ホワイト・トラッシュ  Nancy Isenberg  2019.5.3.


2019.5.3. ホワイト・トラッシュ アメリカ低層白人の400年史
White Trash : The 400-Year Untold History of Class in America  2018

著者 Nancy Isenberg ルイジアナ州立大歴史学部T. ハリー・ウィリアムズ冠教授。歴史学の名門ウィスコンシン大マディソン校で90年歴史学博士。著書に『堕ちた創始者:アーロン・バーの生涯』(ジェファーソン政権の副大統領の伝記)でロサンゼルス・タイムズ出版賞最終候補。『アメリカ南北戦争以前における性と市民権』で初期アメリカ史家協会賞。『マディソンとジェファーソン』で書評誌『カーカス』2010年度ノンフィクション5選の1冊となる。初の邦訳。数十年の研究成果の結晶。本書で2016年「グッドリーズ・チョイス賞」歴史・伝記部門の最終候補

監訳 渡辺将人 北大大学院准教授。博士(政治学)。著書に『評伝 バラク・オバマ』、『現代アメリカ選挙の変貌』で大平正芳記念賞。訳書カミングス『アメリカ西漸史』で日本翻訳出版文化賞
訳者 富岡由美 翻訳家

発行日           2018.10.31. 第1刷発行
発行所           東洋書林

はじめに
時代を超えて最も記憶に残る映画を上げるとすれば、『アラバマ物語To Kill a Mockingbird 1962』⇒ 奴隷制と人種差別という南部の負の遺産の肖像を描いた古典的な名作。ドラマに込められた不穏な意図が一つならず二つも
人種に根差した二重のしきたりdouble standard”を拒絶する勇敢で強い信念を持った弁護士が主人公。貧しい白人女性をレイプした罪に問われたアフロ=アメリカンの弁護を引き受ける。裁判は有罪。堕落した何の取柄も道徳心もない白人父娘より、家族思いで勤勉な加害者の方が明らかに好ましく描かれるが、女性の父親は全員が白人の陪審に、娘の名誉のための復讐に手を貸してくれと主張。加害者が逃亡を企て射殺されるが、それでも飽き足らなかった被害者の父親は、弁護士の子ども2人を襲う
今日のアメリカ人は、ホワイト・トラッシュについて狭義の歪んだ理解を示す ⇒ 時代に逆行する態度の最も激しく最も身近な象徴の一つが、1957年アーカンソー州リトルロックでの人種統合教育に抗議する白人たちの敵意剥き出しの表情であり、2015年のタトゥーを入れたKKKがサウスカロライナ州議事堂に掲げられた南部連合旗を守ろうとしたことで同様の感情を喚起し、この厄介な社会現象の根深さを実証
ある料理研究家がコレステロールたっぷりのレシピで人気を博していたが、13年に「Nワード(ニガー)」の常用が明るみに出たことで評判が急落、庶民派としての支持が一夜にして地に堕ちた。ぞんざいで洗練されていない南部の田舎者(レッドネック)のラベルを貼られた。その対極で、南部人をくすぐるテレビ番組が出演者の愛車「リー将軍」に南部連合旗がペイントされたせいで打ち切りになったが、出演者が密造酒づくり(ムーンシャイナー)の貧相なジョージアの山の衆であるにもかかわらず、その名前はイギリス貴族を暗示
ホワイト・トラッシュの歴史は1500年に遡る。貧者を海外に移住させるというイギリスによる植民地政策の結果、アメリカの階級に対する考えが条件づけられ、永久に刻み込まれた ⇒ まずは「無用者waste people」、後に「ホワイト・トラッシュ」として認知される社会の周縁に追いやられたアメリカ人は、生産性がなく、自前の土地を持たず、這い上がる気骨(=アメリカンドリームを掴む基礎となる上昇志向)のある健全な子をなすこともないという烙印を押された。貧困と社会に乗り遅れた者に向けたアメリカの解答は期待通りというわけにはいかず、20世紀も深まると堕胎が、更には断種までもが成長過程にある経済の足枷となる「負け犬loser」の切り捨てを望む者にとって合理的に映る様になる
白人の範疇に入らない奇妙な種族と見做された19世紀半ばに、wastetrashという劇的な述語が付け加えられた。合衆国には、その歴史を通じて常に階級システムが存在したが、それは上座の1%によって管理し不満のない中流階級によって支持されるだけに留まらず、国家のアイデンティティを明らかにするに当たっては、澱み、使い捨てらえるままの社会における底辺層を無視することなどもはやできない
彼らはアメリカがその形を成す節目のたびに展開された政争の矢面に立たされた。植民地時代、土地を持たない不法居住者(スクワッター)が大陸を西へと向かう中、使い出のある捨て駒であり、同時に一貫して反抗的な厄介者だった。南部のプア・ホワイトはリンカン率いる共和党の台頭と、南北戦争当時の南部連合の内にあってより貧しい階級へと染み渡った悪しき血の元凶として眉を顰められる存在として注目を集め、リコンストラクション(再建期)を通じての連邦復興の物騒な異常値がホワイト・トラッシュであり、20世紀初めの20年で優生学運動が最盛期を迎えると退化した階級として断種の標的にされたが、その一方でニューディール政策やリンドン・ジョンソンLBJの掲げた「偉大な社会」における社会活動の恩恵を受けてもいた
ホワイト・トラッシュは、アメリカという国家の気詰まりな真実の1つ、人種と階級の交差を思い起こさせる。
経済的不平等の正当化は、国家信条の無意識のうちに属し、貧困は人間に統制できない自然の仕業とされてきたため、プア・ホワイトは"他とは違う種族として分類された。アメリカが採用したある階級を示唆する言葉は、浮浪罪へと向かうイングランドの姿勢の向こうを張って、大西洋を越えて畜産や人口動態や血統を語るうえで定着。貧者は不作と腐されるばかりか、質の悪い家飼いの獣と同等に扱われた
ここ数十年、「生粋の南部人という出自」の再発見を通じて部族めいた激情の盛り上がりがみられる ⇒ 8090年代のアイデンティティ・ポリティックスが人々を魅了
これまで数多くの人物が卑種の人々の英雄譚(サーガ)に登場、彼らのセルフ・イメージがアメリカにおける階級アイデンティティの奇妙で複雑な物語を一層研ぎ澄ませた ⇒ ベンジャミン・フランクリン、トマス・ジェファーソン、デイヴィ・クロケット、セオドア・ルーズヴェルト、ビリー・カーター、クリントン、サラ・ペイリンなど

