日の名残り  カズオ イシグロ  2020.3.11.


2020.3.11. 日の名残り
The Remains of the Day     1989

著者 カズオ イシグロ 1954年長崎生まれ。5歳の時海洋学者である父が英国政府に招かれたため家族で渡欧し、以後英国に住む。15歳の頃よりロック・ミュージシャンを目指すが、ケント大卒後イースト・アングリア大大学院の創作科に入学。これが本格的な創作への第1歩。在学中に3つの短編をフェイバー・アンド・フェイバー社の新人作家アンソロジーに発表。82年長編第1作『A Pale View of Hills女たちの遠い夏』。英国文壇で注目を浴び、9か国語に翻訳。86年出版の『An Artist of the Floating World浮世の画家』でウィットブレッド賞、89年本書で英国最高の文学賞ブッカー賞受賞。83年国籍取得。現代の英国を代表する作家の1

訳者 土屋政雄

発行日           1990.7.7. 初版発行           1998.9.30. 10版発行
発行所           中央公論社

プロローグ     19567月 ダーリントン・ホールにて
1年余り前にダーリントン卿からアメリカ人の手に移った館で、執事ともう1人の召使は残るが、他は新規採用するが、少人数で屋敷の管理をするのは難しい中、20年も前に結婚して辞めた女中頭から昔の仕事に郷愁を感じる意味の手紙を受け取る
主人から、アメリカに戻っている間に休みを取って車で旅行でもと勧められ、辞めた女中頭を説得するために休暇を取ることを決断

1日目夜 ソールズベリーにて
初日の夜はソールスベリーの宿に落ち着く
「執事」はイギリスにしかない職業。どんな状況下でも自己を制御できるだけの「品格」が必要で、他の人種では難しい。主人公は同業の父から薫陶を受ける

2日目朝 ソールズベリーにて
父の主人が亡くなってダーリントン・ホールに副執事として来たのは、女中頭が着任した直後。だいぶ年を取って、仕事上のミスが出始め、女中頭の指摘でようやく気付いたのは、父が庭先の茶席で給仕しようとして転倒した直後のこと
23年に、ベルサイユ条約後のドイツに課せられた過酷な講和条件を緩和しようと、内密の根回しのために、20人の各国主要メンバーをダーリントン・ホール集めて3日間の会議を開催。その間に父が倒れ急逝。会議は、大陸のメンバーがこぞってアメリカ代表の欺瞞に満ちた動きを非難して終わる

2日目午後 ドーセット州モーティマーズ・ポンドにて
ドライブの途中でラジエターの水切れで焦げ臭くなり、道端の屋敷に飛び込んで助けを求める。そこで教えられた近くの池で絶景を見る

3日目朝 サマセット州トーントンにて
街に出て朝食をとりながら、近くに銀器磨き粉で有名な町があることを知り、しばしダーリントン・ホールの素晴らしい銀器のコレクションにまつわる思い出を語る

3日目夜 デボン州タビストックの近くのモスクムにて
翌日は会うことになる元女中頭との昔一緒に働いた日々のことを思い出す
その日、今度はエンストで困っているところを村の夫婦に助けられ、その家の屋根裏に泊めてもらうことになるが、偉い人が滞在しているという噂は一瞬にして村中に広まり、夕食後夫婦の家に皆が押し寄せてきて歓迎を受ける

4日目午後 コーンウォール州リトル・コンプトンにて
昨夜の集まりに遅れてきた村の医師がエンストして止まっている車まで送ってくれるというので一緒する間、医師は私が執事だということを見破っており、村人から持ち上げられて否定できずに戸惑っていた私は解放される
昼頃ホテルに到着して昼食を済ませ、元女中頭に合う約束の時間まで待つ間に、かつて女中頭がプロポーズされたと打ち明けられたことを思い出す

6日目夜 ウェイマスにて
昨日の午後この町に着いて2番泊まる
2日前、元女中頭がホテルに私を訪ねてくれたが、会って話してみると、内面のきらめきが感じられなくなっていた。危険な関係にあるのではないかと危惧していた結婚生活は、夫の理解で円満に収まっているし、孫の誕生を前に生き生きとしているのを目のあたりにし、手紙の内容などどこ吹く風といった調子で拍子抜け。ダーリントン・ホールの女中頭に戻ってほしいという願いは諦め、2時間余り思い出話に花を咲かせバス停まで送っていく。最後の別れ際に、元女中頭から、本当は辞めるつもりはなく、執事を困らせたくて言い出したことで、結婚相手も最初は愛することができなかったと打ち明けられる
元女中頭を見送った後、桟橋でかつて小さな館で執事をやっていたという男に出会って話をしていると、残された時間を最大限楽しめと忠告される


