すばらしい失敗 「数独の父」鍜治真起の仕事と遊び ニコリ編 2023.3.28.
2023.3.28. すばらしい失敗 「数独の父」鍜治真起の仕事と遊び
編者 ニコリ
発行日 2022.10.10. 初版第1刷発行
発行所 ニコリ
鍜治真起さんたちはパズルと偶然に出会い、パズルを自分たちが創刊する雑誌のコンテンツに決めた。コンテンツはパズルでなくてもよかったのかもしれない。しかし、素人集団が作った雑誌は創刊から40年以上が経った今も、日本だけではなく世界中の人たちに親しまれている。鍛冶さんたちとパズルや数独との出会いは、もはや”偶然”ではなく”必然”であったに違いない
パズルを愛し、世界を魅了した男のユニークでウィットに富んだ人生を紹介する――
はじめに ~鍜治真起とニコリのあらまし
l Brilliant Mistake
2007年、鍜治が日本人で初めて『ニューヨーク・タイムズ』の経済面のトップ記事に取り上げられた際、世界的な人気になった「数独」を海外で商標登録せずに儲け損なったことを指摘され書かれたのがこの言葉。富や名声に興味のない鍜治にとって最大級の褒め言葉
l 素人たちが作った日本初のパズル雑誌
1980年、28歳で幼馴染の姉妹2人、樹村めい子・清水眞理と『パズル通信ニコリ』を創刊。3人とも、パズル、出版、経営の門外漢だったが、すぐにパズルに嵌り、パズル雑誌を完成させた
サブカルチャーが大流行し、個性溢れる雑誌が生まれていたのに刺激された
l 世界最強のパズル制作集団
1983年会社組織になり本格始動。不定期発行から定期発売になり、市民権を獲得
読者を巻き込んだパズル制作集団で、読者にパズル投稿を呼びかける
l わずか30秒でひらめいた命名
数独は2004年イギリスの『タイムズ』紙に「SUDOKU」が掲載されたこと。外国人の熱烈なファンが投稿したもので、世界中で数独ブームが起こり、鍜治は一躍「数独の父」になる
鍜治と、数独の前身であるナンバープレイスとの出会いは1984年、アメリカ・デル社のパズル誌で見つけ、その虜になった。ニコリの誌面で紹介したところ、読者が続々新たな問題を投稿、、ニコリの人気パズルに育っていった
その時つけた名前が「数字は独身に限る」で、後に「数独」に短縮
110か国、6億人が知っていて、日頃2億人が遊んでいる
2006年、『ニューズウィーク日本版』の「世界が尊敬する日本人100」に選ばれた
l 誰かの毎日をちょっとだけ楽しく
数独ブームの最中にあっても、一過性のものに過ぎないとみていたが、ブームが落ち着いた時、ニコリのペンシルパズルを世界にもっと広め、その面白さを伝えたい、との衝動に駆られる
l 仕事が遊び、遊びが仕事
彼の日常も”遊び心”がいっぱい、日常と非日常の境目のない生き方
ニコリは、アイルランドの競走馬でエプソムダービーの一番人気だった馬の名前、雑誌名がなかなか決まらないときに新聞で目にして、ピンときて決めた
l 必然だったパズルとの出会い
企業理念は、「遊び尽くす。学び尽くす。」
雑誌のコンテンツはパズルでなくてもよかったが、パズルに出会って、日本にパズルという市場を生み出すパイオニアとなった
高校では硬式テニスで国体ベスト8になるが、大学は馴染めずに中退
刊行に寄せて ~おもしろい男だった――鍜治真起のこと
前『本の雑誌』発行人 目黒考二
鍜治にとって競馬は、数字の組み合わせで遊ぶもの
第1章
世界を席巻した「SUDOKU」 2004~06、2021
l 少し早すぎた悲報
2020年胆管がん発覚、還暦と初孫の直前に逝った
l ユニークなコピーにも反響
刊行物を通じて読者との交流を続けた
l 世界を駆け巡った「Godfather of SUDOKU」の訃報
l 突然やってきた世界的ブーム
2004年『タイムズ』紙に「SUDOKU」の問題が掲載され、一気にブームが広がる
l 宇宙船で飛行士も解いた
l 数独を広めたのはニュージーランド人の判事
ブームを起こしたのはニュージーランド人のグールド。香港の判事で、パズルが趣味。自分でコンピュータによる問題自動作成プログラムを作り、『タイムズ』紙に売り込んだのがきっかけで、旧大英帝国圏に拡散
l 「数独ウェハース&チョコ」に「数独ルーム」
タイアップの申し出を積極的に引き受け、菓子メーカーのチロルチョコとタイアップしたのが「数独ウェハース&チョコ」、マリオットホテルの「ウェスティン東京」との海外宿泊客向けの提携が「数独ルーム」
l ナンバープレイスと出会う
『パズル通信ニコリ』の創刊の経緯は、アメリカのパズル雑誌に出会ったことがきっかけ
アメリカの雑誌でパズルを解いてるうちに出会ったのがナンバープレイス
l 「数字は独身に限る」は不意打ちで決めた?
1から9までの数字を使う→1桁の数字→1人→独身
反対するほどでもなかったので、まあいいや、と決まった
l 数独初掲載はブームの20年前
鍜治の作った最初の問題
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l 1桁→1人者→独身
「数独」が定着したのは1988年
l なぜ世界で受けたのか?
世界文化社がデル社と提携し、1984年創刊の『パズラー』に「ナンバープレイス」を掲載したが、世界的なブームを巻き起こしたのは「数独」。理由は不明
l 数独とシステムエンジニア
システムエンジニアに人気が出て、プログラムも作られた
l 紙と鉛筆で解く魅力
ペンシルパズルであり、紙文化の最後の煌めき
l その人なりの面白さがある
解けた時の達成感がいい
l 数独はお茶漬け?
エンタテインメントのメインディッシュにはならない
l 儲けよりも多くの人に数独を
グールドが自動作成プログラムを9.95ドルで売って儲けたが、鍜治は「数独」を日本で商標登録はしたが海外ではしていない
l ニコリのパズル作家がすごい理由
「読者参加型」がニコリの最大の武器であり、発展の原動力
l 冷静に見ていた数独ブーム
l 「小さな饅頭屋」に芽生えた使命感
たまたま「数独」という名前を付けただけであり、何かを成し遂げたという気は全くなかったので、有頂天にもならなかった。固定客がついた饅頭屋で、商品がなくなり次第店仕舞いしてしまうような店を頭に描いていたが、世界中の人に認めてもらえて、もっと「パズルの面白さ」を世界に広めたいと思うようになった
第2章
『パズル通信ニコリ』の軌跡 1978~92
個性的な雑誌が次々に創刊されるなか、「パズルの雑誌って日本にないよね」といって作ることにしたのが『パズル通信ニコリ』
l 雑誌文化華やかなりし1970年代
『面白半分』『噂』『ぴあ』『ビックリハウス』『本の雑誌』『話の特集』など、ブックカルチャーみたいな感じに乗った
l パズルのとりこに
元々パズル好きの姉妹の話に鍜治が乗った
l 創刊準備号はピンク色で色ムラあり
『パズルの雑誌 創刊準備号』は、姉妹の父親の経営するへいわ印刷の社員だった鍜治に頼んで新人の腕試し用として刷られたもの。500部印刷して印刷代の45千円は3人で分担
l 定価もない冊子が売れた
姉妹は作ることだけが目的だったが、鍜治が売ろうと提案
知人の伝で、「キディランド大阪梅田店」に定価100円で置いたところ100部が1カ月足らずで完売
l 呆れられた雑誌発行の夢
鍜治は高校の同級生に出資を持ちかけたが大反対に遭う
l 数少なかった理解者
賛成した数少ない1人が小さな広告制作会社社長の田村
l 鍜治さんの師匠
田村がたまたま同じマンションにいたことから急速に親しくなり、師匠として経営を指南
l 競走馬の名前から採った「ニコリ」
雑誌の名前を公募したが、どれもしっくりこない
たまたま目にした新聞の競馬欄に「今週のイギリスのダービーの一番人気はニコリ」とあるのを見てピンときた
l 予想外の反響にびっくり
創刊号は1000部刷り、200円で発売したら完売。パズル好きの心を鷲掴みにした
l パズルの大家からの指南
著名なパズル作家、丸尾学(故人)から手紙が来る。「虫食い算」の大家で、直接話してパズルの面白さ、奥深さを知る
丸尾のお陰で、数理系のパズルを筆頭に、王道を行く誌面が広がる
l 誌面作りと書店営業に駆け回る
直販方式で、書店においてもらう。個人で販売先を広げる
l 椎名誠さんが援護射撃
「本の雑誌社」代表の目黒から、『本の雑誌』の編輯長兼エッセイストの椎名誠が朝日新聞の連載コーナーでニコリを取り上げたいと紹介してきた
l 出版のイロハを教わる
これをきっかけに目黒から出版のイロハを教わる
l 初めての事務所は10坪、家賃7万円
1982年、町田に事務所を構え、へいわ印刷を退職してニコリ1本に決める
