ピアニストはおもしろい  仲道郁代  2016.8.24

2016.8.24. ピアニストはおもしろい

著者 仲道郁代 1965?浜松?生まれ。4歳からピアノを始める。桐朋学園大1年在学中に日本音楽コンクール第1位、併せて増沢賞受賞。ミュンヘン国立音大留学中にジュネーヴ国際コンクール最高位(1,2位なしの3)、メンデルスゾーン・コンクール第1位、エリザベート王妃国際コンクール入賞(5)1987年本格的な演奏活動開始。ベートーヴェン、ショパン、モーツァルトのシリーズ企画や、子供たちに音楽との幸せな出会いをして欲しいとスタートしたプログラム「不思議ボール」、各地の学校を訪問するアウトリーチ活動なども積極的に行う

発行日           2015.2.10. 第1刷発行                15.2.25. 第2刷発行
発行所           春秋社

一部は、『ムジカノーヴァ』0307年連載の『仲道郁代の毎日が玉手箱』を加筆再構成

第1章        ピアノの子 [日本編]
お腹の中にいる時から毎日のようにルービンシュタインの弾くグリーグの《ピアノ協奏曲》を聴いてピアニストを目指すようになった
ヤマハのオルガン教室に通い、4歳の時金原美津子について基本を学ぶ
ピアノを弾くために必要な能力には算数がある  リズムもビーとも数字で表される
小学校のころ感銘を受けたのは中村紘子、ケンプ
小学2年の東日本コンクールで3位。1位は小川典子。中学の全国1位が小山実稚恵、ヴァイオリンの小学生の全国1位が千住真理子
ピアノの椅子の後ろ脚に足上げ君をつけて座面を傾かせることにより、腰を真っ直ぐに立て鍵盤に体の重さが乗りやすいようにする。ツィメルマンも同じことをやっていた
ピアノに対して斜めに腰掛ける。客席寄りに体を開いて演奏する。シブリアン・カツァリスはかなり斜めで半分客席を見ながら弾くような感じ
コンクールは通らなくてはならない関門であり、ステップアップのためのきっかけ
2から挑戦。高3で本選に進んだ時は入選。評価は投票制で、1位の時に同数の決選投票で落ち、2位についても同数の決選投票で落ち、3位の時も同じ結果となって、3位までの賞を逃す。翌年からコンクールの審査法が点数制になった
3回目の大学1年の時の日本音楽コンクール1位によって大きく道が開けた

第2章        ピアノの子 [アメリカ編]
中学1年でミシガンに渡米。学校では初めて来た唯一の日本人で珍しがられ、グリーグのピアノ協奏曲第3楽章を弾いて一躍英雄に。人前で弾くことの喜びを覚える
在米は24か月
人生の中で衝撃的コンサートは2つ。小学校5年の時のケンプと14歳の時のホロヴィッツ。全米ツアーの一環でミシガンにも来た
アメリカの先生からはジュリアードを推薦されたが、1人日本に戻って桐朋女子高校音楽科を受験。桐朋での練習生活が始まるが、ベートーヴェンのソナタの成績は悲惨

第3章        ピアノの子 [ドイツ編]
日本音楽コンクールで優勝した途端"ピアニスト"と呼ばれるようになるが、自己嫌悪に陥り、周囲が見えなくなる
文化庁から在外研修生としての給費で1985年から2年間ドイツに留学
好きだったシューマンを得意とする名伯楽シルデ先生のいるミュンヘン国立音楽大学へ
桐朋を2年でフェードアウトしたのに、大学院課程のマイスター・クラッセに入学、実技オンリー
音楽と向き合い、演奏し、聴衆と向き合い、更なるステップへと向かう、というサイクル
留学中に運よくジュネーヴとエリザベート(ピアノは4年に1)のコンクールのタイミングに遭う
1986年のジュネーヴは、審査員にマルタ・アルゲリッチがいたせいかどうかはわからないが、本選に進んだ私を含め3名は全員1,2位なしの3
ショパンの協奏曲2番の第3楽章で数小節間指が鍵盤を押せない状態に陥ったのはまずかったが、本選では名門スイス・ロマンド管弦楽団と共演することで満足
翌年小さなメンデルスゾーン・コンクールでは1
同年のエリザベート王妃は、作曲家が特定されていないため幅広いレパートリーが必要
コンテスタント期間中はホームステイで、本選に残った12名のみ王妃の作ったチャペルで12日間、外部との接触を断って起居を共にする。12名が演奏、自分の演奏日の1週間前にチャペルに入り、審査が終わると順次解放されていく
本選では自分で用意した1曲と、演奏の1週間前に渡されるコンクールのために作られた新曲の協奏曲を演奏
5位に入選。1位のピアニストは3年後に交通事故で死去
ベートーヴェンの第4番協奏曲の第3楽章でヴィオラが入りを間違えたまま演奏された
本選終了後の1か月は演奏会で国中を回る