訳者あとがき
著者はこの8年に3編の長編小説を発表し、第1作『A Pale View of Hills女たちの遠い夏』(82)で王立文学協会賞、第2作『An Artist of the Floating World浮世の画家』(86)でウィットブレッド賞、今回の本書で英国最高の文学賞ブッカー賞受賞
現代イギリスは多文化社会・多民族社会へ向かっての混乱期にあり、文学界ではアングロ・サクソン以外の作家の仕事が非常に注目されているという。本人も、「生粋の英国人だったら、年齢、作品の数など実績面で、連続受賞は考えられない」と言っているように、少数民族系イギリス人作家として活躍するにはよい時代に生まれたともいえる
著者は、アイデンティティの危機を感じたことはないとも言っているように、渡欧当時人種差別はなく、自らを少しの日本的要素と多くのイギリス的要素からなる混合物であり、混合物としての自分を受け入れている
そうは言いながらも、自分のルーツの1つである日本については、いつも郷愁めいた感情を持ち続けてきたようだ。最初の2作の舞台を、幼いころの記憶にしかないはずの日本に設定したのはなぜか。著者は、「日本という想像の国が永久にこわれてホームレスになってしまう(のが怖かった)。作家になったのも、この貴重な国をとどめておくためだった。私の日本を2冊の本に封じ込め、初めて日本を訪れる気持ちになった」と答えているのは興味深い。イギリス人になり切ってしまうには、やはり感情的いこだわるところがあったと思われる
心の中の日本と折り合いをつけ、最早その喪失を心配しなくてもよくなったイシグロが、第3作では一転、今度は自分のイギリス人性に心おきなく浸りたくなったのもわかる気がする。本作で初めて舞台を自国イギリスに選び、古き良き時代の遺物であり象徴でもある「執事」を主人公に据え、イギリスの偉大な国土を語らせる。イシグロが「過去の、神話的なイギリスに対するノスタルジア」に浸り、それを楽しんでいることは明らか
本書のタイトルは、「過ぎ去った1日を振り返って、その時目に入るもろもろのこと」を意味するが、1語変えて”What Remains of the Day”にすれば、逆に「1日のまだ残っている部分」となり、小説の末尾における主人公の心境に即していえば、「夕方から夜」の意味になる。巧みなタイトルだが、著者自身が考えたものではなく、オランダの女流作家とタイトルを交換したものだという。面白いことをするものだと思う。もともとはフロイトが使った表現で、そこでは「その日1日の名残り、つまり夢」のことだとも聞いた



イシグロ 日の名残り

ハーバードのファイナンスの授業 ミヒル・A・デサイ著
人生の苦悩に向き合う金融
日本経済新聞 朝刊 20181215 2:00 
背負う荷物の重さの意味を考えるとき、『日の名残(なご)り』(カズオ・イシグロ著)に登場する執事と、ファイナンス(金融)理論が結びつく。金融と聞いておよそ人間らしさと異なるものと思う人もいるだろう。しかし金融ほど人間的なものはないとこの本は語りかける。無機質な理論や数式を使うことなく、文学や映画、芸術の物語とリンクしながら話は進んでいく。
https://article-image-ix.nikkei.com/https%3A%2F%2Fimgix-proxy.n8s.jp%2FDSKKZO3894111014122018MY7000-1.jpg?w=300&h=422&auto=format%2Ccompress&ch=Width%2CDPR&q=45&fit=crop&crop=faces%2Cedges&ixlib=js-1.2.0&s=aa8454336a019424f68c2b192f91e121

