クロード・シャノン 情報時代を発明した男 Jimmy Soni/Rob Goodman 2020.1.15.
2020.1.15. クロード・シャノン 情報時代を発明した男
A Mind at Play: How Claude Shannon Invented
the Information Age 2017
著者
Jimmy Soni 編集者、ジャーナリスト、ライター。ハフィントン・ポスト元編集長。スピーチライターやニュース番組のコメンテイターとしても活躍
Rob Goodman 元スピーチライター。History
of Political Thought誌、Kennedy Institute of Ethics Journalなどに論文を発表
訳者 小坂恵理 翻訳家。慶應大文学部英米文学科卒。
発行日 2019.6.30. 初版第1刷発行
発行所 筑摩書房
インターネット、携帯電話、電子メール、DVD、ストリーミング――これらはすべて、1人の天才数学者の功績の上に成り立っている。その名はクロード・シャノン。チューリングやフォン・ノイマンにも認められた鬼才であり、「現代に与えた影響力ではアインシュタインを凌ぐ」とも言われる
シャノンが発見したのは「情報」だ。この発見によって、文字も画像も映像も音声も送ることができるようになった。これは当たり前ではない。シャノン以降、すべては0/1の信号として、瞬時に、正確に伝えることが可能になった。まさに革命的なのだ。シンプルだが誰にも思いつけなかった事実に、彼はたった独りで辿り着いた
1本の論文で世界を根底から変えてしまった天才は、その後も今日のAIの原型を発明し、ディープブルーに至るチェスコンピュータを製作し、世界初のウェアラブルマシンを開発する。溢れんばかりのアイディアを生み出す源泉とは何だったのか。「情報理論の父」と呼ばれる孤高の天才数学者の生涯を辿る
はじめに
シャノンが「情報時代のマグナカルタ」とも評される論文を発表し、その論文1本だけで情報というアイディアを世に送り出してから40年経った1985年、情報理論国際シンポジウムの会場にシャノンが姿を現す。議長は「ニュートンが物理学の会議の会場に現れたようなもの」と表現
彼は見返りに強く執着しなかった。科学の進歩にも疎く、あらゆる見解、あらゆる主題、自分自身にさえ、無関心。孤独を好み、じっと黙って思考を研ぎ澄ませた。同僚は彼の情報理論を「爆弾」と呼ぶ。ほとんど何もない状態から新しい科学を考案したことは大きな衝撃だったが、唐突に発表されたことも驚きで、発表まで何年も彼は誰にも一言も打ち明けなかった
シャノン以前、情報とはひとまとまりの電報や写真、パラグラフや歌だったが、シャノン以後、情報は完全に分解されて「ビット」になった。内容に関係なくすべて共通の符号に変換される。情報の本質に到達することで、今日のような世界を可能にした
機械いじりのずば抜けた才能が、ほどなくアメリカで最も影響力のある科学者になったヴァ―ネヴァー・ブッシュの目に留まり、彼に誘われてMITに入り、微分解析機の管理を任された。そこに指示を送る電気スイッチを研究したシャノンは、そこから新たな洞察を得たのが今日のデジタル時代の土台となる。二値選択の連続が脳の働き方によく似ているとの飛躍的な発想が、すべてのデジタルコンピュータを支える基本的な概念になった。これがシャノンが最初に成し遂げた抽象化で、まだ21歳のとき
不本意ながら、アメリカの防衛機関に協力する機会も多く、第2次大戦中の暗号解読、コンピュータ制御の砲術、大西洋を横断した電話回線などの難事業にも駆り出された
ベル研究所でシャノンが選んだのは、電話通信、ラジオ、テレビ、電報など、情報を伝達する一般的なシステムの基本的な性質の一部についての分析で、全て別物と思われていたが、シャノンはすべて本質的なものを共有していることを証明。これがシャノンが成し遂げた2つ目の抽象化であり、最大の功績
電子が象徴するアイディアそのものも客観的な測定や操作が可能なことはシャノンが初めて証明。全ての情報は情報源、送信機、受信者、中身に拘わらず、ビットという基本的単位として連続的かつ簡潔に表現できることを示した。物理的な世界でメッセージをやり取りすればノイズは避けられないという常識を覆し、絶対的に不可能だと思われていた情報の完璧な形での送受信がいつでも可能であることを証明。インターネットを介してデジタル情報が途切れなく流れるのも、現代が情報の氾濫に象徴されるのも、彼が後世に残した遺産のお陰
名声とは無関係に、自らの遊び心を満足させるための機械いじりに熱中して時間を過ごし、様々な機器を発明し、あくまで世間との交流を忌避、自分の成果を積極的に売り込むこともないまま歴史からほとんど姿を消す
I.
