ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか  Charles A. Beard  2012.5.4.


2012.5.4. ルーズベルトの責任 日米戦争はなぜ始まったか  上下
President Roosevelt and the Coming of the War, 1941 : Appearances and Realities
1948

著者 Charles A. Beard 1874年インディアナ州生まれ。オックスフォード大留学。コロンビア大などで歴史学、政治学を修め、1915年同大教授。第1次大戦参戦で、総長の偏狭な米国主義に抗議して解雇された教授に同調して辞職。1917年ニューヨーク市政調査会理事。22年後藤新平東京市長の招きで来日、調査研究の成果を『東京市政論』にまとめ、日本の市政研究の先駆けとなる。23年関東大震災の折にも来日して東京復興に関する意見書を提出、「帝都復興の恩人」として活躍、第2次大戦後の日本の都市計画にも示唆を与えた。米国政治学会会長、米国歴史協会会長等歴任。48年逝去

監訳者 開米潤 1957年福島県いわき市生まれ。東外大卒。共同通信記者。メディアグリッド社を設立しジャーナリスト活動へ。明治大大学院都市ガバナンス研究所研究員
訳者 
阿部直哉 1960年東京生まれ。慶應大文卒。明治大大学院都市ガバナンス研究所研究員
丸茂恭子 東京都生まれ。慶應大法卒。明治大大学院都市ガバナンス研究所研究員

発行日           2011.12.30. 初版第1刷発行
発行所           藤原書店

1941.12.8. 日本海軍によるハワイ真珠湾での奇襲攻撃で火蓋が切られた日米戦争――この時、アメリカ合衆国にとっての大惨事を冷徹な眼差しで見据えていた1人の学者がいた。ビーアド博士である。博士は戦争が偶発的に発生したのではなく、その勃発を100年以上にわたり米国が実践してきたアジア極東外交の結末と捉え、それが米国にとり新たな危険な時代の幕開けであると見做したのだった。
1次世界大戦以降、次々と開示された膨大な外交公文書を綿密に読み解く作業の中で、将来における米国のあるべき姿を建国以来の歴史と文脈と、その理念から明白にしようと試みてきた博士は、真珠湾攻撃を単に歴史の重大事件として記録するのではなく、フランクリン・ルーズベルト大統領が参戦を決定するまでの過程を新しい視点で炙り出した。大統領陰謀説の嚆矢ともなった本書は、ビーアド博士最晩年の力作であり、絶筆でもある。

日本の読者へ:
1941127日、日本の航空機がハワイの真珠湾でアメリカ海軍の軍艦多数を攻撃しました。アメリカ人の圧倒的多数が戦争を支持して結集しました。彼らは日本がアメリカに、なんら正当な理由もないままに戦争を仕掛けたのだと思っていました。一方で、アメリカが戦争に至った原因のひとつには、アメリカの政策もあったと考える人たちもいたのです。チャールズ・ビーアドもそのひとりでした。
 ルーズベルト大統領が日本の奇襲に劇的な効果を与えるために、アメリカが日本海軍の暗号を破って入手した日本の計画をハワイの軍司令官たちに知らせなかった、と考える人たちもいました。ビーアドは事実としての事態を追及し、これを書き続けました。そのためにかつて非常に高かった人気は失われ、旧友たちも離れていきました。彼のしていることは祖国に対する背信行為だと責められたことすらありました。もし、あと数年生きていたら、ルーズベルト大統領がアメリカを紛争に導くためにそれと分かっていながらさまざまな措置を講じた、という立場をとる学者がほかにも現れるようになって、自分の名声がおおいに回復するのを目の当たりにできたでしょう。
 ハーバード大学名誉教授(国際法) デートレフ・F・ヴァクツ (著者の孫)

巻頭言
Ø  本書は、同じ著者の American Foreign Policy in the Making, 1932-1940 の続編
Ø     かなりの部分が、真珠湾攻撃に関する米上下院合同調査委員会による資料に基づく ⇒ 大半が国立公文書館に移管
第Ⅰ部 外観(appearance)
第1章        1941年に外交を遂行する上での道義上の誓約
Ø  ルーズベルト大統領はアメリカ国民との制約に道義上の責任を抱えたまま1941年を迎えた ⇒ この国を戦争に巻き込まない、戦争回避のための外交を遂行する義務で、1940年の大統領選挙中に2つのことを公約していた
    大統領が国民の票を獲得するために公式に賛同した民主党の公約 ⇒ 民主党の反戦公約は明快。自国国土の安全と防衛並びに平和の維持のための外交を目指し、攻撃を受けた場合を除いて、外国の戦争に加わることはしない
    国民に対する個人的な約束で、民主党綱領の責務を補足するもの ⇒ 遊説中に、「この政権はこの国を戦争に導こうとしている」との共和党の非難は間違いと断言し、自分は「平和への道筋を辿っている」と主張
Ø  191941の間の外交政策に関するアメリカの世論動向をみると、国際連盟が掲げた平和の約束に対する信頼が失われていったことと、ヨーロッパの次なる戦争には合衆国は巻き込まれまいという決意が高まっていったことほど顕著な傾向はなかった ⇒ 元々共和党に顕著だったが、民主党にも浸透したところでルーズベルトが大統領に選出された
Ø  就任後、ヨーロッパの戦争に対する合衆国の中立政策に対して公に異議を唱えたことはなかった ⇒ 唯一の例外が37.10.の「隔離演説」で、日独を侵略国として非難、「宣戦布告もなしに無差別に一般市民を殺戮する国は、平和を愛する国民の共同行動によって隔離されるべき」としたが、直後に自分の発言が中立法に反するものではないし、ヨーロッパに戦争が起きても武力介入する積りもないと宣言

