名文と悪文  萩野貞樹  2024.1.25.

 2024.1.25. 名文と悪文 ちょっと上手な文章を書くために

 

著者 萩野貞樹 1939年秋田県生まれ。1964年一橋大卒。70年論文で月刊文法賞受賞。71年評論で自由新人賞受賞。その後高校教師から産業能率短大講師となり、同短大助教授を経て、現在、産業大助教授

 

発行日           1992.6.25. 初版発行         

発行所           日本教文社 (日本語ライブラリー)

 

24-01 悪文』の関連で読む

 

表紙カバー袖裏

まず名文に惚れ込まう。古典・名文は文章秘法の宝庫

平家物語が使ふ言葉の列挙、徒然草のリアルな人物描写、幸田露伴の爽やかさ、谷崎潤一郎のこだはった文字遣ひ、山本夏彦の起承転結の離れ技、福田恆存の翻訳術・・・・・

例文をもとに名文のツボを明らかにし、心地よく文章のコリをほぐす「文章はり治療」読本

 

はじめに――先人に学ぶということ

文章読本といった名で本を書いた人といえば、谷崎潤一郎、川端康成、伊藤整、菊池寛、三島由紀夫、丸谷才一。幸田露伴は『普通文章論』

本書を書くのは、よい文が読みたいという1読書人としての願いのため

冒頭に列挙した人たちの存在が、目に見えぬ形で日本人全体の文章力を、ある程度の水準に保たせていたが、今が全体に水準が落ちた。その理由は、個人先人先輩に学ぶということを、何か創造性を欠き個性を顧みない旧弊な態度であるかのように、世を挙げてはやし立ててきたからに他ならない。確かな力を備えた人を尊ぶことを止めて、結果は「にらみ」が消え、文章力を一定の水準に保たせるための命綱を失った

憧れ、学び、倣うということの意義がひとしなみに否定されてしまっても、そこには確かに「あなた」は残る。それを称して人は「個性」といい「個人」というが、それは生まれたまんま、赤裸の1個の野獣に過ぎない。こうして小学校では詩というほどのものはたった1篇も読ませないうちに詩を書くことを義務付け、美辞麗句を一切教えずに美辞麗句は使うなと教え、型など何も教えないでおいて型を破れとけしかける。これでは詐欺でないまでもひどい侮辱というもの。人々は詩も美辞麗句も型も、何も知らされはしなかったのだ

この本は型式文例集ではないし漢字熟語の練習帳でもない。すぐれた文に「学ぶ」という気持ちだけは訴えたつもりである

 

(本書の表記について)

l  歴史的仮名遣を用いた。「あるいわ」「用ゐる」など千年の混用の歴史あり、これにした

l  漢字は、原典の引用文も含め、新字体を使用

l  常用漢字表やその音訓表とか、新送り仮名とか、一切顧慮せず

l  引用は、参照した版本の原文のままとしたが、振り仮名は勝手につけて括弧にした

l  引用した語句に注を入れる場合も、振り仮名同様括弧で示す

 

第1章        文章よしあし

l  文章は、読者が自分の性に合わせて喜ぶ(露伴)

露伴によれば、読者というものは、詩文の内に潜む真の価値を見出したからではなく、自分の愚かな部分にたまたま対応する所のあるものを選んで、それで全体を評価して勝手に喜んでいるだけ。こうした幣に陥らないよう注意しなければならないが、反面、偏りの弊を去るように努めはするが、今のこの時の力を挙げて文章に取り組み、理解に努め味わいを探り、その資質に従って時に自ら文を綴ってみるということしか方法はなく、それが向上にもつながる。一足飛びの上達もしないことは明らかで、「猫児生まれて僅か三日底の眼(ていのまなこ)」ながらに、とにかく見聞いて出かけてみるしか方法はない

世に多い文章関係の書物は、その数だけのいわば「偏見」の所産であるともいえる

l  名文を書く秘訣

丸谷の『文章読本』は評判が高い。特に、「名文を読め」と「ちょっと気取って書け」は秀逸で、文章の極意はこの2つに尽きる

l  名文に接し名文に親しむ

丸谷のいう文章上達の秘訣とは、「作文の極意はただ名文に接し名文に親しむこと」

鷗外も文章上達法を問われ、ただ一言、『春秋左氏伝』を繰り返し読めと答えた

常に文章を伝統によって学ぶ。個人の才能とは実のところ伝統を学ぶ学び方の才能に他ならない

名文が我々に教えるのは、1つは言葉づかい、第2に呼吸であり気魄

l  名文とは何か

冥々漠々。読んで感心すればそれが名文で、惚れるからこそ、そこから学ぶものがある

広い範囲にわたって多読し、多様な名文を発見してそれに親しむこと

「感覚の錬磨を怠らなければ教わらずとも次第に会得されるようになる」(谷崎『文章読本』)というように、その時その人なりの器量に従い、名文と信ずるものを読んでいくに尽きる

