたことを示す記録があり、課内で共有されていた認識だったことが裏付けられた。まだ精神医療に光が当たっていない時代に臨床経験を積んだ医師が技官として入省。指摘後も強制不妊の実体には目を向けていない。課内では優生保護法は古臭い法律でお荷物扱い
報道機関も、法律の可決記事はなく、49年初めて社説で取り上げた際も「貧困者の中絶」に焦点が置かれ、日本の自力再建には産児調節こそ重要と力説。さらには強制不妊の主な対象とされた精神障碍者への偏見を助長するような、「凶悪犯罪を引き起こす危険がある精神異常者」などと書く記事が少なくなかった。「疑問の機会」は何度もあり、中絶と女性の権利の問題が議論されたり、障碍者の人権保障を訴えた局面でも強制不妊の問題と結びつくことはなかった。96年らい予防法に続いて母体保護法成立の際も強制不妊の実態調査や被害者への保障など問題視する記事はなく、翌年北欧で強制不妊手術の実体が報道され世界的な注目を集めるに至って初めて日本でも被害者救済活動からの投稿を掲載
教育の現場でも優生保護法は取り上げられ、法の上で位置づけた差別・偏見の普及を図ったのが教科書で、指摘を受け80年代に精神病の記述自体が消え、正しい知識を学ぶ機会がないまま偏見だけが残った。18年の指導要領で漸く「精神疾患の予防と回復」の項目が出来、精神疾患について「心理的、生物的、または社会的な機能の生涯などが原因」と紹介し、調和のとれた生活の実践や早期に専門家に援助を求めることと同時に、「偏見や差別の対象ではないことなどを理解できるようにする」と記している

l  優生学の誕生
「優生学の祖」は、イギリスの生物・統計学者フランシス・ゴルトン(18221911)
優れた才能を持つ芸術家や学者の家系を調べ、「人間の能力は遺伝する」との主張を展開、eugenicsという言葉を初めて用いる ⇒ ギリシャ語で「良い種」を意味し、「人類の先天性を改善するあらゆる影響を扱う科学」と定義づけた
人口の集中と共に貧富の格差が生まれ、スラム街が社会不安を増長、貧困層を軽蔑して対策を求める
『種の起源』のダーウィンはゴルトンのいとこで、進化論が人間社会に応用された「社会ダーウィニズム」が登場すると、拡大解釈されて自然淘汰の代わりに人工的な「人間の品種改良」が可能だと考えられた ⇒ ゴルトンの優生学誕生の誘因
政策として取り入れたのはアメリカが最初で、1907年インディアナ州で初の断種法成立、32州で断種法が成立して、優生学が実践の段階に入り、3万人以上が不妊手術を強制された ⇒ 「進歩主義時代」と呼ばれた時代背景があり、科学的方法が重視されるとともに、移民の増加で社会の「質の低下」が危惧され、遺伝学者ダベンポートが主導して中流以上の白人家庭を守るために優生学を利用
ドイツでは「民族衛生学」となって発展、「文明が発達するほど弱者保護が進んで淘汰が阻害され、人間の退化が進む」として「民族の転落を避けるためには、生殖の質のレベルで操作すべき」と説いた ⇒ アメリカを真似た断種法「遺伝病子孫予防法」制定。先天性知的障碍や精神分裂症のほか、重度のアルコール依存症も含み、手術は36万人に上る。39年の「T4作戦」は断種から進んで安楽死を計画、障碍者ら7万人を殺害(非公式には2030)
北欧でもドイツの影響でデンマークは29年、スウェーデンは34年に断種法を制定、福祉の対象として相応しい人を選別した

