悪文  岩淵悦太郎  2024.1.23.

 2024.1.23. 悪文 伝わる文章の作法

 

編著 岩淵悦太郎 190578年。国語学者。専門は音韻史

福島県白河市出身。京北中学校旧制静岡高等学校東京帝国大学文学部を卒業(30)。同大助手、旧制大阪高等学校旧制第一高等学校東京女子高等師範学校教授を歴任。国立国語研究所所長。国語学会代表理事。国語審議会委員として当用漢字表の改革に貢献。『岩波国語辞典』(共編)などで知られる。国立国語研究所名誉所員。大型電子計算機(コンピュータ)の日本語研究への導入。従三位(没後追叙)。国語学者の岩淵匡は実子。

 

発行日           2016.10.25. 初刷発行        2017.12.5. 6版発行

発行所           KADOKAWA (角川ソフィア文庫)

 

日本評論社より1979年刊行された『第3 悪文』を改題し文庫化したもの

 

 

はじめに                   岩淵悦太郎  1960.8.

明治の「美文時代」に比べ、現在は「悪文時代」

美文より平易な文章が好まれるようになったのは1つの進歩だが、文章表現にあまりにも無関心で、文章を練ることもなく、思い浮かぶままに書くという人が増えてきたのは否定出来ない

本書は、「相手に分からないような、あるいは分かりにくいような文章は悪文」だとして、問題の所在を明らかにする

「文」とはセンテンスの意、「文章」とは「文」の集まり

 

 

²  悪文のいろいろ     岩淵悦太郎

l  わかりにくい文章

長い文章で、主語がなかなか出てこない、それぞれの修飾語が長すぎてわかりにくい

すべて、一読して分からないような文章は悪文――「達意の文」こそは文章表現の根本

ニュースでも、翻訳調は分かりにくい場合が多い

l  誤解される表現

形容詞がどこまでかかるのか判別しがたい場合は誤解を生みかねない

「前半のような覇気の見られない戦いぶりを続けた」

「せまる」のように、「近づく」(自動詞)と、「(対決を)迫る」(他動詞)のように「要求する」の意と二様の意味があると読み手を混乱させる

書いたものを読む時は誤解を起こさなくても、音声で表現されると、ことに耳慣れない語や同音異義語を含んでいると誤解が起きやすい

l  堅すぎる文章

薬の特長の説明書きなどは専門用語を使って堅い表現だが、一般にも分かりやすい平易な表現ができないものか。お役所の広報・告知なども堅い文章が多い

l  混乱した文章

「が」という接続助詞を何度も使って1つの文に仕立てている場合、事柄が平板に並べられているだけで、事柄相互の因果関係・論理関係がはっきりせず、文章の意図する中心点が浮き上がってこず、何を言おうとしているのか分からない

放送・新聞・広告・広報では、一般の家庭人にわかるかどうかが、文章の良し悪しを決める1つの観点

 

²  構想と段落          林四郎

l  段落なしは困る

切れそうになりながら、ふらふらと続く文章は悪文の1つの型

照応の破れた文構造――文章は、前後別々の部分が互いに対応し合って整った関係にあることが必要で、それが破綻すると意味不明になる

段落がなく、何が言いたいのか分からない文章が、だらだら続くのは悪文の典型

段落を立てなかったということは、書き出す前に、どれだけのことをどういう順序で書くかという全体の見通しが立っていなかったことを意味する

l  改行しすぎは段落なしにひとしい

分節化が構造の第1歩。文章を文章らしくするためには段落意識を持つことが大切

l  構想の立たない文章

自分と読者との関係を考え、それに相応しい内容を考えることを、「構想を立てる」という

   テーマを見定める、②テーマを展開する順序を考える、③テーマの肉付け資料を整理

構造に従って、各分節を1つの段落として立てる

l  構想のよくない文章

読者に訴えるように、構想を効果的に立てる。余り小細工や技巧に走り過ぎるのは不評

ものの評価を巡る議論文は、上げ潮と引き潮の関係で構成されることが多いが、その潮時をよく心得た文章が説得力を持つ。緩急よろしきを得るとか、抑揚が巧みというのはそういうこと

 

