アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか  Harlan K. Ullman  2020.1.20.

2020.1.20.  アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか 歴代大統領と失敗の戦後史
Anatomy of Failure: Why America Loses Every War It Starts      2019

著者 Harlan K. Ullman 米戦略国際問題研究所(CSIS)、アトランティック・カウンシルのシニア・アドバイザー。1941年生まれ。米海軍士官学校卒業。ハーバード大学(国際政治・金融)、タフツ大学(法律・外交)で博士課程修了。海軍大学で博士号(政治学、国際金融学)。安全保障の専門家として、米政府や経済界に助言し、米国内外のメディアに出演している。米国国防大学特別上級顧問、欧州連合軍最高司令官管轄下の戦略諮問委員会メンバーも務める

監修 中本義彦 1965年生まれ。静岡大学教授。ヴァージニア大学政治学部博士課程修了、Ph.D.(国際関係論)
訳者 田口未和 翻訳家。上智大学外国語学部卒業。新聞社勤務を経て翻訳業に就く

発行日             2019.8.10. 初版発行
発行所           中央公論新社


序章 戦時に形作られるシンプルな真実
半世紀以上もの間、アメリカは自ら始めた戦争すべてで敗北。併せて、自ら始めた武力介入でも失敗。しかも後になってから、その介入の理由は誤った情報に基づいていたか、仕組まれたものだったか、根拠がなかったか、無知だったか、あるいは単純に間違っていたかのどれかだと分かった
人道的介入は、たいていは一時的な状況の改善をもたらすだけで、長期的な解決にはならない。成功例は僅かしかなく、91年のイラク北部のクルド人地域での救援作戦や、90年代のバルカン半島の民族紛争の際に、NATOが最終的に武力介入を決めたことなどに限定
批判的な目で、客観的に、感情を排して分析してみれば、武力行使が失敗に終わった理由や要因は明白で反論の余地がない。ヴェトナムと03年侵攻以降のイラクは、武力介入が失敗し破滅的な影響をもたらした最も明らかな例
本書では、「戦争」を大規模な紛争における軍事力の行使と定義。人間以外の敵に対する比喩的な意味での戦いでもやはり失敗に終わってきた。命名からして問題がある「テロとグローバル戦争」は失敗の最たる例
本書の目的は、将来のリーダーと国民に警鐘を鳴らし、アメリカが始めた近年の戦争の悲惨な結果についてしっかり認識してもらうこと、そして、そうした過ちが繰り返されないように、あるいは被害を最小限に抑えるために、より健全な戦略的思考を用いた解決策と行動を提案すること
武力行使が間違った方向に進んだのは、意思決定者の判断ミスが原因で、彼らは健全とはいえない誤った戦略的思考を取り入れたために、間違った決断をしてしまった
本書が生まれるきっかけは、ヴェトナム戦争中の1965年、哨戒艇の艇長として参戦する中で見た、アメリカが自ら始めた戦争の泥沼化を見たこと
1964年、トンキン湾決議は上下両院で僅か2票の反対票で圧倒的支持を得て、以後3代の大統領にヴェトナムでの戦争を続ける実質的な自由裁量権を与えたが、北ヴェトナムの公海上にいたアメリカ駆逐艦に北ヴェトナム政府が2度の意図的な攻撃を命じたという事実ではない報告に基づいて実行された
アメリカは圧倒的に優位な兵器と機動力を活用した戦術を、戦略の代わりとしており、目的と手段の混同が致命的な結果に繋がる。間違いの1つは、戦術を正当化するために数と量に依存し過ぎたこと。「Body count(死者数)」を成功の尺度にするという回りくどい方針を採用、敵の死者数が多いのは自分たちが勝っている証拠だとした
ヴェトナムでの3つの原体験は、目的と手段の関係を理解せず、あるいは健全な戦略的思考なしに武力を行使する愚かさをはっきりと示し、敗北を自ら呼び込む失敗で、全ての戦争が人間の弱さと意図せざる結果を反映するという見方の正しさを証明する例でもある
    65年、北ヴェトナム軍による海からの武器と兵員の補充を断つために海上哨戒機で監視を始めたが、北側が既に内陸部の奥深い地域を通る南への効果的な補給ルートを確保していた。66年、米空軍機が味方沿岸警備艇を誤射。さらにはCIAが南ヴェトナム全土に独自の航空基地と地上の民兵組織を維持していたために余計に混乱を招来。戦争は各軍や機関が独立して、あるいは個別に戦ってもうまくいかないことを示す例。共同作戦と統一された指揮系統の欠如は、20年後の86年成立した「ゴールドウォーター・ニコルズ法」で見直されたかに見えるが、アフガンや第2次イラク戦争では再び同じ失敗が繰り返される
    66年末のテト停戦の際、上層部が絶対にありえないと決めつけている状況を想定しておかなければならないケースが起こる。クリスマスイブの戦闘で負傷した部下に勲章を申請したが、アメリカ軍は決して休戦協定を破らないとの理由で却下。前線で戦う兵士たちと、後方にいる政治家や指揮官の間に存在しがちな大きな隔たり、特に最高司令部や政府上層部の戦争についての自己欺瞞が目立つ
    勝利への道として人を殺すという戦略は決してうまくいかない。67年、CIAが助言を与えていた南ヴェトナムの傭兵によって暗殺作戦が進められ、少なくとも5万人が殺害されたが、その一部の任務に就かされたことがあった。欠陥のある戦略的思考と、そもそも戦争に突入した理由が誤っていたために目的と手段が噛み合わないときには、戦争努力は道徳的にも政治的にも罪深いものになることを示す
半世紀たっても、ヴェトナムから学んだはずだったことが、何世代もの指導者の頭から抜け落ちていた。信頼できる正当な理由や戦略的思考なしに戦争や武力介入を始めたり、不必要な徴発をしたりすれば、失敗は避けられない。問題は、アメリカの指導者がこれからも同じ行動を繰り返して別の結果を期待するという愚策にとらわれ続けるのかどうかだ
アメリカ人があまりにも多くの政権に健全な戦略的思考が欠けていたことを忘れ、このたびたび繰り返される病に立ち向かうように将来の大統領を励ます手段も影響力も持たなくなってしまうことが怖い

