数学する身体  森田真生  2019.4.29.


2019.4.29. 数学する身体(しんたい)

著者 森田真生 1985年東京都生まれ。独立研究者。東大理学部数学科卒後、独立。現在は京都に拠点を構え、在野で研究活動を続ける傍ら、全国各地で「数学の演奏会」や「大人のための数学講座」など、ライブ活動を行う
公式ウェブサイト http://choreographlife.jp

発行日           2015.10.15. 発行
発行所           新潮社

本書は、『数学と情緒』(『考える人』13年夏号)、『数学する身体』(『新潮』同年9月号)、『計算と情緒』(141月号)、『零の場所』(10月号)、『アラン・チューリングの草のみち』(『みちくさ』スマートニュース社)を大幅に加筆修正したもの

『数学の贈り物』参照


【帯】
思考、美術のように、数学も表現の行為だ。数学を通して、「人間」に迫る、30歳、若き異才の躍動する、デビュー作!


はじめに
人はみな、とうの昔に始まってしまった世界に、ある日突然生れ落ちる。自分が果たして「はじまり」からどれほど離れた場所にいるのか、それを推し量ることすらできない
そんな人間が1から数を数える。原点から距離を測る。仮定から推論する。ひとたび起点を決めたなら、そこから確実に歩を進めていくのが数学
頼りなく、当てのない世界の中で生まれて亡びる身体が、正確に、間違いのない推論を重ねて、数学世界を構築していく
身体が数学をする。この何気ない一事の中に、私はとてつもない可能性に満ちた矛盾を見る
起源にまで遡れば、数学は端から身体を超えていこうとする行為。数えることも測ることも、計算することも論証することも、すべては生身の身体にはない正確で、確実な知を求める欲求の産物で、曖昧で頼りない身体を乗り越える意志のないところに、数学はない
一方で、数学はただ単に身体と対立するものでもない。数学は身体の能力を補完し、延長する営みであり、それゆえ、身体のないところに数学はない。古代、現代とも、数学はいつでも「数学する身体」と共にある。本書ではこのことをなるべく丁寧に描く
数学に再び、身体の息吹を取り戻そうとする試みであり、数学とは何か、数学にとって身体とは何かを、ゼロから考え直していく旅

数学する身体
数字には明快で緻密な自由がある  無限の広がりを持ち、好きなだけ先に進める自由があるうえ、7+8は常に15
身体が感じる世界は、連続的で曖昧だが、数の助けを借りると個数の差異を厳密に把握できる。生来人間にその能力が備わっているわけではない
数は、人間の認知能力を補完し、延長するために生み出された道具
人間は少数のものについては、その個数を瞬時に把握する能力を持つ  3個が境目で、45を境に何らかの記号を編み出す
身体や物をうまく使うと数量を、目的に合わせて操作すること(計算)もできる  算盤などがあるが、物を使った計算では、過程が消えてしまうという欠点があり、それを補うために、数字を使って計算の過程や結果を記録する様になる
計算を物から解放し、計算用の数字=算用数字を発明したのは7世紀のインド人
道具としての数字が次第に洗練され使いやすくなってくると、更に使いやすくするために新たな道具や技術が開発される  一例が「筆算」で、2桁の掛け算が一桁の掛け算と足し算で苦も無く出来る。このような具体的な問題を解くための系統だった手続のことを「アルゴリズム」と呼ぶ
離散的な量(=個数)を把握するのには数や数字が便利だが、長さや面積、体積など連続的な量や大きさを把握するためには、数字に代わって図形が重要な道具となる。自然界に正確な円や直線は見出せないが、人工物としての図形を操作すると形や大きさについて精度の高い計算や推論を行うことが出来る
古代の数学は、日常の具体的な問題を解決するための手段で、解決するための計算手続(アルゴリズム)を開発することが数学という営みの中心
紀元前5世紀のギリシャでは、異質な数学文化が開花  「証明」により結果の正当性を保証するプロセスに重点。ユークリッドの『原論』はその象徴で、数学の基本命題集
狩りや調理など実用のためだった道具が「見て、感じる」対象となった時に美術の歴史が始まったとすれば、数字や図形がそれ自身「見て、感じる」対象になってこそ、数学もいよいよ文化になったと言える
「定理thorem」という言葉は、元々は「よく見る」という意味のギリシャ語からきている
「数学mathematics」は、ギリシャ語の「学ばれるべきもの」に由来。数学よりはるかに広い範囲を指す言葉だったが、古代ギリシャのピタゴラス学派が、数論、幾何学、天文学、音楽の「4科」からなる特定の学科を示す言葉として用いた
学びとは、初めから自らの手許にあるものを掴み取ること  この世の事物に数量や大きさがあることは誰もが初めから知っていることにも拘らず、改めてその数量や大きさとは一体何かと考えるのが数学

