ヘッジファンド 投資家たちの野望と興亡  Sebastian Mallaby  2012.10.28.


2012.10.28. ヘッジファンド 投資家たちの野望と興亡 III
More Money Than God     2010

著者 Sebastian Mallaby ジャーナリスト。オックスフォード大で近現代史を学んだ後、英国『エコノミスト』誌の記者。南アのアパルトヘイト撤廃時の取材、日本特派員、ワシントン支局長等を歴任。その後米国『ワシントン・ポスト』紙の編集委員。現在は『ニューヨーク・タイムズ』紙等に寄稿しながら、外交誌『フォーリン・アフェアーズ』の発行元として知られる米国の非営利団体・外交問題評議会の上席研究員も務める。本書は、取材に4年をかけた著者の集大成であり、ジェラルド・ローブ賞(経済・金融分野の優れたジャーナリズム活動に対して贈られる賞)2011年受賞作

訳者 三木俊哉 企業勤務を経て翻訳者

発行日           I : 2012.2.27. 第1       II : 2012.8.13. 第1
発行所           楽工社

I:ヘッジファンドの物語は、金融の最前線の物語である。イノベーションとレバレッジの拡大、華々しい勝利と屈辱的な敗北。ヘッジファンドには、本当の意味の「優位性(エッジ)」を持っていないものも多いが、成果を出すファンドが多数派だ。この優位性の源泉は何か? 優位性の中身は、ヘッジファンドの大物たちの言説によって、むしろわかりにくくなることが多い。彼等は時に、まるで謎めいた天才だ・・・・・
悪の拝金者集団か?
市場の機能不全を正すリスク管理の達人たちか?
誤解を解きその正体を明かす、全米ベストセラー

II:ヘッジファンド・マネジャーは天使ではない。巨額の手数料は不正の可能性を生む。だが完璧かどうかで評価するべきではない。この業界が信用できるとしたら、それは聖人しかいないからではなく、そのインセンティブ(動機付け)や文化が他の金融企業に比べてましだからである。ヘッジファンドがライバルよりも頻繁に不正に関与している証拠はない。2003年にSECがその証拠を探そうとしたが、何も見つからなかった・・・・・
ヘッジファンド悪玉論の誤りを正し、膨大な税金投入という過ちを繰り返さないための方策を提示。金融・経済の将来を考えるための必須の書


Long            買い持ち
Short            売り持ち、空売り
Position         証券の持ち高
Hedge Fund   代表的な戦略には以下のようなものがある
株式Long & Short ⇒ 値上がりの期待できる株のLongと、値下がり予想株のShortの組み合わせで、市場全体の変動によるリスクを抑制しながら利益を追求
Arbitrage ⇒ 同一商品の価格差を利用、裁定取引
Macro ⇒ 特定の商品に特化せず、広範囲に目を配る
Ivent-driven ⇒ 企業の合併等特別なイベントによって生じる利益を追う
Leverage(をかける) ⇒ 自己資本の何倍もの金を借りて資産運用する
Arfa ⇒ 運用者のスキルによる利益。相場によってもたらされる利益はBeta
効率的市場理論 ⇒ 市場では合理的で賢い投資家による適正な価格での取引が常に行われておりそれは非常に効率的であるとする理論
ランダムウォーク理論 ⇒ 株価について、過去のトレーディングやデータによって将来の動きを予測するのは不可能とする理論。ヘッジファンドは、「非ランダムな動きを見つけてそれを利用して儲ける」という立場をとる

序章 アルファをめぐる競争
世界初のヘッジファンド・マネジャーのA.W.ジョーンズは、不定期貨物船で働き、ベルリンのマルクス主義労働学校で学び、反ナチ秘密結社「レーニン主義者組織」のために極秘任務を遂行。48歳で初めて10万ドルを集めてファンドを組成、5060年代にとてつもない利益を上げるが、それは全く偶然の産物
その半生記後、計量ファイナンスの博士号を取得、GSに勤務したアスネスが弱冠31歳で会社を設立、10億ドルの資金を調達し、新興企業のあらゆる記録を更新、07年のサブプライム危機の直前、自ら運用するAQRキャピタルは350億ドルもの資金を保有
4つの特徴
   成功報酬 ⇒ ファンドの投資利益の1/5を自信とチームのために確保
   規制を避け投資手法の柔軟性を確保
   ヘッジ
   レバレッジ ⇒ ヘッジとの組み合わせ
ヘッジファンドの完璧な定義はない
1913年に亡くなったモルガンは14億ドルの財産を築いてウォール街に対する支配力から「ジュピター」(ローマ神話に登場する天の支配神)の愛称で呼ばれたが、21世紀初めのヘッジファンド・マネジャーはほんの23年で「神」以上の蓄財を成し遂げた
学問の市場観と戦ってきた歴史
何らかの優位性(エッジ)を備える
効率的市場理論の欠陥を利用
200709年の危機は金融中枢のモラルハザードを悪化させた。救済を受けた銀行は今度破綻したらまた救済を受ければいいと考える、そんな気持ちだから過剰リスクを避けようとする動機が弱く、それがまた破綻を招く、資本主義は、リスクを取った組織がその影響を吸収するよう義務付けられて初めて機能する。政策立案者が、0709年の危機から本気で学ぼうとするなら、複雑で重複した目的を持つ「金融スーパーマーケット」を制限し、リスク管理の堅実さを旨とするシンプルな機関を奨励する必要がある。資本を、納税者の負担で成り立つ金融機関から、自らの足で立つ金融機関へシフトしなければならない。A.W.ジョーンズ及びその後継者の物語は、金融スーパーマーケットに多少なりとも代わり得る存在があることを教えてくれる。驚くなかれ、金融の未来はヘッジファンドの歴史の中にある