第1章          なぜ失敗するのかを分析的に考える
なぜこの数十年間の共和・民主両党の政権は、武力は最終手段と言いながら、実際には最初の政策として武力行使を選ぶことの方が多く、政府が選択できるその他の手段を無視、あるいは過小評価してきたのだろう
答えの1つは、大統領の個人的資質 ⇒ 憲法が要求する資格は、アメリカ生まれでアメリカ国籍を持ち、35歳以上で、アメリカに14年以上住み、選挙人団の過半数の票を獲得することだけ
政策を効果的にするためには、まず現実に達成される結果を明らかにし、次に目的と手段、入手可能な資源を結びつけるプロセスに進まなければならない。提示される結果が曖昧過ぎたり実現不能だったりすることが多過ぎる
健全な戦略的思考を採用しないとき、あるいは武力行使が必要になるかもしれない場面で、状況についての総合的な知識と理解が欠けているときに、どれほど致命的な結果を招きうるか、それを明らかにし分析するのが本書のテーマ

第2章          ソ連、ヴェトナムへの道―J.F.ケネディ
61年発足のケネディ政権は、キャメロット(ケネディ政権とそれを取り巻く人々を指す)とニューフロンティア(ケネディ政権の政策で、戦争・貧困・差別などを新たなフロンティアと見做し解決を呼び掛けた)がワシントンに旋風を巻き起こす
JFKの考え方の基礎は、40年の卒論『英国はなぜ眠ったか』にあり、ヒトラーに対する宥和政策を批判する内容 ⇒ 1930年代のナチスドイツの台頭という悲劇を繰り返さないために、ソ連とその独裁政治には武力で対抗しなければならない
アイゼンハワー政権下の53年、イランでダレスのCIA工作によりモハンマド・モサデク首相がクーデターで失脚し、シャーが「孔雀の王座」に復活、54年にはCIAがグアテマラのクーデターを支援して成功。相次ぐ成果でキューバのカストロも簡単に排除できると考えた
61年誕生のケネディ政権は、60年の選挙中からアイゼンハワーやニクソンより右寄りの姿勢を見せ、米ソ間には「ミサイルギャップ」が存在し、アメリカはソ連に遠く引き離されていると主張。完全に誤った認識にも拘らず、就任早々から防衛費を増額し、戦略的核戦力の増強に邁進する
61CIAの訓練を受けた亡命キューバ人が立ち上がったピッグズ湾事件と、存在もしないミサイルギャップを埋めるためのケネディの再軍備計画は、通常戦力の削減を始めていたフルシチョフの新しい防衛戦略を巡る激しい議論を引き起こす
フルシチョフは、アメリカがソ連の国境ともいえるトルコに中距離弾道ミサイル「ジュピター」を配備していたことを知って、ソ連もミサイルをキューバに配備し、既成事実化することを狙い、62年にはミサイル発射基地の建設を始める
アメリカの海上封鎖と圧倒的な軍事的優位を前に、ソ連は戦争の危険を冒す準備ができておらず、フリシチョフはミサイルの撤去に応じざるを得ず、交換条件としてアメリカがキューバを攻撃しないという秘密の合意がなされル。欧米ではケネディ個人と政権の重要な勝利として認識されたが、フルシチョフは失脚、その後のソ連の再軍備転換へと続く
だが、ヴェトナムはそうはいかなかった。反乱勢力を簡単に潰せると考えたロストウ安保担当次席補佐官と、ラオスやヴェトコンなど共産主義の東南アジアでの影響力拡大に対する「ドミノ理論」に裏付けられたテイラー退役陸軍大将の悲観的な見方の板挟みになってケネディは悩んだ末に、無能なゴ・ディン・ジエム政権に対し軍事顧問団の数を増やして支援を厚くしたが、政治的・軍事的な状況は悪化の一途を辿り軍事クーデターに発展、その責任の大部分はアメリカ政府が負わされ、3週間後にはケネディが暗殺 ⇒ 一連の悲惨な結果の根本にあるのは、健全さを欠いた戦略的思考と不十分な状況把握
両大戦間の時代に芽生えた孤立主義は、その時期を通じてアメリカ外交政策をほぼ支配したものの、将来的に外交政策の大部分を形作ることになるのは、アメリカの理想主義的な見解で、政争は理論的には、「水際で留まる」と信じる集団思考に繋がるが、現実にはそうはならず、アメリカの集団思考は、ソ連を第二次大戦中に出現したファシズムと独裁政治の新しい形だと単純に結論づけた ⇒ 有力閣僚が皆大戦に従軍し、ソ連に関して同質的な見解がホワイトハウスに持ち込まれた
冷戦の戦士としてのケネディのイデオロギーが実際には存在しないソ連とのミサイルギャップを埋めるために露骨な軍事力でソ連の野心を抑え込もうとすることへと繋がる。イデオロギーが健全な戦略的思考に取って代わり、健全な戦略的思考の欠如とイデオロギーへの信頼は、40年後の存在しない大量破壊兵器を排除するためにイラクに侵攻するという決定に繋がっている
ケネディが防衛力の再建を公約に掲げて大統領選を戦っていたために、事実と証拠は決定にほとんど影響を与えず、イデオロギーと先入観の方が重視された
アメリカは、他国の文化についての認識と理解が欠けたまま