²  文の切りつなぎ               宮地裕

l  長すぎる文はくぎる

文脈の通らない文が次々に綴られている文章は、読みにくい

文を分析的に表現するとは、誰が何をするのかを、1つづつ分析的に明確に表現することで、適切な長さ(17,8文節程度)が要求される。文を切ることと、最小限の接続詞を使うことを心掛ける

l  判決文のまずさ

文の切りつなぎの面から見て悪文の好例は判決文。主文はまだいいが、「事実」の記述は凄い。原告の何千字にも及ぶ主張を全て1文で、最初の主語に係る動詞が最後に来る

l  ニュース放送のわかりやすさ

ラジオニュースの文章を、切りつなぎに限定して考える――接続の言葉をうまく使って視聴者に聞きやすくする配慮がなされている

1文章の平均が3.4文で、短い文を指示詞/接続詞か、前文のなかの語句を繰り返すことで繋いでいる

l  すぎたるは及ばざるがごとし

文の接続関係をはっきりさせるためには、文章を適当な長さの文に切ることと、「適切」な接続詞を用いることが大切。主語と述語が頭と最後にある場合、文章を間で切るのは不可

l  歯切れのよい文章

接続詞や指示詞を使わずに、文と文との、それ自体の意味関係によって続けていく。そこに歯切れの良さが生まれる。切るということが、そのまま、続けることを意味するような、そんな続け方が、文章の歯切れのよさを生む

良い文章には、「文章の音感」ともいうべき、一種の律動がある。個々の文が持つ律動と、それらの連続が生み出す文章としての律動の両者が相まって「文章の律動」をつくり出す

歯切れによさ、文章の切れあじ、というものは、文の切れつづきの意味上の深みとともに、文章の音感によって生まれるのであろうと思う

 

²  文の途中での切り方                   髙橋太郎

l  中止法のいろいろ

文をいったん中止しながら続けていくことがある

「山は青く、水は澄む」――形容動詞で中止

「車が走り、鳥が飛ぶ」――動詞で止める

「僕は一郎で、君は二郎」――名詞+助動詞、「テ付き中止」「ハダカ(「テ」が付かない)中止」

l  長い文は読みにくいか

中止法が使われる文は、一般に長い――終止形で文を切る代わりに、一旦止めて続ける

名詞と名詞を結ぶ接続詞「並びに」を、動詞と動詞を結ぶのに使うのは、法律用語では一般的だが、一般の人に読ませると違和感がある

中止法でいくつもの文を繋げても、必ずしも読みにくさを引き起こすとは限らない

l  「そうして結合」をつないだ文

新聞記事の文章は、長さが特徴。その原因は中止法を多用することにある――主語を節約することにより、文章に節約の余地が生まれるから

「そうして結合」とは、「――。そして、」と繋がる文章を指すが、長く連ねても読みにくくならないのは、事件の推移を表しているからで、事柄を並列すると読みにくい。一般に並列は「花咲き、鳥歌う」のように対句になったものでないとスラスラ読めない

中止の最も基本的な用法は、推移・連続なので、時間や因果の系列が1つの直線をなしている文では、長さは大した問題にならないが、屈折の多い内容を1つの文にまとめあげたようなものは、長くなると理解しにくい

l  連用形による中止法

連用形による中止法の用法には5種類――①推移・連続、②並列、③原因・理由(「雨降って、地固まる」)、④方法・手段(「動物を使って実験する」)、⑤逆説(「知っていて、知らないふり」)。他に修飾の用法もある

用法が多いのは、書き手にとっては便利だが、読み手に取ってはどの用法か見極めるのに時間がかかると、読みにくいだけでなく読み誤りを起こす原因となる――「見たのでわかった」も「見たのに知らぬ顔」も書くときは「見て」で済むが、読み手は「見て」だけでは、書き手がどの用法で使おうとしているか、その先まで読まないと分からない

中止法は、その働きも豊富で、非常に使いやすいこともあって、安易な使い方をされることがあり、文章全体の調子が低くなることがある。勝手な因果関係の結び付けも安易

l  句読法

中止法は、述べかけたことを途中で止めて、次のことをまた述べていく方法なので、一旦止めたことの続きがいつ再開されるのかが問題となる――句読点によってある程度救える

「彼女は()目を輝かせて()話し続ける彼を見つめていた」

意味に頼らないと繋がり方が分からない文は、能率が良いとは言えない

読点の最大の役割は、文の中止を形式的に表すこと。この役割の認識の仕方が、この種の悪文と関係しているのは明らか

l  接続助詞の「が」

長い文を作る原因に、接続助詞の「が」がある。逆説用法を基本とするが、4つの用法がある――①2つの事柄を並べ上げ共存または時間的推移を示す、②種々の前置き、③補充的説明の添加、④限定の逆説条件、何れも前件と後件との関係を表面にはっきり打ち出していないのが共通で、「のに」や「ので」のようにごつごつと引っかからずに読者の心に入るが、万事が曖昧な流れに融けてしまう