第1章        ビッグ・ダディ――Alfred Winslow Jones(1900.9.9.)
200306年 ヘッジファンド上位100社の資金量は1兆ドルに倍増
1949年 ヘッジファンドの設立 ⇒ 金融の世界から超然と距離を置きながら、金融のあり方を変貌させた
A.W.ジョーンズ ⇒ 父親はGE社員。ハーバード卒業、貨物船のパーサーとなって世界一周した後外交官試験を受けて国務省入りし1930年ベルリンに赴任。ドイツで反ナチ共産主義運動に身を投じ国務省も退官、帰国後はコロンビア大学院で社会学を勉強、ジャーナリストになった後、金融の世界に関心を持つ
新たな金儲けを考え、自己資金40+友人からの60千の計100千ドルで投資開始、20年で50倍にした ⇒ 投資家の心情が株価のトレンドを形作ると考え、株式のLong & Shortにレバレッジを組み合わせる。さらに個別銘柄の株価変動の大きさを数値化し、それに応じた株数を保有することでヘッジした。また、市場の変動率による損得ベータと銘柄選択による損得アルファを分けて管理
1952年 マーコウィッツが『ポートフォリオ選択論』を書いて、現代ポートフォリオ理論が誕生 ⇒ 1990年ノーベル経済学賞受賞。投資術とはリスク調整後のリターンの最大化であり、投資家の負うリスクの量は保有銘柄だけでなくそれらの相互関係にも依存するとした。ただし、実際に応用するには相互の関係を計算する厖大な作業をこなさなければならず、1963年シャープが各銘柄と市場指数間の単一相関を計算するという単純な考え方が出てきて初めて実際に応用されるようになった ⇒ シャープは1990年ノーベル賞を共同受賞
1958年 トービンが分離定理発表 ⇒ 91年ノーベル賞。投資家の銘柄選定は当人のリスク選好度(リスクを取ろうとする度合い)とは切り離して考えるべきというもの
税制上の抜け穴の活用 ⇒ ファンド・マネジャーが一律の運用手数料の代わりに投資利益の分配に預かれば、キャピタルゲイン税率が適用される(一般所得税の最高税率91%に対し25%で済む)
ジョーンズが投資家に要求した20%の根拠 ⇒ フェニキア商人が航海の成功で得た利益の1/5を懐にしたことに因み、ヘッジファンドのスタンダードとなった
プライベートファンド故、1933年証券法、40年投資会社法、投資顧問法に基づく登録を拒否し、レバレッジと空売りという手法を法規制の対象外とした
自ら銘柄選択(ストックピッカー)の能力はないと思っていたジョーンズは、何人ものマネジャーを採用し、銘柄選択と市場動向の影響を区別することによって、各マネジャーの成績を正確に知ることが出来たため、業績と報酬を連動させたのが成功の鍵(マルチマネジャーの仕組み) ⇒ 単に報酬だけではなく、業績によって運用資金量も増減させたし、パートナーにも自己資本をファンドに入れさせた
現在と違って情報が瞬時に全員にいきわたる環境にはなく、最も精力的な投資チームが活気のないライバルを打ち負かすのは当然 ⇒ マネジャーの1人に、企業の財務レポートを発行直後に読むために証券取引所に出掛けた者がいたが、尋常でないのはそんなことを考えるのが彼1人だったことで、他の人間は郵便局から届くまで待っていた
ジョーンズの利益配分に不満を持って止めたパートナーを始め、多くの人がジョーンズのやり方を真似てファンドを作り、ジョーンズの競争優位はしだいに冒される
1968年 NYSEASEがヘッジファンドとの取引に制限を課すことの検討開始
ジョーンズの活躍した20年間は幸福な時代 ⇒ 25人に1人しか株を持っていなかった時代からはじまり、S&P50015から108まで上昇
19695月から相場が急落、70.5.の業績発表では投資資金の35%を失い、ヘッジファンドの第1期は終わる ⇒ 上げ相場に乗じただけでヘッジがかかっていなかった

第2章        ブロックトレーダー――Michael Steinhardt
196973年 アメリカ経済の転換期 ⇒ ニクソン・ショックによるインフレ圧力回避のための金融引き締めで景気下降
7374年の暴落でヘッジファンドの大半は消え去り、規制の必要もなくなった ⇒ 84年になっても68しかなかった ⇒ ジョーンズの運用資金も73年には35百万ドル、さらに10年後には25百万ドルに(ピークの1/4)
逆境の中での成功者がスタインハルト・ファイン・バーコビッツ社 ⇒ トレーダー上がりの3人が67年に創設したファンドで、69年と7273年の暴落を空売りで儲け、積極的な逆張りが一種の信条にもなった
78年長期休暇をとってウォール街を去るまでの11年間で12倍に拡大、手数料控除後で年平均24.3%の利益を上げる ⇒ 市場全体では1.7倍の拡大
成功要因はいろいろ言われているが、検証可能な理論的裏付けはない ⇒ スタインハルトの直感以外に、通貨供給量と銀行データの変化から、市場の動きを予測して、7374年の暴落とその後の反発を的確に予測し、利益の大半を稼いだことは間違いないし、大手機関投資家の誕生でリスク覚悟で大口売買を請け負って儲けるやり口でも活躍(ブローカーと組んで相場を操作した疑いもある)
市場と反対に動くことで、市場の崩壊が救われたともいえるし、大口売買にしても機関投資家に流動性確保の道を提供したともいえる ⇒ 87年のブラックマンデーによるブロックトレーダーの無責任な撤退は、機関投資家の売買の風評だけで株価が変動するという弊害をもたらしたことを考えれば、スタインハルトの功績が全くなかったとは言えない

第3章        ポール・サミュエルソンの秘法――コモディティズ・コーポレーション
67年 サミュエルソンの議会証言 ⇒ 「ランダムに選んだ株式ポートフォリオのほうが、プロの運用する投資信託よりも、ともすれば成績が良い」と示す(ランダムウォーク仮説)3年後ノーベル賞。逆に言えば、特別優秀な人間は相場に勝てるとして、コモディティズ・コーポレーションの創業支援者となり、併せてウォーレン・バフェットにも投資
計量経済学に基づく価格予測モデルを駆使
リスク管理システムの導入 ⇒ 繰り返し起こるパターンを研究しトレンドを尊重した自動取引システムで一定の投資限度を設定
特定の商品に特化しないところから、通貨取引という新分野が生まれる ⇒ 変動相場制の採用と共に72.5.シカゴ・マーカンタイルが7つの通貨の先物を扱い始める
キャリートレードが莫大な利益を生む ⇒ ある通貨を借り入れ様々な商品に運用し、金利を上回る利益をあげて稼ぐ取引
トレーダーの独立によって終焉を迎える

第4章        錬金術師――George Soros(1930)
大戦で辛酸をなめたユダヤ系のハンガリー人ソロスは、17歳で故郷を出奔、49年にロンドン・スクール・オブ・エコノミックスに入学、卒業後ブローカとして金融のコツを飲み込みニューヨークに移住、69年に運用資本4百万ドルの自身のファンドを立ち上げ、73年独立 ⇒ 再帰性理論:強気の投資家は成功した投資信託の持ち分にプレミアムを払い、結果的に資本コストを引き下げる、資本コストが下がれば利益が増え、他の投資家もその信託にもっと資本を注入しようとする、いずれ信託が過大評価され、均衡が破綻して暴落が不可避になる、このようなフィードバックループに焦点を合わせた投資行動をとれば利益が確保できるというもので、破綻する瞬間を探し続けた
金融自由化によって銀行をめぐる王政が変わると見て、銀行株に積極投資したり、73年のアラブ・イスラエル戦争ではソ連製兵器の性能の良さが証明されたところから米国防衛産業が劇的に変わると予想して防衛株に資金をつぎ込む
78年クォンタム・ファンドと名を変えた彼のファンドは81年には381百万ドル
84年まで一旦市場から退いた後、85年に復活 ⇒ 通貨市場は効率的均衡に向かうと考えられていたが、85年のドルの過大評価された状態からドルの価値が劇的に下がる可能性を予測しドル売り投資に賭ける ⇒ 85.9.22.プラザ合意でドル高阻止への協調介入決定、相場が劇的に反転し、ソロスは一晩で30百万ドル儲け、4か月でファンドは35%拡大、230百万ドルの利益を上げた
87.10.のブラックマンデーでは、大規模なファンド故に動きが遅れて大損を喫する
当日の390億ドルの売りのうち、ポートフォリオ保険によるものは60億ドル、多くの投資家はポジションが下落したら売るという指示をブローカーに出していたがこの昔ながらの損切り戦略が保険と同じくらい売却に影響した可能性がある ⇒ 効率的市場理論に大打撃を与えたことは間違いなく、効率的な部分などどこにも見られなかったし、均衡の兆しもなかった。従来の統計ツールによれば、これほどの規模の暴落が起きる確率は200億年に1度とされていた
大暴落の原因の1つは、投機家が直面する制度的障碍にありそう ⇒ 例えば、空売りするための株を借りるのが難しかったり、軍資金に限りがあったり等々
市場の効率性が不完全であると気付いた金融研究者たちは、自身のヘッジファンドを次々に立ち上げ、目端のきく基金はそこに資金を投じるようになり、87年以降の業界の急成長が始まる