第3章          泥沼化するヴェトナム―L.ジョンソン、R.ニクソン、J.カーター
1964年北ヴェトナム沖で米海軍の駆逐艦が魚雷攻撃を受けたのを機に、米議会が大統領に戦争を始める権限を与え、10年戦争に繋がる
ヴェトナム戦争は間違いなく、アメリカ政府が実際には起こらなかった出来事をもとにエスカレートさせることを選んだ戦争。同じことが03年に繰り返された
結論は明確
1に、戦争においては敵とその戦略をよく知らなければならない。アメリカはそれを怠った
2に、イデオロギーやミラー・イメージング、戦術の成功と戦略的勝利の混同で、判断力を鈍らせてはいけない。情報を歪めてはならず、集団思考や政治的な思惑を反映させてはいけない
3に、文化を知ることが成功の必須条件。文化的な傲慢さも失敗の1要素
4に、技術的優位に依存した戦略は避けなければならない
5に、アメリカ軍の組織編成や指揮系統は、政府のあらゆる部門も関わり複雑すぎる。各機関が別々に行動し、情報を遮断することは失敗の処方箋にしかならない
76年の選挙で勝利したカーターは、国民に嘘をつかないことを約束、ウォーターゲート事件やヴェトナム戦争の後で、国をまっさらな状態に戻したいと切望、防衛費を削減し、ソ連に対しては軍拡競争を制限するだけでなく、対抗意識を持ちながらの緊張緩和を望む
国際主義者だったが、彼の政策と意図は、ソ連に関してはどっちつかずで曖昧。ソ連政府との交渉と積極的関与を論じる一方で、ソ連の他国への影響力拡大と人権の軽視に関しては非難していた点で、本質的な矛盾があり、折り合いをつけることは能力的に不可能
戦争を始めるという落とし穴にははまらなかった。エジプトとイスラエルの和平を実現させ、ソ連とのSALT II(2次戦略兵器制限交渉)も開始したが、次第に弱腰と見做されるようになり、79年イラン米大使館襲撃事件への対応に失敗し、続くソ連のアフガニスタン侵攻という裏切りに対してはモスクワ五輪のボイコットくらいしか手を打てなかった
理想主義的あるいは思想的な見解は、現実によって試されるべきで、ヴィジョンが現実から切り離されるとき、失敗の可能性ははっきりと高まる。大統領が必要な経験と判断力、学習能力という必須条件なしで選ばれる限り、失敗の可能性はますます大きくなる。カーター以降の歴代大統領は1人を除き、全員がこの残酷な真実を学ぶ必要があったのだが、誰1人としてそうしなかった

第4章          悪の帝国とスターウォーズ計画―R.レーガン
81年大統領に就任したレーガンは、財政面での保守主義と強硬な反共主義を結びつけたレーガン革命を進め、ソ連との軍備管理交渉では「中距離核戦力全廃条約INF」とレイキャビクでの米ソ首脳会談における核兵器全廃についての努力という成果に繋がる
ソ連を「悪の帝国」と名指しし、88年モスクワでの首脳会談で撤回
83年発表の戦略防衛構想SDIは一般には不遜にも「スターウォーズ計画」として知られる
87年には、ベルリンで「ミスター・ゴルバチョフ、この壁を取り壊してください」と発言し、安保補佐官を2度も務めたスコウクロフトのような専門家からは、要求を通させる影響力も手段も伴わない意味のない言葉だと批判 ⇒ 30年後にもシリアのアサドに対し、権力の座から退くことと化学兵器の使用を禁じる旨の、同じ趣旨の発言が繰り返された
レーガン政権が「減税、小さな政府、国防再建」を実行に移すと、「レーガン・ドクトリン」によって共産主義とソ連に世界規模で対抗することが含まれ、ベイルートやカリブ海のグレナダに公然と地上軍を派遣、イラン・コントラ事件と併せ悲惨な結果をもたらす。アフガニスタンでもイスラム兵士にスティンガーミサイルなどの武器を供与しソ連に向かわせたが、戦略的には短絡過ぎて、96年彼らが権力を掌握するきっかけを与えてしまった
イラン・イラク戦争では、イラン政府への強烈な敵愾心のために、サダム・フセインに肩入れし、イラクはアメリカ海軍の哨戒中のフリゲート艦を誤射し、アメリカのミサイル巡洋艦はイランの民間航空機を誤射して乗客乗員全員が死亡という悲惨な事故を起こす。さらに終戦後フセインは、アメリカが無言の同意を与えたと早とちりしてクウェートに侵攻、湾岸戦争への導火線となる
レーガンは、ヴィジョン、温かみ、魅力、カリスマ性は持っていたかもしれないが、戦略的思考が彼の強みになることはなかった。実際政権は最初からスキャンダルだらけで、犯罪や不祥事のために告発されるか有罪になった政権のスタッフの数が多い。さらにもう1つの欠点は、管理や監督を嫌ったことで、側近の補佐官たちへの自由放任主義的なアプローチは管理能力の欠如を最もよく表している
レーガンの偉大な遺産の1つはアメリカ軍を再建したこと ⇒ レーガン時代の防衛予算の増額が、すっかり「空洞化した」軍の再建に不可欠だったことは間違いない
レーガン政権には戦略的思考のための完全に実行可能なプロセスが存在した ⇒ 時の国防長官の名をとって、「ワインバーガー・ドクトリン」と呼ばれ、後に「パウエル・ドクトリン」の土台になるもの
     自国または同盟国の国益に重要と見做されない限り、国外の戦闘に軍を派遣すべきではない
     特定の戦闘に兵を派遣するのであれば、はっきりと勝利を確信した上で遂行しなければならない
     国外の戦闘に部隊を派遣するのであれば、政治的・軍事的な目的を明確に定義すべき
     目的と派遣する軍の関係(規模・構成・配置等)は、継続的に見直しを行い、必要であれば調整しなければならない
     国外へ軍を派遣する前に、アメリカ国民及び議員の支持を得られるという確信がなければならない
     アメリカ軍の派兵は最終手段とするべき
ブッシュ・シニアに続く3人の大統領は、どのような状況なら戦争を選び、どのような状況なら戦争を避けるべきかについて、この力強い助言を聞き入れないことを選んだ
ニクソンとブッシュ・シニアの政権は過ちの多くを避けられたものの、前者は大統領の辞任によって、後者は二期目を目指した選挙での敗北によって幕を閉じた