内気な天才数学者
1.
発明家の遺伝子
ミシガン州ゲイロードでは、電話会社が採算割れの見込まれる場所には電話線を設置しなかったので、自前の送電網を作り上げ、300万人の農民がこのネットワークを通じて会話を交わしていたが、それに沿ってシャノンも自前の有刺鉄線を800mにわたって友達の家との間に渡し、プライベートな電信のやり取りをしていた
機械いじりは祖父からの隔世遺伝
2.
工学か数学か
32年ミシガン大工学部入学、複数学位取得を目指したのは、単に若さ特有の優柔不断が理由で、それが後の成功に不可欠な要素となる
卒業後の進路を考えているときに、MITの大学院で微分解析機開発の助手募集を見て応募
3.
部屋いっぱいの特大の頭脳
MITでヴェネヴァー・ブッシュと出会い、アナログコンピュータの構築を手伝う
ブッシュは、後に応用数学会の最高権力者に上り詰める
4.
史上最も重要で最も有名な修士論文
1937年、修士論文『継電気と開閉回路の記号的解析』発表 ⇒ いかなる回路も一連の方程式で表現することが可能
同じ年、アラン・チューリングが重要な研究成果を発表し、人工知能の実現に向け1歩前進 ⇒ 計算可能な数学の問題は、原理上すべて機械で解くことができると証明
2人は新しい時代の土台を築き、連続的な値が瞬時に離散的な値に変換される「デジタル」コンピュータの可能性が示された
5.
規格外れの若者
人間のあらゆるコミュニケーションの概念を抽象化して、すべてのメッセージが共有する構造や形にまで突き詰めたが、その努力を支えたのは模型製作の熟練技であり、人工物を数学だけで表現する方法を発見
アメリカ土木学会が、専門分野で若くして花開いた才能を称える目的で、30歳未満の研究者によって執筆された最も素晴らしい論文に与えるアルフレッド・ノーブル賞受賞
6.
コールド・スプリング・ハーバー
ブッシュがシャノンの博士論文に相応しい分野として提示したのが遺伝学。専門分野に特化し過ぎるとせっかくの天才がだめになると確信したブッシュの指導で、遺伝学はスイッチと同じくらい妥当な対象となった
1939年、アメリカでも有数の遺伝学研究所である優生記録所に派遣され、閉鎖直前の有益な果実を収集、『理論遺伝学のための代数学』という論文にまとめるが公表されずに終わる
7.
科学者たちの夢の国
40年結婚するが1年で破局。修士と博士の学位も同時に取得。ナショナル・リサーチ・フェローシップ(特別給費研究員)を獲得し、プリンストンの高等研究所で1年過ごす。その直前の夏ベル研究所を訪問、数学グループに配属され、「色識別に関する定理」に取り組む
8.
天才たちとの邂逅
ハンガリー系ユダヤ人の鬼才ジョン・フォン・ノイマンは遥かに先を行く天才だったが、人工知能の分野ではどちらも相並ぶパイオニア的存在として対等
33年からプリンストンに避難してきたアインシュタインともすれ違ってはいたが、物理学はシャノンの専門分野ではなかった
40年の徴兵法による海外派兵を怖れて、国防研究委員会の解析処理の仕事を確保
9.
射撃統制と電話技師
「射撃統制に関する数学的研究」プロジェクトを割り振られ、敵が空中に放ったものを撃ち落とすための正確な判断作業を瞬時に処理する機械の設計が目的
開戦直後から連合軍は、ドイツ軍の世界初の巡航ミサイルや弾道ミサイルの開発・配備に対抗するため、防衛システムのグレードアップの必要性を思い知らされる
情報のスピードと質の高さは、電話システムと射撃統制システムともに不可欠であり、機械的な構造にも類似点があった ⇒ 通信技術の1つである分圧器を高射砲に取り付けることにより電圧の変化に対応させると、効果的に航空機を撃墜できたため戦場で大活躍
「スムージング」の問題解決に貢献 ⇒ 間違ったデータをきれいに除去するプロセス
10.
