黒い海  伊澤理江  2023.5.8.

 2023.5.8. 黒い海 船は突然、深海へ消えた

 

著者 伊澤理江 1979年生まれ。英国ウェストミンスター大大学院ジャーナリズム学科修士課程修了。英国の新聞社、PR会社などを経て、フリージャーナリストに。調査報道グループ「フロントラインプレス」所属。これまでに『20年までの「想定外」 東海村JCO臨界事故の教訓は生かされたのか』『連載・子育ては困難社会 母親たちの現実』をYahoo!ニュース特集で発表するなど、主にウェブメディアでルポやノンフィクションを執筆。TOKYO FMの調査報道番組「TOKYO SLOW NEWS」の企画も担当。東京都市大メディア情報学部「メディアの最前線」、東洋大経営学部「ソーシャルビジネス実習講義」などで教壇にも立つ。本書が初の単著

2023519 500分 朝日 大宅壮一賞に伊澤理江さん 第54回大宅壮一ノンフィクション賞(日本文学振興会主催)に、伊澤理江さんの「黒い海 船は突然、深海へ消えた」(講談社)が選ばれた。賞金100万円。

 

発行日           2022.12.23. 第1刷発行     2023.4.7. 第5刷発行

発行所           講談社

 

 

調査報道専門ウェブサイト「ShowNews」に20212月から4月にかけて連載した内容を大幅に加筆・修正したもの

 

日本の重大海難史上、稀に見る未解決事件。その驚くべき「真実」

2008年、太平洋上で碇泊中の中型漁船が突如として沈没、17名もの犠牲者を出した

沈みようがない状況でなぜ悲劇は起こったのか?

ジャーナリストが海のミステリーに挑む

 

なぜ証言は無視されたのか

事故調査報告書の内容が真実でないとしたら?

私は突き動かされるように、ひとりその闇を歩き始めた―――

 

 

表紙裏

福島県小名浜で始まった取材は、目まぐるしく場面を変えながら続く。

遺族の前で崩れ落ちた生存者、海の男に次々と襲いかかる不条理、立ちはだかる機密の壁・・・・

58寿和丸と同じ謎の事故は、世界各地で起きていた

半世紀以上にわたり、埋もれていた驚愕の「真実」

 

 

2008.6.24. 朝日新聞記事

「漁船転覆4人死亡」 千葉沖 13人不明3人救助

 

 

1.     転覆

夏至から2日後の夜明け、第58寿和丸は千葉県銚子沖の洋上、犬吠埼から東へ約350

カツオの群れを追っていたが、この日は動きが複雑で、群れの位置は海面から離れかなり深い。追いかけるには海況も不安定なので、追尾を中止し乗組員を休ませる。船にはパラシュート・アンカー(海中で落下傘を広げ、船首を風上に向かせ横波を受けにくくするもの)をつけ、メイン・エンジンを止めて漂流。船は建物でいえば地上2階地下1階に相当

9+寿和丸は、いわき市の漁業会社酢屋商店所有の漁船。巻き網漁では役割の異なる漁船が数隻で船団を組むが、今回の酢屋商店の船団は4隻で、リーダー格の魚を獲る網船(あみぶね)が寿和丸。乗組員は総勢20

623日午前11時半、海上強風警報が発令され、風速最大18mの予報。雨、視界3マイル、波3m

午後110分ごろ、30年近い経験をもつ豊田がドスンという衝撃を感じる。波が甲板にのったと思っていたら、続いて2度目の強い衝撃がありバキッという初めて耳にする異音

船体が右傾斜して危険を感じ甲板に出るが、船は急速に沈みかけ、事態を把握する間もなくほんの数秒で船は転覆し、乗組員の一部は海に投げ出され、一部は船内に残された

 

2.     救助

寿和丸の船団は53日小名浜を8隻で出航。春から秋はカツオやマグロ、秋冬はサバやイワシを追う。3,4月はドック入り

三陸沖で操業した後、台風接近で塩釜に避難、燃料を補給し64日出発、カツオを追い、2つの寿和丸船団では豊漁続きで、6月には船団として過去最高の水揚げを記録

魚の探索船の役目を負った第6寿和丸は、6kmほど離れた場所にいて、視界は5.5㎞だったため肉眼では相手を確認できない。左舷から大きな波がドーンッと強くぶつかり、一瞬他の船でも当たったかというほどの波、風速は1011m8倍の双眼鏡で見ると赤茶色の船底のようなものが見えた。船尾の舵とスクリューのプロペラしか見えていない