序――忘れ去っている寓話 Fables We Forget By
人々は、階級とは富と特権によって生み出された経済上の成層のことだと知っているが、一般的なアメリカ史は、困ったことに社会階級の存在にほぼ言及することなく語られる
入植後、辺境の植民地は非自由労働者(年季奉公人や奴隷など)を搾取し、彼らを人類の不作として扱い、落伍した人類を分別する道筋が合衆国に定着。下層階級の人々を救い難く取り返しのつかない「種族」とする思考は、意図を込めた様々な呼び名に現れる ⇒ かつては、のらくら者lubber、クズtrash、泥食らいclay-eater、クラッカーcrackerと呼ばれ、今では移動住宅住まいのクズtrailer trash、赤頸redneck
本書の目的は、ごく往々にして「ないこと」にされてしまいがちなアメリカのアイデンティティに関わる「何か」を、ある階級を示唆する言葉で語られるアメリカ史上の営為の再評価によって明らかにすることであり、現代アメリカ社会に今なおある悩ましい矛盾を、できる限り的確に知ってもらえることを願う
機会の平等を重んじる文化が、そこに身を置きながらも執拗に軽んじられている人々のありようをどう説明するのか? どう受け入れるのか?
アメリカのある階級を示唆する言葉やその思考は、イングランドによる植民地化が残した強固な刷り込みに端を発する
アメリカの冷酷な階級システムとは、土地の特質と潜在性、労働力の価値、そして決定的なコンセプトとなる血統づけに関連して繰り返される農業現場の意見から導き出されたものであり、植民地化の計画案の大方は、特権と従属の上に打ち立てられていた
17世紀の入植者の大半は、強制的な国外追放が「丘の上の町」(=「マタイ福音書」「山上の垂訓」からの引用でピューリタンを前に語られた地上に建設する神の町の意)の出発点になるとは思わず、初期の開拓者の大半はイギリス臣民の地位を与えられるにはほど遠く、余剰人口、使い捨ての「がらくたrubbish」、礼儀を弁えないものとして分類され、いずれ社会から淘汰されると見做されていた。開拓者は雑多な人間の集まり。吹き溜まりの底辺にいたのが、貧困層や犯罪者層にいた男女で、植民地での運に賭けた
アフリカやカリブの国々で拉致され、英領アメリカ植民地へと移送された奴隷も60万を超えたという ⇒ 1663年イギリス政府が王立アフリカ冒険商人会社に奴隷貿易の独占権を与えると、どの植民地にもアフリカ人が見られるようになった
平等な機会の陸(おか)などはなく、死と厳しい労働環境が移住者の大半を待ち受けていた
魅力に乏しい土地に加え、固い塹壕に囲まれたイギリスのイデオロギーが、社会移動など期待できない厳格な階級上の身分を正当化したし、ピューリタンの宗教上の信仰にしても、階級ヒエラルヒーを除外するものではなかった
土地は最も重要な富の源泉であり、完全に持たざるものであれば隷属関係を免れることはほぼ不可能で、土地を持たざる者という汚名/聖痕(スティグマ)がホワイト・トラッシュに印として残される
1776年という年は、アメリカの実情を考慮するに当たって誤った出発点になっている。独立はイギリスの階級システムを消し去ったわけでも、労働の意図的な搾取と貧困との絡みで長い間固められてきた信念を根こそぎにしたわけでもなかった。不作やがらくたと方々で考えられてきた好ましくない人々は、時代が進んだ今にあっても依然使い捨てだ

第I部           「世界」を新たに To begin the World Anew
第1章     「クズ」をつまみ出せ: 新世界の無用者 Taking out the Trash: Waste People in the New World
イギリスの教養ある男女の認識では、入植を始めた頃となる1500年代の北米大陸は恐ろしい獣が生息する未知の世界で、金山に囲まれた空白の領域だったが、王室の歓心を買おうとして「西方植民論」などが語られた ⇒ 「空白のempty」陸地というのがイングランド国家の正当な目的を資け、インディアンは正規の土地所有権を持ち得ないものと見做された。土地利用に関する強権的なコンセプトが大陸間で将来展開される人種や階級の分化の鍵という役割を果たす
無用者wasteに悩まされたイングランド人は、真っ先にアメリカを「無用者を放り込む土地wasteland」と見做した
無用物とされたのは土地ばかりでなく、無用者もまた無用物のアメリカを農地や牧場に変えるための労働部隊として必要とされた
貧困者を金食い虫や社会のはみ出し者とする視点は、イングランド人が何世代にもわたって敵意を向けてきたことからもわかるように、目新しいものではなかった ⇒ 14世紀にはこの哀れな「諸悪の根源」を根こそぎにするための一致協力した運動が起こり、様々な法的規制が行われた
1607年のジェームズタウンの成立で、その傾向は加速、土地が不平等に分配されると、階級差も拡大 ⇒ 町のシステムの中心を成すのは、労働者を可処分資産化してしまう年季奉公契約で、死ぬまで労働力として酷使され搾取の対象となった
1620年のケープコッドへの入植から10年してピューリタンの大々的な移住による宗教コミュニティの創出を期す
植民地の計画案は、種の涵養/血統づけbreeding”によって悉く描かれたが、これもエリザベス朝からの伝統

第2章     ジョン・ロックの「のらくら者の国」: カロライナとジョージアの入植地 John Lock’s Lubberland: The Settlements of Carolina and Georgia
ジョン・ロック(16321704)は、「人類の自然権と自由の、偉大にして誉ある擁護者」として、アメリカ独立革命論者たちの戦略に多大の影響を及ぼしたが、もう1つの顔は、カロライナ基本憲法を起草し、「カロライナのいかなる自由民も、彼のニグロ奴隷に絶対的な権力と権限を有する」と言っている。実は、ロックはイギリスの奴隷貿易を独占した王立アフリカ会社(アフリカ冒険商人会社の後身で1672年発足)兼の創設者の1人で1/3の大株主であると同時に、カロライナの地主でもあった
カロライナは1663年イングランド王チャールズ2世が、カロライナの「絶対的貴族にして植民地領主」と定めた8人の貴族に植民地下賜に関する勅許状を与えた領地で、新たな領地も1/5は領主に、1/5が植民地貴族に、残りの3/5が爵位のない領家か自由土地保有者にあてがわれた
ロックの定めた奇妙でいかがわしい特権には、奴隷より上だが自由民より下に置かれるとされた、貴族と領家が所有するリートマンleet(領主裁判所管区)-manという独特な使用人階級に由来するものがある ⇒ 結婚して子を持つことは奨励されるが、土地と領主に縛られ、世襲の身分で主人の使役から逃れることはできない。田舎の貧者に対するロックの未熟な解決策を象徴していて、終生高い生産性を期待される土着農階級
ロックによるリートマンの発明によってノースカロライナの数奇な歴史の理解が可能になり、この植民地がなぜ合衆国のホワイト・トラッシュ物語の中心にあるのかを論書 ⇒ 1712年カロライナは2つに分裂。南は奴隷制を採用する従来の階級ヒエラルヒーの特徴を備え、富・奴隷・土地を少人数の統治集団が独占したのに対し、北は誇り高きヴァージニア人の不法居住者と成り上がりのサウスカロライナ人の間にあって厄介な「アメリカの掃き溜め」であり、商業や文化の影響を拒む辺境の荒れ地であり、「役立たずののらくら者useless lubber」として切り捨てられる者が多く住み着く"初のホワイト・トラッシュ植民地という後世に残る遺産を創り出した
ヴァージニアとカロライナの間に挟まれた辺境にはディズマル湿地という沼沢地があり、危険に満ちた緩衝地帯となっていた ⇒ 文明化されたヴァージニア農園主とならず者を持って鳴らすカロライナの蛮族との隔たり
カロライナの海岸線は、砂質の島々が点在して大型帆船が近づけず、人を寄せ付けない場所だったために、カロライナ人の多くは密輸に関わり、同時に海岸線は海賊の絶好の隠れ場所となって、西インド諸島から北米大陸に至る交易路に出没して私腹を肥やしていた
ノースカロライナ全域に「怠惰と貧困がはびこって」いて、領主は地税も徴収できずもてあました
1732年ジョージアが勅許を得て分離 ⇒ 貧者を適正に始末する格好の舞台となる。自由民からなり、奴隷制を拒否した奴隷解放区となった。理念を憲法"に求めず、貧困家庭の生活向上や負債者の更生を企図する慈善的投機として端緒を開く。独立革命前に出来た最後の整備地となったが、目的は両カロライナの極端な貧富の差を打破する妥協点を見出すことと、フロリダのスペイン人に備える防壁の2つ。ヨーロッパから来た貧しい入植者に家と庭をつけた50エーカーの土地を無償で与え、下層階級からの搾取や富裕層への優遇措置のない社会秩序を築く実験場となった。自由白人の聖域として、アルコールの禁止と暗色の肌をした人々の忌避が励行。慈善事業としての性質を維持し、博愛精神を教え込もうとしたが、43年に初代総督が去るとたちまち奴隷商人によって土地の所有権と引き換えに奴隷が入り込み、ラム酒も許可され、50年には奴隷所有権が公認

