稀代の本屋 蔦屋重三郎  増田晶文  2023.5.21.

 2023.5.21. 稀代の本屋 蔦屋重三郎

 

著者 増田晶文 作家。1960年大阪生まれ。同志社大法卒。人間の「はてなき渇望」を通底テーマに、様々なモチーフの作品を発表。文芸作品に、新島襄と徳富蘇峰の軌跡を描いた『ジョーの夢』、理想の小学校設立に奔走する若者たちが主人公の『エデュケーション』など。『はてなき渇望』で文藝春秋ナンバー・スポーツノンフィクション新人賞、『フィリピデスの懊悩』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞

 

発行日           2016.12.21. 第1刷発行

発行所           草思社

 

カバー裏

「蔦屋が開板する、これぞっていう作は、世を揺るがすもんでなきゃと決めています」

山東京伝や恋川春町らで世を沸かせ、歌麿を磨き上げ写楽を産み落とした江戸随一の出版人・蔦重。出版者であり編集者であり流通業者であると同時に、流行を仕掛け情報を発信する辣腕メディアプロデューサーでもある。そして何より、新しい才能を見出し育て上げて世に出し、江戸の日本文化を変えた巨大な創造者でもあった。時に為政者の弾圧にあいつつ「世をひっくり返す」作品を問い続けた稀代の男の波乱の生涯を、江戸の粋と穿ちが息づく文体で描き

切った渾身の時代小説!

 

――商いのためだけに、言の葉や絵を扱っているわけじゃないんだ。

重三郎のやっていることは、品物に口銭を乗せ右から左へ売りさばくのとわけが違う。書き手や画工たちの才を見抜いたうえ、さらに磨く。彼らの情念を本に仕立て、版を彫って摺り上げる。重三郎は創り手たちが気持ちよく働く環境づくりに心を砕く。彼らの才能を讃え、励ますのはもちろん、必要とあらば口出しだっていとわない。戯()作は山東京伝、浮世絵なら喜多川歌麿。並び称される人気者の2人とて、蔦重の存在なしには世に出られなかった。

――だが・・・・・今度の仕事は京伝さんや歌麿さんらを仕掛けたのと違う

 

「蔦屋が、本の値打ちを変えてみせます!

山東京伝、恋川春町、歌麿、写楽。若き十返舎一九に滝沢馬琴。きらめく才能を見つけ育てて世に送り出し、江戸を日本を変えた。

波乱に満ちたその男の生涯を描く

書き下ろし時代小説

 

 

蔦屋重三郎/蔦重(175097) 江戸の名物本屋

喜多川歌麿(17531806) 

山東京伝/北尾政演(17611816) 江戸を代表する戯作者。絵師として出発し流行作家に

恋川春町(174489) 黄表紙なる江戸文芸の新分野を開く。絵も洒脱

朋誠堂喜三ニ(17351813) 人気戯作者。表の顔は出羽国久保田藩の江戸留守居役

北尾重政(17391820) 浮世絵師。京伝や政美を育て、歌麿、鳥居清長にも影響

大田南畝(17491823) 狂歌壇領袖。早熟の文人。蜀山人、四方赤良は別名。下級幕臣

勝川春朗/北斎宗理/葛飾北斎(17601849) 浮世絵師。駆け出し時代に蔦重と知己を得

滝沢瑣吉曲亭馬琴(17671848) 読本(よみほん)作家。京伝の紹介で蔦屋に寄宿

重田幾五郎/十返舎一九(17651831) 戯作者。瑣吉と入れ替わるようにして蔦屋へ

 

序章 画帖

重三郎が本屋稼業を始めたのは1774年。吉原で頭角をあらわし、’83年には表間口1間が値千金といわれる日本橋で耕書道の屋号で立派な店を構える

吉原の遊女から廓まで街ごと網羅した細見に始まり、浄瑠璃の稽古本で勢いをつけ、狂歌本を出し黄表紙、洒脱本へと手を広げ、錦絵でも傑作をものし、艶本(えほん)も版を重ねる。「蔦重」と聞くと、江戸の町衆は「粋」や「通(つう)」への憧れを重ね合わせる

