イオンを創った女  東海友和  2019.5.31.


2019.5.31.  イオンを創った女 
評伝 小嶋千鶴子 日本一の巨大流通グループ創業者、岡田卓也実姉の人生と経営哲学

著者 東海友和 三重県生まれ。岡田屋(現イオン)にて人事教育を中心に総務・営業・店舗開発・新規事業・経営監査などを経て、創業者小嶋千鶴子氏の私設美術館の設立に関わる。美術館の運営責任者として数々の企画展をプロデュース、後に公益財団法人岡田文化財団の事務局長を務める。その後独立し現在、東和コンサルディングの代表、公益法人一般企業のマネジメントと人と組織を中心にコンサル活動をしている。特に永年創業経営者に師事した経験から得た、企業経営の真髄をベースにした、経営と現場がわかるディープ・ゼネラリストを目指して活動を続ける。モットーは、「日計足らず、年計余りあり」

発行日           2018.11.4. 第1刷発行      2018.11.21. 第3刷発行
発行所           プレジデント社

岡田屋呉服店という家業を、ジャスコという企業へ、更にはイオングループへと発展させた陰の功労者・小嶋千鶴子。岡田卓也の実姉として数々の合併を成功・発展させた。その手腕を称して、人々は彼女を人事・組織専門経営のレジェンドと呼ぶ―――

はじめに
家業を企業へ、企業からさらに産業へと発展させた類まれなく経営手腕。加えて、その過程で行った数々の合併、それを成功させるに至った彼女の人事・組織経営をしてレジェンドとさえ呼ぶ
小嶋の人事に関する事柄がなかなか次代に継承されなかった理由は、1つには小嶋が裏方・補佐役に徹していたこと、もう1つはあまりにも強い個性を持つがゆえに彼女だからできたと個人的なものとして捉えられてしまうから
50年前に労務管理人事とは一線を画し、今日でいうところの「経営人事」「戦略人事」の概念を確立し、CHRO(最高人事責任者)の役割をやり遂げた
小嶋のなしえたこと、その根底にあるものの見方、考え方を伝承したいという強い欲求から本書を記すことにした
彼女自身が残した著書『あしあと』の中からそのエッセンスを紹介し、咀嚼解説したものが本書 ⇒ 現物はイオン社員のみが入手可能
一口に言って小嶋は難解。エッセンスをどれだけ積み上げても全体像は見えにくく、底なしに深い。深い底には燃え滾る「マグマ」がある。それこそエネルギーの源。それを感じ取ってほしい

第1章        小嶋千鶴子を形成したもの――その生い立ちと試練
1.    宿命――田舎町の呉服屋から
生家の岡田屋呉服店の創業者は江戸時代三河武士で、鈴鹿山系に位置する治田郷というところの鉱山開発の奉行だったが、鉱山が枯渇したところから武士を捨て、1758年に四日市で呉服屋を開業。爾来代々家業として継ぐ
先見的・進歩的な経営で名を馳せ、1887年には「見競勘定」という貸借対照表を導入した複式簿記を採用、92年には店規則を定め、店員の資格制度や給与規定を定める
04年商品券発行、21年洋服部設置、26年株式会社組織に
6代目惣一郎の次女が千鶴子

2.    背負った使命――23歳の当主
27年千鶴子11歳のとき父他界。後を切り盛りしていた母も過労・心労から35年に逝去、長女が継いだが、38年の四日市大洪水の立て直しの疲れから翌年死去、残された唯一の成人である千鶴子が東京の上級学校への進学が決まっていたにもかかわらず断念して後を継ぎ、弟妹の面倒を見ながら会社も切り盛り。すでに婚約者がいたが結婚は延期
43年早大に入学した卓也が帰郷して店の手伝いをする際、千鶴子は厳しく商売を叩きこんだ ⇒ 統制経済の切符制で客の指定登録の獲得が急務だったが、三重県1位を獲得

3.    焦土からの復興――残った先代の遺産
空襲で焦土と化した四日市で、何もかも失ったなかで、岡田屋の商品券の買戻しをいち早く宣言し、信用を揺るぎないものとして、千鶴子の経営者としての名声が上がる
自ら資材をかき集め、463月には開店。新円切り替えの直前にすべて商品に換えてインフレを克服 ⇒ 第1次大戦後のドイツのハイパーインフレの教訓を学んでいた
直後の6月、社長を弟の卓也に譲る

