最後の超大国インド  平林博  2018.12.19.


2018.12.19.  最後の超大国インド 元大使が見た親日国のすべて

著者 平林博 1940年生まれ。教育大附を経て63年東大法卒、外務省入省。同年フランスの大学留学。81-82年在米大使館参事官当時、ハーバード大学国際問題研究所フェロー。63年以降、在外公館ではイタリア、フランス、中国、ベルギー、米国(公使)で勤務。本邦では伊東正義外務大臣秘書官、大臣官房在外公館課長、官房総務課長、経済協力局長など歴任。95年内閣官房兼総理府外政審議室長。98年駐インド大使(兼ブータン大使)の後02年に駐フランス大使。在任中にリヨン第2大学より名誉博士号。06年外務省査察担当大使を経て07年退官。退官後は国交省国土審議会委員(観光分科会長)、早大大学院客員教授、07年から日印協会理事長。
日本戦略研究フォーラム会長や東芝、三井物産などの社外取締役も歴任。
著書は「最後の超大国インド 元大使が見た親日国のすべて」(日経BP社)「あの国以外、世界は親日!」(ワニブックス)など多数。

発行日           2017.6.26. 第1版第1刷発行
発行所           日経BP

林康夫君の推薦書

インドは国家としての筋を通す
インドは国家間の不平等を嫌う
インド人は誇り高き人々である
インド人は日本を尊敬している
インドの潜在力は抜群である


プロローグ
いずれインドは米ロ中に次ぐ第4の超大国になり、そのあとは見当たらない
2025年には中国を追い越す ⇒ 現在人口1,230百万、依然奇麗な人口ピラミッドを維持。経済成長は新興国のトップ
国内政治も大きく進展
通貨の荒療治 ⇒ 不正な滞蔵と偽造紙幣撲滅のため、5001,000ルピーを即日無効とし、後日新ルピー券と引き換え
日本にとっての重要性 ⇒ 日本を高く評価し、日本を精神的な絆と民主主義や自由など基本的価値観で結ばれている「兄弟国」と認識し、経済的には日本から学ぼうとしている
インドの親日性 ⇒ 基礎には仏教の絆、独立運動での支援と日露戦争での勝利が精神的な支えとなっている
戦後の日本との関係 ⇒ 極東軍事裁判の無効と無罪を主張の裏には独立時の支援がある。52年対日賠償請求権放棄、平和条約調印。日本のODA1号はインドの港湾建設。冷戦中は非同盟グループだったが、ソ連崩壊後は欧米との関係強化に努め、昭和天皇崩御の際は国を挙げて喪に服した
90年代ルック・イーストとしてアジア重視を標榜、98年核実験強行によって一時的に冷え込んだが、00年日印グローバル・パートナーシップ宣言、毎年首相が相互に訪問
地政学的にも重要な国 ⇒ 日米印で海軍の定期的共同訓練開始
日印協会 ⇒ 1903年設立のわが国最古の外国との友好団体

第1章        インド理解のカギ
29州と7連邦直轄地。世界第7位の大きさ→EUに匹敵
GDPは世界7位、物価勘案の購買力平価ベースでは世界3
識字率は全国平均で74(2011)
選挙権は18歳以上、有権者数814百万人(2014)は世界最大
1946年憲法制定会議招集 ⇒ 各カーストの代表者、キリスト教、イスラム教、シーク教、パルシー(ゾロアスター教)、仏教などの指導者が参加。カースト制度は違憲・違法だが社会慣習として残る
1950126日憲法公布(共和国記念日)、独立記念日は815(1947)
インドの民主主義が尊重され維持されているのは、それを支える政治文化があるからで、高い投票率と、マスコミの自由な政権批判、司法の独立、完全な文民統制下にある軍が4本の柱となっている
多様性の中の統一(初代ネルー首相の言葉であり、インドの特徴を表す国是) ⇒ 高級官僚システム(IAS)と、大統領が任命する各州知事(州政治が乱れると大統領直轄となる)が支え、担保する
民族、言語の多様性 ⇒ 公用語はヒンディー語、準公用語は21(州ごとに異なる)
多様性は宗教において顕著 ⇒ 最大がヒンドゥー教徒で79.8%、イスラム14.2
国旗はサフラン、白、緑の3色の帯 ⇒ サフランはヒンドゥー教、緑はイスラム教、白の中央にあるのは仏教を象徴する法輪。サフランは勇気と犠牲、緑は公平と騎士道、白は平和と両宗教の和解を表す
政教分離は国是 ⇒ 独立当時、ヒンドゥーとイスラムの対立が激化、イスラムはパキスタンを建国し、イスラム教を国教と定める。98年ヒンドゥー教至上主義の諸団体に支えられたインド人民党が政権につくとイスラム教徒との対立が激化、イスラム世界でもインドをターゲットにしたテロが頻発したが、インドでは政教分離の大原則に固執
カースト差別の慣行だけは大きな弱点 ⇒ 4つのヴァルナとその下のアウトカーストからなり、肌の色や血統により差別が行なわれる。職業別の階層はジャーティ/サブ・カーストと呼ばれ、無数にある。ヒンドゥーはカーストと一体となっており、ヒンドゥーの子はヒンドゥーで、ヒンドゥー以外からの改宗は認めない
カシミール戦争(47年第1次、65年第2次、71年第3) ⇒ 西北山岳地帯ジャンム・カシミールの帰属を巡る戦いで、現在は中間地帯に管理ラインを引いて分割統治
インドとパキスタンは宿敵同士。中国がパキスタンについているのと、イスラムテロ組織による攻撃に悩まされる ⇒ 08年ムンバイでの大規模テロ事件で死者174

