最初の人間  Albert Camus  2013.9.9.

2013.9.9. 最初の人間
Le Premier Homme

著者  Albert Camus 1913年アルジェリア生まれ。フランス人入植者の父が幼時に戦死、不自由な子供時代を送る。高等中学(リセ)の師の影響で文学に目覚める。アルジェ大学卒後、新聞記者となり、第2次大戦中は反戦記事を書き活躍。アマチュア劇団の活動に情熱を注ぐ。42年『異邦人』が絶賛され、『ペスト』『カリギュラ』等で地位を固めるが、51年『反抗的人間』を巡りサルトnルと論争し、次第に孤立。以後持病の肺病と闘いつつ、『転落』等を発表。57年ノーベル賞。60年パリ近郊に於いて交通事故死
13-02 ペスト』参照

訳者 大久保敏彦(19372006) 横浜市生まれ。早大大学院仏文博士課程修了

発行日           2012.11.1. 発行
発行所           新潮社(新潮文庫)       当初1996年新潮社より刊行

戦後最年少でノーベル文学賞を受賞したカミュは、1960年突然の交通事故により46歳で世を去った。友人の運転していた車が引き起こした不可解な事故の現場には愛用の革鞄が残されていた。中からは筆跡も生々しい大学ノート。そこに記されていたのは50年代半ばから構想され、ついに未完に終わった自伝的小説だった――。綿密な原稿の精査によって甦った天才の遺作。補遺、注を付す

編者(カトリーヌ・カミュ:)の注
『最初の人間』を公表することにした。カミュが亡くなったとき手掛けていた作品である。原稿は196014日に彼の鞄の中から見つかった。筆の流れるままに書かれていて、ところどころ句読点もなく、走り書きした、解読の難しいもので、カミュが書いた後で手を入れた形跡はない。
このテキストを手書原稿と、未亡人のフランシーヌ・カミュが作成した最初のタイプ原稿から確定。句読点はよく理解されるように後から復元。
補遺の5つのノートは、一部原稿の間に、他は原稿の最後に挟んであった ⇒ 巻末に掲載
『最初の人間』と題された手帳(覚書と筋書)は、らせん状の針金で閉じた、線の入った小さな手帳で、巻末に掲載
『最初の人間』を一読すれば、カミュがノーベル賞を受賞した翌日、小学校時代の恩師ルイ・ジェルマンに宛てた手紙と、ルイ・ジェルマンが彼に書いた最後の手紙を、補遺として採録したことが理解できるだろう


第1部        父親の探索
1913年秋 アルジェから1昼夜の旅の後駅から20㎞離れたソルフェリノ村にある農園の管理人として若い夫婦がやってくる。到着当夜に生まれたのがジャック
40年後、ジャックは生まれ故郷に、第1次大戦のマルヌ会戦(後出はモロッコ)で戦死した父の墓参に行く
ジャックはパリに住むが、母親がアルジェリアに残っていて、たまたまソルフェリノに引き籠った小学校の恩師と再会する機会が来たのを機に墓参となった
父の記憶も全くなく、墓参前は何も感じなかったが、墓石の父の生年と死去した年を見て、29歳という自分より遙かに年若くして死んだことに、初めて愛情と哀れみの気持ちを抱く
改めて母親に、父のことを聞いてみる気になり、72歳になる母親を訪ねる
最早みすぼらしい感じはなかったが、飾り気はなく、必要最小限のものしかなかったし、余分なものですら貧相だった、というのも余分なものは決して使われたことがなかったから。リセの同級生にしろ、後にもっと裕福な人たちの家を発見したとき彼をまさに驚かせたのは、部屋を占領している装飾品の数の多さであり、彼は常に死と同じくらい飾り気のない貧困の最中で、つまり普通名詞の中で成長してきたのに対し、同級生の家では固有名詞を発見したのだった(ただの壺ではなく「どこそこの壺」といった)
母親は元々聾者で目も悪く、記憶もおぼろげで、父親のことも殆ど忘却の彼方、僅かに幼少の頃両親を亡くし、兄弟によって孤児院に入れられ、文盲で母親の所に逃げてきたというくらい
母の名は、リュシイだったが、小説の中ではカトリーヌ(カミュの娘と同名)と呼ばれる
ジャックは、同居していた母の弟エティエンヌ(またはエルネスト)との関わりが深い。叔父は完全な聾、彼をよく可愛がってくれた
ジャックが小学校の最上級クラスの時の担任だったベルナール氏をカスバの麓近くのアパートに尋ねる。カスバの町の学校で、ジャックも幼稚園から通っていたが、ベルナール先生の人間的影響力によって運命を変えられた
ベルナールは、ジャックの父親とともに戦争に行った生き残りで、戦災孤児のジャックを親代わりとして可愛がってくれ、リセの奨学金に推薦してくれた
ジャックは父親の痕跡を探して自分の生まれた農園を訪ねるが、代の代わった現在の農園主は、父親のことなど全く聞いたことすらなかった

第2部        息子あるいは最初の人間
町の高級住宅地にあるリセに通い始める(8年間)


2通の手紙
親愛なるジェルマン先生へ              1957.11.19. 
最近の大きな名誉を与えられたが、それはあなたが愛の手を差し伸べてくれたから
心の底から感謝しています

親愛なる君へ                              1959.4.30.
ブリスヴィル著『カミュ論』確かに受け取りました
君の印象は、自分の性質や感情を明るみに出すことにいつも本能的な恥じらいを表してきたが、それは君が単純で控え目だからこそできるし、おまけに君は人がよいときている
子供というものは、大抵の場合、後の大人の姿の萌芽を宿している。授業を受ける君の喜びはいたるところに表れていたし、君の顔にはオプティミズムが表れていた
自分は教師としての生涯の間、子供の中にある、自分の真実を探す権利を尊重してきた
出来る限り私の考えを表明しないように、君たち若い知性を押し潰さないようにしてきたつもりだが、今の教育制度を見ると、子供たちの良心に対する忌まわしい侵犯を懸念する




