米軍が恐れた「卑怯な日本軍」  一ノ瀬俊也  2012.11.25.


2012.11.25.  米軍が恐れた「卑怯な日本軍」――帝国陸軍戦法マニュアルの全て

著者 一ノ瀬俊也 1971年福岡生まれ。九州大大学院博士後期課程中退、博士(比較社会文化)。国立歴史民俗博物館助教を経て、現在埼玉大教養学部准教授。

発行日           2012.7.20. 第1刷発行
発行所           文藝春秋

山本七平の名著『一下級将校の見た帝国陸軍』では「対米戦闘法」の不在を聞かされたとあるが、本当になかったのか、考えてみたいというのが本書の目的
対米戦法は実在した。それは日本陸軍が血をもって生み出したもの、敵米軍にも脅威を与えていた
日米両軍が敵とその戦法を知るために数多く作った「戦訓」マニュアル本をもとに、両軍がそれぞれ敵をどのように想像していたのかを読み説く

第1章        アメリカ軍の見た日本軍「対米戦法」の全貌
米陸軍が終戦直前の8月に刊行した対日戦用マニュアルThe Punch below the Belt: Japanese Ruses, Deception Tactics and  Antipersonnel Measures(卑怯な一発 日本軍の策略、欺騙戦術、対人攻撃法)の記述をもとに、当時米軍が把握していた日本軍の「対米戦法」を明らかにする。日本軍の不意打ち、地雷、仕掛け爆弾といったゲリラ戦術を警戒していた ⇒ 卑怯と指弾したが、裏を返せば怖がっていたということ
マニュアルの目的は、補充された新兵に手っ取り早く日本軍の「戦術」を教え、憎悪、侮蔑も植えつけること
日本軍の策略は4つのパターン ⇒ ①降伏するふりをする、②傷を負ったり死んだふり、③我が軍の一員のふり、④友好的な民間人のふり
通信に介入 ⇒ 偽装の報告をして攻撃目標を変えさせる
狙撃兵 ⇒ 忍耐強さは別格で、何日でも同じ場所に留まって待ち伏せする
対人地雷 ⇒ 軍制式の地雷のみならず、手持ちの航空爆弾や砲弾、爆雷なども流用
手榴弾による罠 ⇒ 対米戦法の手兵器として多用
マニュアルから窺える戦争末期に日本軍が繰り広げた「対米戦法」のあらましは、成りすまし、待ち伏せ、狙撃、仕掛け爆弾など「卑怯」と総称されるものだった

第2章        日本軍「対米戦法」の歴史I――中国戦線編
なぜ日本軍が米軍に「卑怯」と指弾されるような戦法をとるようになったかを、日本軍の対米戦マニュアルから跡付ける
日本軍が「対米戦法」に奸計を使って欺こうとした経緯や背景 ⇒ 日中戦争時における日本陸軍の歩兵戦術の特質に由来。白兵格闘戦以外では小銃が重要視されなかった。射撃は重火器砲兵の任務であって、歩兵が射撃して敵の射撃を誘致するのは愚かとされた
中国狙撃兵による将校の被害が甚大 ⇒ 焼却戦法が有効な対抗策
日本軍の欺騙行為は、対中国軍相手の戦闘で得た教訓の結果でもある
対中国軍戦法が、ソ連軍には全く通用しなかった ⇒ お互い歩兵による突撃戦法を取っていたが、勝敗を分けたのは、不利と分かれば即座に戦法を変更する柔軟さにあった
皇軍将校といえど火力の有効性はよく理解、その米英ソ軍に対する立ち後れには危機感を表明していた。白兵突撃や剣術、対戦車肉薄攻撃の賛美はその危機感を覆い隠すための、いわば自己説得ないしは逃避に過ぎない
相応の火力に支援された日本軍は中国戦線では負けなかった。しかし、戦訓報告に見る中国軍は、成りすましや死んだふりといった欺騙(ぎへん)や狙撃など弱者の戦法によって抵抗した。苦戦を強いられた日本軍はこれを「奸計」という言葉で非難したが、後にアメリカ軍に同じ様な戦法を取って同じ様に「卑怯」と批判されたのは皮肉

第3章        日本軍「対米戦法」の歴史II――南方戦線編
対英米戦の苦闘の中で、日本軍が「対米戦法」をどのように模索していったのか、「戦法」を構想した軍人たちはどこに勝機を求めていったのか、米軍はどのような評価を下していたのかを検証
42.9. ガダルカナル島での第1次総攻撃失敗後に指揮下舞台に配布した「右翼隊の信念」では、「歩兵の銃剣突撃は日本国軍の精華。敵はこれが一番怖い」「敵の長所は火力の優勢にある。これを封ずるのは途は夜暗と密林の利用にある」とある
44.9. 「敵軍戦法早わかり」と題する対米戦マニュアル(これ以前は米軍研究はなかったとされる)では、「敵の鉄量に対抗できるのは白兵ではなく鉄量」とし、米軍を水際で叩く戦法から地下の洞窟陣地に立て籠もった戦法に代え、米軍に多大の損害を与えたという