l  悪文としての中止法

連用形や接続助詞「が」によって文を中途で止める形式は、非常に広い用途をもち、少ない形式で種々の関係を表し得る所に曖昧さの源がある。その意味で読み手に大きく負担をかけるが、読み手が曖昧さを受け入れるならば楽に読めるものの、あとに何も残らない

読み誤りを生じ、頭から抜けやすい文章で、後からつっこんで読み探ると意味が分からなくなることがある。こういう所が、連用形や「が」による中止の、悪文としての特徴

 

²  文の筋を通す                  野元菊雄

l  首尾が整っていない

主題やそれに対する結びをも広い意味で主語と述語に含めると、両者がきちんと対応していないことがある

     述語がない――主語のない文は多いが、主語に対応する述語が欠けていると文がおさまらない

     述語の位置の悪さ――主語と述語があまり離れているものは理解の妨げとなる。句点を超えて次の文に正しい述語があるのも、話し言葉ではよくあるが書き言葉では異常

     不適当な述語――照応する主語と述語を並べてみれば適当かどうかすぐわかる

     主語の省略――文の途中で主語を変えるときに主語を省略するのは悪文。主語はなるべく早く出し、主語と述語の距離は短い方がいい。両者を満足させるのは難しいが、短い文を書くことがあらゆる場合の解決策であり、良い文章の鉄則

     不適当な主語――「では」は新聞に特徴的な助詞で動作をする主体などを示すから、主語を示すものといえるが、広く力を及ぼす性質があるので要注意。主語が読み手に取って分り切っている場合は省略も可能

l  省略がすぎる

余計なものはなるべく省くことを常に念頭に置くべきだが、省略しすぎると意味が伝わらないので要注意。ダブリと省略では、ダブリの方が誤解がないだけいい

l  並べ方がまずい

文が内容的に並列している場合、完全に並列させることが必要――「たり」は動詞について並列を示す助詞なので、並列する両者に「たり」をつけるのが原則。「と」も並列を示す助詞として使われるが、いつの間にか後の方には付けないのが普通になった

並列は、厳密に何と何がどう並列するかを文面に表さなければならない

l  副詞のおさめが悪い

陳述の副詞には決まったおさめのものがある――「決して…ない」「とても…ない」などだが、時代とともに変化して、「とても」は肯定的にも使われるのが普通になった

「これまで」「いまさらながら」などの副詞句も、後に動詞や形容詞が続かないとけない

l  助詞へのおさめが悪い

「では」は非常に広く主語的な感じであるのに対し、「には」は場所的な感じが強いので、そこでの動作や存在を示す語を強く要求するため、それをしないとおさめの悪さを感じる

1つの助詞が1文中に何回も出るのは悪文

 

²  修飾の仕方          宮島達夫

ある言葉を具体的に説明している部分を「修飾語」といい、2つ以上の部分が同じ資格で並んでいるのを「並立」という。修飾語と並立とは、似たような悪文を作りやすい

l  助詞のくりかえしと省きすぎ

名詞と動詞の関係は助詞で表される(「学校へ行く」)。この助詞の意味が曖昧になっていたり、同じ助詞が繰り返されたりするのは工夫の余地がある

l  並列の一方を忘れた文

「すんでいる動物と植物」「子供にパンと牛乳を飲ませる」などでは、使い分けが必要

l  修飾語のかかり方が乱れた文

文が長くなると、下とうまくつながらないことがある

日本語では、話し手/書き手の態度を表わす言葉が最後に来て、予想を裏切られることもあるが、それを防ぐには「予告の副詞」(「おそらく」「きっと」「決して」など)を使う方法もある

l  どこにかかるのか、わからない修飾語

「むつかしい子の教育」という表現は、文法的にはどちらか一方に決める根拠はなく、前後の文脈から判断するしかない

l  離れすぎた修飾語

「白い大きな花」と「大きな白い花」の言い方の間には優劣がない。「白い」「大きな」のように性質も長さも同じような修飾語の場合には問題にならないが、両者に違いがある場合は、順序によって文章の良し悪しが決まる