戦時プロジェクト
戦時の研究に対するシャノンの反応は、退屈で不満を募らせ、深夜に漸く自分の研究に打ち込める自由な時間を見出していた
戦争によって注目されるようになった数学は、ほとんどは数学とは呼べない代物で、レベルの高い数学者に任せるようなレベルとはほど遠く、防衛機関は結果的に頭脳集団に過剰投資した
彼が軍のために行った研究には、戦闘を回避する手段以上の意味が込められていることが後に判明。彼が手がけた主要なプロジェクトである秘密通信システムと暗号学は、最先端のコンピュータ・テクノロジーがどれほど素晴らしい成果を上げられるものか、未来を垣間見る機会を与えてくれた。不本意ながら取り組んだ研究ではあったが、重要なきっかけになった
11.
話すことが許されないシステム
戦争に暗号は付き物。戦争当初から暗号化されたメッセージの送受信や敵の暗号メッセージの解読は大きな課題で、数学、科学、コンピュータの各分野から世界最高の頭脳が集められ、暗号解読の必要から生まれたテクノロジーは、勝ち戦の大きな副産物の1つだが、1世代以上にわたって機密扱いされる
1940年に開発された会話暗号システム「プロジェクトX(SIGSALYシステム)」を心臓部で支えたのがヴォコーダー(ヴォイス・エンコーダーの略)として知られるテクノロジー ⇒ 人間の音声は機械によって模倣できるという仮説から始まり、会話を電子的に暗号化するための機械(ヴォコーダー)と、そのプロセスを反転させて、元の会話を合成して出力するための機械(ヴォーダー=ヴォイス・オペレーション・デモンストレーター)を開発
シャノンもこのチームの1員で、担当した業務はメッセージが受信側で適切かつ安全に再生されるためのアルゴリズムの確認。それを通じて、符号化された会話と情報伝達と暗号技術から成る世界を垣間見た
1945年、彼の発表した論文『暗号の数学理論――事例20878』は、暗号学の重要な概念である「ワンタイム・パッド」が初めて証明された点で注目。1882年に考案されたシステムだが、暗号システムで完璧な秘密が維持されることを証明したのはシャノンが初めて。ただ、この論文の真の成果は解読不能は暗号の創造ではなく、論文に凝縮されていた洞察が、シャノンの革命的な情報理論の核心部分で最終的に利用されたこと
12.
チューリングとの出会い
暗号技術の研究で、42年イギリスから視察に来たチューリングと出会ったが、両国の協力関係が不確実だった当時、お互いの任務について詳細に触れることはなかった
話題は、人間の脳を完全に模倣するコンピュータの開発、コンピュータによるチェスなどで、数か月一緒に過ごした間に信頼される友情関係を育んだことは、お互い相手を高く評価していた何よりの証拠
50年にシャノンがイギリスにチューリンゴを訪問したのが最後。同性愛が違法とされる時代、チューリングは「猥褻行為」で有罪判決を受け、4年後に青酸中毒で死去。自殺と断定されたが謎のまま
13.
ベル研究所の3賢人
ベル研究所の同僚の3賢人 ⇒ 1人はバーニー・オリバー、後にHPの最初のコンピュータを開発。もう1人がジョン・ピアース、通信衛星と進行波増幅器で名を成す。3人ともデジタル通信という新分野への興味を共有し、論文を共同執筆
II.
天才の孤独
14.
大西洋横断通信への挑戦
1858年、大西洋横断電信ケーブルを敷設したが、海水による電流漏出などの問題から1か月で破綻、3つの教訓が浮き彫りとなる
①
通信はノイズとの戦い
②
ノイズ回避のための力づくのやり方には限界
③
ノイズ改善の可能性は、物理学に象徴されるハードな世界と、メッセージに象徴される見えない世界の境界部分だったが、メッセージを正確に測定し操作できるという発想が生まれるのは次の世紀
15.
