魔境のオーケストラ入門  齋藤真知亜  2020.3.25.


2020.3.25. クラシック音楽を10倍楽しむ 魔境のオーケストラ入門

著者    齋藤真知亜 1962年東京生まれ。藝大付高から85年藝大を首席で卒業。同年藝大オーケストラ定期演奏会のソリストに選出。86NHK交響楽団入団。99年からリサイタルを毎年開催(自主企画リサイタルのシリーズ「Biologue)。独特なプログラミングや演奏スタイルによりファンを増やす。06年から東京音楽大の教授陣とともに弦楽四重奏団Quattro Piaceriに参加。ショスタコーヴィチ全曲演奏を中心とした活動が注目を集め、10年に第65回文化庁芸術祭音楽部門大賞受賞。現在、NHK交響楽団第1ヴァイオリン奏者、東京音大兼任准教授。ジュニア・フィルハーモニック・オーケストラで若手の育成に注力。妻はピアニスト

発行日           2020.1.5. 初版第1刷発行
発行所           ベストセラーズ


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“Nの愛称で知られる、NHK交響楽団。1986年に入団し、今日までヴァイオリニストとして活躍してきた著者による、初めてのオーケストラ本です。どうしても堅苦しく、格式が高いイメージで捉えられがちなクラシックの世界を、演奏する側の気持ちを交えて分かりやすく解説します。演奏時の楽団員それぞれの役割や、ステージ上で感じる緊張など、オーケストラの一員である「オケマン」目線で本音を綴り、コンサートや音色の新しい楽しみ方を提案。「知れば知るほどもっと奥へと分け入りたくなる、秘境にも似た魅力」と著者が語る、クラシックの世界をお楽しみください

表紙裏
音楽への熱い思いを除けば、オケマンは皆さんとまったく変わりません。笑ったり、悩んだり、傷ついたりしながら日々を過ごし、さまざまな感情を抱えながら演奏しているのです。それはクラシック音楽の作曲家も同じです。クラシック音楽には、英雄をたたえる壮大な曲や、故郷の大地や自然を思う優美な曲がある一方で、最愛の人を亡くした悲しみを表現した曲や、恋人への切々とした思いがモチーフになっている曲もあります。今でこそ「偉大な」と形容される作曲家たちも、恋して悩んでフラれて傷ついて、そんな思いのたけを思いっ切り音楽で表現してきました。それが時代を経て、クラシック=古典と呼ばれているのです。こんなふうに、オケマンの生態やクラシック音楽の裏話について話したのが本書です。


はじめに
一昨年末までは「フォアシュピーラー(次席奏者)」という肩書も。後2年余りでN響の定年
いつもいろんな人に話していることをまとめたのが本書
クラシック音楽の世界の魅力に触れていただく方のために、オケマンが裏側からの景色を伝えることが役立てば、と考えた

第1章     知られざるN響の世界
l  新人オケマンには、とにかく時間がない
オーケストラは、クラシック音楽の演奏家として生きていきたい人にとって魅力的な就職先。固定給がある仕事はほかにない
N響に就職。卒業後の1年は「契約楽団員」として見習い。楽譜のコピーと製本には苦労

l  演奏会中心に決まるオケマンのスケジュール
NHK傘下には東京放送交響楽団があり、クラシック専門がN響、それ以外は東管
定期は、3,7,8月を除く毎月1回、3プログラムで各2ステージの27公演(54ステージ)

l  オーケストラの給料事情
完全な月給制。有給休暇も普通。楽器による差異はない。コンマスなどの肩書手当はあるが、それ以外は年齢、在籍年数にスライド

l  つわもの揃いのオーケストラ
楽団員は自由奔放、統一感のかけらもない

l  新人はいつも見られている
定年までいれば、人生トータルで平等になるのがオーケストラで、優遇されていても不遇は必ず来るし、恵まれていないと思ってもいつかチャンスは来る

