わらべはみたり…「野ばら」88曲集 坂西八郎編 2024.1.12.
2024.1.12. わらべはみたり…「野ばら」88曲集 ~付。ゲーテ「野ばら」考~
編者 坂西八郎ほか
発行日 1987.10.20. 初版発行
発行所 岩崎美術社
88曲の楽譜集
ベートーヴェン
ブラームス
レハール
メンデルスゾーン
シューベルト
シューマン
ヴェルナー
2024.1.1. 村木さんからのメール
今HBCの人と三人で、書いている「野ばら」の取材記録、小樽大学の教授の論文をベースにしているんですが、当時(1987)から、ナチらしいといわれていました。私も不審に思っていて今回、連邦公文書館に自費で依頼して、調べてもらうと、まさにナチで、党員番号まで分かり、ゲッペルスの宣伝省の音楽担当だった人の論文をもとにしている事が分りました。
私はこういうことに協力できないから、はっきり言いましたよ。このナチの名前は全て拒否して、他の研究者の論文をもとに進めましょう。
日本の二人はそこまで言わなくとも、という姿勢、私はここはっきりしないと私たちもナチになるんだ、と主張して、目下もめています。ここのところ、ドイツではいい加減にはできないのですけれどね。私の性格的にもね。
2024.1.2. 村木→逆瀬川
ゲーテの「野ぱら」という詩にはたくさん曲がありますと言う話です。。
大概は、シューベルトかヴェルナーですが、他に誰が何処で曲をつけたか、そして、それは、どうして?こんなテーマで1987年にドキュメンタリーを作りました。
その思い出を辿るものです。
当時野ディレクター、プロデューサーと私の三人で。
私は便利屋さん、わかんないことはこちらから電話でしらべられますから。
印税3(税込み)、つまりこれは慈善事業の様なものです。
2024.1.2. 逆瀬川⇒村木
ドキュメンタリーのできた当時、「野ばらの来た道」という本も出ていますね。その後91曲もある野ばらの違うバージョンを歌う公演も何度か行われているように、Facebookに載っていました。本は絶版でしたが、同じ著者が別に書いた本が図書館にありそうなので、今度借りて読んでみます。
2024.1.3. 村木⇒逆瀬川
小樽大学の坂西八郎という教授の本ですか?
この先生は問題意識のない人だし、かれがベースにしたドイツの音楽学者(野薔薇には153の曲があると主張)が実はナチで、私は気になってましたが、その間新聞の記事や、著作でもその事が書かれて来たので、HBCの人は気にならないみたいでしたが、私はそういうわけにはいかないので、連邦の公文書館でしらべたら、党員番号まで分かり、ゲッペルスの宣伝相で音楽を担当していたことまでわかってしまいました。
しかし、ナチはゲーテもベートーヴェンも利用しましたので、まったくドイツの文化に泥を塗ったようなもの、あの当時は、バウハウスの建築、ベルリンの表現主義の橋派、ミュンヘンの「青の騎士」、ブレヒトやブレヒトと共に音楽劇をかいたクルト・ヴァイス、音楽もヒンデミツトやシェーンベルグなどのモダン音楽もみんなを禁止、頽廃芸術にされてしまいました。そしてせっかく第一次大戦野廃墟から目を出したドイツの文化を破壊してしまったんです。私はそういう所で働いていた人は許せませんから、何らかの形で書かせてもらいます。HBCのドキュメンタリーが出てから芸大の人とか、歌手さんとかが、盛んに野薔薇を歌ったり書いたりもしています。
しかるに、この仕事、楽ではないです。三人で書いてるんですから。二人は札幌私はミュンヘンと、ディスカッションもできませんしね。私はヴィデオコンフェランスなんて苦手だし。私も前の原稿でも苦しんだので、少し疲労しています。
2024.1.3. 逆瀬川⇒村木
そうそう、坂西八郎と、その親族が一緒になって書いた本のようです。ネットでの解説に以下の通りありました。
「童は見たり、野なかの薔薇…」 ゲーテの詩に作曲をしたのは、シューベルトやヴェルナーだけではなかった。「野ばら」の楽譜収集と研究に打ち込んだ坂西八郎の学問的業績の軌跡を辿る論稿・エッセイ集。
その後多分エイチビーシーだと思うけど、彼らが中心になって、集めた楽譜を使ってそれまで歌われてなかった野バラを歌う企画が始まったのではないかと想像されます。その公演が2012年あったようで、その後も随時、歌が仕上がり次第、公演したいというようなメッセージが残っています。だから、きっとあなたの心配をよそに、能天気の日本の音楽関係者やマスコミが商業的効果を狙って、話を広げていったのでしょう。単なる想像ですが、多分日本の音楽関係者の中には、野ばらとナチスを結びつけるような発想は全くないんじゃないかな。いちど聞いてみます。そんな環境の中で、あなたが孤軍奮闘するのは大変なことなのでしょうね。日本では、ナチスはいいこともしたというような本が出たり、原爆を落とされた町の市長が、教育勅語の復活などを言うような国ですから、一体、どんな教育がなされてきたのか、首をひねるばかりです。
2024.1.3. 村木→逆瀬川
ナチと野ばらを結びつけるつもりは、わたしにもないです。研究者はそのナチだけではない。坂西先生がそれに気づかなかったのは学者としてドヂでしたが、ほかにも何人も似たようなこといっている人はいるのです。ただそのナチの人だけは、拒否しなければいけない。ナチはドイツの文化も破壊して、自分たちの悪趣味な文化を文化だと主張しました。
ナチはバウハウスもこわし、ベルリンの橋派やミュンヘンの青の騎士など表現主義や抽象派も追い出し、退廃芸術と呼びました。ブレヒトはアメリカへ逃げ、クルト・ヴァイルなどの音楽劇、ヒンデミットやシェーんべルグの音楽も禁じました。
『野ばら」は、ナチに折られたバラです。
2024.1.4. 逆瀬川⇒村木
野ばらを作曲した人の中にナチがいたっていうことですか?