著者は米ハーバード・ビジネス・スクールで教べんをとる教授だ。金融の知恵がわかれば、人生の苦悩にも挑戦の機会にもきちんと向き合える。そう理解されることで金融業そのものが健全になる、と期待して話した特別講義が本のベースだ。
人生はルーレット。絶対確実なものはなく、だから人は保険をかける。人生の選択肢は金融オプション取引に例えられる。才能ではなく運に支配された結果なら謙虚さが必要になる。
相手が思うとおりに動かず、人間関係のもつれに悩むときには、金融理論の「プリンシパル(私たち)エージェント(代理人)問題」として考えることができる。所有と経営が分離した企業が常に内包する問題で、株主の望むとおりに経営者が動くとは限らず、コントロールもできない。いまなら日産自動車元会長の逮捕事件と重ねる読者もいるだろう。関美和訳。(ダイヤモンド社・1600円)


Wikipedia
サー・カズオ・イシグロ(Sir Kazuo Ishiguro OBE FRSA FRSL、漢字表記石黒 一雄、1954118 - )は、長崎県出身の日系イギリス人小説家1989に長編小説『日の名残り』で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞を、2017ノーベル文学賞を受賞した。Knight Bachelor。ロンドン在住。
l  経歴[編集]
l  生い立ち[編集]
長崎市新中川町で、海洋学者の父・石黒鎮雄(19202007)と母・静子の間に生まれる。祖父の石黒昌明は滋賀県大津市出身の実業家で、東亜同文書院(第5期生、1908年卒)で学び、卒業後は伊藤忠商事天津支社に籍を置き、後に上海に設立された豊田紡織廠取締役になる。父の石黒鎮雄は1920420に上海で生まれ、明治専門学校電気工学を学び、1958エレクトロニクスを用いた波の変動の解析に関する論文で東京大学より理学博士号を授与された海洋学者であり、高円寺気象研究所勤務の後、1948長崎海洋気象台に転勤となり、1960まで長崎に住んでいた。長崎海洋気象台では副振動の研究などに携わったほか、海洋気象台の歌を作曲するなど音楽の才能にも恵まれていた。母の静子は長崎原爆投下10代後半で、爆風によって負傷した。
幼少期には長崎市内の幼稚園(長崎市立桜ヶ丘幼稚園)に通っていた。1960に父が国立海洋研究所英語版)所長ジョージ・ディーコン英語版)の招きで渡英し、暴風によって発生し、イギリスやオランダの海浜地帯に深刻な災害をもたらした1953北海大洪水を、電子回路を用いて相似する手法で研究するため、同研究所の主任研究員となる。北海油田調査をすることになり、一家でサリー州ギルフォードに移住、現地の小学校・グラマースクールに通う。卒業後にギャップ・イヤーを取り、北米を旅行したり、デモテープを制作しレコード会社に送ったりしていた。
1974ケント大学英文学科、1980にはイースト・アングリア大学大学院創作学科に進み、批評家で作家マルカム・ブラッドベリ英語版)の指導を受け、小説を書き始めた。卒業後に一時はミュージシャンを目指していた時期もあったが、グラスゴーとロンドンにて社会福祉事業に従事する傍ら、作家活動を始める。
l  作家活動[編集]
フェイバー社が刊行する『新人集・七』に収められた三つの短篇「不思議に、ときには悲しく」(1980年)、「Jを待ちながら」「毒殺」(1981年)でデビューした。1982年、英国に在住する長崎女性の回想を描いた処女作『女たちの遠い夏』(日本語版はのち『遠い山なみの光』と改題、原題:A Pale View of Hills 王立文学協会賞を受賞し、9か国語に翻訳される。1983、イギリスに帰化する。1986、長崎を連想させる架空の町を舞台に戦前の思想を持ち続けた日本人を描いた第2作『浮世の画家』(原題:An Artist of the Floating World ウィットブレッド賞を受賞し、若くして才能を開花させた。同年にイギリス人のローナ・アン・マクドゥーガルと結婚する。
1989、英国貴族邸の老執事が語り手となった第3作『日の名残り』(原題:The Remains of the Day)で英語圏最高の文学賞とされるブッカー賞35歳の若さで受賞し、イギリスを代表する作家となった。この作品は1993に英米合作のもと、ジェームズ・アイヴォリー監督・アンソニー・ホプキンス主演で映画化された。2019には舞台化予定[25]
1995、第4作『充たされざる者』(原題: The Unconsoled を出版する。2000、戦前の上海租界を描いた第5作『わたしたちが孤児だったころ』(原題:When We Were Orphans を出版、発売と同時にベストセラーとなった。2005、『わたしを離さないで』を出版する。2005年のブッカー賞の最終候補に選ばれる。この作品も後に映画化・舞台化されて大きな話題を呼んでいる[20]。同年公開の英中合作映画『上海の伯爵夫人』の脚本を担当した。
2015、長編作品の『忘れられた巨人』(原題:The Buried Giant)を英国米国で同時出版。アーサー王の死後の世界で、老夫婦が息子に会うための旅をファンタジーの要素を含んで書かれている。