l  オーケストラはプロの音楽職人の集まり
N響に入団してもスタジオ・レコーディングのアルバイトを辞めなかったのは、先輩たちには新人類として理解不能

l  オーケストラは仲良し集団ではない
日常的なチームワークは不要
オケマンにとって大切なのは、指揮者の要望に対し、完璧に応えること
楽団員仲間でも音楽表現を巡って議論を戦わせることはほとんどない。議論よりその場での実績がものをいう
オーケストラがまとまるのは、仲がいいからではなく、11人が高い技術とプライドを持つ職人集団だから
楽団員同士の結婚はほとんどなく、パートナーも音楽家というカップルも少ない

l  オケマンたちの個人活動
重要な課外活動に、仲間と組んで室内楽を演奏したり、リサイタルを開いたりという、個人の音楽活動がある
入団2年目で第2ヴァイリンから第1に配置転換、大きなステップアップになる予定だったが、スランプに陥る。第1のほうが音符の数や音楽的な露出部分が多いので、第2より音域が高く、楽器の構え方も少し違う
知らず知らずに誰かに頼る習慣が身に付いたのが原因で、それに気づいてN響の若手で「東京ユースカルテット」を結成

l  救世主すぎやまこういちさん
もともとラジオやテレビのディレクターだったすぎやまこういちが、70年代から歌謡曲やアニメ音楽を手掛けるようになり、86年にゲーム「ドラゴンクエスト」の音楽を手掛けてからはオーケストラを中心に活動。N響が「ドラゴンクエスト」の音楽レコーディングを請け負い、著者も第2ヴァイオリンで参加したのが縁で、声をかけてもらったことがあった
6年後にすぎやまから、ビートルズのアレンジCDの再録盤の演奏を東京ユースカルテットで演奏してほしいとの依頼があり、日本で初のビートルズをクラシックにアレンジしたアルバム《弦楽四重奏曲 ザ・ビートルズ》となり、90年発売され、自分の名前もクレジットされた
それを機にすぎやまと一緒の仕事がいくつか入ったが、ドラクエで人気絶頂のすぎやまだけにプラチナチケットで忙しかった

l  成長したい、目立ちたい
純粋に表現活動のために個人活動しているオケマンは少なくない
室内楽は、演奏家にとって必要不可欠のジャンル
誰かと音を合わせるのは演奏家の習性であり、「やりたがり」が多く、誰かに聴いて欲しい

l  副業をセーブして初心に帰る
40歳を超えたところ、無茶な毎日を反省、本当にやりたいことをやるようになる

l  N響の楽器事情
若い頃からン千万円もする高額な楽器を使用
N響には名器を持つ人が多いことが知られている

l  美術品としてのヴァイオリン
使ってこその楽器で、美術品として使用せずに保管しておくと、胴体が振動しなくなる
パガニーニ国際コンクールでは、1位になるとパガニーニが弾いたグァルネリの「カノン砲」を弾く栄誉にあずかるが、普段は美術館に飾られているので、音を出すのに苦労するという

l  ヴァイオリンの価格が高騰したワケ
高騰したのは、つい最近のこと。バブル景気の頃に急騰した
価格高騰の煽りを受け、音楽的成長の余地を狭めかねない

第2章     こう聴けば、オーケストラは10倍楽しくなる
l  オーケストラはナマで聴け
ナマならではの感動が得られる ⇒ 空気の振動や音の圧力が感じられる

l  演奏会はお菓子工場のようなもの
l  ナマだから出合えるハプニング
N響最大のハプニングは、2004年の定期演奏会のこと、指揮者のアシュケナージが指揮棒を左手に刺してしまい、前半を終えたところで病院に直行、後半はコンマスの弾き振り

l  演奏会を楽しむには予習が肝心
l  オーケストラの実質トップ、コンサートマスター
l  戦うコンマス
l  優秀なコンマスは世界中でひっぱりだこ
ある種のカリスマ性や、みんなが納得する特別な才能が必要

l  コンマスの意思を全体に伝えるフォアシュピーラー
1ヴァイオリンでは、コンマスをフォローする次席奏者を「フォアシュピーラー」と呼ぶ
N響には5人。うち最低3人は公演に出る。コンマスの考えを忖度しながら、オーケストラ全体にその雰囲気を伝えるのが仕事