第4章        子連れピアニストがゆく
1987年帰国し、日本での本格的な演奏活動開始
安定期に入る5か月目までは休み、予定日2か月前に産休、出産後1か月で復帰の予定
お腹の赤ちゃんと話をするための器具を持ち歩いて演奏
各地で「光の子どもたち」という公演をしている。コンサートホールに入れない未就学児童にも生のピアノの音を聴く機会をもって欲しいとの願いから始めた  「光の子どもたち」とは、絶滅危惧種の動物をテーマに描かれた曲集のタイトル

第5章        ピアニストと賢者の意思
演奏家は作曲家とどう向き合っているのか。楽譜の音から何を読み取るのか。そのために知らなければならないことはどんなことなのか
その人物の生まれ育った環境、どのようなメンタリティーを持っていたのか
その人の書いたもの、話したこと、友人たちの証言、その時代性、社会状況などの情報を集める
作品に向き合う際の手掛かりは、「原典版Urtext」、中でも自筆譜
作曲家の書き方の癖を知るには、その作曲家の作品をたくさん知り、他の作曲家の作品を知り、違いの分かる人間にならなくては見えてこない
楽器の問題も楽譜へ迫る上の大きなカギを握る。古楽器で出る音と現代の楽器で出る音は全くの別物で、その作曲家が使用した楽器を知って楽譜を読むことが大きな意味を持つ
各時代の演奏家たちによる演奏史を知ることも時代を遡るのに有効
限りなく想像するしかない世界だが、解釈するからには論理的に説明できなければならないし、そのための証拠を探さなければならない
作曲家には手癖がある  作曲家の体つき、手の大きさ、形、それに由来するテクニックが如実に反映される
自作自演のパフォーマーのはしりはモーツァルト  機能的で俊敏な指、そんなに大きくなく、常に動いているようなフットワークの軽い体つき
ベートーヴェンの初期のピアノ・ソナタには、大変な技術的な難しさがある  とにかく素早い動きを必要とする。当時のフォルテピアノのほうが演奏しやすいがそれでも難しい。運動的で機能的な指。モーツァルトより重さのある指。和音をつかむのに適する骨格のしっかりした手。とてつもなくリーチの利くような指の長さではなかった
シューベルトは、ベートーヴェンを尊敬。シンプルに聴こえるが演奏するのはややこしい。指回りが非合理的で、決してピアノの名手ではなかったはず
ショパンはユニーク。独学でピアノの扱いをマスター。若き日に書いた24曲からなる2つのセットの練習曲集は、全てのテクニックを網羅するかと思われるほどの完成度。細く長く細やかに動く指が必要とされ、ピアノに重さをかけるための体重も問わない
リストは異様に大きな手の持ち主。音程使いの広さは驚異的で普通の手の持ち主では届かない。手首も指の関節もスルスル動く。それでいて意外と弾きやすいのは、最小限の努力で最大の効果を生むように合理的に書かれているからで、大きな手と長い指を持っていればこのうえなく弾きやすい技術でピアノを華やかに魅せることができる
シューマンは、ピアノの練習のために発案した「指鍛えマシーン」を使って指を痛める。不器用で、苦労しながらピアノを弾いたと思われる。それ故に、合理的に進まないことにイライラ立ち止まって考え、感じて、悩むからこそ生み出される濃厚な、幻想的な、遥かなる憧れを有する世界があるのがシューマン
ブラームスはシューマンを敬愛。若い頃はスリムだが晩年はでっぷり。3度と6度の和音を得意とするがっしりとした厚い手、細かな動きより深い重みのある重音の動きを得意とするようなしっかりした指。合唱の指導もしていたブラームス、ピアノ曲もフレーズが深くて長い。ゆえに肺活量は相当なものだったと思う
モーツァルト」の真理  モーツァルトの音楽はシンプルだから難しいと言われる
その後の音楽と比べ音が少なめで、構造もシンプル(形式がはっきりしているという意味で)だが、それはその時代のスタイルで、音が少ないのもピアノ自体楽器が小さく鍵盤の数も少なかった
モーツァルトのシンプリシティとは、全ての余分なものを削ぎ落とした美でありすごさ。その宇宙を感じさせるのは質感であり、その根源を突き詰めて作り出すことが出来たら偉大な芸術家になるだろう
スタイル自体は"ロココなので装飾の塊であり、軽快、優美、繊細がキーワード。なくてもいいようなパッセージが山ほどあるし、即興で書かれた部分もたくさんある。その多弁さも含めてモーツァルトの音楽は有機的に成立する。遊び心がある、才気煥発なアイディアが縦横無尽に飛び回る。決して簡単でも単純でもない。モーツァルトの難しさは、世俗的ともいえるほどの多弁さと天上的な美しさが同時に存在していること、世俗と天上がシンプルに同一線上に存在し得ることにある
モーツァルトのピアノ・ソナタはピアノのために書かれたはずだが、彼がフォルテピアノに出会ったのは1777年。その前に書かれた曲は何の楽器のためか。想定された楽器が何かによって全く異なる発音形態のおよそ異なる音楽だったということになる
モーツァルトのピアノ曲の魅力とは、シンプルだけど豊かさに充ちたパラドックス横溢の世界にある。それを存分に味わうためにも古楽器の存在は貴重であり、初めてモーツァルトの世界に浸ることができる
ベートーヴェンのピアノ曲は、その生涯の中でどんどん楽器から脱皮したのに対し、モーツァルトは楽器から離れず、その楽器の時代のスタイル感や言葉遣いは揺るぎないものとして根底にあった。そこが2人を隔てる大きなボーダーで、この2人の作品に現代の楽器で向き合うときの隔たりといえる
神戸室内合奏団との協演では初の弾き振りに挑戦。スコアが上から管楽器群、打楽器、ピアノ、弦楽器群となっているのは、舞台上の楽器の配列と同じにして見やすくするため。モーツァルトの協奏曲のフィニッシュは、いつもピアノが終わってからオーケストラが単独でフィニッシュするが、ピアノを弾くモーツァルトが最後は自身が手を振り上げてオーケストラと共にフィニッシュするためだった
ショパンは、作曲をする際に何度も書き直し苦しんだと言われているが、様々な感情を、彼の美意識の発露として音にしていく。感情の振幅が激しいほど、抑制された形式の中で輝く、それがショパンの美しさ
ドビュッシーを始めて面白いと思えたのは中学時代。譜面には芝居のト書きのように、音符以上に細かな指示がたくさん書かれている。音遣いは意外なほどドライ、ペダルも限られた箇所での限られた絶妙な使い方をする