2017ノーベル文学賞を受賞。受賞理由として「壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた」などとされた。
日本の早川書房から出版された小説全8作の累計発行部数は20171014日までの増刷決定分を含めて約203万部。20171023日付のオリコン週間ランキング(文庫部門)では、7作のイシグロ作品がトップ100入りした。
l  人物[編集]
1995年に大英帝国勲章(オフィサー)、1998にフランス芸術文化勲章2018年に日本の旭日重光章を受章している。2008には『タイムズ』紙上で、「1945以降の英文学で最も重要な50人の作家」の一人に選ばれた。作品の特徴として、「違和感」「むなしさ」などの感情を抱く登場人物が過去を曖昧な記憶や思い込みを基に会話・回想する形で描き出されることで、人間の弱さや、互いの認知の齟齬が読み進めるたびに浮かび上がるものが多い。作家の中島京子は非キリスト教文化圏の感受性を持ちながら、英国文学の伝統の最先端にいる傑出した現代作家であり、受賞は自身のことのように嬉しいと述べている。多くのイシグロ作品を翻訳した土屋政雄はイシグロを非常に穏やかな人と述べた上で、いつかするだろうがノーベル文学賞の受賞はもう少し時間がかかると思っていたので今回の受賞には驚いたと語っている。
ボブ・ディラン(昨年の受賞者)の次に受賞なんて、素晴らしい。大ファンなんです」と語った、ピアノやギターを楽しむほかに、ジャズ歌手であるステーシー・ケントのために、ケントの夫でサックス奏者のジム・トムリンソンとともに数曲を共作した。
201869日にKnight Bachelorに叙され、サーの称号を得た。
l  日本との関わり[編集]
両親とも日本人で、本人も成人するまで日本国籍であったが、幼年期に渡英しており、日本語はほとんど話すことができないとしていた。しかし、2015120日に英国紙の『ガーディアン』では英語が話されていない家で育ったことや母親とは今でも日本語で会話すると述べている。さらに英語が母語の質問者に対して、「I'm pretty rocky, especially around vernacular and such. 」など「言語学的には同じくらいの堅固な(英語の)基盤を持っていません」と返答している。最初の2作は日本を舞台に書かれたものであるが、自身の作品には日本の小説との類似性はほとんどないと語っている。
1990のインタビューでは「もし偽名で作品を書いて、表紙に別人の写真を載せれば『日本の作家を思わせる』などという読者は誰もいないだろう」と述べている。谷崎潤一郎など多少の影響を与えた日本人作家はいるものの、むしろ小津安二郎成瀬巳喜などの1950年代の日本映画により強く影響されているとイシグロは語っている。日本を題材とする作品には、上記の日本映画に加えて、幼いころ過ごした長崎の情景から作り上げた独特の日本像が反映されていると報道されている。
1989年に国際交流基金の短期滞在プログラムで再来日し、大江健三郎と対談した際、最初の2作で描いた日本は想像の産物であったと語り、「私はこの他国、強い絆を感じていた非常に重要な他国の、強いイメージを頭の中に抱えながら育った。英国で私はいつも、この想像上の日本というものを頭の中で思い描いていた」と述べた。
201710月のノーベル文学賞の受賞後にインタビューで、「予期せぬニュースで驚いています。日本語を話す日本人の両親のもとで育ったので、両親の目を通して世界を見つめていました。私の一部は日本人なのです。私がこれまで書いてきたテーマがささやかでも、この不確かな時代に少しでも役に立てればいいなと思います」と答えた。なお、ノーベル財団では公式な国別の受賞者リストを出していないという立場であり、公式ホームページにおける出生国による受賞者のリストは便宜上の非公式なものである。ノーベル財団は公式のプレスリリースにおいて「2017年度のノーベル文学賞は英文学作家のカズオ・イシグロに授与された」(The Nobel Prize in Literature for 2017 is awarded to the English author Kazuo Ishiguro.)と発表している。
l  作品[編集]
l  長編小説[編集]
遠い山なみの光 A Pale View of Hills 1982 訳: 小野寺健(1984)
浮世の画家 An Artist of the Floating World 1986 訳: 飛田茂雄(1988)
日の名残り The Remains of the Day 1989 訳: 土屋政雄(1990)
充たされざる者 The Unconsoled 1995 訳: 古賀林幸(1997)
わたしたちが孤児だったころ When We Were Orphans 2000 訳: 入江真佐子(01)
わたしを離さないで Never Let Me Go 2005 訳: 土屋政雄(06)
忘れられた巨人 The Buried Giant 2015 訳: 土屋政雄(15)
l  短編
戦争のすんだ夏 The Summer after the War 1990