修飾語の使い方の条件は、①長い修飾語はつけない、②修飾される語のすぐ前に修飾語を置く、③長さの異なる複数の修飾語がある場合には短い修飾語の方を修飾語の近くに置く

l  長すぎる修飾語

長い修飾語は悪文の原因になりやすい

l  はさみこみ

修飾語が長い場合、( )や―で囲んだ修飾語を修飾される語の後ろにはさみこむことがある

文の流れを中断することには変わりないので、ここでも短いことが大切

「注」として独立させることも考える

 

²  言葉を選ぶ          水谷静夫

l  ひとり合点

頭の中のアイディアを整理しないまま、心に浮かぶイメージをただ書き連ねていくと、どうしても一人合点に陥る

l  「ように」の使い方一つでも

「ように」が肯定的に使われる場合は誤解も少ないが、「太郎は次郎のように利口でない」と否定に使われると、①次郎は利口だが、太郎は利口ではない、②太郎, 次郎とも利口ではない、③太郎,次郎とも利口だが、太郎の利口さは次郎に劣る、の何れか不明

l  引っかかるつながり方

同じ意味の言葉を重複使用するのも悪文――「馬から落ちて落馬」の類

l  無知か、慣用の無視か

よくは知らない言い回しを、気分的に使ったり、学をひけらかして書いたりすると、とんでもない結果になることが多い

「門前市をなす」というべきところ、「門前雀羅(じゃくら)をなす」(「雀羅を張る」で、訪れる人が絶えてないこと)は大失態

「他山の石」は、もともとは、自分より劣る人の言行も自分の知徳を磨く助けとなる意味

l  あまりにも感覚的

押さえるべきツボを押さえもせず、書き流すのを改めなければ、悪文の根を断つことができないし、知ったかぶりも禍のもと

「インフレが幾何級数的に進行」という分も、「急激も」くらいの意味で軽く使っているようだが、皆がそんな感覚的な使い方でこの後をすり減らしてしまうと、本当に等比数列で近似してよいことを主張する文章でも、その書き手の真意が伝わらなくなってしまう

「比重」とは「標準の物質」があって初めて比重になるので、単に「重み」の意味では使えない

「方程式」も、未知数のある特定の値だけに対して成り立つ等式で、一般法則を指す比喩としては「恒等式」や「公式」を選ぶべき

l  イメージがちぐはぐ

ムード(フィーリング)に押し流されるとは、日本人の文章の批評に決まって言われる文句で、ムードを主に立てるべき場合でない文章をムードだけで書くのも困るが、ムードを貫いていい場合に、ちぐはぐなイメージしか与えない文章も、気色が悪い

「ナポレオンはなぜ赤いズボンつりをしていたか」の用意、「赤い」に注目を集めておきながら、「ズボンが落ちてしまう」と続けば、読み手をうろたえさせるだけで、文章の効果とは関係ない。文章を書くときには、イメージの統一に気をつける

言葉が上滑りしないよう、言葉の選び方には、慎重さが必要。作文の技巧の問題だけにはとどまらず、書こうとすることの掘り下げが足りないか、整理がついていないか、結局、書き手の心構えと考えとが確かかどうかの問題にまで、さかのぼる

 

²  敬語の使い方                  斎賀秀夫

l  皇室敬語の今と昔

1952年、国語審議会が「これからの敬語」を文相に建議、今日の敬語の使い方の拠り所

旧時代の尊敬語は、普通の言葉での尊敬の言い方に代わる

天皇用の特別製の漢語のほか、一般の漢語も普通の言い方が行われる

一般の表現でも、奉仕の精神を取り違えて、不当に高い尊敬語や、不当に低い謙遜語を使うことによって、知らず知らず自他の人格的尊厳を見失うことがあるのはいましむべき

l  敬語の三種と、そのきまり

     丁寧――話し手と話し相手との関係で変わる言い方――①「です」「ます」「ございます」をつける、②丁寧の意を含んだ特別の語を使う(「どちら」「いかが」)、③接頭語「お」「ご」をつける

