神と金と革命がつくった世界史  竹下節子  2018.12.1.


2018.12.1.  神と金(カネ)と革命がつくった世界史 キリスト教と共産主義の危険な関係
Genèse et Perversions du Pouvoir moderne

著者 竹下節子 東大大学院比較文学比較文化修士課程修了、同博士課程、パリ大比較文学博士課程を経て、仏高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を修める。比較文化史家、バロック音楽奏者。仏在住。著書に『無神論』『キリスト教の謎』など

発行日           2018.9.10. 初版発行
発行所           中央公論新社

はじめに
偶像崇拝なしに歴史は作られなかった
警察や軍隊といった暴力組織に代表される「力」と、自分と民衆の間を取り持つ緩衝装置としての典礼や祭りなどの「神」という2つの偶像が、支配者の優位性と聖性を担保してきた
それに抵抗する人々が必要とし、支えとしたのは、彼らの生きている「共同体」や「時代」の限界を超えて全人類を視野に入れた「普遍」という概念で、「万物の創造主」「固定した階級社会を覆す革命」「すべての人に共通の価値を認められる貨幣」の3つは「普遍」に繋がる扉であり、伝統や文化を異にする人々を平等に連帯させる絆となるはず
日本でも、軍国主義に抵抗する知識人の多くがキリスト教や共産主義に関心を寄せたのは、それらが文明の優劣や人種の差を問わない「普遍」を謳っていたから
近代以降の帝国主義や各種の革命のすべては、人間が「神・金・革命」に対してとるスタンスの変化や逸脱と深く関わっている。そのメカニズムを観察することで、近現代史を別の角度から読み解き、これから目指す道を模索するために本書は書かれた
無抵抗による自己犠牲によって「救い」を実現するという驚くべき非暴力革命と原始共産共同体を生んだキリスト教がローマ帝国の国教となって以来、金と戦争と革命によってどうして本源にあった「神」を損なっていったのか、「本源」に回帰する力はどう働いたのかを、近代以降に生まれた「もう1つのヨーロッパ普遍主義」である共産主義との関係を中心に見ていく
1章で、古代ギリシャからキリスト教神学を経た「自然法」や「公共善」の考え方がどのように神と人との関係を変えていったのかを考察
2章で、ロシア革命と第2次大戦、冷戦を通して、「神か、革命か」で始まった近代の流れを俯瞰
3章では、その過程で「偶像崇拝」を捨てて自由と平等と平和の社会実現に向けて戦った民衆や思想家や社会や個人がいかに斃れていったのか実例を見る
戦後の日本は、「神と革命」を共に忌避したので、ノンポリ日和見主義、ノンセクト主義と無宗教主義がセットになっていく必然性があった。「神と革命、戦争」を放棄した形で経済力をつけ富を蓄え繁栄したかに見えた日本は、世界のパワーバランスの変化とともに、今や「神」からも「戦争」からも反撃を受けようとしている
国際社会では再び「神か、金か、革命か」:の三つ巴が登場し軋轢が深刻化する中、「普遍主義」の理想は生き延びることが出来るのか
神、カネ、革命を希求したり利用したりする「似非」普遍主義は、民主主義社会であろうと、全体主義社会であろうと、世界中に蔓延している。私たちはそれをどのように見極め、超克することが出来るのだろうか