l パズル好きが集う「ニコリ」
創刊の翌年には競争相手が出現
創作パズル募集も効果
l 株式会社ニコリ設立
1983年会社設立、鍜治が代表に
l 4人目のメンバー
鍜治のクロスワードパズルの構図と人柄に惚れた小林茂が入社。出版社での営業の経験が生きる
l 今明かされる”密約”
6号の表紙で開き直った「目にとまった日が発行日」というキャッチコピーが人気
鍜治からいわれた小林との密約とは「社内恋愛禁止」
新聞では初めて『神奈川新聞』(‘84)が、週刊誌では『サンデー毎日』('85)が連載を開始
l 夢枕獏さんとの再会
SFの新人作家、夢枕獏の話になって、昔国鉄でのアルバイト仲間だったことがわかる
l 「カジ氏との清い関係」
すぐに獏に連絡を取って、鍜治の雑誌への連載を頼み、快諾を得る。その第1回の題が「カジ氏との清い関係」で、9年前の2人の出会いを書いてくれた
l 事務所に来た学生を即採用
事務所に読者が遊びに来るようになるが、その中に5代目編集長になる金元信彦もいた
l 夢中でパズルを作った時代
「加算クロス(カックロ)」にのめり込む
l 水木しげるさんと”パズル妖怪”
「妖怪スケルトン」というパズルに水木のイラスト使用を交渉する。同じ調布の住人ということで意気投合
l 月間ニコリストと事務所開放日
事務所が読者の溜まり場と化し、読者開放日を限ったのが「放談会」の始まり
l 放談会スタート
月1回読者と遊ぶ会開催
l パズルへの愛と哲学
パズルを作るときの愛について、「初心者向けの問題をいかに面白く作るかがポイントで、作り手が解き手の立場に立ったとき、初めて作り手にサービス精神が生まれる。それこそがパズルに対する愛であり、ストーリーを生む原動力となる」のだという
パズルを作る際の”心得”についても、「パズルの楽しさは、解けた時の達成感だけではない。もっと大事なものが解く途中経過にある、そこに必要なのがストーリー/起承転結で、要所要所に喜怒哀楽を鏤める」と説く
解き手側の気持ちを「解き味」とし、「解いているときにどういう気持ちになるのか。その感覚的な流れが重要で、自然に多彩な面白さを知ってもらえる」と説明する
l 東京都内へ進出
1985年、参宮橋のマンションの地下へ移転。パズル雑誌は14誌が乱立状態。3年で4誌に淘汰。新書版のペンシルパズル本シリーズを発刊。鍜治が編集長に
l 流行りの立体迷路
新百合ヶ丘駅前の8000坪に巨大な立体迷路を設計、パズルショップも開き、2年半続く
自作パズルを様々なペンネームで掲載。その1つが競馬の「牧場」を連想させる「マッキー」
l 社員が増えた代々木上原時代
1989年代々木上原に移転。現社長の安福も入社。京大理学部1年の時、虫食い算の作り方を発見、その成果を発表するためにニコリに目をつけたら、掲載されたパズルの虜に
l 全国に広がる放談会
鍜治も安福の労作を評価、次の放談会で虫食い算を取り上げ、入社を誘う
l 入社をめぐる攻防
鍜治は、一流大学出に恐れをなしたが、安福の熱心さに折れる
l 異能集団を率いる
放談会経由の高学歴入社が続き、異能集団へと成長
l 愛読者に支えられたリクルートいらず
パズル作家としての力量を買われて入社した読者も多い
第3章
若かりしころの鍜治真起さん 1951~77
1951年、札幌市生まれ。男2人兄弟の長男。父親がKDD所属になって成城の社宅に転居
l 戦争を体験した両親たち
同じ職場の母親繋がりで3家族が親しくしていた、その中にへいわ印刷の清水夫妻もいた
鍜治の名前は、フランスのレジスタンスの人々「マキ」から採る
l マキ、マサキ論争
マキでは男女の区別がつかないためマサキと呼んだが、高校に入るころから自分でマキと呼び始めた。名字の漢字も「鍜治」でも「鍛治」でもどちらでも拘らない
l 行動力のある人気者
練馬の社宅に移って豊玉小学校に通う
l 「弟の観察日記」
「ソフトなガキ大将」。夏休みの宿題の作文が「弟の一日」
l 弟を連れて北海道へ
小5の時、小3の弟を連れて北海道に列車旅行
l みなが憧れるスマートな両親
l 数字ゲーム好きは父の影響?
父親は家でも子供たちや友達に算数を教えていた、姉妹も生徒
l 妻、直美は中学時代の同級生
中学も区立の豊玉中学
l ふたりの不思議な文通
中1の時の年賀状から手紙の往復が始まり、高3まで続く
l 圧倒的なテニスの才能
中学で軟式テニスを始める、豊玉中は強豪校。東京都の大会で準優勝
l 都立石神井高校へ
学校群制度の1期生。第34群は大泉、石神井、井草の3校。大泉は進学校、石神井は体育会系、井草は元女子高。石神井はサッカーが強く帝京といい勝負。直美は井草へ
l 部活と遊びに夢中だった高校時代
硬式テニス部に入り、部練漬けの毎日
l ずば抜けていた「球感」
東京都の新人戦でいきなりベスト16に
l 部長になって雰囲気を変える
2年で関東大会に。部長になってコートで歯を見せて笑ったのは初めてと顧問が驚く
l 全国ベスト8の実力
高3でインターハイでベスト32、国体では都のベスト8だったが、補欠出場で団体でベスト8に
l つげ義春さんの漫画『紅い花』
同じ団地にいたつげ義春の漫画の動画化を仲間と試みるが、断念
l 学生運動ではノンポリ
高校でも学生運動があった時代だが、堂々とノンポリを通す
l 全国大会で感じた壁
早稲田からスポーツ推薦の話があったが、限界を知って断り浪人
l 文学的な生きかたへの憧れ
テニスブームだったが、テニスから離れ日本近代文学館に入り浸る
l 一浪後慶應へ
北大を落ちて浪人、2度目も北大を落ちて慶應の文学部国文科に進学。茅ケ崎に引っ越し
ストレートで武蔵美の工業デザインに入学した直美と付き合い始める
l 大学入学直後、うつ状態に
5月病に2カ月ほどかかった後、アルバイトで体を動かし始める
l 満たされない渇望感
何かに激しくのめり込みたいという、満たされない思いを抱く
l 「じゅん&ネネ」
40種類ほどのアルバイトを経験。ポップデュオ「じゅん&ネネ」の関係者が始めた喫茶店でも働く
l 競馬との出会い
競馬に嵌ったのはこの時期。1970年の日本ダービーの紙面に惹きつけられた
l 大学中退と穴の開いたチーズ
1973年中退。嘆いた母親が息子を評して言ったのが「あの子は穴の開いたチーズみたいな子」で、多くの人に普通にある部分が欠落しているという意味だった
l もがきながらも「雑誌出したいな」
大学の頃から「なんか雑誌出したいな」と言っていたが、’75年胃穿孔(せんこう)に
l もう少し遅ければ・・・・
胃痙攣から、盲腸の手術で開腹したら胃穿孔の重篤な状態が判明
l 目が覚め、結婚を直感
病床で、両親と直美とその両親の顔を揃ってみて、結婚を直感。そのためにへいわ印刷に頼んでサラリーマンにしてもらった
第4章
遊びと苦悩のはざまで 1993~2003
l 『浮浪(はぐれ)雲』(ジョージ秋山の漫画)のように
「天性の人たらし」で、『浮浪雲』の主人公の”雲”のような存在
l 「好い加減なやつ」
「いい加減なやつ」だが「好い加減なやつ」で、人懐っこく、誰にでもバリアなくフラットに接する。天性のもの
l 周りがほっとけなくなる
l 怒られない愛されキャラ
l 非日常空間
l その瞬間に本気であればいい
l しわ寄せは家族に?
l 楽しませ上手な半面(ママ)・・・・
l 「みんなの鍜治くん」
l 新宿のバーで出会った仲間たち
l 21歳下の飲み友だち
l ばかばかしく遊ぶ、粋なおとなたち
l 欠かさなかったお酒
l 競走馬ニコリ探しと世紀の試合
1995年、ニコリが種馬としてウルグアイにいると聞いてお礼に行ったが、その前年馬の履歴の調査にラスベガスに行ってフォアマンとモーラーの世紀の試合を見ている
l 深まるニコリ愛
l 競馬は「出目買い」
その日閃いた数字を買う
l 好きだった競馬場の雰囲気
l 高額当選に高額納税!?
酒・たばこに加えて、競馬・競輪・ボートレース・オートレース・ロトの掛け金も入れればの税額はすごいことに
l 消えた”オーラ”
1997年、本社を台東区三筋に移転、苦しい時期で鍜治からオーラがなくなる
l 試練となった月刊化
判型を変型判からA4に変え、隔月から月刊にした期間は1年4カ月で終わり、判型を戻し季刊に変更。発行部数にばらつきが出たのは、読者が対応できなかったから
l 古い出版社を買収
1989年に販路拡充のため買収した波書房をニコリとの2本立てで経営していた
l ニコリには合わなかったビジネス
5%だった返本率が、波書房のルートに乗せると書店への配送が雑で50%以上にもなったので、友達に譲ったが、1億円くらいの損失で、以後金や儲けに興味を失う
l 金策に奔走!