インテリジェンスから情報へ
情報とは推測するものであり、舞台裏に存在するもの
シャノンは情報という概念を定義して、ノイズの問題を解決、新しい科学を創造したのは彼の功績だが、先行して研究した2人こそパイオニア
1人目はハリー・ナイキスト ⇒ スウェーデンからの亡命者で、ベル・システム社に採用され、ファックスの試作品開発の責任者として18年には「電送写真」の概略を紹介、24年には実用モデルを完成。より重要なのはネットワークを通じて信号を送る方法の開発で、どんな通信回線の帯域幅も、所定の速度で送られる「インテリジェンス」の量には限界が設けられることを示す
技術通信の世界は、基本的に不連続で「デジタル」であることが明らかとなる
24年発表の論文では、インテリジェンスは電気ではないことが明らかにされた
2人目がラルフ・ハートレー ⇒ ブールの数式以外では、シャノンの思想形成に最も貢献した人物。ベル研で、電波で大西洋を結ぶ最初の音声通話の受信機の設計を任された。27年の論文で、「いかなる媒体の情報伝達力も包含できる単一の枠組みを提唱」
情報の本質、工学的な意味に迫り、それを明らかにすることで、ノイズについても明らかにする
情報とは、電線を伝わる電流である。情報とは、電信によって送られる多くの文字である。情報とは、多くの符号から選別されたもの。前進するたびに、具体性は失われていった
16.
爆弾級の発見
通信のエレメントを6つの基本的な機能に分解
①
情報源は、メッセージを作成
②
通信機は、メッセージをコード化し、送信可能な信号へと変換する
③
通信路は、信号が通過する媒体
④
雑音源は、受信機へ向かっている信号に歪みや乱れを発生させる
⑤
受信機は、メッセージを解読し、送信機とは逆の操作を行う
⑥
受信者は、メッセージを受け取る
新しい科学には新しい測定単位が必要で、シャノンが考案した科学で新たに使われる単位は、基本的な状況での選択を表す、0か1かの選択、即ち「二進数(バイナリ・デジット)」ということから「ビット」と名付けられた ⇒ 1ビットは、等しい条件下で2つの選択肢のどちらかが選ばれた結果として伝えられる情報の量を表す
17.
便乗する者たち
48年に発表した2本目の論文『通信の数学的理論』は、数十年後に「情報時代のマグナカルタ」と呼ばれるが、今日のインターネット創造の大元となっている
翌年にはイリノイ大で出版され、大学出版会の学術書の中ではベストセラーの1つに数えられている ⇒ 52年にイリノイ大はデジタルコンピュータの取得に成功すると同時に、「通信理論」研究を目的とする大型契約を連邦政府から提供
18.
純粋数学者たちの反感
科学的発見は不幸にも、誤解されたり、全く無視されたりする機会が多い
シャノンの研究も、一部では冷ややかに受け止められた ⇒ 特に確率理論家の大物数学者から厳しい批判
19.
奇才ノーバート・ウィーナー
17歳で数学の博士号を取得した数理論理学の大家ウィーナーは、数学の世界に深く広く貢献 ⇒ 量子力学、ブラウン運動、サイバネティックス、確率過程、調和解析など
シャノンもMITでウィーナー(シャノンの22歳年長)のフーリエ解析の講義をとり憧れ、48年の論文では、通信の統計的性質に関する見解に影響を与えてくれた人物としてウィーナーに謝辞が贈られている
ただ、情報理論の核心を占め、符号化定理に由来する操作上の意味を備えた概念について、ウィーナーが把握してい証拠は存在しない
20.
変革の年
数学界では、若手の数学者は30歳までに人生最大の研究成果を達成すべきだという一般通念が長らく定着 ⇒ 48年、シャノン32歳の年、情報理論をまとめ、それがほかの研究の出発点となり、ベル研究所での評判を高める。研究所の若きアナリストと2度目の結婚、仕事上のパートナーともなった
21.
望む以上の賛辞
53年、『フォーチュン』で情報理論が分かりやすい形で大衆向けに初めて、相対性理論や量子理論と並ぶ新しい理論として紹介 ⇒ 「人類の平和な時代における進歩や戦争における身の安全は、情報理論の賢明な応用にかかっていると言っても過言ではない。アインシュタインの有名な方程式を爆弾や発電所など物理的な形で応用するよりも価値がある」と絶賛し、翌年の「アメリカで最も重要な科学者20人」に、DNAのワトソンやファインマンとともにシャノンを加える
同時に様々な形でのバンドワゴン(便乗)効果を招来、シャノンは過熱に対して警告
22.
「我々は、シャノン博士の助力を緊急に必要としている」
CIAの4代目長官から、シャノンに対し、暗号諮問分科会SCAGへの参加の要請
23.
マンマシン
高まる名声のお陰で、自由気ままな行動が許されるようになり、48年以降ベル研究所はシャノンに干渉しなくなり、機械いじりや趣味に没頭するようになる
24.