2024.1.4. 村木⇒逆瀬川
そうではなくて、坂西先生の論文のベースがナチだったハンス・ヨアヒム・モーザーという音楽学者の論文をベースにしているということです。当然、ユダヤ人を無視、あるいは、大変短く言及されるだけ、ナチは、ゲーテもベートーヴェン身プロパガンダに使いました。
坂西先生は、ナチの学者の論文をベースに博士論文を書いたんです。ドイツなら博士号剥奪です。
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『野ばらの来た道』評
世界への贈り物になったゲーテの『野ばら』91曲の楽譜。発表当時多くの感動を与えた『わらべはみたり…「野ばら」88曲集』『楽譜「のばら」91曲集』にまつわる音楽エッセイ、ドイツ民謡、ドイツ語ハイクなど坂西八郎の学問的業績の軌跡を辿る論稿・エッセイ集。
目次
第1章 野ばらの来た道
第2章 ドイツ語ハイク
第3章 ドイツ民謡と民話
第4章 エッセイ
第5章 魚眼図
第6章 書物逍遙
大学生協オンライン
『野ばらの来た道』評
発表当時多くの感動を与えた「わらべはみたり…「野ばら」88曲集」「楽譜「野ばら」91曲集」にまつわる音楽エッセイ、ドイツ民謡、ドイツ語ハイクなど、坂西八郎の学問的業績の軌跡を辿る論稿・エッセイ集
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テレビ取材について
公演当日に北海道放送のテレビ収録が予定されております。
北海道放送制作のテレビドキュメンタリー、「童は見たり」~世界最大のヒット曲『野ばら』の謎を追おう~(1987年)は昭和62年度芸術作品賞や昭和63年度日本民間放送連盟賞等を受賞しています。
この番組では世界中の様々な『野ばら』を追い、冷戦下の東西諸国でロケを行っている事にはとても驚かされます。そして各国の様子と共にそれぞれの『野ばら』が演奏されて行くのを観ると、各地の文化や社会背景までもが芸術を通し曲調から迫って来る様で、感動させられる番組です。
9月の北海道出張の際に故坂西八郎先生の奥様の坂西雅子様のご厚意で当時番組のディレクターを務めた溝口博史様とお会いする機会を頂き、そこで今回の収録のお話を頂きました。
しかも、「91曲集」にも私たちが収集した中にも含まれない、新たな『野ばら』の楽譜もその場でお預かりし、18日の公演で演奏する事になりました。
1987年の番組以降も『野ばら』の調査を続けられている事にはただただ敬服するばかりです。
遥々北海道から収録に来て下さる事には頭の上がらない思いでありますが、感謝をもってお迎えしたいと思います。
制作部代表 関本悠
北区西ヶ原の東京ゲーテ記念館に行って参りました。
今日は演奏会後初めて伺うと言う事でご挨拶を申し上げると共に、館に収蔵して頂く「野ばら×91」の資料を差し上げました。
資料は、配付プログラムやチラシ類をはじめ、チケットや全員合唱の写真に加え、8時間の公演だと分かる様に、進行表や当日会場に掲示した大まかなタイムテーブル等の計6点です。
「野ばら×91」の資料はゲーテの書簡等の一次資料ではありません。しかし、ここ日本でゲーテの言葉がどの様に受容され且つ表現されたのかと言う受容史の一局面を飾る出来事の資料ではあります。
既にゲーテ記念館に収められている数々の貴重な資料と共に収蔵庫に入れて頂くのは畏れ多くはありますが、展示もして頂けるかも知れないとの事で、本当に有り難く思います。
東京ゲーテ記念館はゲーテ研究者に資料や情報を提供する私設期間で、既整理総資料数は15万点を越え世界的注目も高い場所です。ギャラリーでは博物館の企画展の様なテーマごとの展示が行われており、国内外からの研究者から、散歩がてらの近隣住民まで、広く利用されています。
そんな素晴らしい場所で、ゲーテや『野ばら』の事をより知って頂く事のお手伝いをさせて頂ける事に感謝です。特に、今回はすぐ近くの北とぴあでの公演だった事もあり、資料の展示を通して地域の文化振興にも、微力ながら貢献させて頂く事が叶えば幸いです。
関本悠
11月18日の発表
ご報告が翌々日になってしまいましたが、公演当日、関本から発表させて頂いた情報2点を、当Facebookページでも公開したいと思います。
1.今回新たに収集した新発見の『野ばら』の内、フリードリヒ・プロイ(Friedrich Preu, ?-1781)の楽譜に関して、現在発見されている全ての歌曲『野ばら』の内、最も成立年代が早い可能性が出て来ました。今後本格的に調査を実施し、文章に纏める予定でおります。