計算する機械
「数学=数式と計算」というイメージは、1719世紀の西欧数学に特有の傾向であって、普遍的な考え方ではない
I 証明の原風景
数学の飛躍の1つが、紀元前5世紀のギリシャで起こった「証明」の文化
私的な思考を公的に表現するために図があるのではなく、思考が初めから図として外に現れていた  まだようやく文字が現れ始めたころ、数学者たちは書くというより描き、語る人々
記号を駆使した代数の言語が整備されることで、数学の表現力が飛躍的に高まるのはようやく17世紀に入ってから
古代ギリシャにおける数学は、独白的であるよりも対話的で、それが目指すところは個人的な得心である以上に、命題が確かに成立するということの「公共的な承認」だった

II 記号の発見
古代ギリシャの論証数学の誕生に次ぐ大きな革命は、17世紀のヨーロッパで起きた「記号」の使用と、論証に代わる「計算」の誕生  近代西欧数学の誕生
ギリシャ文明の衰退後、その数学的遺産の最大の継承者がアッバース朝(7501258)下のイスラーム世界で、古代ギリシャの学問的遺産を継承するのみならず、バビロニアやインドの数学など周辺地域から様々な伝統を吸収し、併せ飲む懐の深さを持っていた
古代ギリシャ数学の大きな特徴である実践よりも理論の重視、計算よりも幾何学的論証重視の姿勢を引き継ぎつつ、実践性と理論を兼ね備え、数と幾何学の双方に関わる独自の数学文化が育まれた
初期のアラビア数学を代表する数学者は、アル=フワーリズミー(780850)で、インドで生まれた算用数字をイスラーム世界に紹介、やがてアラビア世界独自の数学となる「アルジャブル」に発展  代数を意味するラテン語のalgebraアルゲブラもこれに由来
アルジャブルの目指すところは、未知数を含む式を、解きやすい形、あるいはすでに解けることが分かっている形に持ち込むための機械的な手続き(=アルゴリズム)を考案すること、更に、その手続きの正当性を幾何学的な手段によって証明すること
14世紀のイタリア各地に商業経済の発展とともに計算法や代数的な考え方が普及、それがアルプスを越えて全ヨーロッパに伝わり、近代数学に繋がっていく
記号化を徹底させて、代数を記号操作による「一般式」の研究にまで洗練させたのがフランスのフランソワ・ヴィエト(15401603)  未知数のみならず既知数をも記号で置き換えることにより、式を一般化し、問題を11つ解くのではなく、「あらゆる問題を解決する」新たな数学の時代に突入
ルネ・デカルト(15961650)は、あらゆる問題を解決するための普遍的な「方法」を追求、「近代哲学の父」と呼ばれる。事物の心理を探求するには方法methodusが必要だとし、記号化された代数に真理探究の方法の規範を見出した。記号代数の表記法をほぼ現在の形にまで洗練させた以上に重要なのは、記号代数の力を借りて、古代ギリシャ以来の幾何学的な問題を統一的に解決するための「方法」を開発したこと
ニュートン(16421727)、ライプニッツ(16461716)によって微積分学の基礎ができ、ベルヌーイ兄弟によって世に知らしめられ、弟の弟子レオンハルト・オイラー(170783)が図の代わりに関数の使用で、現在に繋がる微積分学の基本的なテクニックのほとんどを発見
19世紀に入ると、人間に生来備わった物理的・幾何学的直観に代わる、より堅固な数学の「基礎」が必要となり、解析学の厳密化、概念の精緻化が進む