「副業はやらず、本業に専念すべきだった、と気付くまでに大変な授業料を払った」と後悔
l 倒産の危機!?
l ファンが救ってくれた大ピンチ
2000年、「ニコリクラブ」を作り、年間購読の会費で資金繰り逼迫を乗り越える
第5章
数独ブーム後の夢 2006~21
l 数独御殿
数独ブームの特需を受け、2006年本社を蔵前に移転、1~4階を占める「御殿」となる
l 引っ越しを繰り返したニコリ
2017年からは日本橋浜町に移転。7カ所目となる
l 唯一無二の雑誌『にどね』
鍜治自ら提案の『別冊 にどね』は二度寝をテーマにしたエッセイ満載の雑誌
l 小原庄助さんになり切る
l ふたつの中心がある楕円
きっかけになるアイディアを出す、実働部隊をその気にさせる、キモになるアドバイスをする、までが鍜治の仕事で、その後はヒトに任せた
l 競馬が繋いだ縁
ニューヨークの弁護士資格を持つ内藤裕久がライセンスビジネスを手掛け、数独のライセンスに興味を持って鍜治にコンタクトしたところ、内藤の祖父も父もJRAの調教師だったがそれが嫌で渡米したと聞いて鍜治が食いつく
l 会って二度目で顧問弁護士を依頼
内藤からニューヨークのLIMAというライセンシングショーを紹介され、その場で米社との数独のライセンス契約がまとまり、内藤が顧問弁護士となる
l アメリカでも「いいね!」
アメリカでの講演の機会が増える
l 物怖じしない「他力本願」
外国人の前でもどんどん出て行って、ニコリの作品のみならず、パズルそのものを普及させようとしていた
l 緊張感のある家
2009年、ようやく立てた自分の家。設計を依頼した時のコンセプトが「緊張感のある家」で、個性的な家ができる。1階は土間で、母屋と生活の場の別棟に分離
l 玄関のない家と玄関のない男
l 帰宅する鍜治さん
l 誰にニコリを託すか
2008年の創業25周年頃から、社長退任を考えていたが、多額の借金があったため断念
l 職人気質と経営感覚の狭間で後継者選びに悩む
l シビアな社長判断
l カジ天才説
特に優れているのは「把握力」「表現力」
l ニコリのパズルを世界へ
l 後継社長指名
2016~17年ごろ、後継社長に現社長の安福を指名。編集者だが、経営感覚を持っていた
l がんを患い、語った夢
2020年胆管がんステージ4が判明。腰痛が原因で、がんが骨まで転移。大腸がんを経験
l 日本一元気な末期がん患者
l 「歳時記にしようね」 ← 「毎年来よう」
l 前倒しの古希祝い
l ロータリークラブとの出会い
2013年、東京山の手ロータリークラブに入会。付き合いで入ったが、だんだん打ち解けた
l 鍜治さんにとってのパズル作家
2014年、『週刊ゴルフダイジェスト』のゴルフをテーマにしたクロスワードパズルの連載が始まったが、鍜治自ら手を上げたもので7年続く。パズル作家という呪縛があった
l 30年前の果たせなかった夢
30年前に高校の同級生とミニチュアゴルフ場を作ろうとして、長崎に土地まで決めていたが、普賢岳の噴火でおしゃかになった話を、最後のLINEで思い出したように書いてきた
l 最後までこだわった海外ビジネス
世界中に潜在的な需要がある中で、”遊びの生産者”であるニコリがう上手く到達できていないことにジレンマを感じていた
l 遊び尽くし、学び尽くした人生
Wikipedia
鍜治 真起(かじ まき、1951年10月8日[1] - 2021年8月10日[2])は、日本の実業家、雑誌編集者。株式会社ニコリの創設者。
経歴[編集]
1951年、北海道札幌市生まれ[3]。東京都立石神井高等学校卒業、慶應義塾大学文学部国文学科中退。
1980年、印刷会社に務めながら友人たちと共同で「パズルの雑誌(『パズル通信ニコリ』創刊準備号)」を発行する[3]。1983年に、ニコリを設立する。
1984年、アメリカのパズル誌に載っていた「Number Place」というパズルを名称だけ「数字は独身に限る」と変えて日本で発表したところ、2005年に世界的なヒットとなり[3]、「Godfather of Sudoku(数独の父)」の異名をとった[3][4]。
『パズル通信ニコリ』創刊後、1980年から1983年、1987年から1991年、1998年から1999年の期間に編集長を務めている。
競馬愛好家であり、「もしや万一」のペンネームで別冊宝島に何度か寄稿している。また、「もしや万一」を始めとした複数のペンネームでニコリ出版物にパズルも発表していた。
2021年7月末をもってニコリの代表取締役社長を退任することが発表されたが[5]、その直後の2021年8月10日、胆管癌で東京都内の自宅で死去した[3][4]。69歳没[3]。
名前について[編集]
「まき」という名前は本名で第二次世界大戦時の「マキ」に由来する[6]。しかし、幼少期は女性に間違えられやすいことから「まさき」と名乗っていたこともあり、母親もそう呼んでいた[6]。このため、幼少期からの関係者の中には「まさき」読みが正しいと思っていた人もいる[6]。
著作[編集]
図書[編集]
『本屋さんに行くと言ってウルグアイの競馬場に行った』波書房、1997年1月。ISBN 4-8164-1243-3。
『数独はなぜ世界でヒットしたか』メディアファクトリー、2010年3月。ISBN 978-4-8401-3265-7。
記事[編集]
「「数独パズル」世界を制す」『文藝春秋』第84巻第8号、文藝春秋、2006年6月、326-333頁。
「Q あなたが考える「仕事を楽しめる人」とは? 自分の尺度に合った仕事を追求する人」『The21』第23巻(11号) (通号 264)、PHP研究所、2006年11月、33-35頁、ISSN 0910-9811。
阿川佐和子、鍜治真起「阿川佐和子のこの人に会いたい(659)いまや数独は世界で83か国、毎日1億人ぐらいが解いています 数独の父 鍜治真起(かじまき)」『週刊文春』第48巻(48号) (通号 2406)、文藝春秋、2006年12月14日、154-158頁。
「痛恨の失敗から生まれた「数独」大ヒット」『週刊東洋経済』第6182号、東洋経済新報社、2009年1月17日、74-75頁、ISSN 0918-5755。
「ペーパー大陸のオアシスとして――新聞で遊ぶ パズルの魅力」『新聞研究』第703号、日本新聞協会、2010年2月、67-69頁、ISSN 0288-0652。
関連書籍[編集]
『すばらしい失敗』(ニコリ編)2022年10月 ISBN 978-4-89072-379-9 - 副題は『「数独の父」鍜治真起の仕事と遊び』。タイトルは鍜治がニューヨークタイムズの経済面に取り上げられた時の見出しに由来する。
脚注[編集]
^ 『すばらしい失敗』P.140
^ “数独、名付け親の鍜治真起氏死去 数字を埋めるパズルゲーム”. デイリースポーツ (2021年8月16日). 2021年8月16日閲覧。
^ a b c d e f “「数独」の名付け親、鍜治真起さん死去 ニコリを設立:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年8月18日閲覧。
^ a b “世界的人気パズル「数独」の名付け親、鍜治真起さん死去 風変わりな名前が生まれた由来”. AERA dot. (2021年8月16日). 2021年8月16日閲覧。
^ 【ニコリ社長交代のお知らせ】 - Twitter @nikoli_official
鍜治真起氏が死去 「数独」名付け親
2021年8月17日 6:58 日本経済新聞
鍜治 真起氏(かじ・まき=パズル制作会社ニコリ前社長)8月10日、胆管がんのため死去、69歳。告別式は近親者で行った。喪主は妻、直美さん。
ルールに従って9×9のマスに1から9までの数字を埋めるパズルゲームを「数独」と名付け、欧米でも「SUDOKU」として人気となった。〔共同〕
「数独」の名付け親、鍜治真起さん死去 ニコリを設立
2021年8月16日 18時30分 朝日
朝日新聞土曜版beなどに長年連載しているパズル「数独」の名付け親で、パズル制作会社「ニコリ」を設立した同社前社長、鍜治真起(かじ・まき)さんが10日、胆管がんのため死去した。69歳だった。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻直美(なおみ)さん。後日お別れ会を開く予定で、決まり次第、ニコリのホームページで発表する。
1951年、札幌市生まれ。印刷会社勤務などをへて、80年に幼なじみ2人と「パズル通信ニコリ」を創刊。読者参加型のパズル雑誌の草分けで、日本のパズルファン層を広げた。80年代半ばには、米国のパズル雑誌にあった「ナンバープレース」というパズルに注目し、「数字は独身に限る」と命名して掲載。略称の「数独」で単行本化され、2000年代には海外で「SUDOKU」ブームを巻き起こし、流行が日本にも逆輸入された。
数独は、縦3マス×横3マスのブロックを9個組み合わせた正方形の枠内に、1から9までの数字を一つずつ入れていくパズル。鍜治さんは6月29日付の本紙取材に命名の由来をこう語っていた。「『ナンバープレース』に代わるしゃれた名前をつけたかった。そこからは連想ゲームです。一ケタはシングル、シングルと言えば独り、ひとりは独身、というわけです」「ひとりで遊べ、脳の活性化にもつながるのでコロナ禍にもぴったりです」