2.「野ばら×91」の様に複数の『野ばら』を歌う演奏会は今後も企画して行きたいと考えております。企画が固まり次第、又お知らせさせて頂きます。
以上2点を当日の発表として公開致します。
今後とも宜しくお願い致します。
制作部代表 関本悠
Wikipedia
『野ばら』(Heidenröslein)は、ゲーテの詩のひとつ。1789年出版。
フランツ・シューベルト作曲の歌曲。D257。
ハインリッヒ・ヴェルナー作曲の歌曲。
ゲーテの詩『野ばら』[編集]
1799年に出版された。ゲーテが1771年にシュトラースブルク(ストラスブール)に勉学していた時に書かれたもので、フレデリケ・ブリオン(英語版)という女性に恋をし、その女性に贈られたものである。[1]
“Sah ein
Knab' ein Röslein stehn”(「男の子が野に咲く薔薇を見つけました」といったメタファーを用いた文)で始まる。
詩の全文と訳[編集]
ドイツ語原詩 |
日本語訳(GFDL) |
近藤朔風の日本語訳詞[編集]
近藤朔風は以下の2種類の訳詞を発表しているが、「野中のばら」がよく歌われる[2][3]。
野中のばら 童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら) 清らに咲ける その色愛(め)でつ 飽かずながむ 紅(くれない)におう 野なかの薔薇 手折(たお)りて往(ゆ)かん 野なかの薔薇 手折らば手折れ 思出ぐさに 君を刺さん 紅におう 野なかの薔薇 童は折りぬ 野なかの薔薇 折られてあわれ 清らの色香(いろか) 永久(とわ)にあせぬ 紅におう 野なかの薔薇 |
荒野のばら 童(わらべ)はみたり 荒野(あれの)のばら 朝とく清く 嬉(うれ)しや見んと 走り寄りぬ ばら ばら 紅(あか)き 荒野のばら われは手折(たお)らん 荒野のばら 吾(われ)はえ耐えじ 永久(とわ)に忍べと 君を刺さん ばら ばら 紅き 荒野のばら 童は折りぬ 荒野のばら 野ばらは刺せど 嘆きと仇(あだ)に 手折られけり ばら ばら 紅き 荒野のばら |
歌曲[編集]
このゲーテの詩は傑作と評価されており、以下をはじめとした多くの作曲家によって、この詩に曲が付けられている。
日本においては、特に、シューベルトとヴェルナーの作品に、近藤朔風によって日本語の訳詞が付けられたものが、音楽教科書を通して広く人々に知られている[4]。
シューベルトの歌曲『野ばら』[編集]
『魔王』と並びシューベルトの初期の傑作とされる。リート形式の見本というべき簡単な曲想に、ゲーテによる原詩のもつ繊細な世界が昇華されている。
ト長調。4分の2拍子。ピアノ伴奏は単純で、主和音を右手と左手とで交互に奏するだけである。
主調楽節-属調楽節-属調平行調楽節-主調という簡単平易な小曲の中に、厳しい自然の中の可憐な花を歌い上げている。
『野ばら』のメロディ[編集]
シューベルト作曲の『野ばら』は日本でも広く親しまれ、メロディがアレンジされて、学校などのチャイムや鉄道駅での発車メロディなどとして使用されることも多い。鉄道での発車メロディとしては、東日本旅客鉄道(JR東日本)で使用されていたほか、2011年までは京王電鉄の下り線でも接近メロディとして使用されていたが、いずれも放送機器の更新に伴い消滅している。編曲を手がけたのは永楽電気である。また学校のチャイムとしては立正大学などで使用されている。
ヴェルナー作曲による『野ばら』[編集]
ハインリッヒ・ヴェルナー作曲の『野ばら』も日本で広く親しまれ、メロディがアレンジされて地方自治体の防災行政無線のチャイムや、企業の事業所等での始業・終業時におけるチャイムなどとしても使われている。ドラマ『僕の生きる道』の合唱のシーンでも使われた。
参照項目[編集]
脚注[編集]
2.
^ “野中のばら~近藤朔風~荒野のばら”. 愛唱会きらくジャーナル. 2019年1月27日閲覧。
3.
^ 久方東雲. “ゲーテ、シューベルトと「野ばら」”. 米子リート研究会. 2019年1月27日閲覧。
4.
^ 坂本麻実子「音楽教育と近藤朔風の訳詞曲:没後100年に考える」『富山大学人間発達科学部紀要』第10巻第2号、2016年3月30日、33-42頁。 NAID 120005746268
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