「させていただく」の使い方  椎名美智  2023.4.30

 2023.4.30. 「させていただく」の使い方 日本語と敬語のゆくえ

 

著者 椎名美智 法政大文学部英文科教授。宮崎県生まれ。お茶の水女子大卒。エジンバラ大大学院修士課程修了。お茶の水女子大大学院博士課程後期退学。ランカスター大大学院博士課程修了(Ph.D)。放送大大学院博士課程修了(博士(学術))。専門は言語学、特に歴史語用論、コミュニケーション論、文体論

 

発行日           2022.1.10. 初版発行          22.4.15. 5版発行

発行所           KADOKAWA (角川新書)

 

 

「させていただく」は正しい敬語? 意識調査とコーパス調査で違和感の正体が明らかに。現代人は相手を敬うためでなく、自分を丁寧に見せるために使っていた。明治期、戦後、SNS時代、社会環境が変わるときには新しい敬語表現が生まれる。言語学者が身近な例でわかりやすく解説!

 

はじめに

l  SMAPV6の解散劇

2016年のSMAPは「解散させていただく」に対し、今度のV6は「解散します」

「させていただく」がコミュニケーションに様々なニュアンスを加えていることがわかる

関係者に気を遣って頭を下げて回ったのがSMAPだったのに対し、V6は自らの意志で解散を決めたという、未来志向の心意気が感じられて爽やかな一陣の風が吹いた心地

l  「させていただく」の謎

本書は、「させていただく」の使用実態を言語学的に、語用論(pragmatics)的に解明する

現在進行形でブレイクの真っ最中

多用されていながら、「使いすぎ」「違和感あり」との否定的コメントが多い

実際のコミュニケーションで使われた言葉のダイナミックな流れを分析

l  敬語のインフレ現象

「させていただく」の使い始めは、1871年圓朝の落語『菊模様皿山(さらやま)奇談』

使用増加は1990年代

普通の敬語だと敬意が足りない気がして、敬意の上乗せ的に「あげる」「もらう」を意味する動詞が代わりに負っている状況で、由緒正しい敬語の枠外にある別のタイプの敬語

本書では、この表現が使われるようになった背景にある要因を探る――社会の変化、人々の意識や距離感の変化、日本語の敬語の変化など様々な流れの集まった結節点に現れた現象と考え、「問題系」(様々な問題が絡まっている意)として取り上げる

l  この本を読むと何がわかるか

「人々がなぜこの形を便利だと感じたのか?」――歴史語用論の立場から、人々の抱く違和感を調査し、大量のテキストを分析して考察する

調べていくうちに、今起きているブームはこの1つの言葉だけの問題ではないことを感じる――日本語の敬語が敬意漸減のために次々と交代して辿り着いた現在の到着点であり、連綿と続いてきた敬語の歴史的変化の結果といえる。他者との距離を保ちたいと思う現在を生きる私たちの対人関係やコミュニケーションへの考え方を反映しているが、敬語はこれからも敬意漸減のために変化を続けるので、「させていただく」も単なる言語変化の通過点に過ぎない

 

第1章        新しい敬語表現――街中の言語学的観察

l  用例を採集する

同じ言葉なのに、聞く人によって、場合によって、様々に解釈されると考えるのが語用論

l  「飲食は禁止させていただいております」

無意識にガムを噛んだまま美術館に入ろうとしたら、掲題の言葉で注意された。「ガムは出して」と自分の言葉でダイレクトに言われれば素直に受け取れたのに、話し手の意図や丁寧な気持ちが聞き手にそのまま伝わるわけではない