チェスコンピュータ初号機
初めてチェス指し自動人形が公開されたのは1826年だが、裏で人間が操作していた
40~50年代初め人間に挑むチェスのプログラム開発に興味を示し、65年にはロシアを訪問し、当時のチェスの世界チャンピオンに挑戦し惜敗
チェスを指す人工知能が将来どのような形で応用されるかさまざまに想像 ⇒ チェスが訓練の場として理想的
人工知能にはどんな長所と短所があるのか、シャノンの回答は、「行動という視点から見れば、機械はあたかも考えているかのように振る舞う。高度なプレーには推論能力が必要だと常に考えられてきた。思考を心の働きではなく外面に現れる行動の特性として捉えるなら、機械は確実に考えている」というものであり、人工的な脳が有機的な脳の能力を凌ぐ日が来るという確信を持っていた
25.
建設的な不満
シャノンは「創造的思考」をテーマとした講演で、「全人口の一握りの人たちから重要なアイディアの殆どは生み出される。才能と訓練に加えてモチベーション、即ち解答を見つけようとする熱意、物事を進行させる仕組みを理解しようとする情熱(=好奇心)がなければ結果は得られない」「建設的な不満、物事が正しいと思えないときに感じる僅かな苛立ちも、優れた洞察のきっかけになり得る」「天才とは苛立ちを世の中で役に立つ形に変えられる人物」「天才は解答を見つけることから喜びを得られなければならない」「私は定理の証明から大きな喜びを得られる」「最終結果を見つけることの喜びに代わるものはない」
①
最初に必要なのは単純化の作業 ⇒ 問題を重要な要素に分解する。偶然と本質の違いを嗅ぎつける勘が必要
②
次いで、独創的漸進主義 ⇒ 自分が抱える問題に、似たような問題に既に存在している解答を当てはめた上で、答えに共通する部分を類推する。いかなる精神的思考においても、一気に大きく飛躍するより、2つの小さなステップを踏んで飛躍する方が簡単
③
それでも解決が不可能な場合は、問題を言い換える ⇒ 言葉を変え、見解を変える。問題を見るための妨げになっている思い込み/偏見から解放される
④
見方を変えるために最も効果的な方法の1つは「問題の構造的分析」 ⇒ 圧倒されるような問題を小さなピースに分解
⑤
分析できない問題でも反転は可能 ⇒ 結果は既に正しいと仮定し、前提のほうを証明したらどうなるか試す
⑥ どの方法にせよ自分にとっての解決策を見つけたら、それがどこまで拡大解釈できるか時間をかけて考えてみる
III.
遊ぶ天才
26.
シャノン教授
56年、MITがシャノンを1学期限定の客員教授として招く
学問的野心のないシャノンは、仕事より趣味や関心事を優先
MITでは、彼の名を冠した講義が開設され、終身在職権を与えられ、数学と工学の2つの部門で教授に任命。電気工学部を情報理論の未来へと導く役目を期待されていた
シャノンの研究の中身の濃さを生み出したのは、生涯にわたる特徴であった遊び心。後半の人生の殆どをチェスや機械いじりやジャグリングに費やした
27.
内部情報
60~70年代にかけては投資にも興味。市場の混乱に秩序を与えるアルゴリズムの作成に成功、金融の流れを見抜く特殊な洞察を手に入れた
そうでなくとも、MITとベルの両方から給料が払われただけでなく、多くのテクノロジー関連企業のスタート時に関わっていたことが有利に働き、情報コンサルタントとしても企業に貢献している ⇒ 大学時代の友人の1人が起業したテレダインへの投資は25年にわたって27%の年複利収益をもたらしたのはその1例
金融部門でのシャノンの研究がななにか長続きするものを残したと言えるならば、それは短くて気の利いたジョークの数々 ⇒ どんな種類の情報理論が投資にベストかと尋ねられ、「内部情報だ」と答えた
28.