第4章        被害者救済と補償
2013年多重債務者支援の「人権派弁護士」新里宏二は、優生保護法も強制不妊も知らずに、20年間も被害を訴え続けてきた女性の話を聞いて驚愕。謝罪を求める会や医療社会学を専門として優生保護法の問題点を告発し続けてきた東大教授とも面談
17年に公開請求した宮城県庁からは、審査会記録などが廃棄される前に当時の職員が手術された個人の情報を書き写して保管していた「優生保護台帳」が発見され、6381年に強制手術された859人の手術記録が手書きされていた
開示から1か月後、新里の呼びかけに10人の精鋭が集まり、1年後に弁護団発足
不法行為(=72年の手術)に基づく賠償請求の除斥期間である20年が壁
裁判をきっかけとして政治的解決に持ち込む案も考えられたが、勝ちに拘る
98年の最高裁判決が、予防接種の副作用で重い心身障害を負った国賠訴訟で、「著しく正義・公正の理念に反する場合は除斥期間の適用を制限できる」との判断を示したのに注目
1712月毎日新聞がトップで提訴を報道
弁護団の主張に「立法不作為」が盛られる ⇒ 96年の法改正の際、改正の理由を障碍者差別に当たるとしたのは人権侵害を認めたことであり、更に04年厚労相の坂口力が救済などの対応を約束したと捉える発言をしており、その後の対応は不作為そのもの
憲法13条が保障する「リプロダクティブ・・ライツ」が侵害されたとの主張 ⇒ 優生保護法の違法は「子供を産めなくした」ことではなく、「産むか産まないかの自由」が侵害されたものであり、人間としての「自由」が侵害された
181月全国初の国賠訴訟提起
96年の法改正の後最初に国の責任を追及したのは社会党を前身とする社民党の福島瑞穂で、97年発足の「謝罪を求める会」のメンバーとは昵懇、98年参院選で初当選すると04年に厚労委員会で国による検証や補償につき質問
厚労相の坂口は、01年のハンセン病の国賠訴訟で地裁の原告勝利の直後、小泉総理に控訴断念を決断させ、大臣として異例の謝罪文も発出していたが、福島の質問に対し、「今後考える」と答弁するのみ、16年再度厚労相の塩崎恭久に質問し「対応したい」との言質を取る
17年末の毎日の報道が空気を換え、与党議員も反応し尾辻秀久を会長に超党派議連が誕生
188月「法逸脱」「無記録」も救済する素案ができ、12月の与党との会合でも合意
法案成立に備えて、被害者や家族に真摯に向き合う政府の姿勢が問われる
宮城県庁は18年国賠訴訟を受け、公文書館から優生保護法関連の資料を再び県に移管する異例の決定 ⇒ 救済立法の動きに伴い、個人記録の開示請求が来ることを想定し、「歴史資料」ではなく現在の業務に必要な「行政文書」と見做される。先の「台帳」に加え「手術実施報告書」からも新たに70人分の記録を見つけた
山形や北海道などは、トップのイニシアティヴで聞き取り調査や情報開示が進められた

第5章        優生保護法が問うこと
妊娠がわかった知的障害を持つ女性が、若い男性の産婦人科医から、「あなたが育てられるの?」と言われたのは、法改正から10年もたった時。生活保護を受けていると2人目は産めないとベテランカウンセラーに言われて中絶した後、出産助成があることを知った
「性・結婚・子育て」は人が生きる上で当り前のニーズでありながら、暴力的に封じ込め「産み育てる権利」を奪った優生保護法を推進した「国家の罪」を改めて考えさせる
障碍者とその家族が置かれた状況は、法改正の前後でそれほど変わらないのが現実で、優生保護法がなくなっても障碍者や家族を支える福祉サービスが充実しなければ、社会は良くならないし、障碍者の将来を考えると不妊手術という親の選択も一概に非難は出来ない
優生保護法なき現代の「優生思想」 ⇒ 日本の出生前診断は70年初頭優生保護法に基づく政策の一環で普及。兵庫県が「不幸な子供の生まれない運動」の中で羊水検査の費用を県費で負担する制度を創設、各地に広がる
99年にも新技術と騒がれた「母体血清マーカー」を巡り「マススクリーニング(一斉検査)」の懸念から積極的に勧奨するべきではないとの見解が公表されたり、13年に臨床研究の形で国内解禁された新型出生前診断NIPTの導入の際も生命の尊厳への毀損として警告
NIPTで異常が確定すると9割以上が人工中絶を望むが、母親の健康を守る「身体的・経済的理由」を当てはめて中絶が実施されているが法的にはグレーゾーン
禁止の指針を無視したクリニックを批判してきた日産婦も17年にはスクリーニングの効果を確かめる臨床研究に踏み切り、「命の選別」にブレーキをかける役目の学会が、アクセルに踏み変え、「底が抜けた」と障碍者団体は危機感をあらわにした
「障碍のある子がいるイコール不幸という決めつけが蔓延している。どんな人でも受け入れられる社会にしてほしい」と患者サイドは言うが、出生前診断に積極的な医師は、現在の福祉状況の貧しさを指摘、この状況では何が何でも産めとは妊婦に言えないという
科学技術の進歩で調べられる「異常」は遺伝子レベルで広がり続けている
17年には、本人は病気を発症しないが、病気の子が生まれる可能性がある保因者診断のビジネス展開を目指す動きが国内であり、人類遺伝学会などが、「生命の選択や家族関係の破綻に至る可能性がある。国民に不安を与え、社会的混乱を招く」と警鐘を鳴らした
かつての優生政策は「国家による強制・介入」だったのに対し、出生前診断は「個人の選択」として区別されるが、「個人の選択」が集まれば「社会の選択」となる
優生保護法を問う作業は、過去の検証だけでなく、現在、未来へと続く社会全体のあり様を考える作業でもある

