子規全集 第1~3巻  故・正岡子規  2020.4.28.


2020.4.28. 正岡子規全集(非売品)

1巻 俳句全集 壱
著作者     故・正岡子規
発行日     大正3615日 印刷   625日 発行
発行所     ()アルス   発行者 ()アルス 代表 北原鐵雄

Ø  寒山落木 巻1 (明治18年~25)
1
明治 18   夏郷里松山に帰る〇厳島に遊び祭礼を見る〇9月上京
    19   夏久松定靖公に扈従して日光伊香保に行く〇9月帰郷
    20   春腸胃を病む上野を散歩す〇夏帰省〇9月上京
    21   夏牛嶋月香楼に居る〇9月帰京常盤会寄宿舎に入る
    22   4月水戸に遊ぶ往復1週間〇5月喀血〇7月帰省9月上京不忍池畔に居る後再び常盤会寄宿舎に入る12月帰京
    23   1月上京7月帰京9月三井寺観音堂前考槃亭に居ること7日直ちに上京
    24   春房総行脚10日〇6月木曽を経て帰郷9月上京途中岡山寒懸に遊ぶ〇秋大宮に居ること10日冬駒籠に居を遷す〇川越地方に遊ぶこと3
    25   1月燈火12か月を作る其後何々12か月と称する者を作ること絶えず春根岸に遷える夏帰省す9月上京11月家族迎えのため神戸に行く京都を見物して上京〇此年夏より日本紙上に投稿12月より入社
明治18
梅のさく門は茶屋なりよきやすみ
夕立やはちすを笠にかぶり行く
ねころんで書よむ人や春の草
明治19
一重づつ一重づつ散れ八重桜
明治20
ちる花にもつるゝ鳥の翼かな
春雨や柳の糸もまじるらん

Ø  寒山落木 巻2 (明治26)
明治26(『獺祭書屋俳句帖抄』より)
夏瘧(おこり)を病む。癒えて奥羽に遊ぶ。秋に入りて帰京す。此行経るところ宇都宮、白河、二本松、安達原、福嶋、浅香沼、實方の墓、仙臺、鹽竈、松嶋、關山越えして羽前に入り、船にて最上川を下る。酒田より海岸に沿うて北し、秋田を経、八郎潟を見て帰る、大曲り六郷を経、新道より湯田に出で、黒澤尻に至り、汽車にて帰る
明治26年癸巳(みずのとみ)
新春   紀元二千五百五十三年の春
        十萬の常備軍あり國の春
長閑   のとかさや海士と木こりの物語り

Ø  寒山落木 巻3 (明治27)
明治26(『獺祭書屋俳句帖抄』より)
2月居を鄰家に移す。同月新聞『小日本』発刊。7月新聞『小日本』廃刊。秋時々南郊に出でて写生す
明治27甲午年
新年   紀元二千五百五十四年なり
        ほのゝゝと茜の中や今朝の不二
      霜月のうら枯れんとす葱畠

編集後記
子規居士の俳句全集の第1巻として、居士自身が分類浄書した『寒山落木』の巻13の俳句全部をここに収めた
『寒山落木』はすべて半紙を2つ折りにして、1面に10句づつ認める体裁
その中に居士が気に入らないとして後に抹消された区が少なからずあり、18年が15句を抹消して7句、19年は13句を抹消して1句となったのは、初期に属するためで、後になるにしたがって抹消の割合は少なくなったものの、抹消句の総数は3200を超える
冒頭の年譜のようなものは巻1のみ
句の分類はすべて原本の体に従ったが、同一の句は省き、改冊の結果季もしくは季題を異にするに至ったものは夫々其季題に移した
1巻の編輯を終わった後、子規庵の筺底から以下のような文章の巻紙に認めてあるものを発見。多分どこにも発表されなかったものだろうと思うので、ここに録する。末尾の句は26年の作だから、同じ頃に書かれたものと推せられる
〈女人形後記〉
正徳享保の頃にや生れけん佳人薄命にして市中の塵にまじりたるを折ふし來山というしれものに見いだされて10文か20文に身受けされたのは汝か一生の名誉なるべしそれよりいづこを流れ渡りけん一時は分限者の隠居にかかえられて長き年月を薄闇き蔵の中にくらしてふるくさき金銀と交わりしも終に其操をかえず枯木花さくの頃至りて今は再び文臺の側に昔の姿をこらすうつつなの妹背ものかたり200年の星霜を経て夜な夜なの夢いずこに向かうらん
        秋風に兀ても昔女かな             規戯草