開業から20年、山東京伝や歌麿とは違う仕事を仕掛ける。それが幾五郎。大坂奉行の下で禄を食みながら、芝居小屋に入り浸って道を外し、文を書いて生業にしたいと浄瑠璃の台本を書くまでになったが、事情があって江戸に流れ、手代の瑣吉に代わって蔦屋に居候

3年前、松平定信による寛政の改革で蔦屋はお上に盾突いてお咎めを受ける

今手許にある画帖の絵に惚れ込み、「江戸中を驚かせる役者絵を描かせる」と意気込む

 

第1章        吉原

娘や女房たちまでが吉原の案内書『吉原細見』を手に見物に来る

江戸の流行は吉原から始まると言っても過言ではない

蔦重は、吉原で生まれ、両親離縁の後、引手茶屋経営の叔父に育てられ、20前後から吉原で草双紙や細見を売るようになり、23のとき吉原の大門を出て4軒目に店を構え、荷車に貸本の草双紙を積んで遊郭を回る。いつの日か、自ら絵筆をとり、双紙を編んでみたい、そのためには新しい江戸の本屋の時代を開くにふさわしい戯作者と絵師を掴まえなければならない

 

第2章        細見(さいけん)

安永3(1774)、重三郎は念願の細見の改所(あらためどころ、編集者)になっただけでなく、吉原での卸を始め諸権利を手にいれた

あくまで携帯便利な吉原案内の細見に対し、上臈にスポットを当てた遊女図鑑を出して、お大尽たちのプライドをくすぐる。そのお陰で絵師の北尾重政とも絆ができ、さらに重政を介して、朋誠堂喜三ニ(「干せど気散じ=武士は食わねど高楊枝」)と恋川にも顔が繋がる

重三郎は、吉原の見栄えの良い所をすくい上げて磨き、その値打ちを本にして広めていく。これが評判となってますます吉原は名を上げ、繁栄が次のもっと大きな評判をつくる

 

第3章        耕書堂(こうしょどう)

1777年、耕書堂の看板を掲げ、一国一城の主となる

2年前、大手の地本問屋で不祥事があったのを機に、独自で開板。細見を上梓しただけでなく、豪華本『青楼美人合姿鑑(せいろうびじんあわせすがたかがみ)』をつくる。画工は重政師と好敵手でもある勝川春章の2人で、史上最も美しいといわしめた傑作。彫工にも摺工にも江戸1,2の名人を起用。販路も吉原の町を出て市中にも出回るよう策を練る

重三郎は日増しに吉原での発言力を強める

吉原で人気の浄瑠璃、富本(とみもと)節の「正本」の権利と「稽古本」の株を入手して出版すると飛ぶように売れた

重商主義をとった田沼意次の寛政の改革で景気が上向き、物価はとめどもなく上がる

艶本の人気は相変わらずで、大名や豪商たちは新春の年礼に艶本を配る

重政のところで修行中の政演(まさのぶ)を起用。生粋の町人で江戸っ子。「町人が町人を主人公にした双紙を描くべき」と考えた重三郎にはうってつけの絵師・戯作者

 

第4章        狂歌連

重政と比肩する絵師で狩野派の流れをひく零陵洞鳥山石燕豊房の下で修業して頭角を現してきたのが北川豊章。性を描くことに不満を持った師の怒りに触れて独立、歌麿を名乗ったところで重三郎が目をつけ、政演との2枚看板で売り出そうと画策

石燕門下の俊英が恋川春町

重三郎は、狂歌の宝刀・大田南畝に歌麿と政演改め山東京伝を引き合わせ

狂歌を愉しむ同人の集まりを「連」と呼び、南畝率いる連は「山手連」。身分や職業の区別はないが、粋や通、穿ちの精神は不可欠、キザで洒脱、贅沢好きな気取り屋たちが狂歌をダシに張り合う