第1章        キリスト教の神と金(カネ)
1.    自然法思想と神
現在の国際社会のスタンダードとなっている基本的人権の保障や信教の自由の保障の背景にあったのが「自然法」であり、その根本には「正義」をどういう風に定義するかという問いがあった
古代ギリシャのストア派が発祥とされる「正義」の考察で、まず「普遍的な正義」があり、それを実現するために法律がある ⇒ 法と正義と権利は同根
アリストテレスやローマ法や教会法のベースにあって実定法を作ってきた「自然法」とは、「自由」を目標にしたものではなく、「正義」の実現を目標にして、秩序の安定を図りつつも不確実性を残した考え方だったが、ローマ帝国の崩壊とともに一旦は途絶え、慣習法のみの世界に戻った
教会法は残り、「自然法に基づいた実定法」としての法体系に完成させたのが13世紀のトマス・アクィナス ⇒ 自然は神の計画によって秩序立てられている被造物だから、その自然の秩序をベースにして具体的な社会の法と権利を体系づけることは理にかなっている
中世末期には、「既成の秩序を正当化するもの」として「自然法」という言葉を定義しようとする流れが生まれ、既成の秩序とは各構成員が同意した社会契約によって正当化される
自然法による社会契約という考え方は、その秩序を絶対的、普遍的なものにするための「神話」として生まれ、神と人との契約という考え方がそれを補強し確固たるものにした
自然法による社会契約思想は、大航海時代に非キリスト教文化の「新世界」を「発見」したことによって促進された ⇒ 未開人にもキリスト教の「特別な正義」を適用
絶対君主を覆す新しい考えを支えるものとして、ホッブスの自由競争論やロックやルソーの理想主義的な平等な社会という考え方が出てきたが、カントは自然法の根拠を自然状態に求めるのではなく、人間性自体の中に求めると考えた
人間は「考える主体」であり、それが理性と自由の本質であり、人はすべての人の主体性を尊重する義務がある。すべての法律はその義務を守らせるためにこそあり、それが純粋理性が到達する至高の規範。すべての人には、他者の自由に抵触しない自由を平等に行使する権利がある

2.    神から金へ
キリスト教文化圏における神と金の関係の変遷
キリスト教は利子をつけて金を貸すことを禁じている
今日的なグローバルな形の金融が出現したのは、十字軍の中で聖地と巡礼者の安全を守るという名目で結成されたテンプル騎士団で、巡礼者たちにカネを貸し、利子の代わりに貸金を上回る動産、不動産を担保にとって、たちまち財を成し、王侯貴族や教皇にまで金融を始める
イスラムでも、宗教へのリスペクトと資本主義経済への参画とを両立させるために「イスラム金融」が出来る

第2章        神と革命
1.    ロシア革命とキリスト教
1936年スターリン憲法で宗教活動禁止 ⇒ 41年のバルバロッサ作戦で変更したが、フルシチョフの時代はまた多くの教会を閉鎖
ヴァティカンも、共産主義がナチスに勝利したことは評価したが、46年に伝統的カトリック文化国であるフランスやイタリアで共産党が政権に就きそうになった時には大いに狼狽、ソ連には同調せず、自由主義陣営と同盟を結んだような関係となる
1978年ポーランドのクラクフ大司教カルロ・ヴォイティワがヨハネ=パウロ2世としてローマ教皇に選出され、徹底した人権擁護者でマルクス主義に反発、鉄のカーテンに亀裂を入れる役割を果たす

2.    ラテン・アメリカでの共闘
宗教とマルクス主義 ⇒ 共産主義の基本は「生産手段の社会化」にあるが、経済途上国においてそれが体制化すると、需給バランスもとれずに経済は破綻する
社会主義国における「宗教」のスタンスはさらに曖昧 ⇒ 共産主義革命運動にとっての教会とは、その財産を民衆に分配すべき「資本家」でありながら、弱者に寄り添うべき存在でもある
ラテン・アメリカにおける革命的キリスト教や解放の神学の登場は、マルクス主義を通してみた新たな宗教分析を促すものであり、共産主義者とキリスト教徒は「軍事独裁」の全体主義という共通の敵と戦っていた