4.    弟と二人三脚――姉から共同経営者へ
家訓「大黒柱の車をつけよ」 ⇒ 変化に柔軟に対応して店舗立地の選定をし、移動すべし
50年卓也に菰野町の大地主の娘を貰わせ、同時期に自らも予てからの婚約者と結婚
結婚後は大阪に行って本屋を開業するが、近鉄四日市駅前での近鉄との百貨店競争勃発で59年には卓也のもとに戻りそのブレーンとして再出発

5.    業態開発とチェーン志向――大きな目標へチャレンジ
近鉄駅前のオカダヤ百貨店は、SSDDS(セルフ・サービス・ディスカウント・デパートメント・ストア)で、仕入れ代金の現払いで安く仕入れたのが大繁盛の要因
卓也は59年の米国市場視察で見たチェーンストア方式がやがて日本にも来ると予測し、積極的にスーパーマーケットのチェーン展開を始める
千鶴子は管理部門の総責任者として、人材確保に奔走 ⇒ 63年には大卒の定期採用の本格開始、女子社員の戦力化、パートタイマーの積極的雇用など推進、社内教育を実施
企業内大学OMC(オカダヤ・マネジメント・カレッジ)を発足
64年に岡崎市に進出 ⇒ 回転披露パーティーの代わりに桜の苗木を寄付、城址の岡崎公園に植えられ桜の名所となった
小売業主導の流通革命を企図、近県の小売店を合併して大型化し、現在のジャスコになっていく ⇒ 東洋紡(大阪紡績と三重紡績の合併)や近鉄(関西急行と南海が合併)も四日市から出て合併により大型化した前例

6.    岡田屋からジャスコへ――大きな舞台への飛躍
69年岡田屋と兵庫のフタギ、大阪のシロの合併により日本ユナイテッド・ストアーズ(通称ジャスコ)誕生 ⇒ 商品、人事制度・待遇、システム各分野での統一に奔走したのが千鶴子
社是「商業を通じて地域社会に奉仕しよう」、従業員行動規範として「ジャスコの信条」、「ジャスコの誓い」制定、シアーズに倣って独自の厚生年金基金も設立
「規模の拡大こそが企業の存続を可能にし、小売業の近代化に結び付く。それがひいては多くの社員の生活も保証する」という信念が、ジャスコという合併会社を形成していく大きな要因の1つ
生涯賃金という捉え方の導入により、政府管掌の厚生年金に加えて、基金からの付加給付を可能にした
同年ジャスコ大学の設立 ⇒ 企業経営は集合知でなければならないという信念が礎

7.    ジャスコの基礎づくり――専門経営者の真価を発揮
東北から山陰まで、地域法人を作ってのチェーン展開
更には専門店と海外展開にも着手 ⇒ DPE、保険、不動産など
71年ニューホリディシステムの導入 ⇒ 計画休暇75/年、連続6日間の休暇2/年、突然の事態に使う調整休暇10日、計97/年とし、76年には年間120日に拡大、1時間ごとの分割取得を実現
76年東証、大証、名証各市場の第2部に上場
77年ジャスコ退任
人事は人間を知ることから始まる。人間を知ることは人間を愛することから始まる。愛することは理解すること、よりよく知ることである。個々人は個々に違う。違うことを知ること。人事担当者は知ることから始める、そのためには聞くこと。注意深く見ることから始める。基本は愛情である。根底には溢れんばかりの人間愛、商売愛があった

8.    退任後のビジョン――10年区切りの人生目標
退任は若い人へのバトンタッチで、常勤監査役に就任
81年相談役

9.    パラミタミュージアム――趣味の風景(夫小嶋三郎一と共に)
03年美術館発足 ⇒ 生き方に共鳴した作者の作品を収集、社会的・金銭的な価値より芸術的価値に視点を置く
回遊式庭園と、池田満寿夫の最晩年の代表作「般若心経の陶彫1300点」、夫の作品が最大の特徴