第3章     ベンジャミン・フランクリンの「アメリカの種族」: 平凡な人々の人口動態
Benjamin Franklin’s American Breed: The Demographics of Mediocrity
フランクリン(170690)もまた教養あるイングランド人と同じように、あぶれ者の存在に頭を悩ませていた
人類の生態に焦点を置き、苦痛と快楽の押し引きに眼目、その中間のどこかが幸福な中庸であり、北米という稀有な環境によって旧世界システムの不自然状態が解消され、広大な大陸はすぐさま種の涵養による人口動態上の有利をアメリカ人にもたらすと考えた
奴隷制がすべての白人を貧富の別なく退廃させると主張
階級の満足度は自然に達成可能であり、機会に溢れた土地では家族の幸福と安定に伴って"産むこと"がより自然となる。厳しい階級差別と資源の秘匿が起こる見込みは薄い。諸階級の圧縮は、人々が入植する権利を得た新しい土地のある限り持続し、勤勉、倹約、多産が幸福な平凡による自然の成り行きのもと表れる
18世紀も深まるにつれ、貧困が常態化。出生率の目算も大きく外れ、幼児死亡率は驚くほど高かったため、人口動態上の予測が単なるレトリックであることが証明

第4章     トマス・ジェファーソンの「がらくた」: 階級を産む奇妙な地誌学 
Thomas Jefferson’s Rubbish: A Curious Topography of Class
大統領としてのジェファーソンの最大の功績は、1803年のルイジアナ買収で国土を倍加
新たな領界を「自由の帝国」と呼び、自由市場経済を目指し、農業を奨励、産業の成長と都市の貧困の機先を制すると期待
ジェファーソン(17431826)のいたヴァージニアは、農業とヒエラルヒーの双方に重きが置かれる社会で、土地、奴隷、タバコが主な富の源泉であり、白人男性の大半は奴隷所有者になることができなかった

第5章     アンドルー・ジャクソンの「クラッカーの国」: 普通人としてのスクワッター
Andrew Jackson’s Cracker Country: The Squatter as Common Man
アメリカ人の1/5が、1800年までにアパラチア山脈とミシシッピ川に挟まれた領土である「フロンティア」への再入植を果たしていたが、そこが空き地であったはずもなく、入植と共にネイティヴ・アメリカンとの熾烈な紛争が発生
独立革命の影響で大半のアメリカ人にとって経済的繁栄は遠くなり、アパラチア山脈越しの西を目指す。不法居住者(スクワッター)人口という地所に紐づけられない人々の群れであり、本国で蔑まれた貧困に陥った人々という徘徊者の一群が合衆国でも再現され、移住性の貧民がその最たるものとされた
連邦憲法でも、公民としての特権を与えられた人々と、国家コミュニティの外側に身を置く「困窮者、浮浪者、逃亡犯」との間に明確な線引きを行っていた
フロンティアにおける貧乏白人居住者の典型的なイメージは、ものぐさなのらくら者の改訂版であり、イングランドの徘徊者そのもの
早期のアメリカは「劣等白人(クラッカー)」の国となり、田舎住まいの多数派が文明開化の周縁の更に外へと散れば散るほど都市生活は少数派の要求だけを満たすことになる
スクワッターsquatterやクラッカーcrackerはともにアメリカの固有表現だが、元はニューイングランド人の「隠語」
ジャクソン(17671845)は西部人初の大統領(182937)で、テネシーのクラッカーという肖像を象られて東部の中傷者の口撃の的となった ⇒ ノースカロライナの西部外縁の過酷な後背地から身を起こし、暴力的な手段によって支配地を拡大、華々しい軍歴によって支持を得た初の大統領となる。僻地訛りの言葉はクラッカー語辞典まで作り出し、クラッカー/スクワッターの権利を熱心に擁護したが、自由土地保有への制限や参政権は困窮者から剥奪され、全成人男性の普通選挙権が最初に実現したのは、米英の元奴隷が建国したリベリアで1839年になってから

第II部         「アメリカの種族」の退化 Degeneration of the American Breed

第6章     血統と「プア・ホワイト・トラッシュ」: 悪しき血、混血、そして泥食らい
Pedigree and Poor White Trash: Bad Blood, Half-Breeds, and Clay-Eaters
ホワイト・トラッシュという呼称は1821年に印刷物に現れるが、広く人口に膾炙する様になったのは1850年代 ⇒ この傾向が明るみに出たのは1845年首都ワシントンにおけるジャクソンの葬送が報道された時のことで、貧者が沿道に溢れかえった
"他と違うものにしたのは、生まれながらの身体的劣性。近親交配率が高く、飲酒と赤貧という二重の常習を通じて自らの身を滅ぼしていた
奇妙なことに奴隷州の被造物で、もはやスクワッター/クラッカーでもなく、プランテーションの縁に住む赤貧の南部人が更に厭わしい「砂丘地の住人Sandhiller」や「泥飯ぐらいClay-Eater」「松林の住人piney」となった
南北戦争前の南部では、ジェファーソンの唱えた「上昇移動」が後退、ジャクソン主義者の称えた勇敢な奥地の青年も姿を消す
非奴隷所有者である白人男性が自由市場経済で成功する機会は奴隷制によって閉ざされ、階級の暴虐の犠牲者としてプア・ホワイトに堕ちていき、南部のみか西部まで拡大
国家の卓越は、血筋と遺伝の諸法則の上にあるという考えが主流となり、自由への愛着や民族の排他性など後天的な特徴は、次の世代に引き継がれるのが当然と見做された
アングロ=サクソンの空想譚を作り上げるにあたり大きな存在感を示したのがテキサスとカリフォルニア ⇒ テキサスでは後の優生政策に繋がる「善きブリーダーの確保のために犯罪者を処置する」案が議会で審議され、カリフォルニアでは奴隷制を禁じる自由州として連邦に加盟したが、ネイティヴ・アメリカンを年季奉公の奴隷状態においても良しとする法案が州議会を通過、2万人近いインディアンの男女子供が奴僕として搾取された
自由土地党の公約の拘りは白人救済にあり、北部の白人労働者が西部奴隷に身を落とさないよう、奴隷所有者を準州から締め出そうとし、南部の非奴隷所有者にも真の自立を約束したが、堕落した血統に苛まれていて無知と従順が農奴以下にしていた