3.    ヨーロッパの場合
マルクス主義の方がキリスト教に影響されるという現象が起こる
特にフランスでは、啓蒙の世紀とフランス革命を経て、左翼知識人と無神論の結びつきが強く、多くの知識人が共産主義革命を掲げる共産党に加わる
フランスには、カトリックの伝統が長く、第2次大戦中のレジスタンスに見られるようにカトリックのネットワークが機能していたことと、神学や社会科学を横断するものとしての「哲学」の伝統が根付いていた
共同体主義(コミュニタリアニズム)は、特にアングロ・サクソン文化圏で顕著。合衆国でもイギリスでも「自由」や「寛容」の名の下で、各共同体内の伝統という名の「法」には国家が介入しないが、フランスでは誰がどんな共同体に属していようと、個人の基本的人権を守るためには国家が共同体に介入するという「普遍主義」の伝統がある。カトリックの修道会が担当していた「社会福祉」活動をフランス革命語の共和国政権がそのまま引き継いだいるため、革命で「カトリック教会」を否定したからこそ、キリスト教的価値観の基本にある「弱者」救済を義務とする社会主義路線がそのまま「左派」のアイデンティティとなっていき、知識人たちが自らを「左翼無神論」と位置付けて社会主義革命にシンパシーを表明した
弱肉強食の新自由主義が広がった「先進国」では貧富の差が拡大、1960年代のラテン・アメリカと同様の状況が出現、抑圧された犠牲者たちは、もはや左派政党の「社会主義路線」による「援助」では救えない構造的貧困の中に閉じ込められた。ラテン・アメリカと違うのはその状況に対して自力の戦いを鼓舞する「共産主義」も、戦いを支援するキリスト教の運動も生まれてこないこと
すべての人間の平等を目指すマルクス主義の姿勢は、キリスト教の本質と通じているが、両者の最も大きい違いは、その目的を達するために武力闘争も辞さないというマルクス主義の考え方で、不当な死も受け入れたイエスの受難と復活に基づくキリスト教の福音主義に反しているところだが、そもそもマルクス主義に先行するヘーゲルの歴史哲学でも、レーニンの弁証法も理想の共産社会も、元はと言えばこの世の「地の国」がいつか「神の国」に取って代わるという聖アウグスティヌスのテーマから宗教性を排したもの
宗教を弾圧した文化大革命の時代にも、たとえマルクス主義の弁証法的唯物主義とキリスト教が相容れなくとも、社会の福祉や公正のために彼らと対話し協力することはイデオロギーとは関係がないとして、「解放の神学」を支持した人が多かった

4.    神の生き延び方
21世紀の共産国でのキリスト教 ⇒ ベトナムや中国でもキリスト教徒が急増しているのは、近代性、政治的な自由、民主主義に関心があるから
マルクスと言えど、それを読む者の社会的コンテキストの中で読まれる。その中で、虐げられた人々の解放のツールとして読まれるのか、運動を神聖化するシンボルや護符とされるのかの間で絶えず揺れ動いていたという意味では、キリスト教の歴史とも通じると言える

第3章        神・金・革命の三位一体
キリスト教と革命思想との近現代における複合的で本質的でもある関係を踏まえて、キリスト教と革命思想の間で「回心」や「転向」を体験しその生き方が時代を反映し、1つの世界を作ってきた人の実例を挙げる
同時代のフランスに生きながら、反キリスト教の立場から神秘的な回心を経てカトリックに転向した詩人ペギー、教会のオルガニストであり秘密主義に近づきながら自らの教会を立ち上げた後で急進社会主義者となった作曲家サティは逆の道を辿った。この2人を通して、伝統的なカトリック国でありながら近代革命のアイデンティティを掲げるという2面性を持ち続ける20世紀初頭のフランスと、フランスを取り巻くヨーロッパで「神」と「革命」がどのように漂流していったのかを考察する。時代に蔓延していた「偶像」との邂逅を詩人と音楽家という芸術家はどのように生きたか
宗教的伝統を異にする日本で第2次大戦後に生まれながら、キリスト教や革命思想に翻弄され、日本を離れて無差別テロの実行者となった岡本の内面の変化を辿り、最後にカトリックの司教であり続けながら一貫して社会運動に関わったガイヨー司教を巡る世界がどのように変化したのかを見る
変わるものと変わらないもの、変えられないものを人はどう分別しどう生きるのだろうか