からくり好きの天国
シャノンが勤務時間外に創造した作品の多くは風変り ⇒ 辛辣な言葉を話す機械、ローマ数字計算機、火を噴くトランペット、ルービックキューブを解く機械
世界で初めてウェアラブル・コンピュータを考案したのは、数学とギャンブルと株式市場をほぼその順番で愛好したエド・ソープ ⇒ 60年、MITの若手教授となり、ブラックジャックに関する理論に取り組み、研究成果を米国科学アカデミーの紀要に発表しようとして、MITの数学科の教授の中で唯一メンバーだった同僚のシャノンに助けを求める
(『19-10 天才数学者、ラスベガスとウォール街を制す』P.3参照)
数学を意外な領域に応用し、思いがけない洞察を得る喜びを2人は共有したが、ソープがシャノンの自宅を訪れて見た地下室のことを「からくり好きの天国だった」と語っていた
2人が創作した装置は「タバコの箱と同じサイズ」で、靴の中に仕込んだ超小型のスイッチを足の親指で操作すると、ギャンブルに関するアドバイスが音楽の形で伝えられる仕組み
ネバダ州のギャンブル業界がマフィアとの癒着で有名だったことを考えると、シャノン夫妻とソープの妻が躊躇って慎重に行動したのが恐らく正しかったのだろう、ウェアラブル・コンピュータは増え続けるシャノンの奇抜な発明品の山の中に仕舞われた
29.
奇妙な動き
ジャグリングの2つの動きである空中に放り投げるトスジャグリングと、地面にボールを叩きつけ跳ね返ってきたボールをキャッチするバウンスジャグリングという、スタイルの異なる2つの物理的特性をうまく融合できないかと考えた
ジャグリングと惑星の軌道の測定には共通点があるが、複雑で興味深い性質を備えているところから、小さい頃からのアマチュアのジャグラーだったシャノンが興味を示す
ジャグラーの動作を分析すると、一連の予測可能な放物線が現れてくる ⇒ ジャグリングの定理を発見しただけでなく、83年にはジャグリングするロボットを自ら制作
30.
京都
世界中からシャノンのもとに名誉の印や功績を認める評価が届けられたが無関心
66年、ジョンソン大統領からアメリカ国家科学賞授与 ⇒ 「通信と情報処理を支える数学的理論への目覚ましい貢献」が認められた
78年、オックスフォードのオール・ソウルズ・カレッジで客員特別研究員の名誉を与えられたときは、トリニティ学期(最終学期)にピアーズやオリバーと再会したが、それぞれの研究や興味の対象に関して真面目な講演を行う予定だったが、同僚は最後までシャノンを心配、彼が作った独創的な論文は『4次元的なねじれ、あるいはイギリス滞在中のアメリカ人ドライバーへの一助となるささやかな提案』と題したもので、自らも「壮大だが非現実的で、数学者の愚かな夢」と認めているが、4次元を創造し、左右の確認能力を逆転させようというもの。鏡をシステムを取り入れ映像が奇数回にわたって反射されれば、4次元的に180度回転された映像として見えるようになる。冗談半分で書かれたものだが、シャノンのオックスフォード滞在で最も記憶に残る成果となった
人前での講演に伴う不安は、時間とともにますます膨れ上がった。時間が経つほど、自分の名声を高めてくれた研究との距離は広がったからだ。知的レベルが高くて興味深い主題が見つからなくなる可能性への不安が原因だった
ノーベル賞の候補にはなったが、数学賞がないことや、研究分野が複数にまたがっていたためにどれか1つに特定しにくかったことからノーベル賞とは縁がなかった
85年京都賞。基礎科学部門の第1回受賞者に選出 ⇒ 京セラ創業25周年を記念して創設。精神と科学両面のバランス良い解明に寄与し、新しい哲学的パラダイムの構築を促進する刺激剤として賞を設けるのだと、創設者のスピリチュアルなテキストが印象的だったが、やがてノーベル賞のライバルとして高く評価されるようになる
シャノンにとって大変な名誉で、多くの点でキャリア最高の評価となる。『通信並びにコンピューティングの発達と私の趣味』と題した記念講演は人々の記憶に長く留まるもので、公式な場での最後のもの ⇒ 歴史上の重要人物とは思想家やイノベーターであり、素晴らしい科学の発見もエンジニアや発明家が仲介役にならない限り一般人の生活には影響が及ばない点を強調した上で、コンピューティングの歴史を簡単にまとめた後、自分が登場するところまで話を続ける。講演は、情報を伝え、考え、論理的に考えて行動できる機械について、そしてこれらを可能にしてくれる理論的枠組みについての生涯にわたる研究の総まとめとなった。日本語の趣味という言葉を使って説明。チェスの機械もジャグリングするロボットを作ることは、趣味としても時間と金の無駄のように思えるかもしれないが、貴重な結果はしばしば単純な好奇心から生み出されることを科学の歴史は教えてくれると強調。人工知能の分野はここ30~40年の間に発展を遂げ、いまでは商業的応用の可能性が注目されている。2001年までには人間と同じように歩いたり見たり、試行する機械が誕生する気がする
31.