第5章          冷戦終結から第一次湾岸戦争へ―G.H.W.ブッシュ
ブッシュ・シニアが「大きな危機」と呼んだ、ソ連崩壊後のヨーロッパと第1次湾岸戦争のことを正しく理解していたことは称賛に値いするが、彼が思い描いた「新世界秩序」は国際体制を根本から揺るがす厄介な変化をもたらすことになる
ソ連をアフガニスタンから追い払う手助けをした武装勢力は、やがてイスラム主義の過激で倒錯した暴力へと変質、その暴力が現在世界全域に広がりつつある。同様にユーゴの解体がバルカン紛争を引き起こし、ブッシュとそれ以降の政権及びNATOの同盟国はその素早い解決に失敗
89年、天安門事件勃発
ブッシュにとっての優先事項は、姿を消しつつあるソ連後の世界の舵を取り、中国との関係を回復すること
9091年の「砂漠の盾作戦」及び「砂漠の嵐作戦」 ⇒ アメリカ側の戦死者は146人、うち70人は友軍の誤射と事故によるもので、50万強の軍隊が規模ではその倍の軍隊と戦った戦争で、戦闘中の死者数50人というのは驚くべき数字であり、歴史上最も圧倒的な戦力の違いを見せつけた戦争に数えられる
ブッシュの支持率は兄弟で、優れた経済政策により順調は経済成長を遂げつつあったが、大統領選では、新鮮味とカリスマ性を備え新しい中道寄りの民主党を代表するクリントンに敗退
ブッシュ政権は、戦略的思考に関しては、また重要な問題を大局的に、そして幸いにも正しく理解していたという点では大きな称賛に値する。ドイツの再統一にも貢献したがこれは冷戦後の世界で最大の達成の1つ。国家安全保障担当補佐官スコウクロフトの手腕に助けられた。ゴルバチョフとも、そのあとのエリツィンとも友好的関係を築く。ソ連崩壊時にはロシアに数十億ドルの援助を提供、尊い人道的行為だった

第6章          ソマリア内戦、ユーゴスラヴィア紛争―W.J.クリントン
ブッシュは大統領選で、19%を獲得した無所属のロス・ペローの出現により、「マリファナと徴兵忌避の女たらし」だと大勢に思われているような男に敗退
クリントンは以後4代続く、おそらく1920年代のクーリッジ以来最も経験不足で準備も足りず、最もその職に就く資質に欠ける大統領の最初の1
新政権は政府の組織を整えることからして躓き、その経験不足はすぐに表面化。国防長官に任命された下院軍事委員会の委員長のアスピンが国防に関する知識が豊富な専門家であり本能的に正しい判断力を持っていることは、「砂漠の嵐作戦」を支持したことで証明されているが、自制心に欠け、軍の気風とは相容れない振る舞いが目立ち、ルーズヴェルト時代のマーシャル参謀総長やウィリアム・リーヒ海軍元帥以来の大物といわれたパウエル統合参謀本部議長相手の立ち回りは、最初から勝ち目がなかった
安保担当補佐官もCIA長官も国務大臣もみな役不足の上、国防に関する優先課題として、同性愛者がその性的指向を公にして軍隊に入ることを認めようとして躓く
93年、ニューヨークの世界貿易センタービルの地下での爆破事件は、アルカイダによるアメリカ本土への最初の攻撃だったが、政権は強い姿勢を見せず
ブッシュ政権から引き継いだソマリアとユーゴでの危機が本格化し、そこにハイチが加わる ⇒ いずれも小さな危機だが、政治的影響は小さくなかった
ソマリアでは国連の平和維持軍にアメリカも参加したが、泥沼の紛争がいまも続く
ユーゴでも状況が複雑で、10年間の一連の紛争が旧ユーゴを荒廃させ破壊した
98年末、ホワイトハウスでのスキャンダルに対し、クリントンが宣誓下で偽証したことを「重大な犯罪であり不品行」と判断した結果、下院が弾劾決議案を可決。上院は否決
同年、ユーゴとセルビアのコソボ人に対する残虐行為に対し、クリントンはアメリカにとっての「国家非常事態」であると宣言 ⇒ 99年、NATOにより空爆が開始されたが、国連決議を欠いたため、NATO加盟国以外からは反対の声も上がる

第7章          対テロ戦争―G.W.ブッシュ
アメリカの歴史の中でも特に激戦となった大統領選で、連邦最高裁は54の票でフロリダ州の得票数の再計算を終わらせ、ブッシュ・ジュニアを次期大統領と認めた
国家安全保障チームは、父親を超えないまでも同じくらい強力な布陣だったが、個性がぶつかり合い折り合いが悪かった ⇒ 副大統領はチェイニー元国防長官、国務長官がパウエル、国防長官はフォード政権で最年少の国防長官で、今度の政権では歴代最年長で同じ職に就いたラムズフェルド、国家安保担当補佐官のライスはスコウクロフトの弟子
国際環境は比較的安定していたものの、ブッシュはJFKと同様脅威を選挙戦の道具にした。JFKは存在しないミサイルギャップを持ち出したが、ブッシュはアメリカ軍再建の必要が差し迫っていると訴え、それを実現することが変革の目的になったものの、驚くほど計画の詳細を欠いていた
テロ攻撃によってブッシュの大統領としての目的意識は定まる。新しいフォーカスは閃きと呼ぶにはあまりに強烈。大統領自身がこの時、「神に与えられた使命」に従って行動するのだと仄めかした。9.11以前にはブッシュ政権はまだ足元を固めておらず、ブッシュ個人は一定の支持を得ていたものの、政権は特に外交政策に関しては苦労していた。ブッシュはヴィジョンと目的を必要としていたが、いまそれが「フリーダム・アジェンダ(自由への課題)」という明確な形になった。ブッシュは独裁政権の国の民主化が平和と安定への道だと強く信じていた。ブッシュはこのアジェンダを通して「中東の地政学的枠組みを変化させる」ことを目指すと言い、実際もそうしたが、その影響は破壊的なものであることがいまや証明されてきた
最初の標的はアフガニスタンのタリバン。すぐに敗走した後を受けて、新政府樹立のためのボン会議開催。願望ではなく必要を基礎において成功した国際交渉の模範的ケースとなり、カイザルを指導者とする新政府樹立が具体化したものの、長くは続かなかった
02年の一般教書演説で、イラン・イラク・北朝鮮の間に「悪の枢軸」が存在すると宣言。この名指しでの種別はジョンソンが「アメリカの若者をアジアの若者の代わりに死なせたりはしない」と宣言して以来の大きな失言