◇ニコリ・安福(あんぷく)良直(よしなお)社長のコメント
鍜治さんはいろいろなパズル本を世に送り出し、書店にパズル専門コーナーを作るきっかけを築いたと言えます。「パズル通信ニコリ」は読者参加型の雑誌で、私もその一人でした。数多くのパズル作家を育て、数百種類のパズルを生み出しました。数独ブームのおかげで、“Godfather of Sudoku(数独の父)”と呼ばれ、外国語は話せずとも、だれとでも打ち解けてしまう性格で世界中に友人を作り、行く先々でパズルの面白さを広めました。鍜治さんは、まだ新しい「パズルビジネス」を発展させることを夢見ていました。これらの可能性を追い求め、広げていくことが、私たちの使命と考えています。
自由気ままで酔狂の極み 「数独」の名付け親 ニコリ前社長の人生
中島鉄郎2021年10月15日 9時30分 朝日
今年8月10日に69歳で亡くなったニコリ前社長の鍜治真起(かじまき)さんは、「数独の名付け親」として知られる。元々あった数字パズルに「数独」の名をつけ、今は世界でもSUDOKUで通る。
「たった2文字の翻訳で大もうけした男、と知人に言われました」。「ニコリ」の名の由来も負けずに面白い。「ネタ元」に会いに、地球の裏側まで行ってしまう物好きぶりは、自由人の面目躍如という感がある。
記事の後半では、ある相手を追いかけて地球の裏側まで飛んで行く自由人ぶりについて書いています。
今年6月18日、ニコリ本社での取材の最後に、英語の名刺を渡してくれた。
英語で「将来のオフィス」として、「ブルックリン、クアラルンプール、サラマンカ」といった都市名が並んでいた。
えっ、そこまで壮大な世界進出計画があるのか、と驚いたのだが、鍜治さんは笑った。
「そのうちオフィスを置きたいと思う街を、もう印刷しちゃってあって」
もともと「非常勤社長」のあだ名があるほど、会社に姿を見せなかった。だが後に、この日が最後の出社になったんです、と聞いてがくぜんとした。
名刺には、英語で「数独のゴッドファーザー」(名付け親)の肩書も記されていた。「数独」はごく簡単に言うと、1から9までの数字を、九つ並ぶ正方形のブロックのマスにルールに沿ってはめていくパズルだ。
米国の雑誌で見たパズルをやってみたら、面白かった。日本へ紹介したいと思い、何かしゃれた名前をと考える中で思いついたのが、「数字は独身に限る」という日本名だ。
一ケタの数字を独身に見立てたのだが、さすがに長すぎて、ほどなく短縮形「数独」で定着した。「今でこそ、すごい命名だとか言われるけれど、最初のうちは何それ?といった反応でした」
一部のファンには人気だったが、爆発的なブームになったのは、数独ファンのニュージーランド人が売り込み、2004年に英国のタイムズ紙に連載が始まってから。今や世界各国で「SUDOKU」と親しまれている。
朝日新聞でも社会面、デジタル版、週末版「be」で同社が作成した問題を連載中だ。日本では現在、新聞・雑誌など約70媒体に提供しているという。
大学卒業後、印刷会社で働きながら、自由気ままな雑誌作りを夢見た。1970年代後半、「ビックリハウス」「面白半分」「ウイークエンドスーパー」など、マイナー雑誌が活気にあふれていた時代だった。
日本になかったパズル雑誌を思いつき、80年8月にパズル通信「ニコリ」を創刊。刷った千部をもって書店やなじみの店を回り、直接委託で販売した。
幼なじみでニコリを共に始めた清水眞理さん(67)は言う。「その当時は、世間がよくわからないものを面白がってくれる風潮があった。書店さんへ行くと『まあ、いいや。そこに置いておきな』って言ってくれました」
81年1月に朝日新聞で連載していた「椎名誠のマガジン・ジャック」で、「ミニコミならではのゲリラ型新ジャンル雑誌」として紹介され、注目を浴びることになった。
雑誌名で後に会社名にもなった「ニコリ」は、無類の競馬好きの証しである。
81年春、スポーツ紙で日本ダービーの穴馬探しの最中に、海外発の短行記事が目に入った。「一番人気はニコリ」。これだ、と創刊予定のパズル雑誌名を即決した。
ここから、77年アイルランド産サラブレッド・ニコリへの偏愛が始まる。
血を引く産駒(さんく)がいると聞きつけて、一目見に佐賀競馬場へ。引退後どうなったかを知りたくて、米国へ。ウルグアイで余生を過ごしていると聞き、地球の裏側の競馬場へ。
ついにニコリと対面し、「おまえの血は、パズル雑誌の名として日本でも伝えるよ」と思いを新たにした。驚異の行動力とみるべきか、酔狂の極みというべきか。
清水さんは言う。「自由人というか、これがやりたいと思うと、どうしても我慢できず、他はどうでも良くなってしまうんです。それで周りは、『鍜治さんだから仕方ないか』とフォローし、全部実務を引き受ける」
競馬で大穴をあてたときは、社員全員をグアム旅行へ連れていった。「ただ『明日から行こうよ』と言われても、仕事はどうするの?って」(笑)
10月8日に生まれて、8月10日に逝去した。この数字の符合に、「どのレースで『8―10を買え』って言いたいのかな」と、気の置けない友人たちはそんな軽口でも悼んでいる。
鍜治真起さんの「お別れの会」が11月2日、都内で開かれる。一般の方もニコリのHPから申し込める。
(はじまりを歩く)数独 東京都 名付けの「親」、「数字は独身」
2022年4月2日 3時30分 朝日
東京・日本橋浜町の路地裏にあるビルの3階に、パズル専門の出版社「ニコリ」はある。朝日新聞土曜別刷りbeを含めた、国内外のメディアなどにパズルを「出荷」する、いわば「パズルの工場」だ。beの創刊20周年を機に、パズル欄に掲載している数独の「はじまり」を聞こうと、本社を訪ねた。
「数独=Sudoku」は、ニコリの看板商品で登録商標。正式名称は「数字は独身に限る」。略して数独。同社によれば世界110以上の国と地域で6億人がその名を知り、今日も2億人が解いているという。
社長の安福良直(あんぷくよしなお)さん(54)が、自席で「昨日の夜、家で思いついた数独のメモ」をノートに写し、推敲(すいこう)をはじめた。「作るのは紙の上。書いては消しを繰り返す、手作業です」
パズル雑誌ニコリの熱心な読者で、大学卒業前に「社員にしてほしい」と頼み込んだ。受け入れてくれたのがニコリ創業者、前社長で、世界中から「数独の父」と慕われた、鍜治真起(かじまき)さん(1951~2021)だ。
鍜治さんは昨夏、胆管がんで世を去った。競馬と酒をこよなく愛し、めったに会社にいない社長だった。「ふらりと戻ってくるのでは」。社員たちは、今でもそう感じている。
*
ニコリは1980年、パズル好きの樹村(きむら)めい子さん(72)、清水眞理さん(68)姉妹と、鍜治さんの3人が創刊した。樹村さんが編集、清水さんがイラスト、鍜治さんがキャッチコピーや書店への営業を担当。ともに東京の練馬育ちで、親同士に交流があった。鍜治さんは姉妹の実家が営む印刷会社で働いていた。
姉妹の「海外にあるような面白いパズル雑誌が日本にない。だから自分たちで出そう」、鍜治さんの「新しくて面白いことがしたい」という、3人の思惑が結びついた。雑誌名「ニコリ」は、鍜治さんが新聞で目にした英国ダービーの一番人気の馬名から、思いつきでつけた。
数独がニコリに登場したのは84年。鍜治さんのこんなコメントとともに掲載された。「デル社の雑誌にちらっとみかけたものを、作ってみたら面白かった。手の遊び」。「今月の目新しパズル 勝手なタイトル→数字は独身に限る」という、奇妙な題もついていた。
鍜治さんが「みかけた」のは、米国のパズル雑誌に載っていた「ナンバープレース」というパズルだ。数独が「ナンプレ」という略称でも知られているゆえんはここにある。
「数字は独身に限る」も、鍜治さんの思いつきだった。縦横それぞれの列にも、3×3のブロックにも、九つの数字が必ず一つずつ入る。そのルールから、「一つ→シングル→独身」と、言葉遊びをしたのだ。姉妹は「パズルの名前らしくない。普通の文章みたい」と驚き、半信半疑だったが、対案もなかった。
「むづかしくなる一歩手前のむづかしいところが、まだつかめない。誰か作って」と鍜治さんが誌面で呼びかけると、読者から新たな問題が寄せられ、それらも掲載された。解いては作り、作っては解く。数独は読者に鍛えられ、育てられた。
90年代、ニコリは人気のパズル雑誌に成長し、全国の書店に広まった。システムエンジニアたちが「仕事に役立つ」と、数独を競って解いている、という話も書店から聞こえてきた。数独はルールの説明が短く、省スペースなため、新聞、雑誌からの掲載依頼が絶えなかった。
■読者が育てて、世界に広まる
97年、パズル好きのニュージーランド人の男性が偶然、成田空港の書店で数独の本と出会い、魅了された。男性の名は、ウェイン・グールド。コンピューターに通じていたグールド氏は、数独の問題はプログラミングで自動生成できると考えた。
プログラムを作ったグールド氏は日本の出版元に「あいさつ」にきた。鍜治さんの高校時代からの友人で、ニコリの社員だった後藤好文さん(70)と、グールド氏と鍜治さんの3人は、新橋でビールを飲んだ。