受付で「受講票を確認させていただきます」と言われて憤慨する受講者も、「受講票を見せてください」と言われれば素直に応じるのではないか

慇懃無礼というのは、気がついてみるととても腹の立つもの

l  「終了させて頂きます」

言い訳の代わりに使われたり、禁止命令を「させていただく」形式で書く必要があるのか

単に「終了する」「禁止する」でいいはずだし、ストレートに意図が伝わる

l  「させていただく」は使わない

自身の責任は判断でなす行為には「させていただく」を使い、国などからの要請を受けた行為には「させていただく」は使わないという基準も見られる

l  「脱帽及びノーネクタイにて乗務させて頂きます」

服装が乱れているといった乗客からのクレームを未然に防ぐために前もって了解を取っておこうとするものだが、「乗務します」だけで十分では

l  「ポイントを進呈させて頂きます」

「いたします」「てさしあげる」から「させていただく」へのシフトを示す例

l  「免除させていただきます」

「参加費無料」の寛大な申し出だが、被災して大変な目に遭っている方々へのオファーなので、配慮を込めて偉そうな物言いにならないように工夫したもの

l  「おかげさまで320年を迎えさせていただきました」

「させてもらう・いただく」は、近畿地方から全国に広がったといわれる

道を聞かれて、「まっすぐ行ってもらったら、右手にあります」と言われると丁寧に感じる

l  「受賞させていただきました」

謙虚にいわないとバッシングされたり、偉そうに聞こえないよう、自慢気に聞こえないよう、不特定多数の人への配慮を込めようとして辿り着いた表現。バッシング予防策

l  本音が言えない大学生

お互い遠慮し合って、友達とちゃんとコミュニケーションが出来ていない

l  愛されるタメ語キャラと毒舌キャラ

敬語を使うと、相手と自分の間に距離感ができる

タメ語キャラと毒舌キャラも、本来尊重すべき相手の領域を侵害して、相手との距離を縮める。両者の違いは、異なる上下関係に身を置くこと、タメ語は自分が下、毒舌は上

l  「マスクを寄付させていただきました」

人にものをあげること自体が与える側と受け取る側に上下関係を作る行為なので、自分が上位に立たないよう配慮してへりくだった表現が「させていただく」

言葉が「今・ここ・私」から離れれば離れるほど、時間的にも空間的にも距離感が出て、直接的でなくなる

話し手が上に立つ上下関係ができそうな気まずい場面で、うまく私たちを下ろして救出してくれるのが「させていただく」表現

l  「ハッキリ言わせていただきます!

一方的な行為の宣言としての「させていただく」の使い方の例

l  「実家に帰らせていただきます」

キッパリと強い意思を示すフレーズ

l  「警察へ通報させていただきました」

ごみ収集箱への貼り紙の例。通報するという強硬手段の持つ力強さが、丁寧な表現によって凄みを増し、抜群の効果をあげる、気迫のこもった慇懃無礼の最高傑作

l  「警備員が入室させていただいております」

女性トイレ入り口の貼り紙の例で、女性客と犯罪予備軍へのダブルメッセージを込めようとして、婉曲に丁寧に言っている

l  「パンは終了させていただきました」

「売り切れ」のとても丁寧な言い方ではないか

l  「結婚させていただきます」

貴花田との結婚記者会見で宮沢りえが言った言葉。1992年で、「させていただく」の使用が増加し始めた時期のことで、キッパリ言い切ったイメージが強い

l  「しっかり整わせていただいた。最高!!

「整う」とは、「サウナに入って寛ぐこと」を指すサウナ界の仲間内の言葉(ジャーゴン)

ここでの「させていただく」は、上品に話したいという話し手の気持ちの表れ

l  サザエさんは「させていただい」てない

人にモノをやったり、もらったりする「やりもらい」を示す動詞を授受動詞と呼び、2種類の使い方がある。1つは、実際にモノが移動する使い方で「本動詞」といい、もう1つは「貸してもらう」のように、「て/で」を前に付けて助動詞のように使う場合で、「補助動詞」と呼ぶ。授受動詞の前に「させて」がついた使い方も補助動詞用法に含める

194674年までの『サザエさん』約6500作品での使用例:

モラウ系の授受動詞は本動詞での使用が多く補助動詞用法は少ないのに対し、クレル系の授受動詞は本動詞での使用は少ないのに補助動詞用法が多い。「させて」のつく補助動詞はあまり使われていないのは、次代もあるし、磯野家が東京の人ではないこととも関係する

「「させていただく」」は関西起源で、1955年代から東京でも使われるようになったという説がある。ところが文学作品では、明治・大正時代から東京でも「山の手ことば」として普通に使われていた

2世代前には、「てくださる」という補助動詞が多く使用されていた

 

第2章        ブームの到来――「させていただく」の勢力図

l  「させていただく」への不思議な反応

「させていただく」への反応は、中立ないし否定的態度が一般的で、擁護派は少ないが、『舟を編む』のモデルの1人と言われる飯間浩明によれば、「敬語の欠陥を助けてもらっている。へりくだった表現ができなくて困ったときの特効薬」として持ち上げている

「お~する」を使って謙譲語が作れない場合、動詞に「させていただく」をつけると、へりくだる言葉が作れる――「帰る・使う・参加する・変更する」などで、以下のルールを守る:

