その部屋のなかで最も賢い人  Thomas Gilovich  2019.5.16.


2019.5.16. その部屋のなかで最も賢い人 洞察力を鍛えるための社会心理学
The Wisest One in the Room: How You Can Benefit from Social Psychology’s Most Powerful Insights                   2015

著者 
Lee Ross

訳者 小野木明恵

発行日           2018.12.30. 1刷印刷  19.1.10. 第1刷発行
発行所        青土社

序文
2次大戦のDデイの前日、アイゼンハワー将軍は部屋の中で部隊を率いる将校たちと無言で握手を交わすことにより、相手の将校たちに、彼ら自身が何を考え感じているかを自分がよくわかっており、彼らがまさにこれから冒そうとする危険と、これから体験することに対して、敬意を払っているということを伝えていた。アイクはその部屋にいる人々の中で最も賢い人だった
賢者の言葉はどこにでも容易に見つかる
人間同士の争いに対処するために用いられる洞察や技能は、賢明さを構成する要素の中でとりわけ重要なものであると、古くから考えられてきた
賢明さには多くの種類がある ⇒ 知識、洞察、判断/分別
賢明さは、頭が良いことと同一ではないことがわかる
「部屋の中で最も賢い人」とは、IQの高さや、事実や数値を自在に操る人とは違う
賢明さと知能との決定的な違いは、人を相手にした時の洞察や実効性が求められるという点であり、人生で最も重要なことには他の人々が関わってくるという事実が反映される
賢明であるには、見通しのよさも求められる ⇒ 出来事を大局的にとらえ、目の前の問題をより幅広い視野から見ることができる
重要な2つの要素を扱う分野で著しい発展を遂げた:
    社会心理学の分野 ⇒ 人間の行動についての洞察を示す
    判断と意思決定の分野 ⇒ 物事を一歩退いて広い視野から眺めればもっとうまくいくかもしれないのに、すぐに結論を下してしまうのかを明らかにする

第1部        賢明さの柱
第1章        客観性の幻想
自分よりゆっくり走る車はバカで、速く走る車はイカレていると思う
世界に存在する物を感じ取った内容を、主観的な解釈ではなく客観的な解釈であるとして扱う傾向が、人間のあらゆる種類の愚かさの根源にあることを検証する
人は世界をあるがままに見ているのであり、主観的に記録しているのではないという、思わず納得させられるような感覚を、素朴な現実主義と称する ⇒ それを認識することが、より賢い人になるための極めて重要な1歩であり、そうすることで、日常の体験についてもっと賢くなれるし、論争や意見の不一致についてもより効果的に対処できるようになる
「物自体」と「私たちが見る物」の混同
自分自身よりも他人の持つバイアスの方が、遥かに容易に目につき易い
賢さを獲得するための重要な第1のステップは、バイアスは他人の眼だけを曇らせるものではないと知ること
素朴な現実主義の好ましくない帰結を避けるためには、自分の物の見方は他の誰かの見方と同じように妥当ではないかもしれないと認めること

第2章        状況の押しと引き
人は、状況による微妙な影響をもっと受けやすい
Fit in the door ⇒ 戸別訪問のセールスマンが使っていた作戦で、何らかのちょっとしたきっかけがつかめれば、人と人とのつながりが生まれて、あとの大きな商談成立にもっていくのが容易になるという目論み
オプトイン(参加方式)対オプトアウト(脱退方式) ⇒ 臓器提供について、アメリカや多くのヨーロッパ諸国ではオプトイン方式をとり、運転免許証の裏に署名することで提供の意思表示とするが、スウェーデンなどではオプトアウト方式で、原則すべての国民が臓器提供を認め、ドナーになりたくない人だけが署名するとなっているため、同じ程度の臓器提供への関心度の国でも、オプトイン方式をとるかオプトアウト方式をとるかで、臓器提供プログラムへの参加率がオプトイン方式では最高でも30%なのに、オプトアウト方式では最低でも85%に達する。大きな差が出る理由は、人はするのが簡単なことを行うものだからで、デフォルト(初期設定)の選択肢によって結果が大きく異なる
老後に備えた貯蓄にしても、給与天引きのほうが、貰った給与から貯金をするよりずっと確実に蓄えができる
特定の集団や社会全体の慣習を変える場合にも当てはまる