第6章        社会の中のピアニスト
演奏家が社会の中で演奏する意味
クラシック音楽が社会の中で果たす役割
3歳児でもじっと座って、音楽に集中することができる
各地の学校などに出向いて行う「アウトリーチ」や公共ホールなどで開く「ワークショップ」にも注力
東北大震災では、仙台近郊の七ヶ浜町のレジデントアーティストとして、国際村ホールで演奏したり、音楽によるワークショップをしたり

第7章        ピアニストという生物がいる
元々協奏曲はコンチェルト・グロッソといい大編成で弾く部分と少人数で弾く部分が分かれるという形態だったが、ハイドン、モーツァルトを経てベートーヴェンになるとソリストがよりソリストとして突出し、その後ロマン派前期の時代にはヴィルトゥオーゾが技を披露するために協奏曲を書き、ロマン派後期、印象派、近代ときてソロピアノとオーケストラの丁々発止のやり取りが生まれてきた
ピアニストが基本的に譜面を置かないで演奏するようになったのはリストの時代から
以降、他のどのジャンルの演奏家も楽譜を置いて演奏しているが、ピアニストだけは暗譜が暗黙の了解
スヴャトスラフ・リヒテルは、暗譜のために費やす時間を、純粋に曲の探求に使えたら、幅広いレパートリーを演奏することができる、として必ず楽譜を置いて演奏した

第8章        いつも心にピアノ
音は天からの、神からの贈り物
何がなくても、そこに音楽があれば人に力が湧く。心が動き始める。心が動けば生きる力が湧く。音楽はその時その瞬間に心に語りかけることができる。心の鎧を解きほぐし、解き放つことができる