狂歌師と戯作者、浮世絵師を一堂に集め、歌麿の枕絵を披露

 

第5章        満帆

読み捨てだった狂歌が開板され、大売れして狂歌の値打ちが変わる

重三郎はしたたかに動いて、吉原で狂歌師たちを接待、狂歌壇を底支えし流行に乗る

耕書堂と狂歌壇の蜜月は続き、なかでも注目されたのが狂歌師の評判記『俳優風(わざおぎぶり)』。歌舞伎役者の評判記を意識した本

重三郎は、4年前に歌麿を自宅に寄宿させ一切合財の面倒を見ながら腕を上げさせている

自らの姓の喜多川を名乗らせ、日本一の絵師にしようと発破をかける。その成果が天明になって一気に開花。天明3(1783)を機に重三郎は黄表紙、洒落本の増産体制に入る

吉原細見は蔦屋の独占になり、狂歌よりも歌麿の挿絵が人気を凌駕する

松平定信の倹約令で、狂歌師が狙い撃ちされ、南畝も天明7年を機に表立った活動を控える。後を埋めるのは歌麿の絵と戯作が評判を呼んだ山東京伝

山東京伝の戯作の才能をいち早く見つけ、潤筆料(じゅんぴつりょう、原稿料)という新しい報酬を与えて囲い込む。京伝の描く洒落本は、単に遊里でのあれこれを描くだけでなく、遊び女をめぐる猥褻誨淫から、廓の裏側のみならず人情の機微まで描かれ人気を博す

 

第6章        春町

朋誠堂は、天明8年をもって藩主から隠居を命じられ戯作の世界から身を引く

倹約令が厳格化して、町衆の洒落者が奉行所に引っ張られていく

歌麿は、花鳥風月の真を写すばかりか、男女の情念まで描ける絵師として、当代随一とまで言われ、『画本虫撰』と『歌まくら』が表裏一体となって歌麿の存在感を一気に高めた

寛政元年(1789)、恋川春町が死去。年寄本役に累進していたが、定信の召喚に応じないまま藩内でも幽門同然で、遂に自害。重三郎は助けてあげられず臍を噛む

京伝が挿絵を描いた双紙は絶板で著者は江戸払いの重罰になり、京伝にも過料が

 

第7章        歌麿

2年後には重三郎もお縄にかかり白洲に、詮議は苛烈を極める。風紀の乱れを双紙の責任だとし実質的な検閲制度が始まり、開板はおろか貸本まで規制したのに、重三郎は無視

京伝は両替商の親共々しょっ引かれ、手鎖50日で、摘発された洒落本3冊は発禁絶板

重三郎も、闕所(けっしょ)で財産の半分を没収、家の半分を削られる

手が使えない京伝に代わって弟子志願に来た瑣吉が手伝う

寛政5年、定信が重職を辞したのを機に活気が戻り始め、歌麿の美人画が大々的に売り出され蔦屋も繁盛を取り戻す。上臈のみならず町娘までを対象にしたのが人気を煽る

瑣吉は、既に曲亭馬琴の名で蔦屋から読本を出版、新たなジャンルに乗り出す

京伝の気力が萎えたのを見て、重三郎は教訓調で行くことを決断、それが人の心に共存する「善玉」「悪玉」を一気に広め、京伝を生き返らせる

歌麿も錦絵の1枚ものに代表作を欠いて他の後塵を拝していたが、相次ぐ出版の成功で序列が変わり今や当代一の人気者になり、年齢、階層の異なる女を完璧に描き分けて見せた

その歌麿が板元連中にのせられて、重三郎の束縛を嫌って独立を宣言する

 

