生きている兵隊(伏字復元版)  石川達三  2013.9.15.

2013.9.15. 生きている兵隊 (伏字復元版)

著者  石川達三

発行日           1999.7.3. 印刷                7.18. 発行
発行所           中央公論新社(中公文庫)

本書は、『中央公論』(昭和133月号)発表掲載のものを底本とし、戦後、著者によって復元・出版された河出書房版(昭和2012月刊)によって、伏字には傍線を付し、加筆または修正された部分は[ ]で補い、その部分を明示した

(前記)
日支事変については軍略その他未だ発表を許されないものが多くある。したがってこの稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである。部隊名、将兵の姓名などもすべて仮想のものと承知されたい

高島本部隊が太沽(たーくー)に上陸したのは、残暑の頃。南下すること2か月
途中で、部隊本部に徴用された自分の家に放火した男を捕まえ、斬首して河に投げ込む
揚子江を上って南京に転進、馬を徴用しようとしたが牛しかおらず、必死に抵抗する老婆を押しのけて徴用したが、牛が砲台を泥沼の中に引っ張り込んで、報復を受ける
途中の村に若い女性を見かけて、医大卒の近藤一等兵が近づくとピストルで狙われ、スパイ容疑で刺し殺す
従軍僧までが、拳銃や剣も持たずに、有り合わせのもので敵を撲殺している
戦場で役に立たない鋭敏な感受性も自己批判の知的教養も持ち合わせてはいない、そうしてこの様に勇敢でこの様に忠実な兵士こそ軍の要求している人物だった
1121日 南京攻略戦の重要な防禦地点でもある無錫を攻撃
無錫陥落後の休息中、兵は兎を追う犬のようになって女を探し回る。道徳も法律も反省も人情も一切がその力を失っていた
炊事場で、とっておきの砂糖が無くなり、その嫌疑で若い支那人が殺される。それにしても一塊の砂糖は1人の命と引き換えられるのか、と遺憾に思う
敵を軽視している間にいつの間にか我とわが命をも軽蔑する気になっていくもののようであった。自分の命と体との大切なことを考える力を失っていたともいる、それは一種の神経衰弱に近い症状であって、彼等が無傷で戦っている間はどれほど戦友が斃れようとも覚醒するときのない激しい夢遊状態のようでもあった
戦闘員と非戦闘員の区別がはっきりしないことが、支那人皆殺しの発想に繋がる。また、南京勝ち数國連れ抗日思想がかなり行き渡っているものとみられ、一層庶民に対する疑惑が深められ、抵抗する者は庶民といえども射殺してよろしいとなった
南京包囲網が出来つつある中、捕虜の始末に困って、最も簡単に処置をつける方法は殺すことであり、それも捕まえたらその場で殺せということになる
我々が如何に支那全土を占領しようとも、彼等を日本流に同化さすなんどということは、夢のまた夢(伏字削除部分)
1210日南京城内総攻撃の命令が下る。激しい攻防戦が展開され、支那軍は撤退、13日からの城内掃討は凄壮。17日南京入城式
残敵を追っている部隊もある中、南京に駐屯している兵たちには長閑な日が久しぶりにやってきた
残留住民は20万とも言われ、皆避難民区域に押し込められ、大通りの店という店は略奪の後も物凄く、大南京の物資というべきものは全て空になっているかさもなければ描きまわされ散乱しているか、または焼けて瓦と煉瓦の堆積になっていた
市内2カ所に慰安所が開かれ、壮健なしかも無聊に苦しむ肉体の欲情を慰める(伏字削除)
上海まで戻って、自分がどれほど大きな生命の嵐の中を通過してきたのかをしみじみと考え、目のくらむような恐怖の戦慄が背筋を走るのを感じ、忽ち自分の命への激しい執着が胸を熱くして甦ってくるのを自覚し、恐れた(伏字削除)
上海には日本産のあらゆる生活物資が洪水のように流れ込んでいる。もはや上海の武力闘争は終わった。元来武力闘争は経済闘争の行き詰まりを打開する目的(伏字削除)で、戦争の終結をも待たずに今ふたたび経済闘争は有利な戦いを開始した
南京に戻る途中、死体はどこまでも続いている。古びた死体はまことにごみ屑と同じで、人間というにはあまりに古く枯れて朽木のよう。上海の酒場で女を相手に飲んでいた時には生きていることの有難さを痛感したが、ふたたび軍務につくときには生きることの息苦しさが胸に迫る。命への執着(伏字削除)を感じ始め、戦場にあって自分の命(伏字削除)を大事にしようと思いだす
芸者を買いに行って、拳銃を発射する乱暴を働いた記述と、翌日憲兵隊に尋問されたが原隊復帰できた際の記述は、2章丸ごと伏字削除
――1938年紀元節――