第5章        番長――Julian Robertson(1932)
バフェットが、ヴァリュー株(割安で放置されている株)投資に集中したファンドマネジャーは例外なく相場に勝った実績を示してランダムウォーク仮説に反論 ⇒ ヘッジファンドの物語はこうしたハイパーフォーマーたちの物語
そうした1派を作ったのが、ノースカロライナ州出身のロバートソン ⇒ 1980年ジョーンズに倣って独自のタイガー・マネジメントを立ち上げ、商品、通貨、債券をも対象とするマクロ投資を行い、先物やオプションでリスクヘッジも行い、98年の最盛期まで平均31.7%の利益(S&P500指数の年間上昇率12.7) ⇒ 1つの投資に資本の5%という限度内でアグレッシブに攻め続け、会社や通貨や商品を分析し、その展望に賭けたに過ぎないのに、この好成績は効率的市場論者には全く不可解
タイガーの銘柄選択が成功したのは、空売りを自由に出来たのも1因 ⇒ 強気一辺倒の相場にあって、言葉巧みに空売りに適した企業を聞き出していた
伝統的株式購入の分野でも好業績を上げる ⇒ 08年時点で36人のタイガー出身者が「子タイガー」ファンドを設立、運用総額は1000億ドルに上る。他にもロバートソンは29のファンドにシードキャピタルを提供 ⇒ 大半が相場以上の利益を出して成功している以上、単に運がいいだけではなく、優位性の源泉があったはずで、しかも伝承可能だった
タイガー成功の要因は、ジョーンズの革新的ノウハウをさらに新しくした ⇒ 個人的に人を惹きつける魅力に溢れ、人の力を最大限に引き出す能力を備える。3年で倍増するような長期投資に徹する
ソロスに次ぐまでの規模になったが、主導権を絶対に渡そうとしないロバートソンから、徐々に人が離れ始める

第6章        ロックンロール・カウボーイ――Paul Tudor Jones II
80年代の終りはヘッジファンドの転換期 ⇒ 70年代初めの弱気相場でヘッジファンド事業者が一掃された後、87年の大暴落後に根本的な変化があり、90年には60092年には1000ものファンドが存在、ソロス、ロバートソン、スタインハルトをビッグスリーと称し、93年は「ヘッジファンドの年」と言われる ⇒ ウォール街の新たな勢力の誕生
P.T.ジョーンズは、綿花トレーダーから身を興し、コモディティズの出資を受けて83年独自の投資会社立ち上げ、ポーカーゲームをやっているように、機転と虚勢のゲーム手法で天才的な頭角を現す ⇒ 88年初めと予想していた暴落が予想より早く来たことを動物的感覚で嗅ぎ分け、金曜日に先物を目一杯売り、暴落の最後まで付き合った結果、株価の下落と債券相場の高騰の両方で莫大な利益を上げる ⇒ 「ロビンフッド基金」を立ち上げニューヨークの最貧困層のために慈善事業を展開
旧世代のストックピッカー的な動きは選択した銘柄への拘りがあったが、ジョーンズのような新世代は個別銘柄への固執とは無関係、手のひらを返す如き柔軟性に特徴があり、市場全体を売買した
90年初頭の日本のバブル崩壊も、年初の4%下げをいち早く暴落のシグナルとみて空売りに出る ⇒ ジョーンズが本当に優れているのは、予測上の確実性がなくても可能性が高いから賭けて間違いないという状況を見極める眼力にある
大口投資家の心理的洞察を基に、その動きを利用してうわまえをはねる ⇒ 大口投資家の1歩先を動いて彼等の登場を待つ、予想通りに動いてくれれば儲かる
同じ手法で、石油や銀など商品相場にも手を出す ⇒ 90年代以降、ヘッジファンドはあらゆる種類の市場を動かせる規模となり、その力は政府をも凌ぐ可能性があった

第7章        ホワイトウェンズデー――SorosStanley Druckenmiller(1953) vs イングランド銀行
88年 ソロスに後継者と見込まれて入社したドラッケンミラーは、銀行の株式アナリスト出身の調査マンだが、様々な投資手段を組み合わせる優れた力量を持つ ⇒ ストックピッカー以上に経済学を理解。景気をフォローすることで市場動向を事前に察知して動いた
テクニカル分析にも優れていた ⇒ 過去の値動きに基づいて将来の値動きを予測する。企業の業績や証券の本質的価値は考慮せず、相場自体の動きを予測
81年 デュケーヌ・キャピタルという自身の会社立ち上げ、その投資手法がソロスの目にとまって誘われる
89年 ソロスと行き違いがあり、ソロスがドラッケンミラーに全面的に任せると決断、自らはロンドンに移り、東欧での慈善活動に専念
ベルリンの壁崩壊で驚異的な利益を稼ぐ ⇒ レーガン政権初期の財政赤字が、案に相違してドルの価値を一時的に押し上げた教訓を思い出し、ドイツマルクを買いに走り20億ドルのポジションを持ったところ、翌年には25%上昇
1979年に設定された欧州為替メカニズムのお蔭で各国の通貨が安定し、金利の柔軟性を利用して景気循環が管理されたが、ドイツ統一がこの均衡を破る ⇒ ドイツではインフレ圧力から金利を引き上げ、他国は景気後退の最中で金利を引き下げていたので、必然的に資金がドイツマルクに流入、弱い通貨のリラやポンドが下限を割り込みそうになったため、通貨介入か金利調整のいずれかを迫られた ⇒ ドイツは、欧州統一通貨ECUに反対はしないが自国のインフレ退治こそが自分の役割と断言、イギリスは変動金利制の住宅ローンのために通貨が切り下げになったとしても金利を上げるわけにはいかない立場を確信したソロスとドラッケンミラーは92年夏大規模なポンド売りを仕掛ける
85年のプラザ合意の時はまだ為替レートに対する政府の支配力を示したが、それ以降国境を越えた資金移動はほぼ3倍となり、ヘッジファンドを始めとするプレーヤーが多額の資金を意のままに動かし、勢力バランスを一変させた ⇒ 92年ブッシュ大統領が18の中央銀行によるドルの協調購入を画策したが、ドルを動かすことは出来なかった
92年秋の欧州では、先ず投機筋がフィンランドを襲い、政府はECUへのペッグを断念、次いでスウェーデンが標的となり、異例の金利引き上げで乗り切る。次がイタリア・リラでドイツの大量のリラ買いをものともせず売り浴びせ、更にポンドに襲い掛かった
ドラッケンミラーが徐々にポンドのショートポジションを作ったのに対し、ソロスは一気に150億ドルまで行くべきと主張、イングランド銀行は寡言で買い取る義務があるところから、やむなく売り浴びせに応じる。メジャー首相が金利引き上げを承諾、2%引き上げを発表してもポンド売りは収まらず、最終的にイギリスは為替メカニズムからの脱退を余儀なくさせられた ⇒ イングランド銀行はポンドの買い支えに270億ドル使い、最終的に38億ドルの損失。為替メカニズム離脱後ポンドはマルクに対し14%下げた。ソロスは約100億ドル相当の空売りに成功、最大の勝利者となる
1999年 欧州は通貨を統一したが、アジアや南米の新興国はペッグ政策に拘り、それが後年ヘッジファンドに莫大なビジネスチャンスをもたらす