10. 姉と弟の深層――風樹の嘆
岡田屋時代に伊勢湾台風の遺児に対して「風樹会」を作り、育英資金を贈り続けたが、その後公益財団法人岡田文化財団の支援事業に移管し、貧しい家庭で進学で見ない学生たちにも育英資金を贈っている

第2章        善く生きるということ――小嶋千鶴子の人生哲学
1.    自己の成長・成功のために何をなすべきか
成功する人は必ず自分のビジョンを持つ。それに向けて自分の中の能力を上手に引き出す。自分の持つ潜在能力を100%活用できれば、誰でも自分の思うとおりになれる
マーフィーの成功法則シリーズの翻訳者大島淳一の本を勧める ⇒ 学問で成功するのは頭の良しあしよりも、むしろ心的態度の問題
多くの成功した人とは、終生謙虚に目標を持ち学び続けた人たち

2.    先哲の知恵から学ぶ
わずか50年で人間1人が経験できる事はたかが知れている。その代り先人を始め自分以外の多くの人の知恵に学ぶことができる。これは人間に与えられた素晴らしい特権
人生でよき師を持つことが最も大切。師弟の関係は教わる側が選べばよく、「学びかた」を師から学ぶ

3.    長い人生のグランドデザイン
あんた、私の歳まで生きたとしたらどうするの?
自分自身のマネジメントへの問いかけ
健康管理は、自分自身のマネジメント ⇒ 健康に留意しない人には会社のトップに就けない
退職後の長い人生の生活費の確保も重要 ⇒ 年金以外の蓄財
「過ごし方」 ⇒ 小嶋の場合は陶芸で、アマチュアの域を超える

4.    善く生きるということ
欲のない人はいないが、要は程度の問題で、節度ある欲は活動の原動力となり得るが、節度を超える欲は健全な社会生活を壊す
トップのモラル基準が問われ、従業員にもその基準を求めて初めて、企業としての公共性が保たれる
人間が人間たる所以は、外圧的なコントロールによらず、自己をコントロールできることにあり
善く生きるとは、与えられた環境や境遇に甘えることなく、与えられたものを上手に自分自身で活用する生き方であり、自己の基準(=選択基準、価値基準)を持つこと
お金のたまる方法は、「使わんことと、なんと言っても勤勉が何よりも勝るな」

5.    信頼の基礎は責任感と使命感
店長の仕事で最も重要なことは、地域での会社の代表として、お客様へのサービスと数百人の従業員を預かり責任ある仕事を任されているという使命感を持つこと
他人との「協同」が重要
リーダーとして人を生かし、生かされる上で大切なことは「信頼を得る」ことであり、信頼の基礎は責任感。広さと深さの両方を兼ね備えること

6.    純度の高い自己基準を持つ
低い基準で妥協すると後々体質が弱くなる。会社もそうだし個人ならなおさら。厳しいぐらいでちょうど良い
終戦直後、退職金を払って従業員を一時解雇したが、中には闇市であぶく銭を得ていた者もいたが、そういう者は復職の際は受け付けなかったし、バブル期に目先の利益で転職した者の復職も拒絶
倫理観の希薄な人、動機の不純な人、基準の低い人に対しては厳しく接した
特に合併当初は懲戒事案が多かったのも、それまで放置されていたことが露呈したから

7.    知って行わなければ知らないのと同じ
いつでも大変動の可能性を覚悟しておく。その時自分たちの経験だけに頼って乗り切ろうとしても非常な困難が伴う。だからこそ先人の知恵や経験あるいは歴史に学ぶことが必要
危機に学んだことは3
    情報の大切さ ⇒ 終戦の情報をいち早く掴み、自らも吟味
    知ったことは実行すること ⇒ 終戦とともに預金封鎖を見越して現金を引き出しておいたのが戦後の復興資金となる。実行にはリスクがつきまとうが、実行して初めて結果に繋がる
    危機に備えて準備しておくこと ⇒ 日頃から意識的に情報を集め、それを鵜呑みにせずに自分自身の判断能力と即実行する行動力を身につけておく

8.    女性が男社会で生き抜くには
40過ぎればみな同じや
まだパートという言葉のない時代から、岡田屋では子育てを終了した人の募集を開始、「奥様社員」という呼称で活用
ウーマンリブの風潮にも賛同せず、ある意味女性には厳しかったが、男社会で競争しようとも思わず実力の備わった女性に一目置いた