l  N響史上初!? フォアシュピーラーに2度なった男
若手で抜擢されたため、気負い過ぎて空回り、自分の演奏にも支障が出て12年でクビ
44の時、順番で押し上げられ、爾来一昨年末まで132度目のお務め

l  フォアシュピーラーを退いた理由
1810月の定期で92歳の桂冠名誉指揮者ブロムシュテットの指揮でマーラーの1番《巨人》を演奏した時、生涯に数回あるかないかの感動的演奏ができ満足して後進に道を譲った

l  指揮者とオーケストラの微妙な関係
いろいろなタイプの指揮者と演奏することでオーケストラの能力の幅が広がる
オーケストラの人間にとっては、指揮者の名声やパフォーマンスは関係ない ⇒ 聴衆とオーケストラで指揮者に対する評価が異なる例はサヴァリッシュ。64年の初来日以来毎年指揮をしてきたが、「調教師」と陰口が叩かれるほど、指揮棒1本でテンポと音程を完璧にコントロール。指揮者が完璧であればあるほど、オーケストラは受動的になり、演奏は硬くて地味な印象になるので、聴衆にとっては飽きる

l  指揮者に必要なカリスマ性とは
オーケストラにとっては、コンセプトが明確で、迷わず安心して演奏できるのがいい指揮者
強烈な印象を残したのは、93年初共演のスヴェトラーノフ。圧倒的な存在感で、チャイコフスキーの4番は、N響の新境地を拓く名演となった
楽譜に指揮者の指示を書き込むので、演奏中は楽譜を見ながら弾く
楽譜は楽壇の所有物なので、本番が終わると個人的な書き込みは原則消して返却

l  絶大な権力を振るうシェフ
マリインスキー劇場管弦楽団(旧キーロフ管弦楽団)とゲルギエフの関係
人事権まで握ってオーケストラの運営に深く関わる指揮者のことを「シェフ」と呼ぶ
オーケストラを自由自在に操るスーパー指揮者

l  暗黙の連携で動くチーム
仲間としての信頼関係や結びつきから生まれるチームワークとは全く異なる、芸術家同士のコラボレーションがオーケストラというチームの仕事

l  オーケストラは「あっち向いてホイ」
コンマスの指示に瞬時に反応して演奏をすると同時に、常にコンマスの動きを予想しながら演奏する、感応力とか予知能力が必要

l  支えてくれるファンがいてこそ
l  オーケストラは儲からない

第3章     音楽人生の扉が開かれた
l  ヴァイオリニストになるために必要なこと
専門教育を可能な限り早くスタートさせること

l  プロになるには偶然の重なりも必要
家庭環境も重要。毎日欠かさず訓練するように子供を習慣づけるのは親の熱意

l  3歳でピアノをはじめ、6歳でヴァイオリンに出会う
l  わかり始めると次から次へと弾けるようになる
l  僕の背中を全力で押し続けた母の思い
l  井の中の蛙、ヴァイオリニストを夢見る
l  コンクールで自信を木っ端みじんに砕かれる
l  オーケストラの人間になりたい
藝高に最下位合格して、お祝いにヴァイオリンの先生からもらったユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア交響楽団でアイザック・スターンのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が目玉だったが、後半の《ダフニスとクロエ》に大きな衝撃を受け、オーケストラの演奏に鳥肌が立って、オケマンになろうと決心

第4章     国内最高峰の芸術学校で学ぶ喜びと憂鬱
l  挫折と挑戦の藝高生活
78年藝高入学、国内唯一の国立音楽高等学校
最初に学んだことは、「音楽家に心がきれいな人は、まずいない。むしろ人1倍人間臭い」

l  2の夏に訪れた人生の危機
6月の前期実技試験で最下位となり、人づてに聞いた「ポンコツ再生工場」に行く

l  真知亜少年、闇弟子になる
l  技術伝承に必要不可欠な師弟の絆
学校に内緒で外の先生につく

l  厳しいけれど楽しかったレッスン
l  音高生の日常
l  セーフティの技術を持て
どれだけ練習しても間違えることはあるので、その時速やかに対処できる技術が必要。そのためには「耳の力」と「集中力」を鍛え、自分が鳴らした音を自分から聴きに行く姿勢を持つ