病気の兆候
80年、記憶が飛ぶようになり、83年には娘にジャグリングをするのかと聞き、アルツハイマーの初期と診断
01年逝去。彼の脳は、アルツハイマー病研究のために寄贈。墓石の裏側、大理石の開口部にシャノンのエントロピーの公式が刻まれている
32.
余波
何世代にもわたってアメリカのエンジニアや数学者にシャノンの研究が影響を及ぼし続けたのは、彼の根本的な価値観と共鳴したからで、それは単純さを大事にする価値観。本質を追求するための訓練として数学にアプローチしたシャノンは、自己完結型で洗練され直観的で、もちろん目をみはる様な研究成果を生み出した
クロード・シャノン 情報時代を発明した男 ジミー・ソニ、ロブ・グッドマン著
デジタル通信の礎築く天才
2019年8月31日
2:00 日本経済新聞 朝刊
シャノンは計算機に論理演算が実行できることを示し、さらに情報を定量化した「情報理論」の考案者だ。彼の成し遂げたことの上に今日のデジタル情報通信社会は成立している。本書はその生みの親の一人であるシャノンの評伝だ。
非凡な才能は持っていたが目立たなかった学生時代、著名研究者の元で頭角を現し計算機械が成し遂げ得ることを理論的に示した大学院生時代、遺伝学での博士論文、その後の情報理論を生み出したベル研究所時代、射撃管制や暗号理論など戦争中の研究、チューリングやウィーナーなど他の天才たちとの対話を通したロボットや人工知能への貢献、現在の情報通信時代への展望を経て、アルツハイマーで亡くなるまで、私生活も含めて描かれている。
シャノンは開閉器とブール代数の共通点に気づき、情報は符号化することでノイズ下でも通信で送れることを示した。通信とは、ある地点で選択されたメッセージを、別の地点で正確に復元することだ。意味は関係ない。シャノンは情報から意味を切り離した。
そして情報は2進数で符号化でき、測定単位に「ビット」という名前を提案した。研究機関に所属していたものの、ほとんど一人で研究していたシャノンが同僚にアドバイスを求めたのは、この名前くらいだったという。
さらに符号はランダムに送られるわけではなくルールに従うこと、メッセージには冗長性が含まれること、冗長性は操作できることを示した。これらの成果を踏まえて情報はある限界まで圧縮でき、通信を効率化することができることが理論的に示された。今では誰もが知る通信容量の概念が生まれたのだ。そしてシャノンによって、その限界の範囲内であればメッセージを十分に正確に送ることができることが明らかになった。これが彼の成果である。
シャノンは本質を見抜いて切り出し、抽象化して捉える能力を持っていた。彼の業績の共通点はここにある。
評伝として本書が優れているかというと、やや微妙だ。シャノンが見ていた風景は本書が描く範囲よりも広かったのではないか。他の本への入り口の一つとしてすすめたい。
《評》サイエンスライター森山 和道
原題=A Mind at Play
(小坂恵理訳、筑摩書房・2500円)
▼著者のソニ氏は米国の編集者。グッドマン氏は元スピーチライター。
Wikipedia
クロード・エルウッド・シャノン(Claude Elwood Shannon, 1916年4月30日 - 2001年2月24日)はアメリカ合衆国の電気工学者、数学者。20世紀科学史における、最も影響を与えた科学者の一人である。
情報理論の考案者であり、情報理論の父と呼ばれた。情報、通信、暗号、データ圧縮、符号化など今日の情報社会に必須の分野の先駆的研究を残した。アラン・チューリングやジョン・フォン・ノイマンらとともに今日のコンピュータ技術の基礎を作り上げた人物として、しばしば挙げられる[1]。
1937年のマサチューセッツ工科大学での修士論文「継電器及び開閉回路の記号的解析」において、電気回路(ないし電子回路)が論理演算に対応することを示した。すなわち、スイッチのオン・オフを真理値に対応させると、スイッチの直列接続はANDに、並列接続はORに対応することを示し、論理演算がスイッチング回路で実行できることを示した。これは、デジタル回路・論理回路の概念の確立であり、それ以前の電話交換機などが職人の経験則によって設計されていたものを一掃し、数学的な理論に基づいて設計が行えるようになった。どんなに複雑な回路でも、理論に基づき扱えるということはコンピュータの実現に向けたとても大きなステップの一つだったと言える。
ハーバード大学教授のハワード・ガードナー(Howard
