変わる日本語、それでも変わらない日本語 塩田雄大 2023.5.26.
2023.5.26. 変わる日本語、それでも変わらない日本語
~ NHK調査で分かった日本語のいま
著者 塩田雄大 NHK放送文化研究所主任研究員。学習院大学文学部国文学科卒業。筑波大学大学院修士課程地域研究研究科(日本語専攻)修了後、日本放送協会(NHK)に入局。『NHK日本語発音アクセント辞典 新版』などに従事。2011年、博士(学習院大学・日本語日本文学)。著書に『現代日本語史における放送用語の形成の研究』など。2015年からNHKラジオ第一放送『ラジオ深夜便』「真夜中の言語学 気になる日本語」担当。
発行日 2023.4.5. 初版第1刷発行
発行所 世界文化社
はじめに
ことばの「正しさ」は簡単に決められないが、聞き手によって使い分ける必要があり、また場面によって望ましいことばづかいというものがある
調査結果を紹介し考察することで、現代日本の「ことばづかいの相場」の現況を見せようとしたのがこの本。相場は時代によって変化する
現代の相場観を身に付け、自分とは異なるほかの人たちのことばづかいも尊重して、互いに気を配りながら積極的にことばを使って理解し合おうとすることで、多様で豊かなこの社会はもっと暮らしやすいものになっていくはず
Chapter 1
とまどう日本語~ことばをたどって、とまどって
01 なに、「私情により欠席」だと?
「~情」には広い意味での人間の感情や気持ちを表わすことばが多くある
「私情」も個人的な感情を表わすことばだが、「個人的な情況・個人的な事情」という意味で使う新しい用法が増えつつある
02 味…わわせる?
文法的には「味わわせる」が正しい。ワ行5段活用の動詞。「味わ」が語幹で不変の部分
「祝う」も同じ
03 映画館で「号泣」できるか
声を殺して涙を大量に流している状況で使われることが増えている
04 「改札らへんで待ってまーす」
比較的新しい言い方。「ここらへん」の「らへん」の部分だけを取り出したもの
05 「お金がいった」は、おかしい?
もともと普通の言い方だが、「お金が必要だった」の方が自然
「要った」はラ行5段活用の動詞「要る」の過去形
06 足を洗うか、手を染めるか
「足を洗う」は「悪いことをやめる」の意。「手を染める」は「なにかをし始める」でニュートラルだが、悪いことに多く使われるようになった。「染める」は「初める」と同じ語源
07 うちの「洗濯機」は、センタクキ? センタッキ
「促音化」の現象で、どちらでも構わない
Chapter 2
気になる日本語~気が気でない言い方
08 「おいしくて、なんなら毎日食べてます」?
「相手のために何かを提案する」という文脈で使うのが主流だが、関係なく使われることが多くなっている
「ビールが何なら日本酒にしましょうか」
09 「なので、寝ていました」
「なので」には、文中と、前の文を受けて次の文の頭で使われているものと2種類ある
「退屈なので出かける」は普通だが、文頭の「なので」は不自然
10 のほほんと過ごす!?
「のほほん」は、伝統的には、何もせずのんきにしていることを、やや否定的・批判的に言い表すときに使うのが普通だが、ゆったりと過ごすことを肯定的に表す場合に使われることもある
11 疑問文でないのに”?”をつけてもよいか?
一般的ではないが、増えてきている。「疑問」というより、「文末の音が上昇すること」を意味してきた
12 有名な「逸話」?
「逸話」とは、「記録から漏れてしまっている」の意で、本来「有名な逸話」はあり得ないが、「逸」には「いい・すぐれた」の意味もあるので、「逸話」の再解釈が始まった
13 大したことのない話なので「割愛します」
「割愛」のもともとの意味は、「愛着のあるものを泣く泣く割って断ち切る」ことなので、「それほど重要な内容ではないもの」について使うのは相応しくないが、単に「省略する」の代わりに使われる方が多くなってきた
14 「つかぬこと」をうかがいますが
「これまでの話の流れとは直接には関係のないことを尋ねる」という文脈で使われるものが、「つまらないことを尋ねる」のニュアンスで使われるが、誤用
「愚にもつかないこと」からの連想が働いているのでは
15 飛び抜けて「弱い」?