訳者あとがき            1996.7.
1960.1.4.パリに向かう国道5号線上でスリップし、145kmhで道路わきのプラタナスに激突、助手席のカミュは首の骨を折って即死、運転していた男も5日後に死亡。事故の原因は不明のまま。年末を家族・友人と過ごした帰り、汽車で帰る予定だったが、友人に誘われるままカミュだけが車に同乗。予てからカミュはスピードを出すのが嫌いで、運転は慎重だったし、他人に乗せてもらう時でもゆっくり運転するよう注意を促していたといい、「自動車事故で死ぬほど愚かなことはない」と言っていたという
現場に愛用の鞄が残され、その中に大学ノート150ページにぎっしり書き込まれた『最初の人間』の原稿があった
すぐに出版しようという声もあったが、友人たちはこぞって反対。何よりもこの作品の形式の不備が問題となった。「今や」「すでに」「もはや~でない」といった副詞や内容の繰り返しが多く、1つの章の中で登場人物の名前が違うなど、推敲されていない文章を公にすることは、何よりも芸術作品の形式を重んじるカミュにとっては不本意であろうというのがその主たる理由だった。それにサルトル、モーリヤックらとの論争がまだ尾を引いており、カミュの歴史観の曖昧さを巡って酷評が相次ぎ、カミュの時代は終わったとまで言われるほど、周囲の状況がカミュにとって不利だったこともある。そこで未亡人を委員長に友人らで「遺作管理委員会」が結成され、68年に未亡人が『幸福な死』の刊行の話を持ち出したところで、刊行すべき作品の選考が始まり、資料集として『カイエ・アルベール・カミュ』を逐次刊行することを決定、71年の『幸福な死』を始め相次いで刊行が進み、第7巻として94年に刊行されたのが『最初の人間』で、遺作と呼べるのは第1巻、7巻と『直観』だけだが、いずれも作品の完成度という点では難があり、特に『幸福な死』はカミュが生前刊行を許可しなかったもの
本書のテキストを確定したのは、娘のカトリーヌだが、カミュに対する拒否反応が無くなったことや、相変わらず人気作家だったことも手伝って刊行に踏み切る
悪筆のカミュの原稿を解読できるのは夫人と秘書のシュザンヌ・アニュリイだけで、2人とも故人となっていたため、公表されたままの『最初の人間』は、句読点を復元したというが、文体の統一はとれていない
『最初の人間』の公表によって、あとは友人との往復書簡以外には遺作はない
カミュは早くから創作すべき作品を5つの系列に分け、それぞれテーマを記しており、その計画を忠実に実行してきた
1のテーマは不条理。『異邦人』、『シ-シュポスの神話』、『カリギュラ』、『誤解』
2のテーマは反抗。『ペスト』、『反抗的人間』、『正義の人々』
3のテーマが愛。『転落』、『最初の人間』
4,5のテーマは、それぞれの作品のための覚書が『手帖』(日記)に書き留められているが執筆された形跡はない
『最初の人間』の出版とともに、自伝かどうかが議論を呼ぶ ⇒ 第1部の少年時代の回想は自伝的要素が濃いものの、第2部以降の展開から見ると、その要素が保たれていくのかどうかは疑問。『手帖』にはその頃トルストイに啓発され影響されたことが記され、『戦争と平和』を目標に、アルジェリアのフランス人という曖昧な身分にあった入植者たちの記録を克明に調べることによって、その不安と苦悩を描き出し、移民生活の一大絵巻を作り上げることをも目指していたようだ
1部は「父親の探索」と名付けられ、40歳になってアルジェリアに帰国して父親の軌跡を辿ろうとするが、古い記録は存在せず、新しい事実も出てこなかった。それだけに自身は〈最初の人間〉にならざるを得なかった。その意味は、娘がインタビューで語ったように、「貧乏な人たちは人知れず、忘れ去られていく運命を余儀なくされる。この匿名性によって次の世代を背負う人たちはそれぞれ〈最初の人間〉となる。また、アルジェリアは忘却の土地であり、そこではだれもが〈最初の人間〉だと」
経済的にも文化的にも何一つ引き継ぐものがなく、頼れる人間もいないままに、自分1人で成長していく人間、それが〈最初の人間〉といってもよいだろう
刊行後のフランスでの評価は全て好意的で、忽ちベストテンのトップに。マルローの『希望』もサルトルの『自由への道』も読まれなくなった今、カミュの人気は高まる一方
読者層は新しく、書評もカミュの紹介に重点を置いているが、何よりも顕著なのはカミュは参加の作家と言われながら、イデオロギーが猛威を振るった当時分類しがたい作家であったことに注目し、「東西分裂の中、選択を強いられたカミュは51年に『反抗的人間』を書いた。マーカーシズムにもスターリニズムにも背を向け、自らを〈官能的ピューリタン〉と呼び、サッカーと演劇に情熱を燃やし、常に鬱状態に近いまでに落ち込みやすいこの男はいったい何者なのだろうか?」と言われた
「カミュには熱狂的な若者の読者がいる、それはカミュが「如何に生きるか」という本質的な問題に答えているからではないか」、という方向でカミュの作品を読んでいくのが最良の道ではないか
評者がこぞって認めているのは、『最初の人間』の形式が不備であるだけに、却ってカミュの生の声が聞かれ、初めてありのままの姿のカミュに接することができるという点だ






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