ベストセラーの世界史  Frederic Rouvillois  2013.9.16.

2013.9.16.  ベストセラーの世界史
Une Histoire des Best-sellers        2011

著者 フレデリック・ルヴィロワFrederic Rouvillois 1964年生まれ。憲法学者。パリ第五大学教授。94年博士号。30代前半の若さで『進歩の創出』『ユートピア』を始め近現代ヨーロッパ思想史を扱った著書を刊行し注目。近年は活動のフィールドを広げ、これまで正面から論じられる機会の少なかった社会通念や社会現象の歴史を取り上げる意欲的な著作を刊行。『礼儀作法の歴史』『スノビズムの歴史』『雁作コレクター』等がある。本書は初の邦訳

訳者
大原宣久 77年生まれ。フランス現代(20世紀)文学専攻。東大大学院博士課程修了(学術博士)。東大助教
三枝大修 79年生まれ。フランス近代詩専攻。ナント大学博士課程修了(文学博士)。成城大専任講師

発行日           2013.7.19. 第1刷発行
発行所           太田出版(ヒストリカル・スタディーズ: 現代の価値観や常識をその成り立ちにまで遡って、歴史的に考えていくシリーズ)

いざ行かん、ベストセラーの秘密をさぐる500年の書物旅行へと。
本書は、16世紀から現代に至るまでの、ヨーロッパ、アメリカを中心とする西洋諸国で刊行され、ベストセラーとなった書物(およそ300)の世界を旅しながら、その歴史的変遷と、時代や世相とともに変わるその条件を考察し、ベストセラー誕生の秘密を「書物」「作者」「読者」の3つの観点から分析する。書物を愛し、書物にかかわるすべての人に贈る、必読の歴史批評


まえがき
ベストセラーという言葉は1889年アメリカで使われ、第1次大戦後世界中に広まったが、その指し示すものは、16世紀初頭の印刷術の発展以来、世界中に存在していた
ベストセラーの背後には、書物における商業的成功という永遠の問いが存在
当初は作品の価値の方が重視されたが、量と質は切り離しえず、成功は作品の質を保証する ⇒ 19世紀以降の出版業の発達や識字率の上昇に伴る文化の大衆化の中で、作品の価値と商業的成功は必ずしも両立しないようになる
出版システムによるベストセラー化 ⇒ マスカルチャーの発展と、文化的差異を持たなくなった読者大衆の出現に附随して起こった

第1部        書物――ベストセラーとは何か
偉大な書物とはその本質からして売れにくい本 ⇒ ベストセラーとは、必然的に質の劣る書物であり、凡庸さこそがベストセラーの特徴
量と質との間に関係があるとは限らない ⇒ ヒットは、価値に関して何も教えてくれないので、別な基準、即ち数字(販売部数)、時間(ヒットするまでに要した時間)、場所(国境は関係ない)という別な基準が必要

第1章        大部数の恩寵
ベストセラーの1つの定義/特徴 ⇒ 売れた部数だが、数字ほどあてにならないものはない
出版が産業へと移行してゆくきっかけとなったのは1852年の『アンクル・トムの小屋』
販売部数を誇張して喧伝することにより、さらに売り上げを伸ばす ⇒ 事実を証明できないために自制すら働かない
1925年出版のモーリス・デコブラ著『寝台車のマドンナ』は、想像力豊かで纏め方も見事、堅固な粗筋で1920年代「狂乱の時代」のフランスで高く評価、エロティシズム、エキゾティズム、ユーモア、暴力、ヒット作の素材がすべて集められていたが、大手出版社には「あまりにも流行に」迎合しすぎていると非難され取り上げられず、作家を募集中だった新興出版社が取り上げたところかなりのヒットとなり、続いて出した本もヒット、3/4世紀後にも過大評価され「あらゆる時代を通じて一番よく売れたフランス人作家」であり、「聖書やシェークスピアを除けはこれほど成功した例はなく、プルーストもコレットもジッドも、商業的には小物に過ぎない」とされた ⇒ 92年には15百万部、さらに03年『フィガロ』紙では90百万部という数字まで上げられた
フランスでは1000部ごとに刷部数を記すことがあり、第520刷が31年となっているところから見てもとても何千万などいきはしない。翻訳も大分時間が経ってから発売
世界で最も読まれている作家の1人であるジュール・ヴェルヌの場合でも、世界に何百万人の読者がいるにもかかわらず、出版社に言わせれば10万部を超えたのは『80日間世界一周』だけだと言うのは、契約に基づいて小型版の分しか報酬を払わず、圧倒的によく売られていた挿絵入り版は支払いの対象外だったため
19世紀半ばまで ⇒ 出版が職人仕事の時代で、一番売れた本でも数万部は超えない
20世紀中頃まで ⇒ 産業化の時代で、10万部超えも珍しくない
2次大戦後のメガ・ベストセラーの時代 ⇒ 何億でも売れる
販売部数の確定はほとんど不可能 ⇒ 重版の回数とか翻訳の数でしか推測できない
世界文学における最初のベストセラーは、1605年セルバンテスの『ドン・キホーテ』 ⇒ 最初にマドリードの印刷所で刷られたのは数百部のみ、瞬く間にヨーロッパ中に広がる
出版のスピードが目に見えて速くなるのは18世紀 ⇒ 年間1000部を超え、1770年には6000点に増加
印刷用の巻紙製造機が1798年に登場、1810年には蒸気印刷機が導入され、「書物の第二革命」といわれる
19世紀半ばから、文学の大量消費時代に突入、発行部数が飛躍的に増大
1936年マーガレット・ミッチェル著『風と共に去りぬ』は、「社会的事件」とされ、無名の若い女性の小説が初年度から百万部に達し、10年後にはアメリカだけで3百万部に達する
1956年トゥーロン出身の若い女性シモーヌ・シャンジューがアンヌ・ゴロンのペンネームで書いた『天使たちの女公爵アンジェリク』は書籍のヒットで映画化され、さらに本が売れて全13巻合計で1億部以上売ったという
1997年ロンドンの無名の若い女性J.K.ローリングの『ハリー・ポッター』は、初め発行部数はさほどでもなかったが、05年の6作目は世界同時発売で初日だけで9百万部。11年間に7作で4億部以上を売り上げ、女王陛下の資産を凌駕