III 計算する機械
アラン・チューリング(191254)によって「計算についての数学」が整備され、その理論的な副産物として現代のデジタルコンピュータの数学的な基礎が構築された
1939年ブレッチリー・パークでエニグマ暗号の解読に従事  暗号化のプロセスを電気的な仕掛けで自動することにより、従来にはない複雑な暗号を簡単に生成することを可能にした暗号だったが、膨大な機械的手続きを高速で処理するための真空管を大量に使った全電子式のコンピュータが作られた
戦後、英国国立物理学研究所の数学部門に雇われ、万能チューリング機械を具現化すべく自動計算機関の設計に携わる  別な機関によって48年世界で初の汎用プログラム内蔵式コンピュータSSEMの上で最初のプログラムが動く
人間の数学的思考は、他のあらゆる思考と同様、脳と身体と環境の間を横断しているが、個人的空想や妄想とは違い、かなりの部分が顕在化

風景の始原
岡潔(190178)のエッセイ集『日本のこころ』が、著者が数学の道を志すきっかけ  数学の中心にあるのは情緒で、肝心なのは五感で触れることのできない数学的対象に関心を集め続けてやめないこと
数学も固有の風景を編む。歴史的に構築された数学的思考を取り巻く環境世界の中を、数学者は様々な道具を駆使しながら行為(=思考)する。その行為が新たな「数学的風景」を生み出していく。デカルトが見た風景、岡潔が見た多変数解析関数論の風景。数学者の前には常に風景が広がっているのであって、彼らはそれに目を凝らし、それをより精緻なものにせんと、まるで風景に誘われるようにして数学をする。数学者とは、この風景の虜になってしまった人のことをいう
近年、数学的思考に伴う脳活動についての認知神経科学的な研究が目覚ましい進展を見せ、脳と数学的思考の関係が少しづつ明らかにされている  脳後部にある「頭頂間溝」の一部が数の、特に量的な側面と関係すると考えられている

零の場所
古代には、ギリシャの他にもインドや中国など、文明のある至る所にそれぞれ個性的な数学文化があった
岡潔は、生涯をかけて開拓すべき数学的自然の中に於ける土地(多変数解析関数論の領野)を求めて、日本を旅立ちフランスに向かう。満州事変勃発で、日本を案じ、懐かしむ気持ちが、彼の心を芭蕉の世界に惹きつけた。芭蕉が弟子に「一世のうち秀逸三五あらん人は作者、十句に及ぶ人は名人なり」といったのをしり、俳句の3つや5つを目標に生きるとはまるで池に張った薄氷の上に全体重を託すかのようで、どうしてそんなことが出来るのかと訝ったが、勉強を重ねるうちに芭蕉の足元が実は薄氷ではなかったのだと気づく。俳句は感覚の世界にあるのではなく、その奥の情緒の世界にあったのだと気づいて一応疑問が氷解
数学の本質は零からの創造  「ないもの」から「あるもの」を作ること。数学的創造は、数学的自然を生み、育てる「心」の働きに支えられている