   謙譲形がない場合、②へりくだる必要がない場合は使わない、③繰り返しは避ける

l  「語用論」のアプローチ

語用論とは、コミュニケーションの中で言語がどのように使われているのか、なぜ言外のメッセージが伝わるのかなどといった、実際に使われている言語を観察する言語学の一分野で、言語が変化しているからには必ず社会や人間関係が変化しているはずなので、それを見逃さないように観察することが必要

l  使う人・使わない人

不特定多数の人の目や耳に触れるところで言葉を使う人たちは、受け手に失礼のないように細心の注意を払って言葉を使うので、「させていただく」を連発する

「させていただく」は、使役の助動詞の「させる」と授受動詞「いただく」が連結の「て」で繋がったフレーズなので、相手からの許可も、ありがたい気持ちもない現在の使い方に対し「間違っている」と違和感を覚える人もいる

l  新しい敬語のお仕事

日本語の敬語体系――十全の尊敬語、謙譲語、丁寧語に加えて、丁重語と美化語の5分類

謙譲語の派生としての丁重語――謙譲語が自分の行為を受ける相手に敬意が向かうのに対し、丁重語は「申す」「参る」「いたす」「愚()」「小()」などで、自分がへりくだるだけで行為は相手に向かわないが、自分が丁寧であることを示すことによって間接的に聞き手に敬意が伝わる

丁寧語から派生した美化語――「お/ご」を名詞や動詞に付けた使い方で、話し手が上品にいうときに使う敬語で、自分の品格を示し、間接的に丁寧さが相手に伝わる

敬語の体系が変わってきたことには、社会やコミュニケーションの変化が反映している

相手に直接敬意を向けて話すよりも、自分の丁寧さを示しながら話をするようなコミュニケーションスタイルが好まれるようになってきた

l  敬語とタメ語の距離感操作

敬語とは、相手に対する敬意を距離感で示すもの――経緯が大きければ距離を大きくとる

タメ語は逆で、相手と距離をおかず、相手に近づく言葉=近接化効果

距離感に関連する事柄として「主語は誰か?」という問題がある――主語が自分であれば、相手に触れないので遠隔化が可能だが、主語が「あなた」だと直接相手に触れ近接化が起こる

l  上下関係とは別タイプの敬語

「させていただく」の敬意表現とは、本動詞の「いただく」が謙譲語なので、「させていただく」も謙譲語だが、現在変化の過程にある

授受動詞と呼ばれる「やりもらいの動詞」は、「やる・あげる・さしあげる/くれる・くださる/もらう・いただく」の3系列7語で1つの体系をなす

授受動詞の補助動詞用法は、恩恵関係を表すときに使われる

「くれる」「もらう」といった非敬語形でも、実は同様の丁寧さを伝える役割を果たしているので、単に敬語形か否かという形式だけの問題ではなく、授受動詞の補助動詞用法かどうかが重要

授受動詞で重要なのは、やりとりされるモノが何であれ、やる側が上位で、もらう側が下位に位置付けられること

上下関係が明確だった社会では、伝統的な敬語が有効に機能していたが、フラットな社会では、上下関係で使われていたものとは異なるタイプの敬語が必要で、丁重語や美化語の出番――相手が誰であれ、自分の丁寧さが示せるうえに、その場その場の関係性の中で丁寧さを示すことのできるのが「させていただく」のような補助動詞として使われた授受動詞

l  授受動詞、補助動詞とは何か?

授受動詞とは、モノのやりとりを表わす動詞。やりもらい動詞とも呼ばれ、普通形と敬語形があるが、時間や配慮、気持ちなどといった抽象的なもののやりとりにも使用が拡大

l  100年越しの「させていただく」

言語の変化は50100年といった長いスパンで観察しないとわからないので、「させていただく」がなぜ1990年代から急増したのかは不明

l  本動詞用法から補助動詞用法へ

最初は本来の意味の本動詞で使われ、徐々に補助動詞として使われるようになる

l  「させていただく」の文法事項のまとめ

敬語は、相手への敬意を示すだけでなく、相手との距離感を程よく保つためにも使われる

授受動詞を補助動詞として使うことにより、話し手は自分と相手との関係性の微妙なニュアンスを伝えることができる

l  敬意漸減の法則

敬語に含まれる敬意が使われるうちに少しずつ(ママ)すり減っていく現象

例として呼称があり、「貴様」はその典型。「司会をいたします」も「いたす」は丁重語で、もともとへりくだりの言葉だが、今では話し手が偉そうにすら聞こえるのは敬意逓減であり、敬意を高めようと敬語を追加していき、敬意のインフレが起こる