第2章        ヒットの時期
1830年のスタンダール著『赤と黒』は当初小型版と併せて1500部のみだったが、19世紀終盤になって若い作家から新時代の文学の預言者として祀り上げられた
ダニエル・スティールの絶頂期は80年代から90年代の終りにかけて、16年間に「パブリッシャーズ・ウィークリー」のベストセラーランキング・トップテンに29回食い込むが、新作を出しても同じテーマや文章の調子に、新作を買いたがって旧作は見向きもされなくなる。ベストセラーとは、再読を拒む製品
ベストセラーからロングセラーに変わる例 ⇒ 『ドン・キホーテ』『ロビンソン・クルーソー』『ペスト』『星の王子さま』(1944年に英雄として死んだ後も逆に売れ行きは伸び、180の言語に訳され、いまだにフランス国内だけでも年間2530万部売れている
ベストセラーは直ぐ忘れられてしまう一方、古典となる書物は刊行当時限られた反響しか呼ばないものが多く、ベストセラー=ロングセラーとなるケースは少ない ⇒ シェークスピアの戯曲はどれも上演の際に大当たりをとったが、書物の売れ行きはたいしてふるわず、再版も少ない。生誕100年を記念して世に出ているシェークスピアの作品を全巻、すべての版で1冊ずつ集めたとしても150冊にしかならず、1764年に同じことをやったら500冊を超え、1864年に同じことをしようと思ったら勘定することなどできなかっただろう。通算で40億部を売り上げ、世界で一番読者数の多い作家になるまでには3世紀もの時間がかかった

第3章        ベストセラーの地理学
1605年『ドン・キホーテ』は、瞬く間に国境を超えて流布
1637年コルネイユの『ル・シッド』は上演と共に観客が熱狂、ヨーロッパ中に広がる
ベストセラーの国際化は最初期から目につくもので、時代とともにさらに加速してゆく
世界文学も他の多くの分野と同じく強者の論理によって支配されている ⇒ 文学の世界でも、強国(16世紀はスペイン、17世紀はフランス、18世紀イギリス、20世紀アメリカ)が自国の産物を他国に押し付けていた
1719年 ダニエル・デフォー著『ロビンソン・クルーソー』
1726年 ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』 ⇒ 匿名出版のおふざけ付
1774年 ゲーテの『若きウェルテルの悩み』 ⇒ ドイツ語による小説文学が文芸の世界共和国の舞台にデビューすると同時に、国際化の範囲が拡大
1862年 ヴィクトル・ユゴー『レ・ミゼラブル』 ⇒ 出版以前に9か国語に翻訳され、欧州と南米で同時刊行
1852年 ハリエット・ビーチャー=ストウ『アンクル・トムの小屋』 ⇒ アメリカの新参者が国際化の舞台に初登場。約40の言語に訳されたのは当時比類のない大記録
1895年 ポーランドのヘンリク・シェンキェヴィチ著『クォ・ヴァディス』 が、ロシア、スカンディナヴィアの作家に続いてヨーロッパを席巻
1913年ノーベル文学書受賞のラビンドラナート・タゴールの著作も、国境を超えて輸出される
グローバル化の非対称性 ⇒ ベストセラーのグローバル化は、自分が地球のどの辺りで暮らしているかによって意味が変わる。特にフランスの場合
   他国のヒット作品の受け入れ方 ⇒ 超ベストセラーは別として、そう簡単には受け入れない。18751910年代にドイツ国内で熱狂的なファンを持ったカール・マイはフランスではほとんど読まれていない。逆にエドガー・ポーやフォークナーは母国アメリカよりも先にフランスで名声を獲得
   自国のヒット作品の輸出の仕方
   本国で認知度の高くなかった外国作品がフランスで高く評価されるという現象
20世紀に世界最大のベストセラー生産国となったアメリカは、外国のヒット作に対しては次第に受け入れを渋る傾向が見られる
アメリカ最初のベストセラーは、1794年フィラデルフィアで公刊された『シャーロット・テンプル、真実の物語』で、数十年の間に200回近くも重版されたが、元々はフランス革命で亡命してきた英国系アメリカ人女性スザンナ・ローソン夫人がイギリスで書いて1791年にロンドンで出版されたもの
20世紀に目覚ましい方向転換が起こり、マスカルチャーが誕生すると、合衆国は大ヒット作品の祖国としての地位を確立するが、ごくわずかの例外を除き作品は全てアングロ・サクソン系のもの ⇒ 1950年以降、ジャンルを区別しなければ、10百万部以上売れた著作は約80。うち、ポルトガル語、ドイツ語、イタリア語が各1つ、スウェーデン語が1つか2つ、日本語が2(村上春樹)、スペイン語が3つ、中国語が4つか5つだけ、あとはすべて英語。50年以前も1/2は英語で、アングロ・サクソンの覇権が進んでいる
独語でベストセラーになったものは、レマルクの『西部戦線異状なし』(1929)、パトリック・ジュースキントの『香水』、アメリカのベストセラー・ランキングに入らなかったものにはトーマス・マンの『魔の山』
仏語でも何とか成功したのは、サン=テグジュペリ、フランソワーズ・サガン、ボーヴォワールなどごく僅か
ロシアも3人だけ ⇒ 『ロリータ』を英語で書いたナボコフ、冷戦中にアメリカ人が主に愛国心やソ連への敵意に駆られて作品を購入したパステルナークとソルジェニーツィン
最近のスウェーデン人作家スティーグ・ラーソンの推理小説『ミレニアム』(「ドラゴン・タトゥーの女」「火と戯れる女」「眠れる女と狂卓の騎士」から成る三部作)は例外で、09年の出版と共に歴史的な大記録でベストセラーのトップに。27百万部の総売り上げのうち22百万が英語版でそのうち15百万が2010年の売り上げ。04年心臓発作で急死するが、死に先立つ何年もの間自分の作品を出版してくれる英語圏の出版社を必死で探していたのに、奇妙な事態の急転である