第2章        武器貸与法による連合国への支援がいかに説明されたか
Ø  40年の大統領選後、自由を愛する諸国民が不当な攻撃を受けた場合、物質的援助を提供すると約束した党綱領をどのように具体化するか党指導部にとっての難題 ⇒ 武器貸与法の構想が持ち上がり、特定の議員の名を出さずに、与党指導者が特別教書として法案を議会に説明。期間、費用、量、数字の上で何等の制限を設けずに、防衛上必要と認める相手国に対し、必要な支援をする権限を大統領に与える、いわば白地小切手を渡すような内容であり、他のいかなる法の規定に関わらず随意に権限行使を認めるもの
Ø  国際法の下で古くから、中立国が戦争当事国に軍需物資や武器等戦争必需品を供給することは戦争行為だった ⇒ 南北戦争当時、イギリスが南軍のために軍艦を建造したことを戦争行為として合衆国が強硬に抗議、莫大な損害賠償を払わされて以来、合衆国はこの国際法の原則を守ろうと激しく戦っていた
Ø  武器貸与法を、平和実現のための法案だとする民主党と、戦争法案だとする共和党の間で激しい論争が繰り返されたが、3月法案成立 ⇒ 最も激しく論議されたのが、法案の受益者向けの軍需物資輸送に対する護送の問題で、戦争行為と見做すかどうかは閣僚内部でも意見が揺れた

第3章        外観(appearance)としてのパトロール
Ø  デンマーク本土がナチの占領下に入ったため、デンマークがアメリカにグリーンランドの保護を要請、41.4.アメリカ軍が海軍を派遣。大統領は、護送はしていないが、「パトロール」任務に従事していると説明 ⇒ 両者の任務には牛と馬ほどの違いがあるとしたうえで、「牛を馬と呼んでも構わないが、だからといって牛が馬になるわけではない」
Ø  実際に戦闘行為的なものは勃発しており、5月には大統領は国民に向け無制限の国家非常緊急事態を宣言。大統領がドイツ側が先に発砲することを待っていたとも報じられたが、41.7.には大統領も、シーレーン確保のために合衆国の軍隊を独自の判断で活用する権限を持っていると公式に見解を表明

第4章        大西洋会談――その外観(appearance)
Ø  41.8. 極秘に大統領とチャーチルが大西洋上で会談 ⇒ 「大西洋憲章」として知られる一般原則に関する共同宣言で、戦後の世界構想について合意
Ø  同時に、ソ連へ共同書簡のコピーを送ると共に軍需品提供を申し出
Ø  会談を通じて、大統領は、ナチズムに対する民主主義諸国の戦いで合衆国がその役割を効果的に果たすべきという断固たる決意を抱く
Ø  大統領は、リンカーンが南北戦争の時に言った「国民は南部との戦争状態が1年も続いていながらまだ気づいていないばかりか戦闘状態にあるということの覚悟がまだできていないうえに、戦争が過酷で厳しい戦闘を戦うことによってやり遂げなければならないということを全く分かっていない」と言う言葉を引用して、連邦議会と国民に向けて外交問題の現状についての危機感を持つよう呼びかけた
Ø  チャーチルは、この会談を公表する際日本の脅威にも触れ、「合衆国が日本の正当な権利を最大限保証するよう忍耐を持って努力しているが、その希望が立たれれば我が国はためらうことなく合衆国の側につく」と発言

第5章        大西洋で「攻撃を受けた場合」
Ø  民主党の公約が、攻撃を受けない限り戦争に参加しないといっていたが、安全保障が脅かされる場合というように現実(reality)を踏まえた拡大解釈に傾く
Ø  41.9. アイスランドに向けパトロール中の米駆逐艦が国籍不明の潜水艦に攻撃を受けるが、お互い相手を非難するだけで具体的な証拠はなかった ⇒ 翌月には米軍に死者が出る攻撃を受けAmerica has been attacked、大統領は報復措置を発表

第6章        「いかなる宣戦布告」も要請せず
Ø  大統領は、上下両院で戦争に対する激しい嫌悪があることを知っているので、たとえ強行突破したとしても、長期にわたる対立を引き起こし、国民の団結を獲得することは出来ないと考え、敢えて宣戦布告を議会に求めなかった
Ø  大西洋で全面戦争になる可能性が批判の応酬のために非現実的になったことで、大統領とハル国務長官は日本との交渉に特別な注意を払うようになった