第3章        ゲームの名前
人は、客観的な状況を主観的に解釈したものに対して反応するのであって、客観的な状況そのものに反応するのではない ⇒ 志願する学生を増やすために大学側が授業料を値上げすると、バカ高い授業料が意味すると自分が考えるもの(=入りにくく質の高い教育)に対して反応するのであって、金額そのものに反応するのではない
主観的な解釈の及ぼす影響は、人が普通認識しているよりも多くの領域へと深く入り込んでいる ⇒ 主観的な解釈の持つ大きな力とその勢力の及ぶ範囲を理解しているかどうかは、部屋のなかで最も賢い人とその他多勢を区別するものの1
周囲の文脈が、ある出来事や陳述がどのようなに解釈されるかを決定づける最も強力な因子の1つになる ⇒ 賢い人は、ある出来事などの意味を全員が共有するものだと単純に思い込まないでいられるだけの知識がある
同じことを違うやり方で述べれば、常に同じ反応が返ってくるとは限らない ⇒ 意思決定をする人が、選ぶことに意識を向けると、人は選択を正当化するような事柄について考える傾向があり、対照的に、拒むことに意識を向けると、拒否を正当化するような事柄について考える傾向がある。ということは選ぶ時よりも拒むときにおいては、安全で中庸な選択肢のほうが、目立つ点や欠点のある選択肢と比べて優位にある ⇒ 子供の伸顕を争う問題を解決する際、どちら親に親権を与えたいかと問われると、時間的にも場所的にも仕事上の問題があまりない親よりも、出張が多いなど複雑な要素を持つ親の方に味方するが、どちらの親に親権を与えるべきではないかと問われると、大半が逆の意見を述べる

第4章        行動の優越
上手くいくまで、上手くいっているふりをしろ ⇒ 感情が行動に影響する。気分が落ち込んでいるときに動きは鈍くなる。逆に、行為をしている時の姿勢と振る舞い方が、どのような感情を覚えるかによって到達する結果にも影響を与える
行動が信念に与える影響として言えるのは、ひとたび特定の信念と一致するようなやり方で行動すれば、その信念を支持する気持ちが沸くというもの
ナチスに立ち向かう白バラの逸話は、圧倒的な悪の圧力を前にしても、立ち向かう道はあり、なにもしないことや黙っていること、行動せずに合理化することは共謀者であることになり得ると示しているが、一方で、他にも同様の抵抗例はありながら、なぜ白バラだけが称賛されるのか ⇒ 合理化を勧め、それを手助けすることなのか。そうすることで人々にとりうる唯一の選択は、現実を受け入れて生き延びるか、無駄な抵抗をして死ぬかのどちらかであったと思わせているのか。殉教者や聖人だけが後者を選択することを期待できると思わせているのか
賢い人は、悪を合理化すること、悪を目の前にして行動をとらないことは、加害者たちが持つ残忍な動機と同様に、人類に対する大きな脅威であると見抜いている。ナチス時代の選択に直面しないことを願うが、同時にまず立ち止まり、自分自身の国や世界の至る所にある実害に個人として集団として立ち向かうにはどのような機会があるのかを、勇敢でなおかつ効果的なやり方で考えてほしいとも願う

第5章        鍵穴、レンズ、フィルター
摂氏の世界で育った人が摂氏の表示を見ると、意識的な誘導なしに思考プロセスが働くのを、「直観的」あるいは「反射的」思考というが、華氏の世界で育った人が、摂氏の表示を見て華氏の尺度に翻訳する際の思考は、「合理」又は「内省的」と称される思考
直観的に受ける印象は、入ってくる情報だけに基づいているので、その情報が不完全とか誤解を招く恐れがあるかもしれないということは考慮されない。より衝動的。日常生活によく起こる判断の間違いは、正しい答えを出すのが難しすぎるからではなく、間違った答えが簡単に見つかるから生じる
賢い人は、関係するすべての情報を確実に入手することにより、いつ直感を信じ、いつ用心深くあるべきかを知っている
重要な情報を見えなくしている原因の1つが「多数の無知」 ⇒ 他の多くの人々が違う意見を持っていると思い込みすぎるために自分の本当の考えや感情を隠してしまう(=自己検閲)
グループ討議では、自由に意見交換させるより、隠された情報を表に出し特別な知識や多様な視点を持つ人の意見にしっかりと耳を傾けさせるという役割を誰かに与えた方が効果的