異変を告げる無線連絡もなければSOSもない。レーダーには僚船は全てモニターに映っているが、それ以外の船はどこにも映っていない

すぐに救助に向かうが、400㎏の重さの巨大なパラシュート・アンカーを巻き上げるには15分かかる。その間に船体の影は水没して何も見えず

生存者の1人が海面に顔を出すと僚友から声がかかり、2人で浮きに辿り着きロープを掴み洋上を漂う。甲板長も泳いできたが、ほかの浮きを見つけて泳いで行き、甲板長を見たのはそれが最後。黒い油が浮き、飲まないよう吐き捨てるが髪も体も油まみれ

もう1人泳いでいる仲間を見つけ、動力を持つ9mの作業用小型ボートのレッコボートが見つかり、乗り移るが、仲間を引き上げるのに油が邪魔して一苦労

レッコボートは本船とワイヤとロープで結ばれているので、切断が必要

衝撃から40分後、船は船首から沈む。非常用位置指示無線標識装置EPIRBは水没すると水面に浮上して救難信号を発信する仕組みだが、なぜか作動せず

レッコボートで現場海域を回っているところに第6寿和丸が到着

濃い油が直径100m位にわたって広がり、仲間4人の油まみれの遺体を収容

 

3.     不帰の17

小名浜機船底曳網漁業協同組合の事務所に対策本部を設置、捜索の指示と家族への連絡に追われるとともに、報道への対応に腐心

生存者と、死亡・不明17人の家族との対面では、生存者に対し非難の言葉も

酢屋商店の野崎社長は、事故原因に疑問。1998年新潟鐵工所で進水(船としては新しい部類)した135トン、全長48mの船体をひっくり返すような風や波ではなかったのに突如転覆し沈んだのはなぜか

 

4.     原因不明

海上保安部のどこかで教官をやっていた人が、何気なく事故のことを話し出し、当時箝口令が敷かれていたことを口にする

船底に傷がない限り油はそんなに出ない。油を漏らしてもあれほどの広がりにはならない

転覆まで12分はあったにもかかわらず、SOSはおろか、船員への避難指示すら出されていない。甲板に上がった生存者も甲板上に海水はなかったという

水深5800mに沈んだ船体の検証は「しんかい6500」を持つ国にしかできず、その要望を出すが、運輸安全委員会によれば、1番が旅客の事故、2番が商船で漁船は3番目との優先順位を示す。後の運輸安全委員会の規則でも、重大な船舶事故の定義として、①旅客死亡・不明2名以上、②5人以上の死亡・不明、③国際航海の船舶事故とされる

年間2500隻前後が海難事故に遭遇、転覆による原因不明の船舶事故は過去3年で33件、本当に原因がわからないのは寿和丸事件のみだと国会で追及され、ようやく事故原因の解析を国交省所管の海上技術安全研究所に予算120万で発注

海難審判庁に事故調査委員会が発足し調査を始めた半年後に、航空・鉄道と合体して運輸安全委員会に統合されたが、国交省内の力関係から、船員出身者は割を食った

事故から1か月後の毎日新聞には、「船底に衝撃があり、横浜海難審理事所が調査を検討」とあり、東京新聞では、「潜水艦」を見出しに掲げている

「しんかい6500」には中川翔子を乗せ5351mまで潜水している

 

5.     事故調査

運輸安全委員会の報告書は、事故から3年もたち、東日本大震災直後の4月に突然発表。漁具の積載方法に問題があってバランスを崩したまま転覆しやすい状況だったとし、「波による転覆」だと結論。油の量は1斗缶1杯程度と断定。船体への損傷はなかったとの論理だてで、生存者の証言も、海難理事所の当初の見立ても完全に無視

横浜理事所の当時の所長に面談する。当初は記憶にないと言い張ったが、ようやく一番の疑問は油で、潜水調査をやって損傷状態が見えたが原因がつかめるかもしれないと吐露

国交省の官僚で、安全委員会の事務局長だった人にも面談をしたが、事故は覚えているが結論の背景になると記憶にないという

委員会の調査官による事故関係者らの口述メモでも、委員会の油に対する強い関心が窺えるが、証言にある「大量の油」は顧みられず、結論は「波」だった

 

6.     遺族

7.     報告書

東日本大震災で酢屋商店の寿和丸船団8隻のうち3隻が沈没、1隻は岸壁に乗り上げ、乗組員も1人津波で命を落とす。会社の立て直しも難しいが、野崎は福島県漁連の会長として、原発事故の煽りで国・東電と向き合わなければならなくなった

 

8.     解けぬ謎

安全委員会に専門委員として加わった漁船事故の専門家は、事務局からほぼ報告書の筋書きが出来上がった後で、こういう波が起こる可能性があるかどうかについての見解を求められただけで、聞かれたのは気象だけ、起こり得ると判断したが、転覆させるだけの力があるかどうかについてはタッチしていないといい、なぜパラ泊中に、第58寿和丸だけが転覆に繋がる大波を受けたのかは解せないという。生存者の口述調書も見ていない

何らかの教訓を期待される報告書では、「原因不明」とは書けない

水槽実験の様子は、安全委員会のホームページとYouTubeにアップされ、水槽の中の寿和丸が2分足らずの間に無音の中で転覆していくが、私が連載を始めたころ動画は削除

油の流出量からして船体破損しか考えられず、その合理的選択は潜水艦?