第2部        作者――どのようにしてベストセラーを作るのか
第4章        作家とヒット
人気作家を軽蔑する作家たちこそ疑ってかかるべき
ベストセラーの製造者と本物の作家を区別する境界は曖昧 ⇒ 製造者には、その効果がすでに実証済みの製造技術や手法があるという特徴があり、その技法に固執するあまり、自分の個性さえも犠牲にしてしまう。ファンを手放すまいとしておのが規範を破ろうとしない。こうした傾向が特に目につくのは「ロマン・ローズ」という20世紀前半にフランスで流行した恋愛小説の1ジャンルの場合で、はっきり産業的な形でこの手法を組織化したのはハーレクイン出版、毎年全世界で2億部を売る
ダン・ブラウンは、現存するベストセラーのビッグメーカーの1人だが、ヒットのメカニズムを熟知している ⇒ 筋立てがどれも変わらない
ヒットを経験した後で、その立場を失うこともあり得る
1920年に『楽園のこちら側』でヒットを放った若きフランシス・スコット・フィッツジェラルドの新作『グレート・ギャッツビー』も、死後発表された『ラスト・タイクーン』もほとんど売れず、死後6年、戦争が終わってようやく世界的ベストセラーとなった

第5章        ペテン師たちの小説
ベストセラーが偽作やパラサイトへの気をそそる ⇒ 『ドン・キホーテ』(1605)のヒットで、作中第2部の予告はしていたものの、発刊までに手間取っている間に1614年偽作が出るが、すぐ翌年に本物の第2巻が出て偽作は駆逐。ただし、偽作の方も18世紀になって予期せぬヒットを迎え再版された
ベストセラー作家の中にも、自らこのいかさまを行う者がいる
   作者を自称する人物が本当にその作品を書いたと読者に信じ込ませるケース ⇒ ゴーストライターもその1つ。道楽家にして浪費家のアレクサンドル・デュマの場合も「自分の筆では僅かばかり、他人の筆で大いに稼いでいる」と言われ、一部からは「文学的金儲け主義」(金儲けのためにただ造って売るだけ)として嫌われた
ジュール・ヴェルヌは、寡作だったが年に3作書く契約を結んだため、インスピレーションが衰えても出し続けねばならず、他人の作品に手を入れて自分の署名で出版し始め、死後も息子が父の名前を署名して出版し続け、『驚異の旅』シリーズの最終巻『サハラ砂漠の秘密』は死後14年経った1919年のことだった
仕組みがうまくいかなくなるとその代償は高くつく ⇒ 1970年代末、流行したキーホルダーの販売により若くして億万長者となったシュリッツェルは、文学のことなど考えもしなかったにもかかわらず、声をかけてきた駆け出しの小説家を取り込んで37人のチームを作り金融小説のシリーズを出し始めたのがヒット、35百万部も売れてフランス文化相からデュマと並び称され勲章まで授与されたが、87年テレビ番組で仕組みが暴露され一気に落ち込むが、自分こそ出版にマーケティングの理論を導入したとして悪びれるところはなかった
   盗作も、ゴーストライターと似たようなもの ⇒ ヒットするからまずい事態に陥るので、1980年代のデフォルジュの『青い自転車』は、『風と共に去りぬ』を忠実に凝縮した作品で舞台を第2次大戦中のフランスに移しただけだったが大ヒット、マーガレット・ミッチェルの相続人たちから訴えられヴェルサイユの控訴院で無罪を認められたが、その時までにすでに6百万部以上売っていたという
1982年 ジャック・アタリの『時間の歴史』がユンカーの『砂時計の書』を剽窃
1999年 マンク事件 ⇒ スピノザの伝記を出版したが、2年前の同種伝記から多数借用があったばかりか、作者の想像で書かれたことを歴史的事実と取り違えるミスまで犯した
   詐欺師 ⇒ 1525年マルクス・アウレリウスのストアは思想に充ちた自伝の翻訳書が出回り、メディチの図書館に保存されていた原典が消失したにもかかわらず、さらに完全版として出版され、信じ難いほどの大流行となり、各国語でも翻訳されて版を重ね、翻訳した修道士は皇帝カール5世の説教師にまで栄達したが、17世紀末には破廉恥かつ忌まわしい贋作であることが判明