第8章        ハリケーン・グリーンスパン――債券市場危機とスタインハルトの退場
93年 アメリカのS&L危機救済のためFRBが短期金利を低く抑え込んだことに目をつけたスタインハルトは、長短の金利差で儲けたばかりか、長期債の高騰でダブルに利益を稼ぐ ⇒ 大手投資銀行からいくらでも借りられ、自己資本規制も受けないので、自由に立ち回ることが出来た ⇒ 短期で資金調達して長期債券に投資したところから、その投資手法は「影の銀行システム」と知られた
同じ戦略をヨーロッパに持ち込む ⇒ 通貨統合へ向け各国は金利水準の収斂に向かったが、元々インフレに弱く高金利で投資家に報いる必要のある国は、徐々にドイツ並みの金利に下げ始めたが、その機を捉えて国債を買いまくり、金利の下落に伴う巨額のキャピタルゲインを得た
93年にはヘッジファンドの数は3000にまで膨れ上がる
91年の米国債オークションで、予定額120億ドルのうち65億ドルを入札、空売り投資家に貸したのち、160億ドルを買い戻し、相場が上がったところで空売り投資家が買い戻そうとするのを買い占めによって阻止した ⇒ 大手の投資銀行が被害に遭い、訴訟沙汰となって、スタインハルト等は和解金を払わされたが、市場操作の不正を認めようとはしなかった
同様に「金融政策」の変更にも関与 ⇒ 94年初頭、低金利政策のお蔭で米景気は回復したが、債券相場はバブルの様相、FRBのグリーンスパンはそろそろインフレ懸念から金利引き上げを画策。FRBは短期金利を引き上げればインフレ懸念が払拭され長期金利は下がり債券相場は上昇すると考えたが、「影の銀行システム」はインフレ懸念など考えず長短金利が即座に連動する状況を作り出していた。そのためFRB0.25%金利を引き上げると長期金利も上昇、僅かな債券相場の下げが、レバレッジで膨れ上がったファンドを直撃
最も打撃を受けたのはスタインハルト、いくつかのヘッジファンドが破綻
バンカーズ・トラストが破綻ぎりぎりまで追い込まれた
FRBの小幅の金利引き上げに対し、レバレッジのきいた債券市場は過剰に反応し、債券相場の暴落(=長期金利の上昇)が加速
95年 スタインハルトは、若干の利益を取り戻した後、完全に引退を表明 ⇒ 67年に1ドル投資していれば、ファンドを畳んだときには480ドルになっていた(S&P500の場合は18ドル)

第9章        ソロス対ソロス――アジア通貨危機とロシアの債務不履行 George Soros
シベリアの鉱山都市ではスターリンが毎年大量の奴隷を送り込んで希少メタルを生産、パラジウムでは全世界生産の半分以上を占めた ⇒ シベリアにフィッシングの休暇に出掛けたヘッジファンド関係者が、鉱山都市のインフラにガタが来ているとの噂を耳にしてパラジウムを大量に買い付け
90年代初め、世界経済の中で閉鎖的だった地域が西欧資本に門戸を開放、ヘッジファンドはこぞって新興市場に専門のファンドを作って進出
新興国も当初こそヘッジファンドによる資金の流入を歓迎したが、奥行きが深く動きの速い資本市場は、通貨や金利の水準を凄まじく変化させ、政治家たちこそが国家の命運を支配しているという幻想を打ち砕いた
IMFFRBによる「双子の危機」 ⇒ 通貨の崩壊が銀行システムの崩壊と連動して危機を増幅
97年 ソロスに新しく入社したマネジャーのフラガが、タイで双子の危機を予感、中銀総裁との面談を通じ、為替よりも低金利維持を優先させるとの感触をつかんで、安心してバーツで借入して空売りする ⇒ 分かっていながら20億ドルに留めたのは、利益一辺倒ではなかったことの証明。変化の必要性を政府に警告すれば十分で、普通の人々の生活まで脅かすのは本意ではない
にも拘らず、タイ政府はバーツ防衛のため破滅的な抵抗を試み、国庫の準備金の底が割れ、ついに32%の切り下げに追い込まれる ⇒ 金利引き上げと景気のさらなる悪化を招いた元凶としてヘッジファンドへの非難が集中したが、中国の台頭にも拘らず為替レート切り下げを拒否したタイ政府自身に遠因があったのは間違いなく、投機家たちは最終的に避けられない調整を強いていたに過ぎない
97.9. 直後香港で開かれた世銀とIMFの年次総会で、ソロスは「犯罪者」呼ばわりされながらも「世界経済を如何に安定させるか」と題して講演し、「開かれた社会の敵は最早共産主義ではなく、資本主義の脅威」であり、「自由競争主義的な考え方が強い影響力を持つのは危険だ」と宣言
インドネシアや韓国でも通貨が不安定となり、儲けの機会は十分あったが、投資は見送っている。ロシアについても危機の予感がありながら、経営難の通信会社に投資したりエリツィンからの緊急融資の要請に応じている ⇒ ソロスの救世主願望
98.7. ソロスのロング・ポジションにも拘らず、ロシアの経済危機は進み、IMFの融資も役立たず、ソロスの仲介によって米ソの援助協議までお膳立てした
結局ソロスのファンドは大きな損害を被る ⇒ 「ロシアを開かれた社会に向かわせようとしたことについて後悔はない、うまくいかなかったがトライはした」とソロスは回顧

