師弟百景  井上理津子  2023.5.28.

 2023.5.28. 師弟百景 をつないでいく職人という生き方

 

著者 井上理津子 1955年奈良市生まれ。日本文藝家協会会員。ライター。大阪を拠点に人物ルポ、旅、酒場などをテーマに取材・執筆を続け、2010年に東京に移住。著書に『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師たち』など、現代社会における性や死をテーマに取り込んだノンフィクション作品を次々と発表し話題となる

 

発行日           2023.3.1. 初版第1刷発行

発行所           辰巳出版

 

 

まえがき

茶の湯の文化を中心に紹介する月刊誌『なごみ』(淡交社)から持ち掛けられたのが2019年。伝統工芸的な道具作りには一子相伝といって、知識や技術といった奥義を自分の子ども1人にだけ伝え、他の者には秘密にする形がとられていることが多いが、血縁以外からそうした世界に飛び込んだ人たちの大変さたるや。と思ったのが企画の発端

コロナ禍のリモートワークという世の流れと対極にあるのが職人仕事でありその師弟関係

本書の目的は、師弟間の信頼関係、世代間ギャップなど、それぞれの思いに触れながら、技術と伝統の受け継がれていく様を伝えること

 

 

1         庭師――平井孝幸(1951)

保谷市に5000坪を有する平井家本家の長男・孝幸

東京農大農学部造園科在学中に見た「雑木の庭」の先駆者・飯田十基(じゅうき)の庭の写真を見て感銘を受け、1975年卒業と同時に弟子入り

1978年、「石正園(せきしょうえん)」創立、作為を感じさせない「自然の庭」造りを旨とする

 

2         釜師――二代長野垤志(てつし、1941)

和銑(わずく)による釜師の大家。茶釜の材質には「和銑」と「洋銑(ようずく)」があり、錆びに圧倒的に強いのは和銑で、大量生産のきく洋銑と異なり、熟練の技術を要する

戦後和銑を復興させたのが先代の長野氏(重要無形文化財保持者)

当初父親に反対されたが、岡谷の銅像屋や母親の実家の山形の鋳物屋で修行

1913年、文展(文部省美術展覧会)に工芸部門が加えられ「芸術」と認められたが、その歪みで派閥争いが生じ、手仕事の職人を「まちの人」と呼ぶなど、工芸分野内に上下関係が発生

「まちの人」が属する徒弟制度は、戦後の民主化で廃されたが、二代目は辛うじて間に合う

量産品で腕を磨き、31歳で独立

 

3         仏師――松本明慶(みょうけい、1945)

「松本工房」は京都の大原町、運慶・快慶の流れをくむ「慶派」の唯一の継承者で、松本は仏師の最高位・大仏師の称号を持つ。17歳で仏師になり、2年後「最後の京仏師」といわれた野崎宗慶に出会い弟子入り

「視覚だけで捉える写の目と、視覚と心で感じる観の目があり、観の目で彫りあげるのが仏師」と教えられる

 

4         染織家――志村洋子(1949)

1989年、母・ふくみとともに京都嵯峨に都機(つき)工房創設

染織一家の三代目。母志村ふくみは、文化学院に学び、先代に教わり、植物染料と紬(つむぎ)糸による織物を始め、重要無形文化財保持者・文化功労者に

オーストリアの哲学者シュタイナーの思想、「色彩とはであり、生命の根源である」という色彩論に学ぶ

東日本大震災をきっかけに、消費過多の物質文明への疑問から、アルス(技術・芸術のこと)シムラの学校を始め、太古から連綿と続く営みの継承に努める

 

5         左官――田中昭義(1973)

京都生まれ。大卒後、「佐藤左官工業所」で10年修業し独立してから14年がたつ

一人親方として働く父を見て育つが、バブル崩壊で先細りとなったが、他の店で修行し、俵屋旅館の壁に感激して続ける

代表作に、堺市「さかい利晶の杜」ないの国宝茶室「待庵」の再現

 

6         刀匠――吉原義人(よしんど、1943)

東京生まれ。22歳で文化庁認定の刀匠。先祖は江戸時代から筑波山麓の鍛冶屋。祖父・父に次ぐ三代目。73年初代高松宮賞受賞、82年刀匠の最高位「無鑑査」となる

53年美術品としての作刀が認められ祖父が再開

日本刀文化普及の役に立てるために作刀技術も積極的に公開

純粋な鉄の融点は1538度だが、不純物が含まれると融点は下がるので、温度が上がり過ぎて燃えてしまわないよう経験と勘でギリギリまで温度を上げる

「炭切り3年、向こう鎚(つち)5年、沸かし一生」と言われ、最初は炭を鉈で3㎝四方に切る仕事、無給は当たり前

 

7         江戸切子職人――堀口徹(1976)