l  「名文」の危険

何が名文なのか、自分で掴み取るしか道はない

名文がその人の器量だとすれば、「感覚の錬磨怠らず」を不動の軸に置くとしても、「自分の性に合わせて喜ぶ」ということで、互いに「偏見」を投げ合うしか方法はなく、出来ることはせいぜい、これが「偏見」であるかもしれないという謙虚さだけは失わないよう努めることだろう。どんなに偏見を負ってはいても、「自分なりの名文」をいくらか読んでいるうちには、多少は、優れた人々にも近づくことができるはず

l  「危険」承知の名文例

筆者が名文と思う1例――幸田露伴『潮待ち草』(舟人は、何時にても水のある所に船を繋ぐべし。我等は繋ぐときに解くことを思って繋ぎ、解くときに繋ぐことを思って解く。若し既に干潟に船が居座ったとしても、潮待つ間に為すべき事あるを見出し之を為せば、心の焦()らるることなどない)――名文の条件である、「情景が生き生きと目に浮かぶような明晰さ」があり、舟人の語りにすっかり身を任せきって、真に面白がっている駘蕩とした雰囲気、さらには舟人の言う内容にも心意気が窺われ、適度の俗臭となっている

l  中世の名手兼好の例

徒然草『高名(こうみょう)の木のぼり』の段――木のぼりの名人が人を木ののぼらせ、降りてくる最後の段になって気をつけろと注意

 

第2章        文章鍼治療

l  山本夏彦の快文

山本の文は、狂いがちな我々の平衡感覚を最も的確に矯正してくれる鍼治療

氏の主張の内容の説得力は、その文体、文章のよさと密接な関係がある

正統な漢文の教養を引いたもので、コラムとは20枚の文章を2枚に圧縮すること、2枚の文章を2行に縮めることだという覚悟も漢文に学んだ所からきている

『笑わぬでもなし』(『諸君』19904月号)――

猫なで声は鈴木三重吉の『赤い鳥』(1918)の亜流から起こった。昔からのわらべ歌を駆逐して童話と童謡の天下にした。三重吉はむやみに「お」の辞をつけなかったが、その亜流がつけ、お猫お牛、戦後の「お絵かき」にいたっては極まれり

図画はそれまでお手本を写したが、自由画になり、国語は音読すること少なく黙読になった。文語文がすたって口語文になったからである

新聞の社説も1921年、とうとう口語文になった。この時文語の根底にあった漢語の素養はいらなくなった。どんな国の言葉も説いて委曲をつくせるものではない。どっちにしてもつくせないなら文語の方が千年の洗練を経ている。使い手によっては美しくなるが口語はならない。今のところなる見込みがない。口語自由詩になって詩は振るわなくなった

これさえ読んでいればいいという「四書」のごときが古典。私たちの父祖はそれを捨てて西洋の古典を自分のものにしようとしたが、もとよりそれはできない相談

l  翻訳と漢文の素養

『米川正夫論』(『ダメの人』所収)――米川正夫(18911965、ロシア文学者、翻訳家)

文章の範を漢詩文にとった時代の文は、読んで分らぬということがない。分らないことがあってもそれは字句だけで、文脈が混乱することはなかった。混乱するようになったのは、範を横文字にとるようになった大正時代から

明治時代の翻訳は、何よりよき日本語でなければならなかったが、大正時代になってから重訳が嫌われ、言語から直接訳すようになって日本語として熟していないのが多い

漱石の弟子たちは、漱石といくつも違わないのに、漱石の漢詩文の衣鉢を継ぐ者がいない

日本語の文章への心配と、無念と悲しみが痛切に伝わってくる。こうした人があり、こうした文が手近にあるということは本当にありがたい

l  骨格正しい批判文

『それなら署名捺印せよ』(『不意のことば』新潮社)

山本の文章は何を述べても、その文章としての骨格の正しさに感嘆する

夏彦が分る人(分ろうとする人)と、分るまいとする人。日本列島に住む2つの人種であって互いに言語そのものが通じない

l  背骨としての漢詩文

全体を大掴みに掴んだ上で思い切って焦点を絞り込み、目の前の描写に視線を引き付けて一篇を閉じる

l  起承転結の骨法

『不意のことば』では、電話帳を批判しながら、単に機能面だけでなく、広く文化的な面まで考えさせるものとなっている――電話の普及とともに電話帳が大冊になり、産業別も細分化されるとどこを見たらいいか分らなくなり利用しなくなった。いち早く民営化を決心した電電公社が「民」との競争が心配で、タダで配ればいいと思ったのだろうがとんだ料簡違い

l  この文章を分析してみると

最初の2行で問題のありかを結論的な形で示す

漢詩の起承転結の作法に一致させる

l  句読法の妙

句読点の打ち方が一般とは一寸異なるが、言葉の勢い調子というものを生かし、リズムを重んじたところからきているのであって、優れた漢詩漢文のように音読が映える

 