プラスの意味に使われるのが普通
「ひどく」をプラスのニュアンスに使うのと反対
16 「~たり、~たりする」?
後ろの「~たりする」を省くと据わりのよくない言い方になることがあるが、例外も多い
17 「クーラー」?
「エアコン」?
部屋を冷房する設備の呼び名としては「エアコン」の方が一般的
18 「北京市郊外」は北京市の中?
外?
「郊外」のもとの意味は、その市よりも外の地域だが、市内の外(はず)れのことを指す場合もある
Chapter 3
どうする日本語~どうにもならないわけじゃない
19 ワクチンを「接種する」?
「接種してもらう」?
どちらも可
20 新型肺炎の「終息」?
「収束」?
使い分けが必要。完全制圧か、社会的状況が落ち着いてきたかによる
21 それは「復縁」で問題ない?
かつて彼氏・彼女の関係だった場合についても「復縁」を用いることが増えているが、「よりを戻す」の方が適切
22 「お冷や」はどこから来たのか
一般的な言い方だが、飲食店に限って言うと考える人が多い
23 「エリザベス女王」の読みは?
「ジョオー」が正しいが、「夫婦」「詩歌」「女房」「披露」など漢字にない長音が入るケースは多い。逆に「体育館」を「タイクカン」というように音を落とすケースもある
24 目指すのは、平和?
和平?
意味と、文法的な役割の面の違いがある
「平和」とは「戦争がない状態」を差すのに対し、「和平」は「戦争がない状態にする」こと
平和主義であり、和平交渉が正しい。他にも材木、近接、愛情、運命、会議等々
25 「世界一の治安」は正しい?
「治安のよさ」とした方が受け入れられやすい
Chapter 4
時をかける日本語~時間との戦い
26 「初老」の平均年齢
元は「40歳の異称」とまで言われたが、現在では60~70歳ぐらいか
27 「会ったのは去年ぶり」?
「ぶり」は、一定の時間・期間が経過したことを表わす
「いつ振り」などもこの類
28 「週末」っていつのこと?
人により差があるので、厳密に言いたいときは他の言い方を考える
29 「8日以降に手続き」は、8日を含む?
含まない?
「8日から」が正しいが、受け止め方が異なる人もいるので、誤解が生じないように注意が必要
30 「一両日中に返事する」とは
「あさってまで」が少数派になっている
31 「おはようございます」は何時まで?
午前9時までは問題ないが、それ以降は場合・状況によって注意が必要
32 「昼過ぎ」っていつごろ?
伝統的な解釈では「正午過ぎ」だが、人によって捉え方が異なるので注意が必要
33 「こんばんは」は何時から?
地域、季節によって異なる
34 「1時間弱」は、1時間よりも長い?
短い?
1時間より短いが、若い人には長いと考える人も少なくない
Chapter 5
気配りの日本語~迷子の敬語
35 「以上でお間違いないでしょうか」?
店員が復唱した後でいうのは奇異だし、間違えるのが自分の場合は不可
36 「お返事」か「ご返事」か
どちらでも可。和語には「お~」がつき、漢語には「ご~」のつくものが多いが、漢語の中で馴染んできた言葉には「ご~」から「お~」へと変化していくものがある
37 「用意してございます」?
間違いではないが、「用意してあります」で十分な場合に「用意してございます」というと大袈裟な感じがする
38 「住所が「変わった/変わられた」際には」?
人間以外のものの動作・状態について「尊敬語」を使っていいかの判断は、条件によっても異なり、個人差も大きいが、この言い方は「所有者敬語」として比較的好まれている
39 「どうかいたしましたか」?