1.    シャルル・ペギー(18731914)の場合
ジャンヌ・ダルクをテーマにした戯曲の作家で、最初は社会主義者の立場から、2度目はカトリックの立場から書いている
ノートルダム聖堂のミサの最中に「回心」したという文学者ポール・クローデル(18681955)と共に回心体験の謎に包まれている
革命後の共和国イデオロギーの中で教育され、自然に社会問題に関心を向け、虐げられている人々を「解放」するには、反抗だけでは十分ではなく、「革命」が必要と考えていたが、1904年にはキリスト教の大いなる慈善に対して社会主義の健全な連帯があるとして、キリスト教と社会主義とを並列するようになっていた
1908年ごろカトリックへの「回心」を体験し「信仰の再発見」に至ったと言われているが、1912年シャルトルの大聖堂に巡礼に行ったのは、次男がパラチフスで死線をさまよった際に回復を祈願し、無事回復を聖母に感謝するためで、遠くから大聖堂が見えた時に恍惚状態に陥った
ペギーの社会主義は、元々ユートピア的な社会主義であったから、私有財産を持たない原始キリスト教の共同体のイメージを最初から内蔵していたと言える。後の「回心」もキリスト教に「回帰」したからではなく、むしろ幼少時の素朴なキリスト教的感性を失っていなかったことの延長という面がある
どんな犠牲を払っても平和を維持するという考えは、結局のところ、正義のための戦争状態よりも不公正な平和の方がより価値があるという所まで行き着く。キリスト教精神のシステムにおいてはもちろん、人権という概念の存在するシステムにおいては、不正に基づく秩序は秩序ではなく、不正の上に立つ平和は平和ではない、という立場から第1次大戦に参戦し戦死 

2.    エリック・サティ(18661925)の場合
クラシック音楽の世界に現代音楽の試みが登場してきた時代に、独特の無調性音楽を残して、続く作曲家たちに多大な影響を与えたばかりでなく、20世紀末のサブカルチャー全盛時代に世界的な大人気を博した稀有な作曲家
キリスト教的なものから社会主義運動に身を転じたとされているが、既成のシステムを否定して神秘主義に傾いたもので、ペギーと同様、神、革命、金の偶像化とシステム化に背を向けて、アートの中に神と革命を表現しようとした点で共通するものがある
カトリックの洗礼を受け、正統的なカトリックの教養あるエリート教育を受けながら、「模範的信者」の道を歩まず、近代都市の貧困を前にして憤る感性を持ち、富裕層が礼拝する神の偽善性に反発、家を出てキャバレーでピアノを弾き、その過渡期に遭遇したのが秘教主義の色濃い薔薇十字団だったが、それでも満足せず、遂に自分とイエスだけが率いる「芸術のための教会」を創設。1900年代のサティは、パリの前衛的でパフォーマンス性の高いグループと繋がりながら、自分の霊性の向かう場所を模索していた
19世紀末にはヨーロッパの知識人がキリスト教離れしていく流れは、フリーメイスン運動や、無神論的なユートピアを説く共産主義、霊性を古代エジプトなどに求める薔薇十字団などがあった
1892年デュラン=リュエル画廊で第1回薔薇十字サロン展が開催され、サティの《ファンファーレ》が響き、サロンのパトロンだったラ・ロシュフーコー伯爵の手によってシャヴァンヌの絵をあしらった美しい楽譜として出版されたが、翌年には共に薔薇十字団を去って自ら立ち上げた教会の名で発言するようになる
都市の近代主義に蔓延するポピュリズムへの反動からパリ郊外の貧困者の集落で過ごしながら労働者の子供に音楽を教えるという現実の社会活動を始め、労働者を支援し続け、死後は共同墓地に埋葬されたが、あらゆる意味でエスタブリッシュメントとなることを嫌悪
サティとドビュッシーはともに早熟の天才で、18世紀後半から西洋音楽のスタンダードとなっていたイタリア=ドイツ系のメロディ音楽とは別の、縦型ハーモニーと舞踏の身体性とレシタティフ(朗唱)を重視する色彩豊かなフランス・バロックを再評価する感性も共通。その両者がライバルでありながら別々の道を辿ったのは、19世紀末フランス社会における2人の立ち位置の違いによるもの
ドビュッシー(18621918)は、幼少時の学校教育を受けずに、文化サロンを通じてコンセルヴァトワールに行って才能が開花、本格的にブルジョワの仲間入りを果たし、カトリックの教養のないまま初めてグレゴリアン旋法と出会うのも社会的上昇を果たしてから。カトリック趣味は当時のブルジョワが自らを貴族化するために有効な戦略で、労働者に寄り添うジェスチャーが必要だから庶民のふりをした

