軽井沢120年 ―軽井沢文化協会創立50年―  軽井沢文化協会  2016.7.26.

2016.7.26. 軽井沢120年 ―軽井沢文化協会創立50年―

編者 軽井沢文化協会 記念誌編集委員会

発行日           2003.5.1. 発行
発行者           軽井沢文化協会
発行所           (いちい)

軽井沢文化協会
初代会長 加藤与五郎(18721967) 文化功労者。刈谷市出身。同志社大、京大化学卒。東工大教授。「フェライトの父」と賛辞され、「日本のエジソン」と呼ばれ、三百数十件の特許を持つ。軽井沢名誉町民
2代会長 三上次男(190787) 京都府出身。東大東洋史学卒。文学博士。東大教授。日本学士院会員。エジプト、イランの陶磁を研究
3代会長 松田智雄(191195) 仁川生まれ。東大西洋史学、経済卒。東大教授、経済学博士。軽井沢夏季大学に長く関わる
4代会長 内山尚三(192002) 柏崎生まれ。東大法卒。法学博士。札幌大学学長。法政大名誉教授。専門は労働関係、建設請負契約

軽井沢の120年   理事・塩川治子
1883年 軽井沢の開発に乗り出したのが、甲州の事業家雨宮敬次郎で、開墾と植林に注力、後に緑の高原の町の基礎を作り上げた
川上操六(男爵、陸軍大将)も牧場を計画
1896年 「避暑人会」を作り、町と交渉して自治に乗り出す
1913年 軽井沢避暑団設立。3年後には財団法人化
1951年 軽井沢町売春取締り条例、軽井沢国際親善文化観光都市建設法公布
1953年 浅間山演習地反対運動を契機に「軽井沢文化人協会」が誕生、「軽井沢文化協会」設立へと発展。以降、町民と別荘人の団体として町政に関心を寄せつつよりよい町の発展を願って活動を続ける
1958年 軽井沢町の善良なる風俗維持に関する条例公布。協会の働きかけで実現
1959年 国際親善パーティー開催  現在は「国際親善交歓会」
1972年 旧三笠ホテル保存運動  80年に国指定の重要文化財、現在は町の所有
1979年 碓氷峠にタゴール胸像建立  高良トミと協会が主体。タゴールは軽井沢の日本女子大寮で講義
1986年 別荘第1号のショー別荘がショーハウスとして復元

軽井沢文化協会の歩み  事務局長・土屋吉衛
1953年設立。呼びかけ人は演習地反対運動の中心だった田部井健次画伯。発起人は我妻栄、横田喜三郎、蝋山政道、井上秀子ら25
軽井沢文化協会の命名は三笠宮
軽井沢の善良なる風俗を守るのが最大の目的
1989年 大日向に国土計画がゴルフ場建設を計画、土地買収を開始。県と町に反対の陳情をしたが、知事は認め、会社も交渉を拒否したことから、国の公害等調停委員会に調停を申請。問題が大きく報道される中、会社が急遽計画を中止
1991年 新幹線見直しを求める運動  横川・軽井沢間の廃線、軽井沢・篠ノ井間を第3セクターによる経営が条件だったため、沿線住民に不便をきたすとして反対、軽井沢以北をミニ新幹線とするよう見直しを求め、立ち木トラストによって闘ったが、鉄建公団と県は土地収用法を適用し住民の反対を押し切る
2010年 明治43年改築の軽井沢駅舎を西側に復元し、記念館として保存。町は新駅を求めて陳情、駅舎建設費は町が負担したが、協会は旧駅舎の取り壊しを惜しみ、保存に動く


思い出の軽井沢と文化協会


浅間山演習地反対運動の思い出 (『軽井沢を守った人々』要約) 画家・田部井健次
1953年 新聞報道で、日米行政協定に基づく「米軍山岳冬季戦学校に関する覚書」が軽井沢町長に手渡されたことを知る。実質は米軍の演習地計画
前年に町長が外務省に対し「米軍駐屯地指定」の陳情をしていたことを聞いてびっくり
町議会は反対の決議をしただけだったために、住民は部落長会の召集を町長に要求
町長不在の集会では、戦前長い間労働運動に従事していた田部井の発案で、町民独自が町民大会を開いて反対運動を県全体に広げていくことを決議。田部井が執行委員長に就任
反対の大きな理由は以下の5
   軽井沢は伝統的な国際親善の町、平和の町で、軍事施設建設は許されない
   浅間山は国立公園。公園内の軍事施設建設は国立公園としての使命を破壊
   山麓の多くの農民の生活を奪う
   東大火山観測所があり、世界的施設の研究を破壊
   周辺の風紀が極端に乱される
住民大会で、「演習地反対全町協議会」を結成  全町民が統一戦線に組織された
浅間山上で、米軍と火山観測所の学者による大掛かりな立ち合い実験実施  数十人に空砲を発射させ、動き回らせて、器機への影響を調査
反対運動を県全域に拡大させるために、県の労働組合総評議会支部を巻き込んで、全県的民衆運動として戦う  全県の71の有力団体が結集し、反対期成同盟が組織される
米軍代表が知事を訪問する機会に、反対同盟との話し合いの機会を持つ  火山観測所での実験結果が出れば尊重するとの言質を取り付ける。元々米軍は観測所の存在を承知しており、民衆運動で観測所のことを大きな社会問題にしない限り、米軍が観測所のことを問題にすることはないと考えられていただけに、大きな成果を上げたと言える
併せて浅間登山の自粛と、横断観光バス計画の却下を県、国に陳情し、協力を得る
運動開始から4か月後に計画は白紙撤回
引き続き、すぐ東隣の群馬県恩賀の演習地計画の反対運動を支援、計画撤回を確認して全町協議会は解散するが、その間、町政改革運動を進め、反対運動を通じて知り合った人を町議選にたて議会に送り込むとともに、文化協会を設立、「軽井沢の善良なる風俗を守る条例」を作ったのは最も誇るに足る仕事










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