9.    数をこなすと質に変化する
美術や芸術を見る眼を肥やすには、良いも悪いも関係なくたくさんものを観ること。そうしているうちに良いもの、悪いものが峻別できるようになる。とにかく数をたくさん見ること
確かな情報を得ること、得た情報の正確さを検証する目を養っておくことは重要

10. 仕事の意味付けをする
人事教育の仕事は面白い。人はなぜ働くのかということを一生のテーマで研究したら博士になれる
働く個人の生産性を高めるために直接的・間接的な方法とは
    常に精神状態を肯定的に保つこと ⇒ 否定的な精神状態からは良い結果は生まれない
    一生懸命かつ効率的に働くこと
    知識とノウハウの増加をはかる ⇒ 自己啓発と自己学習により自己の能力を高める
    個人的友好関係を保つ

11. 変革期こそチャンス
人間は安住してしまう。ベテランほどその傾向が強い。自分が今まで身につけてきたものを絶対とする錯覚がある。狭い局面しか見られない。そのような“専門家が企業の将来に禍根を残す。新しい創業をしなければならない。日本の国自体もまた、このような成熟した社会になって、もう一度新しい困難が起きている。それをどのように克服していくかは、私たち国民全員の課題

第3章        トップと幹部に求め続けたもの――小嶋千鶴子の経営哲学
1.    現場は宝の山 ⇒ 「問題あらへんか?」と聞くことで従業員に当事者意識を持たせる
2.    考えるチカラをなくした職場は悲惨 ⇒ 人は愉快な時に働く、人間は人から認められた時愉快になる
3.    理想の会社を追い求めて ⇒ 規模の拡大こそが企業の存続を可能にし、かつ小売業の近代化に結び付く。それがひいては多くの社員の生活をも保証する
社会機関としての会社、公器としての会社という概念があり、経営にも公益性・社会性を求める
4.    会社は社会の機関である――根幹となる哲学 ⇒ つまるところ会社は社会の一員として暗黙の契約をしているという認識が必要。法的・倫理的制約を受ける
5.    蓄積された目に見えない資産 ⇒ 経営者が会社を自分の描く組織に適合させていこうとするとき、何より早く手を付けなければならないのが、見えざる資産の蓄積。長期投資、社会還元、社会的責任、継続的の4つのキーワードで考える
6.    社会的信頼の構築 ⇒ 何をするにしても、その会社や人に対して一定の信頼がないと何も達成できない。信用こそ何物にも代えがたい資産
7.    マネジメントのレバレッジ効果 ⇒ 生産性の低い会社・職場に共通しているのはマネジメント不在か、有効に働いていない場合がほとんど。マネジメントは思想であり、知識、技術、実践でもあって、全体に関わる一切の統合活動、企業の生命維持活動
8.    脇が甘くなる趣味と私事 ⇒ 部下を誘ってゴルフに行くなどはトップ失格。趣味は人知れずやるか、会社を辞めてからすればよい。プロ集団はすべてが「公」であり、会社内に「趣味」や「私事」を持ち込まないのがけじめ
9.    失敗を寛容する心が人を育てる ⇒ 打率3割は良い方。7割の失敗は当然。本人が失敗を隠したり、1回の失敗で意気阻喪したりさせないこと。犯人探しに終わらず、業績不振と失敗の関係を究明すること
10. 不正には厳 ⇒ 不正の看過や甘い処置は組織を蝕む。峻厳な対処が肝要。牽制制度を組織や業務処理にあらかじめ組み込んでおく
11. 競争優位の戦略 ⇒ 二番煎じでは衰退、よく練った独自案こそが会社を成長させるカギ。先進性・先鞭性で変化を先取りする
12. 短期より長期適合性 ⇒ 今日より明日の糧。長期の視点を持ち、形式上ではなく、真の実態評価を独自でするという厳しい経営姿勢こそが求められる
13. イノベーターの芽を摘まない ⇒ 企業発展維持に不可欠なのは、システムを創造できる人材
14. 起案権限 ⇒ 小売業はあまり技術革新の恩恵を受けない産業だが、人の心の革新によって日々提供する商品もサービスも改善し顧客を満足させるという、極めて人間的な産業。起案させることによって心の革新を起こそうとした
15. 成長責任を負う ⇒ 少々の痛みを伴っても、根元的なところから変革していかねばならない。財務諸表による評価は短期的評価であり、トップは経営の長期視点に立っての成長責任を負う。企業経営はつまるところ「資本の増殖活動」であり、基本は収支と資産の回転による増加
16. 根回し調整不要論 ⇒ 根回しや調整済みはろくな案ではない。角張った案こそ必要。戦略とは傾斜的、鋭角であるべき。調和を重んじるあまり丸くなっては意味が無い
17. 良質なDNAを創る ⇒ よい組織風土をつくることがトップの最たる責任。「社格・社柄」の重視。会社ムラの論理が一般社会から乖離するのが一番怖い
会社の風土が未来志向であれば、その風土はさらに発展力を生み出し、良き循環となる。期待や希望があれば、多少の不満があってもそれがことさら大きな問題とはならない。人事政策の基本は、会社の中に良き風土を創造し、維持浸透させること。「自分たちの会社が社会に貢献しているので誇りをもって仕事ができる」と考える社員が多ければ、会社にとって大きな強み。社員に共通する精神面での拠り所が、会社としての総合力を発揮させることになる

