魯迅と紹興酒  藤井省三  2019.5.25.


2019.5.25. 魯迅と紹興酒 お酒で読み解く現代中国文化史

著者 藤井省三 1952年東京生まれ。東大大学院博士課程修了。91年魯迅研究により文学博士。79年第1回政府間交換留学生制度下で中国留学。桜美林大助教授を経て88年より東大文助教授、同教授を務め、18年定年退休後、東大名誉教授。現在は南京大文学院海外人文資深教授。専攻は現代中国語圏の文学と映画。

発行日           2018.10.31. 初版第1刷発行
発行所           東方書店(東方選書)

1979年の上海ビールの味、映画に見る北京の地酒、魯迅が描く紹興酒の風景、台湾文学に登場する清酒白鹿、公宴””私宴風景の変貌・・・・・文学研究という立場から中国の変化を見続けてきた著者が、酒をキーワードに、文学や映画、時には自身の体験を交えながら、改革・開放経済体制以後40年の中国語圏文化の変遷を語る。本書は《NHKラジオ中国語講座》テキスト(200304年度)の連載『中国酒で味わう現代文化』を加筆修正し再構成。中国に於けるここ10年の酒宴の変貌について新たに書き加えた             


まえがき
中国大陸や香港、台湾やシンガポールそして欧米での自らの学びの体験を振り返ると、私なりの視点で改革・開放経済体制40年史を描けるのではないか? 特に公宴私宴というお酒を飲む場に焦点を絞ると、中国語圏各地の文化的特徴や様々な文化人の個性が、忘れられぬ風景として蘇ってくる。この様々な風景は、中国大陸に関する北京篇・上海篇・地方篇の3篇に、香港・台湾篇と韓国やシンガポール、欧米の華人やチャイナタウンに関する世界篇との2篇を加えた5篇に分類。愛飲家にもお酒を飲まない方にも、本書の酔余の戯れ言が中国語圏現代文化に対する興味を深めるきっかけとなることを祈りつつ、文化史40年の酒宴を始めたい。乾杯!

I 北京篇
北京の銘酒二鍋頭とは蒸留酒56度の白酒(パイチウ)だが、30年近く凋落し続け、ビールや紅酒(ホンチウ:赤ワイン)が人気
紹興酒は黄酒(ホワンチウ:16度前後の醸造酒)”

1.    北京のビールは茶碗で飲み、香港映画は北京で観るべし
2.    北京の二鍋頭
中国人は一般的に酒席の途中で酒を換(ママ)えない ⇒ 悪酔いの原因と信じている
二鍋頭の起源は800年前の元代、清朝北京で盛んに製造。1949年の建国にあたり、北京の10軒以上の白酒製造業者を接収統合して北京醸酒総廠を設立、北京の白酒として売り出したが、80年代の改革・開放政策で一般名詞となり、上に固有名詞をつけた白酒が出回る

3.    中国白酒文化を守れ
中国人が魯迅を読むときは、常に体制派の解釈に従う

4.    故宮を見下ろして飲む北京ワイン
北京の準地酒がワイン ⇒ 北京から北西約100㎞の盆地は北京の水瓶であると同時にぶどうの産地として有名で、長城ワイン(グレートウォール)や王朝ワイン(ダイナスティー)の産地

5.    市場経済から反腐敗運動へ、中国式宴席の発展
開放経済体制下、飲酒風景も変わり、90年代後半には外でのプライベートな宴席が増加
単位共同体の崩壊の時期と一致 ⇒ 住宅の市場経済化が寄与
2013年習近平の反腐敗運動提唱により、公費による宴席の脱アルコール化が進む
中国の公式宴会では白酒(4060度の蒸留酒)が基本で、酔っ払いは君子・淑女に非ず