エピローグ――「同じ未来」を描けるか
192月仙台地裁で国賠訴訟の初めての原告本人尋問 ⇒ 「国が変わらなければ(障碍者差別が残る)社会は変わらない」など、当事者が自分の言葉で裁判官に語りかけたことに「奇跡」を感じる




社告
「強制不妊」報道を本に
毎日新聞2019328日 東京朝刊
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/03/28/20190328ddm001010049000p/7.jpg?1
毎日新聞取材班が書き下ろしたノンフィクション単行本「強制不妊 旧優生保護法を問う」
 今年度の日本新聞協会賞を受賞した毎日新聞のキャンペーン報道「旧優生保護法を問う」が、単行本「強制不妊 旧優生保護法を問う」として毎日新聞出版から出版されました。歴史に埋もれていた被害や新事実を掘り起こした渾身のノンフィクションで、新聞に掲載した記事を全面的に改稿、加筆、再編集しました。
 障害者らに不妊手術を強いた旧法は1948年から96年まで続き、被害者は少なくとも25000人います。しかし、手術を証明する公文書の大半がなくなり、被害者は高齢化しました。そうした中、本書は、取材班がどうやって事実を積み上げたのかに加え、取材中に感じた思いも記録しました。現場には多くの迷いや葛藤があったからです。
 差別を恐れ息を潜めて生きる被害者や家族がいる一方、支援を受けながら子育てをする障害者夫婦や、「障害ある姿を見せることが大事」だと社会と交わる人もいます。そんな人々への取材を通じ、旧法を問う意味や、今国会で成立予定の救済法のあり方を考える材料も示しました。
 章立ては、奪われた「産む権利」消えた記録加害者は誰か被害者救済と補償優生保護法が問うこと--の5構成。巻末には、旧法を巡る近現代史年表や旧法制定と改定前後の国会議事録の特集、都道府県の開示文書や救済法案の概要を掲載し、資料性を高めました。全国各地の弁護団相談窓口も載せています。
 304ページ、定価1600円(税別)。お求めは、書店または毎日新聞販売店へ。