第8章        しやらくせえ

歌麿と袂を分かった後、重三郎は伊勢屋の養子に入った瑣吉と入れ替わりに入ってきたのが重田幾五郎。大坂で絵を学び、近松与七の名で浄瑠璃戯曲を合作した経験をもつ

重三郎が美人画の歌麿、役者絵の歌川豊国に代わって見つけたのが阿波藩お抱えの能役者の斎藤十郎兵衛。「しゃらくせぇ」をもじって「写楽歳」と名付ける。苗字は東西(とうさい)

幾五郎も十返舎一九(十度焚いても香を失わぬ黄熟香、世に言う十返しの香から十返舎)と名乗って戯作の世界に乗り込む

勝川春朗も北斎宗理(アホくさい)の名で再び絵筆に己を懸ける決意を固める

重三郎の衰えはいかんともしがたく、窮乏を見かねて京伝や馬琴、北斎が手を差し伸べる

 

第9章        魔道

写楽歳をスカウトしては見たものの、いざ彫師に回す板下絵にかかると筆がぎくしゃくして、彫師に突き返される。重三郎が役者絵はわかりやすい喜怒哀楽をぶつければいいと教えてもなかなか思うようには仕上がらない。実際の芝居を見て、自分の中にある芝居小屋の興奮や心のときめきなど、胸中で輝いているものを膨らませて絵筆にのせるのだと悟る

初日前に開板するのが芝居絵の定石ではあるが、写楽歳の絵には魔物めいた力が蹲るのが感じられるまでに仕上がり、28点同時開板という浮世絵の常識を度外視した企てが成功

名付け親は十返舎一九だったが、開板にあたり十郎兵衛は、戯作者が名付け親では武士として情けないだけでなく、自己顕示欲もあり、自ら東洲斎写楽と変更。楽しみを写すのは変えず、住まいのある八丁堀を穿って東洲、お江戸の東の埋立地、東の洲を織り込む

写楽の絵は大評判となり、たちまち写楽の名が江戸中で知られるようになったが、役者の一番触れられたくない年齢や美醜まで暴いたため、役者の不興も買った

錦絵はきれいなもの、上手に仕上げるというのが世の習い。重三郎はそういう約束事を揺さぶり、片方へ倒してしまい、闇に棲む禍々(まがまが)しいものを引きずり出した

 

終章 蜉蝣(かげろう)

寛政9(1797)、脚気から来る心臓病で床にある重三郎を元気づけるために、重三郎と親戚づきあい同然の戯作者と絵師が再建なった吉原に集まる。発起人は山東京伝

蔦屋では、書物と呼ばれるかたい本も扱うようになり、本居宣長、賀茂真淵、村田春海、加藤千蔭などが執筆陣に連なるが、写楽は寛政7年正月の開板を最後に忽然と浮世絵の世界から消える。前年の皐月興行の大首絵役者絵から実働わずか10カ月の短期間だった

 

 

 

 

 

 

 

大河の「蔦重」、出版界からの偏愛 寄稿・谷津矢車

2023511日 朝日

2025年大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で主演を務める横浜流星さん(左)と、脚本家の森下佳子さん

 2025年のNHK大河ドラマは「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」と発表された。喜多川歌麿東洲斎写楽浮世絵を出版したことで知られる蔦屋重三郎(1750~97)が主人公だ。長編小説「蔦屋」の著書がある歴史小説家の谷津矢車さんに、編集者・蔦重の魅力を寄稿してもらった。

 小説・漫画に引っ張りだこ、いまは颯爽とした若者像

 「2025年大河ドラマの主人公は蔦屋重三郎」。大河ドラマウォッチャーの皆様はさぞ意外の念を覚えたことだろう。SNSでも「蔦屋って誰?」「何をした人?」「戦のない時代の人だ」などなど、困惑の声が多数上がっているようである。