6.    キャンパスの居酒屋と小説『私宴』
学生の宴席は、大学の市場経済化と深く関係 ⇒ 97年から全員学費徴収の対象となり、学内に居酒屋も出現

II 上海篇
1.    ビールの都、上海
2.    1979年上海ビールのおつまみ
3.    上海パラマウント伝説
4.    烏魯木斉(ウルムチ)路の文化探検
烏魯木斉路は、旧租界地の西部を南北に走る道。戦前には共同租界部分を走る北路とフランス租界部分を走る南路があり、住宅開発のために建設され両側には閑静な住宅街が形成北端にあったダンスホール百楽門(パイローメン)は戦前の繁華街の代表格

5.    淮海(ホワイハイ)中路の文化探検
淮海路は全長約7㎞、旧フランス租界を東西に走るメイン・ストリート。東西中と3つに区分、中路が5㎞と断トツに長く1901年建設、日中戦争時は泰山路、建国後に現在の名前に改称
黄河と長江の間を流れる淮河により、中国は南北に分けられる ⇒ 北部には暖房があるが南部にはない
淮河以北から海州一帯を淮海と称し、中心都市の徐州まで上海から北西約500

III 地方篇
中国は「地大物博、人口衆多」
茅台(マオタイ)酒は「国酒」、スコッチ、ブランデーと並ぶ世界3大銘酒
魯迅(18811936)が約100年前に故郷浙江省紹興の銘酒紹興酒をどのように飲んでいたか、2012年にノーベル文学賞を受賞した莫言(1955)が故郷高密県の白酒をいかに描いているのか、チベット庶民は自家製の青稞(チンコー)酒をどんな風に楽しんでいるか

1.    魯迅による紹興酒の飲み方
酒を抜きにして唐詩は語れない。酒は現代文学とも深い縁
中国酒は、醸造酒と蒸留酒の2系統に大別。穀物を麹で糖化して醸造する酒を黄酒又は老酒(ラオチウ)と呼び、紹興酒はその代表
魯迅の短編小説『酒楼にて(原題:在酒楼上)』⇒ 辛亥革命の夢に敗れた男たちが故郷で再会する物語。魯迅自身はその後の国民革命にも違和感を感じていた

2.    魯迅と紹興酒
魯迅没後1周年記念集会で毛沢東が魯迅を政治的に利用、「中国第1等の聖人」と偶像化したため、儒教の聖人である孔子に代わって、魯迅は社会主義中国における聖人となった

3.    中国的宴会の極北――莫言の『酒国』
4.    莫言故郷の銘酒と小説『白い犬とブランコ』
5.    チベットのピクニック
ハダカ麦から醸造したのがチベットの自家製酒青稞酒

IV 香港・台湾篇
1.    香港・湾仔(ワンチャイ)のスージー・ウォンバーと新界の大栄華酒楼
新界とは、広東省と境を接する九龍半島の大部分と200余りの島からなる地域で、香港の8割を占める。戦前は稲作、戦後は野菜栽培の農村地帯だったが、50年代以降はニュータウン開発も進み、今では総人口の半分が住む香港の伝統と現代とが共存する地域

2.    香港のバー街・蘭桂坊の物語
香港は「飲食天堂」と呼ばれる飲食の天国 ⇒ 「飲」とは中国茶とスープで、大多数の香港人は酒には関心が薄い
蘭桂坊は、60年代までは住宅街。70年代以降中環(セントラル)に比べて家賃の安さに惹かれた芸術家たちが住み始め、80年代にヨーロッパ風のレストランやバーが続々と開店、香港のモンマルトルと呼ばれるようになった

3.    東京の香港グルメ詩人
4.    台北にバーが流行る理由
日本統治以降酒が専売化され、45年以降も国民党によって引き継がれ、清酒に代わって紹興酒と高粱酒の製造が始まる
唯一例外的に美味しい地酒造りに成功したのが金門島で、福建省に属するため台湾の規制外にあり、高粱酒の品種改良に努めて高級酒が出回る
02WTO加盟により、酒もたばこも専売が廃止され、酒造りが民間に開放

5.    台湾文学の中の清酒
従来清酒産地の南限は熊本とされ、それ以南は蒸留酒文化圏とされたが、1895年日本の植民地となって以降白鹿が輸入されると同時い、現地での清酒造りも始まる