     尊敬――話題の中の人物を話し手がどう待遇するかで変わる言い方のうち、動作の主または状態の主を高めて待遇するための言い方――①「れる」「られる」を使う、②接頭語「お…になる」の形を使う、③尊敬の意を含む語を使う(「尊父」「令息」)、④尊敬の意を含む接頭語・接尾語を使う(「お」「さま」)

     謙譲――話題の中の人物を話し手がどう待遇するかで変わる言い方のうち、動作の関係する方面を高めて待遇するための言い方――①「お・・・・する」、②謙譲の意を含む特別の語を使う(「もうす」「うかがう」)、③謙譲の意を含む接尾語を使う(「ども」「め」)

l  敬語のつけすぎ

「お」のつけ方――使わなければ失礼に当たる場合に限って使う。「ご意見」「お礼」「おかず」

一般に、ある語に「お」が付くと意味が変わったり、特殊のニュアンスが新たに加わったりすることが多い――「お目玉」「お三時」「お体裁」「お流れ」「おめでたい」

「お」の使い過ぎも注意――読み手にいやらしい感じを起させたり、わざとらしい感じを与えたりするので、文や文章全体のバランスにも注意を向ける必要がある

敬意をもった特別の漢語(「尊父」「謹呈」)の使用も、現代語の文章を書こうとする限り、旧式の敬語の濫用はなるべく敬遠するように努めるべき

l  敬語の誤用

「お・・・・する」は謙譲語であって、尊敬語には使わない

二重に使った尊敬語――「ご芳名」は二重、「お…になられる」は、「お・・・・になる」が最高の尊敬であり、それ以上は不要

l  敬語の不足

敬語形の脱落――1つの文の中で敬語の扱いに不統一があっては見苦しい

l  文体の不統一

対話の文体には、常体と敬体があり、たがいに混同されることはない

常体は普通体であり、ダ体ト、デアル体(論文体)

敬体は丁寧体であり、デスマス体、デゴザイマス体、デアリマス体(講演体)

敬体の中に常体を交えるケースは例外的に認められる――敬体の中にある箇条書きの部分だけを常体にする場合や、直接読者に働きかける文は敬体にして、そうでない文は常体という文章も考えられる

 