18世紀フランスの最も華々しいヒット作『オシアン詩集』(1762)は、ホメロスの『イーリアス』の類似版で3世紀に「北方のホメロス」と言われたオシアンが書いたものの翻訳だが、全ヨーロッパが飛びつき、ゲーテもこの本を若きウェルテルの愛読書にしたし、追放されたナポレオンもセントヘレナまで持ち歩いたというが、翻訳者は最後まで原書を明らかにしないまま栄光の中で死に、ウェストミンスター寺院で王室の要人たちの傍らに埋葬

第6章        編集者の戴冠
ヒット作が出た場合、編集者はどこまで貢献しているのか
1719年『ロビンソン・クルーソー』は、大手の出版社はどこも取り上げず、イギリスの無名の書籍商がためしに1000部刷って出したところ奇跡が起きて奪い合いが始まった
19世紀の中頃、印刷技術の進化で、発行部数が飛躍的に伸び、真の大衆文学が発展していくにつれ、編集者も最初は多少かかわりのあった目撃者だったものが、ヒットの当事者となっていき、20世紀になると時には真のベストセラー・メーカーにまで変貌
19世紀中頃までは、編集者とはいってみれば書籍商あるいは印刷屋で、購買者の気をそぐような高値を付けたため、手の届かない読者のために民間の読書室が爆発的に流行したが、徐々に書籍の価格が下がり始め、特にアメリカでは1891年までは外国の作家に著作権が存在しなかったためにヨーロッパの人気本が格安で出版され、出版界に競争心や書籍という文化製品の工業化を促した
編集者がヒット商品を生む方法として考えた方策に広告がある ⇒ 1828年のマルティニャック法は、日刊紙や定期刊行物等に対し検閲制度に変わる保証金制度を導入したため、その資金を賄うために新聞等に広告が掲載されるようになり、粗末な作品でも大量の広告によってヒットに生まれ変わらせることができる。さらに、1890年以降、写真製版の複製技術が進歩し、読者がお気に入りの作家の顔を見ることができるようになり、その傾向が加速
ベストセラー・メーカー ⇒ 1913年にやっと出版に漕ぎつけた小説が、売れないまま作者は亡くなり作品も眠っていたところへ、8年後にベルナール・グラッセが権利を買い取りあらゆる販売促進活動を動員、瞬く間に大ヒットに変身させる。グラッセの出版社はその後ヒット作を連発
ヒットのためのテクニック ⇒ 
   本の存在を知らせること ⇒ 主観的に「面白い」と言うのではなく客観的な要素を拠り所とする(作者の生い立ちや境遇など)
   買わせること ⇒ 1930年代の米英での「ペーパーバック革命」
   ヒットしていると知らせること ⇒ ランキングの公表。1912年『パブリッシャーズ・ウィークリー』紙が発表した「ベストセラーリスト」以降アメリカで急速に普及し外国人を仰天させた
時には編集者が、作者を犠牲にしてその本をベストセラーにする ⇒ パステルナークは詩人として認められ文学者としてのキャリアを積み上げたが『ドクトル・ジバゴ』は検閲を免れないことを知りつつ56年に出版社に持ち込んだものの村八分にされ、安閑として生きていくことは出来たが沈黙を強いられた。噂を伝え聞いたイタリアの富豪で気鋭の編集者でもあったフェルトネッリが本人と会って密かに原稿を国外に持ち出し、ソ連当局からの圧力にも拘らずイタリア語に翻訳して出版したところ大反響を呼び、58年にはカミュの提案によってノーベル賞が決まる。ソ連は授賞を体制への批判と見做して彼の作家としての身分も肩書きも取り上げ、パステルナークに対する脅迫は60年不遇のうちに死去するまで止むことはなかった。65年映画化され、あらゆる形での検閲がもはや時代錯誤であり不可能であることを示したが、編集者は作家を犠牲にすることでおのが成功に酔いしれると同時に心に大きなダメージを受け、72年謎の爆死を遂げる
2009.9.15. 出版界は国際的な規模でマーケティングの前史時代を抜け出し、自動車や化粧品業界並みの大きな業界に相応しい販売戦略の世界に入り込む ⇒ ダン・ブラウン著『ロスト・シンボル』あらゆる販促手段を駆使して初日百万部、年末までには5.5百万を超えた
アメリカの5大出版社(ランダムハウス、ハーパーコリンズ、タイム・ワーナー、ペンギンUSA、サイモン&シュスター)だけで年間ベストセラーの80%を占める
フランスでは、ベルアール・フィクソが2000年に設立したXO出版が、ブロック・バスターをリード