第4章        人が組織を作る――小嶋千鶴子の人事哲学
1.    小嶋の経営・人事の特性 ⇒ 組織活性化のため共有しなければならないのが、情報、目的、結果
小嶋の経営人事の特徴は「表に出す」こと ⇒ 方針と実施に一貫性を持たせる
2.    人事の基本は発展力の確保 ⇒ 発展力のある所では、人々が自己の能力を発揮する場への期待がある。役に立っているという効力感、達成感が良き循環を生み、自分の意志でやっているという感激が本人の資産になる
3.    保守的人間の排除 ⇒ 中枢部に保守的人間を置いてはならない。「保守」と「経験」は混同されやすいが似て非なるもの。人事政策の要諦は変化に対応する人材の育成
4.    上がれば下がる、下がれば上がる ⇒ 岡田家の家訓。欲しい時に採らない。平素から良い人物を採用して教育し、事あるときに備えておけということ
5.    エンパワーメントの本質 ⇒ 人事政策の基本は人間の質の見分けはもちろんのこと、質そのものの向上を目指して推進していかなくてはならない
6.    教育こそ最大の福祉 ⇒ 小嶋の教育にかける思い、執念ともいえるほどの熱心さは、果たされなかった自分自身の勉強への思いがある。「目標を持つこと」「勉強すること」
7.    3つの領域への取り組み ⇒ 結果だけで人間を評価してはならない。そこに至る諸要素やプロセスを多面的に評価すべき。結果主義より成果主義
8.    組織階層に求めるもの ⇒ 衰退している会社は、トップの経営意識の欠如と勉強不足が原因であることが多い。組織は凡人をして非凡ならしめるものだが、それもトップの意識次第
9.    人は用い方次第 ⇒ どんな人でもその人に合ったやり方さえ考えれば、人はどういうふうにでも社会の役に立つことができる。人は社会からの預かりもの
10. 止まると濁る・長いと腐る ⇒ 仕事の隅までマネジメントの光を当てる
11. 側近政治を排除 ⇒ トップの周りに好みの人間を置いてはならない。特に「秘書」と「側近」の扱いは要注意。公私混同が起こりやすい
12. 人間の美しい心に訴えよ ⇒ ほとんどの場合、真剣に向き合えば仮に敵であっても相手も理解してくれる
13. 合併成功の本質――人心の一致と融合 ⇒ 公正・公平は、誰の目から見てもそれとわかる具体性を持つものでなければならない。そのためには基準・制度が常に公表されるという仕組みが必要。その仕組みが存在して初めて皆に納得づくの公正さが現実のものとなる。合併時の鉄則
14. 公正な能力を測るモノサシを創る ⇒ すべての社員に同じモノサシを適用。合併時には特に安易な妥協が良い結果を生み出すことは決してない
15. 専門(人事担当)経営者としての誇り ⇒ 企業の中においては、人間の基本的な生き方という普遍性のあるものを、正当に考え、評価し、風土として確立しなければならない
小嶋の「人事政策覚書」
    人事政策の基本は、企業の発展力を確保することにあり。発展力のある所に人々は自己の能力を発揮する希望を持つことができる
    良き風土の維持と浸透
    変革を許容する制度作り
    システム(制度)創造と保守的人間の排除
    採用は質の選別
    正しい情報
    人事は組み合わせ ⇒ どう集団を構成し過誤を防止するか
    タイミング ⇒ いつ種を蒔き、いつまで待つか、パワーの最盛期を何時にするか
    先見性 ⇒ 早くから種を蒔く
    トップとスタッフ ⇒ 集団としての統制力
    スタッフ ⇒ 人事は組織の編成と連動。ゼネラルスタッフは組織戦略要員
    社外スタッフの活用 ⇒ 専門スタッフの養成と社外活用は合わせて行うべき
    能力開発部長の役割が重要
    ジャスコの未来を見据え、全体的、根本的に何をなすべきかを我がこととして考える人間を作り上げることが人事政策の基本的命題