東京生まれ。二代秀石(須田富雄)に師事、三代を継承。2008年「堀口切子」を創業。オルビスグループCSR賞社長賞受賞、江戸切子新作展最優秀賞、グッドデザイン賞など受賞多数

江戸切子の発祥は180年前。日本橋大伝馬町のビードロ屋(ガラス屋)の主人がガラスの表面に彫刻したのが始まり。カットの技法は明治になってイギリス人からもたらされた

単に「切子」と呼ばれていたが、1985年東京都伝統工芸品に指定され「江戸切子」とブランディング、さらに2002年に国の伝統工芸品に指定

江戸切子の条件は、①ガラス、②手作業、③回転道具を使用、④関東一円で生産

現在職人は約100人。代表的文様とモダンな文様が繰り返されてきた

祖父が61年初代・秀石を名乗る。二代・秀石は大叔母の夫

 

8         文化財修理装潢(そうこう)師――半田昌規(まさき、1962)

東京生まれ。多摩美大日本画卒後、父が65年創業した半田九清堂に入る。国宝修理装潢師連盟副理事長。同連盟認定の、全国で16人の「技師長」の1

作品の調査に始まり、本紙を表具から外し、裏打ちの紙を剝がす。本紙の虫食い穴や欠損個所を修理した後、新たな和紙で裏打ちする。元々使われていたのと類似している裂(きれ)などで表具するというのが作業の流れ

 

9         江戸小紋染織人――富田篤(1948)

東京生まれ。79年富田染工芸入社。全国染色協同組合連合会理事長などを歴任。22年旭日単光章叙勲。富田染工芸は明治期に創業、1914年から西早稲田の現在地へ

小紋は、江戸の他京と加賀狩り、江戸小紋の柄が最も細かく、遠目には無地に見えるのが特徴。元々は武士の裃で、紋だけではどこの藩か識別できないため特定の柄を入れた

1976年、「東京染小紋」の名称で国の伝統工芸品に指定。単色の江戸小紋と、何枚もの型紙を合わせて多色に仕上げる「東京お洒落小紋」がある

現在5代目で、一子相伝

 

10      宮大工――小川三夫(1947)

栃木県生まれ。69年法隆寺最後の宮大工・西岡常一(190895)に入門。77年「鵤(いかるが)工舎」設立。15,6人で集団生活をしている

 

11      江戸木版彫師――関岡裕介(三代目扇令、1957)

東京生まれ。二代目関岡扇令の次男。高卒後、木版画彫師四代目大倉半兵衛に師事。アダチ版画研究所勤務を経て、94年関岡彫裕木版画工房を設立。13年三代目襲名

江戸から続く摺り師の系譜だったが、彫師が減ってきていると聞いて彫師に

版木は山桜。絵師が描いた下絵を裏返し、糊で山桜の版木に貼り、そのあと薄く剥がすと、下絵の輪郭線が版木に写し取られるので、小刀を親指と人差し指で持ち、小指で手前に引く。まず線を彫り、続いて丸ノミで1㎜単位の整えを行い、平ノミで不要部分を取り除く

 

12      洋傘職人――林康明(1960)

85年市原入社。13年傘職人・渡邊政計(まさかず)に師事。洋傘が東京都の伝統工芸品に指定された2018年東京都伝統工芸士に認定。現在は市原の工場長兼製造部部長

市原は1946年ベルト屋として創業、紳士の雑貨小物を製造していたが、68年テイジンメンズショップから男のおしゃれ傘の依頼が来て制作を開始。帝人の新開発した生地レクタスで作った傘が大ヒットして傘専業に。15工程を分業していたが、市原は社内で一貫体制を構築しようと、林が厦門の渡邊の工場に入り込んで修業

 

13      英国靴職人――川口昭司(1980)

福岡県生まれ。22歳で渡英、靴の職業訓練校卒後、ビスポークシューメーカーでジョン・ロブのブランドをつくるポール・ウィルソンに師事。08年帰国、11年自らのブランド”Marquess”を立ち上げ、現在銀座にサロン兼アトリエがある

ピスポークの語源は”bespoke”で、依頼者と話し、使用目的やファッションの全体的な嗜好などをヒアリングし、最適な素材やデザインを提案して商品を作ること。フルオーダーとの違いは、作り手の特色ありきなことで、川口の場合は「1930年代の英国靴」

”Marquess”は英国の爵位名。オーダーから仮縫いまで8カ月、完成までは1年半、138万円

 

14      硯職人――望月玉泉(ぎょくせん、本名:定徳、1956)