2巻 俳句全集 貳
発行日     大正13820日 印刷           825日 発行
『寒山落木』 巻4 (明治28) 総て直筆
2月上旬碧梧桐虚子とともに目黒近辺を散歩す
33日東京を発し汽車大阪に向かう同所に3泊し廣嶋に行く
316日松山に帰る23日を経て廣嶋に出ず
47日近衛師団司令部とともに海城丸に乗り宇品を発す 日大聯?着 日金州に行き1泊して海城丸に帰る 日旅順に行き 日柳樹屯に帰り金州に行く
510日金州発14日大聯湾より佐渡?丸に乗る17日船中喀血22日秋田岬に上り直ちに神戸病院に入る722日退院須磨保養院に行く
8月 日廣嶋を経て松山に帰る
1019日松山発廣嶋須磨を経て大阪に至り奈良に遊ぶ1030日帰京

明治28年 乙未
新年   紀元二千五百五十五年なり
        新年や床は竹の画梅の花
冬菜 根岸郊外2
        竹立てゝ冬菜を囲ふ畠かな
        水引くや冬菜を洗ふ一

ことわり書
1.  此俳句稿はおのれの句を尽く集め類題を為し置きて自ら閲覧のたよりとなす此集に載するもの必ずしも善しと思う句に非ず
2.  他人の類句ありと知る時は之を其句の上に記し置くなりとて他人の句あるにおのれの句をも並立して存せしめんとにはあらず只参考のために抹殺せざるのみ但し他人の類句ありともおのれの句前に出来たる時は之を記さず
(以後略)
        明治29412日夜東京上根岸鶯横町寓居に於て記す 病子規
此日藤野古白の1周忌に当る
1月下旬より腰痛みて足立たず34日前よりやうゝゝ杖にすがりて少し許り歩む程になりたるに快極まらず今昨年の俳句稿を浄書し終りて更に心身の豁然(かつぜん)たるを覚ゆ余未だ死せず

編輯後記
『寒山落木』巻41冊を其儘に写し出して本巻のようなものを作ったのは、子規居士の芸術に親しむよすがとして最もふさわしいものだろうと思ったから
特に巻4を選び、さながら其面影を伝えようとしたのは、紙数が恰も1巻とするに適したことと、比較的完全に浄書されていたこととのためで、別に深い仔細があるのではない。もし書風を示そうとするならば寧ろ晩年の古樸淡雅なものを選ぶ可きだった
多くは明治28年中に作られたものだが、居士の手で書き取られたのは翌年に跨ったのもあるだろうが、少なくとも12年のうちに浄書された。書き方の無頓着なのと、→や行儀正しいのとによって、推知できるが、一々指示するまでもあるまい
28年は春3月新聞『日本』記者として日清役に従軍すべく廣島大本営地に出張し越えて4月御用船に搭じて渡支、平和克復の為、戦争も見ずに幾ならずして6月帰還。其船中にて発病し神戸に上陸して病院に入り治療を受けること月余、7月須磨に移りて保養、斯うして居士の生涯に於て最も出来事の滋く変化の多かった年だった。此時居士僅かに29歳の青年であったことを牢記して此巻に対すべき
巻首の居士自記の年譜のようなものは、『獺祭書屋俳句帖抄』所蔵のものと多少字句を異にしている点がある。
33日東京出発廣島に向ふ。410日近衛軍に従ふて金州に行く。旅順に遊ぶ。5月中旬大聯湾より帰る。舟中喀血。神戸に上陸して神戸病院に入る。虚子京都より至り、碧梧桐我母と共に東京より来る。7月退院、須磨に遊ぶ。8月郷里松山に帰る。10月下旬松山出発、奈良を見て東京に帰る。腰の痛み始て起る
本書の見開きに掲げた春水の5句は岡麓氏所蔵。明治34年の『墨汁一滴』に委しく出ているので参照されたい。元来10句あったものの前半5句で、用紙、大きさその他すべて原物そのままの面影を伝え得たと信じる
同じく自画像は子規庵に存するものだが、書かれた年代は不明。晩年に属することは明らか