第3章        列挙・連ねの醍醐味

l  列挙は叙事詩の醍醐味

平家物語第9巻、宇治川先陣の章では、陣立てと諸将が数え立てられるが、一人名が挙げられるごとに、錣(しころ)の触れ合う音とともに目前の戦闘の気分が盛り上がり、士(さむらい)11人に対する作者とそして読者との思い入れが増してゆく。人名の列挙、地名の列挙こそは叙事詩の醍醐味

l  「平家という大音楽の精髄」

「比(ころ)は睦月廿日余(はつかあまり)の事なれば、比良の高峯(たかね)、志賀の山、・・・・・」と続く次の段は、道行きぶりのあわれに富んだ美しい文章となるが、ここでも列挙が使われ、列挙、積み上げ、畳みかけが、文の緊張と昂揚の最も重要な要素となっている

『平家物語』は、列挙、名揃(なぞろ)えの宝庫であり、小林秀雄が「平家という大音楽の精髄」と言っている

l  『岳陽楼の記』のリズム感

范仲淹(はんちゅうえん、北宋の名臣)の文章にも、列挙畳みかけの美が見られる。修辞法上は対句(ついく)というが、客観的に事実を記述することを主とする「記」の文でも使われ、我々に快をもたらす文章になっている

l  古事記の訳の場合

石川淳の『新釈古事記』は、原文の忠実な翻訳を目指したものではなく、近代の大文章家による最上最良のもので、これ自体独立した文学作品として鑑賞すべき対象だが、列挙・連ねの効果が殺ぎ取られているのは残念

 

第4章        工夫は罪悪か

l  心配りの文章とは

百目鬼(どうめき)恭三郎は辛口の批評で鳴らした人だが、『風の書評』では珍しく褒めた書評がある――福永武彦画文集『玩草亭百花譜』を取り上げたもの、似たような作家による画集と比較している点や、死に近い状態の作家の文と心境に対して静かに心を寄せている様子が窺える心配りが感じられる

l  心に滲みる名文

『現代詩手帖』に載せた草野心平の詩人金子光晴(1975年没)への弔詞も心配りのお手本

本心からの嘆きをそのまま、特別の表現上の工夫も凝らさず述べたものだが、この八方破れの表現が、結果的には感動的な「詩」になっている

l  悲しみの表現と技巧

文学で発表する前提で書き綴られた追悼文に、何の表現上の工夫もないなどということは考えられない。あくまで工夫や推敲の跡が見られないよう工夫された文であるということ

人が深い感情に襲われた時、その表現にも深く心を砕くのは当然

 

第5章        文章と人柄

l  文と人とは別である

中村武羅夫(むらお)は、『新潮』の名編集長で、長編作家として鳴らした特徴ある文学者だが、「鷗外の御輿を担ぐ」永井荷風に反駁して、1927年新聞紙上で森鷗外を「イヤな人間」だと言った。中村が鷗外の文も人も駄目だと言ったのに対し、荷風は文と人とは分けて考えろという。鷗外は世間でいう「いい人」ではなかったようだということは、文は人ではないということ。文章が上手になれば人柄よく人に好かれるようになるということもない

l  「文学の論は君子の争である」

荷風の反論は、「公表された作品は文学に属するものにして、これを読む者は随意に品評して差閊(さしつかえ)ないと思うが、作家の人物の高下善悪の批判に至っては、文学に関係なき私事に渉るが故に、軽々しく口にすべきものではない」「文学の論は君子の争である」

オスカー・ワイルドは男色で投獄されたが、獄中で名作『獄中記』を書く。為永春水(通称越前屋長次郎)は、名誉欲のために勝手に他人の作を自作として刊行したが、『春色梅児誉美(ごよみ)』は名作。馬琴も息子の妻女と肉欲の日を過ごしたが、『八犬伝』は名作

人柄は文の内容には一致するが文章には一致しない。美しいモデルを選んだ審美眼やモデルの美しさと、絵の出来栄えとを混同してはならない

l  『美しければすべてよし』

荷風について山本夏彦は「美しければすべてよし」と明快に言った

荷風は、ウソつきでケチで助平で冷たく、自分のことを棚に上げて舌鋒鋭く他人を難じるときは自分でも信じていない儒教を借りて詰め寄った。円本に反対し改造社を非難しながら30万部超の売り上げになるとその印税で連日女漁りをした。荷風の人物は彼が好んで援用した儒教的モラルから見れば低劣というよりほかないが、荷風は今も読まれこれからも日本語がある限り読まれるのは、ひとえにその文章のせいである。その文章は「美」であり、日本語を駆使して美しい文章を書いた人の最後の1人。美しければすべては許されるのである

l  文章は技能である

技能である以上錬磨できるし、錬磨すれば向上もし、錬磨の過程では「人格を陶冶する」こともあり得るだろう。「文は人なり」はどうも安易に言われ過ぎる

太宰は、「文章に善悪の区別、たしかにあり。画貌、姿態の如きものであろうか。宿命なり。いたしかたなし」(『もの思ふ葦』)