20歳から父を師に硯職人の道へ。富士川ふるさと工芸館(現・富士川クラフトパーク)を経て、現在は山梨県早川街の硯匠庵(けんしょうあん)内の工房を仕事場とする

雨畑硯は、1297年日蓮聖人の弟子・日朗(にちろう)が早川町に立ち寄った際に蒼黒の一石を発見したのが始まり。雨畑は当地の集落の名前。14代将軍家茂に献上され広まる

硯の表面にある、目には見えないほどの大きさの凸凹「鋒鋩(ほうぼう)」の状態が、他の硯とは異なり、石の中に含まれる鉱物が墨を摺り下ろすときに滑らかさを出す

硯の周囲の盛り上がった部分を「縁」、墨を沈めるところが「海」、磨()るところを「丘」といい、石の目を見てデザインを決める。平ノミで削り、丸ノミで角地をつくる

裏面に「雨畑真石(しんせき)」と彫り、偽物と区別。その横に「玉泉」と号も彫る

 

15      宮絵師――安川如風(にょふう、1946)

京都市生まれ。武蔵美大日本画専攻卒後、京都の川面美術研究所で文化財修復の修業を経て、77年独立。87年には宮絵師安川に改組。全国の社寺500以上の荘厳(彩色)、修復を手掛ける。父や漆の塗り師で、宮絵師は安川如風が初代

業界内では「彩色屋」と呼ばれるも、友禅の職人と同じなので、自ら「宮絵師」を名乗るが、社寺に関わる絵付け職人のことで昔からある呼称。「宮画師」とも

最も思い出深い仕事は、八尾の浄土真宗本願寺派久宝堂御坊・顕証寺の蓮如上人500回忌記念事業の絵伝で、4(3x1.5m)40場面に1000人登場、2010年の完成まで10

 

16      茅葺職人――中野誠(1968)

京都府生まれ。23歳の時地元の「最後の茅葺職人」に弟子入り、30歳で独立。美山茅葺を設立。民家も文化財も手掛ける。父は左官の親方だったが廃業。イギリスに農協から研修旅行に行き、茅葺屋根が連なる風景を見て感激、地元を見直したのが職人になるきっかけ

茅は、ススキや葦(よし)、小麦藁(わら)など屋根を葺く植物の総称

美山町(現・南丹市)は、約40軒の茅葺屋根の家が並ぶ「かやぶきの里」

屋根4面で円周2(ニ尺じめ)の束を30003500使う

 

 

 

(書評)『師弟百景 をつないでいく職人という生き方』 井上理津子〈著〉

202348 500分 朝日

『師弟百景 をつないでいく職人という生き方』

 伝統を次代へ、ともに歩む人々

 京都で左官修業に打ち込む女性の場合、きっかけは通っていた中学校でのトイレの改修工事だった。きれいになると利用するのが楽しい。心の動いた体験が、高校での進路選択へとつながる。ネットで左官業を調べて、「グッときた」親方の門をたたいたのだ。

 等身大の自分から、未来をたぐり寄せている。かっこいい。応援したくなる。

 伝統の世界に「一子相伝」の血統主義ではない師弟関係がある。技術と伝統は、どう受け継がれるかを本書は探る。著者のフィルターは透明で、職人はこうあってほしいという外からの勝手な願望を持ち込まない。これまで命が生まれる産院や、最期を迎える葬送のリアルを描いたように、その場所でいまを生きる人に正面から聞く。筆致はカラリとして、温かい。

 仏師、宮大工など16の仕事場に流れる師弟の時間はまさに百景だ。庭木を剪定する弟子に「かたいなあ」「もっとやわらかく」と指示を出す。これは目と感性の鍛え方。師が硯を彫る手元を動画でとりまくる。横着でなく一瞬も見逃したくない弟子の熱意だ。無給の修業があることも著者は書き、美化も否定もしない。

 師匠がすでに親や先輩から「やらんでいい」「やめとけ」と反対された世代になっている。文化への誇りと危機感を持つからこそ、次につなぐ思いは切実だ。弟子たちは人の役に立ち、後世に残る仕事にやりがいを感じている。茅葺き職人の師は、大学院卒や社会人からスタートする弟子を受け入れ「惜しみなく言葉で教えます」「時間がないんです」と語る。

 師弟が並んだ写真の自然体は、仕事と望む人生にずれがないからだろう。神学者シュライアマハーの『宗教について』にこうある。「弟子は、師が彼を弟子にしたので、弟子になったのではなく、弟子が彼を師として選んだから、彼は師なのです」。師弟は好きなこと、同じ目的のために、ともに歩む同志でもあるのだ。

 評・長沢美津子(本社編集委員)

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 『師弟百景 をつないでいく職人という生き方』 井上理津子〈著〉 辰巳出版 1760円 電子版あり

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 いのうえ・りつこ 55年生まれ。ライター。著書に『さいごの色街 飛田』『葬送の仕事師たち』など。

 

 

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