V 世界篇
1.    ニューヨーク・チャイナタウンの紹興酒
2.    プラハ地下バーの現代中国詩
中国近現代文学の始まりは1910年代末のいわゆる「五・四新文化運動期」 ⇒ 陳独秀や胡適による言文一致の国語による文学革命が進行
新しく登場した文学に対し熱い共感を抱いたのは、日本では東京外語大出身のグループで中国文化界との国際交流を進め、更に30年代半ばには東京帝大支那哲文学科の卒業生が中心となって中国文学研究会を組織。欧米ではチェコ人が魯迅のチェコ語訳を出すなど同様の活躍をする

3.    シンガポールで一番旨い酒
「両岸三地」とは、台湾海峡を挟んで向き合う中国大陸と台湾に香港を加えて「3つの中国」を指すが、マカオを加えて「両岸四地」ともいうが、バランスが悪いところから、シンガポール・南洋が新たな第四の地として提起されている
中国・台湾では現在も南シナ海一帯を南洋と呼ぶ

4.    ソウルの新興チャイナタウンで飲む東北白酒
ソウルには中国人街がないが、中国東北地方の朝鮮族による新「中国人街」が最近誕生




(書評)『魯迅と紹興酒 お酒で読み解く現代中国文化史』 藤井省三〈著〉
2019.1.12. 朝日
友と語りあうような時に乾杯!
 年末年始を、酒を切り口として現代中国文化史を熟(こな)れた筆致で描いた本書と過ごし、友と語り合うような愉(たの)しい読書の時を持った。李白の「山中にて幽人と対酌す」の心地で、少々微醺(びくん)を帯びながら。
 魯迅や莫言などの翻訳で知られる著者は、日中平和友好条約が結ばれた翌年の1979年、政府間交換留学生制度の第1回留学生として初めて中国を訪れた。当時は、食堂では量り売りのぬるいビールが一般的で、大バケツに入った茶色の液体を柄杓(ひしゃく)で汲(く)んで丼に注いで出てくるのを鷲(わし)づかみにして乾杯したという。
 以来、約百回に及ぶ訪中は、改革・開放経済体制の時期と重なり、自(おの)ずとその変化を見続けることとなった。北京の庶民の酒といえば、度数が50度以上ある二鍋頭(アルクオトウ)という白酒(パイチュウ)だったが、平均収入が上がるにつれて、ワインやカクテルへと好みが移っていった。さらに習近平が反腐敗運動を進めてからは公宴での飲酒が禁止され、〈小杯が触れあう音が風鈴のように響く〉中国式宴会の乾杯の風景が見られなくなった。
 著者と共にそれらを惜しみながら、評者も92年に日中文化交流協会の作家代表団の一員として初めて中国を訪れた際に、北京郊外の店で同世代の通訳者と白酒の杯を重ねながら、日中の近代化の道筋の違いについて熱く議論をしたことが懐かしく思い出された。
 書名にある魯迅と紹興酒の話も味わい深く、魯迅の生地である紹興がモデルのS市の酒楼で再会したうらぶれた中年男二人が、一升四合近い紹興酒を飲みながら語り合う「酒楼にて」には、辛亥革命の夢破れて大酒を飲まずにはいられない辛(つら)い時代背景があるとし、魯迅の酒量を推察する。
 台湾の李昂の初期の代表作『夫殺し』は、清酒白鹿が重要な役割をなす。著者は李昂を訪ねた際に、免税店で見つけた白鹿の一升瓶を抱きかかえて機内に持ち込み手土産とした。そんなエピソードの数々に乾杯(カンペイ)!
 評・佐伯一麦(作家)
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 『魯迅と紹興酒 お酒で読み解く現代中国文化史』 藤井省三〈著〉 東方選書 2160円
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 ふじい・しょうぞう 52年生まれ。東京大名誉教授。著書に『魯迅と日本文学』『村上春樹のなかの中国』など。


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