 と、世間ではマイナー扱いされている蔦屋重三郎が、創作物の世界ではかなりの人気を誇っていることをご存知だろうか。

 ここ10年の小説に話を絞っても、蔦重が主人公ないし狂言回しを務める作品はかなりある。管見によれば、鈴木英治「蔦屋重三郎事件帖(ちょう)」シリーズ(ハルキ文庫)、矢野隆「とんちき 耕書堂青春譜」(新潮社)、吉森大祐「うかれ十郎兵衛」(講談社)、評伝小説の増田晶文「稀代(きたい)の本屋 蔦屋重三郎」(草思社文庫)、タイムトラベル歴史物にビジネス書要素をまぶした車浮代「蔦重の教え」(双葉文庫)といった作品が刊行されている。また、視野を広げて漫画作品に目を向ければ、芽玖(めぐ)いろは「いろはむらさき」(KADOKAWA)、道雪葵「女子漫画編集者と蔦屋さん」(一迅社)、桐丸(きりまる)ゆい「江戸の蔦屋さん」(芳文社)などがある。

 ここでご紹介したのはあくまで氷山の一角で、いわゆる「写楽もの」(絵師の東洲斎写楽は晩年期の蔦重が売り出しているため、写楽を主人公にした場合、必然的に蔦重が登場する)も含めれば、蔦重の登場する作品は小説、漫画を問わず枚挙に暇がない。

 なぜ、蔦重ものはこんなにも出版界で愛されているのだろうか。

 そのヒントは、蔦重の生業(なりわい)である「版元」にある。

 商業小説や漫画の世界に身を投じている人間からすれば、本を作り商う蔦屋重三郎は、一緒に仕事をしている編集者と重ね合わせやすいのである。作家にとって、担当編集者は天使と悪魔両方の顔を持った不可思議な存在である。作品の粗(あら)を突いて知恵熱が出るところまで作家を追い込み、けれどいざ本が出ればノーサイドになって「いい本を作りましたね!」と一緒に酒を酌み交わす不思議な関係性の相手、それが編集者なのである。

 魅力的な蔦重が生まれ続ける背景には、現代の蔦重というべき歴戦の編集者の面差しや、「こうだったらいいのにな」という作家による理想(勝手極まりない願望ともいう)の編集者像が織り込まれているのだろう。蔦重は、今も昔も出版界のヒーローなのだ。

 今回の大河ドラマ発表会見にて、蔦重を若手俳優の横浜流星さんが演じると発表された。蔦重といえば、かつて隆盛を誇った「写楽もの」のイメージもあって壮年の海千山千編集者兼バイヤーとして描かれる傾向があったが、ここ十年で颯爽とした若者像が小説、漫画作品で提示され始めている。これは「写楽もの」人気の沈静化による産物だろうが、横浜さんの起用は出版における蔦重ものの動向とも軌を一にしている。

 出版界で愛されている蔦屋重三郎が国民的知名度と人気を獲得するか――一作家として注目したい。

     *

 やつ・やぐるま 1986年、東京都生まれ。著書に「おもちゃ絵芳藤」「ええじゃないか」「宗歩の角行」など。本紙読書面「文庫この新刊!」を担当。

 

 「合戦なし」2作連続、庶民の人生を掘り起こしたい

 戦国時代や幕末など戦乱の時代が定番になっている大河ドラマだが、「べらぼう」は江戸中期が舞台だ。すでに発表されている、平安時代の作家紫式部が主人公の来年の「光る君へ」に続き、大きな戦争のない時代を2年連続で描くのは異例だ。

 「このドラマには壇ノ浦本能寺も起こらないが、これまで大河で描いてこなかった時代だからこそ、やれることがあるのではないか」。「べらぼう」制作統括の藤並英樹チーフ・プロデューサーは4月27日の発表会見でねらいを語った。「おんな城主 直虎」「麒麟(きりん)がくる」といった戦国大河に携わってきたが、その一方で「市井の人を取り上げたい」という思いがあった。合戦がなくても、心中や飢饉といった人の生死を密接に描く機会はあり、庶民の人生におけるエピソードを掘り起こしたいという。