第7章     臆病者、腰抜け、「どん底の連中」: 階級闘争としての南北戦争
Cowards, Poltroons, and Mudsills: Civil War as Class Warfare
ジェファーソン・デイヴィス(180889)1861年南部11州連合の大統領(65)に就任は、「一つの肉、一つの目的」を唱え、生え抜きの血と文化価値の共有を国家の団結と保全の基礎に置き、「アメリカの種族American Breed」という概念を確固たるものにした
北部人を、イングランド内戦で社会階級を蔑ろにされた者ども、即ち「ホームレス人種」の後継者にして、浮浪者や沼人の血筋だと謗り、ともに同じ国を造るとは見做さなかった
階級への腐心は戦中も勢いを失わず、奴隷による軍の増強も考えたが、黒人男性が軍務を通じて色分けされた社会ヒエラルキーという通念を侵食しその境遇を高めることになり兼ねないとして難色
一方で北軍と共和党政治家は、南部のエリートの農園主とプア・ホワイトの間にある途方もない搾取を伴う階級区分を標的に戦略を進め、奴隷を抱える南部貴顕との対決を制することが、奴隷制廃止ばかりか、奴隷とプア・ホワイトの解放にもなるという信念を抱いていた
リンカンはマッドシルから出た大統領として、南部の中傷誹謗の餌食に ⇒ 奴隷州(ケンタッキー)のプア・ホワイトの出だが、共和党は逆手にとって逆襲。リンカンを丸太を挽く柵作りの労働者に喩えた「横木挽きrail splitter」の愛称で呼び、「マッドシルと機械工」を一心に守り抜く男と称賛しながら選挙に臨む

第8章     純血種と「スキャラワグ」: 優生学時代における血筋と非嫡出の備蓄
Thoroughbreds and Scalawags: Bloodlines and Bastard Stock in the Age of Eugenics
1909年全米黒人協議会にて、社会ダーウィニズムに基づく保守的な人種政策を「適者生存」の概念で認めた
似非科学が、遺伝学の仮面を被りつつ、階級と人種の格差をあるがままのものと捉える道筋をアメリカ人の心に敷いた ⇒ リコンストラクション(南北戦争後の南部の連邦復帰を進めた復興期186577)の時から確立され、議論の中心を占めたのがプア・ホワイトと解放奴隷の競合
プア・ホワイトと黒人を同等に扱うという理想にも拘らず、プアホワイトが解放民以下である実態に、共和党も「危険な階級」「低劣な人々」と呼んで眉を顰めた
民主党が予言した脅威は「雑種(市民)」ばかりではなく、降伏した南部を食い物にする貪欲な投機家をCarpetbagger、裏切者で不潔な金儲けのために魂(同胞)を売り飛ばした南部の白人共和党員をScalawagと呼んで警戒
民主党、共和党の双方にとって人種と階級は不可分
赤頸redneckという言葉が広く使われ始めたのもこの頃で、1920世紀初頭にかけ新生南部で注目度を高めていた民主党の扇動政治家に追随する粗野な人種差別主義者を指す
1901年マッキンリー大統領の暗殺に伴い、42歳で思いがけず大統領となったセオドア・ローズヴェルト(18581919、任期190109)は、米西戦争での大胆な軍功で副大統領となったが、ジョージア出身にも拘らず共和党員となって人種間の社会的平等を奨励
ローズヴェルトにとって血は水よりも濃い。人種と階級は依然、進化論的な思索に根差していて、黒人の本然はアングル=サクソンへの従属にあるという確信に繋がる。人種の素養が血によって伝わり、祖先の経験によって決定されるという前提を断じて譲らず、19世紀のフロンティアにおける営為がアメリカ白人を上位の備蓄へと変容させたという「アメリカ例外主義」の熱烈な説明者だった。その標語は「労働し/闘争する/種族」の3語に要約され、劣化した南部プア・ホワイトから善きアングロ=サクソン人の備蓄を分け隔てる山岳民神話の影響を受けているのは明らか。1902年優生学支持を初めて公にし、健康で規律正しい子の世代の種の涵養を行う重要な市民義務を女性が負っていると強く主張、結婚もしくは生殖に関する私権など市民にはないと信じていた
ほぼすべての優生学者が、動物の血統づけのアナロジーをヒトに用い、総人口からの不適格者の選別と隔離を認める法の制定を支援、犯罪者の去勢や病んで退化した階級の断種も要求する運動に発展
1次大戦が優生学運動を活性化 ⇒ 汚染された女性を性的に隔離する政策や、知能検査の重要性を高める
優生学が1920年代の文明を満たし、社会階級は継承可能な潜在性の水準に応じて格付けられた ⇒ 新たに上位を占めたのが専業の「血的熟練者階級master」で、知性の遺伝を信じた
優生学者は、世襲による支配階級の賛美を敷衍しながら、受精の差異に基づく社会階級の組織化にも執心で、聡明な女性は投票権だけでなく、種の涵養/血統づけという愛国的な義務を受容すべきと説く
1920年代は、社会的排他性が科学の仮面を被り、立ち遅れた田舎といや増す雑種という汚点とを恥として見下していた。ホワイト・トラッシュは純色(=ホワイト)ではなく混血

第9章     忘れ去られた人々と「貧しい民衆」: 下降移動と大恐慌
Forgotten Men and Poor Folk: Downward Mobility and the Great Depression
大恐慌期、愛国心と野望と創意の人である北部人が突然職を失い、打って変わって流れ者、囚人、逃亡者となり、「忘れ去られた人Forgotten Man(“社会改良の恩恵から外れた者のことで、フランクリン・ローズヴェルトの32年の演説で一般化した言葉)と呼ばれた
31年落成のエンパイアっステート・ビルがアメリカの剛直さの表彰となるのなら、32年にワシントンで2万人にも上る第1次大戦後に失業した退役軍人が家族を伴って貧民区をつくり、議会に兵役特別賞与の繰り上げ支給を要求し「ボーナス・アーミー」と呼ばれ、フーヴァー大統領が彼らを犯罪者として軍隊による排除を実行したのは衰退期も底の底であることの露呈
大恐慌は、無用/不作と切り離せない ⇒ 無用化された命、不作にされた土地、人類の不作が、予想もつかず避けられもしない"下降移動を暴発。伝統的な貧困の指標が至る所に現れ、貧民区が焼き払われたりして、貧者はもはや余計物とも、「不可触民」とも、ましてや流民とも見做し得なかった
忘れ去られた男女は、1930年代のアメリカ全土を覆った経済的苦闘の強烈なシンボルとなり、多くの人々が特に南部にあって絶えることのないプア・ホワイトに特別な注意を払おうと声を上げた ⇒ 問題は、「彼らをどうすべきか誰にもわからない」ことではなく、「同胞であり、同じアメリカ人である彼らのありのままを誰も知りたいと思わない」こと