第7章        検閲、万歳!
1947年 ヴァーノン・サリヴァン事件 ⇒ 反道徳的内容の本が、「道徳・社会運動連盟」から提訴されたことで俄然人気に火が付いた事件は、訴訟や検閲が作品の成功を妨げることができないことを証明
検閲も、無名の作家を葬ることは出来ても、流行している作家に対しては効果がないことは歴史が証明 ⇒ ヴォルテールが無名で出した『カンディード』、モンテスキューの『ペルシア人の手紙』、ルソーの『社会契約論』『エミール』
全体主義国家での厳格な検閲でも奇跡のように逃れる書物もある ⇒ エルンスト・ユンガー著『大理石の断崖の上で』(1939年、ハンブルク、国家社会主義の残忍さを寓意的に描く)は、ヒトラー自らが同じ著者の前作に惚れこんでいたために、強制収容所送りの直前で助かり、奇妙なヒット作となる。収容所から解放されたソルジェニーツィンの最初の傑作『イワン・デニーソヴィチの1日』もなぜか検閲をクリアしたのも、フルシチョフが体制批判だとして発禁を主張する周囲の幹部の声を押し切ってスターリン批判の動きとして利用しようとしたためで、ソヴィエト時代の並外れた文学的ヒットの1つとなる
ナポレオンが、スタール夫人のドイツ文化賛美の著書『ドイツ論』(1810)を発禁処分とし作者を幽閉したが、後に逃亡し秘匿していた原稿によって3年後に出版し大ブームに
サルマン・ラシュディ著『悪魔の詩』(1988)は、ホメイニによって関係者すべてに死刑が宣告されたために、その難解な内容にもかかわらず世界中で読者が殺到 ⇒ 本を買いたいという衝動が、文学的関心とも、ましてや趣味嗜好とも無縁であり、①イデオロギー的な賛同、②好奇心、③俗物根性の3つの力こそが、糾弾された本がヒットになる決定的役割を今も昔も果たしている
D.H.ロレンスの生前最後の作品『チャタレイ夫人の恋人』は、1928年イギリスでの出版を諦めフィレンツェの書籍商に委託。著者は30年に貧しくして亡くなる。1959年イギリスで猥褻刊行物法が出来るとペンギンブックスが無修正版を出すが提訴、出版社が無罪となり、最初の1年で2百万部売れた。フロベールにとって唯一の、そして真に大衆的ヒット作『ボヴァリー夫人』も、ナボコフの『ロリータ』も、ヘンリーミラーの『南回帰線』も同じく訴訟がヒットをもたらす

第8章        書物と映像の婚姻
19世紀のアメリカで、本の売り上げに差し障りが出るからといって自転車の流行を書店主や出版人が非難した。同じ非難が自動車や電話、野球の試合、映画に対しても繰り広げられたが、20世紀の初めになると映画と大衆的な読物との強い繋がりが生まれる
1952年 ジェームズ・ボンドがフレミングのジャマイカの別荘で誕生 ⇒ ジャーナリスト、両替商、スパイも経験したフレミングは、マスコミ界の重鎮の下で「サンデー・タイムズ」紙の海外情報局の運営を担当、たまたまヴァカンス中に冒険心にそそのかされて自らの経験談を物語にすることを決め、7週間で『カジノ・ロワイヤル』と書き上げる。大衆の嗜好に敏感なフレミングにとって、本と映画への翻案には必然的かつ緊密な関係があったものの、最初は売れず、映画化も『第三の男』のプロデューサーだったコルダを始め次ぎ次ぎに拒否されたが、61J.F.ケネディが『ライフ』誌のインタビューの中で10冊のお気に入りに『007 ロシアより愛を込めて』を挙げたことによって「ジェームズ・ボンド信仰」がアメリカに生まれた。スコットランド人のショーン・コネリーのキャスティングは、生粋の英国人であるフレミングには気に入らなかった。64年ンフレミングの死去までに40百万部以上を売ったが、それはほんの始まり、07年ですでに2億を超えた
    ベストセラー作品は通常、映画化される定めがある
    ベストセラー作品を基にして作られた映画は、一般的にいってかなりヒットを収める
    映画がヒットすると、自動的に本の売り上げを促進、てこ入れする
テレビも映画と同様の役割を果たす ⇒ テレビの文芸番組が普及するのは70年代以降だが、文字によるメディアが失いつつあった影響力を獲得=”推薦人の時代
1975年 フランスの「アポストルフ」は、文学をテーマにした番組だが、そこで採りあげられた本は書店の専用コーナーに並べられた
1996年 アメリカで極貧から身を起こした黒人女性が86年に始めたトーク番組「オプラ・ウィンフリー・ショー」が全米の人気番組となり、96年に本の推薦を始めると「オプラ効果」でほぼ確実に、しかもすぐさま爆発的な売り上げをもたらした
テレビ視聴者の興味の対象を広げた効果もある ⇒ 難解な作品ですら買う気にさせる
テレビ以外の画面上では、新たな推薦人が活躍 ⇒ 至る所に四散して存在するブロガーやツイッター発信者で、彼等の映像と口コミを併せ持った影響力は無視できない