解説    半藤一利
虐殺があったと言われる南京攻略戦を描いたルポルタージュ文学の傑作。四分の一程伏字削除されて、昭和133月号『中央公論』に発表されたが、内務省通達により、書店の店頭に並ぶ暇もなく即日発売禁止となる。戦後刊行された完全復元版と一字一句対照し、傍線をつけて伏字部分を明示した伏字復元版 
戦争終結を待っていたかのように発刊
雑誌の編集者として石川に会うことになったが、『生きている兵隊』を褒めまくったときだけは、大抵のことには真っ向から直言する石川が、大照れに照れて、「いやぁ、あれには若気の至りだったところもある」と、珍しく韜晦の面持ちを見せた
小説の事実経過は以下の通り: 37.7.7.勃発した支那事変が本格的な戦争となり、言論統制の一元化を目的に内閣報道部が設置され、さらに11月大本営が宮中に設置されて陸海の両報道部も大本営内に設置、思想戦の名の下に、言論取締りは言論指導へと変わっていく
新聞雑誌がこぞって作家を戦地に特派して、戦意を高める現地報告等が主流となる中、2年前に芥川賞を受賞した石川も、画一的な各紙の記事内容に不満で自らの目で確かめたいと思っていたところに中央公論から特派の話が舞い込む
37.12.25.東京発、38.1.5.南京着。直接南京での暴虐事件を目撃することはなかったが、日本軍の実態に接し、死の町という言葉がぴったりの戦場を目撃して深い衝撃を受ける
南京で8日、上海で4日の精力的な取材をして帰国。330枚の原稿を10日余りで書き上げる。狙いとしては、「あるがままの戦争の姿を知らせることによって、勝利に傲った銃後の人々に大きな反省を求めようとするつもり」(初版自序)
中央公論編集長雨宮庸蔵: 「原稿が届いたのは出張校正の間際。伏字を用いることにしたが、これが失敗の原因。作業ミスから、関係当局に発売の2日前に納本したものが市販のものと齟齬、それも三十数種類も出来て陸軍が黙っていなかった。217日に配本されたが、翌日午後内務省から「聖戦に従う軍を故意に誹謗したもの」として発売禁止の通告。石川も警視庁に連行、発行人共々新聞紙法違反容疑で起訴
石川は公判で、「戦争の真実を知らせることが、真に国民をして非常時を認識せしめ、この時局に対して確乎たる態度をとらしむる為に本当に必要」と主張するも、判決は禁固4か月、執行猶予3年と予想以上に重かった
特に許されざる場面は4カ所
   北支と南支で掠奪方法の違うところを記述
   娘を裸にして刺殺する場面
   凌辱した娘から奪った指環を、同僚が自分も記念に欲しいという場面
   砂糖を盗んだ人夫を殺す場面
言論弾圧と言論界への威嚇のための恰好の材料とされた
南京虐殺の直後であり、本書が直接に触れはしないが、厳然たる不法の事実を明らかに示唆している。陸軍省の秘密文書にも、皇軍による掠奪、強姦は公然と記載されており、石川のリアルな目は既にしてこの状況を見抜いていた
石川は検閲を考慮して、「作中の事件や場所は、みな正確」とも言う
「戦争に必然的に伴う罪悪行為」に触れた故に有罪とされたし、軍のタブーが明確になった
石川は頼まれると色紙に、「筆鋒雄健千人敵」と書く。「陣談風流四座傾」との対句で、文士の心懸けとして考える ⇒ 正々堂々たる大文章でも読む者にとっては千人の敵ほどにも抗しがたき強さと正しさを感じさせ、相手をして襟を正さしめる、の意と取る
この姿勢が花開くのは戦後、社会派的、実験的作品が続く
自伝的小説『私ひとりの私』: 「人間は誰しも他人から完全に理解されるということはありえないだろう。誤解されたまま生き、誤解されたまま死んでいく。結局孤独なのだ。私ひとりの私なのだ」