ヤル系には「てあげる」と「てさしあげる」という2つの敬語形がある。「やる」が尊大で野卑な言葉になったため、敬語形の「あげる」となり、さらに敬意不足から「さしあげる」となり、さらなる敬意漸減が起こって上から目線となり使いにくくなって来た

l  遅れてきた「させていただく」

クレル系とモラウ系の補助動詞は、敬意漸減に従い、以下の順で出現:

「てくれる」→「てくださる」→「てもらう」→「ていただく」→「させていただく」

l  「させていただく」という問題系

「させていただく」を、社会や文化、人間の様々な様相の絡み合った状況全体の現象として複層的に捉え、「させていただく」の使用増大の全体像を探る

 

第3章        違和感の正体――700人の意識調査

l  言語学の様々なアプローチ

授受動詞や補助動詞を論じた論文を幅広く読んで問題の背景を探る

l  古典語から(意味や機能が)継承された用法

やりもらいの方向性の変化も現代日本語になって初めて使われた特殊な用法ではなく、昔からの意味が連綿と継承されてきた結果としての現在の用法に繋がることがよくわかる

l  敬語の「乱れ」は変化の兆し

「敬語の民主化」――戦後社会の縦社会から横社会への変化に伴い、横の繋がりを重視する敬語へと変化していることを捉えた概念

「敬語の成人後採用」――若年層がうまく敬語を使えないのは敬語の乱れではなく、身についていないだけだと捉える概念

社会言語学と語用論は相補的な関係にあり、基本的な違いは、人間を集団として見るか個人として見るかという視点、あるいは視野のサイズにある

l  距離感と関係性のポライトネス理論

ポライトネスは、相手と自分の距離感や関係性に焦点を当てる言語学上の概念

敬語の「丁寧」とは異なる概念で、「フェイス」という「他の人からこう見られたい」と思う自己イメージには「自己決定の欲求」と「他者評価の欲求」があり、人が欲する距離感を損なわない場合をポライトという

l  ポスト・モダンのポライトネス

話し手側からのポライトネスに対し、現在は人間関係の距離感を調整する「距離のストラテジー」と捉える――人間関係や文脈が合わさって生み出される効果でポライトネスを判断するもので、その結果として受け手側に感じられるものだという考え方が主流

ハラスメントに関しても同様だが、まだまだ話し手側の認識が尊重されている

l  違和感を左右する3つの要素

本来「させていただく」の適切な使用条件は、自分の行為について(相手側や第三者)の許可と恩恵(を受ける事実や気持ち)――行為の相手の存在や役割が前提で、「させる」に該当する使役があること、恩恵を受けるかどうかという3要素がある

最大の要因は「聞き手の存在」――聞き手の役割や存在が関係していると違和感は小さく、相手から許可された行為(使役性)だと違和感が小さい。「恩恵性」の有無は違和感に無関係

l  ワンフレーズになった「させていただく」

距離感を考える時に重要なのが、「主語は誰か?」と「普通体か敬語体か?」――主語が「あなた」だと距離感は小さくなり、普通体だ距離感は小さい。「させていただく」は敬語体かつ主語が「私」となり二重に遠隔化が作用する距離感の大きい補助動詞となるが、「あなた」の存在が必須な動詞と一緒に使われると違和感は小さい

「させていただく」は謙譲語だが、恩恵性がないのであれば、「させて」と「いただく」の連語ではなく、ワンフレーズとして認識され、相手に敬意を向けるとはいえず、自分の丁寧さを示すようになっているので、謙譲語というより丁重語になりつつある

l  意図通りに受け取られるとは限らない

「させていただく」を使う話し手側と、それを聞く側の違和感が異なる――一般的なコミュニケーションにおいて、言葉は話し手の意図通りには伝わらないので、聞き手にどう解釈されるのかを意識して言葉を使わないと誤解が生じる

l  「させていただく」の絶妙な距離感

あなた認知の動詞とともに使われている「させていただく」には、遠隔化と近接化の両作用が備わり、両者にメリットがあるため、絶妙な距離感が実現できる

「させてくださる/ください」と比較すると、「ください」の部分が実質的意味を失っていないため、依頼や要請というよりも、ほとんど命令のような意味合いで使われていて、どんな動詞とでも一緒に使えるまでには至っていない