P+D MAGAZINE
カズオ・イシグロ、ノーベル文学賞受賞!『わたしを離さないで』TVドラマじゃ伝わらない、原作の魅力。
カズオ・イシグロが2017年のノーベル文学賞を受賞しました。綾瀬はるか主演でドラマ化もされた『わたしを離さないで』について、原作小説を読まないことには伝わらないその魅力を徹底解説します!
20161月から、カズオ・イシグロ原作の『わたしを離さないで』がTBS系でドラマ化され、放送されていました。
イギリスでは、2010年にキャリー・マリガンとキーラ・ナイトレイのW主演という豪華キャストで映画化され、日本では2014年に蜷川幸雄演出で舞台化されるなど、盛んに翻案が行われている人気作ですが、ドラマ化されたのはこのTBS版が全世界で初めての試みだったといいます。
しかし、蓋を開けてみれば、第一回の視聴率がその期ワーストの6.2%という「大コケ」の結果に‥‥‥。そこでP+D MAGAZINE編集部はドラマは好きじゃなくても、「原作を嫌いにならないで」という思いを胸に、カズオ・イシグロという現代を代表する作家の生み出したこの傑作の魅力を、原作を読むことでしか味わえない「語りの面白さ」という切り口から語り尽くしたいと思います。

著者、カズオ・イシグロとは?
作者のカズオ・イシグロは長崎生まれの日系イギリス人作家。幼いころに家族でイギリスに渡り、イギリス人として教育を受けます。長編デビュー作は『遠い山なみの光』(1982年)で、1989年に出版した第3作『日の名残り』が人気を博し、同作でイギリスの権威ある文学賞であるブッカー賞を受賞します。
『わたしを離さないで』は2005年に出版された長編第6作。翻訳者である柴田元幸氏は、「著者のどの作品をも超えた鬼気迫る凄みをこの小説は獲得している。現時点での、イシグロの最高傑作だと思う」と日本語版(土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)の「解説」のなかで語っています。
映画やドラマは映像作品で原作は小説ですから、当然内容が同じでもその演出の工夫はそれぞれに異なってきます。それでは、ドラマとは違って原作は一体何が、どのように面白いのでしょうか? 以下では、原作の奥深い魅力を余すところなく楽しむための読み方について紹介いたします!

ポイント まどろっこしい面白さ
『わたしを離さないで』の舞台は1990年代末のイギリスです。物語はキャシーという女性が、幼少時代からの過去を回想する一人語りで進んでいきますが、読者はかなり早い段階から、キャシーが語っているのはどんな世界の話なのかに疑問を持ち、それが解消されないまま読み進めていくことになります。
ふだん小説を読む際、物語の中で通用している設定について、私たちは、それが物語の中に出てきた段階ですぐに、もしくは出てきてからそれほど間をおかずに、説明があることを期待して読んでいくことが多いと思います。しかし、この語り手キャシーは、そうした基本的かつ重要な設定について、私たち読者が真っ先に知りたいと思うような情報をすぐには明かしてくれないのです。
たとえば、キャシーが友人たちとともに「ヘールシャム」と呼ばれる寄宿学校で育ったことが早い段階で明かされます。そのヘールシャムで行われる、「販売会」や「交換会」といったイベントについては、キャシーは「少しお話ししておかなければなりませんね」と、補足説明が必要であることを自ら言いだして説明してくれます。
このヘールシャムという場所は、実は単なる寄宿学校ではなく、移植手術に臓器を提供する目的で作られたクローン人間である子供たちが集められ、臓器提供という「使命」を果たせる人間になるべく育てられている場所です。しかし、ここがいったい何の目的で存在している場所なのか、ここにどういった子供たちが集められており、育った子供たちはここを出た後どうなるのか、といったことについては、キャシーはなかなか説明しようとしてくれません。
また、ヘールシャムを出て大人になったキャシーは現在、ヘールシャムやヘールシャムと同じような他の施設で育ってきた「提供者」と呼ばれる人たちの世話をし、彼らを見守り、彼らが使命を終えていくのを見送る「介護人」の仕事をしているのですが、これらがいったいどういった人たちのことなのかについても、彼女はすぐには詳しく話してくれません。
私たち読者は、キャシーの語りの断片を手探りで拾い集めながら、その深奥にある真実や、物語世界を支えている恐ろしい前提について推測を重ねることになります。ある意味「まどろっこしい」とも言えるような読み方ですが、このキャシーの語り方で先の展開への興味をそそられ、ページを繰る手が止まらなくなるところが『わたしを離さないで』の第1の面白さです。