第3部        読者――ベストセラーはなぜ売れるのか
人が読書をするとき、その理由はまちまち
古今東西のベストセラー・ランキング
第1位        聖書       40億~60億部
第2位        林彪『毛主席語録』 1964年刊     10億部超
第3位        コーラン  8億部前後
第4位        魏建功『新華字典』 1957年刊     4億部
第5位        毛沢東の『毛主席詩詞』     1966年刊       4億部
第6位        『毛主席選集』       1966年刊     2.5億部
第7位        チャールズ・ディケンズ『二都物語』         1859年刊      2億部
第8位        ベーデン・パウエル『スカウティング・フォア・ボーイズ』 1908年刊1.5億部ボーイスカウト入門書
第9位        J.R.Rトールキン『指輪物語』      1954年刊
第10位     『モルモン書』       1830年刊     1.5億部
第11位     『とこしえの命に導く心理』 1968年刊 1.1億部 エホバの証人の必読文献
第12位     『ハリー・ポッターと賢者の石』   1997年刊         1.1億部
第13位     アガサ・クリスティ『10人の小さな黒んぼ(そして誰もいなくなった)     1939年刊      1億部
第14位     トールキン『ホビットの冒険』     1939年刊
第15位     江沢民『3つの代表について』中国の新たな国家理論、総書記による公式見解
宗教関係(1,3,10,11)、政治的文書(2,5,6,15)、実用書(4,8)、小説(7,9,12,13,14)

第9章        読まなければならない本
はじめに聖書ありき ⇒ 145255年に印刷された最古の書物。2000超の言語に翻訳
信仰の書 ⇒ 聖書以外にも聖典の場合は読むこと以外に買うことが義務とされるケースもある
政治的バイブル ⇒ 読まれるためではなく、所有するために刷られる
成功を手に入れるための本 ⇒ 義務ないしは不可欠なものが何であるかこそが問題で、ベストセラーはある特定社会における強迫観念や欲求の忠実な反映となる。アメリカ独立直後に刊行された英語の基礎を学ぶためのウェブスター著『アメリカ綴字(ていじ)教本』はその典型(“スペリングの青本の愛称で親しまれた)であり、食べ物関連の本、肉体崇拝の本もここに含まれる