 

9.     黒い海

2001年の宇和島水産高校の漁業実習船事故の沈没状況が寿和丸事故に酷似

600mの海底に沈んだ船体を水中カメラで探索したところ、船体の損傷跡が米潜水艦グリーンヒルの縦舵の形状と一致、潜水艦の外壁についた傷跡も愛媛丸のものと一致し、動かぬ証拠となった。船体の損傷を確認しないことには原因究明には繋がらない

1981年、貨物船日昇丸と米原子力潜水艦ジョージ・ワシントンの当て逃げ事件も参考になる。米側から日本政府に事故を知らせる連絡が入ったのは35時間後。救助すらしない

1970年以降、潜水艦と民間船舶を巡る事故は多発しているが、潜水艦側は関与を否定するケースが多い

 

10. 潜水艦の男

事故当時、海上自衛隊の潜水艦隊司令官だった元海将は、日本の潜水艦であれば、自分が知らないはずはないし、あとの補修等を考えると隠蔽しおおせるものではないという

可能性が高いのは米軍、次いでロシア。中国、韓国は考えにくい

事故直後、横須賀の米軍基地で米原潜がドック入りし、艦橋付近に足場が組まれ明らかに何かを修理しているように見える写真を入手したが、写真からは普通のメンテナンスにしか見えず

 

11. 花を奉る

震災から3カ月後、酢屋商店は漁業を再開。福島で水揚げする漁業者が続出する中、8月末に小名浜でカツオ18トンを事故後初めて水揚げしたが、147/㎏と、銚子で水揚げした時の半値以下

地元に根を張る野崎達にはほかの道はなかったが、国の方は次々と担当者が変わり、腰を据えて相手方と向き合おうとしてもかわされていくような感覚が拭えない。寿和丸の事故調査に関わった国側の人たちは誰も真剣に自分たちと向き合ってくれたとは思えなかった

事故から14年、原発事故からも11年、野崎の脳裡から「不条理」という言葉が消えたことはない

 

終章 希望

調査報道組織のフロントラインプレスは、運輸安全委員会に対し、公文書開示を請求したが全く開示しない、開示できない資料名さえも開示しないため、不服審査請求を申し立てるがそれも退けられたため、不開示決定の取り消しを求めて裁判に訴える

合わせて、米国の潜水艦の動向についても情報開示請求などを続けている

 

 

 

好書好日

(書評)『黒い海 船は突然、深海へ消えた』 伊澤理江〈著〉

202334 500分 朝日

『黒い海 船は突然、深海へ消えた』

 「事件」疑う情報、謎の真相追う

 17人が亡くなったこの漁船事故の記憶は、驚くほど薄い。それだけに冒頭から展開される壮絶な描写に一気に引き込まれた。

 15年前、事故翌日の本紙記事には「横波を受けて転覆したとみられる」との見立てが示されている。3年後に国の運輸安全委員会は「大波を受けて転覆した可能性」という予定調和な結論の報告書を公表した。

 ところが生き残った3人の船員、救助に駆けつけた同僚らの証言から浮かび上がる実相は明らかに異なる。「激しい衝撃から12分で転覆」「海は油で真っ黒」。あの報告書には納得できないという話を偶然聞き、著者の取材が始まる。事故の11年後だ。

 当時、一部の新聞が「潜水艦衝突の可能性」「船底に衝撃」「潜水調査を検討」などと報じていた。入手した内部文書からも運輸安全委員会が船から流出した油に注目していたことがうかがえる。「事件」を疑う情報がありながら、なぜ立ち消えになったのか。

 調査にかかわった関係者や海難事故の専門家を訪ね歩き、不可解な謎の真相を追う。その執念の取材は、1966年に羽田沖で起きたジェット機墜落事故の原因に迫った名著『マッハの恐怖』(柳田邦男著)を彷彿とさせる。