Wikipedia
石川 達三1905明治38年)72 - 1985昭和60年)131)は、日本小説家
秋田県平鹿郡横手町(現・横手市)に生まれる。父が秋田県立横手中学校の英語科教員だったため、転勤や転職に伴って秋田市東京府荏原郡大井町、岡山県上房郡高梁町(現高梁市)、岡山市などで育つ。
伯父は、日清戦争のとき天津で捕えられ銃殺された12烈士の1人、石川伍一。
19149歳で母を亡くす。1915、父が再婚する。岡山県立高梁中学校3年から、転居に伴い関西中学校4年に編入し卒業、上京し第二早稲田高等学院在学中に山陽新聞に寄稿。1927早稲田大学文学部英文科に進み、大阪朝日新聞の懸賞小説に当選。大学を1年で中退した後、国民時論社に就職し、持ち込みを行うも上手くいかず退職。
退職金を基に、1930に移民の監督者として船でブラジルに渡り、数ヶ月後に帰国。国民時論社に復職して『新早稲田文学』の同人となり、小説を書く。その後国民時論社を再度退職し、嘱託として働く。
ブラジルの農場での体験を元にした『蒼氓』で、1935に第1芥川龍之介賞を受賞。1936に結婚。37年末から華北に従軍、社会批判をテーマにした小説を書くが、1938『中央公論』に発表した『生きてゐる兵隊』が反軍的だとして新聞紙法に問われ発禁処分、禁固4ヶ月執行猶予3年の判決を受ける。1942年には、海軍報道班員として東南アジアを取材。
戦後の194641022回衆議院議員総選挙に東京2区で、日本民党(にほんたみのとう)公認候補として立候補するが、立候補者133名のうち、定数12名の22位にあたる24,101票で落選。(同区トップ当選の加藤シヅエは、138,496票。石橋湛山も同区から立候補し、20位の28,044票で落選している)その後も社会派作家として活動し、『人間の壁』、『金環蝕』などを著した。
1969、第17菊池寛賞受賞。
婦人参政権不要論を唱えた事もあり、長谷川町子の『いじわるばあさん』でネタとして取り上げられた(主人公が執筆活動を妨害するが、間違えて松本清張の執筆を妨害するというオチ)。
日本ペンクラブ7代会長(1975 - 1977)。日本芸術院会員。また、日本文芸家協会理事長、日本文芸著作権保護同盟会長、AA作家会議東京大会会長を歴任した。
日本ペンクラブ会長時代は、「言論の自由には二つある。思想表現の自由と、猥褻表現の自由だ。思想表現の自由は譲れないが、猥褻表現の自由は譲ってもいい」とする「二つの自由」発言(1977年)で物議をかもし、五木寛之野坂昭如など当時の若手作家たちから突き上げられ、最終的には辞任に追い込まれた。
趣味はゴルフで、丹羽文雄とともにシングル・プレイヤーとして「文壇ではずば抜けた腕前」と言われた。
晩年は、胃潰瘍から肺炎を併発し東京共済病院で没す。死後、九品仏浄真寺に葬られた。
代表作:
蒼氓(1935)
生きてゐる兵隊(1938)
『青春の蹉跌』(1968)