第10章     敵は己自身――LTCMの興隆と破綻――John Meriwether
LTCMの創業者メリウェザーは、ウォール街で最初に金融工学のポテンシャルに気付いた1人。80年代半ばソロモン期待の星として配下のトレーダー集団を「大学みたいな環境」に変心させようとした ⇒ 後のノーベル賞学者ロバート・マートンやマイロン・ショールズを採用、ソロモンの利益の過半をはじき出す
91年 米国債の不正入札が発覚して、上司のメリウェザーは罰金を払って辞職、94年には新たにソロモン時代の子飼いの部下と共に投資会社LTCMを設立、債券市場へ参入
収斂取引Convergence Trade ⇒ 新発の長期国債の人気が高く、古い債券は割安で取引されるが、期日まで待てば価格差は収斂するのに目を付けた取引
世界中の債券市場で僅かな価格差を見つけて、収斂取引の機会を探した
僅かな価格の歪みに、レバレッジを効かせた巨額の資金をつぎ込み、巨利を博す
リスクを数学的に定量化した初のヘッジファンドで、各ポジションのボラティリティを計算し、それを通常の環境で生じうる損失額に換算。1日くらい予測を下回る日があっても、市場は自動修正されて必ず戻るとした
LTCMの教訓は、どれだけ正しくリスクを把握しようとしても無理があるということ
97.10. マートンとショールズは「オプショ価格評価モデル」の発明でノーベル賞
98.5. IMFによるインドネシア救済が失敗、8月にはロシアが債務不履行宣言 ⇒ 市場のボラティリティが予測を遥かに超える状況となり、市場の修正力も効かず、投機家たちがLTCMの保有する銘柄を一斉に空売りしたため一気に底が抜ける
98.9. 政府の管轄下にないため、1つの取引でデフォルトを起こすとすべての取引に波及することを恐れた銀行が、FRBの斡旋で集まって資金援助をすることに合意
LTCMの破綻後、規制当局者たちは、本当の問題が大規模金融システムにおけるレバレッジであることに気付くが、問題は有効な規制の方法がないこと ⇒ ヘッジファンド自体は問題の元凶ではなかった

第11章     ドットコム・ダブル――ロバートソン、ドラッケンミラーの一時退場
98.10. 大手の一角だったタイガーのロバートソンに異変 ⇒ LTCM絡みで10%の損失を出した直後、さらに円安に賭けて17%を失ったが、それは序章に過ぎず、ロバートソンが円安に賭けていることを知った投機家が円高になるや一斉に円を買いに走り、ロバートソンを苦境に陥れた。円は1日で12%も上がったが、更にタイガーが闘う姿勢を見せたことで市場の投機が萎み命拾いする。LTCMに比べてレバレッジが低かった分だけ回復の余力があったということだが、ファンドの保有内容が広く知れ渡っていたことがトラブルを増幅したことは、ヘッジファンドの透明性についての議論に疑問を投げかける
90年代後半のドットコム・バブルは、内在的価値ゼロの企業に我先に投資が集中した
大手のヘッジファンドといえども、NASDAQ市場の規模にはかなわず、一人逆張りしても効果はなかった ⇒ テクノロジー部門全体が過大評価されるとヘッジは難しい
ところが、テクノロジー部門を投資の対象から外すと、ファンドの規模の大きさが邪魔になって、その規模に見合う投資を探すのが困難になった
ハイテクブームのせいでファンドからの資金流出が止まらず、資金を償還するために保有銘柄を売らざるを得ず、どの銘柄を売るのか分かっているライバルたちのカモになって損失が積み上がり、2000年末には全ファンドの閉鎖に追い込まれた
99年初め、クォンタム・ファンドのドラッケンミラーは、テクノロジー銘柄が高すぎると確信し、いくつかの銘柄を空売りしたところ全部急騰して、瞬時に巨額の損失を被る ⇒ すぐに体勢を立て直して利益を出し、ヘッジファンドの歴史に残る復活を遂げたが、それは市場を効率的な水準に近づけることとは無関係だった
2000年初めからのITバブルの崩壊で打撃を蒙り、更に通貨に特化したが読みを誤って立ち往生 ⇒ ソロスのファンドは1/3に減少、ドラッケンミラーも退社、以後穏やかでリスクの少ない基金として運用されると説明。大規模なファンドは最早最善の資金運用法ではないことに気付く

第12章     イェールの男たち――David Swensen & Tom Steyer
ヘッジファンドの儲けで各種慈善団体が設立され、更にバブルの余禄から基金を集めていたが、これら基金とヘッジファンドの提携を最初に実践したのはスウェンセン
イェール卒業後、ソロモン、リーマンでウォール街の競争文化を糧にした後、85年母校の基金の立て直しを請け負い、投資内容の改善に取り組んだが、ヘッジファンドの利益の規模と源泉に注目。2年後にドレクセルの破綻で一儲けした小さなヘッジファンドを運用する母校の卒業生の訪問を受け、ブラックマンデーの混乱の納まった90年から出資、ポートフォリオを見直し21%をヘッジファンドに配分 ⇒ 以後、他の大学もこれに追随するようになり、ドットコム・バブル崩壊後実験的にヘッジファンドに投資した基金はとりわけ好業績を上げた。00.7.03.6.3年間で平均10%上昇(S&P50033%下落)
05年イェールの基金は140億ドル、うちスウェンセンの貢献は78億ドルとされた
基金からの資金流入により、ヘッジファンド業界は新たな資金源を確保 ⇒ ソロスがヘッジファンドの時代は終わったと宣言した00年から05年で総資産は倍増し1兆ドルを超えた
ステイヤーの投資手法 ⇒ 「イベントドリブン」と言って、市場価格が通用しなくなる機会を狙って投資するやり方。TOBや倒産時の混乱に乗じる。アルゼンチンの破綻した繊維・靴メーカーを買ったり、インドネシアの銀行に投資したり、コロラドの水を掘り当てるプロジェクトにのめり込んだりしたため、世間の激しい非難を浴びる
一見分散化されたポートフォリオも、流動性が低い資産に投資が集中、危機に際して一見何の関係もないポジションが同時に崩壊して身動きが取れなくなる

第13章     コードブレーカー――James Simons & David. E. Shaw
歴史上最も成功したヘッジファンド、ルネッサンス・テクノロジーズ ⇒ 89年~06年に旗艦ファンドのメダリオンは平均年39%のリターンを記録。創業者シモンズは世界一頭のいい男、数学者で暗号解読者Code Breaker、終生の投機家兼起業家。学生時代からベンチャーを起業、国防総省の国防分析研究所勤務(ベトナム戦争に反対して首に)、数学者としてもチャーン・シモンズ理論として知られる画期的業績に名を刻み、幾何学で最高の栄誉とされるアメリカ数学会のオズワルド・ヴェブレン賞を受賞。勘と経験による判断で商品相場の取引を始めたが、それをコンピューターで代行させようとした。軍の暗号解読技術を駆使して市場データに潜む微かなパターンを捜し、商品・金融先物を扱うファンドを88年に設立、トレンド追随モデルで特にこれといった先進性はなかったが、長期より短期を選択したことと、市場があるイベントで混乱した直後について膨大なデータを駆使して僅かな法則を見出して繰り返し賭けたこと
2010年現在でも業績に衰えは見えない
ルネサンスに最初の競争圧力をかけたのがショー ⇒ コロンビア大のコンピューター技術者。モルガン・スタンレーのクオンツ取引のコンピューター・プログラム作りから金融界に入り、シモンズとほぼ同じ時期に独立してファンドを立ち上げ、短期の値動きに注目。アノマリー(市場の法則や理論から見て異常な事象)を探し当てて統計アービトラージで利益を出す。チームの中に後にアマゾンを創業したベゾスもいた