荷風は、「談話の善悪上品下品下手上手はその人に在り。学ぶも得易からず。小説の道亦斯くの如きか」(『小説作法』)

一見許すべからざる文・人の乖離は、文章を書く技能を身につけているかどうかに関わるものであって、世間的に言う人物の高下には関わらない

文を磨くには、名文を読み、真似し、呼吸を身につけて技能を身につければよい

露伴は『潮待ち草』で、超俗脱俗の人は軽妙洒脱の文を綴るだろうという、一種牢固とした俗言に対し、痛烈な皮肉を浴びせている

 

第6章        気取りということ

l  わざとらしさは避けよ

露伴は『折々草』で、「老(おい)夫婦ある夜おかしき寒さかな」という黙斎という人の句を「まことにおかしき句なり」という。枯れ切った仲睦まじい老夫婦が昔の共寝とはこと変わって肋(あばら)を通る風にお互い若い頃を思い出しておかしくてたまらず笑っている風情が、決して野卑に落ちないで愛情豊かに微笑ましく、こういう寒気の言い表しようは何とも手際が良い、というのが露伴のおよその鑑賞になっている

l  上手に気取れ

乱暴に要約するなら、下手に気取るな、わざとらしさは避けよ、ということだろう

丸谷も「ちょっと気取って書け」といい、荷風の『日和下駄』をあげ、尾崎一雄の『虫のいろいろ』を、「気取らないことを気取っている」高等戦略にもふれている

名詞止め、短文、改行は、簡潔・的確・歯切れのよい文章の要素だが、極端はいけない

l  厚化粧の文章

新聞記者の書く文章こそが「現代の名文」と言い切る人がいるが、職業柄、なまじ人よりは見聞が広いという自負が仇となって、自分の実は狭い見聞だけが全世界となってしまい、そこから途方もない教訓ばなしをでっちあげるのは厚化粧そのもの

l  新聞紙式美文

この方面の「傑作」は、その内容が後に完全な捏造であることが判明し、捏造記事のまさに記念碑的存在になった1989年『朝日新聞』のもので、社会派の詠嘆調新聞美文の典型

これは一体何のつもりなのだろう。「K.Y」のイニシャルを見つけたとき、しばし言葉を失った。(中略)有名になったことが、巨大サンゴを無残にした。訪れるダイバーが年間3000人にも膨れ上がって、サンゴは満身傷だらけ、それもたやすくは消えない傷。/将来の人たちが見たら、80年代日本人の記念碑になるに違いない。100年単位で育ってきたものを、瞬時に傷つけて恥じない、精神の貧しさの、すさんだ心の・・・・・。/にしても一体「K.Y」ってだれだ

思い入れたっぷりの感傷性、身振りの大きな気取り、恥ずかしげもない正義感、といった趣が、見事に詰まっているが、この種の気味の悪い気取り文は、新聞ではずっと以前から常套となってほとんど変化の兆しもない。歪んだ職業意識が生んだ悪文も多い

l  詠嘆のない爽やかさ

厳しく説得性ある批判の中でも我一人高しとするような思い上がりはなく、僅かな見聞から途方もない文明批判をダッチ上げようとする如き気負いがない、詠嘆・感傷・芝居気・大きな身振りがない。受け狙いの「正義感」などない。同感を強要する如き図々しさがない

l  『産経抄』の澄んだ目

1989年、鳥飼久美子の『産経抄』では、世界史的にも特色ある1人の政治家マルコスを冷静に見つめた上で、その没落を、1人の人間の悲劇として、しみじみと思いやっている。要らぬ気負いも気取りも捨て、ただ事柄をまっすぐに見て平明に綴ろうとする澄んだ目がある。ことさらな「構え」を去って素直にものを見れば、このような成果が得られる

 

第7章        国文学者の悪文

l  無責任な記述の典型

独文学者の高橋義孝は、『国文学者の悪文』という快論の中で、ある種の国文学者には、文の首尾対応、前後呼応についての感覚が欠けているとし、「悪い意味での婉曲話法(ユーフィミズム)、気取り、勿体ぶり」があるとして、反論の余地ない的確さで批判している

さらに、論文に共通して現れる特定の言葉、用語があるとの指摘。「遺産」「限界」「今日的」「未熟」などのほか、「きびしく」「たしかめられる」など一方で難しい漢字を使いながら妙に仮名を多用して粋がっている。扱っているものが、誰にも捉え難く分りはしないものであるために、何と言ってみてもみな通用してしまうものだから記述が無責任になっているのだろう。曖昧な表現に止めておいて、さて、その点厳しく反省されなくてはならない、とか威(おど)しつければ、そこに「権威」が生まれてくるという「構造」があるのではないか