第7章        日本との関係の外観(appearance)
Ø  日米関係は、独伊との名目的な関係とは違って、主体的な外交関係が維持されていた ⇒ 極東に注意を払う人は圧倒的に少なく、日本との関係も十分調停が可能と見られていたし、日本との戦争を回避することでヒトラーとの戦争に集中できると考えていた
Ø  二正面戦争は決して望まず、対日本は経済制裁で十分と考えて実施 ⇒ 31年日本の満州侵略に対し、当時の国務長官だったスティムソンが取ろうとした政策と同じ。当時はフーバー大統領によって、経済的・軍事的制裁は「戦争に続く道」だとして反対され実現しなかったが、今回は陸軍長官として当時の自身のドクトリン実現に加担した
Ø  大統領は、12月に入ってからも、日本とは完全に友好関係にあると言明
Ø  1段階(41.7.24.~大西洋会談) ⇒ 外観上は、太平洋での戦争阻止の観点から対日関係が考えられていた
41.7.24. 大統領が、民間人による防衛体制作りを推進していた「志願参加委員会」で演説 ⇒ 世界大戦が始まってから2年間、米国が石油の対日輸出をしていたから南太平洋に戦争を持ち込まないで済んだ。もし石油の供給を打ち切っていたら、日本は1年も前に蘭領東インドに進出し、戦争が始まっていただろう
大統領の対日宥和策についての発言が過去形になっていたことは、太平洋における戦争を防ぐ努力を既に止めてしまったと明言はしないまでも、暗示させるに十分だった
記者からは、大統領の発言が白鳥の歌を示唆しているようだと質問が出たが、大統領はそのようなことは何も言っていないと押し通した
*白鳥の歌 ⇒ 白鳥が死を前に生涯に一度だけ鳴いて美しい歌を歌うという伝説から転じて、最後の作品、舞台、活動などを指す
翌日、大統領は合衆国内の日本の資産を凍結、両国間の通商を停止、翌月初には石油の輸出禁止を発表、スティムソン・ドクトリン踏襲を示唆しているともとれた
大西洋会談では、極東問題も取り上げられ、チャーチルは帰国後「ルーズベルトの対日交渉がうまくいかないようなら、我が国はもちろん躊躇うことなく合衆国の側につく」と明言
Ø  2段階(10月末) ⇒ 8.29. 直接協議を通じて太平洋の諸問題を解決したいと要求する近衛首相から大統領宛の親書が手交され、大統領も返事を書くとは言ったが、内容についての言及は無し
10.16. 近衛内閣総辞職、東条内閣誕生 ⇒ まだ両国間の交渉、対話は続いていた
Ø  3段階(11月以降) ⇒ 11.15. 来栖特使が訪米、駐米大使を含めた公式会談がもたれ、20日には暫定協定の締結を提起してきたが、話にならない内容だった
11.26. ハル・ノート手交 ⇒ 37年にハルが公表した14か条の平和原則に基づく内容で、両国が合意する可能性に事実上完全に終止符を打つもの ⇒ これに対する 日本政府からの返事が国務長官に伝えられたのは12.7. 14:10真珠湾攻撃の後であり、国務長官は、「これほど恥ずべき嘘と歪曲に満ちた文書は見たことがない、この地球上でここまで大きな歪曲と破廉恥な嘘を口にできる政府があるとは想像したこともなかった」と憤った
ハル・ノート手交以降ホワイトハウスと国務省から出された発表は、日本との緊張が増すことを示唆しながらも、日本からの返答を平和的な調性の可能性も視野に待ち続けていると伝えており、この姿勢は真珠湾の日まで続いていた
11.29. 大統領が、海軍と陸軍のフットボールの試合観戦後に、「来年の感謝祭には平和な状態にはいられないかもしれない。士官学校で訓練を受けているアメリカの青年たちが近い将来実際に戦うことになるかもしれない」と発言、記者たちは一斉に「1年以内に戦争の可能性あり、と大統領が発言」と発信 ⇒ にもかかわらず3日後に日本軍の南進に新たな報道が出た際、大統領は「合衆国は日本と平和な状態にあり、それも完全に友好関係にある」と断言
12.6. 大統領は天皇宛に親書を送り、「深く広範に及ぶ非常事態」を打開するための平和と協調を訴え、まだ絶望的だとは思っていないことを示しているようだった

誤植:
281ページ:感謝祭(11月の第3木曜日)
332ページ:真珠湾委員会の「委」欠落
704ページ:スティムソン「大佐」


第8章        奇襲攻撃――公式の説明
Ø  41.12.7. 合衆国の中立と平和を約束した数多くの誓約と「批判者の非難」からルーズベルト大統領を解放するとされた攻撃が始まる
Ø  12.11. ドイツとイタリアが合衆国に宣戦布告
Ø  真珠湾の惨劇を許した責任者として、ハワイを任されていたウォルター・C・ショート陸軍中将とハズバンド・E・キンメル海軍大将の責任を追及 ⇒ 1か月後に解任・降格の処分
Ø  41.12.18.には大統領令で、真珠湾の惨劇を調査(職務怠慢と判断ミスがあったかどうかのみを対象)するため、最高裁判所ロバーツ判事をヘッドとする委員会を立ち上げ調査を開始 ⇒ 42.1.ロバーツ報告書が提出され、ワシントン高官の無罪を証明、在ハワイの2人の司令官の職務怠慢と判断ミスが原因と指摘、いずれ軍法会議に掛けられるだろうと言われ、議会もあまりの単純な決めつけに疑問を持った議員からの突き上げがあって揉めるうちに、両司令官は退役を申請、陸海軍ともいずれ軍法会議に掛けるという留保付きで退役を承認
Ø  ホワイトハウスと国務省詰めの記者が書いた半ば公認の記録でも、ルーズベルト大統領と国務長官は責任を十分に果たしたとし、すべての責任はハワイの司令官が負うべきと断定