現代語の「いたす」は、多くの場合、聞き手に対する改まった気持を表すときに使う
聞き手が原因ではない「事態の発生」を「いたす」を使って改まった気持ちを込めて表すのはいい(いい香りがいたします)が、聞き手の動作・領域に属する出来事である場合は不適当
40 「差し上げます」?
グレーゾーンだが、謝礼を渡すときに使うと気分を害する人も少なくない
「差し上げる」は「与える・やる」の謙譲語だが、「与えることによって聞き手に何らかのメリットが生じることを話し手が期待している」態度を表に示すような状況で使われるのが典型的なので、正当な対価を払うときには日本語として不適当
41 「お持ちします」?
「持って参ります」?
持ってくるものが最終的に誰のものであるかによって言い方に違いがある
「お~する」は、話し手の動作を低める謙譲表現。「参る」は「来る」の言い換え
お互いに調印するための契約書なら「お持ちします」でいいが、部内承認のために上司に出す書類なら「持って参ります」
42 「せいぜい(精々)」がんばって?
もともと悪い意味はないが、聞き手として解釈する場合も考えて使う必要がある
本来の意味は「一所懸命」「力を振り絞って」だが、近年マイナスのニュアンスが伴うように変化し、若い人たちの間では嫌味に聞こえるというのが圧倒的
43 「多くの方々【 】来ていただきました」→が? に?
「に」が無難。「いただく」は本動詞でも補助動詞でも文法的な骨組みはほぼ同じで、「いただいたおかげで(自分が)恩恵を得た」ことを意味するので、助詞「に」を使う。「が」では意味が異なる。「いただく」の代わりに「くださる」を使ういい方もあるので、「が」も使われる
44 「コーヒーでお願いします」?
間違ってはいないが、「これで我慢しておく」という印象を与えかねないので要注意
他にも選択肢がある場合は自然に用いられる
45 「ありがとうございます」?
自分が恩恵を受けた場合に使う表現だが、「了解しました」程度の意味に使われている
Chapter 6
迷える日本語~文法の陰謀
46 「大丈夫と思います(だ抜きことば)」?
「~と思う」という言い方では、「~」の部分はそのままでも文として通用するものが来るのが通例なので、形容動詞の「大丈夫」が文として成り立つためには「だ」を入れるべき
47 眠い? 眠たい?
明治時代、東京では「眠い」に対し、上方では「ねぶたい(眠たい)」と言ったという
「重い/重たい」「煙い/煙たい」など。「~たい」にはマイナスイメージが付きまとう
48 すべき?
するべき?
「すべき」の方がより伝統的な形。「べき/べし」は文語で使われる助動詞
49 「節電【 】心がける」→に?
を?
どちらも正しいが、「に」には抵抗を感じる人が増えている
「に」は「節電」に意識を集中させるニュアンスで、「を」は具体的な行動に力点を置く
対象と行為が変わると意味やニュアンスも変わる→「男に注意/男を注意」
50 「本【 】置いていない」→を? が?
文法的には許容範囲――「本を置いている」の否定と「本が置いてある」の否定の違い
51 「関東地方【 】地震がありました」→に? で?
「~【に/で】+(名詞)が+あった」という文では、(名詞)の性質によっていずれかが決まる
(名詞)が「モノ」的であると「に」が相応しく、動作性が増していくと「で」が選ばれる傾向
「機内に爆発物があった」vs「機内で喧嘩があった」
52 「サイト【 】リニューアル」→が? を?
年代によって違う
53 「~のことを忘れない」?
「~を忘れない」?
前後関係によって微妙なニュアンスの違いがある
54 「行きません」と「行かないです」
「ません」と「ないです」の違いは複雑――「文体差」で、「ないです」はやや砕けた印象
55 日本語は、最後まで聴かないとわからない?