 1980年代に近現代を集中的に取り上げたこともある大河だが、21世紀に入ってからは、戦国と幕末、源平合戦ものが大半を占める。ただ藤並さんは、太平の江戸の世はテレビ時代劇にとって欠かせない舞台だった、と強調する。「地上波の時代劇が少なくなるなかで、慣れ親しんできた、世話物のような時代劇を改めて楽しんでもらいたい」

 (平賀拓史)

 

25NHK大河の主人公は江戸のメディア王 横浜流星さん演じる

平賀拓史2023427 1845分 朝日

 2025年のNHK大河ドラマは、江戸時代の版元・蔦屋重三郎(175097)を描く「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~」に決まった。NHK27日、発表した。脚本は、大河ドラマ「おんな城主 直虎」や連続テレビ小説「ごちそうさん」を手がけた森下佳子さんで、主演は俳優の横浜流星さんが務める。

 江戸・吉原の貧しい庶民から身を起こし、出版業で財をなした蔦屋が「江戸のメディア王」として、喜多川歌麿葛飾北斎、曲亭馬琴、十返舎一九といった個性豊かな才能を発掘し世に送り出していく物語。この日、制作発表会見に出席した森下さんは、蔦屋について「本を作るに当たって広告を集めたり、お金をどこから集めてくるか考えたり、いろんなことに関してすごくセンスが良かった人物」と語り、「そうそうたるメンツをプロデュースした。人を見る目とか育てる目があって、人の気持ちがわかる優しい人だったんじゃないかなと考えています」と話していた。

 横浜さんは「役者をやっていく上で、大河ドラマ出演は目標だった」と語る。「蔦屋は、自分の生まれ育った吉原を立て直したり、多くの作家を世に送り出したり、間違いなく江戸の文化を豊かにした方だと思う。1年半作品と向き合い、人間としても役者としても成長できたらなと思っています」と意気込んだ。

 制作統括を務める藤並英樹チーフ・プロデューサーは、過去に「直虎」「軍師官兵衛」「麒麟(きりん)がくる」など戦国時代を舞台にした大河の制作に携わってきた。「このドラマには壇ノ浦関ケ原本能寺も起こらない。これまで大河ドラマで描いてこなかった時代だからこそ、何かやれることがあるのではないか」などと語った。戦争の無い江戸時代、庶民の間で花開いた文化をプロデュースした蔦屋を取り上げることで、「彼の生きた時代と、彼を取り巻く名も無き市井の人たちの人生も描けるんじゃないかと考えた」と話していた。(平賀拓史)

 

 

蔦屋 谷津矢車著

燃えさかる反骨のほむら

2014515  日本経済新聞

(学研パブリッシング・1300円 書籍の価格は税抜きで表記しています)

デビュー作『洛中洛外画狂伝』を読んだ時もそうだったが、これが弱冠27歳の書き手の作品であると誰が信じ得ようか。重箱の隅をつつけば小さな文句はあげられよう。が、いよいよ廃業となった地本問屋豊仙堂・丸屋小兵衛の前に、逆光を背に蔦屋重三郎が現れる発端から、その面白さは半端ではない。吉原者の出版プロデューサー、重三郎は、小兵衛と組んで無名だった喜多川歌麿を売り出し、さらには大田南畝、山東京伝らを総動員し、遂には謎の絵師・写楽を発掘する。

幻想と現実のあわいに存在する〈吉原〉という虚で江戸という実の世界を染めあげよう、という企ては、正しく、江戸をひっくり返した大騒ぎになっていく。が、後半、松平定信の寛政の改革がはじまると……。この若き作者の主張は、出版という文化は社会を変革し得る、或(ある)いは、言論弾圧がいつ起こってもおかしくない私たちのいま、それは、あらゆる権力からアンタッチャブルでなければならない。

恋川春町自害以降の作者の燃えさかる反骨のほむらに私は何度涙したことか。余韻しみいるラストまで、本書は今年最大の問題作といえよう。

★★★★★

(文芸評論家 縄田一男)

[日本経済新聞夕刊2014514日付]