l  意味不明の訓辞的文体

個人名は上げなくとも国文学者の悪文ぶりに辟易している人は多い

l  悪文キイワードは「関係」と「影響」

古代文学や古代思想を扱っている分には、完璧な反証などは出て来ないのが普通であるから、要するに何とでも言える。どんな憶測も独善もこけ威しも通用してしまうという「事実」がある、国文学者の文章の堕落はそこに大きな原因がある

l  思わせぶりの文章となるわけ

例に引いた国文学者の悪文は日本の古典神話に関する評論だが、無意味な分が出来上がるのは必然性もある。と思われるのは、国文学者たちが日本神話を決して「神話」とみずに、飛鳥奈良の政治権力が政敵を貶めたり、大衆を瞞着したりするために捏造した政治文書とみているからだ。当たり前の神話学者なら誰もが当然に「神話」とするしか方法がないはずの記紀神話も「神話」と認めようとしないのは、「神話」として認めると太古以来の伝承であるということになり、当然記紀神話の貴重さが高まって、彼らにはいろいろと困ることが起こるのだろう

l  神話アレルギーから免れた文章例

国文学者の書いた文章のような呪縛から解放された学者の文章は、自他に対し一切のごまかしのない晴朗なものになっている

 

第8章        短文信仰を打ち破れ

l  感傷的で一人よがりになりがちだ

ほとんどの文章指導書は、11つの文を短く書けというが、それは、短文にすれば簡潔で歯切れのよい文が出来るという誤解に立ち、短文はかえって感傷的な一人よがりのものにしがちだということを見落としている

「息遣いが聞こえる」「生きている喜び」「新しい自分に出会う」など、内容空疎な感情語であり、新聞特有の説教臭の漂う詠嘆語だが、短文にして読者の魂を昂揚させようとするが、むやみに湿った、感情に絡み付き搦(からめ)とる体の、感傷に満ちた抒情詩となるだけ

l  小学3年生教科書では28.4字である

例に挙げた天声人語は781字。平均24字、26の短文からなる。小学3年生の教科書の文章の平均字数は28.4字。新聞社説の平均は54字。教科書も社説も、まず普通は感傷性も宗教性もない。天声人語がいかに短く、その短さのせいでいかに簡潔から遠くなっていることか。べたべたの『人物誌』も38文の平均が20.3字で、甘えと気取りと感傷だった

短文で分りやすくの意識が先行すると、教会音楽的に一句毎に感情を盛り上げていく短文の連続となり、呪文のような表現になってしまいがち

l  短文の罠

短文の畳みかけで名文中の名文とされるのが志賀直哉の『城の崎にて』

或朝、虫の死骸を見つけた叙述で、平均28字、11の短文を積み上げた文章

この名文ですら、卓抜の文章家である井上ひさしが、「感傷詩の律動が起ころうとしている」と、辛くもとどまっている機微を指摘しないではいられなかった。ということは、短文がいかに危険なものであり、素人がへたに近づくべからざるものであることを示している

井上は、同じ語がいくつも何回も繰り返し使われる同語反復によって感傷詩の律動が起ころうとしていると述べたが、これほどの同語反復は、短文でなくては決して起こり得ない

l  短くしても「わかりやすく」はならない

我々が文章を理解するという作業は、纏まった作物全体を理解するということであって、個々の文を理解することではないため、短ければ確かにその1文は分りやすいが、文相互の繋がりはかえって捉えにくくなるため、全体としては分りにくくなりかねない

文は長くなろうが、詳しく説明してもらった方が分りやすいのは当たり前

 

第9章        改竄出版の怪

l  意味不通のある文庫本

高名な国語学者が、仮名遣について一般向けに平易に説いた本が出版され、金田一京助が戦前に書いた本から一節を引用しているが、新仮名遣に直して引用したため、意味不明の珍妙なものになっただけでなく、読者を無用の混乱に陥れる有害なものになっている

l  原文は金持ちだけのものか

1946年、内閣告示「現代かなづかい」は、現代語をかなで書きあらわす場合の準則を明言したものだが、その「まえがき」に、「原文のかなづかいによる必要のあるもの、またはこれを変更しがたいものは除く」とあるのを勝手に解釈して、「原文のかなづかいによる必要のあるもの」ではないと判断して引用したために前記のような不都合が起こる。旧憲法の文章表記などは「原文のかなづかいによる必要」の度がさして高くもないのに原文に固執する出版社が、一流の文学者の詩文について、原文の必要がないと判断するのは信じがたい

l  読者をまどわす奇形『吉野葛』

原文の新仮名遣による改竄は、論文を意味不明にするが、文学の場合は作者の芸を破壊する。谷崎の『吉野葛』『盲月物語』を例に挙げる――最近の新潮文庫(改竄版)で読むと、吉野の村で見せられた静御前所縁の巻物を写し取った個所の描写があり、新字体の漢字に歴史的仮名遣の振り仮名が振ってあり、なかに1カ所だけ新仮名が使われているが、そのあとの文を読むと、見せられたのは写しで、写しは誤字誤文が夥しく、書き直したものが添えてある。他に校正ミスもある。こうなると、せっかく引用文があるのに、どれが元々の正しい引用文なのか分らなくなる。何のことはない、同社の初版本を見ると振り仮名など振っていない。しかも谷崎は、自らも振り仮名をつけているが、その扱いがどうなっているのかも分らず、同文庫本(改竄版)は不安なしには読めないものとなっていた

l  ついに無かった原則

同文庫本(改竄版)を読み進めていくうちに、振り仮名についてはどうやら訓読みは歴史的仮名遣、音読みは新仮名遣で統一したように思えてきたが、結局は編集部がでたらめにつけたとしか思えない