ポイント ツンデレな語り手?
『わたしを離さないで』の物語は、寄宿学校であるヘールシャムとそこでの友人たちにまつわるキャシーの回想が大部分を占め、過去を振り返っている現在への言及はそれほど多くはありません。しかし小説を読み終わるときには、ここまで語られてきた内容から、キャシーがこの物語の後、いったいどういった運命をたどることになるのか、読者にも想像がつくようになっています。
先に述べたように、この小説はキャシーが自分の回想を一人で語るという形式で物語が進んでいくため、私たち読者はキャシーが語ってくれる内容しか、受け取れるものがありません。その中で、キャシーが自分の言葉で語ってくれることと、回想の中に登場する別の誰かが語ること(これもキャシーの回想の一部なので、そういう意味では彼女の語りではありますが)の中での重要な情報の配置のしかたや、キャシーが現在の自分の言葉で語れることと、他人の言葉や誰かとのやり取りの再現を通じてしか伝えられないことは何か、といったことに注意すると、キャシーが自分自身の認識や記憶についての語り方を(意図的にか無意識的にか)操作している、ということがわかってきます。
例えば、次の引用箇所を読んでみてください。キャシーが自分や友人たちの原点であるヘールシャムについて、複雑な心境を独白する場面です。

いまでも、ときどき、元生徒がヘールシャムを――いえ、ヘールシャムがあった場所を――探し歩いているという話を聞きます。ヘールシャムの現状が噂になることもあります。ホテルになっている、学校だ、廃墟だ……。でも、わたしは、これだけ車で走り回っていても、自分で探そうと思ったことはありません。いまどうなっているにせよ、あまり見たいとも思いません。
ただ、自分から探そうとしなくても、運転中、ときどき何かを目にして、あっ、見つけた、と思うことはあります。遠くに体育館を見れば、あれは絶対にヘールシャムの体育館だと思い、地平線にポプラ並木が見え、隣に樫の大木でもあれば、これは反対側から南運動場へ登っていく道に違いない、と思います。(中略)ですから、意識のどこかのレベルでは、わたしもヘールシャムを探しているのかもしれません。
でも、申し上げたとおり、自分から探しにいこうとは思いません。(土屋政雄訳)

いかがでしょうか。キャシーは自分で言うように、本当に自分が育った場所であるヘールシャムに現在はそれほど関心がなく、探すつもりはないように読めるでしょうか? それとも、探そうとは思わない、と口先では言いながら、どこかに痕跡でも見つけられないものかと常に気にかけているような印象を受けるでしょうか。
ここではキャシーも慎重で、「意識のどこかのレベルでは、わたしもヘールシャムを探しているのかもしれません」と潜在的な可能性を認める態度を取っていますが、この態度は額面通りに受け取れるでしょうか、それとも「自分でもそういう可能性には気づいてるんですからね!」というように予防線を張った上で、あえて改めて「自分からは探す気はない」という主張を強調しているせいで、かえってわざとらしく、嘘くさいように読めるでしょうか‥‥‥
さて、ここまで、同じ使命を持つ提供者たちを見守り見送り続ける語り手キャシーの、独特の立ち位置に焦点をあてて『わたしを離さないで』という小説を紹介してきました。小説という表現ジャンルは時として「物語の内容」そのものよりも、「物語の伝えられかた」に注意して読むことにより、より豊かな解釈が育まれることがあります。そしてそのような解釈の余地を持っているところが、『わたしを離さないで』という作品の奥行きであり、内容そのものとはまた違ったところにある面白さなのです。
このように、なにかをぐっと言い淀みながらそっけなく出来事を語っていくキャシーは、自分が本当に感じていることは隠しつつ、それと裏腹の内容を語っている部分があるという点で、こちらの過去記事(http://pdmagazine.jp/works/openingpassage/でご紹介したような、「信用できない語り手」と呼ばれるタイプの語り手にあてはまります。しかし、なにもキャシーは信じるに値しないホラ吹きだというわけではありません。彼女の「語り」をめぐるこうした屈折した態度には、個人にとっての記憶の価値という、この作品のテーマが隠されているともいえるのです。