第Ⅱ部 実態(reality)を明らかにする
第9章        事実発覚の始まり
Ø  真珠湾攻撃後の政権からの公式発表を追っていくと、明らかな矛盾が噴出し、事実は必ずしも政権が公表した通りではなかったとの疑惑が生まれる
Ø  日本が暫定協定の締結を求めた11.20.の提案を大統領と国務長官が拒否したことが明らかとなり、ハル=ノートが10年前にフーバー大統領が戦争を回避するために却下したスティムソン・ドクトリンをアジアのほとんどの地域を対象とするよう拡大された内容であることが判り、ルーズベルト大統領が共和党の帝国主義者も尻込みをした行為を実践したということを明白に示していた
Ø  日本の歴史や諸制度、心理状態に関する深い学識がなくても、日本の内閣が直ちに転覆されるリスクを負わずに覚書の条件を承諾することなどできないことは明白であり、アメリカ政府内でも日本が受け入れることはないと認識していたに違いなかった
Ø  ロバーツ報告の後、チャーチルが、「大西洋会談で日本との戦争の問題が議論されたこと、合衆国が極東での戦争に加わる見込みとの結論を得たこと、したがって日本との戦いもイギリス単独でする必要がないとの確信を強めた」ことを明らかにした
Ø  ハル長官が11月末の政府の高官会議で、日本と合意に達する可能性は事実上皆無と言い、日本が軍事征服の行為をいつ突然に始めてもおかしくないと言明

第10章     連邦議会と報道に正当性を問われる公式の説
Ø  44.6. 連邦法では、違反行為をした人物は2年以内に裁かれなければならなかったため、連邦議会は43.12.6か月延長を決めていたが、その再延長を決議するとともに、陸海軍に即刻調査することを指示
Ø  民主党副大統領候補のトルーマン上院議員が週刊誌に、真珠湾の敗因を現場の両司令官の協力関係の欠如にあったと指摘 ⇒ キンメルが激怒、公式に抗弁の機会を阻まれている状況下での指摘はフェアでないとして反論
Ø  議会の質疑でも当時の不自然な状況に質問が集中 ⇒ 直前に太平洋艦隊司令長官だったリチャードソンが大統領に呼ばれ、艦隊を真珠湾に集中すべきと指示されたが拒否したので、任期2年の半分で更迭され、キンメルが50人の海軍大将を飛び越えて指揮権を引き継いだとか、ショート中将が3段階の警戒体制のうちの最低の第1段階を実行したが、ワシントンの参謀総長はそれを承認しているとか、キンメルがハワイ防衛のために300機の偵察機を約束されたにも関わらず50機しかもらえなかったばかりか、攻撃当日サンフランシスコから飛び立った出来立ての偵察機が無防備のままハワイに飛んだため、日本軍の攻撃に立ち向かうことが出来なかったとかの疑問が多数出てきた
Ø  44.10. ルーズベルト大統領夫人がインタビューで、127日の「驚き」について、「普通の雰囲気で、他のDデイと同じ1日だった」と回顧、「長い間そのようなことが起こるのを予期していた」と付け加えた
Ø  陸海軍の査問委員会報告書は、それぞれ大臣に提出されていたが、11月の大統領選挙前には公表されず、公表されたのは45.8.29.

第11章     実態を明らかにする
Ø  44.12. 陸海軍長官が査問委員会の報告書に関し声明 ⇒ 内容は機密事項だが、軍法会議にかけることを正当化するものではなかったと宣言 ⇒ 真相究明への期待が広がっただけ
Ø  45.4. ルーズベルト大統領死去
Ø  45.8.29. トルーマン大統領が報告書を公表 ⇒ 陸海軍の戦争指導者を信頼すると言明したが、42.1.のロバーツ報告書との矛盾には触れず、大統領が戦時に備える計画の承認を求めるたびに却下した連邦議会に責任を転嫁 ⇒ 却って大統領の責任を議論の対象とする結果となる
Ø  陸軍報告書 ⇒ 求められた判断力を行使しない将校が何人かいたとしたが、在ハワイ司令官の判断ミスは、更迭という処分で十分。最後通告を突きつけたハル国務長官の責任はもちろん、参謀本部長マーシャル大将、ジェロウ戦争計画部長(大将に昇格)の責任を追及したことに対しては陸軍長官が反論。さらに、大統領に言及こそしなかったが、国務長官は大統領の代理人として外交を遂行しているとして、言外に大統領の責任を追及している
Ø  海軍報告書 ⇒ 作戦部長のスターク大将がハワイ攻撃の可能性の情報を現地に伝えなかった等、真珠湾とワシントン双方で将校の一部に様々な過失があったものの、海軍所属のいかなる個人も集団も軍法会議による裁判の根拠となるような証拠は見当たらなかった。ただ、今後キンメルやスタークは「高度に判断力を行使」する海軍の職に就くべきではないとの長官のコメントが付いた
Ø  メディアは、一斉に不可解な結論に疑問を提示 ⇒ 陸海軍、ホワイトハウス、国務省の間での責任転嫁論に反発、大統領についても一切言及しない点や、処分の公平性についても疑問が噴出