第8章          バラク・オバマからドナルド・トランプへ
09年、経験は乏しいものの希望と変化という大きな約束を掲げてオバマが大統領に就任
08年の金融危機で打撃を受けた経済が未だ回復には程遠く、2つの戦争(イラクとアフガニスタン)も悪化の一途を辿っていた上に、ブッシュが「テロとの戦い」と呼んでいた戦争はそれ以上に深刻、さらにはオバマが指揮したカダフィの追放作戦は最終的にカダフィの死とその後の内戦に発展し、イスラム国がリビアに入り込む結果となる
オバマのチームも一枚岩とはならず、ヒラリーも自分に忠実な者で周囲を固め、国務省からの情報の多くを遮断し、新長官を孤立させた
就任から間もなく、新大統領と彼の政権が大勢の人たちに将来への楽観的な期待を与えたことを評価してノーベル平和賞が贈られる
アルカイダのリーダーに関しては、オバマの決断は称賛に値するが、オバマとその後継政権の大きな失敗の1つは、軍事行動を起こす決定を下す際に、状況を理解し十分な知識を持つ能力に欠けていたこと
オバマの最優先課題の1つは、核兵器拡散の脅威を軽減することであり、米露の核兵器削減に尽力することで、その意図は称賛に値するし、外交政策での業績としてイランの核兵器保有の野心を巡る米・イランの対立が最悪の展開を迎えるのを防いだことが挙げられる
イラン核合意以外にもオバマは、精力的に残りの核不拡散計画の実現に努めた
前政権から引き継いだ一連の厄介な状況をひっくり返すことはできなかった。心に響くレトリックだけでは無力で、その典型が13年のシリア内戦でのアサド大統領による無辜の市民の虐殺への対応で、イギリスとの共同歩調までは良かったが、イギリス議会は否決、米議会での承認の見込みもないまま手をこまねくばかリ
11年末、「アジア・シフト(後にアジア・リバランスに変更)」戦略を発表するが、同盟国に同様を与えたのみならず、中国は主権と地位に対する直接の攻撃と見做して怒りを露わにし、14年にはロシアのウクライナ介入で尻すぼみに
シリアの悲劇は、現在の世界の安全保障環境がどれほど複雑で、相互に繋がっているかを示す多くの例の1つに過ぎない ⇒ 20世紀の大きく2極化された世界とは対照的
17年トランプが大統領に就任。敗れた候補の一般投票での得票がこれほど多かったのは、大統領選史上前例のないこと
まだ短期間の観察結果だが、新政権は、戦略的に考えること、あるいは何らかの行動が求められる問題について十分な理解と知識を持つことに失敗しているように見える
直近の4代大統領はいずれも大統領職を担うには経験と準備が大きく欠けていたと考えるが、なかでもトランプは政治経験が乏しすぎるし、カオス状態
米露間についていえば、対話の再開、あるいは新しい信頼醸成の手段を見つけることが不可欠で、それができなければ共通の利益を追求できる機会を流してしまう

第9章          どうしたら勝てるのか歴史が答えを教えてくれる
本書で考察してきた様々なケースで、健全な戦略的思考の欠如が失敗の根本的原因になってきた。たびたび繰り返される問題に加え、武力行使が必要になるかもしれない状況についての理解と知識も欠けていた。戦争を始めたり、武力行使をするという決定の根拠となる前提に厳しく疑いを投げかけることを拒否したり、避けたりすることが、同じように失敗の大きな原因となる
代わりに取り入れるべきは、健全な戦略的思考への頭脳ベース・アプローチで、これは3つの要素からなる。問題とその解決策についてのあらゆる側面からの完全な知識と理解、20世紀ではなく21世紀の現実に基づいた思考法、そして、現実の、また想定上の敵の意志と認識に影響を与え、コントロールすること
現在の、さらに分断と分裂が目立つ政府では、権力分散から生じる本質的な非効率が、政治的な麻痺状態に繋がってきた。そして両党がともに極端な方向に向かっていることも、統治の失敗を加速させる一因
9.11直後に議会は首謀者たちに対する最初の「軍事力行使権限AUMF」を承認したが、いまだにその権限に基づき紛争を続けている。イスラム国に対する軍事力の行使や、11年のカダフィの打倒、シリアやイエメンでのAUMFに記載されていない敵に対する攻撃は正当化されるものではない
20世紀後半から、アメリカは自ら始めるか挑発した戦争で負け続け、いつも同じ理由のために軍事介入で失敗してきた ⇒ 全てに共通するのは、大統領による決断が、後に間違っているとわかる前提に基礎を置いていたということ。問題となっている状況についての正確で総合的な理解の欠如が、こうした決定の否定的な結果をさらに悪化させる
2次大戦後の20世紀、アメリカの戦略は抑止と封じ込めの両方をソ連に対抗するための政策と戦略の基礎として使ったが、21世紀は全く別の世界。グローバル化と力の分散が情報通信革命によって加速し、個人と非国家の組織に力を与え、その分だけ国家の力が弱まり、400年近く続いたウェストファリア体制の主権国家中心の国際関係が揺らいだ
アメリカの軍事的・経済的優位は変わらないが、相対的な優位は失われつつある
抑止の新しい定義が必要
近隣国家を奨励し、巻き込んで、地域の安全により大きな責任を持たせ、アメリカは救援者となって、安定のための戦略を提供することに努めてきたし、将来のアメリカの政策の中心にならなければいけない。その努力はまず、将来のアメリカ、西側諸国、そして世界全体の安全のためにも、その基礎としてNATOを再活性化することから始めるべきだろう
アメリカは、友好国と同盟国をもっと効果的に利用し、相互利益を高めることに集中しなければならない