『生きている兵隊』は、中国戦線に取材した石川達三小説であり、作者自身の中公文庫『前記』によると、「この稿は実戦の忠実な記録ではなく、作者はかなり自由な創作を試みたものである」という。しかし、「あるがままの戦争の姿を知らせる」(初版自序)ともしており、モデルとなった第16師団33連隊の進軍の日程、あるいは、描写が歴史事実と一致する個所も少なくない。1938発表。
概要[編集]
石川は、南京陥落(19371212日)直後に中央公論社特派員として中国大陸に赴き、19381月に上海に上陸、鉄道で南京入りした。南京事件に関与したといわれる第16師団33連隊に取材し、その結果著されたのがこの小説であり、日本国内では皇軍として威信のあった日本軍の実態を実写的に描いた問題作とされる。『中央公論19383月号に発表される際、無防備な市民や女性を殺害する描写、兵隊自身の戦争に対する悲観等を含む四分の一が伏字削除されたにも拘らず、「反軍的内容をもった時局柄不穏当な作品」などとして、掲載誌は即日発売禁止の処分となる。その後、執筆者石川、編集者、発行者の3者は新聞紙法41条(安寧秩序紊乱)の容疑で起訴され、石川は禁固4か月、執行猶予3年の判決を受けた。この著作が完全版として日の目を見るようになったのは第二次世界大戦敗戦後の194512月である。
194659日の読売新聞のインタビュー記事で石川は、「入場式におくれて正月私が南京へ着いたとき、街上は死体累々大変なものだった」と自らが見聞した虐殺現場の様子を詳細に語っており、その記事が掲載された直後の11日の国際検察局の尋問では、「南京で起こったある事件を、私の本ではそれを他の戦線で起こった事として書きました」と述べている。しかし、逝去3ヶ月前にインタビューを申し込んだ阿羅健一に対しては、闘病中だったためインタビューは断った上で、「私が南京に入ったのは入城式から二週間後です。大虐殺の痕跡は一片も見ておりません。何万の死体の処理はとても二、三週間では終らないと思います。あの話は私は今も信じてはおりません」との返事を出しているという阿羅健一『「南京事件」日本人48人の証言』小学館文庫)
登場人物[編集]
·         近藤
一等兵。医学士。人間の生命を救うために自分が学んできた医学と、生命が戦場で簡単に失われる現状との差に悩んでいる。
·         笠原
伍長。農家の次男坊で、粗野かつ無学な人物。人を殺すことに長けている反面、戦友に対しては情に篤いという「最も兵隊にふさわしい兵隊」。
·         平尾
一等兵。かつては新聞社の校正に従事していた。元来繊細な感性の持ち主であるが、兵隊になってからはそれを隠すかのように、大言壮語や勇ましげな振る舞いを見せるようになった。
·         片山玄澄
従軍僧。本来は戦死者を弔うことが彼の役目であるが、自ら戦闘に参加して、シャベルといったあり合わせの得物で、すでに20人以上殺している。
·         中橋
通訳。血気盛んな青年で、自らすすんで通訳に志願した。
·         倉田
小隊長、少尉。几帳面な性格で、地方にいたときは小学校の教師をしていた。
·         西沢
連隊長、大佐。
出版[編集]
·         『生きてゐる兵隊』出書房(自由新書)1945 単行本初版。加筆・修正のほか、伏字にされた箇所は復活。昭和2012月。
·         『生きている兵隊』中央公論新社(中公文庫)ISBN 4-12-203457-4 『中央公論』版を底本にして、河出書房をもとに伏字にされた箇所を復活して傍線が引かれた伏字復元版。加筆・修正箇所もカッコをつけて付記。




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