²  悪文をさけるための五十か条

【文章の組み立てに関するもの】

1.     読み手に何を訴えようとするのか、その要点をはっきりさせる

2.     読み手のことを考えて構想を立て、その構想によって各分節ごとに段落を設ける

3.     文章の展開は、なるべく素直で、自然な順序にする

4.     長い文章では、結論を予告する

5.     長い文章では、小見出しを活用する

6.     文と文との接続には、接続詞や指示詞をうまく使う

7.     接続助詞の「が」は、安易な使い方にならぬよう注意する

【文の組み立てに関するもの】

8.     長すぎる分は、適切に区切る

9.     1つの文の中に、2つ以上の違った事項を盛り込まないように注意する

10.    文脈の食い違いを起こさないように注意する

11.    複雑な内容を表す場合、中止法をあまり長く連ねると読みにくくなる

12.    いろいろな意味にとれる中止法は使わない

13.    いったん中止したものがどこへ繋がるかをはっきりさせる。これには句読点のつけ方を工夫する必要がある

14.    主語と述語の照応関係をはっきりさせる。特に、述語を抜かさないようにする

15.    主語と述語との間は、なるべく近くする

16.    文の途中で主語をかえるときは、その主語を省略してはならない

17.    並列の場合は、何と何とが並列するかをはっきりさせる

18.    同じ形で同じ意味の助詞を、2つ以上1つの文中に使わない

19.    必要な助詞を落とさない

20.    副詞の呼応を明確にする

21.    修飾語と修飾される語とは、なるべく近くに置く

22.    修飾語のかかっていく先をはっきりさせる

23.    打消しの語によって打ち消されるものが何であるか、まぎれないように注意する

24.    長すぎる修飾語をつけない

25.    修飾語が長くなるときは、別の文にする

26.    受身形をなるべく少なくする

【語の選び方に関するもの】

27.    意味の重複した表現や、曖昧な用語を整理する

28.    持って回った言い方を避ける

29.    相手に誤解されるような不正確な語は使わない

30.    ひとりよがりの新造語や言い回しを避ける

31.    文章全体のバランスを崩すような、ちぐはぐな用語を避ける

32.    読み手の立場を考えた用語法をとる。特に、読み手に指図する表現の場合は注意する

33.    事実とぴったり合った表現をする

34.    比喩の使い方が適切であるかどうかを、考え直してみる

35.    慣用のある用語法に注意する

36.    翻訳調を避ける

37.    堅すぎる漢語・文語・専門用語は、やさしい表現に言いかえる

38.    外来語・外国語を乱用しない

39.    口ことばの場合は、耳で聞いただけですぐわかるような言葉を使う。特に同音異義語には注意する

40.    耳慣れない略語は、使わない

【敬語の使い方に関するもの】

41.    出来るだけ平明・簡素な敬語を使う

42.    候文体などに使われた、敬意をもつ特別の漢語を乱用しない

43.    「お」を無闇につけない

44.    同じ文章の中で、「お」をあまり続けて使わないよう注意する

45.    「お・・・・する」などの謙譲語を、誤まって尊敬語として使わない

46.    尊敬語を二重に使わない

47.    必要な敬語は落とさない

48.    同じ文章の中の敬語形が不統一にならないよう、はっきりさせる

49.    「です・ます」調と「だ」調とは、原則として混用しない

50.    特別の効果を狙う場合には、「です・ます」調の中に「だ」調を交えてもいい

 

 

 

 

 

 

 

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悪文[第3版]

岩淵 悦太郎 編著

内容紹介

悪文の実例を新聞・週刊誌・放送・広報などに求め、その誤りをていねいに直し、正しく素直な文書を書く要諦を教える楽しい文章読本。昭和36年以来、驚異のロングセラーを続ける旧版を全面的に改稿して新鮮味を加えた。

 

 

 

(売れてる本)『悪文 伝わる文章の作法』 岩淵悦太郎〈編著〉

2024113日 朝日

 発刊60年、国語学者らの指南

 40年ほど前、ベテラン編集者に薦められた本が『悪文』だった。駆け出しライターのぼくは、書名を見てムッとした。そんなにオレの文章はひどいのか。ところが、読んでびっくり。よくできた文章術指南書だ。

 たくさんの悪文例が出てくる。新聞記事もあれば、小学生の作文もある。多種多様。どこが悪いのか、何が悪いのかが指摘され、どうすれば改善できるかが書かれている。すべてが具体的で実用的だ。初版刊行から60年以上経っても、伝わる文章を書く要諦は変わらない。

 編著者の岩淵悦太郎は国語学者。「はじめに」によると、岩淵のほか7人が分担執筆したとのこと。「構想と段落」「修飾の仕方」など、それぞれの視点で悪文を添削する。複数による多角的な視点ということも本書の魅力のひとつ。岩淵は『岩波国語辞典』の編者のひとりとしても知られる。

 文章術を説く本はたくさんある。ベストセラーになる本もあるし、泡のように消えていく本も多い(恥ずかしながら、ぼくも書いたことがある)。『悪文』が長く読まれ続けている理由はなんだろう。

 いちばんは書名。25歳のぼくが思わずムッとしたように、衝撃力がある。よく考えると、なかなか奥深い。悪文でなければいいのである。美しくなくても、凡庸でも、ダサくても。伝わりさえすれば、あとは自由ってことじゃない?

 今回、あらためて読み直してみて、悪文例がなかなか面白いことに気づいた。なかには1960年に起きた「雅樹ちゃん誘拐殺人事件」関連とおぼしき新聞記事もある。報道によって追い詰められた犯人が被害者を殺したといわれ、のちに報道協定がつくられるきっかけとなった事件だ。悪文例の出典が明記されていないのが残念。

 それにしても、悪文はほんとうにダメなのか。たとえば好きな人に思いを伝えるとき、ヘンテコな文章のほうがグッとくるということはあるよね。

 永江朗(フリーライター)

     *

 角川ソフィア文庫・880円。183万部。「伝わらない文章には普遍性がある」と担当者。日本評論社刊の単行本も発売中。

 

 

 

公益社団法人 日本広報協会

広報研究ノート 広報技術

月刊「広報」19975月号初出

悪文のパターンと出現のメカニズム

武庫川女子大学言語文化研究所教授 佐竹 秀雄

はじめに

筆者は、月刊『広報』の「広報クリニック」のコーナーで、全国各地の広報紙について用字用語の観点から批評をしている。その際、広報紙の文章中に見られやすい表現上の欠点に、幾つかのパターンがあることを感じてきた。そこで、それらのいわゆる悪文のパターンを分析し、それらがいかにして出現するかについて考察を加えた。以下は、その分析結果の報告要旨である。