第10章  「カントリー・ボーイ」への熱狂: エルヴィス・プレスリー、アンディ・グリフィス、そしてLBJの偉大な社会
The Cult of Country Boy: Elvis Presley, Andy Griffith, and LBJ’s Great Society
プレスリーとジョンソン、奇異な取り合わせだが、歴史的に"とされてきたプア・ホワイト像に挑んだアメリカの代表的人物として共通項がある
1956年全米に旋風を巻き起こしたエルヴィスは、でき得る限り非白人らしく振る舞うべく、音楽様式、煽情的な腹踊り(フーチー・クーチー)、なでつけ盛り上げた髪型(ポンパドール・ヘア)、安ピカ(フラッシー)な衣装まで、黒人そのものを取り入れ、多くの10代の少年がなりたいと思う「山だしのあん畜生Hillbilly Cat」に成り上がった
1963年ジョンソンが98年前の事件(リンカン暗殺)の不気味な再来として選挙を経由せずに大統領となり、公民権や社会改良といった法整備上の課題を積極的に追求したが、南部の澱みさながらのアイデンティティから脱却し、広く社会的平等の実現を期した
LBJ誰よりも称えた政治家はフランクリン・ローズヴェルト。先端技術を好み、第2次大戦前からプロペラ機で州内を遊説、48年の上院選ではヘリコプターを使う初の候補者となって接戦を制し、副大統領時代には国家航空宇宙会議議長として宇宙開発競争への参入を初めて促し、月面への人間の配置を国民的優先事とした。人種差別発言もないどころか、同胞愛と包容を語る
LBJが全国的に脚光を浴びていた頃、テレビで人気だったのが田舎者の登場するシットコムsituation comedyであり、最も人気を集めたのが《Andy Griffith Show》などで、田舎町の父性溢れる世話好きな保安官さながらにフランクリン・ローズヴェルトを追慕したもの ⇒ 現代アメリカが真の坩堝を創り損ねたという疑念に付け入って人気を博した
昔ながらの境界観や偏見の多くが社会の大変動に直面して転向するにつれ、アメリカ人は相変わらずだった自らの強い階級意識を否定し、社会的成層(財産や地位といった属性による社会構成員の相対的区分)というものが、相関する公民権運動と5060年代の文化戦争との染みとされるようになる。そして郊外に家庭を構えることがアメリカン・ドリームを象徴することになり、副大統領時代のニクソンは拡大する住宅供給市場を冷戦外交の遂行における強力な武器と見做し、米ソの文化交流に際し、典型的な農業様式の住宅を選んで展示し、ロシア大衆を啓発しようとした
連邦政府は、郊外という新たなフロンティアの成長を担保し、11世帯を強調しながら1区の最小規模を定めて下層階級を締め出すなど、郊外が階級意識の要塞“の様相を呈していく
アメリカの文化的想像力において重要な位置を占める移動式の家mobile home”トレイラーは、一方で鎖を解かれた自由のシンボルを表しながら、狭く安っぽい限られた生活様式で、文字通り根無し草となりプライヴァシーも消滅 ⇒ 道路を駆けまわるようになった30年代から物議を醸し始め、戦争による深刻な住宅不足に直面した連邦政府が買い上げ、鳴り物入りで供された
「偉大な社会」として知られるジョンソン肝煎りの一連の助成事業は、彼の持つ南部人としてのアイデンティティの一味違う肯定的な異形と位置付けられる
階級はまた、アイデンティティの源泉である土地ともまるで切り離されていなかった
LBJは上院青少年助成事業の催しに出席した学生に向かって、先祖が誰か、肌の色がどうか、小作農の生まれがどうかとは問題ではないと言いながら、それらがすべて問題であることを知り抜いており、内心パワーエリートに囲まれた自分の地位が実質的に保証されていないこともまた織り込み済みだった ⇒ 生まれ育った無愛想な土地からどれだけ離れ、流れ歩いても、階級アイデンティティの消ええない指標が貼られれば、それは永遠について回る

第III部       「ホワイト・トラッシュ」の変造 The White Trash Makeover
第11章  生粋の南部人:『脱出』、ビリー・ビール、そしてタミー・フェイ
Redneck Roots: Deliverance, Billy Beer, and Tammy Faye
階級間の敵意は根強く、南部の郊外居住者の多くには自地域の底辺層をなすホワイト・トラッシュへの共感など毛ほどもない
対極にあったのが1970年当選の際「新しい南部知事」として『タイム』の表紙を飾った民主党リベラルのジョージア人ジミー・カーター
1980年カーターを下して大統領になったのが、南部文化をほとんど理解していないもののイメージづくりには長けていたロナルド・レーガンで、田舎の南部人、普通人、裸足にジーンズの素朴なアメリカ人的イメージというカーターの全表象を排除
トレーラー暮らしから成りあがってレーガンに取り入った保守系宗教指導者ジム・ベーカーとその妻タミー・フェイは、3年後に追随者から金を巻き上げたのが詐欺、共謀などとされ有罪になるが、そもそも南部の出身者でもないのにホワイト・トラッシュ然として周囲を欺いた

第12章  レッドネック、外界へ: スラム風の装い、スリック・ウィリー、そしてサラ・ペイリン
Outing Redneck: Slumming, Slick Willie, and Sarah Palin
198090年代に押し寄せたホワイト・トラッシュ・シック、レッドネック・シックの奔流を、「スラム風の装いSlumming」と呼び、親愛の情の籠った述語にするべくイメージを払拭する動きが活発化 ⇒ レッドネック、クラッカー、ヒルビリーなどがある民族的アイデンティティ、ある人種的形容辞、ある労働者の名誉の識別章を同時に提起するという両義性は残ったまま
アイデンティティの考慮にあって、血統づけが最重要事項であり続けていることには疑いがない
再びホワイトハウスに出てきた南部人が93年就任のクリントンで、アーカンソーでつましく育った少年が苦学して成功し出身州の知事まで務めたのは、間違いなくアメリカン・ドリームで、成功するとヒルビリーでもレッドネックでもなくなった ⇒ 大統領になる過程でつきまとった中傷がこすからいウィリアムスを囃す「スリック・ウィリーSlick  Willie」で、その後にマリファナ喫煙や徴兵忌避、いわくつきの情事などの疑惑が次々と浮上、彼の立志伝には安い南部小説ばりの背景幕がかかっていると看破された
2008年アラスカ州知事サラ・ペイリンを独自のホワイト・トラッシュ候補に擁立した共和党員は、スキャンダルにまみれた二流の女性に過ぎなかったとはいえ、レッドネック女性として初の副大統領に選出、マケインも単なるイメージ効果として人選したことを認める ⇒ 仰天するほどの知識のなさを晒しても恥じらいを表さず、常に自身をアニー・オークリーさながらに位置付け、ホワイト・トラッシュというラベルの帳消しができなかった