実際は、途中に使われる助詞で判断がつく
Chapter 7
食べる日本語~食語のデザート
56 カレーが好きな人は「辛党」?
「辛党」は酒の好きな人のこと。「アルコール度数が高い」「甘みが少ない」といったことを表わすのに「からい」が使われた
57 「豚カツ」?
「とんかつ」? 「トンカツ」?
和語はひらがなまたは漢字で、漢語は漢字で、外来語はカタカナで書くのが習慣
58 「サケの塩焼き」?
「シャケの塩焼き」?
どちらでも構わないが、食材として捉える場合は「シャケ」に軍配
59 「おろし大根」と「大根おろし」は違うもの?
どちらでも可だが、「大根おろし」がおろしがねを指す場合もある
60 「炒まる」?
ある程度使われているが、抵抗を感じる人も多い
他動詞と自動詞がペアで使われる場合は、自動詞が好まれる場合がよくある――「風呂が沸く」「ご飯が炊ける」など。「を」を使うと「わざわざしてあげた」的なニュアンスが生まれる
61 カレーを「食べ終わる」?
「食べ終える」?
意味の違いはないが、使われる場面が少し異なる傾向がある
「終える」は、「終わる」に対応する他動詞であるのみならず、書きことばを中心とした、特に畏まった場面に限ってよく使われ、話ことばでは「終わる」の方が自然
世界文化社 ホームページ
日本語ってこんなに奥が深くて面白い!
実際の調査データに基づいた、目からウロコの日本語エッセイ。たとえば、「週末」といったとき、金曜日が含まれるのかどうか、カレー好きを「辛党」と言っていいのか、実は、世代によって解釈が違うのです(答えは本書にて)。ひと目でわかるグラフも満載。敬語・用字用語・語彙・文法など、バラエティに富んだ切り口で言葉に迫る。日本語ってこんなに奥が深くて面白い!
塩田 雄大/著
(著者に会いたい)『変わる日本語、それでも変わらない日本語』 塩田雄大さん
2023年5月20日 5時00分
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■言葉の変化がかわいくて NHK放送文化研究所主任研究員・塩田雄大さん(54)
〈私情により欠席させていただきます〉
この「私情」の使い方を初めて見た時は驚いたという。これまで「仕事に私情を差し挟んではいけない」というふうに使われてきた。だからダメだと言いたいのではない。「○×にはしたくない。こんな言葉が生まれたとか、使い方がこう変わったとか探すのが楽しいわけです」
新しい用法に出会うと、そこだけ浮き出て記憶に残る。「おっ!と、たぶん新種の植物や虫を見つけるのと一緒。変化する言葉がかわいくてしょうがない」とにっこり。
本書はNHK放送文化研究所の調査をもとに61の言葉について考察する。「改札らへんで待ってます」と言う? 「せいぜいがんばって下さい」と言われるとイヤ? 世代や地域によるとらえ方の差が興味深い。
「言葉の現状を知った上で、自分はこう使おうと考えてほしい。そしてあなたの言い方も否定しないという人が増えれば、もめごとが少ない世の中になるのではないか」
幼稚園のころ、百科図鑑の英語の巻でゾウの絵に「エレファント」とあるのを見て混乱した。「ぞう」ではないのか。言葉に目覚めた出発点だ。外遊びより、漢和辞典をひいて遊ぶのが好きだった。高校では中国語にエスペラント、スペイン語、フランス語、ドイツ語など次々学び、その後、韓国に1年間留学もした。
言葉への並々ならぬ好奇心をもって、1997年からこの研究所で日本語研究を続ける。NHKラジオ深夜便でも月1回、日本語について語り、明るい声がおなじみになった。
いま、みんなが言葉を尽くし、もっとコミュニケーションをとらないといけないと感じる。「わかりやすく誤解のない言い方をするにはどうしたらいいか。手持ちの表現を増やしたくて研究しているんです」
(世界文化社・1870円)
(文・河合真美江 写真・横関一浩)
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