第5章        自立・自律して生きるための処方箋
1.    何を選択し目標とするか ⇒ 成長の可能性と限界について、自らのイメージをどのように描いていくかということが大切。夢・希望・願望を具体的に実現可能なカタチにイメージすることが肝要
2.    自己を開発する能力を身につける ⇒ たえず勉強して知識や技術を身につける、そのことが自分を変え周りの人も変えていく。自分の意思で行動を起こす
3.    人間の可能性は無限大 ⇒ 心の奥に潜む潜在意識に刺激を与えること、肯定的な人生観を持つなどして得られる効力感や達成感、有用感などの刺激を与え、人間の可能性を引き出す
4.    散歩のついでに富士山には登れない ⇒ 目標を持ち、具体的な計画を立て、手段を考え、知識のないところは勉強して補う、それによってすべて達成
5.    復元力を身につける ⇒ 失敗は何よりの教育のチャンス。失敗の要因を分析し、立ち直る。失敗を知的・楽観的に考える習慣を持つこと
6.    なくてはならない人になる ⇒ 20年先の自分の姿を想像
7.    矯めるなら若木のうち ⇒ 「鉄は熱いうちに打て」
8.    モノの見方・考え方の3原則とは、長期的に考え、根元的に考え、多面的に考える ⇒ 意思決定に迷ったときには長期的にかなうかどうかで決める
9.    小事は大事――小事を大切にするのがプロ ⇒ 人間的な事を疎かにしない社員、常識人を育てる。社会から信用される社員の育成
10. 小さな変化を見逃さない ⇒ 自己の金銭管理ができない者に会社の金品は任せられない
11. 「あるもの」より「ないもの」で人生は決まる ⇒ 「ないもの」を以下に創り上げるかの挑戦であり、夢や志、目標と現状のギャップを課題として捉え、それを埋めていく努力こそが人生
12. 上策に向けて全力を尽くす ⇒ 「独自性」こそが上策の決め手
13. 選択で自己が決まる ⇒ 傍観者でいる限り成長も成功もないことを知るべし ⇒ 禅語に「随所で主となれば、立つところみな真なり」とあり、主体性をもって真実の自己として行動し、チカラの限り生きてゆくなら、何事においてもいついかなるところにおいても真実を把握でき、いかなる外界の渦にも巻き込まれ翻弄されることはない
14. 最後は全体の利益を優先する ⇒ どんな仕事でもすべての人が賛成するわけではなく、反対があればこそ仕事の意義がある
15. 自立・自律を目指して ⇒ 一番処しにくいのは甘えのある人。他人に依存せず個人としての尊厳を持ち自律していくことが大切