第4章        日本軍「対米戦法」の主力兵器――地雷・仕掛け爆弾
米軍のマニュアルが重視していた日本軍の地雷、仕掛け爆弾に注目し、日本軍はなぜ、いつごろから地雷を重用していったのか、また「対米戦法」としての地雷線の実態とはどのようなものだったのかを検証
米軍の怖れた日本軍の「対米戦法」の1つが手榴弾などで作った仕掛け爆弾、地雷であった
手榴弾を発明したのは日露戦争時の日本軍 ⇒ 最初は石を投げていたが代わりに爆弾を投げてはという話になった
後年の米軍が「卑怯な日本軍」で取り上げた仕掛け爆弾の多くは、日本軍にとってはかつて対中・対ソ戦で遭遇したものと原理的に同一
日本軍が中国軍の地雷に遭遇して脅威を覚えたのは、満州事変まで遡る ⇒ 実戦経験の少なかった日本軍が得た教訓の1つが地雷

対日戦末期の米軍における日本軍のイメージは「卑怯」の一語に尽きる。圧倒的な火力に追い詰められた日本軍将兵が各種のなりすましや地雷、仕掛け爆弾により1人でも多くの米兵の命を奪って戦意を挫こうとした工夫は、皮肉にもそのようなイメージを増幅させる結果となる
「先進国」目線で敵を見下すという点で、『卑怯な日本軍』の示す米軍の日本軍兵士観と、『北支に於ける戦闘の参考』の示す日本軍の中国兵士観は驚くほど似通っている ⇒ 敵愾心昂揚のための合理的な根拠として利用されていった



米軍が恐れた「卑怯な日本軍」 一ノ瀬俊也著  マニュアルから兵士の視線探る 
日本経済新聞朝刊 書評 2012年9月9日付フォームの始まり

フォームの終わり
 本書の著者は、すでに『旅順と南京――日中五十年戦争の起源』において、日中間の戦史を日清戦争の旅順虐殺から南京事件まで時代区分をした上で、斬新で興味深い視角を読者に示した。今回の著書では、日中戦争と太平洋戦争の比較を通して、両戦史を見る新たな眼(め)を読者に与えてくれる。
(文芸春秋・1600円 ※書籍の価格は税抜きで表記しています)
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(文芸春秋・1600円 書籍の価格は税抜きで表記しています)
 本書は、日米両軍が、戦闘にあたってそれぞれ用いた対敵マニュアルを中心的な史料としている。写真、マンガ、図版、エピソードがふんだんに盛り込まれ、事例研究も豊富で文章も明晰(めいせき)、読者を魅了する。
 太平洋戦争にさいして、米ではセンセーショナルでどぎついプロパガンダが展開された。同じ連合国でも英とは違って、米のほうが政府による報道検閲が効きにくく、いったん火がつくと概して、政治家も世論も極めて強い反日感情をあらわにした。
 米による対敵イメージのひとつにあったのが「卑怯(ひきょう)な日本軍」だ。不意討ちをする、地雷や仕掛け爆弾を使う、文字通り死を賭して戦い相討ちを恐れない――自らの死を覚悟して向かってくる敵ほど恐ろしい者はない。たとえ勝利がほぼ確実でも多大な被害を出さざるをえない。英米軍が日本軍を恐れたのは、その死を賭した「卑怯」さゆえであった。
 だが、このような日本軍の戦法は、著者によれば、さかのぼって1937年7月に始まった日中の泥沼戦争の「教訓」から日本軍が学んだもので、「その意味で日中戦争と日米戦争の日本軍戦法は実は不可分の関係にあった」。
 「『先進国』目線で敵を見下すという点で、『卑怯な日本軍』の示す米軍の日本軍兵士観と、『北支に於(お)ける戦闘の参考』の示す日本軍の中国軍兵士観は驚くほど似通っている」と、著者は、日中戦争の過酷さをあらためて指摘する。
 本書は読みやすく、かつ緻密な考察を通して、著者自身が提案しているように、「マニュアルを読む日米兵士の立場になって、あの戦争を考え」戦場で生死をかけた、名も無い一兵士が敵をどう見たかを読者に教えてくれる。
(山梨学院大学教授 小菅信子)


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