3巻 俳句全集 参
発行日     大正14425日 印刷           431(ママ)日 発行
Ø  『寒山落木』 5 (明治29)
明治291月は歩行僅かに出来居り久松伯凱旋の祝宴にも連なる
2月より左の腰腫れて痛み強く只々横に寝たるのみにて身動きだに出来ず、4月初め僅かに立つことを得て暖日前庭を徜徉す、快極まらず、1日車して上野の櫻を見て還る
夏の頃より毎月草庵に俳句小集を催す、会する者10人内外
夏時は夕に至りて多少の熱を発するを常とす
5月雨の頃板橋、赤羽に遊び、一宿して帰る
仲秋を上野元光院にて賞す
秋、諸友に伴ふて目黒に遊び栗飯を喰いて帰る。快甚
中山寺に詣り船橋に一宿して帰る
11月某日開花楼に平家琵琶を聴く
1231日仮に病褥を出ず

明治29年俳句稿 丙申 紀元2556
新年
元旦等 元日の人通りとはなりにけり
          とにかくに坊主をかしや花の春
初鶏    初鶏の二声ばかり鳴きにけり
余寒    漂母我をあはれむ旅の余寒哉

Ø  俳句稿 巻1 (自明治30 至明治32)
明治30年 丁酉
新年の部
祝『ほとゝぎす』発刊
          新年や鶯鳴いてほとゝぎす
時候    春の日の人何もせぬ小村哉