第12章     連邦議会委員会が」真珠湾事件に関する記録を調査し報告
Ø  45.9. 連邦議会は、翌年の選挙を控え、真相の解明を避けて通れなくなった ⇒ バークレー民主党上院院内総務が共和党の機先を制して、議会による調査開始を提案。調査の焦点は、ワシントンの上官からの命令に対し職務怠慢の罪を犯した現場の責任であり、政権のしかるべきメンバーには責任がないとしたロバーツ報告書と、ワシントンの高官たちの職務遂行が不適切だったとする陸海軍査問委員会の報告との矛盾を解明すること
Ø  46.5. 最終報告書は、追加意見や少数意見も含め3
Ø  多数派の報告書 ⇒ 政府上層部は責任を全うしたと激賞、ハワイの司令官の第1次的責任を認めつつ、それが判断の過ちであって職務怠慢ではないとして、ロバーツ報告書の主要な論点の誤りを暴いたのち、陸海軍の全体の責任と断定し、両組織における監督・管理・組織体制上の欠陥に対し5つの勧告を行った
Ø  共和党員の追加意見 ⇒ 開戦直前の政権運営を批判、秘密外交が根本原因と断定
Ø  少数派意見 ⇒ 大統領、国務長官、陸海軍長官を無実とすることに反対
Ø  陸海軍 ⇒ 攻撃そのものを十分予期していたことは明確、かつ、11.25.の閣議では日本を誘導して最初に発砲させようとまで議論していたし、ハル=ノートに対する日本の返書を手渡す刻限を厳密に日曜(7)の午後1時という傍受電報が同日11時前(東部時間)には大統領を含むワシントンのすべての上層部に届けられていたため、日本が何らかの形で不意打ちが行われるという明確な暗示があった
Ø  大統領は、最大の攻撃がどこで行われるか絶えず予期して注意を向けていたはずであり、戦時内閣の面々にもその旨伝えていたから、実際の攻撃にも驚かなかった

第Ⅲ部 真珠湾資料に記された実態
第13章     公式の説としての罪の所在を作り出す
Ø  ロバーツ報告書の裏に隠された現実 ⇒ 判事であるロバーツが検察官的な職務を受諾したのも意外(政治的、行政的な性質を帯びた司法以外の活動を行うために自らの職場を放棄)だったし、両軍長官が現地司令官の不始末や不正行為の決定的な情報を待つことなく直ちに解任を発表(「粛清」)したのも
Ø  マーシャル、スターク処遇について両大将とも、在ハワイ両司令官の処遇について、陸海軍長官からの指示であり、解任理由も記憶にないと証言
Ø  46.1. 在ハワイ両司令官が証言台に立ち、ロバーツ報告書の結論に唖然とするとともに、陸海軍や国の事を考えて自発的に退役願いを出したが、あたかもいずれ懲戒処分となることを国民に対する約束であるかのように公表され、国民の怒りを増幅する結果となったことに遺憾の意を表明 ⇒ 両者の処分に関する作戦行動は、陸海軍別個に行われたが、あらゆる基本的事項において共通の方針に則って統制されていた
Ø  政府側の対応は、陸海軍省の法務総監が、軍法会議にかけるための証拠に乏しいことを理由にある特定の時点で軍法会議の開催を両司令官に約束することに反対したことで、両司令官の退役の申請に対し、裁判を受ける権利の放棄と引き換えに承認した
Ø  両司令官が汚名を着せられたまま戦後まで放置され、精神的苦痛を味わわされたのは、不当な扱いという道義上の問題に論理的に対処しようとした矛盾(ワシントンの高官を無条件に免責することと、両司令官がルーズベルト政権によって着せられた職務怠慢という汚名を晴らす結論とを一致させようとしたために生じた矛盾)の結果
Ø  一連の処分にルーズベルト大統領の意向が強く働いていたのは間違いないが、民主党議員がリードした連邦議会の委員会は、誤った憶測をもたらした「一部国民」こそが両司令官に苦悩と精神的苦痛を与えた責任があると結論付けた

第14章     極秘の参戦決定と戦争計画
l  ルーズベルト大統領が戦争に関与すると決断した時期 ⇒ 128日の大統領の公式声明では、開戦時点で両国は平和な関係にあって太平洋の平和維持に向けた対話を継続していた、と言っているにもかかわらず、国務長官は陸海軍双方に外交の進捗状況に関する情報を十分に提供し、タイムリーに、両国の関係が軍部の手中にあることを明快に指摘していたと言い、お互いに矛盾
l  ヨーロッパにおける戦争が現実になるものとして認識されたのはミュンヘン会談から間もなくの時点 ⇒ 1938.9.29.ドイツへの宥和策の頂点となったミュンヘンでの英独仏伊による首脳会談。チェコ・ズデーデン地方のドイツへの割譲を決定したが、直後にドイツがチェコ解体に出たため宥和策は破綻 ⇒ その前年、1937年のルーズベルト大統領による隔離演説が政策の転機と見做すことができる
l  具体的に戦争を覚悟したのは、フランスの陥落が切迫した403月以後ということはありえない
l  対日戦に関しては、41年中旬までは戦争という方向性を持った発言をしていたが、11月中旬には具体的に開戦を前提とした話になっている