 

 

 

Wikipedia

蔦屋 重三郎(つたや じゅうざぶろう、寛延3171750213寛政9561797531))は、江戸時代版元出版人)である。朋誠堂喜三二山東京伝らの洒落本、恋川春町らの黄表紙、喜多川歌麿東洲斎写楽浮世絵などの出版で知られる。「蔦重」ともいわれる。狂歌名を蔦唐丸(つたのからまる)と号し、歌麿とともに吉原連に属した。

人物[編集]

父は丸山重助で母は津与。重助は江戸の吉原遊廓の勤め人だったという。寛延3年(1750年)、重三郎も吉原に生まれ、のちに喜多川氏の養子になった。「蔦屋」は喜多川氏の屋号であり、吉原の茶屋といわれる。また、「耕書堂」とも号した。安永2年(1773)、重三郎は吉原大門の前に書店を開き、はじめは鱗形屋孫兵衛に独占されていた吉原細見(店ごとに遊女の名を記した案内書)の販売、出版から出版業に関わっていった。安永3年(1774)に遊女評判記『一目千本』、翌安永4年(1775)に吉原細見『籬の花』を出版している。後に通油町、横山町1丁目、小伝馬町2丁目、浅草並木町、嘉永頃に浅草寺中梅園院地借り市右衛門店に移った。

安永9年(1780)に売れっ子作家・朋誠堂喜三二の黄表紙を出版したのを手始めに本格的に出版業を拡大。かねてから付き合いのあった狂歌師[1]たちや絵師たちを集め、それまでにない斬新な企画を統括し(現代で言うプロデューサー業)、洒落本や狂歌本などでヒット作を次々に刊行した。天明3年(1783)には丸屋小兵衛の株を買取り一流版元の並ぶ日本橋通油町に進出、洒落本黄表紙狂歌本絵本錦絵を出版するようになる。浮世絵では喜多川歌麿の名作を世に送ったほか、栄松斎長喜東洲斎写楽などを育てている。また、鳥居清長渓斎英泉歌川広重らの錦絵を出版している。

しかし自由な気風を推し進めていた田沼意次に代わり老中となった松平定信による寛政の改革が始まると、娯楽を含む風紀取締りも厳しくなり、寛政3年(1791)には山東京伝の洒落本・黄表紙『仕懸文庫』、『錦の裏』、『娼妓絹籭(しょうぎきぬぶるい)』が摘発され重三郎は過料により財産の半分を没収[2]、京伝は手鎖50日という処罰を受けた。

その後も、寛政6年(1794)には写楽の役者絵を出版するなどしていたが、寛政9年(1797年)に48歳で没。脚気であったという。

面倒見がよく、また人の才能を見抜く術を心得ていたといわれている。写楽をはじめ曲亭馬十返舎一九など重三郎の世話を受けた人物は数多い。

なお、2代目は番頭の勇助が継いでおり、初代同様、狂歌本を多数出版した。享和2年(1802年)に葛飾北斎の狂歌本『潮来(いたこ)絶句集』を出版すると、装丁が華美ということで処罰された。耕書堂は5代、明治初期まで続いた。

作品[編集]

北尾重政 『一目千本花すまひ』 吉原細見 安永3年(1774年)

鳥居清長 「雪月花東風流」 中判 錦絵揃物 天明末ころ

喜多川歌麿 『身貌大通神略縁起』 黄表紙 志水燕十作 天明1年(1781年)

喜多川歌麿 『画本虫撰』 絵入狂歌本 天明8年(1788年)

喜多川歌麿 「婦女人相十品」 大判 錦絵揃物 寛政3寛政4年頃

北尾政演 『錦之裏』 洒落本 山東京伝作 寛政3年(1791年)

喜多川歌麿 「歌撰恋之部」 大判 錦絵揃物 寛政5年頃

栄松斎長喜 「四季美人」 大判 錦絵揃物 寛政中期

東洲斎写楽の版画全作品 寛政65 - 寛政71

北尾重政、葛飾北斎、鳥文斎栄之ほか 『男踏歌』 絵入狂歌本 寛政10年(1798年)