第2章        超・親日インドの淵源
1903年渋澤と大隈が中心となって日印協会設立 ⇒ 国交のなかった英領インドとの経済文化交流の窓口となり、タタ財閥からインド産綿花の輸入の道筋をつける
1857年セポイの乱 ⇒ 英国が導入した新型ライフル銃の薬包にヒンドゥー教徒が神聖視する牛脂と、イスラムが忌み嫌う豚の脂が塗られていたのが原因で、全国に拡大
1943年チャンドラ・ボースは日本の潜水艦でドイツから訪日、シンガポールに亘ってインド独立連盟総会を開催し、インド国民軍司令官となって自由インド仮政府の樹立を宣言、対英米宣戦布告。日本軍と一緒に東北インドへ向けたインパール作戦を戦ったが失敗、ボースも日本の敗戦直後に台北での飛行機事故で死亡
49年日本の子供議会がインド象を見たいとネルー首相に要請、インディラが贈られてきた
52年日印平和条約締結、双方はすべての請求権を放棄
インドは98年の核実験の後、これからは核実験はしないと国際社会に宣言。核廃絶を目指すべきとしているが、NPT5大国のみ核保有を認めた不平等条約であると批判、国家間の不平等を嫌うインドにとっては認められない
日本のODAの最大受入国 ⇒ 日本の最初の円借款の供与国であり、日本の復旧復興に必要な鉄鉱石の輸入のための港湾建設資金を供与。5815年有償・無償・技術協力合計で5兆円余り
91年湾岸戦争により、湾岸地域に多数の労働者を送っていたインドは、彼らを一時的に撤退させると同時に、原油価格の急上昇で、インドの外貨準備が急減、日本がIMFに先立って外貨支援したお陰で危機から脱出。後年当時の蔵相が首相となり、ことあるごとに当時のことに言及し日本への感謝を口にした
82年スズキがインドの国民車構想に応じて、合弁会社マルチ社への投資を決断、スズキの出資比率は当初の40%から現在は100%の完全民営会社
宗教的、精神的絆 ⇒ ヒンドゥー教も仏教もバラモン教から派生した兄弟関係にある

第3章        インドの大変貌
インド人の目標は世界の大国となること ⇒ 市場経済への移行、欧米先進国との関係改善、アジア太平洋地域との関係構築が当面の3大目標
60年代までは、冷戦対立を嫌って、ネルー首相が非同盟運動を提唱、軍事同盟を拒否した
72年中国のインド侵攻により、中印関係が悪化、インドはソ連に接近、非同盟主義は後退
89年以降のソ連邦分裂により、インドは市場経済に転換、欧米諸国との関係改善に動く
90年代初頭ルック・イーストを掲げて、東南アジアとの関係強化へ
01BRICSとして脚光を浴びるとともに、08年から始まったG20にも参加
印中関係 ⇒ 領土問題と安全保障問題では鋭く対立。62年の中国によるヒマラヤ越えの軍事介入はトラウマとして残る。カシミールの一部はいまだに中国が占拠中
国際社会での存在感と発信力 ⇒ 30百万とも言われる在外インド人の貢献が大きい