「強制不妊問題と国の責任」(視点・論点)
20190417 () NHK 解説委員室
立命館大学 副学長 松原 洋子
411日に、衆議院本会議で強制不妊救済法案が全会一致で可決されました。正式な名前は、「旧優生保護法に基づく優生手術等を受けた者に対する一時金の支給等に関する法律案」といいます。旧優生保護法のもとで、強制的に不妊手術をされたり放射線を当られたりして生殖能力を奪われた人々に対し、一時金320万円を支給することなどを定めたものです。
「優生手術」とは、旧優生保護法で定められていた不妊手術のことです。精子や卵子の通り道である男性の精管や女性の卵管を縛ったり、切ったりして、子どもができないようにする手術です。
s190417_002.jpg
1948年に制定された旧優生保護法では、「優生保護」と「母体保護」の2つの目的をかかげ、「優生手術」や人工妊娠中絶を条件つきで認めてきました。しかし、「不良な子孫」の出生防止という優生思想にもとづき、遺伝性疾患、精神障害、知的障害、ハンセン病を理由とした優生手術と中絶を認めていた規定については、人権侵害であるという理由で、1996年の改正で全て削除されました。法律名も「母体保護法」にかわりました。
ここでは、強制不妊救済法案をてがかりに、「国の責任」を中心に、強制不妊手術問題が私たちに何を問いかけているのかを、考えていきたいと思います。
まず、強制不妊救済法案が提出された背景からみていきます。
昨年130日、宮城県の60代の女性が、15歳のときに受けた強制不妊手術の被害を訴えて、仙台地裁に国家賠償請求訴訟を起こしました。1948年から96年まで施行されていた旧優生保護法では、遺伝性疾患や精神障害などを理由に、本人の同意がなくとも不妊手術を強制的に行えるようになっていました。提訴した女性は遺伝性の知的障害であることを理由に手術されていました。
この提訴をきっかけに、昨年2月以降、新聞、テレビ、インターネットなどのメディアが公文書の情報公開請求や被害者および専門家の取材を開始し、この問題を集中的に報道しました。その結果、強制的な不妊手術の驚くべき実態が社会に広く知られるようになりました。たとえば、10歳に満たない子どもにも不妊手術が行われていました。特に問題視されたのは、国が強制不妊手術を推進し、その政策の実務を都道府県に担わせてきたこと、また、医療や福祉の担い手が組織的に関わってきたことでした。
これらの事実は、社会で大きな反響を呼びました。そして、旧優生保護法下での強制不妊手術を批判し、被害者の救済を求める世論が形成されてきました。
こうした世論に励まされて、これまで沈黙していた人々が重い口を開いて被害を語り、国の責任を問うようになりました。昨年5月には全国レベルの弁護団が結成され、現在までに20名の原告が、全国7地裁で国を相手取って損害賠償請求訴訟をおこしています。
強制不妊救済法案は与野党が協力して立案し、議員立法として国会に提出されたものです。
s190417_004.jpg
法律案の前文では、旧優生保護法のもとで、「多くの方々」が「生殖を不能にする手術又は放射線の照射を受けることを強いられ、心身に多大な苦痛を受けてきた」ことに対して、「我々は、それぞれの立場において、真摯に反省し、心から深くおわびする。」と述べられています。衆議院本会議では、この「我々」が誰を指すかについて、旧優生保護法を制定した国会や政府を特に念頭においている、と説明されました。さらに前文の最後は、「国がこの問題に誠実に対応していく立場にあることを深く自覚し、この法律を制定する」と結ばれています。
そうであれば、なぜ「反省とお詫び」の主語を、「我々」ではなく「国」としなかったのでしょうか。強制不妊手術の被害者や支援者たちは、「国」の責任を明確にすべきだとして、この点を強く批判しています。確かに、強制不妊手術には、「国」だけでなく、都道府県、市町村、専門家の団体や、医療・福祉・教育の関係者、さらには家族なども関与していました。それぞれが「我々」として、反省と自己検証の対象となりえます。
しかし、ここで忘れてはならないのは、遺伝性疾患の患者や障害者に対する強制的な不妊手術は、旧優生保護法がなければ実施できなかったということです。
20
世紀の初めに「断種法」が、アメリカやヨーロッパを中心に世界各国で制定されたのは、こういう法律がなければ、優生目的の不妊手術が違法行為とみなされる恐れがあったためです。
s190417_005.jpg
日本でも戦時中の1940年に「国民優生法」が制定されました。その後敗戦によって、日本は過剰人口問題に直面し、戦後復興が課題となりました。そうした状況に合わせて国民優生法を作りなおし、1948年の優生保護法ができました。これによって、戦中よりも戦後になって、優生手術が盛んに行われるようになりました。「国」は旧優生保護法を運用し、都道府県を監督し、強制不妊手術を行わせてきました。その「国」に主たる責任があることは明らかです。
ところが一方で、強制不妊手術の実施において、国の政策の何がどのように問題であったのかについては、具体的には明らかになっていません。この間、専門家やメディアの調査でわかってきたことは、あくまでも氷山の一角にすぎません。実態を知るには本格的な調査が必要です。国も、旧優生保護法下での実態について把握していないので、当時の政策の是非を判断する根拠を実はもっていないのです。
強制不妊救済法案の第21条では、病気や障害の有無にかかわらず互いを尊重する社会を実現するため、旧優生保護法に基づく優生手術等に関する調査その他の措置を講ずる、とされています。調査対象には不妊手術だけでなく、人工妊娠中絶も含まれるべきでしょう。これをしっかりと実行して、データを分析し、国の優生政策のなにがどのように誤っていたのかを、明らかにする必要があります。
それは同時に、都道府県、専門家団体、医療・福祉・教育等の関係者、病院や施設等、さらには当事者団体や家族が、どのように優生手術に関わったのかを浮き彫りにすることにもなります。
私たちは、強制不妊手術の被害者の苦しみや実態を、昨年までほとんど知りませんでした。「不良な子孫の出生を防止する」ことをうたい「優生保護」を目的とした法律に手をつけないまま、戦後50年近く運用してきた社会、病気や障害の問題を解決する手法として、生殖を不能にする手術を利用してきた社会、日本に暮らす私たちはそのような社会に生きてきました。
現在、新型出生前診断やゲノム編集のような新しい技術が注目されています。病気や障害を私たちが社会のなかでどのようにとらえるのかによって、これらの技術への向き合いかたも変わってきます。旧優生保護法のもとでの強制不妊手術問題を知ることは、現在を見直し、未来への選択を変えていくことにつながるのではないでしょうか。


コメント

このブログの人気の投稿

近代数寄者の茶会記  谷晃  2021.5.1.

新 東京いい店やれる店  ホイチョイ・プロダクションズ  2013.5.26.

自由学園物語  羽仁進  2021.5.21.