3.    岡本公三(1947)の場合
日本赤軍のメンバーで、1972年テルアビブのロッド空港で起きた銃乱射テロの実行犯
岡本が属する新左翼運動は、日本共産党が世界同時革命路線を捨てた後で、そこから離脱する形で始まったトロツキスト系左翼運動家の登場から生まれた
岡本はミッションスクールの出身
1972年に逮捕され、終身刑を受けるが、85年に捕虜交換によって釈放、日本赤軍が本拠地としていたレバノンに入る。彼らの資金と武器を供給したのは共産圏諸国であり、ソ連崩壊後は活動が確認されておらず、2001年重信房子が獄中で日本赤軍解散を宣言
岡本は拘禁中に宗教書を読み、自ら神に近づこうとして、最終的にはムスリムになった

4.    ガイヨー司教(1935)の場合
198295年ノルマンディにあるエヴルーの司教
エヴルーは19772001年共産党の市長の下、共産党所属の組合活動家が多い大都市近郊の町の典型で、市長はガイヨーのことを「わが町の最高の大使」と称賛し、保守カトリック陣営は彼を「赤い司教」というレッテルを貼る
ガイヨーは、ストライキ中の労働者のデモと共に歩いたり、祭壇の前よりも人々のいる町に出かけて行ったので、そのことだけでカトリクの反逆者、異端児、マルクス主義者だと糾弾されたが、自分のすべての行動はキリスト教のルーツとなる「解放の福音」のメッセージによって触発されたものだという。社会福祉、弱者支援、公正の追求において政治的左派の感性に近いと言われること自体否定しなかった
神学校に学び、2年間の兵役でアルジェリアに赴き、戦闘を見て非暴力の信念を持つとともにイスラム教徒との友情も育み、26歳で司祭叙階、教会行政に関わる要職を歴任後エヴルーへ
83年にフランスの司教会議において、暫定的に核抑止力が正当化された際、反対票を投じた2人のうちの1人がガイヨーで、兵役離脱者を擁護
95年辞職するなら名誉司教にすると言われたが拒否して、パルトニアに左遷(実質停職)されるまで、フランスの核実験の反対運動を支援したり湾岸戦争への参戦とイラク経済封鎖を批判するなど、平和に向けた様々な実践活動を展開、キリスト者だけでなくすべての人間の権利と正義と平和を守ることについていかなる妥協の姿勢も見せなかった
フランスのリベラル派カトリックから殉教者のように賛美され、「体制としてのカトリック教会」への反逆のシンボルとなる
苦しむ人と共に歩む道以外には福音はないと訴え、弱者救済NPOと行動をともにするなど国際的な活動を変わることなく続けている
冷戦後の自由主義諸国は大きく変わった。歯止めのない新自由主義経済によって、貧富の差はますます拡大していき、失業者もホームレスも増えた。一方で、皮肉なことに、「神」によっても「共産主義」によっても突破できなかった一部の「差別」解消の道が、「金」によって開かれた。同性愛者の結婚、離婚の増大、同棲や事実婚の一般化などの現象によって、一昔前ではマイノリティであったグループがロビー活動などを通じて政治力を持ったことと同時に、「消費者」として重要になっていったことが「差別」解消と軌を一にし始めた。新しいライフスタイルが新しいマーケティングと新しい消費行動を促したからだ。消費者として承認されるものは社会的にも承認される。「金」の市場原理がもたらした「解放」を追認する現実主義と無関係ではない
フランスでは、1963年にピアフが死んだとき、離婚歴のある彼女は教会から正式の葬儀ミサを拒否されたが、カトリック教会の「近代化」や冷戦後の社会の世俗化と金の支配が進み、2013年にカトリック史上初の非ヨーロッパ国出身のローマ教皇となったフランシスコ教皇の登場で、教会の厳しい伝統のために苦しむ人々に寄り添う姿を見せ、その年がピアフの没後50周年にあたり、記念のミサが挙げられたし、2017年には国民的人気歌手ジョニー・アリディの葬儀には、事実婚も含め5人の配偶者と暮らしたことが知られているにもかかわらず、幾多の著名人の葬儀が行われたマドレーヌの教会でパリ大司教区の総大理司教の司式で葬儀ミサが行われた
「神」と「金」がうまく連携して「愛」という幻想を提供するとき、宗教の厳密な伝統などの出る幕はなく、ガイヨー司教が打ち破ろうとして何年も戦って来た壁を「神」と「金」がやすやすと超えた
フランシスコ教皇は、これまで暫定的に容認してきた抑止力としての核兵器保有の「猶予期間」が終わったことを宣言するとともに、死刑制度の廃止の立場も明確にする
2015年ガイヨー司教をヴァティカンに招いて、キリスト教の「慈しみ」を中心テーマに、教会の扉を内側から世界の人々のもとへ開いていくことを約束
人は共同体の中で生きていく存在であり、各人の尊厳を守るためには共同体レベルでの規制や管理が必要。資本主義による搾取の容認や競争には歯止めがないと、労働者の保護も環境の保護もできない。そのために必要なのは法と人権の観念。「神」を排除した共産主義革命も、資本主義の基本構造の変革という可能性を示したのに、全体主義の罠にはまって、11人の自由と尊厳を守れず、「金」も破綻
フランス共産党から同志として称賛され、カトリック教会での居場所を失ったガイヨー司教の辿った道は、転向でもなければ信仰の喪失でもない。「一環して弱者の側に立つ」ことこそ、全ての人の真の自由と解放に繋がるという信念の1つの形を示唆してくれる