結び――アメリカの奇妙な種族: 「ホワイト・トラッシュ」という積年の遺産
     Epilogue: America’s Strange Breed: The Long Legacy of White Trash
建国の父たちは、荘厳な大陸が人口過多を逓減し、階級構造を平らかにして人口動態上の窮地(ジレンマ)を魔法のように解決すると主張
イギリス人入植以来、アメリカ人は階級上の身分の複製をすべて行い、階級差別を繰り返し新たに作り直してきた
アメリカ民主主義は、すべての国民に有意義な声を与えてきたわけでは決してない。国民国家は、元首が人民全体を代表してその代理を務めるという虚構を伝統的に拠り所としてきたが、アメリカの場合、大統領は底深い階級区分の実在を紛らす、共有された価値観に広く訴えなければならず、連帯という不朽のイデオロギーのふりをした欺瞞という代償に突き当たる
「アメリカ国民」を代弁する素振りを見せる政治家の芝居がかった身ごなしが、貧困史に光を当てることはない。底辺層はどこにでもいる。貧者の状況を改善する試みがなされたときに起こる過激な反発もまたアメリカの一部
階級は、現実の人々の生き方を定義する
南北戦争は、人種と階級の両ヒエラルキーを支えようとする闘い
自然の法則によって実力主義が人為的な貴顕に取って代わると考えられ、それは同時に人類の失策を異種や劣等種族に結び付けることや、そうした失策を特定の必然性に帰することを人々に許容していた。人類の雑草は除去されねばならないのだから、不法居住者がインディアンの土地を侵害する入植者の第一波として利用されたのち、高所得者農家の到来を汐に追われ、やがて境界の警備が人種隔離法へと拡大、更にその後は近代的郊外の創造を通じて籾殻から小麦を選る土地区画法にまで発展。入念に計画された町や近隣地区で資産価値が調整される道筋に従って、階級の壁が打ち建てられた
アメリカ社会は占有する土地の価格でいまだに人の値打ちを推し量る。立地がすべて
独立革命がもたらした旧世界の貴顕への憎悪とは裏腹に、アメリカ人がその元の社会の流儀をもって今なお富を譲渡する一方、現代ヨーロッパ諸国が人民に一層多くの社会サービスを提供しているのはいかにも皮肉で、平均するとアメリカ人は財産の50%を子に残すが、社会移動の盛んな北欧諸国ではデンマークで15%、スウェーデンで27%に留まる
上昇移動と同じだけの下降移動がみられるのは、アメリカの国土に自由市場がなかったからで、階級システムがパイオニアの集団に付着したまま国土へと持ち込まれ、富者への優良な国土分配を差配し、貧しいスクワッターを締め出した
呼び名は変わっても、彼らの存在は消えない
自らの力を頼りに上昇する真の可能性が、いついかなる時にもあるとする一方で、身を立て損なう人々もまた、文明としてのアメリカ人の偽らざる一部
ホワイト・トラッシュとは、アメリカ国民の説話をつなぐ核心。こうした人々の存在自体が、知ろうとも思わない隣人に与えた移ろいやすいラベルにアメリカ社会が執拗に悩まされる証拠になっている。彼らはわれわれの誰かであり、好むと好まざるとにかかわらず、ずっと我々の歴史の基部であり続けてきた