 

第4章        広がる守備範囲――新旧コーパス比較調査

l  昔の言葉と比較する――距離感が二極化している

コーパスとは、電子テキストをたくさん集めたデータセットのこと

18521956年までの使用状況データ(A)と、19762005年までのデータ(B)を比較

「させていただく」と「させてくれる」は使用が増加、「させてくださる」は減少、「させてもらう」は不変――「させていただく」ブームは、距離感を示す敬語形だけに起こっている特異なポライトネス現象だと言える

補助動詞の使用は、使用が増加した「させていただく」と「させてくれる」に二極化――相手との距離感が近い近接的な物言いがしたかったら「させてくれる」を使い、距離感を出したかったら「させていただく」を使うという二択になっている→本動詞でも起こっている

l  使用頻度が減った動詞

「させていただく」がどんな動詞と一緒に使われているか――頻度の高い順に上から50%までに入る動詞は、Aでは21Bでは53となり、昔は限られた動詞が高頻度に使われたのに対し、今は幅広い動詞が低頻度に使われている

A,Bともに高頻度に「させていただく」と一緒に使われている動詞:

経験動詞――見る、聞く、読む

能動的コミュニケーション動詞――述べる、書く、話す

人に働きかける動詞――手伝う

目的語が明示されていない動詞――やる

時代とともに高頻度には使われなくなった動詞 ⇒ 謙譲語が多い

人に働きかける動詞――お伴する、会う、お邪魔する

移動動詞――失礼する、伺う、参る、立ち寄る

経験動詞――拝借する、考える

新しく高頻度に使われるようになった動詞 ⇒ 種類が拡大

経験動詞――使う、参加する、勉強する、楽しむ

モノに働きかける動詞――作る、送る、撮る、取る

能動的コミュニケーション動詞――言う、報告する、説明する ⇒ 有意に増加

移動動詞――行く、帰る

人に働きかける動詞――紹介する、お付き合いする ⇒ 有意に減少

目的語が明示されていない動詞――する

l  「述べる」「話す」動詞が増えている

歴史的にも現状でも、能動的コミュニケーション動詞と一緒に使われている

l  政治家は「させていただく」をよく使うのか

過去の使用例中最多は国会議事録で、全体の46.6%を占める

職業柄多く使うというだけではなく、議事録自体が話し言葉を書き起こしたもので、一緒に使われる動詞は大半が「答える」「説明する」「質問する」「尋ねる」

l  活用形と語尾のパターン

前接動詞が多様になり「させていただく」の応用範囲が広がる一方、「させていただく」の後ろがどう終わっているかによって、話し手の態度がわかるが、、、、、

l  最も増えた「言い切り形」

語尾によって願望や提案・意思表示、言いさし、仮定などを表現するが、今では「させていただきます」など現在形の「言い切り形」が全体の1/4以上と圧倒的に多い

l  関わるようで直接の関わりは避ける

前接動詞では相手との関わりを表現する多様な動詞が使用されるようになってきた一方で、それまで相手との様々な交渉的な言語行為を遂行していた後ろの部分が縮小してきたことは、双方向コミュニケーションが一方的なコミュニケーションに変わってきたことを示す

l  2つの調査の一致

前接動詞に能動的コミュニケーション動詞が多く使われるようになったことは、自分からすすんで相手にコミュニケーションを取ろうとする動詞で、相手の存在があると「させていただく」フレーズへの違和感は小さいことと呼応する――違和感なく使われるようになる

l  近接化と遠隔化の両立

「させていただく」は最も距離感が大きいが、相手に関係する動詞を使うと近接化の性格を帯びる――能動的コミュニケーション動詞によって近接化ストラテジーを採用すると同時に、元々「させていただく」に備わっている遠隔化ストラテジーによって、物事を丁寧に示す遠近両方の距離感を示すマーカーとしての機能を果たす