「このパズルの発音は『スドク』ではなく『スウドク』だ。私たちの数独は手作りで、手作りの数独には『ストーリー』がある。あなたがコンピューターで作った数独は、私たちにはどれも一緒に見える。解く人は、数字の並べ方にも、ストーリーを読み取るものだ。たとえば、数字を点対称に配置すれば美しい」
後藤さん、鍜治さんは、英語で語りかけ、グールド氏はプログラムを改良しようと真剣に耳を傾けた。
グールド氏は2004年11月、英国タイムズ紙への「SUDOKU」の掲載に成功した。クロスワードパズルのように、教養や語彙(ごい)を要求されることがない。数字は単なる記号として用いられ、計算する必要もない。わかりやすさと不思議な響きの名前で関心を集めた。
ブームは欧州、世界へと広がった。最初に注目を浴びたグールド氏は、SUDOKUは「ジャパニーズパズル」で「ニコリのオリジナル」と説明することを忘れなかった。
翌05年、鍜治さんはSUDOKUの「名付け親」として時の人となり、国内外のメディアから引っ張りだこになった。一緒に世界を回っていた後藤さんに、鍜治さんは「ただテキトーに名前をつけただけ。たなぼた」とこぼし、「この旅は、神様からのプレゼントだ」と笑った。
鍜治さんは数独の海外での商標登録をしていなかった。それに、そもそも「生みの親」は1979年に、米国で最初にナンバープレースを投稿した一読者だ。ブームを機にニューヨーク・タイムズが調査し、投稿した人物を突き止めたが、すでに89年に亡くなっていた。初めて投稿が載った当時の米国では埋没したパズルが、地球を一回りし、四半世紀の時をへて、日の目を見たのだ。
鍜治さんと後藤さんは、英国では「数独に夫を奪われた」と恨み言を言われ、スペインでは「生みの親じゃないのに」とからまれた。「自分でもわかってるよ」。鍜治さんは困惑しつつもどこか飄々(ひょうひょう)としていた。
*
2人で岩手県大槌町で開かれた「数独教室」にも足を運んだ。津波に大切なものを奪われたシニアたちが、数独に没頭していた。「何も考えたくなくて数独をする」と話す人もいた。鍜治さんが「どう?」「すごい!」と受講者の隣に座って短い言葉をかけるだけで、最初はぎこちなかった空気がほぐれていった。
数独が解けたところで、いまを生きる苦しさも、過去のつらい記憶も、消えはしない。でも後藤さんは「忘我。人生に、そういう時間があってもいいのでは」と感じている。
この取材で会った人々はみな、こんな風に数独を語る。「どこから解いても、どう解いてもいい。早さを競っても、長い間ほったらかしてもいい。それが数独の良さだ」
鍜治さんが生前に監修した数独の本の、最後に載っている一番難しい問題。そこに、こう書かれている。
「遠くから見守っています」
(文・寺下真理加 写真・井手さゆり)
■余話
本文の最後に登場した本は『“数独の父” 鍜治真起が教える難問数独』(ニコリ、2010年初版)だ。「過信禁物。ハイ、深呼吸。」「その先の喜びは、あなたにしか見えない。」「立ち止まっていることは、考えていること。」など、数独が苦手な人も得意な人も思わずうなずいてしまう、鍜治さんによる独特のコピーがちりばめられている。21年11月に開かれた「お別れの会」でも、「あなたが作るとみんなが楽しむ」「恋とパズルはおぼれた方が勝ち」といった言葉の数々がパネルで紹介された。
後藤好文さんは現在、一般社団法人・日本数独協会の代表理事として、イベントやオンライン交流会などの普及活動や、「数独実力テスト」を実施している。「コロナ禍以降、10~20代の受験者が増えています。近年はプログラムで生成する数独も『ストーリー』を持つレベルに近づきつつあります」(後藤さん)
ニコリはこれまで相模原、参宮橋、代々木上原、笹塚、蔵前など、東京周辺でノマド的に拠点を移してきた。現在の日本橋浜町のビルの近くには隅田川が流れ、水天宮前駅、人形町駅方面に10分余歩けば和食や和スイーツの名店街、甘酒横丁もある。
■読む
ユニークなパズルと、その周囲をにぎやかす言葉遊びの楽しさは雑誌「季刊パズル通信ニコリ」に受け継がれている。ニコリは数独専門の書籍も出版しており、外国語に翻訳されたものもある=写真。数独の腕を磨くなら春秋年2回の別冊「数独通信」がお勧め。「必ず理詰めで解けますよ」というアドバイスも、鍜治さんが当初から掲げてきたものだ。若者からシニアまで、読者が作った数独1500問がニコリに寄せられ、選考で残った約120問が掲載される。
解き方のコツの一例として、同誌は「ブロッケン」「レッツミー」「マスミ」といった愛称で、手筋を紹介している。ブロッケンは3×3のブロックごとに縦横を見て、同じ列に同じ数が重複していないか確認する。レッツミーは縦横の長い列ごとに重複がないかを見る。マスミはブロックと列、両方の視点から、重複しない数を見つけ出して空欄に入れる。とはいえ、それらの手筋を知らなくても解ける。今春号の数独の教え方について考察したコラムにも、「解き方は自分で編み出せる」「新たな手筋を発見する機会とよろこびを、相手から奪っちゃうのはよろしくない」とある。
紙に書いたり消したりするのが苦手な人には、スマホで数独などを無料で遊べる、公式アプリ「スマニコリ」がある。記者の場合、眠れない夜に遊びはじめると、すぐに眠れるので愛用しているが、逆に目がさえてしまう可能性もあるので、就寝時の使用にはご注意下さい。
■プレゼント
入門者にも上級者にも役立つ解き方の手引書『マンガで数独がわかる本』(ニコリ)を6人に。住所・氏名・年齢・「2日」を記し、〒119・0378晴海郵便局留め、朝日新聞be「はじまり」係へ。7日の消印まで有効です。
(be report)数独のすすめ 計算不要、スキマ時間の脳トレに
2022年10月15日 3時30分 朝日
「数独(すうどく)って難しそう。数字は苦手」。記者自身も少し前まで、そう思っていました。確かに1~9の数字を使っていますが、学校の試験に出るような算数や数学の知識はなくても解けます。数字を「ABC……」といった9種類の記号などに置き換えても成り立つ、単純なルールのパズルなんです。試しにやってみませんか?
数独とは「縦横それぞれの列にも、3×3のブロックにも、九つの数字が必ず一つずつ入り、重複してはいけない」というルールのパズルだ。
風変わりな名前は「数字は独身に限る」の略。パズル専門の出版社「ニコリ」の前社長、故・鍜治真起(かじまき)さんが1984年、そのルールから「一つ→シングル→独身」と、言葉遊びをして命名した。もとは米国のパズル誌に載っていた「ナンバープレース」という名のパズルで、日本では「ナンプレ」の名でも知られる。「Sudoku」という独特の響きとルールのシンプルさが、海外の人々の心も捉え、2000年代に世界的ブームとなった。ニコリは02年のbe創刊時から、数独を含めたパズルの制作を担当している。
全国から朝日新聞に寄せられる、beパズルの応募はがきは毎週約1万通。ウェブからも2万~3万通の応募がある。はがきの中には、三つのパズルのうち数独だけを解答、正答している人も少なくない。しかも70代、80代などシニアの解答者が目立つ。余白に「親子で話し合いながら数独を完成させています」といったコメントが添えられるなど、「共同作業」で数独を楽しんでいる人も多いようだ。
be編集部では9月半ば、東京・築地の朝日新聞社に、ニコリの安福(あんぷく)良直社長を招いて、数独イベントを開催。参加者71人が初級と中級、二つの数独を実際に解き、安福さんが解き方のコツを解説した。解説が始まる時間には、会場のほぼ全員が「解答済み」として手を挙げるなど、参加者の数独への関心、実力の高さがうかがえた。
■二つの数に絞る、予約テクニック
数独は基本的に、「3×3のブロックごとに縦横を見て、同じ列に同じ数が重複しないようにする」「縦横の長い列ごとに重複がないようにする」「ブロックと列、両方の視点から、重複しない数を見つけ出す」といったことに注意すれば、初級から中級レベルの問題は解けるとされる。
イベントでは、安福さんが「予約」という考え方も紹介。ブロック内で、二つの数字、例えば2と3の入る候補が同じ二つのマスに絞れるような時に、「この二つのマスは2と3で『予約』された、つまり2と3以外は入らない」と考え、それを他のマス目の数の特定に活用する応用テクニックだ。
会場の板書では、二つのマス目のそれぞれに二つの数を「予約」する際、マス目の隅に小さいサイズで2と3をメモした。周囲の他の数が決まって、最終的にどちらかに絞られたら、正式に大きく2か3を書き込む。たとえば、新幹線などの指定席で、ある夫婦が15列Aと15列Bの二つの席を購入した時、妻と夫がAとB、どちらに座っても問題ない。これと同じ理屈だ。
質疑応答では、参加者からスマホ画面で解く数独が便利、と勧める声も上がった。beおよび朝日新聞本紙に掲載されている数独は、スマホでも解くことができる。「朝日新聞 数独」と検索し、朝日新聞デジタルのサイトに入り、有料会員登録することで利用できる。入力した数字を消したり、途中で全部リセットしたり、前出の「予約」などのために、複数の数字を小さくメモしたりすることも可能だ。
■解くのと作るの、似ているかも?