第10章     パニュルジュ・コンプレックス
ベストセラー・メーカーのグラッセは、「すべてはあらかじめ仕組まれたスノビズムから始まる」と言う。スノッブとは、行列の後ろについて満足げに海に飛び込んでゆくパニュルジュの羊のこと
パニュルジュは、ラブレー著『ガルガンチュアとパンタグリュエル』の登場人物でいたずら者。船の上から羊を海に投げ込むと、その場にいた羊が後を追って自ら海に飛び込み溺れてしまう
スノッブな読者とは、いつでもその折々の流行に遅れまいとするそつのない読者のこと
17世紀からあった現象だが、グラッセの時代はヒットの規模が違った
文学賞 ⇒ 文学賞とベストセラーの間には、特に必然的な関係はない。フランスは例外。ゴンクール賞 ⇒ 1896年死亡したとき膨大な量の作品を残し、遺産でアカデミーを創設し、最良の小説等に賞金を授与するよう指示した遺言によって1903年始められた。ゴンクール兄弟は、「大衆に対する貴族的な軽蔑心」が特徴で、一般大衆の趣味に迎合したものでなければ数多くの人々に好まれることなどありえないという考えの持ち主。売れない作品にこそ光を当てるための賞だった。1911年グラッセが初のゴンクール賞を取ってからはグラッセの広告に客観的事実として受賞が謳われるとともに、この賞がその年の文学界のビッグ・イベントになり、スノビズムの対象ともなり、発行部数に相当な影響を及ぼすようになった。以後ゴンクール賞はヒットの保証書、ベストセラー誕生の確約に近いものになっていく。1933年のアンドレ・マルロー『人間の条件』はその一例
バルザック賞 ⇒ ゴンクール賞の審査員から敬遠されていたグラッセが、1922年に対抗して創設に参加するも、武器商人ザハロフの資金提供を受けたため激しい批判を浴びる
フェミナ賞 ⇒ 既存の文学賞が女性蔑視の傾向を示していることに憤った女性文学者によって1905年創設
ルノードー賞 ⇒ 文芸ジャーナリストのグループがゴンクール賞の選択の誤りを正すために1926年に設立
アンテラリエ賞 ⇒ 別のジャーナリストたちが1930年委設立
ドイツでは、ゲーテ賞が1927年創設
イタリアでは、ヴィアレッジョ賞が1929年設立
ベルギーでは、ヴィクトル・ロセル賞が1938年設立
ピュリッツァー賞 ⇒ 1904年設立、コロンビア大学によって運営、21部門に小説も含まれるが、選考基準はただ1つ卓越性。ゴンクールがヒット作に授与されることはなかったが、ピュリッツァーは度々ベストセラーを選んでいた。68年以降方向転換が起き、ベストセラー・ランキングにピュリッツァー賞受賞作品は出てこなくなるのに対し、ゴンクール受賞作は逆に必ずベストセラー・ランキングに顔を出すことになる
アメリカのナショナル・ブック・アワード(全米図書賞) ⇒ 「アメリカ文学界最高の作品を讃える」ために1950年に創設され、文学賞の中でも一番尊敬を集めているが、大衆の気に入るものと文学賞の審査員が選ぶものとの間にズレがあるのは常で、作家が一番望んでいるのはオプラ・ウィンフリーに選んでもらうこと
ブック・クラブの流行 ⇒ 1926年アメリカの広告業者が新たな書籍販売法として始めたもので、書店の少ない合衆国における書籍流通システムの不十分な点を改善することを目的とした。何冊かの本のセレクションを定価より安く売り郵送で届けるシステム。読者総数を増やすことにも貢献し大きなクラブが続々と誕生したが、90年代にインターネット書店の競争力が増すとともに大きなクラブの地位が揺らぎ始める
読者と購買者 ⇒ パニュルジュ・コンプレックスを抱えている人の割合が購入者全体の中でどのくらいいるのか。アンケート調査でも55%が部屋の飾りにするために買うと回答
06年ゴンクール賞受賞作ジョナサン・リテルの『慈しみの女神たち』が似たような疑惑を引き起こす。批評家はこぞって世紀の傑作と言い、ベストセラーとなるが、プロローグより先に進んだ人はほとんど聞かず、「読めない小説」と呼ばれた
アメリカにおける「読まれることのないベストセラー」のダントツは、ホーキングの『ホーキング、宇宙を語る』 ⇒ 一般読者には理解不能にも拘らず、10百万部が売れた

第11章     安楽の文学
標準的な読者が欲しているのは、読んで驚かされることもがっかりさせられることもない分かり易い本、読むに当たって最低限の努力しか要求しない、気晴らしになることや読者を安心させることを主目的としている本 ⇒ 「安楽の文学」
1つの特徴は、死や暴力、危険や怪奇との対決が描かれている ⇒ 対決の形は時代とともに変わる
推理小説
西部劇
戦争文学
幻想文学、SF、ホラー文学
感傷とサスペンス、超自然の要素
心を落ち着ける本 ⇒ 癒しの文学
J.F.ケネディとバラク・オバマには共通点がある ⇒ 大統領になる前からベストセラーを出し、そのおかげで政治の表舞台に立つことが出来た
ケネディは、父の援助で卒論を刊行、15年後に『勇気ある人々』(8人の歴史的人物の肖像を粗描)57年のピュリッツァー賞受賞、大衆からも「信頼に足る人物」が見つかったとして圧倒的な支持を受ける。発売時と大統領当選時、そして暗殺後の3度ベストセラー・ランキングのトップとなった
オバマも、95年『マイ・ドリーム――バラク・オバマ自伝』を刊行、04年イリノイ州上院議員候補として演説したのが大きな反響を呼び、ペーパーバックで新たに刊行すると大当たりとなり、初めて借金なしの生活が送れるようになった。06年には大統領選への立候補を見据え2冊目『合衆国再生』が、ベストセラー作家ジョン・グリシャムの初のエッセー集を僅差で抑えてトップに