第4章        日印繁栄のための経済・ビジネス協力
日本はインドの国造り、人づくりに協力、歴史的にも長く、規模も大。最強のツールがODA
連結性の強化 ⇒ 運輸交通網、通信手段の整備、通関手続きや入国管理手続きの効率化などにより、友好関係や経済的結びつきを強化するもの
もっとも画期的なのは、大都市のメトロ建設計画への支援。鉄道網への技術的支援
産業競争力の強化 ⇒ 製造業への協力とインフラ整備への支援。デリーとムンバイ間の6州を通るデリー・ムンバイ産業大動脈構想における核となる団地の建設支援
14年日印投資促進パートナーシップ ⇒ 日本企業による投資促進。電力不足が最大のネックであり、次いで道路、上下水道
人的交流の活発化 ⇒ 在インド日本人は8,655人、インド人留学生も英語圏に集中
日印協力による途上国援助(三角援助) ⇒ インドの強い東部・南部アフリカや中央アジア諸国でインドの影響力や人的資源を活用
日印協力による国際政治システムの改革 ⇒ 国連安保理改革により民主主義や正統性の復活・強化を期す

第5章        インドで生活し、仕事するための心構え
極端が併存し、平均値が意味をなさない国
多様性を理解し、カースト制度を知っておくことが重要
宗教に敏感であれ
菜食主義者への配慮 ⇒ バラモン教での「浄・不浄」の観念に由来
ヒンドゥー教徒は牛を食べないし、イスラムは豚を食べない、厳格なジャイナ教徒は根菜類を食べない
インドビジネスに必須の6つのP
Product ⇒ 何を製造し、誰に売るかを明確に
Price ⇒ 薄利多売
Place  ⇒ 郷に入っては郷に従え。進出先によって成否に雲泥の差が出る
Person/Partner ⇒ 適切なアドバイスや対応が不可欠。トップダウンの重要性
Passion
Patience



講演タイトル
最後の超大国・親日インド~日印パートナーシップは国際公共財~
平林博氏(日印協会理事長・元駐インド大使)
若い生産年齢人口が多く潜在的な経済成長力が期待できるインド。中国の覇権的海洋進出が強まるなか、元駐インド大使が日印の連携強化の必要性を熱く語る。
「インドが戦後、一貫して民主義体制の下で戦略的に独立を確保する気概を持つ国」であること、日本がインドの独立運動を支援したことなどを挙げます。
更に現在、中国がインド洋を含めて覇権的な海洋進出に対する日印両国の安全保障上の協力関係もあります。
インドの人口は現在132千万人程度とみられ中国の約14億人に迫る。強みは若い年齢層が多いことです。
中国は高齢化が進んで減少傾向にあり「2020年には中国を抜く」と予測。
GDPでインドは7位だが購買力平価では4位と上位にある。
インドは1947年の独立以来、民主主主義を貫き、アジアでは珍しく軍事政権は1度も誕生していない。「軍は文民政治を支えている」。
インドは宗教や言語の多様性の国ですが、そのなかで国家の統一を実現しています。
インド人は海外に3千万人いるとされ「インド系の人たちは学界、IT、金融界等でトップとして活躍している」という。特にIT分野での若いインド人の活躍は有名です。
なぜインドが親日なのか。仏教を通じての縁、日本はインドの国づくりのモデル、日本人の資質、考え、行動を高く評価、明治以降、日本はインドの独立運動を支援したことなどを平林氏は挙げます。
こうした背景に支えられた強力な日印関係は「アジア・太平洋地域のために貢献するまさに国際公共財」なのです。

書評 立花 ライター
インドといえば、人口増加、経済発展、親日国、仏教・ヒンドゥー教の国。インド旅行の経験もビジネス上の接点もなく、身近にインド人の知り合いでもいなければ、一般的にはこのようなイメージだろう。
しかし本書を読みすすめていけば、インドのもつ凄まじさが「これでもか」というぐらいわかってくるはずだ。とにかくスケールが違うのである。いまや世界第2位になったインドの人口だが、これでは具体的にイメージしにくいかもしれない。しかしインド最大の人口を擁する州が2億人以上の規模だと聞けば、どうだろう。日本が丸ごと入ってしまう大きさだ。選挙があると当然、投票は一度にやりきれない。複数回に分けて実施されるという。
さらに親日度合いも飛び抜けている。驚くべきなのは、昭和天皇の崩御に際して、インドが3日間の服喪を宣言したことだ。他国の元首が逝去するにあたり、国を挙げて喪に服することはめったにない。インド独立に貢献した日本に対する感謝のあらわれだといえよう。加えて日本の政府開発援助(ODA)が、貧困対策や環境保護だけでなく、主要都市でのメトロ交通網建設などにつながっていることも、日本に対する高い評価をもたらしている。
元日本大使としてインドに在勤された著者の言葉は、等身大のインドの姿を私たちに教えてくれる。本書を通して、ぜひインドのリアルを感じとってみていただきたい。







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