安福さんは、数独の「作家」でもある。読者からの質問を受けて、問題作成のプロセスの一端も披露した。
安福さんの場合、まず最初に数字を入れるマス目に印をつけていくという。その際、見た目にも美しい、対称形になるように配置する。続いて、印をつけた場所に1~9の具体的な数字を入れていく。列やブロックの重複を避けながら進めるので、まさに「解くのと同じように作っていく」という。解く過程と作る過程には、似ている部分があるようだ。ただ、超難問を世界レベルのスピードで解ける人が、なぜか問題そのものを作ることはできないという事例もあるようで、興味深い。
ニコリでは、17年に数独を解いたことがない高齢者に向けて、全体の半分以上に数字が入っている平易な問題集「じぃじとばぁば ようこそ数独!」を刊行している。高齢者の交流の場などで活用されているという。
手書きでも、スマホでも。続けやすい方法で、スキマ時間の脳トレに数独をお勧めしたい。(寺下真理加)
株式会社ニコリ(Nikoli
Co., Ltd.)は、日本の出版社である。
1980年にパズル通信ニコリを出版し、他のパズル関係の出版物やパズルの制作も手がける。パズルの種類の総称としての「ペンシルパズル」や、数独などのパズルの名称について商標登録している。
パズル通信ニコリに登場する馬のキャラクターの名前にも使用されている。
概要[編集]
ニコリの名称はパズル通信ニコリと同じく、1980年のアイリッシュ2000ギニーを制し、同年のアイリッシュダービーの出走馬「ニコリ」からきている。
1983年に会社を設立するまでは、魔法塵の名でパズル通信ニコリを発行していた。
主な出版物[編集]
現在定期的・断続的に発行されている主な出版物[編集]
パズル通信ニコリ(1980年~)
ペンシルパズル本(1986年~2014年)
1999年12月以降は在庫を全巻常備しなくなり、この頃から現在まで在庫切れのものも存在する。
パズル・ザ・ジャイアント(1992年~)
パズルBOX(2000年~)
激辛数独(2004年~)
ザ・点つなぎ(2005年~)
数独通信(2006年~)
ニコリのペンパ(2010年~)
フレッシュ(2011年~)
とびっきり数独(2012年~)
いろいろクロスワード(2013年~)
まるごとパズル(2014年~)
インターネット上のパズル出題サイト[編集]
パズルジャパン(タイムインターメディアとの共同プロジェクト、2002年~2006年)
nikoli.com(ニコリ単独での運営、2006年~)
かつて定期発行されていた出版物[編集]
N.G.(ニコリの合体本)
クロスビー(クロスワード専門誌・1983年-1992年)
数独ブック(ペンシルパズル本シリーズから1年間独立・2001年)
出版物の流通[編集]
一般の出版物と違い、ニコリの出版物は大部分が取次を経由せず直接取引のみとなっている。そのため、常に入荷する書店は限られている。ニコリの出版物を販売している店(書店の他に、おもちゃ屋などの場合もあり、また出張馬房と総称される)の一覧は、同社のホームページや『パズル通信ニコリ』の毎年12月に発売される号の誌上に掲載されている。また、ニコリの出版物を入荷しない書店でも、地方・小出版流通センターを経由して注文し、取り寄せることが可能である。
波書房[編集]
1990年以降、一般の流通販路を持つ波書房と提携・子会社化し、現在ニコリが発行しているパズル通信ニコリ別冊と似たコンセプトの出版物を多数刊行していた。
2003年8月25日発行のニコリ編著「ハード数独14」以降は出版物の刊行を行っていない。
パズル製作集団[編集]
ニコリは自社でパズルの雑誌を出版するだけではなく、他の新聞・雑誌等に問題を提供している。
同社のクロスワードの多くは、特殊な知識を要求しない・時事的な要素をなるべく使用しないなどの特徴があり、多くの人が解けるように作られている。
クロスワード以外のパズルは、ルール説明が必要な反面、言葉の知識等がなくても論理的に解けるものが多く、これらは日本のみならず海外でも紹介されている。特に2005年からガーディアン紙に提供を始めた『数独』は、"Sudoku"の名前で世界中でブームとなった。
関連項目[編集]
ハドソン - 『パズルシリーズ』の一部や『数独と3つのパズル~ニコリのパズルバラエティ~』等、ニコリのパズルを題材とした作品を多く発売。また、同社のパズルゲーム『脳内覚醒ハニカムビート』にニコリ作成の問題を収録。
Trap-TV - フジテレビで放送されていた番組。ニコリがパズルを制作していた。
参考文献[編集]
鍜治真起 『数独はなぜ世界でヒットしたか』メディアファクトリー、2010年3月19日。ISBN 978-4-8401-3265-7。
数独(すうどく)は、3×3のグループ(ブロック)に区切られた 9×9の正方形の枠内に1〜9までの数字を入れるペンシルパズルの一つである。
同様のパズルそのものは1980年代から世界各地のパズル愛好家には知られていた。日本においては1990年代後半以降、専門誌も創刊されていたが、2005年にイギリスで大衆層を巻き込んだブームが起こり、外国のブームを追うように2006年から日本でも連載する新聞や雑誌が従前以上に増加した[1]。
世界パズル選手権では、スケルトンやお絵かきロジック、その他さまざまなパズルとともに数独 (SUDOKU) も毎年出題されている。
名称[編集]
アメリカのパズル誌に載っていた「Number
Place」というパズルを、パズル制作会社ニコリの代表取締役鍜治真起が、名称だけ「数字は独身に限る」(略して、数独)と変えて日本で発表したことが始まりで[2][3]、同社の関与する媒体で使用される名称である。同社によって商標登録[4] がされており、日本国内においては同社が制作に関与していないものについては「ナンプレ(ナンバープレース)」などの表記が使われている。
2008年、高等学校英語の教科書に取り上げられた数独に関する文章について、教科書検定の結果「特定の商品の宣伝になる恐れがある」との理由で表記を「Sudoku」から「puzzle」などに修正を求められたと報じられた[5]。
一方、日本国外では同社による商標登録が行われておらず、同社が制作に関与していないものについても「sudoku」の呼称が用いられている場合が多い。また、従前からの名称である「number place」「figure place」の呼称も引き続き用いられている。
遊び方[編集]
基本的なルールは簡単で、下記の3つだけである。
空いているマスに、1〜9のいずれかの数字を入れる。
縦・横の各列に、同じ数字が重複して入ってはいけない。
太線で囲まれた3×3のグループ(以降「ブロック」と呼ぶ)内に、同じ数字が重複して入ってはいけない。
解法[編集]
解き方の例-1
右上のブロックに注目して5の位置を確定させる
一つのマスに注目して、そのマスに入る数字を限定する。
一つの列(またはブロック)に注目して、特定の数字が入るマスを探す。
基本的な問題はこの2つで解くことが可能である。具体例としては、
あるブロックとただ一つの数字に注目し、他のブロックで既に決定された列を候補から排除し、数字が入るマスを限定する。
例題の上端横に伸びる赤い線の左端に5があり、上段右のブロックの上段には5は入らない。同じく、その下の短い横に伸びる赤い線の左端にも5があり、上段右のブロックの中段には5は入らない。さらに、下段右のブロックの5のある列も上段右のブロックの5の入る候補から排除する。上段右のブロックのまだ赤線の引かれていない2マスの内、一つは既に数字が確定しているので、残った緑色のマスには5が入る以外にない。
解き方の例-2
左下のブロックに注目して9の位置を確定させる
中級以上の手筋としては、数字が入るマスは確定しないが、ある制約により数字が入る場所が限定され決定することがある。具体例としては、
ある数字が入る場所が、単一ブロックの同一列に限定されるとき、他のブロックのその列には入らない。
例題の中段左のブロックで9が入るのは、上段左のブロックの中央列に9が既にあるので、右側の列である。よって、下段左のブロックでは、9の入る列が左列と確定する。下段中央、下段右のブロックの9の列も既に決まっているので、下段左のブロックの6の左横に9が入ることが確定する。
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例題の下段中央のブロックで、2が入るのは下段のみである。また、6が入るのも下段のみである。よって、下段の2つのマスには2と6のみしか入れず、下段中央のブロックに入るべき他の数字3と5と7は、上段の3つのマスに入ることが限定される。さらにその3と5と7の入る行に注目する。緑色のマスに入るのは既に9と判明しているので、その行の残り2つのマス(下段左のブロックの右上隅と、下段右のブロックの右上隅)に入るのは1と4ということになる。2つのうち下段右のブロックの右上隅のマスに注目すると、その2つ上のマスには既に1が入っているので、このマスに入るのは1ではない、つまり4だということになる。同時にもう片方のマス(下段左のブロックの右上隅)に入るのは1と確定する。
以上のような解法が一般に知られている。
初期配置[編集]
日本国内で数独の問題を発表するときには、最初に盤面に提示するヒントとなる数字の配置(初期配置)を点対称形にするのが一般的である。ただし、ナンプレなど、他の名称で作成・公開されているものについては、必ずしもこの規則に従っていない。
初期配置の数字の数は年々減少し、現在では20〜30個程度が多く、中でも24個のものが非常に多い。また、初期配置の数字の数は、少なければ少ないほど難しくなるというわけではなく、難しい数独を作ろうとすると、20〜25個程度になる[6]。
ニコリと世界文化社を除くほとんどの出版社では、初期配置の数字の数は24〜38個程度で、易しいものほど多く、難しいものほど少なくなっている。
最少個数[編集]
数独の初期配置の数字の最少個数は、17個である。2012年1月6日、アイルランドの数学者 Gary McGuire は「数独においてヒントが16個以下のものは解法を持ちえない」ということを証明した。証明にあたっては「ヒッティング・セット・アルゴリズム[7]」を用いて単純化し、2年間で700万CPU時間をかけ、答えにたどり着いた[8]。以前は、問題として成立する初期配置の数字の最少個数は結論が出ていなかったが、点対称の問題では18個(初出・パズル通信ニコリ31号、1990年)、線対称(対角線)・非対称のものでは17個(後者の初出・パズラー187号、1997年)のものが確認されていた。 また、どの初期配置の数字もそれが無かったら唯一解でなくなる問題の初期配置の数字の最多個数は、今のところ35個のものが確認されている[9]。
なお、複数の解が存在する初期配置の数字の最多個数は77個である[10]。
標準以外[編集]
標準のルール以外の場合、初期配置の数字の数はさらに少なくすることができる。対角線上でも同じ数字が重複してはいけない「対角線ナンプレ」では、点対称・線対称(水平もしくは垂直)・非対称の問題で12個のものが確認されている。ブロックの形を変更した「幾何ナンプレ」では、ブロックの形状次第では8個で問題が成立する。このタイプの問題の場合、N×N のサイズでは初期配置の数字の数が N-1 個の問題を作ることができる。この形式を含め、数字が意味を持たない形式の場合、初期配置の数字の数が N-2 個以下で一意解の問題を作ることができない。