第4章        近代日本の革命とキリスト教
1.    近代日本とキリスト教
明治維新において、自由・平等・民主主義という普遍的な近代理念に対し、植民地化を防ぐために繰り広げた生存競争について、キリスト教と社会主義の受容を通して見てみる
キリスト教文化圏の国々が近代国家の踏み絵として掲げた「信教の自由」という条件をクリアするための様々な試行錯誤を辿り、21世紀まで続く日本の特異な状況の依って立つものがいかなる普遍性を持つのかを探る
近代的な革命を経由せずに新政権となった明治政府にとっての課題は、檀家制による寺受け制度で宗門人別改帳を作成して幕藩体制に組み込まれていた既得権のある仏教寺院の廃止と、開国とともに再び入ってきたキリスト教による浸食の防止
キリスト教の、人類はみな同じ創造主によって神の似姿としてつくられたという根本思想は、人種差別や帝国主義に立ち向かう盾となると思われた
キルスト教に関係する人物としてはアメリカに渡ってプロテスタントの牧師となった新島襄、クラーク博士の感化で改宗に導かれメソジスト教会の洗礼を受けながら後に既存の共同体主義の教会ではない普遍教会を目指す「無教会主義」を唱えた内村鑑三、内村の弟子の安倍能成、同じく内村門下で安倍の後の文相だった田中耕太郎、同じく内村の影響を受け文相となり、ドイツを興隆から窮境へと突き落とした原因を驕慢心の究極の具体化が軍閥の跋扈だとして、経済力が権力と軍事力に繋がり民衆を苦しめることを理解していた天野貞祐、内村の聖書講義に通って弟子となった南原繁と政治学者の高木八尺(やさか)は第2次大戦の和平工作に関わったし、両者に聖書研究会を紹介したクラーク博士の教え子で内村と同期の新渡戸稲造、新渡戸に勧められて内村の弟子となり無教会キリスト教を広め普遍的な正義にと理想主義による平和を説き続け「抗日的」と非難され大学を追われた教育者矢内原忠雄、普遍的ヒューマニズムを選択したリトアニア大使の杉原千畝など
2次大戦はチャーチルが宣言したように、ファシズムに対する「自由と民主主義を守るための戦い」であり「キリスト教文明を守る戦い」だったことから、日本の戦後処理では、一部に根付いていたキリスト教的感性や人脈が有効に働いた ⇒ マッカーサーも、「占領政策はキリスト教に基づく」という建前であり、キリスト教は「アメリカの押し付け」ではなく、「御国のこの福音はあらゆる民への証として、全世界に宣べ伝えられる」という普遍的な宣教の文脈にあった
戦後日本に来た多くのキリスト教宗派の中に鶴見俊輔や小田実の「べ平連」の支部が出来たが、アナーキズム型の自発的グループで、アナーキズムにはプロテスタント的な普遍主義と平和主義との親和性がある。74年のべ平連解散後も鶴見は平和主義を貫き、9条の会の呼び掛け人となって唯一明確な護憲政党となった共産党支持を明らかにした
21世紀の現在の国際情勢においても平和は実現されていない。全体主義化した共産国ソ連とアメリカの冷戦が終わって解き放たれたのは、平等と博愛の民主主義ではなく、規制のない新自由主義で、弱者が切り捨てられ、テロが広がる。アメリカは「人民を解放し、民主主義をもたらす」と称して中東に武力介入したが、駐屯したのは平和主義者ではなく軍産複合体の利権追求者たちだった。日本でもまた神道的愛国心の称揚や軍事拡大が既成の事実となりつつある
「宣教」はもはや普遍の言葉として語られない
日本の平和主義者がキリスト教の絶対平和主義や平等主義に共鳴しながら、その多くが「敵国」や「占領国」であるアメリカ経由であったことも含めて、敵性思想や舶来思想であると矮小化された事実は、日本におけるキリスト教が普遍性を獲得できなかった一因だが、キリスト教の古い伝統のある中東ですら政治と経済の思惑によってキリスト教徒が迫害されていることを考えると、日本でキリスト教の普遍的なメッセージが受け入れられなかったのも不可避