終章 いま、なぜ「小嶋千鶴子」なのか?
いかなる経営体もいかなる優れた組織も、社会の変化に適応しなければ劣化し、腐敗し、衰退し、没落する
適応とは単なる順応ではなく、「革新」を必要とする。生命体が環境によって全く姿カタチを変えるのが適応と革新。未来の予測は難しいが、「変化」は必ず来る。来るべき変化を予見して「手を打つ」。手は2つ、捨てるものを決め、時代に適うものを産み育てる
小嶋が述べた持続的成長の担保は人づくりしかなく、まずそれらを推進する改革者的経営者とリーダーの育成。そのためには長期戦略を持たねばならない
経営人事とは、長期にわたり価値を生み出すのは事業ではなく人材であるとの認識を持つこと
絶え間なく勉学を続け、それを実践してこそ意味があると小嶋は教える。見聞が広がることがさらなる成長へつながり、そのことがまた楽しみ
まず決心すること、見聞を広げること、実効に手を貸すこと、自分の意思で参加することが大切で、社会を変えるためには自分自身を変えることから始めなくてはならない




イオンを創った女 東海友和著
人材育成と「心の革新」の意義
日本経済新聞 朝刊
201915 2:00 [有料会員限定]
日本最大の小売りグループ、イオンの創業家、小嶋千鶴子氏の評伝だ。同氏はイオンの実質的な創業者、岡田卓也名誉会長の姉で、イオン源流の一つ、岡田屋呉服店の社長も務めた。戦後の混乱期から家業を再興させ、高度成長期には人事部門の責任者として近代経営の基盤作りに奔走した。現在、102歳。
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評伝ではあるが、経営書といったほうがふさわしい。成功の姿を明確に描き、自分のもつ潜在能力を100%活用することの大切さを説く。人材の育成には時間も費用も惜しまない。教育を長期投資と位置付けた。
長く小嶋氏に仕えた著者だからこそ、細かなエピソードを織り交ぜながら組織のあり方を論じている。現役時代の口癖は「問題あらへんか?」だった。これは現場への関心を探ることであり、従業員の状況を把握することでもあり、ひいては従業員に当事者意識をもたせるためでもあった。部下は上司が「見てくれている」という安心感を得る。厳母と慈母の両面だ。
労働集約的な産業の小売業はイノベーションを起こしづらいといわれるが、「人の心の革新」によって顧客の立場に立って意識的観察を行うことで新しい商品やサービスの提案が可能になる。組織作りに悩む中間管理職や経営者、そして女性へのエールに読めた。(プレジデント社・1600円)