振り仮名について谷崎は、様々な点で非常に細かい心配りをしていることを、『文章読本』でわざわざ1節を設けて語っている。芥川の言葉を引いて、総ルビにするのが読者にとっても作者にとっても一番と言っているが、「字面(じづら)」の点で難があり、「漱石の『薤露行』など総振り仮名付きで印刷したら、その芸術的価値は半減する」とまで言っている

『盲目物語』では、谷崎は原則的に濁音は好まなかったようで、わざわざ「生国(しょうこく)」と作者自身で仮名を振っているのに、改訂版ではあっさり「生国(しょうごく)」である。無残というしかない

l  改竄決定版

『吉野葛』の中に、田舎の婆(ばば)が書いた、その母宛の手紙が引かれている。旧仮名と新仮名を混用し「田舎の婆らしい」感じにするために谷崎も苦心した所だろうが、なんとこういう所でも改訂版では原文が壊されている

(谷崎の原文) 日にまし寒さに向い候へ共いよヘヘかわらせなく相くらされ此からも安心いたし居候とゝさんと申かゝさんと申誠にへへ難有・・・・

(改訂版) 日にまし寒さに向い候へ共いよいよかわらせなく相くらされ此()からも安心いたし居(をり)候とゝさんと申(もうし)かゝさんと申誠に誠に難有(ありがたく)・・・・

見た目の効果を徹底して考え、当時の老婦人の言葉癖書き癖文字遣いなどを十分調べ、心得た上で書いたに違いない谷崎の文章を、このように書き改めてしまうというのは、極めて拙いと思う。改竄決定版だ。出版社はどう思うのだろう

l  和歌、歌謡の改変

『吉野葛』に万葉の歌が数句引用されているが、改訂版はこれを歴史的仮名遣で印刷している。作者自身がつけたものと思われ、正しい歴史的仮名遣になっている

一方、同じ文庫本の『盲目物語』では、戦国時代の『閑吟集』の歌や隆達小唄は、現代仮名遣になっている。改変は、文章の意味を探る手掛かりを奪うし、リズムを変える

谷崎は、「文章の視覚的並びに音楽的効果」「字形の美観」を大切にする旨強調しているが、谷崎作品のなかでも『盲目物語』は特に彫琢の極にあるものといってよい

谷崎自ら『盲目物語』について書いた苦心談を綴っている。「大部分を平仮名にしたが、按摩が年老いてから自分の過去を物語る体裁なので、視覚的効果を狙うと同時に、全体の文章のテンポを緩くする音楽的効果をも考えた。たどたどしい語調を読者に伝えるために、仮名を多くしていくらか読みづらいようにした。/ 200枚の原稿を脱稿するのに、最後まで日に2枚という能率を越すことが出来ず、昼夜兼行で4カ月を要した」

l  原文だから分る作者の工夫

『盲目物語』に引かれた『閑吟集』の瓢箪の歌を原本と比較すると、仮名遣を読みやすくしたり、古文書風の雰囲気を醸し出そうとしたり、視覚的印象を柔らかにしたりなど、苦心の程と渾身の良心が窺われるが、そうしたことが伝わるのは谷崎の原文を見るからで、現代仮名遣に改変したのではどうにもならない

l  歌の調子まで変える新仮名

「よ」などを小文字にせず並字で書いて五七調としているのに、改訂版では小文字にしてしまい、せっかくの調子が変わってしまう

新仮名は、単に現代文表記法の問題に止まるものではなく、日本文化の様々な部分に腐蝕をもたらしている

 

第10章     翻訳の贋造日本語

l  誤訳のある名訳もある

別宮貞徳著『誤訳 迷訳 欠陥翻訳』は、語学上の無理解からくる誤訳を徹底的に指摘・批判したもの。提供者の立場からする責任感・義務感のゆえだろう

文芸作品では、翻訳のよしあしは、訳文のよしあし、日本語のよしあしに帰着

誤訳は問題ではなく、「誤訳」ということに大きな誤解があるように思う

l  聖書の誤訳の場合

福田恆存は『愚者の楽園』で口語訳聖書について、「全篇挙げてこれ誤訳だ」と言った

口語訳にしたために、誤訳は一掃されたかもしれないが、「もし死んだなら」などという英文和訳の答案のような言葉で、救世主の信念が語られるはずはない

l  『神統記』(岩波版)の誤訳の場合

ギリシャ神話の神統を系統的に歌い上げたヘーシオドスの『神統記』の日本語訳を見ると、原文の構文そのままに倒置法で訳され、日本語として読めない悪文。日本語の倒置法を下手に使うと、締まりのない、甘えた、舌足らずの半端なものになってしまう