 独自の実験をもとに機体の欠陥説を唱えた航空工学者が政府の調査団を辞任する――そんな気骨ある学者がいたのが『マッハの恐怖』の書かれた時代だ。翻って現代はどうか。「守秘義務」と「記憶にない」という立ちはだかる二つの壁をどう乗り越えていくのかが本書の醍醐味である。

 権力を持つ側にとって都合の悪いことが公式な記録から排除され、「正しい歴史」として伝わる。著者が抱く危機感を私も別の取材で感じたことがある。であればこそ、丹念に証言を集めた本書には普遍的な意義と価値がある。読後感が意外にも晴れやかなのは著者自身がまだ希望を捨てていないからかもしれない。

 評・行方史郎(本社論説委員)

     *

 『黒い海 船は突然、深海へ消えた』 伊澤理江〈著〉 講談社 1980円 電子版あり

     *

 いざわ・りえ 79年生まれ。英国の新聞社、PR会社などを経てフリージャーナリストとして活動する。

 

英国ウェストミンスター大学大学院ジャーナリズム学科修士課程修了。 新聞社・外資系PR会社などを経て、現在はネットメディア、新聞、ラジオ等で取材・執筆活動を行っている。フロントラインプレスが制作協力したTokyo FMの「TOKYO SLOW NEWS」の企画担当。

【主な仕事】

「育児は女性のもの」が覆い隠す社会の歪み――見え始めた「母性愛神話」の限界(Yahoo!ニュース特集)

20年前の『想定外』  東海村JCO臨界事故の教訓は生かされたのか(Yahoo!ニュース特集)

学びたくても学べない―― 外国人の子どもたち「不就学」の実態(Yahoo!ニュース特集)

 

 

J.B. Press

これが国の報告書とは、突如沈没した「第58寿和丸」に何が起きたのか

犠牲者は17人、ジャーナリスト・伊澤理江氏が追い続ける海難事故の真相

2023.3.17(金)剣持亜弥

 

2008年、千葉県の犬吠埼からおよそ350km沖の太平洋で、碇泊中の漁船「第58寿和丸」が突如水没した海難事故。4名が死亡し、13名は今も行方不明という大規模な事故であるにもかかわらず、調査報告書が公表されたのは3年後で、しかもそこに書かれていたのは、3名の生存者をはじめとする関係者が首をかしげる内容だった――。『黒い海 船は突然、深海へ消えた』は、偶然この事故のことを知ったジャーナリスト・伊澤理江さんが、途方もない労力と時間をかけて調査・取材を重ねてまとめ上げた、渾身のノンフィクション。どんな想いで書き上げたのか、伊澤さんに聞いた。

(剣持 亜弥:ライター・編集者)

l  ちょっとした偶然から始まった壮大な取材活動

 伊澤さんが第58寿和丸のことを初めて耳にしたのは、2019年の秋。ちょっとした偶然だった。

「福島県いわき市に『日々の新聞』という地域紙があって、ネットメディアで紹介することになり、その編集長を取材したんです。インタビューが終わったところで、編集長が私に、『これから福島県漁連の会長のところに取材に行くんですけど、一緒に行きませんか』と。

 せっかくだから彼らの取材風景を撮影しておこうかな、くらいの気持ちでついて行って、出会ったのが、福島県漁連の会長であり、漁業会社、酢屋商店の社長の野崎哲さんでした」

 取材後の雑談を聞くとはなしに聞いていた伊澤さんの耳に、「てっちゃんの船」「沈んだ」「いまだに原因が」「納得できねぇよな」という言葉が入ってくる。

 関心を示した伊澤さんに説明をするように、編集長と野崎社長は話を続けた。そして、「潜水艦にぶつかったんでねえか、っていう人もいるんだけど」という言葉。

岩礁もない洋上で突然1隻だけ、一瞬で転覆、沈没

「え? って。事故調査も不自然で、と聞いて、自分の中に引っかかるものがあった。これは何かとんでもないものに行きあたりそうだという直感ですね。太平洋の只中、岩礁もない洋上で突然、船団の中の1隻だけが、一瞬で転覆、沈没したんです。

 生存者は3名のみ、4名が死亡し13名は今も行方不明のまま。これだけの大きな事故だというのに、私自身、まったく記憶になかったし、おそらく世の中のほとんどの人も覚えていない。そのことにも疑問を感じました」

 そこから3年にわたる地道な取材活動が始まったのである。

 生存者をはじめとする関係者に話を聞き、事故調査報告書を読み込み、専門家を探して疑問を一つひとつ解き明かしていく。事故から10年以上が経ったなかでの取材は困難を極めた。