データの対象は、19874月から19913月までの4年間、「広報クリニック」で取り上げた広報紙の記事である。広報紙の数は336紙で、チェックした対象ページ数は約1300 ージ。これらについて、「広報クリニック」で言及した事柄から、悪文要素を一つ一つ分解して抜き出し、それらを分類、整理した。その過程で、原文に戻って、どのような状況のもとで、その悪文要素が出現したのかを推察するという方法を採った。

1 悪文の判断

一般に悪文と判断されるとき、まず二つの立場が考えられる。第一は、その文を読むときに理解しづらくて悪文だと判断する読み手としての立場であり、第二は、表現を構成する言語要素に分解して、悪文要素を分析的にとらえる立場である。

第一の読み手の立場からは、「分かりにくい」「読みにくい」「誤解される」「意味があいまい」といった理由が指摘される。それに対して、第二の悪文要素を分析的にとらえる立場では、悪文と判断される場合には、例えば、「修飾関係に誤りがある」「助詞の使い方がおかしい」「慣用句が誤っている」「敬語の使い方が間違っている」などがあり得る。そして、どちらの立場においても、理由は常に一つとは限らず、複数の理由が同時に複合して生じている複雑な場合もある。更に、これら二つの立場とは別に第三の立場もある。例えば、ある事実を伝えようとしたとき、その内容が事実に反していたり、事実のある一面しか伝えていなかったりすれば、それも悪文であろう。また、広報紙として住民の意見が十分に取り上げられていない場合も悪文になる。座談会記事で、無駄な発言を整理していないなども悪文になろう。

文章によっては、どのように表現しているかではなく、何を表現すべき内容としているかが悪文の根拠になる。表現の仕方の良否ではなく、表現の対象(内容)の良否が悪文判定の材料になるのである。

 

2 悪文要素の分類

以上の三つの立場のうち、ここでは、第二の立場に立って、広報記事のデータについて悪文要素の分類をした。その結果、483件のデータについて言語要素レベルでの分類をした。悪文の判定理由が二つ以上認められる場合は、原文に戻って、その悪文が生じた、より根本的な原因と思われるほうに分類した。その分類結果について、更に同種のものを、ある程度まとめた。その結果が以下の通りである。

悪文要素の分類

構文 74

語の選択 70

長文 50

語法 45

敬語 34

語の不足 29

構成 27

文体 24

読点 21

文の連結 17

助詞 14

語句の重複 14

語の形式 12

慣用句 8

重言 4

その他 40

 

3 要素別分析と出現理由

以下、要素別で多かったものを中心に、その悪文要素が出現する理由を推察する。

1 構文(74例)

これらのうち、半分近くを占めていたのは、主語と述語の対応が悪いもので、次のような例が挙げられる。

リゾート開発計画は、各種団体などとそれらの問題について協議を行っています。

一般質問は、8人の議員が13項目にわたり町長の考えをただしました。

前者の例では、主語に対応する述語の形を「行っている段階です」のようにすべきであろう。後者の例では、主語のところが、「一般質問では」の形になれば、問題がなくなる。

これらの例で注目したいのは、原文の主語が「は」で始まっていることである。その「は」が述語と対応しないのは、書き手が、述語部分まで見通して主語を考えていないからである。話題やテーマ、すなわち、主題となる語にとりあえず「は」を付けて文を始めてしまい、その後、全体の文構造を気にせずに、主題に関して思い付くことを述べるために、主語と述語の対応に乱れが生じると思われる。

2 語の選択(70例)

これらの中で最も多かったものは、意味上、不適切なもので、23例あった。

ゴミはきちんと分割し--

「受動的」から「能動的」といった比較が

このごろ、米の食味品評会が開かれたのですが、--

などで、「分割」は「分別」に、「比較」は「変化」に、「このごろ」は「さきごろ」とすべきものである。

そのほか、「語の選択」のミスとしたものには、難解な専門語や堅過ぎる語が使われていたものが含まれている。いずれも、一般の人にとって分かりにくい不適切な語が選択されているのである。これらは、結局、その表現でよいのかどうかの確認を、十分にしないままに言葉を使う態度に原因がありそうである。

3 長文(50例)