 Wikipedia
仲道 郁代(なかみち いくよ、1963213 - )は日本のピアニスト。ピアニストの仲道祐子は実妹。
目次
仙台市生まれ、浜松市育ち。4歳からピアノを始め、浜松市立白脇小学校5年生のとき第27全日本学生音楽コンクール東日本第3位入賞。浜松市立南部中学校在学中、父親の仕事の関係でアメリカ合衆国に渡り、ホロヴィッツ生演奏に接して大きな感銘を受ける。帰国後、桐朋女子高等学校音楽科を経て桐朋学園大学ピアノ科に進み、中島和彦に師事。高校3年時の1981、第50日本音楽コンクール(「毎コン」)ピアノ部門第3位入賞、翌1982、大学1年在学時の第51回同コンクールにてピアノ部門優勝、及び増沢賞受賞。
1985に桐朋学園大学を中退。同年から1987まで文化庁在外研修員としてミュンヘン音楽大学に留学し、クラウス・シルデに師事。この間、1986、第42ジュネーヴ国際音楽コンクール3位(最高位)受賞。1987メンデルスゾーン・コンクール1位入賞、メンデルスゾーン賞受賞、エリザベート王妃国際コンクール5位入賞。1988村松賞受賞。1993、第23モービル音楽賞奨励賞受賞。
1990ミュンヘンからロンドンへ活動拠点を移す。19938結婚199611には長女を出産。1999カーネギーホールにデビュー。
シューマンを取り上げることが多かったが、次第にショパンも弾くようになり、1990年代後半から、子供のための話を織り交ぜたコンサート、レクチャーコンサートなど、クラシックを親しみやすくする企画を次々と立てている。近年はベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音のCDをリリースし、コンサートでもソナタ協奏曲を全曲演奏するなど、ベートーヴェンにも精力的に取り組んでいる。
ディスク[ソースを編集]
  • ファーストアルバム シューマン、ブラームス 1987
  • 謝肉祭 シューマン 1988
  • 子供の情景&クライスレリアーナ 1988
  • バラード ショパン、1990 BMG JAPAN
  • ショパン ピアノ協奏曲1番 ワルシャワ・フィル 1991 BMG JAPAN
  • 2 1991
  • 雨だれ 24のプレリュード ショパン、1991
  • 夜想曲全集 ショパン、1992
  • ピアノ・ソナタ第3番&スケルツォ ショパン、1993
  • 愛の挨拶-仲道郁代アンコール集 1993
  • シューマン&グリーグ ピアノ協奏曲 1994
  • 幻想即興曲 ショパン、1994
  • 謝肉祭&子供の情景 シューマン 1994
  • シューマン&ブラームス 1994
  • 私のショパン 1995
  • アリエッタ-妖精の森の詩 グリーグ ホルベーア組曲 1995
  • アラベスク-ドビュッシー・ソロ・ピアノ作品集 1997
  • 星のどうぶつたち-田中カレン こどものためのピアノ曲集 1997
  • 「祈り」-向山佳絵子(チェロ) 1997
  • MARIAGE(マリアージュ) 1998
  • ロマンティック・メロディ 1999
  • 「愛の挨拶」仲道デュオ 仲道祐子 2002
  • ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全集[1] 1-3 BMGファンハウス 2003
  • 光のこどもたち 田中カレン 2004
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[2] 41115 2004
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[3] 5-7番 2004
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[4] 8/悲愴-1025 2004 
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[5] 12/葬送・13/幻想・14/月光 2004
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[6] 1617/テンペスト・18 2005
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[7] 21/ワルトシュタイン・2224 2005
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[8] 23/熱情・32の変奏曲&エロイカ変奏曲 2006
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[9] 26/告別・2728 2006
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[10] 29/ハンマークラヴィーア・1920 2007
  • ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集[11] 303132 2007
  • ショパン:ピアノ協奏曲第1&2 2007
  • ショパン:24のプレリュード&ピアノ・ソナタ第3 2007
  • ショパン:スケルツォ&バラード(全曲) 2007
  • ショパン:ノクターン集&子守歌 2007
  • ハンマークラヴィーア・ソナタ~ベートーヴェン:ピアノソナタ第29番「ハンマークラヴィーア」,19&20 2007
  • celeste 仲道郁代愛奏曲集 2007
  • 月光・田園・テンペスト~ベスト・オブ・ベートーヴェン 2008
  • 悲愴・ワルトシュタイン・熱情~ベスト・オブ・ベートーヴェン 2008
  • ショパン:ピアノ協奏曲第1番・第2 20101841製オリジナル・プレイエル)
  • ショパニズム 2010
  • ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第1&2&4 2011
  • プレイズ・ベートーヴェン 2012
  • 不思議ボール ~ 田中カレン:こどものためのピアノ曲集「地球」2012
  • ショパン・バラード ライヴ録画 LD、ビデオ(廃盤)
  • ベートーヴェン ピアノ協奏曲5番「皇帝」&3 DVD2005
  • 『ステージの光の中から』音楽之友社1997
  • DVDbook 至福のピアノ 弾く・聴く・楽しむ』講談社、2005
  • CDでわかるピアノの名器と名曲 オールカラー』編著 ナツメ社 2009
  • CDでわかるショパン鍵盤のミステリー オールカラー』編著 ナツメ社 2010
  • CDでわかるベートーヴェン鍵盤の宇宙 オールカラー』編著 ナツメ社 2012
  • 『ピアニストはおもしろい』春秋社、2015 
テレビ[ソースを編集]

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