l  藝高は藝大の予備校!?
一般大学と同様共通1次から始まる
個別入試は、1次が音階とエチュード、2次で課題曲、3次で専科以外のソルフェージュ、副科のピアノ。その都度合格発表

l  音大は演奏家養成所ではない
藝大の教育方針は、演奏の技術よりも音楽を通じて教養を深めることや、教師として優れた人格者であることを重視

l  音大生のバイト事情
オーケストラのエキストラ ⇒ 正規の楽団員が休んだ時の代役
アマチュアオケなら15千円
スタジオレコーディングは4,500/

l  バイトの現場が育ててくれた
l  再び闇弟子になる
前の闇師匠が藝大の表の教授として指導教官になってくれたが、あまりに派手さばかり追い求めていたため、オーケストラに入るためにN響の第2ヴァイオリンの奏者の闇弟子となって基礎を学び直す ⇒ セヴシック(ヴァイオリンの基礎を書いた教則本)でボーイングやフィンガリングをさらう

l  作曲家に寄り添うことの大切さ
楽譜の再現=プロの演奏家として、楽譜をどう理解し演奏に生かすか。そのためには作曲家の意図を汲み取り、楽譜を着実に守ることが重要

l  プロの洗礼を受けたN響体験
l  自分の未熟さを思い知る
闇の師匠の誘いでN響のエキストラに出て、プロの実力を知る

l  卒業試験で師匠に恩返し
卒業試験は公開、各専攻のトップは4月の定期のソリスト
ユーリ・コニュスというロシアの作曲家のヴァイオリン協奏曲

l  まさかの首席卒業
卒業試験で弾く曲としては品がないといって怒る教授もいたが首席で卒業

l  藝大オケをバックにソロ演奏を披露
ブルッフの《スコットランド幻想曲》

l  舞い込んだN響オーディション
エキストラに出演した縁で、個別のオーディションの誘いが舞い込み、藝大定期でソロを弾く1週間前が本番

l  N響オーディション史上初のハプニング
通常はパートで事前チェックされて皆のOKが出れば、全員の前で弾くのは紹介を兼ねた形式的なものだが、その時はいきなり全員の前でのオーディション
チャイコフスキーの協奏曲を弾き始めたが、突然頭が真っ白になって何を弾いているのか分からなくなり、現が緩んだと勘違いしてチューニングし直して再挑戦
オーディションで受験生がしゃべったのも、笑いが起こったのも史上初めてだったが合格

第5章     オケマンはクラシック音楽を語りたい
l  最近やたらとバッハを弾きたい
原点に返って、純粋に音を追求したいという感覚から、バッハが弾きたくなる

l  時代とともに複雑化するクラシック音楽
バッハは、フーガという同じ旋律が追いかけるように次々現れる音楽技法を好んで用いたが、ベートーヴェンも晩年になって集大成として弦楽四重奏曲《大フーガ》を作曲しているが、バッハへの深い尊敬の念の結晶だろう
多くの作曲家が、ドイツ語の音名で”BACH”と読める4音を使用することで、バッハに対する敬愛の念を示した ⇒ ショパンの《ノクターン第2番》の終わりの繰り返しの部分はバッハバッハバッハと連呼している

l  原点回帰して自分の音楽を見つめ直す
演奏家も、技術の追求から感性的な価値の探求へと変わり、最後は原点回帰によって自分の音楽観を見つめ直し、そこで気づいたことを演奏に表す

l  オケマンがオーケストラで演奏したい曲
ラフマニノフの《ピアノ協奏曲》の出だしや、チャイコフスキーの《ヴァイオリン協奏曲》の中間部は、ソリストも弾かない、オケだけの演奏の醍醐味を味わえる

l  チャイコフスキーは体育会系
チャイコフスキーの《交響曲第5番》もノリがいい

l  しつこさがクセになるブラームス
ブラームスは文科系で、短いフレーズが何回も繰り返されるしつこさが作曲の特徴

l  西洋音楽の総元締め、ベートーヴェン
ベートーヴェンの交響曲は、他の作曲家に比べてそれぞれの曲の完成度が飛躍的に高いが、それは豊かな想像力に裏付けられた創造性があるからで、当時な鍵盤数が少なかったピアノの鍵盤にない音までもが楽譜に書き込まれている
ドビュッシーのように、ベートーヴェンを模倣した作曲家の曲を弾くには、ベートーヴェンに対する理解が必須

l  日本のオーケストラにしっくりくる曲
N響の演奏するシベリウスがしっくりくるのは、同じモンゴロイドの血を引くから?