第14章     危機の予感――Ken Griffin 火消し役を果たす
ヘッジファンドの成功の規模と持続性が2000年代半ばには業界の構造を変えつつあった
05年にはファンドの数が8000を超える
「アルファ工場」の時代到来とばかりに、専門家が理解、再現できる形で、市場指数と相関性のない利益をもたらした
マルチ戦略ファンド ⇒ 特定の投資スタイルを磨くのではなく、どんなスタイルでもそのための人を雇って優位性を築けることを大前提とする
手を広げ過ぎてコントロール不能になり、一部の破綻が他に波及 ⇒ 06.9.天然ガスでバブルのはじけそうになったファンドを、別のヘッジファンド(グリフィンのファンドシタデル”)が素早い動きでファンドのポートフォリオを買い取ったのが功を奏して天然ガスマーケットが反転。ファンドが失ったロスは60億ドルを超え、LTCMをはるかに凌ぐ額だったが、1ファンドの破綻だけで止まる。LTCMの破綻以来、ウォール街は次のファンドの破綻を恐れていたが、実際にそれが起こってもファンドが火消しの役割を果たした

第15章     嵐を乗り越えろ――サブプライム危機とJohn Paulson
サブプライムローン事業者 ⇒ 販売免許もいらず、大手のクイック・ローンもメルセデスのセールスマンが転職して急成長したもの ⇔ 床屋になろうと思ったら免許を取るまで1500時間のトレーニングが必要
サブプライムで大儲けをした伝説の男はジョン・ポールソン ⇒ ハーバードのMBA、ベア・スターンズでM&Aをやった後94年自らのファンドを立ち上げ、運用資本は03年には300倍、05年には2000倍に急成長。起こりそうにない案件にフォーカスした合併アービトラージを得意とした。破算に向かう企業を見抜く力を持っていた孤独なコントラリアン。05年初め、景気が下降局面に入りそうだと直感したポールソンは、ジュニア債の空売りを始め、特にモーゲージ債に目をつける。住宅価格は下がる必要はなく横ばいになっただけでもリファイナンスが出来なくなってデフォルト率は7%になることが分かる。一旦デフォルトになるとジュニア債の価格はほとんどゼロに近くなるので利益は債券の投資額そのものというぼろ儲け
06年末72億ドルのポジションを構築、さらに第2のファンドを立ち上げた数週間後、07.2.全米第2位のサブプライムレンダーが破綻、その後金融機関の破綻のたびに10億ドル単位の利益がポールソンに転がり込む
サブプライムバブルは、かつてのヘッジファンドがつけこんだ政策ミスの21世紀版
70年代は、無能な中央銀行がインフレを煽った
90年代は、中央銀行が道理の無い為替ペッグに拘った
00年代は、インフレを克服したと思った中央銀行が、低金利で景気を刺激するのに遠慮がいらなかったため、資金コストが安くなり資産バブルの下地が作られた
ヘッジファンドが売るためには買い手が必要だが、その膨大な量の買い手になったのが銀行や投資銀行で、彼等の救済のために政府予算や世界経済に莫大な負担をもたらす
ヘッジファンドとのこの著しい違いの理由:
   規制 ⇒ 自己資本規制のせいで、甘い格付けでもそのまま信用して、本当のリスク分析をせずに投資が行われた ⇔ ヘッジファンドは自らリスクを判断していた
   インセンティブ ⇒ ヘッジファンドではマネジャーが自分自身の資金も投入する
   銀行は、事業部門が多過ぎて、経営幹部の注意が散漫になり、投資基準も曖昧
   文化の違い ⇒ ヘッジファンドは偏執狂的集団、投資リターンに一喜一憂するが、銀行は危機感が薄い
両者の違いが顕著に出たのがベア・スターンズの破綻で、元々取引リスクを慎重に管理することで知られた会社が、手数料収入を追い求めるあまりモーゲージ証券パッケージ業者になり、サブプライムローンの貸し出し子会社を英米両国で買収し、社内ヘッジファンドに大量の証券を買わせるという判断ミスにより、04年破綻、FRBはその救済のために290億ドルも融資した。07年ベア・スターンズのファンドが破綻して親会社がカバーしたと同時期ポールソンのファンドは700%、150億ドルの利益を計上、個人でも3040億ドルを懐に入れた
サブプライムの破綻で、他のファンドが流動性確保のためシニアの債券も投げ売りに出たため、危機到来を予感してサブプライムとは無関係にシニアの債券にシフトしていたファンドまでが破綻 ⇒ この時もグリフィンのファンドが乗り出して火を消す
続いてベア・スターンズの格下げ可能性があるとの情報を機に、一部ファンドがレバレッジの縮小に出ると、一斉に規模縮小競争が始まる。フランスではBNPパリバが「流動性の完全な消失」を理由に傘下ファンドの解約を凍結、欧州中央銀行は巨額の流動性注入を発表。FRBも金融市場の機能促進のための資金供給を約束
規模縮小競争に乗り遅れたGSのファンドには、親会社が資金供給することが決まり、マーケットは唐突に落ち着きを取り戻す
市場はレバレッジをかけすぎたトレーダーを罰したものの、システム全体はほとんど被害を蒙っていない ⇒ 資本主義の躾とはこういうもので、どんな規制当局もこれ以上の事は出来なかっただろう