2.    近代日本と社会主義
「西洋近代」から派生する帝国主義を否定して、「搾取される側」の団結と必然の勝利を謳うマルクス主義が日本にとって「もう1つの普遍主義」として有効な武器と見做されたのは不思議ではない
幸徳秋水の『平民新聞』で社会主義を唱えたのは曹洞宗の僧侶だった内山愚童で、「一切衆生悉有仏性」という仏教の神髄が社会主義の主張と一致すると主張。大逆事件で処刑
20世紀初めの日本の社会主義運動は、プロテスタント系キリスト教色が強かったが、ロシア革命とともに、教会から離れコミンテルンの日本支部として共産党結成
戦後は合法な政党として再結成されたが、「キリスト教とアメリカ」、「共産党とソ連・中国・北朝鮮」という連想から生まれる2つの偏見によって、本来は民族や国家を超えた普遍主義であったはずのキリスト教と共産主義は、「日本に根付かない」が以来のイデオロギーであるかのように警戒され続けた
今の世界で「普遍価値」が偶像化されたものとしては「金」が突出しているが、拝金主義の暴走は、技術革新による軍需産業の肥大も加わって、環境を含めた人間の命と尊厳をより深刻な危機に陥れていると言える
地球上の命と尊厳を守り抜くという普遍の理想を実現するための手段として、聖なるものや金や力を有効に動員しなければならない。歴史を複眼的に捉えて反芻することの大切さは、そこにある

3.    明治日本と信教の自由
帝国主義のモラルを担保していたのが「信教の自由」であったため、キリスト教を禁止する国は「国際社会」の対等なメンバーとしては失格とされたため、「信教の自由」の宣言は喫緊の課題 ⇒ 野蛮な国の法律には服さないという、治外法権の根拠にもなっていた
キリスト教を食い止める以前に仏教の扱いの方が遥かに差し迫っていた ⇒ 戸籍を統括していた仏教寺院を一掃したうえで、国家神道を構築しなければならなかった

第5章        東アジアの神と革命
1.    孔教論争
欧米の侵略を前にアジアの国のとった対策は以下の3
    国力の増大で、軍事にも製造業にも欧米の最新技術を輸入して追いつくこと
    欧米流の自由・平等・民主主義というスタンダードを表向きには採用すること
    白人の人種差別と闘うこと
日本では、儒教的世界観を前政権の遺物として矮小化して切り捨て、もっと以前から自国には欧米の近代スタンダードに匹敵する教えがあったと主張することであり、更にはアジアでの覇権戦争に勝って実力を誇示する必要があった。それが日清・日露で実現
李氏朝鮮では儒教王国の実現を目指した仏教が弾圧されていたが、高麗王朝下で政治と結びついて腐敗していた仏教に代わって全体主義的な儒学である朱子学を採用
中国では、儒教体制が立ちいかなくなり、明治維新と同時期に「洋務運動」によル近代化を図ったものの、キリスト教と共産主義という2つの普遍主義以外の第3の道を探すことが困難だったため、本来の孔子の教えに立ち返ろうという動きになった