数字が意味を持つ場合、初期配置の数字の数をさらに少なくすることができる。隣接マスの相互関係を利用する「不等式ナンプレ(英語版)」や、数字の合計を利用する「サムナンプレ」では、マスに1つも数字が入っていない問題が出題されることがある。「1つ違いナンプレ」は隣接するマスの相互関係を利用する問題だが、これは初期配置の数字の数を0にすることはできない。
大きい問題[編集]
標準ルールでマスの数を増やした形式については、あまり調べられていない。
これらに対して統計を取った例はほとんどないが、ニコリ発行の『数独通信』によれば、16×16で74個(『数独通信』Vol.1(2006年2月) とくしん作)・25×25で241個(『パズル・ザ・ジャイアント』Vol.11(2000年7月)Pukupuku作)の問題が確認されている[11]。 印刷物の形では発行されていないが、2006年7月に16×16で初期配置の数字の数が64個(点対称)のものと62個(非対称)のものが発表されている[12]。 2011年に16×16の場合の初期配置の数字の最小個数がGPCCに取り上げられた[13]。出題時点では上記の62個が最小となっていたが、2011年4月11日現在56個のものが発見されている。
また、2018年10月6日、「アスキードワンゴ」「すうがくぶんか」「和から」共同主催の「数の祭典 MATH POWER 2018」において3✕3を280個連結したものをニコニコ動画で公開生中継し21時間経過したところで完成、ギネス記録として認定された[14]。
歴史[編集]
1895年7月6日、フランスの日刊紙「ラ・フランス」に掲載されたパズル
フランスの日刊紙「ル・シエクル[15]」は1892年に、2桁の数字を使用する同様のパズルを掲載している。1895年には別の日刊紙「ラ・フランス[16]」が1桁の数字で9×9の盤面を埋めるパズルを掲載しているが、これは3×3のブロックを用いていなかった。これらのパズルはしばらくフランスのいくつかの新聞に毎週掲載されていたが、いずれも第一次世界大戦前後には姿を消した。
現在の数独は、アメリカ人建築家ハワード・ガーンス(英語版)が匿名で考案したものである。これは18世紀にスイスの数学者レオンハルト・オイラーが考案した、ラテン方陣あるいはオイラー方陣と呼ばれるものに、3×3のブロックという新たな制限を付け加え、ペンシルパズルとしたものである。これは「ナンバー・プレイス[17]」の名前で1979年にニューヨークの出版社デル・マガジン社から初めて出版された。当時から「フィギュアー・プレイス[18]」という名称も存在している。
日本には、ニコリの『月刊ニコリスト』1984年4月号で、「数字は独身に限る」の題で初めて紹介された。作者及び命名者はニコリ社長の鍜治真起である[19]。
1988年4月1日、ニコリから単行本『ペンシルパズル本6・数独1』が刊行された際、ニコリによる公式な略称として「数独」という名称が使用され始めた。以後数年間は「数字は独身に限る」の方が引き続き正式名称で、「数独」が正式名称となったのは1992年3月1日発行の『パズル通信ニコリ37号 はる分』からである。
世界的な流行は、1997年に59歳のニュージーランド人ウェイン・グールド(英語版)が日本の書店で数独の本を手にとったことに始まる。グールドは6年後、数独をコンピュータで自動生成するプログラムを作ることに成功した。イギリスの新聞・タイムズに売り込み、2004年11月12日から Su Doku の名で連載を開始した。2005年4月から5月にかけてブームに火が付き、インデペンデント、ガーディアン、ザ・サン、デイリー・ミラーなどイギリスの主要日刊紙に軒並み掲載されるという状況になった。2005年7月1日にはテレビ局スカイ・ワンが、数独をテーマにした初のテレビ番組を放映。イギリスでの人気は他国にも飛び火し、パズルとしては1980年ごろのルービック・キューブ以来の大流行と言われた。
世界選手権[編集]
詳細は「世界ナンプレ選手権」を参照
2015年ソフィア大会の様子
2006年3月10日、11日にはイタリアのルッカで初の世界選手権(世界ナンプレ選手権)が開催され、22か国85名が参加した。優勝はチェコの女性ヤナ・ティローバである。女性が国際的なパズル選手権で優勝するのは世界パズル選手権でも例がないことだった。日本代表はパズル作家の西尾徹也の4位が最高だった。
2007年にはプラハで第2回大会が開催され、個人ではアメリカのトーマス・スナイダーが、チームでは日本が優勝した。また、これに伴い、日本では世界選手権の参加者の選抜を兼ねた日本選手権が行われた。この大会は日本パズル選手権(世界パズル選手権の日本代表選考を兼ねる)と同様世界文化社が主催していたが、現在の選考は世界パズル選手権と同様日本パズル連盟が行っている。
選手権の正式名称は World
Sudoku Championship(世界数独選手権)だが、公式な日本語名は、商標の関係もあり「世界ナンプレ選手権」となっている。
2013年より18歳以下と50歳以上の部門が新設されている。
バリエーション[編集]
数独の中には、新しいルールを付加したり一部のルールを変更したものが多く存在する。
大きさの変更[編集]
各ブロックが長方形の問題例
一般的な数独は枠の大きさが9×9であるが、一辺のマスの数を増やして大型化したものが考えられる。ブロック分けの関係上一辺のマスの数は平方数にすることが多いが、平方数でなくとも作成は可能であり、世界選手権においては6×6(2×3のブロックが6個)の問題が出題されている。16×16や25×25程度のサイズは比較的よく見られ、毎号のように掲載している専門誌もある。これ以上のサイズでは、36×36のものが世界文化社発行の「ナンプレ」1997年11月号に掲載されている。今までにパズル誌で発表された最大の問題は、49×49である。
10以上の数字については、そのまま数字を入れる場合もあれば、アルファベットに置き換えられる場合もある。
ルールの付加[編集]
数独のルールに新たな条件を追加したものがある。代表的なものには以下のようなものがある。追加の条件にはそれ自体が解答のヒントとなるものも多いため、同程度の難易度の通常の問題に比べ初めから数字で埋められているマスは少ないことが多い。
対角線にもすべての数字が揃う問題例
複数の問題がマスを共有している問題例
隣同士の大きさの関係で解く問題例
ブロックの形状を変えた問題例
対角線
縦・横・ブロックの他に、対角線でも同じ数字が重複してはならないようにしなければならない問題。対角線を強調するために点線が引かれていたり、色分けされていたりすることも多い。
重ね合わせ
複数の問題がマスを共有している問題。共有された部分のマスはそれぞれの枠の一部であるため、それらすべてから制約を受ける。
リレー
ある問題の解答の一部がそのまま次の問題のヒントとして用いられる。
任意の9マス
9×9の問題の81マスの内、9マス(例えば、各ブロックの中央のマス)のみ色分けなどによって限定し、その9マスには1から9の数字が一つずつ入るように制限を設ける問題。
合計値
すべてのマスが、3×3のブロックとは別に1〜4個程度のグループに分けられており、各グループの合計が指定されている問題。「サムナンプレ」「キラー数独」などと呼ばれる。
入る数字の制限
色分けなどによってマスを分別し、「色つきのマスには偶数のみ入る」「カプセルの中には奇数と偶数が1つずつ入る」などのようにマスに入る数字を制限した問題。
隣り合ったマスの関係
マスの境界線に記号を置くことにより、隣り合ったマスに条件が課せられる問題。以下の2つが多い。
不等号によって隣り合ったマスの大小関係が指定されている。
問題によって指示される記号を挟むマスの数の差が1になる。はさまれない場合の差は2以上が多い。
ルールの変更[編集]
ルールの一部を変更したものがある。
最も代表的なものは、本来3×3の正方形であるブロックの形状を不規則な9マスの形(ノノミノ)に変更したものであり、「ジグソー数独」「幾何(模様)ナンプレ」などの名称で呼ばれる。なお、このルールによれば必ずしも9×9の問題である必要はなく、任意の大きさの正方形で問題を作ることも可能である。
他に、立方体の表面上に数字を並べるものや、数字が2つ入るマスを設け各列に10個ずつ数字が入るもの、などがある。
入る数字の変更[編集]
入る数字の表記法を制限して、表記の一部を表示するタイプの問題がある。世界選手権では、以下のようなものを入れる問題が登場した。
サイコロの目
英単語
例えば英単語の場合、1
(ONE) なら3文字、7 (SEVEN) なら5文字など、各マスに入る数字の文字数が指定されており、「4文字のマスの2文字目が"I"」などスペルの一部が与えられ、これを手がかりに解いていく。
コンピュータと数独[編集]
前記のウェイン・グールドがタイムズ紙に問題を提供していた例のように、コンピュータを用いて数独の問題を解答したり作成したりすることも広く行われている。日本でも、インフォレストが2004年1月から(外注のプログラマが作成した)プログラムで生成された問題を誌面に掲載しているなど、コンピュータによって作成された問題が商業誌に使用されるも例も多い。
ルールの単純さから多くの解答プログラムが作られており、フリーウェアとして公開されているものも多い。多くのプログラムは9×9の標準の形式の解答しかできないが、大きいサイズの問題や対角線の条件が加わったものなども解けるプログラムもある。
問題作成プログラムは、解の存在をチェックするために解答プログラムを内包することになるため、解答プログラムよりも数は少ない。コンピューターで問題を作成する利点としては、短時間で多くの問題が作れることや、「盤面に17個しかない」などのより限定された条件の問題を作ることができることがあげられる。
ただし、コンピュータで面白い問題が作れるかどうかは別の話である。パズル通信ニコリの編集部および読者や、西尾徹也のように日本で専門の雑誌が刊行されるよりも前から数独を作っている作家の中には、「コンピュータ作成の問題より人間が手で作った問題の方が解いて面白い」という意見が存在している。
コンピュータゲームの数独[編集]
数独専用の電子ゲーム機やウェブサイト上でを用いたものなど様々なバリエーションが存在する。以下にゲーム機用のソフトウェアとして発売された代表的なタイトルを挙げる。
1999年2月25日、ヒューマンより発売された。ヒューマン倒産後はハムスターより発売。機種はPlayStationで、2007年からはPlayStation Portable用にゲームアーカイブスにてダウンロード配信も開始された。ナンバープレース、ナンバークロスワード、スケルトン+αの4種類のパズルゲームが収録されている。
2006年3月23日、ハドソンより発売。対応機種はニンテンドーDS。ボタン操作とタッチペン操作の切り替えが可能。ニコリが問題提供で協力している。日本国外では任天堂より「Sudoku Gridmaster」「Sudoku master」のタイトルで発売されている(パズルシリーズの項も参照)。
ナンプレアドバンス
2006年4月6日、サクセスより発売。対応機種はゲームボーイアドバンス。問題数が1000個と多いのが特徴。問題提供は スカイネットコーポレーション。2018年12月13日には問題数が1万個のナンプレ10000(対応機種はNintendo Switch)が配信された。
2006年4月27日、ソニー・コンピュータエンタテインメントより発売。対応機種はPSP。日本以外では「Go!