l  振り返りとこれから
賢明さとは何かと定義しようとするとき、知性や「教養はあるが実践のない人」ではなく、実際的な知識や社会的な聡明さの方を重視する場合が多い。「分別」のように、日常生活における機会や困難に対処する際に、自分の知っていることを適用する能力に重きを置く視点に立った定義
人間が犯す誤解の最もよくある根源とは:
自分自身の認識や反応を、あたかもそれらが、主観的な解釈の産物ではなく、物事の「現実の姿」を直感的、客観的に、真に正しくとらえたものであるかのように見做すという傾向(1)
人がとる行動は、その人が感じたり考えたりすることを反映するのみならず、反対に、感情や考えに強く影響を与えることもあり得る(4)
これらの要因が、社会や文化においてどのように一体化しているかを検討する必要があり、それをわかっていないと、文化から与えられるレンズやフィルターを受け取ってしまう

第2部        賢明さを応用する
第6章        部屋のなかで最も幸せな人
人間の幸福を心理学的に賢く捉えることについての概略と、幸福な人間或いは不幸な人間と社会の特徴に対して、さらにはもっと幸福に生きるために私たち誰もができることに対して、最近の研究から得られた教訓について述べる
部屋の中で最も幸せな人は誰? ⇒ 2つの魅力的な選択肢のどちらかを選ぶと、選ばなかった方の選択肢を低く評価する傾向があるが、幸せな人は、他の人よりもこのようなことをする傾向が少ない
体験に使うお金をもう少し増やし、所有することに使うお金をもう少し減らす。体験のピークとエンドを上手にコントロールする。憂鬱な時には無理にでもソファーから立ち上がり、ビールの栓を開ける以外のことをする――最も良いのが誰か他の人のために何かをすること。これらのことを心に刻んでおけば、部屋の中でより賢く幸せな人々のうちの1人へと近づいていくだろう
しかし、賢くなるには、1人の人間の幸福の追求が、他の人間の幸福の追求と衝突し、対立が生まれる過程をいくらか理解することも求められる ⇒ 重要なのは、対立をいかに制御し緩和するかを学ぶこと

第7章        なぜ「仲良く」やれないのか
人間の幸福や安寧に対して根強く存在する脅威に着目。その脅威とは、物事を欲したり必要としたり、また自分の欲求が意見の異なる人々の欲求より正当だと感じるために生じる対立。対立する集団同士が理解し合えることを阻害する心理学的な障壁について検討
対立する両者の合意を阻む最大の障壁は、しばしば心理的なものであることが多い

第8章        アメリカにとっての難題
落ちこぼれの恐れのある生徒たちの成績を改善させるには?

第9章        世界にとってのさらに大きな難題
気候変動に対処するには? 過去に享受してきた比較的穏やかな環境を、次世代がこれからも享受する積りなら、覚悟して資源を準備しておくことが必要だが、それを難しくしている心理学的な側面について考える