l  合理化か貧困化か

違和感を抱く人には、コミュニケーションの貧困化・平板化を嘆く声もある

世代差による言語感覚の違いも関係

l  敬意がすり減った「させてくださる」

質問形から依頼形の言い切り形にシフト――敬意漸減が背景にあり、語気が強くなって命令的なニュアンスを帯びてきて、元々の敬語としての機能が失われた

l  インフレ化した経緯を距離感で調整

敬意漸減が敬意インフレを誘引し、遠隔化から直接的なコミュニケーションは貧弱になっていくジレンマに陥る。「させていただく」はそうした距離感の中にあって、「させて」と相手の許可に言及することによって、相手へ手を伸ばそうとする気持ちが話し手にあることを示すと同時に、「いただく」という遠距離効果の言葉で距離感を取り戻すことによって、微妙に人々の間の距離感を調整することができる。そうした微妙な距離感操作が簡単にできることが、伝統的な敬語に代わる表現として使われる理由ではないか

l  敬意漸減の兆し

新たな問題――使用過剰、敬意漸減の兆し、対話者間の関係性の希薄化など

言い切り形への一本化・定型化は、簡便化・合理化だと肯定的に捉えられているが、上の世代は紋切り型のコミュニケーションに物足りなさを感じ、ミスコミュニケーションの原因になっているのでは

 

第5章        日本語コミュニケーションのゆくえ――自己愛的な敬語

l  「させていただく」は関西発祥なのか

ものの言い方は地方によって異なる

「相手志向」は近畿方言の特徴――相手の存在を強く意識し、判断基準は自分と相手との関係であり、事柄が相手にとってどうであるかということに気を配る

l  「させていただく」の1人勝ち

丁重語の「いたします」は、元々自分の行為をへりくだる言葉だったが、敬意漸減からへりくだった自己に焦点が当たり、いつの間にか尊大化し偉そうに聞こえるようになった

ヤル系の敬語形に「てさしあげる」があるが、今では「させていただく」と同じ様な動詞と一緒に使われる傾向が見える。上から目線で偉そうに聞こえるので、対面している相手にはもはや使われなくなっている。三人称に対してならまだ機能する

「させてください」は、「主語である相手へのフォーカス+尊敬+依頼」であり、敬意漸減から、「ください」が依頼というより命令の意味合いを帯びるため使いにくくなって、「させていただく」という「主語である自分へのフォーカス+謙譲+宣言」に取って代わられる

l  「表敬」から「品行」へ

「させてくださる」から「させていただく」へのシフとは、「尊敬」から「謙譲」へのシフトだが、専門用語では「表敬」と「品行」の概念を使って説明できる

表敬は、相手についての高い評価を適切に相手に対して伝える手立てになる行動

品行は、身のこなし、振る舞いを通じて伝えられる個人の儀礼的行為

l  本当に込められているのは敬意ではない

「させていただく」は、丁寧さと謙虚さを示すために使われるケースが多く、本当に込められているのは、実際には聞き手意識であり、自分の行為を表現することによって間接的に伝わるあなたへの配慮であって、従来の敬語の敬意とはちょっと違う

謙譲語と丁重語は自分がへりくだる点では共通するが、謙譲語は自分の行為が相手に向かった結果として敬意が相手に向かうが、丁重語は自分だけで完結する行為を示すので、敬意が相手に向かわず、その代わり丁寧さが自分に向かう。丁重語は自分の丁寧さや謙虚さを示す品行の敬語

l  アクセルとブレーキの操作

「させていただく」は、主語が1人称なので、あなたへの敬意漸減の速度が抑制される一方、前接の本動詞の部分にあなたへの配慮を示す意味合いが込められているので、自己尊大化のスピードが抑制される

l  問題系への答え

「させていただく」は、人との距離をとる意味では敬語と同じ働きをするが、運用において近接化を帯びている点が従来の敬語とは異なる。距離を取るだけの「丁重語」とも差別化が必要

l  コミュニケーションの矛盾

コミュニケーションが近接化を図ろうとする行為であるにもかかわらず、遠隔化効果の高い「させていただく」を交渉の余地のない言い切り形で使用するのは矛盾

表面的な配慮は多様化しているにもかかわらず、実際の対人的側面における交渉的配慮は後退し、コミュニケーション全体としては貧弱化している

「させていただく」を巡る問題は、使う側の便利さというメリットが、受け取る側への不快感というデメリットになる矛盾を孕む――使う側は、前接動詞の多様化というメリットを感じ、受け取る側は、後ろの活用部分の固定化に不快さを感じる

l  「あなたとともにあるこの私」

一緒に使われる動詞にも一定の傾向がある――聞き手の存在・関与の有無を見極めた上で使われている。人と関わって恩恵をもらって感謝する表現から、「あなたとともにあるこの私」をへりくだって示す敬意マーカーへと変わってきている