ポイント 〈記憶〉をめぐる物語
『わたしを離さないで』の物語の中では、「カセットテープ」が重要な役割を果たすことになります。「オリジナル」と「コピー(クローン)」という含みもあるこのカセットテープですが、「個人が大切にしている記憶」のメタファー(隠喩)にもなっています。
作者のカズオ・イシグロは、「人が人生の終りに近づくにつれて、記憶を自分のためにどう使うか」というテーマを初期の作品から繰り返し追求してきました。イシグロの以前の作品、たとえば戦後日本を舞台にした初期の二作品『遠い山なみの光』『浮世の画家』、またイングランドの古いお屋敷に長年勤める執事の独白と回想を描いた『日の名残り』などは、どれも世代間の断絶、そして過去にとらわれている旧い世代の人間が時代の変わり目を経験し、それを自分なりに受け入れていく過程を扱ったものでした。
『わたしを離さないで』の語り手であるキャシーもまた、読者に向かって語りかけることで自分の記憶を形に残そうとします。また、回想の中で、子供時代の思い出について、親しい友人たちと何度も語り合い、正確な記憶を保存しようとする、という場面もあります。彼女はそうやって、ヘールシャム育ちの仲間たちと記憶を確認しあい、それを色あせないものにしようという努力をしているのです。そしてその結果、彼女は自分の大切な記憶について「以前と少しも変わらず鮮明です」「記憶を失うことは絶対にありません」と断言しています。
でも、本当にそうでしょうか? それはキャシーの願望ではないでしょうか? 願望なのかそうでないのか、私たち読者にははっきりと言い切ることはできません。この小説はキャシーが一人で自分の思いを語る形式で書かれており、読者には彼女が取捨選択して教えてくれる情報しか与えられないからです。
けれども、彼女が平静を装って語っていたときほど、私たち読者にとっては衝撃的な事実が明かされる展開がその後に待っていたことを考えれば、キャシーの語ってくれる彼女自身の感情について、ここでも素直に受け取ってよいものだろうか、という気にもなるのです。そして、彼女が記憶を失うことは絶対にない、と思いたがっているのは、彼女自身がこれから立ち向かうことになる自らの運命に対する、いわば準備の一環、彼女の精一杯の虚勢だったのではないか、というようにも読めてきます。

読み返すたびにハマる!
何度も述べているように、この小説では読者が気になる情報ほど後出しにされます。そして真実がどんどん明らかになっていく段階では、それが抑制のきいた語り口で明かされるために、かえって読者の驚きは大きなものになります。そしてその驚きを体験することが、この小説をはじめて読むときの醍醐味の一部といえるでしょう。「語りの視点」を操作することが難しく、視聴者に隠しておきたい情報が筒抜けになるドラマでは、この醍醐味を再現できないのも当たり前のことだったのです。
しかしイシグロ自身はこの作品をミステリのように仕立てようと意図したわけではないと述べていますし、真実を知ってもう一度読み返したときでも、キャシーがただ自分の思い出を自分の視点で語っているというだけではなく、そこには様々な、文章の表面には表れてこない葛藤があった可能性も想像されるようになっていきます。
そうやって読み返すたびに、キャシーが語っている内容そのものに加え、彼女の語り方の意味や、彼女自身にとってのその効果について、様々な読み方が可能になるのが、この小説を手に取る楽しみのひとつだと思います。



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