l  醜い倒置法

緊張や動きを伝えるため、あるいは芝居の台詞などでは倒置法も使われるが、不注意に原文の語順を生かそうとしたり、下手に意訳を避けようとしたりすると、下手な直訳になる

l  句読を無視すれば意味不明となる

原文に句読点がないからといって、長い修飾語などどの言葉に係るのかもわからないように羅列されたのでは、日本語としての解釈も困難になる

l  吉田敦彦訳との比較

神話学者の吉田は、古代ギリシャ語は堪能だが、自身の日本語の著書論文にギリシャ古代文献を引用する際、必ずしも自分で訳すことには拘らないが、『神統記』を引用する場合だけは自分で直接に訳している。岩波版が使いものにならないからだ

l  この「詩」は朗読できない

『神統記』は「詩」なので、基本的には朗読に堪えることが翻訳の絶対条件だが、岩波版では不可能

l  「れる・られる」の無神経な濫用

岩波版のひどい翻訳は、日本語の文法無視、語順無視、訳語不当に加え、「れる・られる」の無神経な濫用による点が大きい。受身可能自発尊敬のどの用法か紛らわしいものが多い

l  「ちりばう」とは何か

「星散乱(ちりば)える天」という言葉が、振り仮名付きで何十回となく出てくる

「ちりぼう」(散り乱れるの意)はあるが、「ちりばう」という言葉はない

「弁えるゼウス」も何度も出るが、「弁える」(弁ふ)は下二段であって四段ではないから、「弁えたるゼウス」とするか、口語の下一段活用動詞「弁える」の連体形の積りなら「弁えたゼウス」という

l  醜い「原典主義」とその締まりのなさ

『オセロー』の平井正穂訳は、原典の改行部分を翻訳でも改行しようとする妙な「原典尊重」主義に則るが、尊重すべきは原典の香気や気迫、格調の方であって形式ではない

言葉や文の途中で改行され、1歩ごとに頭をこづかれるような、1行ごとに読みのテンポをはぐらかされているような心地悪さを感じる。原典に忠実に訳すのはいいが、戯曲というものを、俳優観客というものをどう思っているのか

l  福田恆存訳の緊張感

同じ『オセロー』を訳した福田版と比べて、原典との乖離があったとしても言葉の緊張と品位の差は明らか

l  山本夏彦氏はどういっているか

山本の『米川正夫論』(2章参照)

俗に、英数国間といって昔は漢文は重んじられたが、いつから重んじられなくなったのだろう。漱石は苦しんで学んだ英文学より、楽しんで学んだ漢詩文の方が遥かによく分ると嘆いている。23歳で書いた漢詩文集『木屑(もくせい)録』は、日本人離れした漢文だそうだ。

「山川草木転(うた)た荒涼 十里風腥(なまぐさ)し新戦場 征馬前(すす)まず人語らず 金州城外斜陽に立つ」は乃木大将の詩だが、知らない者が増えた

明治時代に詩人といえば漢詩人で、新体詩は漢詩に対して新体詩

「雪か山か呉か越か 水天髣髴(ほうふつ)青一髪 万里舟を泊す天草洋(なだ)」は頼山陽の作。明治には3歳の童子でも知っていた。『日本外史』も書生たちによく読まれた

この後が先の引用部。さらにちかごろ翻訳の文章、ことに詩の翻訳が分りにくくなったのは翻訳を外国語の教師に任せたことによる、と論じる

漢籍の素養不足、口語の過信、下手な原典主義、誤訳の恐怖、訳詞、語学教師、訳読など、山本の指摘は一々思い当たることばかりで、噛みしめて自戒としたい

 

 

これだけは忘れたくない 文章心得のあれこれ

l  名文を読め――丸谷才一『文章読本』

1章参照

l  ちょっと気取って書け――丸谷才一『文章読本』

1章、6章参照

気取るためには材料が必要で、そのためには名文を読め

l  思った通りに書くな――丸谷才一『文章読本』

文章は型に則って書くもので、それが作文の基本。名文を読んで型を身につける

l  「あるがままに」書くことはやめよう――清水幾太郎『論文の書き方』

文章を書くというのは、同時的に併存している様々なものを、「文章」という、時間の流れの中に移し入れることだとする。文章は人間が意識的に作るものであり、「つくりもの」

l  話すように書くな――井上ひさし『自家製文章読本』

話し言葉と書き言葉とでは雲泥の差がある

発語量の7割までは無駄な受け答えだし、1センテンス3.8文節では少なすぎて文章にならない。新聞記事では平均1619文節。間投助詞(終助詞)も多すぎる

里見弴の言う「あまたのなかではっきりした形をとっている考えなら、話し言葉も書き言葉も名言名文の素質を持つ」というのは、大家の独り言

l  緒論・本論・結論、という3分法にとらわれるな――丸谷才一『文章読本』

形式に囚われると、書かずもがなの緒論/序論など書いてしまい冗長に

太宰の『男女同権』は講演筆記の体裁で、果てしなく続く前置きの滑稽さ加減は逆に見事

l  起承転結という分け方を念頭に置くほうがよい――丸谷才一『文章読本』

2章参照

頼山陽が起承転結を説明して使ったのが、「大坂本町糸屋の娘() 姉は16妹は14() 諸国大名は刀で殺す() 糸屋の娘は目で殺す()