第16章     「よくもこんなことが?」――Lehman Shockとヘッジファンド
(旧題:いったいどうやって?)
08.3. 流動性危機に瀕したベア・スターンズのCEOシュワルツは、企業の悪い噂ばかりを追いかけて空売りしてきたファンドのオーナー(エンロンの正体を最初に見抜いた1)にまで支援要請したが、結局取り付け騒ぎに ⇒ 94年にはベア・スターンズがヘッジファンドをデフォルトに追い込み、98年にはLTCMに死刑宣告したが、08年にはファンドと銀行の立場が逆転。マスコミはヘッジファンドの犠牲になったと書いたが、たしかにヘッジファンドがベア・スターンズに続いてリーマンの株を大量に空売りしていたものの共謀の事実はなかった
ファンドの有力者たちは本格的な不況にはならないだろうと考えたが、ソロスだけは激しく反対しアクティブ投資を再開
ヘッジファンドの活動範囲はますます拡大 ⇒ 新興国市場への進出はその典型。膨大な石油埋蔵量のあるカザフスタンの通貨がドルに対して値上がりするのは確実と見られたが債券を発行する必要のない国に対してファンドは手の突っ込みようがないと見られていたのに、銀行に直接融資を行うことによって同国へのエクスポージャーを得るとともに、高金利の恩恵を受けた
08.6. P.T.ジョーンズは、S&P500の動きが87年当時のDJIA(ダウ平均)の動きと酷似しているのを発見。87年は債券相場の下落が株式市場に動揺を与えた(債券価格が下がって金利が上がると株式市場に回る資金が少なくなる)が、今回は原油価格の上昇が同じ効果をもたらしていると見た(原油高によるインフレ圧力により、FRBは高金利を維持するので、資産市場の流動性が失われる)。これまでジョーンズは、80年代以降のレバレッジの飛躍的拡大に懸念を表明してきたし、90年代終盤のドットコム狂乱の際はグリーンスパンにハイテクバブルを膨らませている現金の流入を抑えるため株取引に課す証拠金引き上げを進言、00年代半ばには負債の上に負債が積み重なって大惨事の危険性が高いとFRB幹部に警告
08.9. リーマンの救済を巡って、政策立案者と銀行が協議、リーマンの破綻は混乱を生じさせるかさせないか五分五分、何も起こらないと考えれば破綻のリスクを取ることを選ぶ。ましてや銀行に自己責任を教えたいならなおさら
一方、ファンドにすれば、五分五分で何も起こらないというのは、実質的には混乱がほぼ確実ということを意味。平穏な世界では市場は横這いであるのに対し、混乱した世界では市場は下落する。すべて空売りすれば、前者の場合失うものはないが、後者の場合大儲けできる。この非対称的チャンスを前に道理を弁えたファンドは崩壊に積極的に賭けるから、崩壊は避けられない
リーマン破綻はまず英国で破産宣告となり、ジョーンズは1億ドルほどの資産を凍結されたが、崩壊を予測して組んでいたポートフォリオも、新興国向け投資の厖大な資産が全く流動性を欠いたために余波を受けて壊滅、ポジションを動かそうにも全く身動きが取れない状態で、ゲート条項を発動して投資家の資金引き揚げを制限し、辛うじて生き延びる
分散型アルファ工場の時代の終焉
リーマンの破綻は、現代の投資銀行モデルの終焉 ⇒ 商業銀行のようなセイフティネットがない投資銀行は次々に破綻、最後の砦だったGSとモルガン・スタンレーにも売り浴びせが来て、FRB は空売りを禁止、さらに両社ともFRBの監視下に入ることが決まって銀行の破綻は回避される
一方、空売りを禁じられたヘッジファンドは軒並み多大な損失を蒙り、ファンドにも破綻の噂が流れる
グリフィンのシタデルも破綻の噂に曝されたが、注意深い資産管理と投げ売りまで想定した資産の流動性に対応した資金調達が功を奏して、巨額の損失にも拘らず自力回復 ⇒ 運用額が数十億ドル規模のレバレッジを効かせたトレーディング企業は、市場が荒れ狂った時でも政府からの救済を必ずしも必要としない
08年末には多くのファンドが潰れたが、業界全体の損失は19%に留まる ⇔ S&P500はその2倍下落。その上、納税者や社会にコスト負担をかけていない

何を恐れるのか?
(旧題:故なき恐怖心)
半世紀も前から、ファンドの動きの裏にはインサイダー情報の存在が疑われ、その歴史は汚点に満ちている。ファンドがブローカーにもたらす巨額の手数料が不正の可能性を生む原因
この業界が信用できるとしたら、そのインセンティブや文化が他の金融企業に比べてましだから
大きすぎて潰せない金融機関は、何度でも納税者から金を巻き上げる ⇒ 政府による保険があるから、金融企業はもっと大きなリスクを取りたがリ、リスクが大きくなれば政府は保険を増やさざるを得ないという悪循環に陥る
金融企業に対し自己責任を徹底すればいいという議論もあるが、規制当局は自分の時に最悪の事態を迎えたくないので、概して市場介入に傾くもの
規制の強化にしても、過去の破綻事例では幾重にもなった規制の網の目をくぐるようにして破綻が起きており、完璧な規制などない
当局の規制や監視がそれほど必要のない金融機関、小さくて潰しやすい金融機関の育成をすればいい ⇒ヘッジファンドの振興こそその答え
00年代の10年間に5000のヘッジファンドが潰れたが納税者による救済を必要としたところはない。リスク管理にすぐれたファンドにもっとリスクを吸収させるべき
規制するな
ミューチュアルファンドは、一見手数料が低いように見えるが、アルファとベータを区別してみると、アクティブなマネジャーは全体として相場に勝っていないことが分かるので、「単位アルファ」当たりの手数料は無限大となる
プライベートエクイティの場合は、投資家に対し個々の企業の業績向上を約束するもので、単に市場が正当な価格付けをしていいない証券や通貨を買おうとするヘッジファンドとは性格を異にするが、アルファの価値がどこまであるかについては、明確なデータがない
ヘッジファンドは、インサイダー取引や不正を特に生みやすいとは考えられない
大きすぎて潰せないという問題の答えの一つになる
他の投資手法よりトレンドを鈍らせる可能性が高い
LTCMの破綻で規制の正当化が喧伝されるが、資本の規模、レバレッジの度合い、取引市場の種類の3つの要素によって規制の是非は判断されるべきであろう
A.W.ジョーンズがヘッジファンドを始めた1949年当時、現代の投資銀行の前身である老舗マーチャントバンクは、プライベートな組織で、パートナーの資金を運用していたので、徹底的にリスクを管理し、規制もほとんど受けなかった。
その後半世紀で、これらの投資銀行は、一般の人々に持分を売り、グローバル企業となった。上場によって何百万ドルという富を一瞬にしてパートナーたちにもたらした。株主の資本をリスクに晒し、リスクが実を結んだ時に50%を超える成功報酬モドキを受け取り、そのインセンティブ故にさらに大きなリスクを取り、結局はそのツケを払うことになる。08年末に金融持ち株会社になった時、GSもモルガン・スタンレーもFRBの後ろ盾がなければ公開企業の地位を維持出来ないと認めている
いま、ヘッジファンドは新たなマーチャントバンク、半世紀前のGSやモルガンである。リスク管理が徹底しており、規制もさほど受けない。上場したところも少数あり、あとに続くものが出てくるのは間違いない