結論――持続する奇跡
書物のヒットとは、合理的な説明を逃れ去るものであり、それをテクニックで再現しようとしても不可能。本質的に予測不可能なものであり、そのすべてのメカニズムが解明されているわけではない
謎から奇跡へ
Ø  発掘の奇跡 ⇒ 危うく陽の目を見ずに終わるところだったベストセラー作品の筆頭は『風と共に去りぬ』 前もって構想した順序もなく、幼少期から周囲に聞かされてきた数限りない証言を後先関係なく書いたものが70章分も溜まり、5年も放置していたが、たまたま南部で新しい才能を発掘しようとしてきたマクミラン社の目に留まり、ブック・クラブの選定図書となって売り上げが急上昇
イレーヌ・ネミロフスキーの『フランス組曲』は、作者の死後60年以上たって原稿が再発見され大ヒットとなり、04年秋にルノードー賞受賞(故人では初)
Ø  出会いの奇跡 ⇒ 時流に乗ったものの例としてフランソワーズ・サガンの『悲しみよこんにちは』 18歳の女子大生が1953年に「1,2本の指でゆっくりと」自分の小説をタイプライターで打った後引き出しに仕舞い込んでいたが、占い師に海外で話題になると言われて出版社に持ち込んだところ、世界的なヒットに
1984年のマルグリット・デュラスの『愛人 ラマン』も、34年間等閑視されていた大作家を再発見したかのように売れ始め、「アポストロフ」でインタビューが放映されると一気に売り上げが増大、崇拝される大作家の1人に変貌
ドイツの作家エルンスト・ユンガー『鋼鉄の嵐の中で』は、自費出版せざるを得なかったものが、ワイマール共和国に対する断固たる反対者として作者が知られるにつれ少しずつヒットしていく
Ø  不可能なことが起きるとき ⇒ 。イギリスのポドリー・ヘッド社の若き経営者アレン・レーンが1935年に小さすぎるし安すぎると言われながら出版したポケットサイズの一級の文学作品のシリーズは、「ジャンルの掟」の打破により今日のペンギンブックスの地位を築く
短さも犯してはならないルール ⇒ 簡潔な歴史物語も、大長編の暗黒小説や推理小説もあり得ないと言われたが、スティーグ・ラーソンの『ミレニアム』は掟を破って8年で50百万部売れるヒット
難解すぎても、1980年刊行の中世の世界を描いたスリラーもの、ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』は、読者の圧倒的支持を得て、フランスでも82年にメディシス賞(フランスで最も権威ある文学賞)を取り、86年にはショーン・コネリーを主役として映画化されるまでの人気を博す
一種のパラダイムシフトが起こり、その変化が新たな理解の枠組みを確立する

訳者あとがき
歴史批評の一環。2011年フランスの文芸誌『LiRE』の「年間最優秀書籍」の1冊に選出

解説             野崎歓(フランス文学者、東大大学院人文社会系研究科教授)
出版文化が市場経済の荒波に容赦なく晒されるようになって久しい。活字文化の危機が叫ばれる状況下、本は「商品」として勝ち抜いていく力が厳しく求められる。売れるか売れないかが問題で、ベストセラーとはそんな時代の輝かしい勝利者に与えられた称号
数字、時間、場所がベストセラーの3要素だと規定し、それぞれに考察を加える
次いで、ベストセラーが作られるメカニズムを分析
最後に、本が売れる理由を分析 ⇒ 背景にある宗教、政治、教育といった力の強大さを炙り出す
ベストセラーが如何に非文学的な大衆心理のメカニズムによって生み出されることを納得させてくれる
世上殆どの本はベストセラーにならず仕舞いだが、それらの本の存在こそが多様性という文化にとってかけがえのない価値を守ってくれているのではないか
ベストセラーは一個の奇跡であり、新たな時代の「パラダイム」の啓示であるかもしれない。だからこそ人々はベストセラーに何かを期待せずにはいられない
書物を巡る逸話や箴言が多く盛り込まれている
「成功(ヒット)を嫌いながら、それを盗む者もいる」(バンジャマン)
2万部を超えると誤解が始まる」(マルロー)
「本に未来を与えてやることが重要なのです」(バルザック)



ベストセラーの世界史 フレデリック・ルヴィロワ著 20世紀に確立された現象を分析 
日本経済新聞朝刊2013年8月11日付フォームの始まり
フォームの終わり
 ベストセラーといえば、一般的には本についていわれる。ベストセラー作家などということばがある。ベストセラーについてまず気になるのは、本の量と質の関係である。量と質は反比例するという説もあるが、どうもこれは売れない作家の負けおしみのようで、本の量と質の間には、あまり関係はないらしい。
(大原宣久・三枝大修訳、太田出版・2800円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
(大原宣久・三枝大修訳、太田出版・2800円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 この本は、ベストセラーという、20世紀に確立された本の現象を、書物、作者、読者という3つの軸によって鮮やかに分析してくれる。
「それぞれが、(一)『ベストセラーとは何か』、(二)『ベストセラーはどうやって作るのか』、(三)『ベストセラーはなぜ売れるのか』という三つの根源的な問いへとつながっている。」
 著者によると〈ベストセラー〉ということばは1889年、アメリカ合衆国で初めて使われたという。それ以後、アメリカ式の本の販売が世界中に広まったのである。発売1週間で、たちまち数万部――などと宣伝されると読者はさらに買ってしまう。
 本格的なベストセラーの時代に入ったのは20世紀後半からであるという。その量がハイ・スピードで激増したのである。映画化がそのきっかけをつくり、メガ・ベストセラーがあらわれた。そして20世紀末の、ハリー・ポッターというとんでもない怪物があらわれて。それまでのベストセラーの記録を破ってしまったのである。
 私自身の実感からすると、かつてベストセラーの本はもっと身近だったような気がする。しかし今は、何百万部も売れているという本が、どこか別世界のものであるように感じられるのである。
 この本は、量という面から本を縦横に分析してくれるが、それによって、あらためて本とはなにかについて考えさせてくれる。そして、このような本が書かれることは、本の文化が転換期にさしかかっていると感じさせる。電子本の登場は、ベストセラーをどのように変化させるのだろう。ベストセラーの書き方は教えてくれないが、本についての想像力をかきたててくれる。
(著述家 海野弘)



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