Gardner)は、この論文について「たぶん今世紀で最も重要で、かつ最も有名な修士論文」と評した。ただし、わずかな時間差であるが、中嶋章による発表の方が先行しており(論理回路#歴史を参照)、独立な成果か否かは不明とされている。
1948年ベル研究所在勤中に論文「通信の数学的理論」を発表し、それまで曖昧な概念だった「情報」(information)について定量的に扱えるように定義し、情報についての理論(情報理論)という新たな数学的理論を創始した。
翌年ウォーレン・ウィーバーの解説を付けて出版された同名(ただし“A”が“The”に変わっている)の書籍『通信の数学的理論』で、シャノンは通信におけるさまざまな基本問題を取り扱うために、エントロピーの概念を導入した。情報の量(情報量)を事象の起こる確率(生起確率)によって定義し、エントロピー(平均情報量)を次のとおりに定義した。時間的に連続して起こる離散的な確率事象 {\displaystyle
X}
の生起確率 {\displaystyle
\Pr[X=i]}
によって定まる情報量
({\displaystyle -\log \Pr[X=i]}
) の期待値が、エントロピー {\displaystyle H(X)}
である(エントロピー#情報理論におけるエントロピーとの関係も参照)。
そして、ノイズ(雑音)がない通信路で効率よく情報を伝送するための符号化(「情報源符号化定理」または「シャノンの第一基本定理」)と、ノイズがある通信路で正確に情報を伝送するための誤り訂正符号(「通信路符号化定理」または「シャノンの第二基本定理」)という現在のデータ伝送での最も重要な概念を導入した。これらはそれぞれデータ圧縮の分野と誤り訂正符号の分野の基礎理論となっている。通信路符号化定理は単一通信路あたりの伝送容量に上限があることを意味する。
{\displaystyle C=W\log _{2}\left(1+{\frac
{S}{N}}\right)}
アナログデータをデジタルデータへと変換する時、どの程度の間隔でサンプリングすればよいかを定量的に表す標本化定理を1949年の論文"Communication
in the Presence of Noise"の中で証明した。標本化定理は1928年にハリー・ナイキストによって予想されており、またシャノンの証明発表の同時期に証明をした人物が複数存在するが、シャノンのものが最も有名であり、英語圏では「ナイキスト=シャノンの標本化定理」という名前で知られている(詳しくは標本化定理を参照)。標本化定理は、現在、コンパクトディスクを始めとしたあらゆるデジタイズ技術の基礎定理となっている。
1949年に論文「秘匿系の通信理論」[7]を発表し、ワンタイムパッドを利用すると情報理論的に解読不可能な暗号が構成でき、情報理論的に解読不可能な暗号はワンタイムパッドの利用に限ることを数学的に証明した(現代の暗号研究で考察されている計算量的に安全な暗号ではなく、情報理論的に安全な暗号を考察している点に注意)。
1949年にコンピュータチェスに関する画期的な論文「チェスのためのコンピュータプログラミング」[8]を発表し、力ずくの総当たりでなくコンピュータがチェスをする方法を示した。コンピュータがどの駒をどう移動するかを決定するのにシャノンが用いた方法が、評価関数に基づいたミニマックス法だった。評価関数は、駒の価値や、駒の位置の価値、移動の価値などをすべて数値化して「局面」の価値を評価するものであり、シャノンはその後のゲーム展開を探索木(Search
tree)に分類してどの着手がもっとも良いかを探索する方法について考察している。この論文はコンピュータゲームでのコンピュータの思考プログラム設計の原典となった。
1956 リサーチ・コーポレーション賞
1962 マービン・J・ケリー賞
1967 ゴールデンプレート賞
1978 ジョゼフ・ジャカール賞
1978 ハロルド・ペンダー賞
1991 エドワード・ライン賞
^ コンピュータ「技術」の基礎を作り上げた人物として挙げられる、ということは事実であるが(特に一般人は、「IT」というバズワードの T が技術を意味しているために)、チューリングやノイマンについても同じことが言えるが、技術への貢献以上に、まず第一に「理論への貢献」と、コンピュータの専門家や科学史家ならば言うであろう。
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