終章
南アのマンデラ大統領就任後、新政府は数えきれないほどの難問に直面。最大の脅威は、アフリカーナ人(南ア共和国生まれの白人)たちの反革命運動。マンデラは、少数派の白人たちの恐怖を和らげるためにラグビー代表チームのスプリングボクスを利用。アフリカーナ人には人気が高かったが、大半の黒人にとってはアパルトヘイトの象徴にも拘らず、ワールドカップの開始にこぎつけ、徐々に勝ち進むと黒人たちも熱狂、ニュージーランド相手の決勝ではネルソンがチームのジャージーを着て登場、競技場の大半を埋め尽くしたアフリカーナ人も熱狂して迎え、勝利に結びつける
マンデラは、目の前の難問を幅広い視野でとらえることができた
スプリングボクスの扱い方も、行動の優位性に精通していることの表れ ⇒ 黒人の南ア人からはよそのチームという目で見られていたが、勝ち進むに従いこちらのチームと見做されるようになったが、マンデラが、いかなる行動の意義もその客観的な結果にあるのではなく、行動とその結果がどのように解釈され理解されるかにあるということを直感的に理解していたことの証明
スプリングボクスに対してとった手法を状況主義的にとらえると、解釈や行動の優位性の問題と深く絡み合っている ⇒ 彼の行動こそが、否定と不同意に対する強力な障壁を打ち立て、それが加速されていく
最も重要な点は、マンデラの行動が素朴な現実主義にある制約を振り払うことができるということを表していたこと ⇒ 新生南アが直面している状況を、スプリングボクスが表すものを嫌悪する黒人の視点以外からも見ることができた。少数派の白人やアフリカーナ人の目にどう映っているかも見ることができた



(書評)『その部屋のなかで最も賢い人』 トーマス・ギロビッチ、リー・ロス〈著〉
2019.2.16. 朝日
 自分中心的なのが人間だけど
 本書には生活や仕事、あるいは集団の活動や政治などに役立つ社会心理学の知見が満載であり、実用書として読むこともできる。とはいえ、たんにアドバイスを並べてあるだけではなく、それを支える議論や実験もきちんと紹介されているので、学問的な楽しみも十分にある。豊富な話題の中から、一例を紹介しよう。
 ピーク・エンド法則というものがある。過去の体験を思い出すとき、記憶はその体験の最高の瞬間と最後のあり方に支配されるというのである。「終わりよければすべてよし」というわけだ。
 それで、麻酔をかけずに行う結腸内視鏡検査は、とくに最後の結腸内の奥に挿入されたときがすごく痛いらしい。だから、5年後の再検査は半分程度の人たちしか受けないという。そこで社会心理学者が病院で一つの実験を試みた。一番痛いところで引き抜くんじゃなくて、ほぼ最後まで抜いたところで、少しの間そこに留(とど)まらせてから引き抜く。そうすると強い痛みが最後になることはない。その結果、なんと再検査率が70パーセントに上ったのだそうだ。だけどさ、引き抜くのを遅くした分、不快感は長引くんですよ。それでも、弱い痛みを最後にもってくることで全体の苦痛の印象がより軽いものになった。
 と、本書には書いてあるのですがね、でも、ピーク・エンド法則でしょう? ピークの方はどうなの? ピークの痛みはそう簡単には消えないんじゃないの? ピークよりエンドの方が記憶に残りやすいってこと? じゃあ、コース料理でメインがすごくてもデザートがいまいちだと全体がいまいちとして記憶されるってことかね。そのあたりのことは書いてないけれど、どうも釈然としない。
 へそ曲がりな私は、本書のところどころでこんなふうに突っ込みたくもなるのだが、しかし、本書を読めば誰もが納得せざるをえないことがある。人間てやつは実に出来が悪いのだ。ものごとを客観的に捉えて冷静に判断することができない。朝三暮四に騙(だま)される猿と大差なく、自分中心的で、思い込みに囚(とら)われる。しかもそんなバイアスのかかった判断を客観的だと思ってしまう。本書にはそんな話題がてんこ盛りである。
 では逆に、「賢い人」とはどういう人のことか。こうした人間の不出来さのすべてを免れた非人間的な存在のことではないだろう。われわれ人間が、そして自分自身がいかにポンコツであるかを自覚し、そのことを熟知した上で行動できる人、それが最も賢い人なのだ。本書はきっとそのための強力な道案内になる。だけど、私に関して言えば、一度読んだくらいじゃどうにもならんだろうなあ。
 評・野矢茂樹(立正大学教授・哲学)
     *
 『その部屋のなかで最も賢い人 洞察力を鍛えるための社会心理学』 トーマス・ギロビッチ、リー・ロス〈著〉 小野木明恵訳 青土社 2376円
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 Thomas Gilovich 米コーネル大教授。著書に『人間この信じやすきもの』など。
 Lee Ross 米スタンフォード大教授。同大の対立・交渉センター共同創設者。ともに専門は心理学。



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