渓斎英泉 「新吉原八景」 大判8枚揃 錦絵 文政初期

歌川広重 「諸国六玉河」 横大判6枚揃 錦絵 天保6年(1835年)天保7年(1836年)

歌川広重 「膝栗毛道中雀」 横大判 錦絵揃物

2代歌川国輝 「東京築地ホテル館」 大判3枚続 錦絵

伝記作品[編集]

本人を、主人公あるいは主要人物として描くエンタメ作品。

テレビドラマ[編集]

べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』主人公(2025年、NHK大河ドラマ、演:横浜流星、脚本:森下佳子[3][4]

映画[編集]

歌麿 夢と知りせば』(1977年、演:成田三樹夫

写楽』(1995年、演:フランキー堺

HOKUSAI』(2021年、演:阿部寛[5]

舞台演劇[編集]

『きらら浮世伝』主人公(1988年初演、脚本:横内謙介、演:十八代目 中村勘三郎 [当時・五代目 中村勘九郎] 戯曲デジタルアーカイブ

同再演(2020年、演:六角精児[6]ほか多数

小説[編集]

『稀代の本屋 蔦屋重三郎』主人公(20161221日初版、著:増田晶文草思社

漫画[編集]

『じょなめけ』(作:嘉納悠天)主人公。週刊モーニング講談社200730号から連載[8]。コミックス全3巻(完結)[9]

『江戸の蔦屋さん』(作:桐丸ゆい)主人公。まんがタイムジャンボ芳文社20162月号から20184月号まで連載。コミックス全2巻(完結)[10]

注釈[編集]

1.     ^ 天明年間は田沼時代とよばれ、江戸市中は潤沢な資金により商人隆盛の豊かな時期が続き、娯楽として狂歌が大流行していた。

2.     ^ 経営評論家の倉本初夫は江戸の刑法に基づいて検証を試み、財産の半分を没収されたとする通説を否定し、『山東京伝一代記』にある「身上の応じ重過料」を支持して、営業に差し支えるほどの罰金額ではなかったと結論づけている。また、中嶋修は、財産の半分を没収されたとする説を宮武外骨の著作『筆禍史』(1911)以降に広まったものだと述べている。蔦屋の罰金額の基準を「身代(全財産)」とする同時代史料は確認できず、正しくは「身上(年収)」である。

3.     ^ “横浜流星、念願の大河主演 戦隊出演後からオーディション受け続け夢かなう「覚悟を強く感じている」”. ORICON NEWS. 2023427日閲覧。

4.     ^ “大河ドラマ『べらぼう』、脚本家も「何やるねん」と驚きの題材 2年連続文化系大河の思惑とは”. ORICON NEWS. 2023427日閲覧。

5.     ^ “3分で読める蔦屋重三郎! 阿部寛さん演じる「江戸のメディア王」その素顔に迫る! 和樂web 日本文化の入り口マガジン”. 和樂web 日本文化の入り口マガジン. 2023427日閲覧。

6.     ^ “『5きらら浮世伝』129()19:00 劇団扉座第68回公演 扉座40周年記念with コロナ緊急前倒し企画 10knocks~その扉を叩き続けろ~』 - 扉座”. tobiraza.co.jp (2020115). 2023428日閲覧。

7.     ^ “稀代の本屋 蔦屋重三郎”. 草思社. 2023428日閲覧。

8.     ^ まんがseekプロジェクト. “じょなめけの作者、掲載誌、収録コミックスなど”. まんがseek. 2023428日閲覧。

9.     ^ 100100. “183 その苦界を愛した男の、稚気と危機と機知『じょなめけ』”. 100100. 2023428日閲覧。

10. ^ “江戸の蔦屋さん漫画の殿堂・芳文社” 2023428日閲覧。

 

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