第10章      将来への道健全な戦略的思考への頭脳ベース・アプローチ
現在のアメリカにとっての最大の脅威は、冷戦終結以来広まった強烈な党派主義により、分裂し、内部崩壊し、機能しなくなった政府で、自ら修復できることはまず期待できない
軍についても危険は国内にある。内部コストの際限のない増加こそが問題。厳しい財政の現実と、内部コストの増加がアメリカの軍隊にとってどれほど危険かを完全に理解していないところが問題
最初に必要とされるのは、どうしたら正しい戦略的なアプローチを取り入れられるかを示し、その基礎にもなってくれるモデルだ。そこに必要なのは頭脳ベース・アプローチ
戦略への頭脳ベース・アプローチは3つの要素で特徴づけられる(前章参照)
     知識に基づいたものでなければならない ⇒ 基本的な目的、敵の詳細な分析、戦略それぞれで取り得る様々な行動とその前提、結果、コスト、人的被害と財政面からの実行可能性についての客観的な計算などが含まれる
     21世紀型の思考法で取り組まなければならない ⇒ 現在の状況、特に主権国家から成るウェストファリア体制のどこに綻びが出て、どう変化しているかを理解することがその基礎となる。その変化は、個人の力、多国籍組織、国際協定、アルカイダやイスラム国に様な国家を持たない組織によって引き起こされるものだ。理解には、「相互確証破壊」の戦略的スローガンには欠陥があるという認識も含まれなければならない。この概念は、冷戦時代の東西の核による対立を反映したもの。21世紀型思考には、「相互確証破壊」から「相互確証混乱」への移行が含まれる。こちらは、テロ、サイバー攻撃、環境破壊、その他の安全への脅威によって国際秩序が不安定になるのを防ごうという概念
     政策の目的は相手の意志と認識に影響を与え、コントロールすることでなければならない ⇒ より優れたイノベーション、創造力、発明の才、要するにしばしば「既存の枠にとらわれない思考」と呼ばれるものを使って、頭脳で相手の頭脳を打ち負かす。このアプローチはあらゆる既成概念を捨て去ることになるだろう
健全な戦略的思考の枠組みを作り上げ、すべての問題に十分な理解と知識で取り組み、優れた意思決定を出来るようにしても、現在のプロセスにみられる曖昧さ、特異性、不合理さのすべてが自動的に正されるわけではないが、現在の「新世界無秩序」の時代には、健全な戦略的思考と、事実と現実についての深い理解なしでは、悲劇的な結果は避けられない


解説 豊かな経験に支えられた「実践的知識」の書  監修 中本義彦
2次大戦後の72年のうち、アメリカは37年を「戦争」に費やしている。なぜ「失敗」続きなのかを「解剖」しようと試みる
著者は、ヴェトナム戦争への従軍をきっかけに、軍、大学、ビジネス、シンクタンクの世界に身を置きながら長年にわたって歴代政権にアドヴァイスを続けてきたワシントンの大御所的存在。豊かな学識と実務経験を兼ね備え、どの政権とも適度な距離を保ちながら、率直に意見を具申してきた
まず印象付けられるのは、大統領として選ばれてきた人物の資質・経験不足を著者が実感を込めて指摘していること。カーターにはほとんど資質がなく、クリントン以降の4代はさらに深刻で、統治能力と選挙に勝つ能力は別物。戦後アメリカの「失敗」の主因は、あくまで最終的判断を下す大統領の資質にあると説く本書は、病巣を組織に見出しがちな日本人には新鮮
2に印象的なのは、「失敗」の根源的な理由を探ろうとしていること。国際政治学の古典と言われるE.H.カーの『危機の20年』では第2次大戦の危機の真相を「ユートピアニズム」に、ジョージ・ケナンの『アメリカ外交50年史』では20世紀前半のアメリカ外交の欠陥を「法律家的、道徳家的アプローチ」に見出したように、本書でも20世紀後半から現在に至るアメリカの武力行使に焦点を当て、その失敗の根本理由を「健全な戦略的思考」の欠如に求める
著者が言う「健全な戦略的思考」とは、①状況についての深い理解と知識、②変わりゆく戦略的環境の理解、③政策の目的は相手の意思を変えることだという認識、の3つの要素を結びつける思考法で、変わり映えしない指摘とはいうものの、そもそも戦略的思考の要諦とは、常識を忘れないことにあるのではないか。それを実行に移すことの難しさと大切さの双方を認識することにあるのではないか
そう考えるからこそ著者は、「繰り返される失敗と(数少ない成功の)物語を語ること」に重心を置き、自らの経験とワシントンで間近に見た「他人の経験」を読者に語りかけた
ケネディが訴えた「ミサイル・ギャップ」、「ドミノ理論」とヴェトナムの現実、ニクソンの「秘策」とアメリカの政治状況、レーガンの「悪の帝国」とソ連の実態、ブッシュの「悪の枢軸」とそのイデオロギー性。いずれも「状況を深く理解する」必要性を教えてくれる
著者の立場に党派的・イデオロギー的なところは見られず、物語の多くは比較的フェアに語られているのも特徴
最も印象深いのは、著者がアメリカの武力行使の多くについてバランスの取れた判断を下していること。武力行使の判断に際しては、原則と結果、人権と主権の間のバランスをとる感覚が重要であり、その点が曖昧な戦争や武力行使についても厳しく断罪している
本書の背後にある優れた「実践的知識」を感じ取ることができる



出版社内容情報
第二次世界大戦の終結以降、アメリカは自らが始めたすべての戦争で敗北し、遂行した軍事介入に失敗してきた。それはなぜなのか?
本書は、この最も悩ましい疑問に取り組む。失敗の記録は時間の経過とともに日常に埋もれてしまい、アメリカ人はこの疑問を考えようともしない。
最も率直な答えは、大統領と政権が一貫して健全な戦略的思考を取り入れることに失敗し、軍事力を使うかどうかを決める前に、状況について十分な知識と理解を得ていないからである。成功するためには、予測のつかない政治、思想、うわべだけのキャンペーン・スローガン、希望的観測、そして、過去60年以上にわたって多くの国の軍事司令官たちの足を引っ張ってきた経験不足を、健全な戦略的思考を取り入れて乗り越えるか、その影響を最小限にとどめなければならない。この状況は間違いなく将来の大統領にも影響を与えるだろう。
ウルマンはジョン・F・ケネディからバラク・オバマ、ドナルド・トランプまでの各大統領が、どのように軍事力を行使し、戦争を始めてきたかの記録を注意深く分析している。彼の勧める解決策は、失敗の大きな原因のひとつである、国家の最高司令官の経験不足を補うために、政策決定への「頭脳ベース」のアプローチを取り入れることから始まる。ウルマンは自分の主張を自身が経験したエピソードを使って強化する。これによって、失敗の理由についての人間的な側面と洞察が提供される。そのなかには一般国民には今まで知らされなかった歴史も含まれる。
本書が訴えているのは、健全な戦略的思考と、軍事力の行使につながりかねない状況についての十分な知識と理解が欠かせないというものだ。それがなければ、失敗は保証されたも同然なのである。



アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか ハーラン・ウルマン著
歴代の大統領を冷静に分析
2019/10/26付 日本経済新聞 朝刊
世界最強の軍事大国に関する書物としては、挑発的なタイトルである。海軍兵学校の卒業生でベトナム戦争への従軍経験を持つ著者は、戦後アメリカの軍事政策とそれを指導した歴代大統領を冷徹に分析し、厳しく評価している。
泥沼化したベトナム戦争とそれに関わったジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン、リチャード・ニクソンの各大統領はもとより、対ソ新冷戦を戦い抜いたロナルド・レーガン、さらに冷戦後のビル・クリントンからバラク・オバマまでの軍歴のない歴代大統領も批判の俎上に載せられ、政権発足ほどないドナルド・トランプ大統領にも鋭い批判の目が向けられている。
著者が唯一好意的に評価するのは、冷戦の終焉を導き、湾岸戦争を周到に指導したジョージ・HW・ブッシュ大統領だけである。彼ほど外交政策に習熟し、ベテランの側近たちを使いこなした大統領は、他にはあるまい。冷戦終結時にこのような指導者を得たことは、アメリカにとっても世界にとっても幸運であった。
状況を深く理解し、戦略環境の変化に対応しながら、相手の意図に働きかける――この単純だが根本的な「戦略的思考」がしばしば指導者には欠如しており、コストばかり高く目的に対応できない「空洞化した軍隊」がアメリカの重荷になっている、と著者は指摘する。しかも、彼の豊富な実務経験を巧みに織り込むことで、一見すると常識的な議論が含蓄に富み、一般の読者にも興味深いものになっている。例えば、先述のブッシュがクリントンに敗れた1992年の大統領選挙で、現職のダン・クエールに代えてコリン・パウエル将軍を副大統領候補に擁立するよう、著者は間接的に提案したという。この提案の暗号名は「黒魔術」であった!
見識を欠く大統領は多いが、内政や世論への配慮は民主主義に不可欠でもある。また、アメリカは多くの戦争や軍事介入に挫折してきたが、アメリカの軍事的優位ゆえに起こらなかった戦争や紛争もあろう。アメリカの戦後史をふり返りながら、様々な想像を掻(か)き立てる労作である。率直な反省の積み重ねに、アメリカの知的奥行きの深さを感じさせる。
《評》同志社大学教授 村田 晃嗣
原題=ANATOMY OF FAILURE
(田口未和訳、中央公論新社・3200円)
著者は米戦略国際問題研シニア・アドバイザー。


アメリカはなぜ戦争に負け続けたのかハーラン・ウルマン著 中央公論新社 3200円
2019/10/13 05:00 讀賣新聞
変わらない失敗の構造
評・篠田英朗(国際政治学者 東京外国語大教授)
Harlan K.Ullman=1941年生まれ。米戦略国際問題研究所のシニア・アドバイザー。米政府や経済界に助言。
 世界最強の軍事大国であるアメリカは、過去半世紀以上にわたり、自らが始めた戦争で敗北し続けてきた。なぜなのか。
 著者はベトナム戦争に従軍した経験を持つ退役軍人であり、シンクタンクで長く戦略研究に携わる「大御所」である。その著者が自国の歴代大統領に向けた批判の言葉は、あまりに鋭く、カミソリのようだ。
 冒頭の問いに対する著者の答えは、まずは簡潔である。失敗の原因は、「健全な戦略的思考と判断力の欠落、そして状況についての十分な知識と理解の欠如」である。
 だがなぜ超大国アメリカにおいて、その失敗の構造が取り除かれないのか? アメリカ国内政治を間近で観察してきた著者の分析は、さらに深く進む。多くの大統領たちは、選挙に勝つ能力に優れた人物でしかなく、経験や判断力が不足していた。また選挙での論功行賞による人事を優先させ、ご都合主義、達成不可能な野心、例外主義による過信、集団思考、党派主義に陥りがちだった。
 残念ながら、この傾向は近年においてむしろ強まっている。著者は、現代アメリカの最大の脅威は、国外の脅威ではなく、国内の「強烈な党派主義」だと警告する。この結果、米軍は、内部コストの際限のない増加による「空洞化した軍隊」になりつつあるという。人件費等の膨張により、巨額の防衛予算にもかかわらず、「任務を実行する能力にも装備にも欠けている軍隊」だ。
 著者は、「頭脳ベース・アプローチ」にもとづいた戦略の構築を愚直に訴える。21世紀の戦略では、旧来の抑止が有効性を失っており、サイバー攻撃等に対応する概念が必要だ、という指摘は興味深い。
 鋭い洞察が、数多くの生々しい事例によって補足されており、抽象論で終わっていない。国際政治やアメリカ外交史に関心を持つ者だけでなく、戦略論に関心を持つ多くの読者の知的欲求を満たす刺激的な書だ。中本義彦監修、田口未和訳。
        