2.    朝鮮半島と孔教
朝鮮半島の儒教改革運動についてはこれまで抗日的な側面が強調されてきたが、実際は中国における「儒教改革」からも大きな影響を受けていた
朝鮮半島のキリスト教がプロテスタントの国教主義の流れで民族宗教化してナショナリズムと結びついたのはアジアでも唯一の例
金日成は、母方の祖父が長老派教会の長老で教育者で、幼い頃からキリスト教に親しんでいたが、帝国主義日本から国を取り戻すという民族解放と、貧富の差をなくして労働者を解放するために、現実の闘争を優先させた
45年に日本から朝鮮民族が解放された時点では、平壌にはキリスト教徒が13%存在していたが、新たなプロレタリアート独裁確立により、反革命要素の糾弾とともに反宗教が標榜され、キリスト教徒の検挙が始まり、信者は南に逃亡

終章 仮置きの神
「普遍宗教」を唱道した仏教、キリスト教、イスラム教などのいずれもがやがて集権的に管理されることで「政治」と結びつき、時には金や暴力と一体になって「普遍」から遠ざかっていった
「普遍」を体現していると称する組織やイデオロギーが支配者の利益を擁護している
「普遍」はある時は「神」と呼ばれ、ある時は「力」と呼ばれ、ある時は「金」と呼ばれてきて、いずれも初めは正義、公正を達成するために動員されはずなのに、いつの間にか欲望達成のための手段や正当化として使われる運命にあった
「神」は宗教によって、「力」は革命によって、「金」は富貴によって可視化された
キリスト教と共産主義こそ、近代国際社会における「共生のコンセンサス」である「すべての個人の自由と平等と助け合いと尊重」という考えを「普遍主義」として広めてきたことから、2つの「普遍」の関係の変遷に注目




神と金と革命がつくった世界史 竹下節子著 普遍思想の格闘の軌跡追う
2018/11/17付 日本経済新聞
人類一人ひとりの罪を贖(あがな)うためイエス・キリストが十字架で犠牲になったと教えるキリスト教。全世界のプロレタリアよ団結せよと呼びかけるマルクス主義。この2つの普遍思想が、ナショナリズム(自国ファースト)の逆風のなか近現代に、どんな格闘の軌跡を残したのかを追いかけている。
たとえば、解放の神学。ラテン・アメリカに赴任した神父たちは驚いた。多国籍企業がわが物顔にふるまい、政府は腐敗し、格差と貧困と不正に人びとはあえいでいる。福音では足りない。矛盾の根源を突きとめるマルクス主義の考え方が役に立つ。バチカンの心配をよそに、カトリックとマルクス主義の二人三脚が成立した。
またたとえば、国家神道。明治政府は仏教の勢力を殺(そ)いだが、欧米とつながるキリスト教が伸長するのを警戒した。そこで、かたちばかりキリスト教に門戸を開くいっぽう、教義がなく儀式だけの国家神道は宗教でないと強弁し、キリスト教徒や仏教徒に神社崇拝を強制。普遍主義よりナショナリズムが優位なことを示した。
またたとえば、シャルル・ペギー(社会党員でカトリックに転じた作家)、エリック・サティ(カトリックから社会主義者となった音楽家)、岡本公三(テルアビブ事件の犯人でのちイスラム教に改宗)、ガイヨー司教(核兵器反対を貫いてカトリック教会で冷遇され難民家族と共に過ごした)ら、困難な時代のなか普遍主義に身を投じた人びとの姿を描く。
普遍思想は、「大きな物語」でもある。それは冷戦と共に、終わってしまったのか。著者は言う、《産業、経済のグローバリゼーションが「ポストモダン」を掲げた。世界の多様性を強調して価値を相対化する考え方は魅力あるものに見え私たちは「近代」の「普遍」に背を向けるようになった。新しい弱肉強食の世界に参入したのだ》(あとがき)。そんな今こそ、貧富の格差や肌の色に関係なく、人類を同胞と考える思想の火を絶やしてはならない。
普遍思想たるマルクス主義には根本的な欠陥があり、キリスト教の福音は抽象的すぎて無力に見える。それでも今の時代が直面する苦渋と閉塞を、乗り越える希望のありかを本書は教えてくれる。
《評》社会学者
橋爪 大三郎
(中央公論新社・2700円)
たけした・せつこ 仏在住の比較文化史家。東大、パリ大を経て仏高等研究所でカトリック史などを研究。著書に『無神論』など。



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