終章 生成する風景
「数える」という行為から始まって、まるで身体から漏れ出すように、数学的思考は広がってきたが、新たな数学が生まれる場面に生きた人間の姿があり、冷徹に見える計算や論理の奥に血の通った人間がある
本書で辿った数学の流れは、チューリングと岡潔の2人に流れ着く。2人は性格も研究もかけ離れているが、重要な共通点がある。それは両者がともに、数学を通して「心」の解明へと向かったこと
チューリングは、人間の心を「玉ねぎの皮」に例えて、人間の心や脳の機能の一部は機械的なプロセスとして理解できるが、「本当の心」に辿り着くには、一枚一枚皮を剥ぎ取りながら芯に近づいていこうとするように、機械で説明できる心の機能を1つづつ「剥いて」いけば、次第に「本当の心」に近づいていくことだろう、と語る
岡もまた数学研究を契機として、心の究明へと向かう。心になることによって心をわかろうとした



更新日:20161021 / 新聞掲載日:20161021日(第3161号)
15回 小林秀雄賞 新潮ドキュメント賞 贈呈式開催

石井妙子氏、森田真生氏
107日、東京虎ノ門のホテルオークラにて第15回小林秀雄賞と新潮ドキュメント賞の贈呈式が開催された。受賞作は小林秀雄賞が森田真生氏の『数学する身体』(新潮社)、新潮ドキュメント賞が石井妙子氏の『原節子の真実』(新潮社)
森田氏は挨拶で「『数学する身体』には岡潔という数学者が主役の一人として登場するが、彼は小林秀雄と非常に深い縁で結ばれているところがあったような気がする。昭和40年に『人間の建設』という二人の対談集が刊行されたが、そこで岡潔が最近の数学は抽象的になってきたと言っていることに対し、小林秀雄がその言葉が分からないと質問してしばらくの対話ののち、小林秀雄が、なるほど感情の裏打ちがある数学が具体的で、感情の土台のない数学を抽象的だとおっしゃっているのですねと言って、その通りですと手を取り合う場面がある。
岡潔には数学とは永遠不動の確固たるものではなく、感情や感覚という人間の価値の根本にあるもののその表面においていくらでも自由に想像できるものだという思想があったのではないか。
数学する身体(森田 真生)新潮社

小林秀雄もパスカルの『パンセ』についての一文で、感じたところから出発して推論するのはいいが、推論したところから始めて感じられるように工夫してみたまえと書いている。
『数学する身体』では、数学は推論の学問だがその推論の根底にあるのは人間の身体であり身体的行為であることを描こうとした。
現代は推論が肥大化した時代だが、これからは推論した帰結をいかに受け止め感じられるようにしていくかという工夫に新しい可能性があるのではないかと思う。岡潔が「情緒」と表現したように、感覚で受け止めることに何かしらの普遍性があるのではないか。
そういう問題をこれからも考えていきたい。また独立研究者と名乗る自分のような生き方をする人が十人いたら一人ぐらいは何かを成すのではないかという生き方をしたい。」と話した。


数学する身体 森田真生著 2偉人対比、哲学や歴史描く
2015/12/5 日本経済新聞 夕刊
子供は123…10と数えてから、ちょっと困った顔をして「いっぱい」と言ったりする。でも、本書によれば、中世ヨーロッパでは、指を使って9999まで数える方法が存在したという。
「身体」から始まった数学は、+、-、×、=、といった「記号」の発見により、抽象化の階段を一気に駆け上る。そして、デカルトが座標系を発明し、幾何学の問題も方程式で解けるようになった。
本書は、数学の歴史を辿(たど)りつつ、やがて、「計算する機械」を発見したチューリングと、世界的数学者・岡潔の対比へと進む。二人にとって数学の「心」とは何だったのか。
数学の身体性、歴史、哲学、心を描いた名著だ。
★★★★★
(サイエンス作家 竹内薫)




コメント

このブログの人気の投稿

近代数寄者の茶会記  谷晃  2021.5.1.

新 東京いい店やれる店  ホイチョイ・プロダクションズ  2013.5.26.

自由学園物語  羽仁進  2021.5.21.