第15章     大西洋会談の現実(reality)
l  連邦議会真珠湾委員会は、ルーズベルト大統領の戦争に関する決定や計画に関する真実を明らかにすると同時に、大西洋会談でのやり取りの実態も公にした ⇒ 大西洋憲章に加えて、日本に関して並行的かつ最後通告的な対策を講じることや、ヨーロッパへの兵站線確保の見地からポルトガル沖合のアゾレス諸島の合衆国軍隊による占領についても合意した
l  両者の合意内容にもかかわらず、公式声明では、世界のより良い未来に向けた特定の原則について話し合い、共同宣言を出すことで合意したとあるのみで、武器貸与法の下で認められた支援の他は両国政府による将来のいかなる取り決めも一切なかった

第16章     日本との関係における「込み入った戦略」
l  合衆国の侵略行為が外観として現れることすら回避しようと、ルーズベルト大統領も民主党も、アメリカ国民の監視から逃れる策を考え、実行した
l  開戦前4か月のルーズベルト政権の秘密行動と国民向け公式発表の乖離 ⇒ 国民はほとんど何も知らされていなかったが、大統領は日本に強い口調の警告を発する一方で、知日派の米大使も「絶好の機会」と支持・切望したトップ会談という日本の提案を拒否

第17章     日本が最初に発砲するよう導く
l  ハル・ノート手交の直前、ルーズベルト政権のトップ会談で、国民の全面的な支持を得るためには、誰の目にもどちらが侵略者なのか疑いの余地を残さずはっきりさせる必要があり、予告なしに攻撃することで悪名の高かったところからそれをするのが間違いなく日本であるようにするのが望ましいと気付いた ⇒ 次の月曜日にも攻撃されるだろうと指摘
l  日本に攻撃させるための具体的な手筈を整えたのがハルで、ハル・ノート手交の翌日、陸海軍省から現地司令官に対し警告が発せられ、これをもってルーズベルト政権は後に、戦争到来に備えるのに十分な通告だったと主張
l  ルーズベルト、ハル、ノックス、スティムソンが日本との対話終焉を確信していながら、陸海軍で警告の内容に違いがあった ⇒ 海軍は戦争警告と明示したのに対し、陸軍のは曖昧で破壊工作やスパイ行為への警戒に重点
l  さらにその翌日、交渉は事実上決裂するとの趣旨の日本政府の通信文を傍受。124日にも日本の「風」通信(*)を入手、次の週末(67)の開戦切迫に疑いの余地はなかった
(*) 41.11.日本の外務省が各国大使に通達を出状。非常事態(外交断絶の危険)の際は、毎日の日本語短波ニュースの中間に3種類の警告を挿入するというもの。①日米関係が危機に陥った時は「東の風雨」、②日ソ関係は「北の風曇」、③日英関係は「西の風晴」。この天気予報が2回繰り返された場合、直ちに暗号書と暗号機を解体・処分し各国警察当局による暗号押収に備えるよう命じた。その後、さらに日本外交が危機になりつつある場合には海外向けニュースの最初と最後に次の暗号を5回繰り返すことになった。①日米関係は「東」、②日ソ関係は「北」、③日英関係は「西」。これらの情報は外交暗号で発信されたが、すでに米英情報当局は解読していた
l  ルーズベルト政権の最後の4か月における対日外交は、一切妥協しないという強い方針で貫かれていたし、現実には時とともにより広範な要求へと進み、日本にとってより受け入れがたいものとなっていった
l  合衆国を枢軸国の攻撃から守るための政策を遂行する責任を負っているのは大統領であり、最高行政官として、また軍隊の最高司令官として。国防政策を如何にして最良の形で遂行するかの決定は大統領の務めであり、大統領の専決事項