Wikipedia
小嶋 千鶴子(こじま ちずこ、出生時の戸籍名は岡田 千鶴子(おかだ ちづこ)、1916大正5年)33 - )は、日本実業家三重県四日市市四日市岡田家が起業したイオングループの元経営者で、イオンのビジネス精神を築いた[1]
経歴[編集]
生い立ち[編集]
1916年(大正5年)33日に三重県四日市市に生まれる。父は岡田惣一郎で母は岡田(旧姓・美濃部)田鶴。夫妻の第二子で、5人きょうだい(一男四女)の二女であった。千鶴子の後にも2人続けて女子が誕生したことから、5人目も女子なら家系を絶やさぬよう婿養子を迎えることを検討していたが、5人目で男子の卓也が誕生した。千鶴子が誕生した時は血縁関係の父方の祖父の岡田惣七(婿養子に入る前の旧姓が前田末吉)と四日市岡田家の家系の祖父の岡田惣右衛門の2人の四日市岡田家の祖父が存命中であり、2人の祖父からかわいがられて教育された。祖父の影響で日本の植民地統治下であった朝鮮半島満州などの外地に興味関心があった。老舗呉服店の岡田屋ではあったが、店内に呉服以外に洋服部もあり、千鶴子は5歳の時から洋服を着ていた[2]
岡田屋の改革 [編集]
岡田惣一郎夫妻は呉服店から株式会社化して企業組織を創設した。1927年に父の惣一郎は死去した。経営を引き継いた母の田鶴は惣一郎の理念を踏襲して、従来の座売り方式から立ち売り陳列方式に変更する革新的な経営方針をとった[1][2]。夏には四日市市民のためにコンサートを開催した[1]
経営者への就任[編集]
千鶴子は1933に四日市高等女学校(現在の三重県立四日市高等学校)を卒業した。女学校時代は陸上競技短距離選手であり、小林多喜二宮本百合子プロレタリア文学に没頭していた[2]。東京の大学への入学が決まっていたが、世界恐慌で四日市市内の銀行が倒産して親への教育依存ができず進学を断念した[2]
1935に母の田鶴が死去した。千鶴子や岡田家の姉弟に株式会社の岡田屋呉服店が残された。家業的商店経営から株式会社化した岡田屋の従業員の生活を千鶴子が支える形となる。
日中戦争中に千鶴子は津市の全寮制の愛国家庭寮に入学した。愛国婦人会幹部候補生を育成する機関で三重県知事夫人が寮長であった[2]
1939昭和14年)に株式会社岡田屋呉服店の代表取締役に23歳で就任する。料理・生け花教師の弟で、8歳年上の画家の小嶋三郎と婚約したが、民法をはじめとした当時の日本の法律では有夫の婦人は夫の承諾がないと契約できないことや、夫や弟が戦死する可能性から、結婚を先延ばしした。その後、弟の卓也が早稲田大学を卒業して四日市岡田家の当主となったため、30歳で千鶴子は結婚した。
1954に岡田屋の監査役に就任した。30歳代の頃にアメリカ合衆国ショッピングセンターを見たいという思いを抱き、45歳となった1961に若手経済学者とともに1か月間のアメリカ小売業の視察旅行を実現させる[2]
1969(昭和44年)に本格的なスーパーマーケットジャスコを設立すると、その取締役に就任した。1971には、ヨーロッパの新しい労働時間制度を研究するためのツアーで、ドイツにおけるフレックスタイム制の母と呼ばれるケメラーと会い、労働組合の反対を押し切って、女性が勤務時間を選べるパートタイム制度を導入した[3]。また、業界初となる企業内大学のジャスコ大学を創設して、労働法・賃金論・国際情勢の権威を学長・教授として迎え、高等学校卒業の社員に対して心理学から文学までの幅広いビジネス教育を行った[1]
千鶴子は著書『あしあと』において、「感激は資産になる」と記している[要文献特定詳細情報]
1976(昭和51年)に60歳の定年制度を実践し、ジャスコ株式会社の経営から離れた[4]
退任後[編集]
2001平成13年)にイオン株式会社の名誉顧問に就任。
2003に個人美術館のパラミタミュージアムを開館した。パラミタは般若心経の『波羅蜜多』に由来している[5]
2016平成28年)に満100歳の誕生日を迎えた。同年825日に、居住する菰野町長が訪問して「一番の思い出は」と質問した際には「20歳で仕事を継いで60歳まで働いて」と述べた[6]
人物[編集]
千鶴子の読書歴は長く、戦前から『エコノミスト』を購読して『販売改革』・『経営情報』・『アジアと日本』・『経済論壇』・『ドラッガーの経営学説の研究』など新しい著作が出版される度に必ず読んでいる[5]。元岡田文化財団事務局長の東海友和によると、誰に対しても「あんた、今何の勉強してるの?」「何の本読んでるのや?」「今年の目標、何なん?」と話しかける癖があり、相手が読んでいる本によっては「そんなつまらん本読んどったらあかんわ」と、自分の持っている「面白い本」を「読んでみ」と渡すこともあったという[7]。また、日頃財布を持参せず、金銭は服のポケットに入れていたという[7]
地域活動では「四日市婦人ロータリー」「くぬぎの会」や「フォーラム四日市」など、四日市市内の女性経営者の勉強会や読書会を実施した[3]
退職後に73歳から始めた陶芸は3000個を作る目標を85歳で達成した。作品の写真集の『ゆめあと』も出版している。
親族[編集]
父は四日市岡田家6代目当主の惣一郎。弟はイオン創業者の卓也。甥にイオン社長の元也と衆議院議員の克也と新聞記者の高田昌也がいる。甥の克也の息子に科学者がいる。
夫は1997(平成9年)に死去した[7]
脚注[編集]
1.    a b c d 『四日市の礎60人のドラマとその横顔』76
2.    a b c d e f 『三重の女性史』184
3.    a b 『三重の女性史』185
4.    ^ 『イオンを創った女:評伝小嶋千鶴子』52
5.    a b 『四日市の礎60人のドラマとその横顔』77
6.    ^ まちの話題 - 広報菰野201610月号
7.    a b c 絶好調! イオン創業家の教えプレジデントオンライン. (20141121) 2017928日閲覧。


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