l  演奏したくない曲もある
シベリウスの《悲しきワルツ》 ⇒ ヴァイオリン4人によるピアニシモのソロで、3人は同じ音を弾き、1人だけが音を動かす。小さくて長い音は苦手

l  都会の作曲家が苦手!?
理解できなくて弾けない曲もある ⇒ シューマンやメンデルスゾーンのように都市文化の中で育った作曲家の曲に多いように思う。血の繋がりを感じる

l  ひとクセある作曲家たち
マーラーは、ティンパニを2セット用いる曲を作ったり、もともと1人で済んでいた曲を2人に変更してみたりと、楽団員を休ませないためにしているのではないかと思えるようなことをやった。楽団員に対し常に高圧的で怒ってばかりいたということを聞くと、思わず想像

l  美しい音楽は懺悔である ~ 曲作りから見え隠れする作曲家の複雑な性格
モーツァルトの《ヴァイオリンとヴィオラのための二重協奏交響曲》は、ヴィオラがものすごく格好良く弾けるようにしているのに対し、ヴァイリンは滅茶苦茶に弾きにくく作曲されているが、モーツァルト自身がヴィオラを演奏する一方で、共演のヴァイオリニストを嫌っていたから
バルトークのピアノの連弾の曲は、教え子の女の子と手が交差するような曲作り
ヤナーチェクのカルテット《内緒の手紙》は、自分の不倫相手に書いた手紙をモチーフにした曲
作曲家の品性が下劣だとしても、作品はどこまでも素晴らしい ⇒ 感情の赴くままに生き、周囲を巻き込んでいることへの懺悔として、美しい曲を書いていたのではないか
演奏家も、美しい音楽を演奏しているからと言って、心まできれいということはなく、身勝手で猜疑心が強く、おかしなことを考えている人ばかり

第6章     もっと知りたいオーケストラの世界
l  オケマンはクラシック音楽のCDが苦手!?
演奏家がCDを聴くのは勉強のため。心を休ませるために聴くのではない
地獄耳が平穏な生活の邪魔になる

l  演奏家に求められる特別な能力とは
絶対音感は、5,6歳ころまでに身につけられる後天的な能力

l  親の熱意がヴァイオリニストを育てる
l  神童なんかいない
l  プロとしてステージで弾くということ
l  お客さまにどうして伝えるかを考え、形にする
l  精神論で演奏者は育たない
l  感性よりも理論が必要
l  過渡期を迎えた音楽教育
l  難題だらけのジュニア教育
l  演奏家よ、孤高であれ
l  心を込めて音に表す
音楽家は何を求めて生きていくべきか
作曲家の代弁者として、作曲家が考えていたことを考察し、理解を深めて、そこで得たものを「心を込めて音に表す」ことを、果てしなく追求する
演奏を究めるために、精神的にも肉体的にも1人きりになって楽譜と、自分自身と向き合って欲しい。「孤高は孤独にあらず」

おわりに
クラシック音楽を楽しめるようになりたいと思ったら、何度か演奏会に足を運んで耳を肥やすしかない。そうやって自分好みの音を見つけていく
以下起きているオーケストラの変化は2つ。1つは、オーケストラ自身の変化で、グローバリゼーションや差別の撤廃などの影響から、オーケストラの本来備えていた個性が急速に失われつつあること。もう1つは「聴く側の変化」で、レコードやCDで聴く音楽と、デジタルで聴く音楽では、音に対する感性が違うので、オーケストラに求められる音のクオリティも変わってくる



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