解説            渡辺将人
ホワイト・トラッシュとは、英語でPWT: Poor White Trash。アメリカの貧困層に属する下層の白人のこと。1850年代に本格的に定着したアメリカ英語
「ホワイト・トラッシュ」をモチーフにしたアメリカ階級史を解剖する本書は、その刺激的内容からも大きな反響を集めた
本書を貫く「アメリカには白人最下層の階級が常に存在」するとの主張が明らかにされる
I部はホワイト・トラッシュの由来。イギリスの下層民だった身寄りのない孤児、年季奉公人などが新大陸ヴァージニア植民地のジェイムズタウンに送り込まれた
「貧者を海外に移住させるというイギリスによる植民地政策の結果、アメリカの階級に対する考えが条件付けられ、永久に刻み込まれた」と言った建国の父ジェファーソンやフランクリンの本音を丹念に検討
II部では、南北戦争を階級闘争と捉え直し、南部の貧しい白人の疎外化を詳述。彼らは優生学の標的にもなったが、他方でニューディール政策、ジョンソン政権の「偉大な社会」に救済される存在でもあった
III部では、ホワイト・トラッシュが現代においてメディアの表象として変造、再生産される過程が映画、テレビ番組から、プレスリーのようなアメリカ史を代表する芸能人、クリントンやサラ・ペイリンなど現代の政治家まで、ホワイト・トラッシュの象徴を巡る分析として縦横に展開
本書は、トランプが勝利する直前の16年夏に刊行されたため、トランプ支持の白人労働者層についての解説書であることを期待され、それが突如として「話題の本」となった背景にあることは否めないが、遥か前から温められていた課題でもあり、結果として絶妙な共時性を伴って世に出た経緯は興味深い ⇒ 初期アメリカの建国者に精通した歴史家が、その延長で取り組んだアメリカ階級論である
著者の狙いは、白人下層の存在を歴史的底流として1本の線で描き切ること
下層白人が植民地にいたことは学術的に新事実ではないし、アイルランド系など後続の白人移民へのネイティヴィズムによる排斥、都市白人労働者の苦悩の歴史も既知の領域。アメリカの経済格差が深刻なのも周知のとおり。だが、それが決して近年、ましてやトランプ台頭前夜に起きた現象ではなく、アメリカ独立革命以前からの入植に付随する建国以上の古い歴史があることの解明に本書の真骨頂はある
本書は、アメリカ例外主義を自明視するアメリカ国内の歴史観への部分的な挑戦でもある
アメリカ例外主義とは、アメリカがその成り立ち上、他国と異質な存在であるという概念で、自由、平等、個人主義、民主主義などの「理念」に体現される信条。
「ごく往々にしてないことにされてしまいがちなアメリカのアイデンティティに関わる何か」を抉り出そうとする著者は、アメリカ人は階級を論じず「無階級社会」を装っていると考える。なぜホワイト・トラッシュが忘れ去られた民として埋もれてきたのか
政治の現場では、アメリカ市民の属性上の「差異」が「ないもの」として扱われたことはなく、むしろ有権者の投票を誘い込むうえでの鍵になってきたが、そこでも下層白人は「見えない」存在。選挙現場にはアウトリーチと呼ばれる属性ごとの集票対策がある
ホワイト・トラッシュは、貧しい下層階級としては可視化を阻まれている一方、「文化」としては奇妙な存在感があり、貧困は人間が統制不能な自然の仕業であり、押し付けられた「相続」だとして「文化」として定着。「レッドネック」(農作業で日焼けした赤い首)と同じく侮蔑語だが、自らの育ちを卑下しつつも愛着ある文化として称揚する複雑な含意も皆無ではない。食文化に現れることが少なくなく、『ホワイト・トラッシュ・クッキング』はコレステロール値には悪そうだがどこか懐かしいシンプルなレシピが受けて版を重ね、ウェストヴァージニア州のおふくろの味を紹介した『ホワイト・トラッシュの宴会」も南部への愛郷心を掻き立てた
彼らを取り込むアウトリーチはトランプ以前から共和党に存在。その穏健なポピュリズムを支えたのは民衆的な政治家を好むアメリカの反知性主義であり反エリート主義。経済的に富裕な少数の利益を代弁するレーガニズムに象徴される保守ポピュリズムが80年代以降、経済的に質素な白人層を共和党支持層に巻き込んできたのは文化争点で、保守派は人工妊娠中絶や同性愛問題を争点化することに成功。共和党が内部の接着剤に使用したのは、文化争点を巡る価値観による連帯で、経済格差や最下層の存在は置き去りにされた
他方、ホワイト・トラッシュは、あまりに粗野で無教養という烙印を押されてきたため、嘲笑の標的にされることが正当化。94年元アーカンソー州の女性職員がクリントンと性的関係にあったと暴露した際も、その女性が典型的なホワイト・トラッシュとみられていたために、クリントン側は証言の信憑性を崩す作戦で返り討ちにした。ホワイト・トラッシュである限り、女性蔑視的な発言も政治的には有効で、クリントン自体が「初の黒人大統領」の異名も得たホワイト・トラッシュ性を纏う生粋の南部人だったから許される反撃だった
アメリカの人種問題史もホワイト・トラッシュと不可分の関係にある。黒人奴隷は解放後も人種隔離政策で差別されてきた。アファーマティヴ・アクション(積極的差別是正措置)もアメリカでは奴隷制に対する贖罪が源で、「多様性」のための制度ではなかった。同制度と公民系運動を経て、アフリカ系が政治的にはアメリカの弱者の代名詞として「マイノリティの主流」となることで、白人の中の階級差は一層目立たなくなった
16年の大統領選におけるトランプ支持層の怒りの下地には、オバマに対する白人下層の不満も堆積。グローバリゼーションによる産業構造の変化と経済的な苦境に、人種観念が融合しての発火。厳密には奴隷の子孫としての黒人大統領はまだ誕生していないが、オバマという初の「アフリカ系」大統領の誕生は、アメリカ史において真に取り残された下層としてのホワイト・トラッシュ認識を強めた。カーターがイギリス名門の血を引いていることも指摘し、政治的代弁者としてのホワイト・トラッシュ出身の現代的な大統領には議論の余地がある
ホワイト・トラッシュは定義を緩めると、アイルランド系などを含むカトリック信徒にも広がる。南部白人はかつて民主党支持だったが、「永遠の隔離政策」を叫ぶウォーレスが台頭する中、共和党に鞍替え、民主党内では文化的進歩がさらに拡大し、南部や中西部の下層白人との不協和音が目立つ。民主党の「大きな政府」の恩恵を期待してきたホワイト・トラッシュは文化面で共和党に親和性を持ちながらも、エスタブリッシュメント政治との距離は遠く無党派的になり、経済的には相も変わらず往年の地位に停留を迫られてきた
アメリカでは領主も小作も不在、真の意味での右翼も左翼も不在でロック的な自由主義だけが基礎、政治のスペクトラムも極めて狭い。反共的な下層白人が労組を嫌悪し、自らの経済的な苦境を再生産している悲劇がある
アジア系移民の多くは後に「モデルマイノリティ」として社会的上昇を実現。労働力としての価値を除けばかつてはアメリカの「余計物」だったアジア系の「成功」はどう解釈すべきか。いずれも過酷な労働や差別を経験してきたが、その歴史的な「古さ」と社会移動の幅の狭さの不均衡の度合いではホワイト・トラッシュは例外的かもしれない
アメリカ政治の文脈における「弱者の中の主流」の席を巡る歩みはどうなるのか
本書で言及される下層白人が、他のマイノリティや弱者とどのような関係性を築くのか
いつまでもホワイト・トラッシュであり続けるのか、そのアイデンティティは歴史的に「主流」の弱者であるアフリカ系、新しい移民層らとどのような共存の道を模索できるのか、あるいは分断の亀裂を不可逆的に広げるのか


(書評)『ホワイト・トラッシュ』『壁の向こうの住人たち』
20191120500分 朝日
 共感阻む「分断と格差」を越えて
 米国は、格差社会である。ティーパーティー運動やウォール街のオキュパイ運動のように、「持たざる者」による抗議も少なくない。それなのにトランプの当選後、白人貧困層の苦境が新たな発見のように注目されたのはなぜか。それは、米国は平等な国だとの認識ゆえに、社会階級による分断が見逃されているからではないか。
 目をさます時だと歴史家アイゼンバーグはいう。米国では、身分の高い「貴顕」から年季奉公人や奴隷まで、階層秩序が当然視されてきた。英国から渡った貧者や無用者は底辺に止(とど)まる一方、ジェファーソンら郷紳(ジェントリー)は、人間も動物と同様、優れた血統を涵養(かんよう)すべきだと考えていたのである。
 人種主義や優生学が階層秩序を補強した。白人貧困層は、奇妙な肌の色をした無知で退化した種族と見られた。1927年には、「無価値な階級」の増加を抑制するために断種を勧める最高裁判決が出されている。その間、侮蔑の言葉も多く生まれた。山出し(ヒルビリー)、赤頸(レッドネック)、泥食らい(クレイイーター)……。著者は文化から政治まで、脈々と流れる差別意識を暴いていく。
 説得的だが戸惑いも強い。一体、ここまで激しく侮蔑される人々とどう向き合えば良いのだろう。彼らとの対話は可能だろうか。
 この問いに挑戦したのが社会学者ホックシールドだ。彼女が調査に赴いたのは、石油化学工業の膝下(しっか)でティーパーティーの強いルイジアナ州南西部。環境汚染がひどく、無謀な掘削で家が陥没する被害が出ている場所である。連邦政府による規制や支援を最も必要とする人々がなぜ、政府の介入を嫌うのか。進歩派の著者と彼らとの間にある「共感を阻む壁」を越えることはできるのだろうか。
 丹念な調査を通じて著者が気づくのは「ディープストーリー」、つまり「心で感じる」物語の存在だ。それによると、人々は山頂には米国の夢(アメリカンドリーム)があると信じ、長い行列に辛抱強く並んでいる。長時間労働に耐え、健康を害しながらも教会や家族で助け合う。ところが前に割り込む者がいる。それは、連邦政府が優遇する黒人や女性、移民だ。人々は反発し、優遇政策をとる政府を敵視する。たまらないのは、抗議する自分たちが差別主義者と蔑(さげす)まれることだ。
 共感しながらも、著者は左派にもディープストーリーがあると語る。それは富裕層を構成する1%によって、自分が大切に思う福祉政策や、学校や図書館などの公共空間が破壊されるという物語だ。もしかすると、グローバル資本主義に翻弄(ほんろう)されている点では、右派と左派との間には思いのほか共通点があるのかもしれない。共感を阻む壁を越えようとする著者の芯の通った楽観主義が光る本だ。
 評・西崎文子(東京大学教授・アメリカ政治外交史)
    *
 『ホワイト・トラッシュ アメリカ低層白人の四百年史』 ナンシー・アイゼンバーグ〈著〉 渡辺将人監訳 富岡由美訳 東洋書林 5184円
 『壁の向こうの住人たち アメリカの右派を覆う怒りと嘆き』 A・R・ホックシールド〈著〉 布施由紀子訳 岩波書店 3132円
    *
 Nancy Isenberg ルイジアナ州立大教授(歴史学)。著書に『堕(お)ちた創始者:アーロン・バーの生涯』A.R.Hochschild カリフォルニア大バークリー校名誉教授(社会学)。著書に『管理される心』。