「起」は場面(論点)の提示、「承」は焦点の絞り込み、「転」は視点の転換、「結」はまとめ

l  字面の視覚的効果に配慮せよ――井上ひさし『自家製文章読本』

9

文字の使用にあたって考えるべきは、「効果」や「美観」だが、その中身・種類は様々

l  透明度の高い文章が名文ということはない――井上ひさし『自家製文章読本』

透明度の高い文章とは、「伝達すべき内容を、少しも損なうことなく、ありのまま正しく相手に伝えることができ、出来上がったときには、むしろ文章の方は消え、対象の方がそこにはっきりと浮かび上がる」ような文章を指すというが、読者はなぜ文章を読むのか、読者を読むという行為に引きずり込む真の力は何か、ということに注意が向けられていない

l  文章はむづかしくない、容易に書かるべきである――幸田露伴『普通文章論』

当時の人は、とにかく古文古格に従って書こうとする意志と、ある程度の能力があったが、それが行き過ぎたのに対し警告の意味で言った言葉で、通常は当てはまらない

l  文は模倣してはならない――幸田露伴『普通文章論』

「高祖の衣服に手を通さなくてはならぬもののように教え、歴代の因襲に服従せぬものは不忠な謀反人ででもあるように教える」のを非難して言ったもので、当時は模倣の対象となるような手本が十分に行き渡り、漢詩漢文には多くの人が日常親しんでいた

l  大家の文章を真似しよう――清水幾太郎『論文の書き方』/山本夏彦『私の文章作法』

上達の秘訣は結局真似。今は真似すべきものすら持っていない

l  新聞記者の文章を学んではならない

「短文信仰」のせいで、優秀な記者にも実に醜い文章を書く人が増えた

l  削り去るが宜()い、削り去るが宜い――幸田露伴『普通文章論』

刀鍛冶に喩えて言った言葉

l  当用漢字、新仮名遣にとらわれるな

「現代かなづかい」を公布した内閣訓令も、強制しているわけではない

l  むやみに平仮名は使うな

梅棹忠夫は、読む人にわかりやすくするために、「訓読の用言に漢字は使わない、漢字は出来るだけ音読に限る」ことを文章作法としているようだが、内容が単純なものならいいが、同音異義語など混乱を来す場合があるし、訓読を認めないと感じの意味が分からなくなる

l  「私はそれが好きだ」「敬意が表したい」とせよ――谷崎潤一郎『気になること』

谷崎は、久保田万太郎:「ぼくは、(中略)あなたの新劇愛護精神の激しさに、敬意が表したい」を引いて、「(敬意)が」が本当の言い方で、「私はそれが好きだ」のように使おうという

l  書きたいことがないときは書くな――堺利彦『文章速達法』

話題を選んで文章などを作る義務はないので、「主題」の選び方などというのは無意味

l  私たちは詩人ではない――清水幾太郎『論文の書き方』

藤本義一は、ものごとに感動して文を作れば、「自分だけが紡ぎ出した文章」となって、こうしたものが文章の基盤だと教えるが、「文学」や「芸術」の話なら得心するが、一般人の心得としては見当違い。古人先人に学ぶ以外ない

 

 

あとがき

本書は歴史的仮名遣で書かれた。日本語の表記法としてこれが正統だからに過ぎないが、今蔑ろにされているこの仮名遣について思うのは、2000年にわたって日本人が自分たちの表記法を懸命に探り練り上げて来て、そしてようやく明治になって安定を得た正書法が、言うところの歴史的仮名遣だったということ

日本人のすべてが、100世代にも余る長い時間をかけて、努力して獲得したものだった

敗戦で慌てふためいて何の考えもなく4,5日ででっち上げた新仮名とはわけが違う。形式的には3カ月で作ったことにはなっているが、実質的には数人で数日の作業に過ぎなかった。先人の苦闘に対して謙虚な気持ちになれるなら、到底歴史的仮名遣を捨て去ることができないはず。捨てるのは既にこの世にいない億兆の同胞に対して慎みを欠くことになる

歴史的仮名遣は現代仮名遣に較べて、どう見ても遥かに整然として美的かつ合理的に出来ている。いかに合理的かは、福田恆存の『私の国語教室』に詳しい

 

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