 <原題>Anatomy of Failure: Why America Loses Every War It Starts

米国が勝った戦争は過去60年間で一度だけ
書名アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか サブタイトル歴代大統領と失敗の戦後史
監修・編集・著者名ハーラン・ウルマン 著、中本義彦 監修、田口 未和 訳
出版社名中央公論新社
出版年月日20198 7
定価本体3200円+税
判型・ページ数四六判・347ページ
ISBN9784120052248
 アメリカは強い。戦争にはいつも勝っている――先の戦争でアメリカに負けた日本人は何となくそう思っている。だからアメリカに付いていけば間違いないと。
 ところが本書『アメリカはなぜ戦争に負け続けたのか』(中央公論新社)はまるっきり正反対のことを言う。アメリカは負け続けているのだと。え-そうなの、と驚く日本人が少なくないのではないか。
戦後も戦争を続けている
 評者はあるとき軍事問題の専門家から、「アメリカは毎年のように戦争している国だ」と聞いて、ちょっと驚いたことがある。第二次世界大戦が終わってから、朝鮮戦争を戦って、ヴェトナム戦争に介入したことぐらいは知っていたが、その後も戦争を続けていることについてはすぐに思い浮かばなかったからである。
 本書はそのあたりを見透かしたかのように、こう説明する。
 冷戦が正式に終結した1991年から現在まで、アメリカは実にその三分の二を超える年月を、戦争、あるいは大掛かりな武力衝突や武力介入に費やしてきた。・・・91年のイラクとの戦争、9293年のソマリア内戦への介入、2001年から継続中のアフガニスタン紛争と世界規模の対テロ戦争、03年から継続中のイラク戦争、16年に始まったシリアとイエメンでの紛争など、1991年以降の26年間のうち、合わせて19年にもわたってアメリカの軍隊は戦争に従事してきたのである・・・。
 そして時計の針を戻し、第二次世界大戦後の72年間のうち、半分超の37年間は戦争状態にあったとみる。しかも戦績はそれほどめざましいものではなかったというのだ。
 「朝鮮戦争は引き分けだった。ヴェトナム戦争は不面目な敗北に終わった。サイゴン(現ホーチミン)のアメリカ大使館は包囲され、その屋上から最後の救出用ヒューイ・ヘリコプターが飛び立つ映像は、痛恨の敗北を象徴する忘れられない光景となった」
「戦後戦争史」を総括
 この60年間で唯一明白な勝利と呼べるのは、1991年の第一次イラク戦争(湾岸戦争)だけだという。ジョージ・HW・ブッシュ大統領は、戦争の目的をサダム・フセインとイラク軍をクウェートから追い出すことに限定し、その目的を達したところで大部分の軍隊を引き揚げるという賢明な判断をした。しかし、その息子のジョージ・W・ブッシュ大統領は、のちに第二次湾岸戦争の指揮を執ったものの、「イスラム国(IS)」の興隆につながり、現在もまだ戦闘が続く。
 本書は以上のようにアメリカの「戦後戦争史」を振り返りつつ、総括する。
 ・アメリカ人のほとんどは、この数十年間に自分の国がどれほど長く軍事紛争に関わってきたかに気づいてすらいないか、まるで懸念を抱いていない。
 ・世界最強の軍隊を持つと誰もが認める国でありながら、戦争や武力介入の結果がこれほど失敗続きなのはなぜなのか、と疑問を持つアメリカ人もほとんどいない。
 そこで本書は「国民全般の無関心を踏まえたうえで、この国が大きな紛争あるいは武力介入を決断した時に、常に成功できるようにするにはどうすればよいか?」と問題を投げかける。
目次からも分かるように、本書は「戦争と大統領」の関係を重視している。言うまでもなくアメリカの大統領は、軍の最高司令官としての指揮権を保持する。事実上、宣戦布告なしで戦争を開始することができるし、大統領が使用命令を出すことで初めて核兵器の使用が許可される。つまり「核のボタン」も握っている。日本の総理大臣とは比べ物にならないほどの強大な権力者であり、その力量差が戦争にも付きまとう。
 本書では、戦争の趨勢について、「最高司令官である大統領の経験不足も足を引っ張る一因」とし、「司令官としての経験不足が、最近の三人の大統領に不利な状況を強いてきた」と見ている。そして「現在その地位にある現職大統領にも同様の影響を与えるだろう」と予想する。
 辛口のジャーナリストの書いた本かと思ったが、意外なことに著者のハーラン・ウルマンは米戦略国際問題研究所、アトランティック・カウンシルのシニアアドバイザー。1941年生まれ。米海軍士官学校を卒業し、ハーバード大、タフツ大で博士課程修了。安全保障の専門家として、米政府や経済界に助言し、米国内外のメディアにも出ている人だという。米国国防大学特別上級顧問、欧州連合軍最高司令官管轄下の戦略諮問委員会のメンバーも務めている。著書もいろいろあるようだ。
 本書の訳者、中本義彦・静岡大学教授の解説によると、著者はヴェトナム戦争への従軍をきっかけに、軍、大学、ビジネス、シンクタンクの世界に身を置きながら歴代政権にアドバイスしてきた大御所的な存在。豊かな学識と実務経験を兼ね備え、どの政権とも適度な距離を保ちながら、率直に意見具申してきた人物だという。「あえて言えば共和党寄りだが、間違いなく穏健派」であり、本書では「アメリカの武力行為の多くについてバランスのとれた判断を下している」とのことだ。
選挙に勝つ能力とは次元が違う
 アメリカという国はニューヨークの「自由の女神」が象徴するように、「自由と民主主義」を旗印にしている。この女神の正式名称は「世界を照らす自由」というそうだ。世界各国からくる移民に対し、アメリカでの「自由」を保証するとともに、海外の自由を抑圧する国に対しても目を光らせる。アメリカが武力行使に踏み切るとき、「自由」「民主主義」などという立派なスローガンが掲げられることは良く知られている。
 一方でアメリカは、新大陸に上陸した移民が先住民を制圧し、版図を広げた歴史も持つ。さる精神病理学者の本で読んだような気がするのだが、そうした過去は国家として一種のトラウマになっており、常に関与する戦争を「正義」と理由付けし、「戦争の正当化」をしようとする内的契機にもなっているそうだ。
 すなわちアメリカの大統領とは、単に強大な権限を持つというだけでない。アメリカという国の歴史や精神も体現する存在だと言える。選挙に勝つ能力とはまた次元の違う資質が要求される。そして過去の例を振り返れば、任期中に一度か二度は「開戦」の決断をしなければならないのだ。
 本書では、「ケネディ、レーガンにも十分な資質があったとはいいがたいが、カーターにはそれがほとんどなかった。そしてさらに深刻なのは、1992年当選のクリントン以降の4人の大統領である」(中本氏)とされている。
 気になるのはトランプ大統領だが、著者が「常識」の持ち主と評価するマティス国防長官とマクマスター国家安全保障補佐官はすでに事実上解任されている。本書の米国での刊行予定が、トランプ大統領の就任から間もなかったこともあり、十分な記述はないが、最近の4人の中でも「トランプほど政治経験の乏しい大統領はいない」とシビアだ。選挙期間中からしばしば公約や発言を翻していることを考えれば「いくら情報に基づいた分析をしても、数時間、あるいは一日か二日で意味のないものになるだろう」と突き放す。そんな大統領に率いられたこれからのアメリカはどこに向かうのか。日米関係はどうなるのか。安倍首相を始め、日本の政治家や官僚も一読しておくべき本と言えるだろう。永田町の書店で特に売れることを願う。

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