更新日:20181229 / 新聞掲載日:201914日(第3271号)
トランプ現象予言の書
落ちこぼれの「くず」たちの「もう一つのアメリカ史」


今でも強烈に覚えているシーンがある。
アメリカの大学院で学んでいた際、指導教授の学部生向けの授業にもぐりこんだ時の話だ。アメリカの有権者の投票傾向について、教授が次のような質問を発した。
「共和党の支持層と民主党の支持層はかなり固定化しているが、それではどちらの党でもない第三政党や無党派に投票する人はどんな人だろうか」――
「ホワイト・トラッシュ
即座に白人の男の学生がふざけて答え、教室ではどっと笑いが起こった。
あえて周りを見回すと私以外はすべて白人だった。私立の裕福なエリート大学で、奨学金で入った私以外はいかにも良家の子女ばかりだった。
このとき「白人のくず」というこの言葉の意味が皮膚感覚的に分かった気がした。
「無学」「変わり者」「田舎者」「貧乏」「差別主義者」などのニュアンス。太っていたり、汚い身なり、さらにはマナーがなっていないというかっこ悪さ。さらには「白人なら、もっとしっかりとしているべきなのに」という同じ白人からの蔑みの言葉でもある。
差別意識にあふれている言葉だ。「白人でもない」アジアからの留学生にとっては、笑いの輪に入れなかったのはいうまでもない。
日本人の読者にとっては、本書の「はじめに」に登場するグレゴリー・ペック主演の名画『アラバマ物語』に登場するユーエル親子がピンとくるかもしれない。貧しい白人で、無実の罪で黒人を貶めようとする実に憎らしい存在だ。黒人を助ける弁護士役のペックとその娘の「正しい白人親子」とは対照的に描かれている。
本書が目指しているのは、この落ちこぼれの「くず」たちの「もう一つのアメリカ史」を読み直そうという試みである。アメリカ建国から現在に至るまでの歴史を振り返りながら、淡々とリズミカルにその時代の「ホワイト・トラッシュ」的な要素を明らかにしていく。
著者ナンシー・アイゼンバーグは、「ホワイト・トラッシュ」の総本山ともいえるルイジアナ州で歴史学を教えている。アメリカの歴史学者の著作の多くは読みやすく流れがある。「ヒストリー」は人々の「ストーリー」だ。この本も「ホワイト・トラッシュ」的な人物がいかに「ホワイト・トラッシュ的」であるか、一気に読ませていく。
特筆したいのは、アメリカの読者には自明のことだが、日本の読者にはわかりにくい「ピルグリム(21頁)」「リコンストラクション(232頁)」「カーペットバガー(241頁)」「フーバーヴィル(274頁)」「ガッチャ・ジャーナリズム(390頁)」などのアメリカの歴史や社会の用語や事項について、原註(こちらも詳細)にはない脚注で示されている点である。脚注を読んでいるだけで楽しい。アメリカに精通している北大准教授の渡辺将人氏が監訳者としてかかわり、様々な工夫がなされた結果であろう。
この本にはもう一つのアメリカがある。異端ではあるが、無名の人物を論じるわけではない。ジェファソン、ジャクソン、リンカンから始まり、現代ではジョンソンやクリントンまで、アメリカ史ではおなじみの人物たちの「ホワイト・トラッシュ的」な要素が論じられていく。「ホワイト・トラッシュ」の舞台は、どちらかいえば南部から中西部である。つまり、南北戦争の負け組である。その敗者から皮肉を込めて勝者たちを眺めていく視点も欠かさない。
主流のアメリカの歴史家や政治思想家は「アメリカには階級はない」と論じてきたが、アイゼンバーグは、意図的に「階級」という刺激的な言葉を使い、「ホワイトトラッシュ」側から見た世界観を描き出す。
いまのアメリカのホワイト・トラッシュ的な要素を代弁する人物である2008年大統領選での共和党副大統領候補サラ・ペイリンの描写には特に力が入っている。ペイリンは、アラスカという田舎中の田舎の出身で、国際情勢が分かっておらず、知性にもモラルにも欠ける。極めて派手好きで目立ちたがり屋でもある。ペイリンを支持する層はさらに野卑だ。
アメリカの白人インテリにとっては最も自分と同一視されたくない白人がペイリンだろう。
原著の出版は2016年夏。そう、あのトランプが勝利した大統領選挙の渦中だ。それもあって、この本はトランプ現象そのものを扱ってはいないものの、トランプ支持層を読み解くためのヒントとしてアメリカでは広く読まれた経緯がある。その意味で本著はトランプ前にかかれた予言の書でもある。
ペイリン的な土壌に乗ったのが、ドナルド・トランプであるのはいうまでもない。トランプはおそらく選挙戦から現在に至るまで、自分の中のホワイト・トラッシュ的な要素をおそらく最大限に濃縮させ、支持固めを進めてきた。
敗者は勝者に、端役は主役になった。この世界をぶっ潰したい思いに駆られてこの本を読み進める人もいるかもしれない。見たくない現実として批判の対象として読む人もいるだろう。
著者の意図は何か。冒頭の学生たちのような「変な奴らを笑い飛ばそう」という皮肉ではない。一方で、貧しいものを救済しろといった道徳的な糾弾のドキュメンタリーでもない。階級を論じていても、社会主義的な経済闘争を論じているわけではない。異端をもう一つの視点で紹介することがポイントである。その意味では実にうまく成功している。ただ、異端の救済が論じられているわけではなく、そのゴールは見えにくい。
トランプ大統領やその政策が異端の救済なのか。その答えが分かるのはもう少し先だろう。




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