「調べていくと、第58寿和丸の事故は、事故直後こそ注目されたものの、原因がはっきりしないまますぐに報道から消えていきました。事故に関する公表資料が限られていたため、事故の詳細を資料からたどれない。助かった3名の証言が貴重なものとなりました。彼らは船体に2度の大きな衝撃があったと話しています。1回目は『ドスン』、2回目は『ドスッ』『バキッ』という構造物が壊れるような音」

l  海を覆う真っ黒でドロッとした油

 転覆直後から、海は大量の油で真っ黒になっていたという。その正体とは一体何なのか。

「生存者によれば、転覆直後から広範囲にわたり真っ黒な油が広がっていたと言います。仲間の船もすぐに現場に駆けつけていますが、遺体も真っ黒でヌルヌルと滑り、ロープを使わないと引き上げられなかったそうなんです。船の底には燃料油が積まれていますが、船の構造上、単純に転覆しただけでは大量の油が一気に漏れ出ることはありません。当事者たちも専門家も、何らかの原因で船体が破損して、船が沈んだと考えるのが自然だと考えていました」

「船底から突き上げるような衝撃があった」「船体が破損したとしか思えない」「海は船から漏れた重油で真っ黒になっていた」という生存者の証言。当時の新聞記事にあった、事故調査を担当した関係者の「状況から見て潜水艦による衝突以外の可能性は考えにくい」というコメント。それでも、事故から3年近く経った20114月、東日本大震災直後に公表された運輸安全委員会の事故調査報告書に記されていたのは、原因は「波」という結論だった。

「第58寿和丸は福島県いわき市の船です。船主である野崎社長は福島県魚連の会長も務めている。原発事故も起き、福島の漁業をこれからどうしていくのか、そんな大混乱の中心にいました。報告書が示す原因は、第58寿和丸の漁具の積み方が悪く、船がもともと傾いていたところに大波が打ち込んだ。さらには放水口も機能していなかったため転覆した可能性が高い、という内容です。関係者らはこの内容を見て、皆、唖然としたと言います。証言は聞き入れられず、『波』という結果ありきの調査だったのではないか、と」

「さらに船体破損を疑うに至った大量の黒い油に関して、国は『推定で約15リットルから23リットル』という計算を根拠に、船体破損を否定していました。当時、生存者や救助に当たった仲間の証言をもとに油の専門家が水槽で行った再現実験では、最低でも数キロリットルから十数キロリットルの燃料油が漏れ出ていたと推定されています。国の報告書とは100倍以上の差があるんです」

l  なかったことにされてしまう危機感

 執念とも言える緻密な取材。何が伊澤さんをそこまでかき立てたのか。

「まず純粋に、船にいったい何が起きたのを知りたいと思いました。ある日、突然、夫や父や息子を亡くした遺族たちも同じ気持ちだと思います。そして、当初は事件性も疑われていながら、なぜその可能性は消えていったのか。事故の調査に際し、どのような議論があり、生存者の証言はなぜ軽視されたのか。国は全ての事故調査資料の開示を拒んでおり、調査資料の標目(資料名の一覧)もほとんど黒塗り。事故調査のプロセスが全く不透明なんです」

「今、この事故のことを追いかけているのは、おそらく私しかいない。そして、十数年経っているとはいえ、まだ、実際に事故を体験した人の話を聞くこともできる。自分が今記録に残さないと、助かった人たちの証言が永遠に失われてしまう、事故の体験がなかったことにされてしまう、こんな大事故なのに・・・。当事者も仲間の漁師たちも誰も納得していない、矛盾の多い報告書が、唯一の『正史』として歴史に刻まれていく。そうしたことに対する危機感に突き動かされて、取り憑かれたように取材を続けました」

l  『黒い海』は希望の物語でもある

 日本の潜水艦のすべてを知るキーマンに取材した第10章は、本書のハイライトだ。核心に迫るやりとりは、スリリングですらある。しかも本書の真骨頂は、息もつかせぬ謎解きの展開にばかりあるのではない。

 遺族や生存者、野崎社長をはじめとする第58寿和丸の関係者と伊澤さんとの対話では、一人ひとりの人生そのものが浮かび上がってきて、それが読む者の胸を打つ。

「事故後、東日本大震災や原発事故があって、船主の野崎さんたち福島の海で生きている人たちは、さらなる苦難を押し付けられている。それでも、次の世代のことを思いながら、なんとか希望を見出し、前を向いて必死に生きようとしています。だから、一つひとつの言葉が重い」

『黒い海』は、第58寿和丸の事故原因を追うミステリーでありながら、同時に「不条理」という苦境に立つ人々の人生や生き様も描いている。

「『国』と、国に翻弄される人々。そういう人たちの存在も、伝えることができればと思っています」

 

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