第Ⅳ部 エピローグ
第18章     結果で評価される解釈
l  開戦までの間の外交行為に関する公式の説と現実との間に矛盾があることは明らか
l  目的が手段を正当化するという見方もあるが、その目的とは何か、それは達成されたのか、ということを考えると、いくつも疑問が生じる
l  ルーズベルト大統領が自らの目的達成のために選択し、採用した手段において正当化されるとしても、この時に採られた手段が合衆国憲法およびそれが表すところの制限された政府、被統治者の同意、民主的プロセス、並びに政治倫理との関係に於いてどうであったかという問題は残る ⇒ 党派や政治家個人の問題ではなく、アメリカ人にとって、あるいは全世界の人々にとって、時代を超えた問題、すなわちルーズベルト大統領の取った選択と手段という前例に鑑みて、合衆国憲法下における代議政治の将来はどうなるのかということ
l  合衆国憲法は、権力の分散と制限に関し明快に記述しており、大統領にも、国家の外交上や内政上の目的を秘密裏に決定する無制限の権力を決して与えていない ⇒ 外交はアメリカの政治システムに不可欠な合衆国憲法、法律、民主主義の規定に従属
l  連邦議会真珠湾委員会の記録やその他の文書に記されているルーズベルト大統領の以下のような前例が弾劾されず、アメリカ外交の継続的な行動にとっての免罪符となるならば、憲法はこれを擁護すると宣誓し、これを守る道義的義務を負う大統領、政府高官、軍高官によって蔑にされてしまうかもしれないのだ
    再選を目指す選挙期間中に戦争への参加はないと公の場で約束しておいて、選挙に勝利した後、国に戦争をもたらすための、あるいは戦争をもたらすことが事実上必死の行動に密かに乗り出したこと
    大統領の秘密の目的を推進するための法律を成立させるために連邦議会と国民に法律の趣旨を偽って説明
    連邦議会が本来大統領に委任することができない権力を曖昧な表現で付与する法律を成立させた
    そのような法律を活用して、宣戦布告なき「武力行使」を始める計画を立案
    外国政府と秘密裏に軍隊投入を約束しておきながら、公式には約束はないと宣言
    上院の承認を要する条約より遥かに重要な秘密合意を勝手に他国政府と締結
    特定の外国政府を合衆国の敵と決めつけ、随意に戦闘行為を起こす権力を求めた
    自ら戦争行為を仕掛けておきながら、議会や国民に対しては、相手から仕掛けられたものだと公言
    議会が国防に関する規定を定めたということだけを根拠に、あらゆる軍事戦略を密かに決定し、自ら選んだ目的を達成するために適切だと見做したあらゆる戦争行為を軍に命じた
    あらゆる手段を講じて、国民が大統領には法律上認められていない思い切った行動に出ることを要求するよう駆り立てたのは、非公式な国民投票による承認を、憲法の下での承認に代用したことになる
    ある外交政策を公表しながら、それと正反対の政策を秘密裏に遂行し、特定の外国政府が合衆国に対して先に発砲するよう仕向けるための外交や軍事行動を推進し、連邦議会による事前の宣戦布告決議を蔑にした
    権力を不当に自分自身のものとした極めつけの行為が、合衆国に「世界の警察官」としての義務を負わせるような約束を外国政府の首脳にしたこと
l  陸海軍の長官以下が、憲法には一切触れずに、連邦議会が国防政策に関する法律を制定してある場合には、大統領のみがその政策を遂行する最良の方法を決定し、必要な具体的な戦略(相手が最初に発砲するよう仕向けることを含めて)を決める権限を持つと言っただけでなく、真珠湾の責任を審査する陸軍査問委員会ですら、惨事の責任は、最終的には憲法に定められている代議制と民主政体によってもたらされる専制的な権力を抑制する制度にある、と宣言
l  一方で、ルーズベルト大統領の手法を擁護する支持者の主張は、①大統領の外交に関する権限は事実上の主権である、②大統領は外国政府との(秘密の)首脳合意にどのような約束でも合衆国の名において盛り込んでもよい、とするが、これこそ全体主義体制の理論であり実態でもある ⇒ 立憲政体の危機
l  合衆国の平和と安全保障を脅かす4つの危険
    合衆国が世界の大国としての義務を負わなければならないという歓喜の叫び ⇒ 絶対的権力を追い求めることは、やがて破滅をもたらすということ
    合衆国大統領には、世界全体の政治・経済・平和に責任を持つという約束をする、憲法上・道義上の権利があるというドクトリン ⇒ 無益な行為であり、32年のスティムソン・ドクトリンの末路を見れば明らか
    合衆国が世界改造計画を実現するために「世界の道義的リーダーシップ」を担い、これを保つのが責務だという考え方 ⇒ 諸国間に親交より不和をもたらし、疑念を喚起し敵意を招くばかりか、長い目で見れば嘲笑を買う
    国際貿易の促進こそ世界平和にとって必須であり、合衆国が貿易障壁の撤廃を含め国際貿易の継続的拡大に寄与しなければならないという主張 ⇒ 通商が戦争目的を変える以上の事をしたことはない
l  アメリカ共和国は、いま、合衆国大統領が公に事実を曲げて伝えておきながら、秘かに外交政策を遂行し、外交を樹立し、戦争を開始する制約のない権力を有する、という結論に到達した ⇒ 合衆国憲法の父、ジェームズ・マディソンは100年以上前、アメリカの政治は1930年頃に試練の時を迎えるだろう、と予言しており、試練はまさに到来し、我々の共和国をシーザー(独裁権力者)から守ってくれる神はいない


監訳者あとがき
著者は、国際文化会館理事長だった松本重治の恩師。イエール大経済学部に留学中に鶴見祐輔(後藤新平の娘婿)の紹介で会って以来ビーアドに心酔。
1925年のビーアドの論文『日本との戦争』で、将来アメリカが日本と戦争をするなら、移民問題が原因ではなく中国問題であるとした ⇒ 松本は、日米関係の核心が中国問題であると悟り、国際的ジャーナリストになる決意を持った
松本の伝記を書いた中で、ビーアドが真珠湾攻撃はルーズベルト大統領を中心とするアメリカ側の「徴発」にも責任があることを実証しようとした、と紹介したところ、藤原書店から翻訳の依頼が来た
1948年刊行の本書がこれまで翻訳されなかったのは不思議 ⇒ アメリカでは激しい批判を浴びながらも版を重ねている

ビーアドという巨人 - 粕谷一希
昭和天皇もビーアドの『東京市政論』を生涯最も影響を受けた書物として挙げられた
後藤新平が関東大震災直後ビーアドを招いたのも、娘婿鶴見祐輔の示唆によるもの
1948年、ビーアドが死ぬ4ヵ月前に公刊した本書は、ルーズベルトの政策に批判的であり、第二次世界大戦そのものに批判的であった。それは東京裁判のように、文明が野蛮を裁くのではなく、文明と文明の衝突であり、連合国の側にも問題があることを指摘したものであった。当時の雰囲気ではとても公認できず、アメリカ政府は黙殺した。本書の飜訳は、戦争と戦後の世界史を修正するものであろう