Ø  俳句稿 巻2 (自明治33 至明治35)
明治33
新年
          長病の今年も参る雑煮哉
          病牀を囲む礼者や五六人

編輯後記
子規居士の俳句の作品は、本巻を以て年代順に網羅された
居士自身浄書分類した『寒山落木』は明治29(5)に終わり、30年以降は『俳句稿』に書きとめられたまま。『俳句稿』は2分冊。33年以後といっても、事実は33年だけといってもいいくらいで、34年の句は僅かに新年及び冬の句が数句に過ぎない。それは居士の病苦がいかに重きを加えたかを語るものである
この巻を編むに当たって最も困難を感じたのは、居士の手記を欠いている時代の句。349月以後と35年とは『仰臥漫録』に多くの句書きされているが、34年の1月より9月までのところは他に何等拠るべきものがないので、やむを得ず当時の『日本』新聞に発表された句のうち、それ以前の『俳句稿』中に見当たらぬものと(『日本』その他に発表された句は必ずしも発表当時のものばかりではなく、往々にして何年も過去に遡ったものがある)『墨汁一滴』所蔵の句とを採録。多少の遺漏を免れないが、大体この間のものを補い得たことと信ずる
349月以後及び35年中の句は『仰臥漫録』中のものを主とし、これに『日本』所載のものの中で『俳句稿』その他に見えぬもの、書簡に散在するもの、『病牀六尺』中にあるもの等を加えた(『寒山落木』『俳句稿』時代のものは、それ以外の材料に亙っていない)
『墨汁一滴』『仰臥漫録』『病牀六尺』等の中にある句は、主として長い文章の末尾に記されたもの。多くは普通の前書とは意味を異にしているが、必ずしも切離して差支無い性質のものでもない。併しその文章を悉くここへ収録するのは重複でもあり、紙幅の都合もあるので、已むを得ず「前文略」という前書をつけて、その前文の何にあるかを一々明示した(全集第7巻「随筆」を参照)
『俳句稿』の30年より33年に亙る4年間は居士自身の手記になるものだが、34年以後は
大部分編者の収録にかかるもの。大体『俳句稿』の体裁に従って分類したつもりだが、多少前後不統一の感を免れない。無事庵の訃を聞いて作った時鳥の句を夏の部に、無事庵遺子来の鳥の巣立の句を却て春に編み入れた如き、亦そのためである。更にその分類の結果として、同じ場合に出来た句が離れ離れになったところもあるが、これは居士自身の手に成った分類に於ても同じことだから已むを得ない
『俳句稿』の分類は『寒山落木』の如く細別されていないばかりか、分類の態度も極めて大ざっぱ。元来居士自身の手控であり、もともと厳密を期すべきものではないし、編輯者の目的は一に『俳句稿』そのものを完全に伝えるに在るのだから、殆ど改めることを敢てしなかった
居士の俳句はその永眠前十余時間、則ち絲瓜の3句を以て了つている。明治35年の條に冬の句のあるのは、すべて新年と春との間に於ける間のもの――居士が『寒山落木』の初期に於て「はじめての冬」と呼んだもの――である。或は不審を起こされる人があるかもしれないので特に、この点を明かにしておく
各年に於ける略年譜ようのものは、29年の『寒山落木』まででその以後には記載が無い。ここには第1、第2両巻の例に倣って、『獺祭書屋俳句帖抄』に書き改められた29年のものを引用して置くにとどめる
明治29
歩行自由ならず、多くは病牀に在り。夏草庵に俳句小集を催す。爾後毎月の例となす。6月板橋に遊ぶ。月を上野元光院に見る。10月諸友と目黒に遊ぶ。同月中山寺に詣で船橋に一宿して帰る。11月胃痙(けい)を病む
『寒山落木』『俳句稿』等の扉に用いた字は、いずれも原本の表紙の文字を凸版にとったもの
絶筆の3句は
          絲瓜咲て淡のつまりし佛かな
          痰一斗絲瓜の水も間に合はず
          をとゝひのへちまの水も取らざりき
蛤の圖は明治34年の歳旦帳(半紙を綴じたもの)1頁。『俳句稿』所載のものと稍々前書を異にする点もあるので、かたがた以てここに掲げた
この書の編輯を了へて後、大阪に下記の如き牡丹の句稿を所蔵する者がある旨を伝聞した。これは本文中に収めた34年中の牡丹の句と同時の作である。『日本』紙上に掲げられたものは、全部13句中の5(本文中には8首あり)である。唐紙の原稿紙に認められたものだそうだが、まだ親しく一覧することを得ないので、真偽確かでないが掲げて置く
本文中   /天文     低過ぎし牡丹の傘や春の雨
            /        三年目に蕾たのもし牡丹の芽
            /        吾庭にはじめて咲ける牡丹かな
                           笠立てゝ雨横しぶく牡丹かな
                           笠立てゝ雨だれかゝる牡丹かな
                           手燭して見する月夜の牡丹かな
            /人事     梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな
            /        牡丹にも死なず瓜にも絲瓜にも
追加                     昼中は散るべく見えし牡丹かな
                           雨ふると傘立てゝやる牡丹かな
                           雨晴れて牡丹の傘をたゝみけり
                           灯のうつる牡丹色薄く見えにけり
                           傘立てゝ置けば雨ふる牡丹かな
                           土かはで置しか咲きし牡丹かな
                           寝牀から見ゆる小庭の牡丹かな
                           風ふいて花ひら動く牡丹かな

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