l  させていただきます「ね」

言い切り形によって画一化した意味合いを補充する言い方が出てきた

共感の終助詞「ね」や絵文字をつけて、近接化を試みる使用例が増えている

l  敬意のインフレーション

「させていただく」も敬意漸減の法則の例外ではなく、既に不足する敬意や配慮を補充するために、配慮を込めた願望などが付加され、「~と思います」などと変化している

日本語は文の後ろに話し手の態度を示す表現が来るので、相手の反応を見ながら言い換えたり、言い足したりする

l  敬語のナルシシズム

敬語が、相手への敬意を示すものから、自分を丁寧に示す品行の敬語へとシフトしている

自分が品性のあるちゃんとした人間であることを常に示したいと思う社会になってきていることの表れで、「させていただく」は自己愛的な敬語、敬語のナルシシズム現象といえる

l  自己疎外に陥る私たち

逆に言えば、現代日本語コミュニケーションが対人配慮に心を砕く余り、他者と直接繋がれなくなってコミュニケーション不全を起こしそうになっているのが現状 ⇒ 「疎外」

人に認められたい、仲間外れにされたくないと思う一方で、他者と深く関わることは難しい、面倒、怖いという気持ちも強い ⇒ 「させていただく」を使って安心・安全な距離を取っている

l  不特定多数とのコミュニケーションの難しさ

元々敬語自体、不特定多数に話す場面で、相手に失礼のないようにしたい欲求から生まれている

l  そして他者はいらなくなった

相手を必要としなくなった場合にこそ「させていただく」の進む道が見える

現代の敬語全体が相手を必要としなくなっている――自分の丁寧モードと普段着モードの切り替えだけでコミュニケーションが済ませられる敬語の世界に向かう

 

 

おわりに

「させていただく」はコミュニケーションの変化を示す指標

 

【さ】「させていただく」を研究し尽くした本が出た

日本語探偵  飯間 浩明 国語辞典編纂者

2023/01/09 文藝春秋 2月号

国語辞典編纂者の飯間浩明さんが日本語のフシギを解き明かしていくコラムです

 言語学などを専門とする「くろしお出版」から、椎名美智(しいなみち)・滝浦真人(たきうらまさと)編『「させていただく」大研究』という本が出ました。しばしば目の敵にされる「させていただく」という表現について、日本語学の研究者たちが、さまざまな視点から論じ尽くした本です。

 研究書なのですが、漫才用語の「やめさしてもらうわ」の分析あり、「食べログ」の投稿に出てくる「させていただきました」の調査ありで、内容は贅沢(ぜいたく)、バラエティーに富みます。ところどころ難しい用語もあるけれど、それはネットを検索すれば分かります。日本語に関心の深い読者に、ぜひ生きのいい言語研究の成果を味わっていただきたい。

 と、本書を推薦しながら気が引けるのですが、実は私も論考を載せてもらっています。「させていただく」の研究の経験もないのに僭越(せんえつ)なことです。以前(20191月号)、本欄で「させていただく」を取り上げたのが編者の目に留まったことがきっかけでした。

 私の論は、「させていただく」は日本語の敬語体系の欠陥を補っている、というものです。たとえば、「会場に案内する」をへりくだって(謙譲語で)言うと「会場にご案内する」となります。一方、「会場を変更する」をへりくだって「会場をご変更する」と言うとおかしい。そこで、「会場を変更させていただく」と「させていただく」を使うと、うまく謙譲の意味が表せるのです。

 これだけでは簡単すぎるので、戦後文学で「させていただく」が使われた例を調べたりして、客466観的なデータを示すことに努めました。私が述べたかったことは、どうにか形にしたつもりです。

 ところが、本書に掲載された他の論文を読めば読むほど、自分自身の勉強不足を痛感することになりました。

 たとえば、私は「させていただく」の古い例として、昭和初期の東京の例があることしか述べていませんでした。でも、本書の他の箇所で何度も引用されている松本修さんの論文によれば、明治時代から三遊亭円朝や幸田露伴、夏目漱石など多くの文章に「させていただく」の実例があるのです。それらを踏まえていなかったのは何とも迂濶(うかつ)でした。

 このように、本書は、各執筆者のユニークな論が楽しめるだけでなく、「させていただく」の基礎が一から分かるようになっています。私も本書を読んでから自分の論考をまとめればよかった。なんて、それは不可能ですが。

 

 

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