長文は、一文の中に幾つもの内容を含んでいるものが多く、だらだらと言葉を続けるようなものである。

こうした長文が生じる理由は、書き手が表現対象を分析的に述べることができないためであろう。自分が見聞きした事柄や思い、感じたことを、再構成するのではなく、そのまま次々と述べ立ててしまう。そのために長い文ができてしまうのである。

4 語法(45例)

この、ほぼ4分の3までが、「○○したり、○○したりする」の形式が崩れているものであった。

作品を展示即売したり、お世話になった方々にプレゼントしており--

建物を新築したり、増改築などをする。

などで、後半の「たり」の部分が崩れて、「○○したり、○○する」形になっている。

この形式の崩れが多かった理由は、新聞のせいであろう。新聞では、すべての場合ではないが、文字数の節約を考えるためか、「○○したり、○○する」形を採用することがかなり多い。この影響が随分と大きいと推測される。

5 敬語(34例)

敬語のミスのうち、半分以上が「過剰敬語」であった。中でも、問題だと思ったものは、

心身に障害を持つ方がいます。

「寝たきりのかた」「65歳以上のかた」

のように、心身障害者や老人に対する敬語の「かた」である。一般の人の場合には、「身内の人」「周りの人」「若い人」と「ひと」を使っているのに、弱者に対しては「かた」を使う。差別意識が裏返しになって表れているように思われる。そこには、健全な敬語意識のなさや敬語のバランス感覚の悪さが感じられる。

6 語の不足(29例)

語が不足しているというのは、例えば、次のようなものである。

林地崩壊事業。

市民の皆さんの緑化推進の高揚。

それぞれ、「林地崩壊対策事業」「緑化推進意識の高揚」が省略されている。そのために意味が正しく伝わらない。この悪文要素の出現理由は、述べようとすることが、書き手には十分分かっているために、読み手にも分かっているような気になって、きちんと書かずに済ませるために起こると思われる。

7 構成(27例)

構成として分類したものは、段落の接続がおかしかったり、文脈がうまく続いていなかったりするものである。そこには、段落意識の欠如が感じられる。

8 文体(24例)

文体に含めたものには、デアル体とデスマス体が入り混じるもの、文末に「○○しています」や「○○しました」のように同じ形式が幾つも繰り返されるもの、話し言葉が書き言葉に混ざるものなどがあった。これらは、文章に対する統一感がないときや、文章全体を見渡す余裕のないときに生じやすいと思われる。

9 読点(21例)

読点に関しては、21例中20例までが読点不足と判断されるものである。読点不足によって、読みにくかったり読み誤りそうになったりするものであった。

読点不足が生じる理由は、書き手にとっては、表現内容がよく分かっているために、読点が不足していても、読みにくいとか、誤解されるとか思いもしないからである。読み手の立場が無視されている。

 

4 悪文出現のメカニズム

以上の悪文要素の出現理由から、大きな欠点として次の2点を指摘することができる。

1)全体を見通す態度がない

主語述語の対応の乱れ、段落の関係が適切でない、文章の構成が悪い、あるいは、文体での不統一などの理由として考えられたのは、文末まで見通して文を書くことができないということであった。つまり、全体の中で、その部分を位置付けしようとするのではなく、部分部分だけで処理しようとする態度に原因が見られるようであった。

2)読み手のことに配慮していない

語が不足したり、適切な表現が選択できなかったり、あるいは、読点の不足などが生じたりするのは、書き手が書く内容や情報を十分に知っていて、読み手も知っているかのように思い込むことが挙げられた。そのために、自分の感覚を中心に記述してしまい、必要な情報を書き忘れてしまう。中途半端な表現で済ませてしまうのである。そこには、読み手への配慮がない。

そして、次のような悪文出現のメカニズムが推測される。

文を書き始めるとき、まず主題を思い浮かべる。次に、その主題に関する全体を考えるのではなく、部分的に思い付くこと、感じることを書き連ねていく。部分部分を書き継いでいく。そのために長文が出現する。また、文頭の表現が文末に行き着くまでに忘れ去られるために、主語と述語の対応が崩れる。こうしたことが繰り返し行われるのである。そして、その過程で、記述対象となる主題の全体像を考えないのと同時に、読者にどのように読まれるかについても配慮しない。あくまでも書き手の知識、体験、感覚を中心として述べられるのである。

したがって、悪文を書かないためには、

対象への全体的な見通し

読者に対する配慮

を意識化する訓練がまず必要となろう。

 

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