ヘッジファンド 1・2 投資家たちの野望と興亡 []セバスチャン・マラビー
[評者]原真人(本社編集委員)  [掲載]20121014   [ジャンル]経済 
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ハゲタカの知られざる実態
 市場の大相場の陰でうごめくヘッジファンドはハゲタカに例えられ、死骸にたかる凶暴な脇役とみられてきた。だが近年、国家に真正面から挑んで勝利するファンドもあった。勝負どころで数兆円規模の資金を動かす彼らは、今や市場の主役と言ってもいい存在感を放っている。
 にもかかわらずその実態はあまり知られていない。本書はそのプレーヤーたちの興亡を記録した貴重なノンフィクションだ。8090年代に活躍した「タイガー」ファンドのジュリアン・ロバートソン、ノーベル経済学賞学者らを束ね金融工学を駆使した「LTCM」のジョン・メリウェザーら伝説のファンド創業者たちの個性的な姿が描かれる。
 とりわけ英ポンド危機やアジア通貨危機の仕掛け人として名高いジョージ・ソロスの素顔が詳述されている。無慈悲な投機家であり、国家の改革を助ける慈善家でもあった。その二面性を示すエピソードがいくつも紹介される。
 ソロスの通貨空売りには国家を正しい政策に導こうという意図もあった、と著者は見る。タイやロシアの政府との攻防ではそれがあだとなって、みすみす大もうけの機会を逸し、大損もした。
 危機のたびに国際的なヘッジファンド規制の強化が検討されている。だが本書のために150人以上をインタビューした著者がたどりついた結論は「規制で抑え込むのでなく、むしろ振興すべきだ」。
 なぜなら巨大銀行は危機時に税金で救われるが、ヘッジファンドは過去10年で約5千がつぶれながらも納税者による救済例はない。リスク管理能力も銀行よりすぐれている。市場にとってよほど有益な存在だというのだ。
 日本国債の暴落がありうるとすれば、引き金を引くのはヘッジファンドと言われる。これを「忌避すべき悪役」と見るか、「大いなる警告」と受け止めるか。私たちも本書で一度考えてみてもいい。
    
三木俊哉訳、楽工社・1995円/Sebastian Mallaby ジャーナリスト。米国・外交問題評議会の上席研究員。


ヘッジファンド(1・2)  セバスチャン・マラビー著 時代を画した投資家たちの人物像 
日本経済新聞朝刊 書評 2012年9月23
フォームの始まり
フォームの終わり
フォームの始まり
フォームの終わり
 アジア危機の翌年だったか。もう記憶も曖昧だが、世界銀行東京事務所に、私たち経済学者が集められ、世銀幹部のスティグリッツから、危機が広がった原因を尋ねられた。彼ですら知らなかったのかもしれないが、ジョージ・ソロス氏のファンドがタイに攻撃を始めた経緯や、その後の国々について検出されていった諸問題が、本書には明瞭に記されている。
 ヘッジファンド業界の「史記列伝」と言えるだろう。本書は、黎明期から世界金融危機後まで、時代を画した代表的なファンドを選び、膨大なインタビューに基づいて、リーダーの人物像やファンドの文化などを描く。投資戦略の有効性の解明に加え、滅亡状況も説明しており、投資家だけでなく研究者にも刺激的であろう。
 ノーベル賞受賞者もいたファンドLTCMの滅亡は周知であるが、今次の危機を念頭に読むと実に興味深い。LTCMは自己資金を多く投入していたし、ストレステストも実施していた。レバレッジは高かったが、安全なはずだったのである。しかしパニックが起きると、無関係な諸資産が一緒に動き、リスク分散は無効だった。巨大なポジションを手じまおうとすると、模倣者も売りに転じていたし、空売りの標的にされた。
 日本のバブル崩壊でも、大もうけしたファンドがあった。タイミングは予知できなかったが、予兆が現れると崩壊を確信したという。当時、日本のファンドマネージャーが8%の収益率を要求されていたので、株式から債券への一斉転換を読めたのである。その後の一時的な反発とさらなる下落も読み込んでもうけた。
 ヘッジファンドは有害で規制すべきなのだろうか。巨大な投資は市場を動かし、経済社会に大きな影響を与えてきた。本書は、彼らが悪影響に悩んだり寄付に励んだりする様子や、高配当を受けた大学基金の活躍を紹介してみせる。さらに、「大き過ぎてつぶせない」伝統的な金融機関と違って、公的な保護や救済を求めて来なかった点を強調し、その発展こそが望ましいと説くのである。一面の正しさは否定できまい。
(神戸大学教授 地主敏樹)


2010060613:24
More Money Than God: Hedge Funds and the Making of a New EliteMore Money Than God: Hedge Funds and the Making of a New Elite
著者:Sebastian Mallaby
販売元:Penguin Press HC
発売日:2010-06-10

6月14日にセバスチャン・マラビー(CFRシニア・フェロー)が書いた「More Money Than God」という新刊書が米国で発売されます。この本はヘッジファンドの歴史について書いた本ですが、新刊書のプロモーションで雑誌「The Atlantic」に同書の抜粋が掲載されています。
なかなか臨場感溢れる記述となっており、ヘッジファンドの社内の雰囲気が手に取るようにわかるので、チョッとさわりの部分を抄訳してみました。
     
1992年9月15日(火曜日)、ポンドはまたこっぴどく売られた。スペインの財務大臣が英国の財務大臣、ノーマン・ラモントに電話してきて、マーケットの状況を聞いた。
「悲惨だ。」
ラモントはそう答えた。
その夜、ラモントはイングランド銀行のロビン・リー・ペンバートン総裁と打ち合わせした。「明日は朝からポンド買い介入しよう」という合意が出来た。
そこへスタッフからメッセージが届いた。ドイツのブンデスバンクのヘルムート・シュレジンガーがウォール・ストリート・ジャーナルとハンデルスブラットのインタビューに応え、「欧州の通貨は大々的に水準訂正が必要だ」と述べたというのである。
ラモントは仰天した。シュレジンガーの発言は「ポンドを出バリューしろ」と言っているのと同然だ。
(中略)
ジョージ・ソロスのクウァンタム・ファンドのチーフ・ポートフォリオ・マネージャーであるスタン・ドラッケンミラーはその火曜日の午後にニューヨークでシュレジンガーの発言を読んだ。スタンはすぐに行動を起こした。シュレジンガーの発言はブンデスバンクはポンドの水準維持に手を貸さないという意味だから、ポンドのデバリュエーションは不可避だと判断したのだ。
ドラッケンミラーはソロスの部屋に歩いてゆき、ボスに言った。「行動を起こす時が来た。」
既にソロス・ファンドは15億ドルのポンドのショート・ポジションを持っていたが、これからも粛々と売りポジションを増やしてゆくことをソロスに進言した。
ソロスはじっくりとドラッケンミラーの意見を聞いていたが「そりゃ理屈に合わない」とスタンの意見を切り捨てた。
「それはどういう意味ですか?」ドラッケンミラーは喰い下がった。
ソロスは「もしおまえさんの言っていることが正しければ、チビチビ売りポジションをこしらえている場合ではないだろうが?ドーンと急所を突け!」とアドバイスした。
この時、ドラッケンミラーは(確かにボスの言う事は一理あるな)と思った。
(これこそソロスが天才たるゆえんなのかもしれないな)
確かにドラッケンミラーはいろいろ数字を分析したし、欧州の政治の機微も理解していた。しかしここぞという局面でエンジン全開で勝負に出る胆力をもっていたのはソロスなのである。若し自分が正しいと知っていたなら、「大きすぎるポジション」というのは存在しない。後は徹底的に売り叩くのみだ。



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