監訳者解説
ルーズベルト外交の外観と実態を比較しながら日米戦争勃発の理由を論じた
第1部     ルーズベルト大統領就任(1932)~真珠湾 ⇒ 終始一貫して平和と中立を求める外交政策を維持した事実を記載
第2部     ハル・ノートに焦点を当て、日本側の承諾が期待できないことを予測し、そのため日本の攻撃も必至と推測しなかったはずはないと分析。ルーズベルト政権の参戦への理論づけを議会の合同調査委員会の記録によって検証し、真珠湾の何日も前に対日開戦を確信していたので、日本の奇襲にも驚かなかったと指摘
第3部     真珠湾関連の資料から、表向きは不戦の姿勢を維持しながら、戦争計画が少数の政府首脳によって極秘に進められた経緯を検証し、日本に最初に発砲させるよう動いていたことを暴露
第4部     国際情勢の現状とアメリカの建国精神と合衆国憲法の観点から、ルーズベルト大統領を批判すると同時に将来のアメリカ国民への警告も示す
公的な資料を独自の視点から実証主義的に精査し、公的な報告書の行間を埋めた、いわば「ビーアド自身による報告書」が作られたのが本書
反戦論で凝り固まっている国民に対して、民主党も大統領も「アメリカの平和と不戦の誓い」を繰り返し、開戦まで一度も改めることはなかった
1941.8.の大西洋上の米英会談で、チャーチルに軍事援助を約束したルーズベルト大統領は、表向きの発言とは裏腹に開戦を考えていた
武器貸与法の可決で、大統領は独断でアメリカからの対英支援物資輸送の護衛に海軍軍艦を使用、ドイツ潜水艦に爆雷攻撃を仕掛けたが、ドイツは挑発に乗らなかった ⇒ ルーズベルト大統領にとっては大誤算
代わりに目を付けたのが太平洋で、日本を経済制裁によって締め上げて挑発し、日本に先に一撃を打たせれば大義名分が得られると考えた ⇒ ハル・ノートは1900年以来、アメリカの採った如何なる対日外交手段に比べても先例を見ないほど強硬な要求をすることによって、政権首脳は戦争を決意したはずと断言
終戦後僅か3年で発刊された本書は、国民の高揚した気分を逆なでするとともに、国民的英雄FDRの歴史的偉業を貶めたと映ったことで激しい反発を受け、酷評された ⇒ それだけビーアドの主張がマスコミや国民を狼狽させたということ
真珠湾攻撃を事前に予測していたのかどうかという点では、決定的な証拠はないものの、政府首脳が気付いていた可能性は大きい ⇒ 真珠湾に関する数々の記録は、現在でもまだ国家安全保障上の機密扱いを受けており、全容究明の壁となっている ⇒ いまだに機密扱いということは、真相を詳らかに出来ない国内問題だからだ
ビーアドは信念の歴史家 ⇒ 本書の前にも『合衆国憲法の経済的解釈』を著わし、憲法には建国の父とも呼ばれる憲法制定者たちの経済的思惑も反映されていると指摘して、建国の父の神聖な存在を犯したとして猛反発を受けたり、コロンビア大の教授時代、同僚教授が第1次世界大戦への不戦を支持したという理由で解雇されたのを機に、大学の自由を守るという立場から、一緒に大学を去ったりしており、いずれも毅然として正しいことを正しいと主張するのが、国民を教え導く知識人たる歴史家としての使命だという信念を持っていた。
病に侵され、目が見えなくなった後も、同じ歴史家だった夫人に口述筆記させてまで仕上げた本書は、単にルーズベルト外交を批判することが目的ではなく、合衆国憲法はアメリカが参戦する決定権を連邦議会に付与、ということは国民が決断するということで、大統領はいかなる場合でも議会の了解を得ないで参戦を決定することは出来ないにもかかわらず、大統領の一連の行為は合衆国憲法を完全に踏みにじる行為であり、立憲民主政体と代議政治の将来を危うくする行為として、アメリカ建国の理念を、そしてアメリカという共和国の根幹を蔑にする行為だったということをはっきりさせ、憲法上の大統領権限に照らして明らかに憲法違反であり、いかなる理由があろうと許されることではないと糾弾している
ビーアドは、真珠湾攻撃を聞きながら、この戦争はアメリカが100年以上にわたる極東外交の結果であり、新しい、危険な時代の幕開けが来たのだと信じて疑わなかった ⇒ 「危険な幕開け」とは、その後の一連のアメリカが世界の紛争に巻き込まれたことを見通していたかのようなビーアドの共和国への警告だった





内容紹介
「戦後の世界史を修正」――幻の名著、遂に完訳!
1941
128日、日本は遂に対米開戦に追い込まれる――
大統領ルーズベルトが、非戦を唱えながら日本を対米開戦に追い込む過程を膨大な資料を元に容赦なく暴き、48年に発刊されるも直ちに「禁書」同然に扱われ、占領下日本でも翻訳されることのなかった政治・外交史の大家の幻の遺著、遂に全訳完結!

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