Sudoku(英語版)」のタイトルで発売されている。また、オンラインのランキングや対戦などにも対応したPlayStation 3版もオンライン配信専用タイトルとして発売されている。
THE イラストパズル&数字パズル
2006年4月27日、ディースリー・パブリッシャーよりSIMPLE DSシリーズ Vol.7として発売。お絵かきロジックと数独を1本のソフトに収録。オリジナル問題の作成機能が付いている。対応機種はニンテンドーDS。
2007年11月29日には続編の「SIMPLE DSシリーズ Vol.28 THE イラストパズル&数字パズル2が発売された。
2008年11月25日には「@SIMPLEシリーズ Vol.2 THE ナンバーパズルneo」(Wiiウェア)、2014年6月25日には「@SIMPLE DLシリーズ Vol.30 THE ナンバーパズル」(ニンテンドー3DS)、2018年6月7日には「THE 数字パズル」(Nintendo Switch)がダウンロード販売されている。
Brain
Age、Brain
Training
任天堂『脳を鍛える大人のDSトレーニング』の日本国外版には数独が収録されている。日本では『ちょっと脳を鍛える大人のDSiトレーニング 数独編』に収録されている。
2006年9月28日、ジャレコより発売。カックロなど5種類のパズルを1本のソフトに収録。対応機種はニンテンドーDS。ニコリが問題提供で協力している。また、自動生成の問題も出題できる。
ナンプレ
2007年6月6日、iTunes Store にてダウンロード販売開始。対応機種は iPod(第五世代でソフトウェア1.2以降)。iPod のクイックホイールで操作。エレクトロニック・アーツより提供。海外でのタイトルは「Sudoku」。
2010年11月25日、第1集がハムスターより発売。ニコリとの共同開発で数独以外のパズルも収録。PlayStation Portable版の他、ニンテンドー3DS版も発売された。
ナンプレ
Relax
2019年4月25日、ジー・モードよりダウンロード販売開始。300問収録で、数字がそろった時のエフェクトを売りにしている。対応機種はNintendo Switch。
数独の組み合わせパターン数[編集]
数独の組み合わせパターン数は、回転や反射や順列や名前を変更することなどで同じになるものを考慮すると、54億7273万0538種類になるとエド・ラッセルとフレーザージャービスによって示されている[20]。
参考文献[編集]
鍜治真起 『数独はなぜ世界でヒットしたか』メディアファクトリー、2010年3月19日。ISBN 978-4-8401-3265-7。
Rosenhouse,
Jason; Taalman, Laura (2012-02-16), Taking Sudoku Seriously: The Math Behind the
World's Most Popular Pencil Puzzle, Oxford University Press, ISBN 978-0-19-975656-8
ジェイソン・ローゼンハウス、ローラ・タールマン 『「数独」を数学する 世界中を魅了するパズルの奥深い世界』小野木明恵 訳、青土社、2014年10月7日。ISBN 978-4-7917-6827-1。
関連文献[編集]
ニコリの数独本
ニコリの数独本は以下の通り[21]。
『決定版 数独』ニコリ〈パズル通信ニコリ別冊〉、2006年4月。ISBN 4-89072-409-5。
『数独攻略ガイド』ニコリ、2007年10月10日。ISBN 978-4-89072-439-0。
『“数独の父”鍜治真起が教える難問数独』ニコリ、2010年6月10日。ISBN 978-4-89072-785-8。 - 難問の数独を108題収録。
ニコリ 編 『全問解説数独』ニコリ、2010年11月10日。ISBN 978-4-89072-787-2。 - Hardレベルを中心とした数独の新作を67題収録。
文藝春秋の単行本
パズル作家50名が自ら「傑作」と認める数独を100問厳選して収録した本。
ニコリ編著 『ニコリ「数独」名品100選』文藝春秋、2006年5月30日。ISBN 4-16-368200-7。
同人誌
個人が発行した本。
『数独の体系的解法 初歩から超難度までそして、Art Inkala (フィンランド) へ』大野豊[要曖昧さ回避]、大野豊、2011年8月。
とん 『ヒントの少ないナンプレの作り方』暗黒通信団、2014年。ISBN 978-4-87310-223-8。
毎日新聞名古屋開発の数独本
Dr. 数独が編纂したもの。
Dr. 数独 編著 『数独解法 チェック方式』 1巻、毎日新聞名古屋開発(製作)、2013年11月。ISBN 978-4-944134-26-7。
プログラム学習本
Java言語で数独の問題を作る本。
古金谷博、藤尾聡子・鳥居隆司 『プログラムを作ろう! Java入門 数独の問題を作ってみよう はじめてでも楽しく学べる!』日経BPソフトプレス(発行) 日経BP出版センター(発売)、2009年12月7日。ISBN 978-4-89100-663-1。 - 索引あり。
小説
以下の数独小説は2007年から2009年にかけて出版された。
Shelley
Freydont (2007-04-26). The Sudoku Murder: A Katie McDonald
Mystery (Hardcover ed.). Carroll & Graf.. ISBN 978-0-7867-1977-8
Shelley
Freydont (2008-09-02). The Sudoku Murder: A Katie McDonald
Mystery (Paperback ed.). Running Press. ISBN 978-0-7624-3492-3
シェリー・フレイドント 『数独パズル殺人事件』田口俊樹 訳、ヴィレッジブックス(発行) ソニー・マガジンズ(発売)、2008年1月。ISBN 978-4-7897-3248-2。 - 原タイトル:The sudoku murder。
Parnell
Hall (2008). The Sudoku Puzzle Murders: A Puzzle Lady Mystery. St Martins
Minotaur Books. ISBN 978-0-312-37090-9
Kaye
Morgan (2008). Murder By Numbers (A Sudoku Mystery). Berkley. ISBN 978-0-425-21903-4
Michael
Mepham (2009). Murder on the Sudoku Express (Paperback ed.). Penguin
Global. ISBN 978-0-14-317579-7
脚注[編集]
[脚注の使い方]
^ 西山豊「Sudokuがイギリスで大ブレイク」『数学セミナー』(日本評論社), Vol.45, No.5, 40-44, 2006年5月
^ “「数独」の名付け親、鍜治真起さん死去 ニコリを設立:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2021年8月18日閲覧。
^ “「数独」鍜治真起さん死去 読者参加でファン拡大、世界に2億人”. 毎日新聞. 2021年8月18日閲覧。
^ 英文表記「Sudoku」も含む。日本第3327502号、日本第4936155号、日本第4980699号、日本第5056856号、日本第5060568号。
^ 社会部 村井正美; 社会部 渡辺光彦 (2008年3月26日). “[解説]高校教科書検定…1冊で383か所指摘も、文科省の厳しさ浮き彫り”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). オリジナルの2008年5月17日時点におけるアーカイブ。
^ 「数独データランド」(数独通信Vol.16、ニコリ、2009年11月10日)
^ 数独の初期ヒント最小個数は「17」、それ未満では解けないと数学者が結論
^ ヒント数最大のナンプレ 稲葉のパズル談話室 2008年6月16日
^ 瀬山士郎 編 『数学は楽しい』日経サイエンス、2010年2月18日。ISBN 978-4-532-51169-2。
^ ニコリ『数独通信』Vol.18(2010年5月)P.44-45「数独データランド」
^ プログラミングパズル雑談コーナー 2006年7月10日の書き込み
^ “ギネス世界記録™達成!TIM提供、世界最大のマルチナンプレ・パズル ~『数学の祭典 MATH POWER 2018』にて正式認定~”. Webシステム開発/教育ソリューションのタイムインターメディア. 2021年4月22日閲覧。
^ Jarvis, Frazer; Ed Russell (2005年9月7日). “There are 5472730538 essentially different
Sudoku grids ... and the Sudoku symmetry group”. Frazer Jarvis's home page. 2006年9月16日閲覧。
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